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第七章 憤怒の勇者:前編
 …………。

 ……? ……っ! …………。

 …………………………………。

 …………………………………………………………………………………。……………………。

 …………しー。

 ……静かに。

 息をひそめ、気配を殺し、じっと動くなよ。

 来るぞ、来るぞ来るぞ。「奴」が来る。

 七人の勇者最強にして最悪の男が、遂に沈黙を破って姿を見せるぞ。

 音を立てるな……。奴に見つかりたくなければ、決してその安寧を邪魔するな。

 『憤怒の勇者 〜あるいは城壁を守る門番の話〜』。

 奴には絶対、関わるな。





 その日、「彼女」は久しぶりに取れた休暇を使って街から距離を置いた森林に足を運んでいた。一ヶ月に一度ここを訪れ、心身を研ぎ澄まし鍛え直す……戦士たる「彼女」にとって欠かせない修練の場に相応しい空間、それが人里離れたこの大森林だった。

 二泊三日の泊まり込み、野営の準備をしてから後はずっと獲物を振るう時間が続く。日が昇ってから沈むまで、「彼女」はただただ振り続ける。特に定めた回数など無いが、睡眠と食事時の僅かな休憩を除きあとは全てを鍛錬に費やした。誇り高い戦士として驕ることなく自らの強さを高める作業に没頭するのだ。

 「彼女」らにとって強さとは即ち全てにおいて優先されるべき要素だ。無論、単なる腕っ節だけではなく精神修練も重要だ。「彼女」らにとって強者とは撃滅すべき敵ではなく、腕を競い合い互いに切磋琢磨するライバル、剣と槍を交わし鎧のぶつかり合いはとても神聖なもので、それを鍛えることはとても重要な意味を持つ。

 街の喧騒を離れたここなら思い存分修練に励めると「彼女」はここを気に入っていた。ここは行商のルートからも外れているので、「彼女」が知る限りでは別の誰かが足を踏み入れたことなど聞かない。ここは自然がそのまま残された数少ない場所だった。

 異変に気付いたのは三日目だった。

 おかしい、昼間だというのに鳥の鳴く声がまるで聞こえない。求愛だったり縄張り争いだったり、鳥というものは四六時中何かしらの理由で鳴いているものだ。それなのに太陽が南天に差し掛かる時分だというのに、スズメどころか虫一匹の鳴き声すら聞こえてこない。代わりに風に揺れる木々の葉がざわざわと触れ合う音だけが森に満ちていた。

 次に獣の気配が全く無いことに気付いた。季節は春の盛り、越冬や冬眠を終えた生き物が闊歩し始め森が一番騒がしく時季だ。にも関わらず、昨日まであちらこちらに感じ取れていたネズミからクマまでの獣の気配が、今日この日は一匹も感じ取れない。まるでそんな物は初めからいなかったように、姿をかき消していた。

 得物を振る腕をはたと止め、周囲に感覚を張り巡らせる。風の音、川のせせらぎ、時折枝を離れて落ちる葉、それら全てに神経を集中させて異変の正体を探ろうと試みた。

 余談になるが、多くが夜行性であるはずの獣たちだが、なぜ彼らの鳴き声が聞こえないかご存知だろうか。月夜に鳴く獣などオオカミぐらいしか想像できない者が多いのではないのだろうか。

 当然だ。夜の森は狩りの場、捕食するモノとされるモノ、命のやり取りをしているのに常日頃から自分の位置を吠えて知らせる奴など存在しない。そんな命知らずはとっくの昔に種族もろとも絶滅している。息を殺し、気配を消し、自らの能力全てを隠遁に向けて初めて狩りや逃走は成功するのだ。

 「彼女」もそれを把握したか、得物を構え直し全身を守る装甲を通じて得られる五感の全てを総動員し、見えない相手を迎え撃つ準備をする。姿を現せば即座に相手を貫けるように、もはや自分の腕の延長となった馬上槍を構えたその姿は古代のグラディエーターか。生を受けてからこの方ずっと強さのみを追い求めた「彼女」に打ち倒せない者など存在しない、驕りではない確かな自信に裏打ちされた事実だった。

 ところで話は変わるが、諸君らは何ら特別な道具もなしに猛獣に打ち勝つ手段を知っているだろうか?

 大木を殴り倒す熊、地を駆け獲物を追い詰める虎、森の狩人である狼、そして平原を統べる百獣の王・獅子。どれも脆弱なヒトの身では決して抗えぬ大自然の強者たちだ。その牙や爪にかかれば、厚い皮も硬い殻も持たぬ最弱の生物でしかない人間に至っては容易く命を落とす。

 だが鉛玉を打ち出す道具を奪われれば、本当にヒトは猛獣には勝てないのだろうか? 肉を切り裂く強靭な刃なしには猛獣を倒せないのだろうか?

 否、答えは断じて否である。

 猛獣を打倒する方法? そんなもの、わざわざ論ずるまでもなく簡単なことだ。

 「猛獣より強くなればいい」……ただそれだけだ。

 刹那、風が凪いだ。

 木々は揺れることをやめ、葉は流れることをやめた。すぐ近くの湖の水面は波紋を生まず、澄み切った水鏡は空を映している。

 そんな無音の一瞬、『暴力』はその一瞬を突き、そして全てを終わらせた。

 巨岩同士が衝突したような轟音の後、「彼女」の体は軽々と宙を舞っていた。

 「────ッッッ!!!?」

 一瞬、瞬きにも満たない刹那の時間、吹き荒れた黒い暴風は真正面から襲いかかり「彼女」を完膚なきまでに打ち砕いた。全身を覆っていた装甲は粉微塵にされ、叫び声を上げる間も与えられないまま自分を粉砕した“何か”の正体を見極めることも許されず、その体は湖の中央まで吹っ飛ばされた。

 防御、反応速度、これまで培った技術と経験……そんなものは知らぬと、理不尽なまでの強さを刻み込んだ存在。こいつこそがこの森を怯えさせていた者だと確信し、「彼女」の眼球は薄れる意識に逆らってその姿を記憶に収めた。



