連載小説
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デュラハンの居ないおまけ(墓守達の日常)
 夕暮れ時。
 墓石の並ぶ霊園は、赤い画用紙に描かれた墨絵のように、見事に赤と黒の二色に塗り分けられている。
 男は自室の窓から見えるその光景に物寂しさを感じながら、机の上の一通の手紙に目を落とした。
 男が世話になった先輩からの手紙だった。
 つい最近まで霊園でともに働いていた、もっとも世話になった先輩。その先輩は、助けたデュラハンと恋仲になり、ついには彼女を追いかけるため霊園を出て行ってしまったのだ。
 迷惑も色々とかけてしまった。その先輩が、自分なんかに便りをくれた。
 男は震える手で手紙を開く。

 手紙の内容は主に三つだった。
 一つ目は、デュラハンの彼女と結婚することを決めたという話。
 愛する人が出来る事に対しての羨ましさが無いというわけでは無かったが、男は自分の事のように二人を祝う事が出来た。末永く幸せになってほしいと心から思った。
 二つ目は、霊園には戻らない事にしたという話。
 結婚してからは彼女の国に住むことにしたのだという。別れの挨拶もろくに出来なくて済まなかったと綴られていた。
 確かにもう簡単に先輩の顔を見られないと思うと男は寂しくもあったが、これまで世話になってきた先輩の幸せに比べればそんなことは些細な事であった。
 また改めて荷物を取りに来たり、挨拶しに来るとも書かれていた。死に別れるわけでは無いのだ。男は素直に先輩の新たな門出を祝っていた。
 そして三つ目。デュラハンの彼女は、男の事を許しているという事。
 彼女は男の事を恨んでいるどころか、抵抗したときに出来た傷の事さえ気にしてくれているらしい。
 先輩自身ももう気にしていないとの事だった。あの時の事は忘れていいとは言えないが、あまり思いつめないように。手紙は、そんな先輩の温かい言葉で締められていた。

 男は手紙を読み終えると、大きく深呼吸をした。その吐く息が、小刻みに震えていた。
 自分は二人に対して取り返しのつかない事をしそうになったというのに、その二人は自分を気遣ってさえくれている。
 ぽたり、と滴が手紙に落ち、男は慌てて目元を拭って手紙を仕舞った。
 自分にも優しくしてくれる人がいる。そう思っただけでも、男の胸は暖かくなった。
 いつの間にか窓の外が暗くなっている事に気が付き、男はランプを手に部屋を出た。


 男には家族は無かった。
 彼はいわゆる、必要とされなかった子供であった。
 教国の、とある貴族が下女に手を付けた結果出来てしまった子供。父親は息子の事を無かった事にしようとし、母親も自分の息子よりも主人との関係を選んだ。
 その結果、彼は幼くして貧民街に捨てられる事になった。
 貧民街で暮らす全ての人が他人を騙して取って食おうとするわけでは無かった。そう言った人々はむしろ少数で、彼らは同じ境遇にある者には優しかった。
 周りの大人は、男が立派に成長するまで彼の事を見守ってくれていた。
 しかし、常に食べ物には困り続けていた。そこで生きるためには、富める者から盗み、奪いとらなければならなかった。
 男は、そうやって罪を重ねながら生き続ける事に耐えられなかった。
 その結果彼が選んだのが、この墓守の仕事だった。
 平民でもない自分では追い返されるかもしれない。だが、男は僅かな可能性にかけて霊園の門を叩いた。
 ろくな身分を持たないにも関わらず、霊園長は喜んで男を管理人として雇い入れてくれた。


