連載小説
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伝承編

 「暑い……」
「暑いね……」
バスの走り去る音を背に、二人は陽炎揺らめくバス停に立っていた。
修学旅行で行った場所は観光地だったので交通の便もよかったが、二人が目指す場所はその連峰から連なる端の山。
非常に辺鄙な場所だ、廃村なのだから当然といえば当然だ。

 ミーン ミーン ミーン
 ジーワ ジーワ ジーワ
 ジジジジジジジジ……

 「風流ですねえ善治さん」
「全くですねえ菊池さん」
皮肉交じりの会話も、騒音レベルの蝉の声にかき消されそうになる。
汗を拭いながらスマホを取り出し、周辺地図を開く。
周辺一帯見事に何もない。
しかしぐっと縮小すると、画面の端にぽつりと文字が表示される。

「△△郷土資料館」

 廃村跡に直に行く前にそこに立ち寄る予定だ。
もしかしたらだが、図書館やネットにはない情報が見つかるかもしれない。
「ええと……あっち、だね」
資料館のある方の道へ、かんかんに照り付ける日差しの元を二人で歩き始める。
「うぅ……汗で日焼け止め流れちゃう……」
「大丈夫か?きつかったらそこらの日陰で休むか?」
「……資料館はクーラー効いてると思う?」
「流石にあると思うよ……でないと館内の人みんな倒れると思う」
「そこまではがんばる……菊池くんはよく平気だね……?」
「部活やってるからね」
頭にタオルを乗せて日除け代わりにしながら、どこまでも広がる田園風景の中を歩く。
歩きながら果たして本当にこんな所に資料館があるのだろうか、と心配になりはじめる。
いや、今はむしろ資料がどうとかより、どこでもいいから涼める場所が欲しいというのが二人の正直なところだ。
「あっ……あれ……かな……?」
ちょっとした家が並ぶ通りに、それはどっしりと構えていた。
ぱっと見大きなお屋敷だ。
誰かの家なのではないかとも思ったが、門構えの傍に「△△郷土資料館」と、古い看板が確かに立っている。
「うぅ……涼めるならどこでもいい……」
ちょっと気軽に入りづらい雰囲気を感じたが、善治が限界近そうなのでとにかく入る事にした。
木造建築物独特のにおいの混じる涼しい風が迎えてくれる。
どんな臭いだろうと温度が低いだけでありがたい、そして入館無料なのがよりありがたい。
受付には眼鏡をかけたおじいさんがいる。
「すみません、予約していた菊池ですが……」
資料の閲覧は要予約だったので事前に電話で申し込んである、おじいさんは「勉強熱心ですねぇ」と、にこやかに案内してくれた。
生活様式を再現したセットや周辺地形のジオラマ、出土品などの展示物の間を通っていく。
夏休みの時期ではあるが人は殆どいない。
おじいさんが嬉しそうなのも若い人が滅多に来ないからかな、などと菊池は思った。
「はい、こちらです」
通してもらったのは小さな図書室のような場所。幾つかの本棚があってスタンドライトと机が置いてある。
窓からは外の強い日差しが差し込み、蝉の声が窓越しにしゃわしゃわと聞こえてくる。
展示場と違ってこの部屋は空調を効かせていなかったようで、古い紙のにおいが漂う室内の空気は暑い。
「すぐに冷房付けますんでね、ええ」
そう言っておじいさんが壁のリモコンを操作すると、古いエアコンがゴゴゴ……と、年季の入った音を立て始めた。
おじいさんが出て行った後、二人は汗をタオルで拭い、水筒のお茶を飲んで一息ついてから本棚と向かい合った。
「考古」「歴史」「民俗」「人物」
だいたいこの区分けがされている。
「民俗……だよな」
「だいたいね」
二人で各々本を手に取って捲り始める。
「……」
「……」
「善治」
「何?」
「読めない」
菊池が真顔で本の中身を見せる。
薄っすら茶色に変色した本に記されているのは、ミミズがのたうつような文字。
日本語に見えない。
「うーん……図柄とか、絵とか、そういうので関係ありそうなの捜して、解読は私がするから……」
「え、ええ?善治は読めんの?」
「だいたい」
「これって何て書いてある?」
「○○年〇月〇日豪雨で川が氾濫したって」
言われてからもう一度そのページをしげしげと見るが、どこをどう見ても「豪雨」の文字も「川」の文字も読み取れない。
辛うじて日付はこれかな?というのが見えるくらいだ。
「何でこれ読めるの……?」
「ちょっと勉強したから」
「それも家の関係……?」
「それもあるけど、ほぼ趣味」
古文書が解読できる女子高生、善治。
改めて住む世界の違いを感じつつ、とにかく端から開いて中身を確認していく。
地図や白黒の写真、何かの図解などを見ていると、後ろで善治が「ん」と声を上げた。
何か見つかったのかと思って、自分も善治の手元の資料を見るが、やっぱり読めない。
が、どうも文字の並びから見て何かのリストのように見える。
「それは……」
「「お隠し」の該当者」
「「お隠し」って……」
不意にあの白布で覆われた顔が思い浮かんでぶるる、と身震いする。
善治はページに指を這わせて真剣な表情でそのリストを見る。
「罪状も、書いてる」
「マジで……?どんな罪?」
「窃盗、姦淫、殺人、強盗……虚偽、とかもある」
「虚偽……って、嘘をついた罪って事?そんな重罪なの?」
「当時の価値観によるし、それに法律での裁きとは違うから……当時の周囲の人達が重いって判断した罪だからね」
「……」
アレが付けていた「お隠し」にはどんな罪状があったのだろうか……。
「つまりその……その「お隠し」リストの中に、あいつがいるって事……?」
「全員漏れなく記載されてるかどうかわからないけど、可能性あるね」
善治はそう言うとメモ帳を取り出し、そのリストの名前と罪状を現代風に訳して一人ひとり記載し始めた。
菊池も何か手伝えないかと思ったが字が読めない自分では手伝いようがないと気付き、仕方なくまた絵のある資料を漁る作業に戻る。
机に戻り、何気なく手元の資料を捲った。
「はっ……!?あっ……!ぁぁっ……!」
飛び出そうになった悲鳴が、喉で詰まるような声が上がった。
善治が急いで振り返ると、菊池が口元を抑えて机の上の資料から距離をとっている。
その顔は真っ青だ。
「菊池くん?」
「これだよ……!間違いないよ、完璧これだよ、絶対だ……!」
震えながらそう言う菊池に善治は駆け寄るとぎゅ、と抱き締める。
「はっ……!ぁっ……!ぁっ……!」
「大丈夫……大丈夫……」
母親が子供にそうするようにぽんぽんと背中を叩く、そうすると菊池の息が収まって来る。
「だっ……ごめん、大丈夫、もう大丈夫」
「本当に?」
「本当だって、離れろって……」
いつの間にか真っ青だった顔が真っ赤になっている。
それを見て善治も離れた、こっちも少し頬が赤い。
そして、菊池が開いていたページに近寄る。
「ああ……本当、これだね……」
「だよ、な……」
資料に記載されていたのは墨汁で描かれた絵。
布団に横たわっている男性を見下ろす着物を着崩した女。
絵の中ではその「お隠し」は捲れ上がり、素顔が晒されている。
墨汁で薄暗く表現されたその表情は目は吊り上がり、口角が耳元まで裂けんばかりの形相。
まさしく、鬼女だった。
その絵の左上に、例によって現代人には読めない文字が大きく書いてある。

