連載小説
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無邪気な願い、晒した本心
「…えいっ」
「おっと!」

家に帰ってすぐのこと。マレッサがオレへ抱きついてきた。
男性のいないこのエルフの里で彼女のように幼い子供は頼る存在が目上の女性しかいない。別にそれでも平気なんだろうが、同性ではなく異性に頼りたい部分もきっとあるんだろう。
幼いのならなおさらだ。
だからか、マレッサは基本的にオレの上にいたり、抱きついてきたりと甘えることが多かった。

「えへへ」
「…まったく仕方ないな」

抱きついてきた彼女を抱えて膝の上に載せるように椅子に座る。背を預けて可愛らしく笑うマレッサにオレも頬を緩ませた。
エルフとは言え外見や精神的に年下なんだしこれぐらいはいいだろう。今まで接することのできなかった存在が目の前にいるんだ、少し位甘えさせてもバチは当たらない。彼女の姉であるフォーリアに見つかれば大目玉を食らうだろうけど。
ぽんぽんと彼女の頭を撫でるとマレッサが学ランの裾を掴んでこちらへ体を向けてきた。対面座位みたいな体勢なのだが無邪気でまだまだ知らないことの多いマレッサにはよくわからないだろう。後後教えておくことが増えそうだ。
マレッサは学ランの裾をくいっと引っ張りまるで何かして欲しいと言わんばかりの表情で見つめてくる。

「ん?どうした?」
「えっとね、お願いがあるんだけど…」
「お願い?オレにできることならなんでもしてあげるよ」
「それじゃあね…」

ちょっぴり恥ずかしそうに顔を赤らめて彼女は言った。










「お風呂はまずいと思うんだよな…」
「えへへ」

なんて呟きながらも椅子に座るマレッサの頭を洗う手は止めない。
まさか頼まれたことが『お風呂に入ろう』だなんて驚きだ。
一度言ってしまった手前取り消すことはできないし、渋ったら渋ったでマレッサが涙目になったので仕方なくオレはここにいる。
マレッサは全裸。オレは下半身タオル一枚。
別にこれぐらいの年頃の少女になら劣情を催すわけもないので気にすることもない。

「いつもは一人で入るの?」
「ううん、いつもはお姉ちゃんが一緒に入ってくれるの」
「へぇ、それじゃあオレは別によかったんじゃ?」
「だってお姉ちゃんが頭洗うとすごく痛いから…」
「…それは……まぁ、仕方ない」

力加減なんて人それぞれ、いや、エルフそれぞれとでも言おうか。せっかく風呂に入って一日の疲れをリフレッシュというのに痛いことされちゃ嫌にもなるよな。
だからといってこんな出会ってまだ数日の男と共に風呂に入るのは危険だろうに。純粋すぎるのは無防備なのとたいして変わらない。
そんなことを考えているとマレッサが何かをしだした。

「…?」
「んしょ…うんしょ…っ」

髪を洗っているから背中を向けている状態であり、彼女が正面で何をしているのかよくわからない。身長的にこちらが高いので覗き込めるが…何をしているのだろうか。

「…」

オレの目が正しいものを見ているのならば。
オレの網膜が正しいものを映しているのならば。

マレッサは自分の胸を寄せていた。

年齢的に仕方ないにしても、膨らみもまだない胸を寄せて上げて、揉んでいる。
…何をしてんだこの子供。

「マレッサ?何してるんだ?」
「えっとね、こうすると胸が大きくなるんだって」
「…」
「お姉ちゃんが教えてくれたんだよ」
「…」

あ、ああー…あれか。いわゆる豊胸マッサージってやつか。
…どこの世界でもどこの種族でも、女性って胸を気にするんだな。
しかもマレッサに教えたのがあの厳しいエルフのフォーリアとは何とも可笑しくて思わず笑ってしまいそうになる。きっと族長ゆえに威厳ある性格だけでは足らず、それに見合った体にしたかったんだろうけど彼女が一人胸を寄せて豊胸マッサージしてるなんて想像しただけでも吹き出しそうだ。
だけど。



この少女、なんで今やってるんだ…。



オレが男だということをわかっているのか。
いや、男という存在にここまで近づくのは初めてなのかもしれない。それゆえ加減も何もわかっていないのかもしれない。
だけど、裸の少女が、オレよりもずっと年下の女の子が目の前で胸揉みだすって…男としてこれは……困るな。