 夜の霊園に、虚ろな光がゆらゆらと揺れていた。
 月の無い暗闇の中、ランプの光が無機質な墓石を浮かび上がらせる。
 男は一人夜の見回りを行っていた。
 彼は長髪を刈り落として涼しくなった坊主頭を撫で、ため息を吐く。
 彼の先輩が出て行った今、霊園には二人の管理人しか残っていなかった。仕事量は増えるには増えたが、休む間も無いという程でもない。
 何の問題も無い。だがやはり見知った顔が居なくなってしまうというのはどうしても寂しさを感じずにはいられなかった。
 男は先輩の事を思い返していた。
 思えば、出会ってから別れるまで迷惑をかけっぱなしだった。
 自分は決して物わかりがいいと言えない。にもかかわらず先輩はいつだって怒らず丁寧に仕事を教えてくれた。
 自分のつまらない話にも乗ってくれた。いつだって面倒を見てもらってばかりだった。
 お礼をすることもろくに出来なかった。恩を返すどころか、自分がした事と言えば……。
 男は頭を振った。
 自分は受けた恩を仇で返してしまったのだ。部屋の扉を壊してまでして先輩の部屋に押し入り、先輩の大切な女性に乱暴しそうになってしまった。
 思いつめるなというのも無理な話だった。
 なぜあんな事をしてしまったのか。男には一つ心当たりがあった。
 妄想。
 そう、男は自分の恋人を先輩に取られたという妄想に取りつかれてあのような凶行に及んだのだった。
 最初はただの夢だった。寝ている間に見るあの夢だ。
 男は以前から女の子が出てくる夢を見ていた。独り身の男の悲しい妄想だとは分かっていたが、彼にとってはそれが唯一の楽しみでもあった。
 恋も知らずに若くして死んでしまった少女。彼女はそういう設定だった。
 父親は戦争に取られ、母親は病気の娘を捨てて出て行き、彼女は誰からも忘れられて息を引き取った。
 彼女は自分の境遇を受け入れていた。だが一つだけ、恋をしたことが無いのだけが心残りだった。
 死んでしまった彼女が今話せるのは、夢で繋がった自分だけ。そして自分は、彼女に恋を教えてやろうとする。そういう、都合のいい設定だった。
 初めは彼女と仲良く話をするだけの、和やかな夢だった。
 何も知らない彼女に街での噂話や、霊園で起きた不思議な話を聞かせてやった。その度彼女は驚いて、喜んで、怖がった。ころころと変わる表情を見ているだけで、男の心は癒された。
 時には少女の容姿や声を誉めて、口説く事もした。歯の浮くような科白を吐き、耳元で愛を囁く。
 夢の中ではいくらでも大胆になれた。
 現実では何も無くても、それで彼は満足だった。彼女との交流が日々のささやかな楽しみだった。
 ところが毎日夢を見るうちに、彼女は男を誘うようになった。洋服をわざと乱れさせ、白い肌を露出させた。時に肌を密着させて、脚を広げて誘惑した。
 男は迷わず彼女を抱いた。折れそうな細い身体を、時に優しく、時に激しく。夢なのだから、何の遠慮も無かった。
 少女も喜んで男を受け入れた。
 これが現実であったなら。男はいつしかそう願うようになっていった。それは孤独を抱える男には当然の欲望であった。
 彼女を抱くようになってから、夢の中の感覚が少しずつ生々しくなっていった。
 少女の肌の滑らかな触り心地、思っていたよりも濃い女の匂い、彼の物を包む膣内の圧力と熱。まるで現実で女の身体を抱いているようであった。
 だが、夢の感覚が現実に近づけば近づくほど、目が覚めた後の虚無感も強くなっていった。
 なぜ自分のそばにあの少女が居ないのか。いや、きっとどこかに隠れているのだ。目が覚めているときにも、男は少女の姿を探すようになった。
 そのうち、男は先輩の部屋から女の匂いがする事に気が付いた。先輩が自分の少女を横取りして、毎晩毎晩好きにしているのだと妄想するようになっていった……。
 夢の中で、少女はさらに淫らに男を誘った。自慰を見せつけ、様々な体位を求めた。
 男は夢の少女に溺れていった。もう彼女無しで生きられる気がしなかった。
 しかし目を覚ませば彼女はどこにも居ない。男の妄想は深まった。
 あれが幻のはずが無い。自分を求めてくれている少女は、きっと自分が目を覚ます前に隠れてしまっているに違いない。
 どこかに居るはずなのだ。そうだ、先輩が彼女を監禁しているに違いない。彼女は先輩の眠っている隙をついて自分のところに来ているのだ。助けを求めているのだ。
 囚われの彼女を救うのは自分しかいない。男はそう思い込んだ。
 男は試しに先輩にかまをかけた。案の定、先輩は何かを隠している様子であった。
 その夜、男は部屋の扉を破壊し無理矢理部屋に押し入った。そこに少女は居なかった。代わりにあったのは首の無い女の身体だった。
 ようやく男は我に返った。やはり少女は自分の妄想だったのだと、男はようやく自覚した。
 だが、自分は夢でしか女に触れられないのに、先輩は恋人と愛し合っているのかと思うと虚しくて惨めでたまらなくなった。そして気が付いた時には……。
 男は頭を振って息を吐いた。
 自分はそういう危ない人間だったのだ。それを自覚し、これからは幻などに頼らず生きていかなければならない……。
 夢の中では折れてしまいそうな細身の少女を抱いて、現実では恩を受けた先輩の恋人を襲いそうになって……。
 確かにこんな奴じゃ、誰も好きになんてなってくれないよなぁ。
 男は一人自己嫌悪して、何度目か分からないため息を吐いた。