 「ガアアアアアアアアァァアアァァァァァッッッッ!!!!!!」



 大森林全てを蹂躙する雄叫びは大気を揺らし、湖を海原の如く波立たせる。「彼女」の重い体はダメージによって動くことも適わず、徐々に沈んでいく。

 全身を覆い隠す漆黒の甲冑──。

 それが、ソルジャービートルのセレナが目を閉じる前に見た最後の記憶だった。





 アルカーヌムに潜入した勇者たちは月に一度、直接顔を合わせての報告会を行うことにしている。報告書ではまとめられない事を互いに知らせあい、ちょっとした意見交換の場として機能させているのだが、最近ではもっぱら近況報告という名の世間話をする会になりつつあった。

 だがそれとは別に、隊長ミゲルの呼び出しによって開かれる臨時の会合がある。主に突発的な事態を前に開かれる緊急のものだが、つい最近ではイルムの一件について急遽行われた。

 そしてこの日、ミゲルの呼び出しを受けた面々が一堂に集まる。

 「皆にこうして集まってもらったのは他でもない。実は火急の事態を君たちに直接知らせておく必要があった」

 「てめえ、今何時だと思ってんだ。ぶっ殺すぞ」

 「んだよ。俺っちやっとこさ一寝入りしようと思ってたのによぉ……ふぁ〜あ」

 「急な呼び出しは出来れば控えてほしいな。僕って一応大使なんだからさ」

 「我輩暇ではないのである。用件があるならさっさと済ませるのである」

 遣いを走らせて深夜に呼び出したこともあり、早速も不満が噴出している。特に昼間も活動が忙しい裏方の四人は不快な様子を隠しもせず、総じて呼び出したミゲルに詰め寄る。流石に彼らの顰蹙を買ったまま話をするのもなんなので、何とかして宥めたが。

 「すまない。だが今回は時分がどうとか悠長なことを言っていられないのだ。心して聞いて欲しい」

 「ついでに案件の内容は俺も知らねー。リーダーが囲ってる腕利きの調査員が掴んだ情報らしいんだけどな」

 「それはそれは、今までこそこそとやっていた隊長殿の真相がやっと暴かれるってか」

 「茶化すな、真面目な話をしている」

 いつも以上に真剣な口ぶりに他の五人もようやく仕事モードに入り、どんな厄介事が舞い込んだのかと心して耳を傾け……。



 「『奴』が動き出した」



 冷たい静寂が彼らを包んだ。しん、と静まり返った部屋の中は比喩ではなく温度が低くなり、内容を聞かされた五人の肌に鳥肌が立つ。

 しかして、その生理現象を引き起こしているのは寒さだけではない。もっと根源的な感情に根ざす防衛本能の発露、即ち恐怖である。

 「今奴はこの王都に向かって移動している最中だ。奴が動き出したその意味……分かっているな?」

 それは災い、それは恐怖、そしてそれは……絶対に触れてはならない強者を指し示す。

 「各自、準備を終えたら門に再集合だ。月が天頂に差す頃にここを離れる」

 「……了解」

 「了解だよ」

 「分かった」

 「委細承知」

 「あいあいさー」

 解散の合図を待たずして六人は一斉に動き出した。蜘蛛の子を散らすという言葉がそのまま当てはまる速度で、それぞれが散り散りになる。ネズミが大災害の予兆を感じ取り集団で逃亡を図るように、今の彼らは圧倒的災厄を避けようと逃げ惑うネズミだった。

 そして、今この現段階をもって六人は自分達に課せられた任務が解かれたことを知った。

 「七人目」が動くとは、七人の勇者最後の男が動くとは即ちそういうことなのだ。

 今の彼らに出来ることは災厄が訪れる前にここを抜け出すことだけだ。

 本来なら前準備というものが必要で、特に表の顔を持つトーマスやクリスはそのへんの事情が絡んいるのだが、そんな悠長なことは言っていられない。ほとんど夜逃げ同然に着の身着のままで王都正門前へと集合を果たした。

 のだが……。

 「どうして数が増えている?」

 深夜の門に集まった数は明らかに六人を越え、何故か女性の姿もあった。

 「まいどおおきに」

 刑部狸のアヤ。

 「私も共をします」

 ヴァルキリー改め、ダークヴァルキリーのシャムエル。

 「ではそろそろ行きましょう」

 ゴーレムのエステル。

 「結構な数だな。聞いておらぬぞ」

 ヴァンパイアのアイリス。

 「なにこれ、遠足〜?」

 レンシュンマオのシュエリー。

 「…………」

 シャムエルは分かる、エステルも分かる。彼女らは元々こちら側の存在だ。だがあとの面々は呼んだ覚えすらないのに集合している。これはどういう事だ。

 「まず君から説明を」

 「えー、ビジネスパートナーおいて行くとかありえへんくなーい?」

 「ローンを組め。はい貴女」

 「そなたが街を出ると言ったから手伝えることは無いかと」

 「街一番の貴族がほいほい出ていけば余計に話がこじれる。で、そっちは?」

 「ミーシャぁ、離れたくな〜い」

 「ノロケはよそでやってくれ」

 総括すると各々が親しい者に別れの挨拶をしたところ、それを惜しんだ彼女らが引っ付いてきたらしい。古今東西、別れを嫌う女というのはどうしてそれを粛々と受け入れないのか。おかげで事態はややこしさを増す。