「私も大きくなるかなぁ?」
「…なるんじゃ…ないの?」

…ある意味フォーリアよりも注意したほうがいい女性だな、マレッサは。
純粋無垢って時と場合によっては凶器。何を考えているかもわからないから何をされるか予想もつかない。
この少女、結構怖いかも……。

「ほら、お湯かけるぞ」
「わぁ!」

泡立った頭にシャワーで湯をかけ流していく。
現代とはまた違う仕組みで最初はシャワー一つも満足に動かせなかったがこの生活にもだいぶ慣れてきた。流石にレンジとかテレビなんてものはないし、このシャワーの原理もよくわからないが最低限生活に必需なものはあるし、使い方もわかってきたのでとても助かっている。
人間、意外とどこでも生活できるもんだよな。それにマレッサ達に世話になってるし。

ただ…世話になれるのは背中の傷が治るまで。

元はこの怪我が治るまでここに居ていいということになっている。治ったら出ていかなければならない。それが住まわせてもらう条件。
…でも、まぁ…人間嫌いのお姉さんにとってはそれが一番いいんだろうけど。
なんて考えているといきなり脱衣所から声をかけられた。

「どうした?騒がしいな」
「あ、お姉ちゃん」
「っ!!」

脱衣所から響く凛とした声。普段他のエルフがいるときにはもっと厳しく、近寄りがたい硬いものがあるのだがそれは優しく、親しいものにかける温かな声だった。
だが逆に、背筋に走る嫌な感覚。
扉一枚を隔てた先にあのキツイエルフがいる。それが今の状況ではどれほど恐ろしいことか。
ここいるのはフォーリアの妹と、人間のオレ。
エルフである彼女たちの価値観は未だよくわからないがオレからみても危ない状況だと思うこの空間に人間嫌いのフォーリアが加わればどうなるか…想像できないワケじゃない。
やばい。まずい!なんでこんな簡単なことを考えてなかったんだオレは!
一緒に住んでるんだから、姉妹なんだから家の中で鉢合わせることは当然ある。リビングでも、寝室でも、風呂でも。
だけど、今はオレもともに住んでいるのだから鉢合わせるのは仕方ない。仕方ないけど…場所が場所にまずすぎる!
かといって脱出するにも唯一の出口の先にフォーリアがいる。出ていけば正面から鉢合わせは避けられない。隠れてやり過ごすにも風呂場に隠れる場所なんてありゃしない。

「楽しそうだな?随分と上機嫌じゃないか」
「えへへ、だって楽しいんだもん♪お姉ちゃんも来ればもっと楽しくなるよ!」
「!!!」

この娘はなんてことを言ってるんだ!
この状況をわかっているのか!
そんな風に思っていると何か軽いものが擦れる音が聞こえる。
あ、やばい。そう思った次の瞬間にはドアが開け放たれた。

「一体何が楽しいと言う、ん…だ……」
「…」

普段葉で作ったような衣装に木の蔓などで作ったアクセサリーらしきものを全て外し、文字通り一糸まとわぬ姿となったエルフがそこにいた。
美術家なら誰もが形として残したであろう美しさのあふれる体。
傷一つない真っ白で滑らかな肌。矢を射るために鍛えたからか無駄な肉のない、しなやかな四肢。豊かに膨らんだ胸に先端にあるのは桜色の突起。なだらかな下腹部、髪の毛と同じ色をした控えめな茂み。
人間ではない女性の、エルフの裸。
その姿から目をそらせない。見てはいけないと思っているのに見蕩れてしまっていた。
たぶん、彼女自身男性に見られたことは初めてなのだろう、白い頬が一気に赤に染まっていき―



「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「おごっ!!」



彼女の爪先が顔面に突き刺さった。










「つ、つまり…マレッサがこの男を連れ込んだというのか?」
「うん。そうだよ」
「はい、そうです…」
「…〜っ」

フォーリアは真っ赤な顔をしてオレを睨みつけた。先ほどとは違って一枚タオルを巻いて仁王立ちでオレを見下ろしている。逆にオレは冷たいタイルの上に正座をしていた。
流石に先ほど彼女の体を見てしまったからまともに顔を上げられない。それ以上に顔面に彼女の爪先が突き刺さった痛みで起きる気にもなれない。

