連載小説
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正体
「やれやれ、結局野宿か」
 薄暗い月明かりの下、焚き火を前に呟きが漏れる。
「お前、何でこんな所に? 野犬でも出たら危ないぞ」
 わざわざ付いて来たのであろう。ポーラの声が響いた。

「それよりあんたらの側に居た方が問題だろうが」
「別に気にしないって。むしろ喜ぶんじゃないか?」
 気さくに語りかける彼女の表情は明るい。
 どうやら問題に気が付いていないらしい。
 
「夜になれば当然寝る。つまりは戦利品を楽しむ訳だ。
 そこに魔除けを施した俺の服が近くにあったら、
 どう考えても地獄絵図になるぞ」

 言わずもがな、戦利品は捕虜の男である。
 元より広域に影響を及ぼす代物なのだ。迂闊に
 近寄れば嬌声が悲鳴に変わるのは目に見えている。
 発散した魔力を制御する余裕も無いだろうし。
 
「あぁ・・・それもそうか」
「それに、こっちはこっちでやらにゃ
 ならん事も有る。喧しいのは勘弁だ」

 白紙の紙を取り出し、インクをペンに染み込ませる。
 適度に雫を落として字を綴り、焚き火で乾かせる。
 繰り返す内に仕上がった紙束を紐で括る。
 いつも通りの作業が始まった。

「つーか、あんたこそ離れちゃ拙いんじゃないのか?」
「見張りだよ。寝首を掻かれちゃ嫌だからね」
 立木を背に寄りかかりつつ、得物を見せるポーラ。
 半ば監視の意図も含まれているのだろう事は想像に
 難くない。

「そーかい、ご苦労さん」
 だが、作業の邪魔をする様子も無い。
 ジャンは黙々と執筆を続けていた。
 
「・・・・・・なぁ、あれは本当の事なのか?」
「何がだ」
 躊躇いがちに話しかける彼女の手には、
 丸めた羊皮紙が有った。

「あの紙束に書いてあった事だ。ほら、大量殺人とか」
「調べた限りは。魔宝石にも奴の魔力は残っていた。
 間接的とは言えデルエラが大量殺人をやったのは
 疑いようも無い事実だ。ウィルマリナもな」
 ポーラの表情が引き攣る。心なしか、手も震えている。

「意図的に引き起こしたとは思えんが、考えなしに
 動いた結果がアレだ。個人的に恨みは無いが、俺の
 呪いに引っ掛かった事は良かった事だと思うぞ。
 人も魔物も、犠牲者が増えずに済む」
 ジャンはポーラを見据えた。

「その様子だと知らなかったようだな?
 ディートリンデのように、留学した奴らから
 聞いている物かと思っていたが」
 目を伏せ、搾り出すように彼女は返した。

「あたしは・・・あんまし勉強とか好きじゃなくてさ。
 座ってるより賊を張り倒す時間の方が長くてね」
「ふむ・・・幹部格のあんたですらそれか。魔王も
 イチャつく前に教育を充実させろってんだ」
 忌々しいと言わんばかりにジャンは毒を吐いた。

「で、その議事録はどうするつもりだ? デルエラに
 提出するか? それとも無かった事にするか?」
「それを決める為に此処へ来たんだよ。事実なら、
 怪我をした人に償わなくちゃならない」
 青ざめた唇を噛み締め、震えた声で続けた。

「教えてくれ、私達が知らない所で何があったんだ?」
 暫しの沈黙。薪の爆ぜる音だけが静寂を乱した。

「魔界の鉱山からは、魔宝石という物が採掘されます。
 それは魔力を込めると色を変え、入れ過ぎると粉々に
 砕ける綺麗な石でした。この石は古くから身分を示す
 証拠として珍重されていました」

 御伽噺を話すかの如く、芝居がかった
 口調でジャンは語り始めた。

「かつてのレスカティエにも、この石は国の財布を潤す
 重要な資源として扱われていました。貧しい領地の
 人々は出稼ぎ先の一つとして占領した鉱山に勤め、
 上納金を稼いで庇護を求めていたのですから」

 紙とペンを置き、座り直した彼の言葉は続く。

「ある日、洞窟から赤い光が迸るや否や、大規模な
 落盤事故が起こりました。調査の結果、原因は
 膨大な魔力を吸い取った事で鉱山中の魔宝石が
 一気に砕けた物だと判明しました」

 ジャンは懐から小さな袋を取り出した。

「魔物の中には膨大な魔力を持つ種族が居ます。
 ダークマター、デーモン、ドラゴン。それらが
 縄張りを作る時、魔力の波が飛んでいきます。
 この落盤も、最初はそれが原因だと思われました」

 ジャンはポーラに向かって袋を投げ渡した。

「レスカティエの陥落、デルエラの支配。その後に発見
 されたデルエライトの輸出。それがきっかけで落盤事故は
 殺人事件として扱われるようになったのです」

 ポーラが袋の中身を調べると、真っ赤な砂が見えた。

「あろうことか、砕けた魔宝石とデルエライトは
 全く同じ魔力を放っていたのです。教会はそれを
 証拠として人々に呼びかけました。デルエラは
 決して友好的な存在ではないと」