 「とにかく、シャムエルとエステル以外は見送りだけに留めてもらいたい。こんな大勢で出歩くと目立つ」

 「って言っても騎士さま、もう門はとっくに閉まってるだよ。どうやって外に出るだか?」

 「衛兵用の出入り口があるから、僕がちょっと『お願い』してみます」

 ものの三分もせずに一行は城壁内に設けられた通路を通って外へと出た。街の外は不気味なほど静まり返り、平原をまっすぐに伸びる街道が男達の行先を示していた。

 「取り敢えず、キューの家を仮屋にするのである。あそこなら王都から離れているから少しは動向を悟られずに済むだろう」

 「臨月間近の嫁さんの家に男連れて転がり込むとか、あんたなかなか容赦ないな」

 「背に腹は代えられん。彼女には悪いがしばらく厄介にさせてもらおうか」

 馬も衛兵らのそれを借りていく。ゴードンとクリスの後ろにそれぞれシャムエルとエステルが飛び乗り、トーマスの背中にもアヤが乗ろうとした。

 「てめぇは来るんじゃねえよ」

 そしてつまみ出される。

 「あぁん、いけず! トーマスさんに貸したお金どないして回収すりゃええの!」

 「金庫にお前の分は残してある。勝手に取って、さっさと失せろ」

 「うー! じゃあ、それ持ったら後追わせてもらうわ……」

 不承不承といった感じでアヤが降りるのを確認したあと、ミゲルがアイリスに伝える。

 「貴女から国王に申し上げてほしい。この国を潰されたくなければ、街の兵力全てを四方の門に集めよと」

 「とてもこの国を崩す任を負った者のいう言葉ではないな。相分かった、やれるだけのことはしよう」

 「ていうか、何をそんなにビビってるん?」

 「お前には以前話しただろ。俺たちには一人、『ヤバい奴』がいるってな。そいつが今こっちに向かって来ている……俺たちを排除するつもりだ」

 「仲間じゃないの〜?」

 「それについての話はいずれまた今度。我々はしばらく行方をくらますので、これにて失礼する」

 はいやぁ、と威勢のいい掛け声と共に六人が一斉に鞭を振るった。

 馬は、動かなかった。

 六頭全ての馬が足に根が生えたように、ぴくりとも動かなくなっていた。

 「知らない間に全員太って動けない……じゃないな、これは」

 馬たちは怯えていた。元来臆病な性格とされる馬だが、衛兵らが乗るこの馬たちは訓練を受けている。それこそ風雨や雷が天を揺らしても動じずに地を駆ける度胸を持っている者達だ。

 それが今や、耳は後ろに伏せられ足は前に出ずせわしなく地を踏み鳴らし、一刻も早くこの場から離れたいと懇願しているようだった。

 野生動物の彼らだけが感じ取っていた……天変地異よりも遥かに恐ろしい、行けば確実に命を落とす事になると。

 最初に気付いたのはアイリスだった。冷たい夜風に乗って彼女に届いたのは、ヴァンパイアの彼女ですら吐き気を覚えるほど濃密な血の臭い。戦場帰りの兵士ですら生ぬるい、文字通りの血で血を洗うという所業を繰り返した者のみが漂わせる死臭、それがアイリスの鼻を刺激した。

 風が凪いだ地平線に立つ影、それが全員が共有した事実。

 「あれは……」

 影法師はゆっくりとこちらに歩いてくる。初めは豆粒ほどのそれが徐々に大きくなり、月夜の中に確かな輪郭を浮かび上がらせた。

 全身を覆う漆黒のフルプレート。兜の隙間からはみ出すものは恐らく毛髪だろうが、甲冑のそれとは相反する月光の如き白。それが風もないのにゆらゆらと獲物を探す触角の如く宙を蠢く姿は、もはやその中身がこの世のものではないことを暗に示唆しているようだ。

 両肩に担ぐのは自身の身長を優に越す大木と見紛うような馬上槍。月明かりを受けて輝く光沢は金属とは違う光を反射し、それが何者かから奪い取った戦利品であることは明白。それを棒きれのように軽々と背負いながら歩いてくるその姿だけでもかなりの圧力を醸し出していた。

 「奴だ……! なんてことだ、もうこんなに早く!?」

 馬はもう使い物にならないと判断し、一旦街の中に逃げ込もうとミゲルが飛び降りる。



 その馬を槍が貫いた。



 「な、にィ……!!」

 少なく見積もっても100メートル先から襲来した一撃は馬の頭と足だけを残し、その胴体の肉も骨も内臓の一片に至るまでも微塵に破壊した。投擲された槍は城壁に深々と突き刺さりその衝撃を物語る。あと二秒でも降りるのが遅ければミゲルもろとも合挽き肉にされていただろう。

 残りの五頭の馬が一斉に嘶く。自分達を一方的に屠殺するであろう存在を前に平静を保つことなど出来ず、ついに決壊して哀れなまでの叫び声を上げだした。

 そして黒い暴力がそれを粉砕した。

 一瞬五撃、槍を投げた地点から刹那の間に距離を詰めたその甲冑は拳の一薙ぎで残り五頭の馬、その頭部を叩き潰した。もはや生物どころかある種の暴力装置そのもの、黒い甲冑は人型の殺戮機構だった。

 全身を覆う鎧の重量は土嚢二つ分の重さを身に付けていると同義。だがそんな事は知らぬと疾風の速度で、そいつは六人の勇者と五人の魔物娘の前に遂に立ち塞がった。

 「────────」

 不気味に静止したその存在を前に誰も口を開かない。勇者を統括する立場にあるミゲルですらその腰に備えた剣を抜くことはおろか、指一本も動かせない、動かせば自分は死ぬという問答無用の圧力に屈していた。それは彼らだけではなく、同伴の魔物娘らも一様に同じだった。

 だがそんな連中の反応に興味はないのか、黒い甲冑はミゲルの脇、白亜の城壁に自分が突き刺した槍を回収しようと手を伸ばした。恐らくそれを振り回すだけでこの場の全員を両断するであろうことは容易に想像できたが、やはり止めるでも逃げるでもなく誰も動こうとはしなかった。

 そして、黒い指が柄を持ち……。

 「今である!!」

 イルムの掛け声と共に皆が一斉に動き出した。

 黒甲冑は追跡しない。柄を持ったその瞬間、槍から青白い電光が走り鎧の内部を焼いたからだ。高圧電流に身悶えしている間に全員来た道を引き返す。

 「いつの間に術を仕掛けた?」

 「貴様らが縮こまっている間にな!」

 衛兵用通路を駆け抜けて再び王都にトンボ帰りした。

 「はぁ、はぁ、あれ……何!?」

 「一応、うちの一員。だが……見ての通りだ。俺がヤバいと言った理由がわかるな?」

 「シャムエルさん、あんた天界の使いっぱしりなんやろ? やったら、あれに言ったってや! アタシらは敵やあらへんって!」

 「それは……無理です」

 「何故だ!?」

 「あれに話しかければワタシもただでは済みません。あれに関してはワタシですら天界の采配を疑ったほどです」

 堕落しても天の遣い、自分の古巣を悪く言うことは滅多にないはずのシャムエルですら苦虫を潰したように吐き捨てる。それはつまり、洗礼を行った彼女自身があの黒甲冑の存在を認めていないということだ。

 「とにかく、今はこんなところで駄弁っている暇はない! 地下に潜って奴の索敵から逃れる、さあ早く──」

 ミゲルが先導となってこの場から逃げ出そうと皆に発破をかける。逃げてくるついでに足止めとして衛兵に拘束に行かせてはいるが、恐らくそう長くは持たないことを予見していた。