「タネコヒさま」

善治が声に出してその文字を読んだ。
「そっ……それが、その……名前?」
「ちょっと待って……」
善治はそう言うと、黙々と文章を読み進める。
口の中でぶつぶつと文章を復唱しながら読んでいるようだが、原文のままの発音のようで菊池にはちんぷんかんぷんだ。
「……」
読み終えたようだった。
早く内容を聞きたくてそわそわしている菊池をよそに、善治は先程取っていた「お隠し」のリストを取り出して確認し始めた。
一分程の間を置いて。
「わかった……と、思う」
と、顔を上げて言った。
「なっ、何が?」
「これを要約するとね……この地方に伝わる伝承で「タネコヒさま」っていう妖怪のようなものなんだって」
「神様、じゃなくて?」
「神様と妖怪の線引きは難しいんだけど……これは、死んだ人の恨みが形になったもので「祓う」対象だから妖怪って扱いになる感じかな……」
「死んだ人の恨み……?」
「枕元に現れて人をじっと見つめる、見つめられた人は祟られる」
「たっ……」
古い文献の中にある「祟り」という言葉、普通なら何の関係もないはずの自分が今まさにその当事者なのだ。
現実感がない。
「祟られたら、どうなるの」
「「不能」になる」
「不能……?」
「子供を作れなくなる」
菊池は一瞬頭が真っ白になり、直後に思わず自分の下半身を見下ろす。
「……」
何とも、言えなかった。
全然実感が沸かない。
そもそもまだ高校生なのだ、まだ将来の事も全然考えていない。
彼女もいないのに、更にその先の子供の事なんて勿論考えた事もない。
それに……。
(善治とは、結婚できないもんな……)
奇妙な諦観と寂しさの入り混じった感情が沸いて来た。
「……」
気付くと、善治がじっと自分の事を見ていた。
「……大丈夫、世の中にはそういう病気の人だっているんだし、生きてく分には困らないし……」
「悲しいこと言わないでよ……」
眉を寄せて善治が言った。
祟りを告げられた菊池本人よりも余程悲しそうな顔をしている。
「い、いや、その」
「菊池くんを不能になんてさせない、私がそうさせない、絶対、絶対に、だから諦めないで」
「あ、諦めるつもりなんてないよ、頑張るよ」
「うん」
少し戸惑った返事を返すと、善治はすぐに表情を元に戻した。
「この「タネコヒさま」の身元も……多分、わかった」
そう言って、先程見比べていたリストを菊池に見せた。
見せられても読めないが、善治が指さした人名らしきものに視線が吸い寄せられる。
善治が読み上げる。