 覚えのある魔力。袋の中身は、デルエラの魔力を
 吸い取り砕けた魔宝石であった。

「そんな馬鹿な・・・」
「これだけならば人々はデルエラが危険な存在だと
 思わなかったかもしれません。が、彼女が犯した
 罪は他にも有ったのです」

 血の気が失せるポーラ。それに構わずジャンは語る。

「その最たる例が食文化の破壊です。人間の国には
 貴腐ワインと呼ばれる飲み物が有ります。特定の
 黴が付いた葡萄から作る金色の酒。それを彼女は
 この世から消しかけてしまったのです」
 
 懐から革袋を取り出し、ジャンはポーラに近づいた。

「魔物の魔力は人間贔屓。色々な毒を持つ黴を近付ける
 真似はしません。だから人間の口に入る葡萄にも
 黴が付かなくなるように保護の魔力を掛けました」

 革袋の封を開けると、甘い葡萄の香りが漂い始めた。

「ですが、それに困ったのはワイン農家の人々です。
 黴が付かなければ貴腐ワインは作れません。それに
 加えて魔界と化した土地では葡萄が甘くなり過ぎて
 思い通りの味が出せなくなってしまいました」

 ポーラの顔に突き出される革袋。中には
 星明りを受けて輝く黄金色の液体が入っている。
 鼻をくすぐる酒精が、ワインである事を示していた。

「伝統の味を守る為に生まれ育った土地を捨て、
 多くの農家が去った後、ワイン文化は衰えて
 しまいました。かつて酒造で栄えた町は、
 こうして魔物に滅ぼされてしまったのです」

 幾ら頭の回転が鈍くても、此処まで来れば分かる。
 
「似たような事件は今も続いています。例えば極東。
 あの温厚なジパングの妖怪が怒り狂って魔王の軍を
 叩きのめす理由は、食い物の恨みだと冗談交じりに
 語られますが、一概に冗談ではないようです」

 この話はジャンの体験談なのだと。

「こうした悲劇を元に、教会は訴えます。人間の尊厳を
 踏みにじるデルエラを許すなと。奴に断罪の刃を下す
 勇者よ来たれ。教団の兵士が魔物の正体を知って尚
 戦い続けるのは、こうした背景が有るからなのです」
 グビリと酒を呷り、ジャンは口を噤んだ。

 教団の兵士の庇護、魔物の誘惑に抗える精神、
 元勇者すら一方的に苦しめる強力な魔法。
 考えてみれば、並の人間に出来る事ではない。
 
「成程、あんたは勇者だったのか・・・」
 引き金に指が掛かり、緊張に身が強張る。
 単独で仲間を纏めて無力化した事からも
 こいつは強敵だ。それも、規格外の──!

「別に殺しゃしないさ。そもそも
 殺せるだけの力も技量も無いしな」
 肩をすくめて掌を見せるジャン。
 少なくとも殺気は放っていない。

「俺の仕事は審判だ。切った張ったは専門外。
 やらかした罪を裁く程度の権限は有るが、
 余程の事が無けりゃ死刑を下す事は無い。
 そう言う神に仕えているんでね」
 
 おもむろに木槌を取り出すジャン。
 一見すると普通の木槌だが、銃士として
 優れた目は違和感に気付いた。
 
「何だ? その良く分からない物は?」
 そう、何も分からないのである。
 材質や匂い、付着している筈の魔力。
 見えて然るべき物が見えないのである。

「大聖鏡に匹敵する貴重な代物なんだが、
 あんたには見せても良いらしいな」
 木槌から染み出るように何かが溢れ出す。
 危険な物では無いようだが・・・

「どういう意味だ?」
「裁判を始めるという事だ。先に言っておくが、
 あくまでも俺は神の代行者。手を貸しているだけだ」

 木槌から膨れ上がる得体の知れない何か。
 氷柱で串刺しにされたかの如く背筋に走る寒気。
 勇猛果敢と名を馳せた彼女ですら怯える程に、
 それは放たれた。
 
「っ・・・!」
 気圧されて尻もちをつくポーラ。かつて対峙した
 デルエラも相当な威圧感だったが、今のそれは
 あの時以上に思えた。

「どんな判決にせよ、俺を恨んでくれるなよ?」
 振り上げられる木槌。自身を縛る不可視の圧。
 拙い、このままではやられる──!