 へたり込んでいた全員がやっと腰を持ち上げ、いざ逃走再開し──、



 城門が木っ端微塵に破壊された。



 象の突撃にも耐え、大木を削り出した攻城兵器で何度も突いてやっと隙間を開けられる門。外開きで貫木が掛けられているはずのそれが、穴どころか扉全体が原型もない瓦礫に一瞬で変貌してしまっていた。

 立ち込める粉塵と月明かりが周囲を隠す。惨劇の様相とは相反する優しいそよ風がそれらを浚い、程なくして爆心地の様子が露わになる。

 まず最初に見えたのは、粉塵の中からすらりと伸びる黒い脚。爪先から立ち込める白煙は振り上げた速度があまりに速いゆえの摩擦か衝撃の強さゆえか、あるいはその両方か。ただ一つ揺るぎない確かな事実は、人体から繰り出されたたった一発の蹴りが王都を守護する門を完全に破壊せしめたということ。

 続いて見えるのは、黒甲冑が蹴りを放った周辺。侵略者を取り押さえようと立ち向かった衛兵は一人もおらず、代わりに周囲の地に満ちるのは“赤い花”。染料を一面にぶちまけたように茶色と緑の大地は真紅に染まり、喉に絡む鉄の臭いが充満していた。

 散乱している大量の、「かつて人間だったモノ」。それが蹴りを放った際の衝撃の余波でそうなったのか、それとも丹念に壊したからそうなったのか、そんなことは瑣末事。どちらにせよ彼がたった十人かそこらの力では押さえつけられない事が判明したに過ぎない。そしてそんな事は他の六人ならとっくに知っていた。

 「──グルルゥ……!!」

 甲冑の奥から轟くのは唸り声、とても人間の発声器官から出ているとは思えない獣の威嚇。槍に仕込んだ魔術など何のダメージにもなっていない証拠。

 一歩踏み出したその足は、遂に王都を侵した。

 「グルァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 雄叫びに大気が歪み地面がひび割れる。ヒトの形をした災害が眼前の敵全てを撃滅せんと駆動を始める。

 かの者の名は、「イーラ」。

 「怒り」を意味する名そのままに、彼は己以外の全てを決して許しはしない。





 七人の勇者最後の刺客、イーラに与えられた使命は唯一つ……「裏切り者の抹殺」である。ゴードンのそれが身内殺しを「兼ねる」のに対し、怒りの使徒のそれは完全にそれのみをおいて他にはない。

 ここでいう裏切り者とは彼以外の六人ではなく、長きに渡る魔界との戦いで教会から離反し魔物側についた過去の勇者たちだ。彼らは表向き遠征の旅路で死亡したという扱いにはなっているが、実際はその動向を掴んだ教会によって密かにマークされており、その身柄を追跡している。

 まずは交渉を重ねる。勇者とは貴重な存在、生き残り経験を重ねた者ほどその重要性は増す。だからこそその力量を保ったまま再びこちらに引き込みたいのが本音だ。

 だが往々にして淫欲に負けた──少なくとも教会はそう思っている──元勇者というのは、得てして元の古巣には戻りたがらない。それどころか魔王の思想に感化されて魔王のために剣を振るう存在になり果てる。そうなれば教会の彼らに対する認識はヘッドハンティングから、完全な“敵”になる。しかもこちらの手の内を知り尽くした最も厄介な敵だ。

 イーラはそれを討つ。彼は唯一にして最強の「対勇者用の勇者」なのだ。

 はっきり言って、裏切り者の勇者は強い。神から与えられた加護はそのまま、魔物との交わりでインキュバスとなった事でその実力は天井知らずに強化されている。勇者の中にはドラゴンやデーモンなど強力な種族と交わった者もおり、そういった者は更に強い。

 だが関係ない。イーラはそれより強い。

 疾風の如き脚を持つ勇者がいた。イーラはそいつを追い越して踏み潰した。

 その剣技は月をも切り裂くと謳われた勇者がいた。イーラはその前にそいつを細切れにした。

 硬き鎧を貫けるものなしと誇る勇者がいた。イーラはそいつの顔面に拳大の穴を開けた。

 彼の強さはまさしく天変地異としか呼べない。虎と獅子のどちらが強いとか、剣はどの流派が一番優れているとか、もはやそんな次元にはない。地震と火山の噴火を比べるようなもの、そんなのはどちらも人間にとっては抗えない脅威でしかない。比較対象を持たないという理不尽の権化なのだ。

 夫を殺された恨みで押し寄せる魔物も大勢いた。

 だがその筆頭だったドラゴンが全身を磨り潰され岩のシミにされてからは、誰も彼に触れる者は現れなかった。

 教会の命令にのみ従い、一方的に理不尽に淡々と裏切り者を始末していく殺戮機構……それがイーラという存在の全てである。





 門を破壊された騒ぎを聞きつけ、早くも増援が駆けつける。皆手に剣や槍はもちろん何人か銃を所持しており、その銃口を寸分も違えず漆黒の侵略者の左胸に狙いを定めた。あとは引き金を引くだけで鉛玉を射出できる。

 しかし、彼らは知らないのだ。小指の先ほどしかない金属の玉程度で仕留められるような相手ではないことを……。

 「ゲェァ──ッ!!!」

 絞り出すような叫びと共にイーラが拳を突き出した。当然、彼我の距離は十数メートルは離れており、たかが一メートルの腕を精一杯伸ばしたところで何のことはない。

 だがその先端が音速を越えていればどうだ。

 突き出された拳の先は瞬時に大気を何十倍にも圧縮し、音の壁と一体となった波動は突き出された方向に向かって一気に拡散した。それは突風というより空気の壁。軌道上で待ち構えていた兵士たちは木の葉かチリのように軽々と吹き飛ばされた。

 辛うじてそれに耐えた者もいたが、彼らが態勢を立て直すよりずっと早く、イーラの足は固く大地を捉え両手に抱えた馬上槍を大きく横薙ぎに振るう。それだけで槍の軌跡にいた全ては赤い霧になった。骨も内臓も全てがグチャグチャにかき混ぜられ液状化したそれが辺りを赤一色に染め上げた。

 駆け付けた十数人の隊は文字通りの瞬きにも満たない間に壊滅した。

 「バケモノめぇぇぇ!!」

 一人だけ、難を逃れた者がいた。暴風の拳と裁断の槍からも逃れ、運良く瓦礫に紛れる形で生き残っていた。幸いにも彼には武器があった。毛糸を編んで作られた投石器、うまく当たれば兜をへこませ頭にダメージを与えられるそれを回転させ鉄球を射出した。

