連載小説
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猫村さんと俺の夜更けから夜明けにかけてB
 俺は何とも言えずしばらくの間黙っていたが、結局自分が言うべきことが見つからずに、口をつぐんだままでいた。
 ふと時計を見ると、時刻は午後の11時前を指していた。猫村さんの家に来たのがそれほど遅くなかったから、かなり長い時間猫村さんと楽しんできたことになる。時間なんて気にしていなかったから当然と言えば当然なのだけれど。
 猫村さんは一息に喋ったっきり特に何も言わなかった。蛇足になると思ったからかもしれない。だからと言って、俺の方も特に言うことは無かった。
 二人はしばらくの間、言葉なくお互いに背中をくっつけあってそれぞれの方向を見ていた。
 そんな時、床の上の俺のズボンのポケットの中の携帯に、ラインの着信が入った。親父からだった。存外早く帰ったようで、家に俺が居なかったのでメッセージをよこしたようだった。
『どうした、飯を食べに行ってるのか』
『遅すぎるぞ。あまり母さんに心配を掛けさせるな』
『早く帰って来なさい』
「あー、親父、早めに帰れたんだ」
「お父さん?」
「そうです。なんか結構早く帰れたみたいで」
「そっか」
「俺にさっさと家に戻れって言ってて」
「……帰っちゃうの?」
「いや、最初はお礼で一発ヤった後は、すぐに帰るつもりだったんすけど」
「けど?」
「なんか、別れがたくなっちゃって」
「ほんと?」
「絶対帰りたくないです」
「よかった」
「ただまあ、親父の方になんて返信しようか思いつかないんす」
「お父さんって、朝帰りオッケーって言ってくれてる?」
「どうだろ。色々言うとは思いますけど、聞いたことないから分かんないっす」
「ふーん」
「なんて返そっかなー」
 俺はちょっと悩んでしまった。猫村さんがおもむろに言った。
「……聞いてみてよ」
「へ?」
「ここで、ラインで聞いてみてよ」
「いや、でも……。ええ?」
「聞いてってば」
「えー」
「えーじゃない」
「まあ、いいっすけど……」
 珍しく自分の主張を言ってきた猫村さんの言葉もあって、俺は親父への返事を打ち込んだ」
『ごめん、帰るの明日になる』
 既読が付いた。それから一分余り返事がなかった。
「……………………………」
「……………………………」
「……………………………」
「……………………………」
「……………………………」
「……………………………」
 帰って来たのはただ一文だった。
『避妊具は、必ず着用しろ。相手の体を思いやってあげろ』
「ぶはっ!」
 俺は返信の内容に思わず吹き出してしまった。あのいつも何を考えているのかよく分からない鉄面皮の親父が、いざこういう時は意外と柔軟な対応を示してくれたことが妙に面白かったのだ。
 猫村さんは大笑いする俺の顔と形態の画面をしげしげと見比べた。
「……ねえ、本当にお父さんと仲悪いの?」
「あはは……普段は悪いんですけどね。いや、でも今回だけは別っす。親父サイコー」
 俺はなおもクスクス笑いながら、ただ
『ありがとう』
とだけ送った。家族グループとは別の、親父との個別ラインなんて、使ったのはいつ以来だろう。俺はなんだか愉快な気持ちで携帯のカバーの画面を閉じた。
 少し気分が明るくなった時、激しい運動をしたせいか、カレーを食べた後にも関わらず俺は小腹がすくのを感じた。
「猫村さん」
「何」
「何か、買いに行きません? おやつとか、夜食とか」
「どしたの」
「お腹すいちゃって」
「太るよ?」
「大丈夫です。若いんで」
「猫村さんが若くないっていうのか」
「いえ、猫村さんも若いんで大丈夫です」
「ばか」
「じゃあ、行きましょっか」
 そういって俺は、いつの間にかそこらに脱ぎ散らかしていた衣類を身に着け始めた。猫村さんももそもそと服を羽織る。そうして俺たちは家を出て、春の夜道に繰り出したのだ。