「うおおおああぁっ!」
 本能のままに銃を抜き、雄叫びと共に引き金を引く。
 暗闇に輝く軌跡を弾丸に込められた魔力が残るも、
 木槌に当たるや否や、弾は虚空に消え去った。
 
「静粛に!」
 轟く一喝。それだけなのに瞬き一つ、
 指一本とて動かせなくなった。
 
「判決を下さん!」
 おぞましい声が再び轟く。言葉こそジャンが発して
 いるが、声に混ざる気配は彼の物では無い。


ペチン


「ふむ、苦しむ様子は無いと」
 間の抜けた音が自分の額から響く。あれほどの
 重圧だったのに、木槌からは何の気配も
 放たれていない。
 
「少なくとも、あんたは無罪のようだな」
 木槌を懐に仕舞うと、ジャンは手を差し出した。
「立てるか?」
 彼の手を掴み、ポーラは立ち上がった。
 
「今のは・・・一体誰の声だ?」
「閻魔様だよ」
 ジャンの手には、何時の間にやら紙束とペンが有った。

「知らないか? ジパングじゃ死後の世界を治め、
 罪を裁くと言われている冥府の神だそうだ」
「いや、知らないなぁ」
 政には興味が無く、外交には縁のないポーラには
 ピンと来ない名前だった。
 
「別名は閻魔天。神々の裁判官とも呼べる存在で、
 加護を受けた者は中立な立場から物事を裁く為に
 動く事が出来るようになる。本来なら真実を映す
 鏡も授かるんだが、そこまでの功徳は無いらしい」

 何やら文字を紙に記すと、焚き火の
 上で紙をかざして字を乾かし始めた。
 
「その性質上、アンデッドや罪業を重ねた者には無類の
 強さを発揮する。それを抜きにしても、魔物の誘惑や
 精の変化が防げるんでね。魔宝石の加工なんかにも
 役に立つらしい」

 銃を仕舞いつつポーラは訊ねた。
「じゃあ、さっきのは何だ?」
 ジャンは指で文字をなぞりつつ答えた。

「簡易裁判さ。ゴーストとか、あの世に行けない
 連中の罪を裁く儀式だ。生きてる奴でも罪を償う
 機会を与える為に開く事も有るがね」
 ジロジロとジャンは彼女の体を眺めた。

「ああやって儀式が済めば、犯した罪の重さに応じて
 苦しんでる筈なんだ。そんな様子は無さそうだが」
 彼の目には彼女に苦しそうな所は見られなかった。

「基本魔界から出てなかったし、仕事柄後方に
 居たから迷惑を掛ける様な事が無かったのか」
 休暇は昼寝に勤しみ、戦場では支援射撃や偵察。
 無差別に魔力を撒き散らした記憶は無かった。

「良かったな。有罪だったら罰として寝る度に
 男から別れ話をされる夢とかを見るそうだからな」
「うわぁ・・・」

 想像をするだけで身震いがする内容である。
 あの凄まじい威圧感を思い起こし、彼女は
 心底無罪である事を感謝した。
 
「ところで、さっきから何を書いてるんだ?」
 先程から火で炙っている紙を覗き込みつつ
 ポーラは訊ねた。

「閻魔帳。相手の罪業や行動を記録してんの。
 万が一道具や加護が歪められた時の備えでもある」

 インクが乾ききった事を確かめ、
 ジャンは紙を丸めて紐で括った。

「この木槌を魔力で汚染しようとするなよ?
 以前企んだ奴は、舌抜きの刑を喰らったからな」
「舌抜きって、まさか文字通りに?」
 彼女は反射的に口を押さえた。

「いや、一時的に男の精の味が分からなくなる」
 ポーラは先程の木槌を思い浮かべた。匂いも魔力も
 分からない不思議な気配に包まれたのだろうか?

「さて、大分話が逸れたが、どうするつもりだ。
 真実を伝えるか? それとも隠すか?」
「ジャン、お前はどうするするつもりだ」
 投げ返された質問に、ジャンは一拍置いて答えた。

「真実を隠すなら、直接デルエラの罪を裁きに向かう。
 ついでにウィルマリナ達の罪も裁く。ぎっくり腰で
 逃げられない今なら、木槌を届かせられるからな。
 もし逃げても地の果てまでも追い詰めるがね」

 ほんの一瞬、彼の懐から威圧感が迸った。
 それは不死者となりて生き永らえ、裁きを
 逃れた者達を捕まえんとする死神の手が
 木槌から伸びた様にも思えた。

「どんな判断を下すかは閻魔様次第だ。
 下手をすれば死ぬかもしれない。
 それでも構わないなら隠しておけ。
 束の間の幸せに浸れるだろうからな」
 ジャンは冷たく言い放った。

 この男なら本当にやりかねないだろう。現に
 夕食を共にして魔界の食材を食べているにも
 関わらず、一切影響を受けていないのだ。
 人間のままデルエラに対峙してもおかしくない。

「ま、話し合いは明日もやるからな。停戦交渉も
 人間側の代表として動く事になれば時間も掛かる。
 それまでに相談するなりして考えておくんだな」
 
 焚き火を背にして寝っころがるジャン。
 ポーラは立ち尽くしたまま物思いにふけるのであった。
18/06/28 22:41更新 / rynos
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