 球は遠心力によって真っ直ぐ飛翔し、黒甲冑の死角である後頭部に吸い込まれ──、

 黒い手がそれを掴んだ。

 「ギィ──!!」

 「ひぃぃぃいいいいい!?」

 まるで後ろに目が付いているような動きで背後からの奇襲を防ぎ、黒い頭が遂に刺客を発見する。

 次の瞬間、右腕がブレて再び収まる。その時には球は手から投擲手の脳天を抉り、更にその後ろの壁を貫いていた。

 全滅、いやさここまでくれば絶滅と言ったほうがしっくりくる。太古の昔、天界も魔界もない頃に地上を闊歩していたトカゲの王を滅ぼした星の一撃、暴力というものの究極形が顕現した修羅場がここだ。

 だが増援相手に駆除を繰り返していた魔人は、その間に本来追うべき目標を見逃してしまった。

 「────」

 周辺に六人がいないことを確認すると、魔人の甲冑は宵闇に溶けるように姿を消した。後に残るのはそれが人間のものとは思えない残骸の数々だけである。





 「こんな事もあろうかと、王都全体に術式を仕掛けておいた助かったのである」

 魔道師イルムは王都が混乱に見舞われた際無事に逃げ出せるよう、各地に遁走用の術を仕込んでいる。あくまで人間の彼はそこまで長距離を移動することは出来ず、一行は王都某所の地下水路へと身を隠していた。

 「しばらくここでやり過ごす。全員私がいいと許可するまで出るな。表に出たら死ぬと思え」

 「しばらくったって、どのくらいなんよ?」

 「夜明けを待つだ。人に紛れてもう一度この街を出るだよ」

 「と言っても、我々の翻意が向こうに知られている以上、時間を置けば置くだけこちらが僕らが不利になる。なんとか手を打たないといけないんじゃない?」

 「結局……奴は何なのだ? 人間か?」

 「認めたくはないけど、一応俺らと同じ人間だ」

 誰かが取り出したロウソクに火が灯り、水路が僅かに明るくなる。互いに無事なことを確認し合ったあと、ミゲルが語り始めた。

 「彼の名は『イーラ』。性別は私たちと同じ男。出身地不明、人種不明、年齢不明、その他一切何もかも不明。以上だ」

 「それ以外で分かってる事と言やぁ、ご覧の通りに凶暴な奴ってぐらいさ。地平線の向こうまで自分以外の誰かが歩いているのを許しちゃおけない性格らしい」

 「そんな人とどうして組んでるの〜?」

 「好きで組んでんじゃねえ。組まされてんだよ」

 「奴と出会ったのは王都に来る前……まだ我輩たちが『六人』だった頃のことである」

 レスカティエの国境付近に点在する村々、その一つで一夜にして村人と家畜全てが殺し尽くされるという凄惨な事件があった。全員頭部を潰されるという猟奇的な事件を悪質な魔物の仕業と断定した教会は、ちょうどその時期に洗礼を受けて勇者になった六人に初仕事として討伐に向かわせた。

 村人の数は三十数名、中には年端もいかない子供や赤子も含まれており、それがたった一晩で死に絶えたことから集団での犯行と誰もが予想した。だが周辺には盗賊もおらず、そんな輩が根城とするような場所もなかった。

 そして遂に捜索隊は村外れの寂れた墓所にて唯一の生者を発見した。

 「それが奴だった」

 墓石を背に眠っていた彼を起こした時、災厄が顕れた。

 「捜索隊二十数名で生き残ったのは我々だけだった。史上初の男の魔物と言われても信じたさ」

 「どーにかこーにかして、六人で袋叩きにして取り押さえたのさ」

 「じゃあ勝てるんやないの?」

 「ひとつ、恐ろしい事実を教えてやる。奴が勇者になったのは、我々が捕えた後だ」

 「……それって……」

 「今の奴は俺達が束になっても敵わない」

 勇者や英雄と呼ばれる存在はその身体能力を劇的に高められている。元から人間を一晩で数十人も虐殺するような奴がそこへ更に強化を受ければ、一騎当千という言葉も陳腐に落ちる怪物が誕生するのは必定だろう。

 「私があと十人いれば……」

 「勝てるのか?」

 「返り討ちでしょうな」

 「そんなにか!?」

 「クリスの言葉で……」

 「最初の一文字を言葉にする前に潰されるから」

 「あれが一緒に組んでるのだって、俺っち達がいつ裏切ってもいいように掛けられた首輪さ。ああもうお終いだぁ……俺っちはここで死ぬんだぁ!」

 「でも、イーラだけなら……」

 「教会とて奴一人に全てを任せるはずがない。仮に王都を抜け出られたとしても、国境には既に騎士団が派遣されているだろうよ」

 行動を起こすのなら早いに越したことはない。だが既に先手を取られてしまった以上、状況は絶望的だ。悲観するゴードンを誰も慰めようとしないのがいい証拠、あれだけの力の差を見せつけられた上で希望的観測を持てる者など……。

 「いや、方法はあるのである」

 いた。全員の視線がイルムに向けられる。

 「吐いたツバは飲み込めないぞ。分かっているのか」

 「貴様こそ我輩を何と心得る。我輩は魔道を極める存在、イルムであるぞ。奴の狂乱の理由ひとつ解明できないとでも思っていたのか」

 「彼の狂乱に理由があるのですか? 正直、ここに直接異常があるとしか……」

 そう言ってクリスがこめかみを指で叩く。そしてそれをイルムは肯定した。

 「まさしくその通り、奴は脳に異常を抱えているのである。そこでこれの出番である」

 そう言って背負っていた荷物の山から取り出したのは、いつかキューに製作を依頼していた魔界銀製の兜だった。今日この日が来ることを予見していた彼が密かに用意していた秘密兵器である。

 「我輩の読みが正しければ、これを奴に被せることが出来れば暴走は止められる。少なくとも無闇矢鱈に暴れようとはしないはずである」

 「ほー! そいつは名案だな! で? 誰がどうやって猫の首に鈴付けに行くんだよ」

 「問題はそこだ。せっかく用意したところで使えないのでは意味がない」

 「正面からやりあって勝つ必要はないわけですから、まったく手段がないわけでもないのでは?」

 「だとしても、うちの団長と肩を並べる戦力があと一人は欲しい。奴から兜を奪いまた取り付ける、その間だけでも奴を取り押さえられる存在をな」

 そんな都合のいい人材などいるはずがないと肩を落とす。

 しかし、また意外なところから声があった。

 「いや、そうでもないで」

 「どういうことだ、アヤ?」

 「この国は年に一回、闘技大会開いてるん知ってるやろ?」

 諸国が一体となっているアルカーヌム連合王国では各民族間での文化交流という体で、一年に一度各地の腕の立つ者を募って互いに戦わせる舞台を設けている。強い者見たさに観客も訪れるため、経済を発展させる重要な意味も持つこの国一番のイベントだ。