「「六条トウ」(ろくじょう とう)」

ざわわ、と、さざ波のように体が震えた。

「罪状」

善治の指がその名前の右上にある文字を指す。
リストの構成からして、右上の文字が罪状で、その横に並ぶ文字が該当する罪を犯した者達の名前らしい。
その「六条トウ」が犯した罪は彼女しかいないようだ。

「不妊」

 「……え?」
指さした文字を読み上げたのだから、それが罪状なのだろう。
「不妊って……子供が出来ない体だったって事?」
「そう、その不妊」
「それが、罪……?」
「だね」
「だね、って……そんなの、本人のせいじゃないし、努力してどうにかできるもんじゃ……」
「今の価値観ならね」
「……」
そう、「お隠し」の罪は法律による裁きとは違う。
当時の村の人々が決める事だった。
「名前からしてこの人、結構いい家柄の人なんだと思う」
村の中での家柄の高い人、その娘が世継ぎを生めない体に生まれてしまった。
当時、病気に理解の無い時代、ましてや人口の少ない村社会の中。
「冗談だったんだけどね……」
こそ、と取り出したのが以前書き留めた……「タネコヒさま」の特徴の箇条書き。
ぐるぐると囲まれた「巨乳」の項目。
「伝承によると元は美しい娘だったってね、美人さんでグラマーさんだったんだね……」
そんな魅力的な容姿をしていて、子を産めない女性。
当時の異性、同性にどんな扱いを受けただろうか。
最期には「生まれた事が罪である」という烙印を押され、葬られた。
その彼女の祟りは「子供が産めなくなる事」……。
「でも、同情は駄目」
沈んだ顔をする菊池に善治がきっぱりと言った。
「どんなに悲しい歴史があっても、人を不幸にしていい免罪符にはならない、それは許しちゃだめ」
「う、うん」
あまり変わらない善治の表情の中に、静かな怒りを見た。
彼女の生まれ、生業を改めて思い出す。
「これはただの私の推測だけど……」
善治はメモを取りながら言う。
「私達が行こうとしてる△△村って、廃村になってるよね」
「うん」
「原因は……」
「過疎化、だよね」
それは調べている。
何かの開発があったからでもなく、大きな事件があった訳でもない。
「……まさか、そんな」
ある可能性に思い当って、菊池は青くなる。
「普通、ああいう怪異の類の伝承にはそれへの対処法がセットで伝えられてるんだ」
ペラ、と資料を捲りながら言う。
「だけどそういうのが無かった、対処法は見付からず、お祓いも効果がなかった」
「む……村が無くなったのって」
「推測だよただの、その当時の村の人々が病院で検査した訳じゃないし、でも可能性はゼロじゃない」
クーラーが効いて涼しいとは言え、寒い程ではない。
だが、菊池の二の腕にふつふつと鳥肌が立った。
祟りを防ぐ事はできなかった。
そうして、村に子供が生まれなくなり……。
歴史に残る事もなく、血の一滴も流れる事なく。
密やかに、しめやかに、血は途絶え。
村は、無くなった。
「効果は無かったけど……どうにかしようとはした」
資料に残る地図と、現在の地図、二つを照らし合わせて見ていた善治が、両手で両方の地図の一点を指さす。
「ここが、「タネコヒさま」を祭った石碑……そして、「六条トウ」のお墓」
ぱたん、と資料を閉じて善治は立ち上がる。
「そこが、私達の目的地」
茜色に染まり始めた外の日差しを受けながら、菊池はただ、資料に描かれた「タネコヒさま」の絵を見つめていた。
20/03/04 18:23更新 / 雑兵
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