「貴様…私の妹に何かしたのではないのか!?」

明らかに怒気を含んだ低い声が浴室に木霊する。すごい逃げたいのだがここで逃げたらただじゃすまない。というか背中に向かってまた矢を射られそうだ。
そんな中でマレッサがぶすぅっとした表情でフォーリアを見上げた。

「頭洗ってもらってただけだよ、お姉ちゃん」
「その通りです…」
「…」

流石に妹の言葉は信じるしかないだろう。この状況ではオレの言葉なんて信じられないだろうし、人間であるオレなんてなおさら信じられるわけもない。
フォーリアは呆れたように大きくため息をついてオレの隣に立つマレッサを見た。

「…話はわかった。だがな、男と共に風呂に入るとはどういうことだ?」
「ユウタに髪の毛洗ってもらいたかったんだもん」
「髪ならいつも私が洗ってやってるだろう?」
「だってお姉ちゃんがやると痛いんだもん」
「…」

流石にフォーリアもこれは姉としても何も言えなくなってしまった。
…小さな子供のワガママって可愛いもんだけど、時折困るもんだよな。今なら似たような境遇にあったオレはフォーリアと分かり合える気がする。いや、やっぱ無理かも。
彼女はもう一度ため息を吐いた。

「マレッサ、とにかく風呂から上がれ」
「やだ。お姉ちゃんがユウタと二人っきりだと意地悪しそう」
「…わかった、しない。しないから上がっていてくれないか?この男と話したいことがあるんだ」
「ぶぅ〜…」
「約束する。この男に意地悪はしない」
「…わかった」

渋々ながらマレッサは立ち上がってとてとてと風呂場から出て行ってしまう。ドアが閉じて一瞬静寂に包まれた。

「…」
「…」

…ちょっと待って、なんでこんなところでフォーリアと二人っきりになってんの?
オレを見つめたまま何も言わないフォーリア。
いくらタオルがあっても風呂場で互いに裸、男女であって人間とエルフがタオル一枚だけで同じ空間にいるというのはよろしくないだろう。沈黙も気まずいのでオレはタオルを体に巻き直して静かに立ち上がった。

「…それじゃあオレも脱衣所に」
「話があると言ったはずだ」
「風呂場じゃなくてもできると思って…」

フォーリアの隣を抜けて脱衣所へと行こうと足を出す。すると片手を掴まれた。
絹のような柔らかな感触。それからじんわりと伝わってくる温かさ。湯に浸かってないのにオレよりも高い体温が不思議だった。

「…何?」
「体は洗ったのか…?」
「…いや、フォーリアが終わったあとに湯をもらおうかと」
「…なら、私が洗ってやる。ありがたく思え」
「…はぁ………………はぁっ!?」

あまりに予想外なことに振り向いたらタオル一枚に身を包んだフォーリアがいたのですぐさま前に顔を戻す。
というか、その発言はどういった意味だろう。

「…何を考えているんだ、卑しく淫らな人間め。私はただ単にその体では洗いにくいと思ったからだ」
「…ぁ」

あぁしまったと思った。
そういえば背中には矢の刺さった傷が残ってる。完治にはまだかかりそうな二つの穴。それは薬を用いたところで傷までは消すことはできず、きっと一生背中に残るものが刻まれてる。
フォーリアはその傷を上から見ていた。顔を上げられないオレの背を、刻みつけた自分がつけてしまった消えない跡を。
見れば罪悪感に駆られるのも仕方ない。それが嫌っている存在の人間であれ、妹を救った恩人であるのだからなおのこと。

「座れ」
「いや、いい」

それでもよしと言えないのはオレがヘタレだからだろうか。
…いや、オレはヘタレてない。ただ遠慮してるだけだ。

「さっさと座れ」
「いえ、ホントいいです」
「座れ」
「いや、勘弁してください」
「…座れ」
「………はぃ」

何度も命令されたら聞いてしまうこの癖、いつか直したほうがいいな。そんなことを考えながらオレは先ほど座っていた場所に再び正座した。
痛い。足から伝わってくるタイルの感触が硬くて痛い。