 「それがどうした?」

 「話は最後まで聞きな。その大会で十年連続で優勝したチャンピオンが、今この王都におるんてよ! しかも! 王都の四方を守る兵士になっとるんてよ!」

 「聞いたことがある。その槍捌きは天下無双、防御はあらゆる攻撃を寄せ付けず、如何なる手を尽くそうとその進撃を止めること能わず。ならず者の傭兵団で腕を鍛え、鳴り物入りで闘技場デビューを果たしてからは連戦連勝、つい二年ほど前に殿堂入りをしてからめっきり噂を聞かなくなったが……まさか門番をしていたとはな」

 「何を言う、そなたと妾は一度奴に会っておるぞ。覚えておらぬか、あの日そなたと共に通った門で……」

 指摘されてミゲルは自分の記憶を洗い出す。あの日というのはミゲルとアイリスが亡命しようと街を抜け出た時のことだが、その時に出会った人物となると思い当たるのは一人しかいない。

 「あれか!! ああ、思い出したぞ! 彼女がそうだったのか……」

 「何か思い出したようだが、そんな奴が無償で協力するのか?」

 「その人、報酬は強き者との戦いと勝利のみって、これまた無骨な御仁でね。挑まれた勝負に律儀に応えるもんだから、闘技場を引退してからも挑戦者が後を絶たなくて、この国の法律にも書かれたぐらいやで」

 「内容は?」

 「『かの者に形式に則った挑戦を行わぬ者、銀貨三枚以下の罰金または懲役二年以下に処す』。本当にこの国の法律書に書かれているぞ、たまげたなぁ」

 「ちなみに制定された経緯は、挑戦者が数分後には皆ケガ人に変わって病院が圧迫されたからだそうです。とりあえず、スケープゴートはその人にやらせましょう。実力が噂通りならまず死なないでしょう……多分」

 「今更なんだが、俺っちらすげえ悪党だな」

 本当に今更なので誰もその事をつっこまない。今はただ最悪の刺客から逃れるためなら何だってするという強固な意志だけで動いていた。

 「それで彼女の名は?」

 「名前は『セレナ』。種族はソルジャービートル。負け知らずの不敗の女王だ」





 一方その頃、自らの与り知らぬところで希望の星の如く扱われていることを知らないセレナは、今まさに王都に戻ってくる道中だった。謎の襲撃者に瀕死の重傷を負わされたものの、一命を取り留めた彼女は体に鞭打って帰路を急いでいた。

 「……! ……!」

 目を覚ました時、彼女は真新しい足跡が森からずっと伸び、それが王都への道に続いていると知った。十中八九、それが自分を倒した者の足跡だと確信し、王都の危機を前に自らに休息を許さず移動を開始した。傷付きボロボロになった四足をせわしなく動かし、膨れた図体の重さが今は恨めしい。

 足跡を追う彼女の中には密かに渦巻くものがあった。全身を覆っていた冷たい装甲にも負けぬ鉄面皮だが、今セレナは静かに怒りの炎を燃やしていた。それはこれまで自分が歩んできた生の中で刻まれた、最初にして最も屈辱的な敗北を喫した記憶に対してだった

 負けた事それ自体は確かに悔しいが、決して屈辱ではない。例えそれが不意討ち同然のものであったとしても、それは抗する自分の力が足りなかったからだと納得できる。彼女が憤りを覚えているのは正面からの戦いに手も足も出ず負けたばかりか、自分の半身とも言える武器を奪われた不甲斐なさに対して怒っていた。

 セレナは負け知らずだった。戦いを尊び勝利を重んずるソルジャービートルに生まれついたからこそ、種族の宿命として先人たちと同じように彼女も戦士の道を歩んだ。

 多くの強者と矛を交わすため傭兵団に属し、様々な戦場を渡り歩いた。剣を持ち槍を振るい、幾人も、幾十人、ひょっとすれば幾百人との戦いを勝ち抜いた。やがてまとまった金を得ると一人で放浪に出て、人と魔物が入り混じるこの王国に辿り着き腰を据えた。もっとより多くの者との戦いを行うためだ。

 そして十年間、彼女はひたすら戦い続け、遂にその名は不動の王者として認知されるようになった。史上最年少で十冠を達成した武人の星として称えられながらも、彼女はそれを機に表舞台から降りた。他者からの称賛は戦いの求道に生きる我が身には不要と思ったからだ。

 公式非公式を問わず勝ちを重ね続けてきたセレナにとって、初の敗北がここまで惨めなものであることは断じて認めたくなかった。相手の目的など露ほども分からないが、その凶行を阻止した上で可能ならば再戦を挑む。重甲虫の装甲兵としての意地はまだ負けを受け入れていない、今の彼女を動かすのはその一念のみだ。

 休まず走り続けた彼女の足はついに王都の入口、いつも自分が勤務している門までやってきた。

 「あ……」

 そこは、地獄だった。

 骨と内臓と皮を一緒くたに混ぜ込みぶちまけた、東方に聞く血の池地獄。漂う臭気は鉄のそれから早くも腐臭が混じり始め、人一倍臭いに敏感なセレナも思わず鼻を摘んだ。

 「…………」

 紙細工のように引きちぎられた装備の数々。それらには所有者の名前が刻印されており、全てがセレナの知る名だった。

 彼女と仲間はこの門を守っていた。

 だがもうその守るべき物は跡形もなく破壊され尽くしていた。今はもう夜風を遮ることさえ出来ない。

 「遅かった……」

 周囲に散らばった遺品をかき集め簡素に弔いの礼をする。つい最近まで共にこの門を守っていたはずの者たちは骸も残さず塵に成り果て、今や生き残りは自分一人だけだ。かくなる上は何としてでも黒甲冑を見つけ出さねばならぬと固く決意を新たにする。