「そんな顔をしないで。いつものように笑ってよ」
 夢の中の女の声がした。
 男が顔を上げると、おぼろげなランプの明りの中に人影が立っていた。
 その影が男の方に近づいてくる。
 藤色のワンピース。紅色のぱっちりとした瞳。色素の抜けたような淡い金髪。……男が妄想で作り上げた、夢の中の女の子だった。
「あなたがたくさん精をくれたおかげで、ようやくあなたに触れられるようになったんだよ。夢だけじゃなくて、現実でも抱き合えるようになったんだよ」
 彼女は男に近づくと、優しく微笑んでそっとその顔に触れた。
 男は驚いて足をもつれさせ、しりもちをついた。
 少女は目を伏せて、自分の肩を抱く。
「やっぱり、ゾンビやデュラハンの方がいいの? 私じゃ、嫌?」
「お前は、俺の妄想だったんじゃ。……これは夢なのか?」
「違うよ。妄想でも夢でもない、現実だよ! 私はちゃんと私として生きていたの。
 証拠ならここにあるわ。だってほら、私の身体はここに眠っているもの」
 彼女が指差す先、その墓石には、彼が付けたと思い込んでいた彼女の名前が刻まれていた。
「私はゴースト。ここに眠ってたんだけど、お兄さんがいつも見守ってくれるのが嬉しくて、見ているだけじゃ満足できなくなっちゃって……。
 仲良くなりたいって神様に祈っていたら、ある日突然お兄さんの夢の中に入れたんだ! お兄さんとお話したり、えっちな事するのはすごく楽しくて、嬉しくて……。でも、お兄さんは迷惑だった?」
「迷惑なものか! 君との夢は楽しかった。君との夢だけが生きる楽しみだったよ」
 少女はぱっと表情を輝かせる。
「本当!? 嬉しい! 現実でも一緒に居てくれる? いっぱいいっぱい愛してくれる?」
「もちろんだよ」
 男は立ち上がって、少女のほっそりとした体を抱きしめた。
 夢の中と同じ匂い。だが彼女の身体は、夢の中よりも確かに、しっかりと彼の腕の中に存在していた。
 その時だった。地面から突然白い腕が生えたのだ。
 男の足に掴まり、それを支えにして、少女の墓石の下から何者かが土を掻き分けて這い上がってくる。だがそれを見ても少女は叫び声一つ上げない。
 男は驚きつつも、少女の冷静な様子を見てある事に思い至った。
「もしかして、これって」
「そう。私の身体……。きっと霊魂と肉体がまだどこかで繋がっていて、身体もお兄さんに抱きしめて欲しくて出てきたんだと思う」
 霊気を帯びて淡く光る骨で出来た四肢。だがその胴体と顔は、ゴーストの少女とうり二つだった。
 骨の身体を持つ彼女は自分の身体を見下ろし、男が自分の方を見ている事に気が付くと、にっこりと笑った。
「オニイサン。ダイスキ」
 土から這い出てきた少女は男の身体に抱きつき、愛しくて仕方ないというように頬ずりした。男は目を白黒させながらも、幸福感に包まれながら二人の少女を両手に抱いた。
「ねぇ、お兄さん。私たちの心も体も」
「アイシテクレル?」
 可愛らしい二つの顔に見上げられ、男は喜びのあまり……。
 鼻血を噴き出しながら失神した。