「…」
「…」

だがそれ以上にこの場の空気が痛い。
なぜ彼女はオレをこの場に残したのだろうか。
話をするならば風呂を上がってからでもできるし、背中を洗うなんて誇り高いと豪語するエルフの長フォーリアがするわけがない。そしてその相手が下賎な人間なのだからなおのことだ。
ちらりと首を捻って横目で彼女の姿を確認する。

「…」

こちらを見ずに俯いて黙々と体を洗うためのタオルに石鹸を擦りつけていた。
…え?何?本気?
というか、どういう風の吹き回しなんだ。誤って風呂場に入ってしまったことはまだしも、こうして互いにタオル一枚でこの場にいる。
いつものフォーリアだったら絶対に矢を射られてた。いや、それ以前にマレッサとともに入ってることがバレた時点で射られてた。
だというのに。
自分から嫌ってる人間に近づく真意は何だ。
自身から蔑む存在に関わるとはどういうことだ。
フォーリアは何を考えている?
そう考えていると泡まみれになったタオルが背中に押し付けられた。

「!」
「動くなよ…上手く洗えない」

そのまま力任せにフォーリアはオレの背中を擦る。一応注意してか矢傷に触れないように擦っていく。思ったほど荒くない手つきにとりあえずは一安心だ。
ここで嫌がらせでもされたらどうしようと思った。傷口なんて擦られたら絶叫ものだし。

「…広い背中、なんだな」
「…まぁ」

フォーリアはきっと初めて見る人間の背中にそう漏らした。ただ単に思ったことを口にしただけだろうが、それはオレの背中を見て言っていることであり、なんだか変な気分になってくる。
ごしごしと背中をどんどん洗っていく。背中を流してもらえるというのは自分でやるよりも心地いいものだ。

「エルフのように柔らかいわけではないし…これが人間なのか?」
「…それはオレが男だからだと思う」
「…不思議だな」

フォーリアは以前、オレが他のエルフに囲まれた時に言われたことを口にする。
それ以降は何も言おうとしなかった。

「…」
「…」

無言の空間。聞こえるのはタオルの擦れる音と水滴が滴る音のみ。
傷を避けて洗ってくれているのはいいものの重力に従って落ちてくる泡がしみる。正直痛いがこの状況はそれぐらい感じていないとおかしくなる。
たった二人の密閉空間。
湯気に紛れて石鹸と違う香りが充満する。まるで森のように深くて爽やかで、花のように甘い香り。思わずくらっとするくらいに魅惑的だがこんな何も遮るものがない状況ではあまりにも危険な香りだ。
…意識しないように頑張らないと。そう思っていたその時背筋に寒気が走った。

「…はっ…くしゅっ」
「!」

いけない、長いことタオル一枚で座っていたからか体が冷えてきたみたいだ。流石にお説教を長くくらってそのまま正座でいたのだから仕方ないか。

「湯に…入れ」
「ん………うんっ!?」

今度は湯に入れとはどういうことだ。いや、言葉の意味は分かってもなんでそんなこと言うんだ。

「体を冷やすだろう?矢傷に加え風邪までひかれたら面倒だ」
「あぁ…そういうこと」

そりゃそうだ。今までそれほど苦労をかけたつもりはなかったが彼女にとっては苦痛と大差なかったのだろう。さらに風邪までひかれてはさらに大変なこととなりそうだ。なんだかんだきつい言葉を口にするが意外とフォーリアは面倒見がいいらしい。妹がいればそうなるのも当然か。
だが、素直にお言葉に甘えさせてもらいます、なんてことを言えるオレじゃない。

「家主のフォーリア差し置いて先に入れないって」
「…貴様せっかくかけてやった厚意を無下にするというのか?さっさと入れ」
「いや…」

口論になることはわかっていた。それでも常識とマナーと礼儀は譲れない。
ただでさえお世話になっている立場なんだし。

「入れ」
「お先にどうぞ」
「入れ」
「いえいえ、フォーリアから」
「…入れ」
「…いやいや」
「入れ」
「…」

流石に今回ばかりは譲れない。先程は気圧されたが今度ばかりは曲げられない。
頑なに拒み続け二度目のくしゃみをしたとき、とうとう決着した。





「…」
「…」



オレとフォーリアは背中合わせで湯に浸かっていた。



…なんだこれ。
妥協案が二人一緒に入るって…なんだこれ。
互いが互いを意識しないように背を合わせているが、この浴槽は二人で入るには少々キツイ。一人ならば余裕で足を伸ばせるのだが大人二人分の大きさがあるわけでもなく、オレとフォーリアは足を抱くようにして入っていた。