 並べたそれを塚に見立てて葬送した後、彼女は四つ足をどっしりと降ろし、街を背にかつて門があった場所に陣取った。なくなってしまったとはいえ、ここを守るのが今の己の役目。この混乱に乗じて不埒者が王都を侵さぬよう、ここでこうして門の代わりをしなければならない。傷付いた体で得物も無いが山賊十数人程度なら押し返せる自負もあった。

 ふと、背後で何か音がした。野良猫でもいるのかと目を向けると、倒れた樽の中に何か潜んでいた。

 「なに……?」

 近付いてみると、樽から伸びる腕が一本。血の色が抜け落ちたようなそれを一瞬死人の欠片と勘違いしたが、ちゃんとそれに続く体が中に収まっていた。やせ細った体に薄汚れた白い乱れ髪、うつむいて顔は分からないが十人が見てもそれを老人と思っただろう。恐らくはこの辺りに住み着いている乞食で、樽を住処に難を逃れたと見える。

 「くぅ────くぅ────」

 それにしても長い髪だ。狭い樽に蹲っているからよく見えないが、それでも身長と同じぐらいはあるだろう。若い頃から一度も切っていないのか、あるいは単に不精なだけか、どちらにせよ彼はここで唯一の生き残りのようだ。

 一旦起こして別の場所に連れて行くことも考えた。だが時刻は既に深夜、着の身着のままの老体を揺さぶり起こすのは酷と思い、そのままそっとしておくことにした。今夜一晩はこの宿無し乞食を寝ずの番で見守ることになりそうだ。

 それにしても、ここまで白い髪は見たことがない。セレナ自身も色素の薄い髪をしてはいるが、出来立ての紙みたいな白は未だかつて他に見たことがない。年老いた老人とはいえ少しくらいは黒色があっても良さそうなものだが……。

 「──んん……」

 「あっ……」

 寝苦しそうに身をよじるので、観察するのをやめて門番に戻った。朝になれば食い扶持を求めて他所に行くだろう、あるいはこんな酸鼻極まる場所にはいられないと逃げるに決まっている。自分はそれまでここを守るだけでいい。

 冷たい夜風が傷の身に沁みる。見上げる空には月が街を見下ろし、明日は晴れることを教えてくれていた。

 今夜は静かだ、まるであの森のように……。





 ミゲル達一行は水路で一夜を明かした後、人目につく前に明け方の王都に姿を現した。差し当たっての目的は十冠達成の闘技王・セレナに接触し助力を求めることだ。

 「セレナは東門に勤務していると聞く」

 「東門? 昨夜僕らが逃げようとしたところじゃないか。記憶が正しければ、ソルジャービートルらしき影は見えなかったけど?」

 「チャンピオンは引退してからも定期的に修行しとるっちゅう話や。昨日はたまたま休みで難を逃れたんやろ」

 「それに恐らく四方の門には教会の手の者が回っている。だったらそのセレナとかいう奴に会って、さっさと手を貸してもらうまでだ」

 大通りの人の波に紛れて移動し、決してバラけないように気を配る。どこに刺客が潜んでいるのか分からない、分離して行動するのは得策ではないと判断しての団体行動だ。

 「それにしても魔道師さまよぉ、何であのイーラが異常を抱えてるって分かっただか?」

 「というか、彼にどんな異常があるのだ?」

 「そこはまあ、追々説明するのである。今はとにかくこれを奴の頭に嵌めることである。予備を含めて二つしか作っておらぬから、もし破壊されれば面倒な事になるのである」

 「けっ! それを被せて大人しくさせたから何だってんだ。お友達にでもなろうってか?」

 「言葉も通じない猛獣が、躾を行える犬猫になる……それだけでも十二分に意義があると思うが。どの道奴をどうにかしなければ生きては帰れんのである、腹をくくれ」

 暴虐を体現した姿を見せつけられ、一夜明けても誰も気乗りはしていなかった。猫の首に鈴を付けるネズミの故事があるが、実際のネズミ達もこんな気分だったに違いない。

 だが気持ちはどうあれ足はもう目的地に迫っていた。

 赤い塗料を地面いっぱいにぶちまけた東門の前には人だかりが出来始めており、その中に……。

 「ほら、あやつが例の……」

 「……はあ?」

 トーマスが間抜けな声を出すのも無理はなかった。

 確かにそこにいるのはソルジャービートルだ。鋼色の甲殻を持つ四つ足に、昆虫型特有の微細な複眼が寄り集まって出来た澄んだ眼球、頭部に伸びた湾曲した角……確かに、確かに彼女が闘技場の王者セレナであることは事実なのだろうが……。

 「既にボロボロじゃん」

 「マズイな。何があったか知らんが、あの体では到底イーラの相手は務まらんのである」

 「つまり何か? 計画倒れってことか!? ふざんけんなよ!」

 頼みの綱が頼る前から切れていたことを知り愕然となる一行。かといって今更そう都合よく代案が出るでもなく、人が増える門の前であえたり揉んだりを繰り返していた。こうしている間にも教会の手が徐々に包囲網を狭めていると分かるからこそ、焦りは余計に募るばかりだった。

 そんな彼らのやり取りが目に入ったのか、まさに噂の中心にあったセレナが一行に接触してきた。

 「あなたたち……」

 「あー、いや、我々は怪しいものではなく……」

 「悪いけど……今は無理。傷が治ってから……」

 「いや、違うんだ。確かに君に用がある、いや、あったのだが……」

 「何か……別の頼み?」

 「うむ……」

 昆虫型の魔物娘特有の淡白で無機質な反応に逆に言い淀んでしまう。これが五体満足なら切り出せるのだが、全身に包帯を巻き塗り薬を塗りたくり、利き腕も吊り下げて固定している様子を見せられては頼むものも頼めない。元々彼女を利用するつもりだったとは言え、やはり憚られるものはあった。

 だがこの中には一人、遠慮という概念を母親の胎内に置き忘れてきたような奴がいる。

 「喜ぶのである、貴様の腕を見込んで一肌脱がせてやる! ずばり、我輩らの代わりに盾となり、ある男を押さえつけるのである」

 眼前の相手の症状が見えていないように、イルムは一方的かつ強引に話を進めようとした。これには流石に周りの連中も止めに入った。

 「待て待て! 彼女の容態を見て分からないのか? 明らかに無理だろう! っていうか、今さっき彼女自身が無理だと言ったばかりじゃないか!」

 「??? 我らの目標は我らが生き残ることである。それがなぜこいつの身の安全云々を慮る必要がある?」

 「相変わらず頭のネジぶっ飛んでんな。俺だってこいつが生きようが死のうが知ったこっちゃないが、こいつをよく見ろ、こんな体でどうやってあいつとやり合わせるんだよ」

 「それにしてもソルジャービートルの装甲がここまで破壊されるなんてね。岩石か何かとケンカしたのかい?」

 「……? 話が、よく分からない……」

 「ああ、実はだな……」

 一行は昨日あったことを掻い摘んで説明した。もちろん、自分たちが勇者であることは伏せ、正体不明の凶暴な敵に襲われていると説明し、それを取り押さえるために力を貸してほしいと。

