眼の私

「あ、あたしは……かわいい、です」
 鏡に向かって――鏡の中のぎょろぎょろとしたあたしに向かって、言葉を放つ。だけどもそれはなんの力も持たないまま空しく洗面所に響いただけだった。
 いつもは前髪で隠している大きな単眼を今は晒し、自分に暗示がかかるようにしていた。
「あ、ああ……うぅ」
 だけどもうまくいかない。すごく恥ずかしくてその場にへたり込んでしまう。こんな、自分に対して小恥ずかしい暗示をかけるだなんて初めてだ。洗面所の外を覗いてみる。廊下は暗くてリビングから灯りとテレビの音と両親の笑い声が聞こえる。多分、親には聞かれてない。大丈夫。でもあたしが鏡の自分に向かってかわいいと言った事実はどうしようもなく揺らがない。
 胸が、ドキドキする。なんでこんなことしてしまったのか――


「告白されたー!? マジで!?」
 時は遡って今日の昼間、いつも通りの三人でお弁当を食べているときにあたしは一つ相談を持ち掛けた。
「え、うそ、このメンバーで一番奥手なあんたが? やっべ〜先越されたぁ」
 やたらと焦っているのはアトラク=ナクアの久那橋子。言葉の端々に毒はあるがいい友達だ……たまに喧嘩するけども。
「で、その愛を告げてきた相手は、前々から聞かされていた想い人と考えていいのか?」
 弁当を翼で箸を握って器用に食べながら、オウルメイジの木ノ花閑は冷静に聞く。でも若干翼に汚れが付着している、かなり焦っているんじゃないだろうか。
「うん。そうなの。その人に今朝告白されて……」
「で、それで? もしかして……」
「シたのか?」
「ううん……それどころか、まだ返事ができてないです……」
 二人ともギョッとした。
「「……マジで」」
 普段は全く息の合わない二人がハモった。嫌な予感がする。
「あんたあんたあんたねぇ!! 千載一遇のチャンスじゃん! 何やってんだの今すぐにでもそいつのとこ行って一発ヤってこい犯してきな! 閑もなんか言ってやれ!」
「我々は花も恥じらうJKだ。つまり周りも全員JK。そんな戦場でお前は隙を見せるのか!こうしている間にもお前の想い人は誰かの毒牙に狙いをつけられてるのかもしれんのだぞ! 橋子、もっと言ってやれ!」
 矢継ぎ早矢継ぎ早のマシンガン。あたしは二人から怒号を浴びる。
「うん……うん。わかってる、わかってるんだけども……」
「……いったいどうして躊躇してんのさ」
「よほどの理由があるのだろうな」
「あたし……自分があの人に似合うくらいかわいいと思えなくて」
 二人はまたギョッとする、そしてそれはだんだんと苦渋に満ちた顔に変わっていく。
「どうしても、なんか自分じゃ釣り合えないなって思っちゃって……まだ「うん」って言えてないの」
「……まぁ、自分を可愛いと思えというのはまた難儀な話だな」
「特にあんたは引っ込み思案だからねぇ〜」
 二人ともあたしににじり寄ってくる。
「でも、私だったこんなキュートな女の子ほっとかないけどね〜。もしオスだったら即ベッド行きだよこんな可愛い子は」
 橋子が、右のこめかみのあたりに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。彼女の「後ろ足」が、優しくあたしの頬を撫でる。
「う……やん……」
「我も同感だ。すぐさま巣に持ち帰って夜だけとは言わず、一日愛を紡いでいたいものだ」
 左は閑が侵略してくる。吐息交じりのウィスパーボイス、ふんわりとした羽がくすぐったい。
「うぅ……でも。どうしてもあたしなんかじゃ……って思って……」
「自信持ちなって……私たちが保証するよ」
「ふぅむ……」
「あ? 閑。なんか微妙な反応だけども」
「いや、ここまでとなると、この場合は我らがどうこうではないと思ってな」
「はぁ?」
「来い」
 そう言って閑は橋子を引っ張って、あたしから少し離れた場所でこしょこしょと話し始めてしまった。
「……んーそれってうまくいくのか?」
「うまくいくと思わせなくてはならないのだ」
「ふぅん」
 そして話が終わると、二人はまたあたしに近づいてくる。
「さてと、今話し合った作戦を、発表するとしようか。橋子」
「はいよー。ちょっと失礼するぜ」
「え? え?」
 迫ってくる橋子。またさっきみたく、いやらしい絡みをされるんじゃないかと身構える。しかしことは一瞬で済んでしまった。
 彼女はさっとあたしの長い前髪を掴み、上に持ち上げて糸で束ねて留めてしまった。
「――っ!」
 常日頃から、いわゆるメカクレ状態に絶対的な信頼を置いていた。だから目の前が開けることはとても不安なことだった。
「こっちだ」
 閑を見る。すると彼女はいつの間にか手鏡をこちらに向けていた。そして橋子に鏡を見たその姿勢で頭を掴まれ固定される。映るのはあたしの大きな赤い瞳……
「お前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛いお前は可愛い」
 念仏めいた閑の言葉。それとあたしの赤い眼光によってあたしは――あたしは――
「……うまくいったか?」
 橋子が聞く。
「……駄目、みたい」
「駄目じゃねぇかよ、閑」
「もとよりうまくいくとは思っていない。暗示は他者の心のうちに何かを自然に挟み込む行為だ。恐らく、自然にというのが肝なのだ。それが自分に向けてとなると自然にはいかんだろう。どうあがいてもそれは自作自演なのだから、不自然になる。暗示ではなく明示になってしまう」
「要するに?」
「ゲイザーにも、自己暗示は難しい。そういうことなのだろう」
「あー……」
 橋子は座り込んでしまった。
「何が何でも付き合うべきだよ……だってこれ逃したらもうチャンスはないかもしれないだぜ?」
「うぅ……」
「いいか。絶対あんたたちうまくいくから。とりあえず付き合っちゃいなよ!」
「でもぉ……」
「自己暗示は『難しい』と言ったんだ、橋子」
「あー?」
 悩むあたしたちに、ぴしゃりと閑の言葉。
「少なからずだ、心に何かを挟み込む能力は発動しているはずなんだ。だからしつこく挟み込み続けろ。自分は可愛い、その感覚が自然と湧き上がる『癖』になるように、だ」
「癖……」
「そうだ。だがあまり時間はない。相手の男もそう待ってはくれないだろう。明日だ、明日までお前は自分を可愛いと言い続けるんだ。お前が愛を手にしたいのならな!」
 閑はそう言い切り、話はこれまでと弁当の残りをつつき始めた。
「いつになく熱血だねぇ――ま、散々お前の口から好きだ好きだと聞かされ続けてきた相手だからな、その気持ちを無にしたくないんだろ。がんばんなよ」
 橋子も食事を再開する。
 こうしてあたしは二人に背中を押され――そうかなり強烈に――そしてそして――