「…」
「…」

き、気まずい。
何を話せばいいんだこれ。
フォーリアは話をするから残したって言った割には何も言わない。それに話すにも互いに裸だから変に意識してしまう。二人っきりになるのならマレッサが寝付くまで待てばよかったというのにわざわざこんなところでならなくても良かったんじゃないか。
そのまま重苦しい沈黙がしばらく続いた。
浴室に響くのは天井から滴る雫の音のみ。
耳を傾ければ静寂に響くその音も心地いいのだが、今の状況じゃそんな心地にはなれそうにない。
どうしよう…。
ずっとこんな沈黙に耐えられない。ならせめて何か言ってみるか。そんな風に思って口を開いた。

「…話って何?」
「…」

変えてきたのは沈黙。
いや、たぶん彼女もまた気まずく思って何を喋ればいいのかわからないんだろう。ああ言ってしまった以上引くに引けなくなったのかも。
ちらりと背にいるフォーリアを見た。
…耳まで真っ赤になってる。
…たぶん、オレも同じだ。
それ以上何も言うことができずにさらにしばらくの沈黙が続き、ようやく彼女が口を開いた。

「…本当は、わかっているんだ」

フォーリアが静かにそう言った。浴室内では反響してやたら大きく聞こえるはずなのに、それでも彼女の声は小さく聞こえる。

「…エルフは人間とかかわらないといけない。マレッサの言うとおりなんだ」
「…」
「…里の者たちを見たんだろう?」
「ああ」

フォーリアの声にオレは頷き、あの時のことを思い出す。
矢を射る修練をしていた皆。誰もが見目麗しき美女美少女ばかりで男の姿はひとりもいないあの光景。それにマレッサから聞けば男のエルフなんて見たことないという。
それがどういうことか。
男がいないとどうなるか。
エルフという存在がオレの予想斜め上に行かない限り思いついた考えはあっているはず。
男がいない。すなわち、生殖できない。
子供が生まれない。
子孫を残せない。

「私は…別にそれでもいいと思っていた。長寿の私たちにとっては男などいなくとも、人間などと関わりを持たずともやっていける。エルフだけで十分生きていけるとな」
「…」
「そう思っていたんだ…」

そこで一旦言葉が切れる。
何も喋らないオレとフォーリアの間に静かに滴り落ちる水滴の音だけが大きく響く。
彼女がわずかに体を動かして、水面が音を立てたところで再び口を開いた。

「もうずっと昔になる…母が死んだ」
「…!」
「寿命で…千年以上の大往生だった」

昔を懐かしむようにフォーリアは言葉を紡いだ。悲しみの色がないのはきっと隠せるほどに大人だからか。それとも人間に弱みは見せたくないからか。
彼女にとってはとても短い年月しか生きていないオレにはわからなかった。

「母は皆に慕われた族長だった。亡くなった時、皆悲しんで、誰もが涙していたのを覚えている」

だが、と彼女は一度切ってひと呼吸してから言葉を紡いだ。

「生きていればやがて寿命はくる。いかに長寿なエルフでも不死というわけではない。死を避けるすべなど生きている者は持ち得ない。だから、皆母の死によって意識せざるをえなくなったんだ」

長寿だからこそそれほど気にかからない。たった一人だったとしても千年近く生きることのできるエルフにとってそれほどまで重要だとは思わなかったんだろう。
長くても百年少ししか生きれない人間とは違う。
だけど、それでも無情に訪れてしまうのが命の終わり。

「女しかいない。それでは子を成すことができない。こうしてただ生きているだけではいずれ私たちは皆死んでしまう。子をなすことなく、エルフという種族を残すことなく消え去ってしまう」

だから、人間と手を取り合うことが必要なのか。
マレッサが言っていたことはそういうこと。単に子供っぽい理由だったのではなく、ちゃんとエルフの未来を考えている言葉。
人間と仲良くしなければいけないのはそのためか。
ただ、エルフと人間が子をなすことができるのかわからないが、それでも手がそれしかないんだろう。

「…なぁ、黒崎ユウタ」
「!」

今まで人間や、下賎な者だと言っていたフォーリアが初めてオレを名前で呼んだ。
思わず振り返りそうになったが今の状況に気づいてなんとか踏みとどまる。対してフォーリアはそんなオレと違って儚げに、悲しげにそっと言葉を紡いだ。