 悪寒がして、霊園長は目を覚ました。
 身体は冷え切っているのに、全身にべっとりと汗をかいていた。
 彼はベッドから出ると窓のカーテンを開けた。
 墓場の方に、青白い光が見えた。明らかにランプの光では無かった。
「この感じからすると、一体じゃねぇなぁ……。こりゃあ、あいつが出て行く日も近いか。
 また一人、魔物に救われたな」
 全身に鳥肌が立っていて、寒気がしていた。
「まぁ霊感の強い俺にとっては、アンデッド系はちょっと苦手なんだが……。はぁ」
 彼はアンデッド系の魔物が出るといつも決まってこうなった。
 壁ひとつ隔てたところに埋めたはずの何物かが居るかと思うと目が冴えてしまい、眠れぬ夜を過ごしたことも何度もあった。
「また一人になっちまうなぁ。最近はここに来る奴も減ったし」
 捨て犬のような奴を見つけて来ては、元気にしてやりたいと思ってしまうのが彼という人間だった。そして元気になった頃には大概魔物娘にさらわれてしまうのだ。
 別に男好きというわけでは無いのだが、霊園で独りというのは寂しいものだった。
 ぼりぼりと頭を掻きながら、彼は机の下から照明を取り出して火をつけた。
 部屋に暖色の温かな光が広がる。
 木と紙で出来た、チョウチンというジパングのランプだ。彼はこの異国の柔らかな明りが好きだった。この明りに照らされていると無性に気分が落ち着くのだ。
 彼とチョウチンの付き合いは長かった。霊園が作られ、彼がここを任されたときからずっと一緒だった。
 思えば妙な縁であった。知らない女商人に押し付けられるように渡されたのがきっかけだ。
 霊園が出来てすぐのころ、その女商人はやってきた。童顔の割に目つきが悪いあの顔は今でも強く印象に残っていた。何でも彼女はジパングからやってきたそうで、戦争の影響を引きずる二国を相手にかなりあくどい商売をして、荒稼ぎをしていたらしい。
 まぁ、教国も相手国も早期に復興できたのは彼女が運んだ物資のおかげだったのだが。
 女商人は他にもいろいろな話を聞かせてくれた。得した話、損した話、色々な国の話。異国を旅してまわった彼女の話は尽きなかった。
 彼が話した事と言えば、夜な夜な何かが出そうな霊園の事くらいしかなかった。
 墓守が幽霊を恐れるとは子供のようだ、と彼女は笑った。
 そして話を聞いてくれた礼にと彼にこのチョウチンをくれたのだった。年季の入った縁起物だから、きっとアンデッドを遠ざけてくれるだろう、と。
 物は試しとばかりに見回りに使っているうちに、妙に気に入ってしまった。
 見た目以上にその明かりが照らす範囲は広く、さらには折りたたみも出来て場所も取らず、吊るせば卓上でも使えるという便利な代物だった。
 今では部屋にも持ち込んで使う程だ。
 紙が破れてしまえば、つぎはぎして修理をした。少し痛んだくらいで捨てる気にはなれなかった。
 チョウチンに本当に力があるのかは分からなかったが、彼が今までアンデッドに襲われずに済んでいるのは事実だった。
 使い込むうちにかなりの愛着がわき、これ以外の明りは考えられなかった。もう普通のランプには戻れそうにない。
 彼は指でチョウチンをちょんと押した。揺れる光源が、部屋の中をゆらゆらと照らし出す。
「相棒……、いや、恋人みたいなものかもなぁ……。一人で何を言っているんだろうな俺は」
 そのときチョウチンの炎が桃色に激しく燃え上り、男は一瞬目を閉じた。
 だが彼が目を開けた時には、チョウチンはいつもと同じぼんやりとした明りを放っているだけだった。
「何だ、虫でも飛び込んだか? っと、やる事やらないとな」
 思い出に浸るつもりでは無かったのだ。
 彼は引き出しから紙を取り出すと、ペンを走らせた。

《従業員急募
 職種:霊園管理人
 業務内容:霊園の見回り、埋葬の手伝い
 転勤なし
 宿舎あり》

 そこで一旦手を止め、考える。
 男を集めれば、また魔物娘にさらわれかねない。それならば……。
「次は女性限定の求人にするか」
「……ダメ」
「そうだよなぁ。女がこんなところに来るわけが……ん?」
 彼は周りを見渡すが、そばには誰も居ない。
「気のせいか」

《年齢、性別不問》

 彼は一度ペンを置き、腕を組んだ。
 果たしてこの情勢下で墓守に来る人間など居るのだろうか。風の噂では、教国はまたどこかの国と戦争を始めるつもりで居るらしい。
 また死体が増えるのかと思うとやるせない気持ちになるが、現実的な問題として死者が増えれば一人で霊園を回せなくなってしまうだろう。
 何があろうとすべての死者に十分な弔いをさせてやらねばならない。それは彼の義務でもあ
り、信条でもあった。

《身分不問
 未経験者歓迎
 仕事は懇切丁寧に指導します
 人生の最期に関わる、素晴らしい仕事です》

 求人票を書き終え、彼は一つ頷いた。
 まだ戦争になると決まったわけでも無いのだ。そんな事を恐れるよりは、死者をしっかりと弔ってやれる環境を整える事に尽力するべきだ。
「これで良し、と」
「……よし」
「うん?」
 やはり声が聞こえた気がして、彼は周りを探る。引き出しを開け、ベッドの下を覗き込み、しかしどこにも誰も居なかった。
 そのうち外が明るみ始め、鳥も鳴き始めたので、結局彼は考えるのを止めた。
「さて、次はどんな奴が来るかねぇ」
 大あくびをして、彼は再びベッドにもぐりこんだ。
 ……そして今度は、見回りから帰った男とアンデッド少女二人の嬌声に眠りを妨げられる事となった。
12/07/14 00:45更新 / 玉虫色
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