 俺たちは街路の中を並んで歩いていた。雨はいつしか止んでいた。空気中に舞っていた誇りは雨によって落とされ、夜空がちょっと信じられないくらいによく見えた。街灯がそんなに多くなかったのが関係してたのかもしれない。しかし、月明かりのおかげでまったく暗くはなく、むしろ眩しいぐらいだった。どこかで誰かが風呂に入っているかのような水音が聞こえた。生活の音は、この時間帯になって終盤のそれを立て始めていた。
 俺は猫村さんに言った。
「手、つなぎます?」
「繋ごっか」
 俺たちは並んで、歩調を合わせてから指を絡めあった。さっきの激しい交合とはちがう、くすぐったくも何かとても楽しい気持ちになった。
 もうこんなことまでしてしまうと、さっきまで俺が持っていた『お礼』なんて建前はもう保てなくなるだろう。それでも構わないという気持ちが俺の中にあった。俺は彼女に、今までのような尊敬だけではなく、愛しさと言うものを感じ始めていた。
 魔物娘はパートナーとなるべき男性と性交をした瞬間からその人のことを愛するようになると聞いたけれど、多かれ少なかれ人間にもそんな性質は備わっているのではないだろうか。
 あんまりにも気持ちおいい夜だったものだったから、思わず俺は、自分の気に入っている曲をなんとなく口ずさんでしまった。
「このさきでほら、ぼくをまってる、からゆくべきだ、ゆめ、のつづき、は、このよるがあけ、つかれはてて、ねむるまで、まだ、まだ、あーあ、あーあ、あーあ、あー」
「なにそれ」
「ナイトフィッシングイズグッドです」
「今から夜釣り行くの?」
「そうじゃなくて……、あーまあいいか」
「なんだよー」
 二人はそんなつまらない会話をしながら夜道を行き、近くのコンビニを目指して歩いた。
 春の夜風は少し湿っていたが、それでも火照った体には十分に涼しく心地がよかった。
 穏やかさはあたりに満ちて、俺は猫村さんの手の温かさを感じながらもそれを存分に味わった。呼吸をするたびに、自分の中の何かが新鮮なものに置き換わってゆくような気がした。そしてそれは意外なまでに爽やかなものだった。 今夜はちょうど満月で、黄金の光がそこら中に降り注いでいた。どこからか春の花の甘い香りが漂ってきて、鼻腔をほのかに刺激した。遥か彼方から犬の遠吠えが長く静かに響き渡った。

 そういった雰囲気の中で、俺は、これからの俺と、猫村さんと、人間と、そして魔物娘たちの未来のことを考えた。この四つはこれから先もお互い上手くやっていけるだろうか。いずれかが消えてしまいそうな時には、他のものはそれを救うことがちゃんと出来るだろうか。間違っても、これも時代の移り替わりというもので、何にだって栄枯衰退あるものさ、なんて知ったような顔で言い訳して、目の前で消えてゆく素晴らしいものを、何の施しもしないまま放っておいたりするなんてことはないだろうか。いずれも漠然とした不安を掻き立てるものであり、そのことを考えるといてもたってもいられない気持ちになるが、しかし、たとえ俺たちがどれだけ急いで、あるいは待ったとしても、この答えはいずれも、この先に待ち受けている未来の泥の中にしかないだろう。

 それでも俺は、猫村さんと一緒でさえいれば、それこそ今みたいにコンビニかなんかに出かける感覚でその中に入っていけることが出来るような気がしてならなかったのだ。それはどうしてかと言われれば、その理由を言葉にしようと思うととても難しいのだけれど。  
 遠くにほのかに微かな明かりが見えた気がした。目指すところが、近いのかもしれない。俺は猫村さんの手を握りながら、夜の道を歩いて行った……。


 ……この後の日々で、『お礼』と称して猫村さんが何度も俺に性交渉を迫ったのは誰にでも予想できるところであるし、それに俺が喜々として従ったのもまた同じことである。
 それでも俺が大学に入って最初のうちにしばらくバタバタしていたころはご無沙汰になる週が何回かあって、とうとうそんな週が立て続けに二週間ほど続いた日の夜、俺の一人暮らしをするアパートに思いつめた顔で猫村さんが訪ねてきたのが、俺たちの本格的な恋人関係の始まりだった。
 扉を開けて中に通すなり突然押し倒され、怒り顔で涙をこらえられながら、
「私って、新藤君にとっての何なの!?、ねえ、答えてよ!」
と非常に乱暴に腰を振りつつ猫村さんは俺に聞いた。そこで『セフレ』なんて答えていようものならその後のことは想像するだに恐ろしいが、しかし俺はまったくそんなことなんて言わずに、ただ
「恋人です!!」
と叫びながら猫村さんの首筋を掻き抱き、そしてそのまま吸い付いた。猫村さんは鼻水と涙を垂らしながら
「心配させんな、バカ!!」
とののしりつつも、全身で俺を抱擁してくれた。
 とにかくそういうドタバタの中で、はじめて俺たちはれっきとした恋人同士と相なったわけである。そしてその関係は幸いなことに今でもちゃんと続いている。終わりよければすべてよしなので、とりあえずは、まあ、いいんだろう。


 この文章を書く際に用いたペンネーム『マモナクション』は、俺と、魔物を恋人に持つ俺の友人たちの共同名義である。恋人との出会いや思い出、馴れ初めなんかを書くときに使って行こうと思う。そういう訳だから、文体や、あるいは恋人が全く別の物になることがあったとしても、それは俺がゴーストライターなり第二夫人なりの存在を保持していることとはならないのである。
 この文章をはじめ、マモナクションの発信するいくつかの文章が、俺の恋人猫村さんが心配していた未来への漠然とした不安を少しでも打ちほぐす物になることを願う。
(マモナクション:新藤敬)

19/08/03 11:28更新 / マモナクション
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■作者メッセージ
僕の作品をここまで読んでくださって、ありがとうございます!
長くなりましたが、とりあえず、猫村さんの物語はここでいったん終了です。またぼちぼち投稿してこうと思います。ご愛読、本当にありがとうございました!

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