「…私たちは人間と関わりを持っていくべきなのだろうか」



その言葉に対する正解はなんだったんだろうか。そんな重大なことを今まで考えたことのないオレに正しい答えなんてわからなかった。たかだか十八年しか生きていない人生で、しかも人間しかいない世界だ。種族の違いなんて気にする訳がなかったし、周りには日本人しかいなかったから人種の違いも身近に感じることはなかった。
だから、オレは思いついたまま、感じたままに言葉を口にする。
一般的で、常識で、普通で、それでも大切な言葉を。

「…別に嫌ってる相手と無理やり関わらなくてもいいんじゃないの?そんな事してたらストレス溜まるしギクシャクした関係しかできないって」

初めて会った時のフォーリアとオレのように、満足に会話もできないあんな状態。
あれで人が寄って来るわけない。
あれでエルフが快く思えるはずもない。
良好な関係なんて築けるはずもない。
子を成すというのはそんな簡単なことじゃないし、軽いことでもない。
だからこそ気兼ねない仲になれるような、一生を添い遂げられそうな相手でないといけない。

「人間のことを好けるようになったらでいいんじゃないの?」

フォーリアの言葉にオレはそう返した。
背を向けているから彼女はどんな表情を浮かべているかわからない。しばらく無言が続き、
そしてくすりと笑う声が聞こえた。

「母が長であったように私は長を継いだ。だから今まで人間のことを里の者よりもずっと考えてきたし、見ることも沢山あった」
「大変だね」
「まぁな。時には森に入ったものの動向を知るため、時には里に近づく者を退けるためと様々だった」

エルフとして人間から身を守る必要があったのだろう。現にマレッサが襲われ、攫われているのだから警戒するのは当たり前だ。
フォーリアは長であるから、この里で一番偉いから誰よりも危険なものには敏感にならなければならない。
長として皆を守るために。
エルフを存続させるために。

「私の見てきた人間は様々なものがいた。旅をしていた者や、番といた者、それからエルフを攫おうとする卑しい者たちも」
「…」
「だが…」

そこで彼女は一度言葉を切って首を捻ってこちらを見た。
かろうじて横目で確認できる、透き通った青い瞳がこちらを向いて微笑んでいるように唇が緩む。初めて見る柔らかな表情に思わず胸が高鳴った。

「今まで見てきた者たちと全く違う。態度は謙っているかと思えば他のエルフと仲良くしているし、マレッサに気に入られたからといって調子に乗ってるわけでもない。自分が正しいと思っている愚か者でもない」

オレは静かに紡ぐ彼女の声に聞き入るだけ。
何も考えないように、邪なことなんて思いつかないように。

「貴様は本当に…よくわからない」
「そう?」
「ああ。貴様は…何なんだ?」

そう言われては答えはひとつしかない。
オレはフォーリアのように笑みを浮かべて言った。

「オレは、人間だよ」

その答えを聞いて一瞬目を丸くするフォーリアだが小さく笑ってそうかと言った。

「そうだったな。貴様は…人間だったな」
「そう。人間なんだよ、こんなんでもさ」

そう言ってオレは天井を見上げた。後ろではそれ以上何も言わずフォーリアも同じように天井を見ている。
それから何も言わずに天井から滴る水滴の音だけが響いていた。
12/12/16 20:17更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということでエルフ編第二、三話目でした

実はこのエルフの里の皆はあのとおりそう人間に嫌悪感を抱いていません
だからといってそう良く思っているわけでもありません
今回は主人公がマレッサを助けたからというわけでした
でも男を前に発情してしまうのは順調にサキュバス化しているということですねw

そしてちゃっかりお風呂に入っちゃってる主人公、何やってんだこの男は
そんなところへ足で制裁のフォーリアさん
またちゃっかり混浴です。まったくこの男は

そしてマレッサ、恐ろしい娘ですw
メインヒロインにのし上がりそうな勢いでした
純粋って怖いですよね

素直なマレッサとエルフらしいけど徐々に打ち解けてきたフォーリア

次回はフォーリアと二人っきり
人には言えない秘密の場所へとご案内です

それでは次回もよろしくお願いします!!

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