 だが見ての通りセレナは全身隈なくケガを負い、とても戦える状態ではない。路地裏のゴロツキ程度ならまだしも、あのイーラと正面から事を構えるには力不足が過ぎる。

 「ごめんなさい……他を、あたって」

 「いや、こちらも突然押しかけてすまなかった」

 唯一の希望と目した存在がこれでは他にどうすることも出来ないと、持ち場へ戻るセレナの後ろ姿を見送りながら全員示し合わせたように溜息を漏らした。これで状況はふりだしに戻り、暴虐の魔人にこの面々で対処しなければならなくなった。

 「どうする? いっそイチかバチか我々だけで奴を……」

 「我輩の計算によれば、その場合少なくとも三人は墓の下に行くことになるのである。誰がとは言わんが……」

 「イルムとやらの魔術でどうにかできぬのか?」

 「奴さんと初めて戦った時、魔道師さまが真っ先に叩き潰されただ。魔術を使えるのは魔道師さまだけだから、奴さんの警戒も半端ないだよ。多分術を使う前にぶっ殺されるだ」

 万事休す。せめて言葉が通じればクリスの加護で動きを抑えられるのだが、そもそも狂気に囚われた魔人が人語を解しているとは思えない。ゴードンの暗殺術も背後に目があるように動くイーラにとってはうるさい小蝿も同然、捉えられれば膂力で大きく劣る彼は瞬く間に潰されてしまうだろう。愚鈍なミーシャに至っては接近もできず、勇者随一の腕を持つミゲルでさえ時間稼ぎも出来ない。改めてイーラという存在の凶悪さを思い知らされ、辟易とした空気が一行の間に満ちる。

 いっそこの東門から一気に逃げ出せればどれほど楽か。だが王都を抜け出したところで国境に構えている教会の手の者や、それを追跡してくるであろうイーラからは逃れられない。後顧の憂いを断つという意味でも、ここで何とかしてイーラを封じる必要がある。

 「乞食は気楽なもんだぜ。見ろよ、樽ん中で気持ち良さそうに寝てらぁ、夢のマイホームってか」

 横倒れなった大樽から覗くのは白く痩せた腕と、それ以上に長く伸びた白髪。樽の中で生活する賢人の話を思い浮かべる構図だ。

 「おいジイさん、こんなとこで寝られちゃ迷惑だよ! さっさと出ていきな!」

 現場を片付けに来た役人が何人か寄ってたかり、老人の入っている樽を蹴った。気持ち良さそうに眠っていた老人が樽の中で不快そうに唸る。

 「──ぐ……ぅ」

 「さあ、早いとこ出てけって言ってんだよ!」

 老人の手が何事かと宙を漂う。まだ夢見心地なのかペタペタと地面を這いながら何かを探しているようだ。そのマヌケな仕草を見て役人たちは鼻先で笑った。

 すると、白い手がその内の一人の爪先に触れ──、



 役人が樽の中に消えた。



 ジパングに生息するハンミョウという虫は幼虫の頃から凶暴で、通りがかった虫を一瞬で巣穴に引きずり込むという。

 ボギグリュビヂュガガギリゴギガボバギョ──!!

 耳を覆いたくなるような生々しい破壊音が数秒続いた後、急に静かになった。代わりに樽の中からどろりと血の大河が流れ出す。それは断末魔の叫びを上げることも許されなかった、役人の体より絞り出されたものであることは明白だった。

 樽から足が出る。元の白かった地肌は内部で行われた極小の殺戮劇によって真紅に染められ、ぼたぼたと全身に被った血を垂らしながら……魔人が姿を現した。

 「アァ────!」

 やせ細った体躯に白く長い乱れ髪、今や首から下は絞り出した血に汚れていた。その細い体のどこに人を泥団子のようにこね回す力が秘められていたのか、枯れ木のような老人の体に……。

 「あれは、まさか!」

 一部始終を見ていたミゲルが瞠目する。それと同じように他の六人の勇者もまた言葉を失っていた。

 樽の住人は年老いてなどいなかった。白髪とやせ細った体がそう思わせていただけで、実際その体は何をどうすればそんな風に体に収まるのか、痩せた四肢の実態は極限まで圧縮された筋肉の塊であることが白日の下に露わになった。垂れ下がっていた髪は振り乱すと同時に風もないのにゾワリと浮き上がり、隠されていた顔も明らかにされる。

 「ァァァァァ────!!」

 地獄の底から轟く嗄れた声を上げるのは、ヒトのものとは思えない真紅の眼球を持つ魔人。流れ出る血涙が本来白いはずの部分を赤く染め、相貌はとてもヒトとは思いたくない狂気と怪奇に満ち満ちたものとなっていた。

 これは死神か? はたまた煉獄を越えて地上に現れた亡者か?

 否、どちらも違う。

 彼は狂人、彼は魔人、そして彼は……教国最強にして最悪の「勇者」。

 「グゥアアァアアアァァァァアアァアアァァアァアアァァァァァ!!!!」

 物陰に隠してあった甲冑がひとりでに動き出し、魔人の体に装着されていく。

 ああ、その姿こそ裏切った六人を殲滅するため教会より遣わされ、王国最強の闘技士を粉砕した忌まわしき漆黒の使者。

 「イーラ!!?」

 怒りの使徒・イーラが今再び六人と五人、そして一人の前に姿を現した。

 魔人の手からは決して逃れられない。

 侵し、壊し、殺し、他の一切全てが絶滅し死に絶えるまで、イーラの進撃は絶対に止まらない。

 教会が放った最後の矢は確実に彼らを仕留めにかかっていた。
15/09/25 21:36更新 / 毒素N
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■作者メッセージ
イーラくんの頭の中……セミ+ムカデ+ガラス片+爆竹+金槌+カナリア。

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