「ねぇ、なにやってんの?」
「ひぃっ!!」
 その日の夜、今に至るのであった。
「お、お母さん!?」
 そんな回想をしている間、かなりぼうっとしていたみたいだ。いつの間にか洗面所の入り口にお母さんがいた。
 あたしという十七歳の子を持ちながらも、かなりロリな体系の持ち主の、可愛い可愛いあたしのお母さん。
「ねえ、かなり前から洗面所に居座ってるけども、用がないなら使ってもいい? あたしもう寝るからさ」
「あ、ごめん……」
 横によける。するとお母さんは触手を器用に使って歯ブラシに歯磨き粉を塗り付けていく。
「珍しいわね。あんたが前髪あげてるなんて」
「え? あ、うん、まぁ、そうだね」
「その方が可愛いお顔が見えていいと思うわ。あんた昔っからずっとそうやって顔隠しちゃうもの……あたしはずっと可愛い可愛いって言ってるのに」
「可愛い……」
 鏡を見る。歯磨きを始めたお母さんとあたし。そうは言うけれども、やっぱりお母さんの方がすっごく可愛くて、あたしなんかは……
 そうだ。
「ねえ、お母さん」
「ふぁに?」
「あたしに……その、暗示をかけてくれないかな? あたしが、その……自分を可愛いって思えるように」
 お母さんは大きな目を更に見開く。そして少し考えて、口の中の泡をシンクに吐き出した。
「……どうしたの急に。あんたまさか、なんか嫌なこと言われたりされたりしたの?」
「違う違う! 違うの、その……好きな人に告白されたの」
「――本当?」
「うん。でもまだ返事ができてないの。あたしみたいな可愛くない子が付き合っていいのか、すごく気になるの」
「……」
「だから、どうしても自信が欲しいの……自信を持って、その人と付き合いたいのっ! でもでも、どうしても自信が持てなくって……っ」
 言葉を紡いでいるうちに泣き出してしまった。どうしても付き合いたい。そう強く思ってるのに、劣等感がそれをさせない。
 すごく、苦しくて痛い。体が裂けてしまいそうだ。
「だから、だからね、お母さんなら、あたしに暗示を――」
 そんな、子供みたいなあたしを。
 お母さんは抱きしめてくれた。
「馬鹿言わないでよ……実の娘に暗示なんてかけられないわ」
 すごく、温かい。涙腺が緩んで次々とめどなく涙があふれてくる。
「あなたは可愛い……でも色々考えちゃう子だから、昔っから。あたしが何を言っても悩んじゃうんでしょうね」
 そして体を離して、目を合わせた。
「でもね、悩んだまま付き合っていいのよ。自信のないまま悩みながら愛し合って、二人で答えを見つけていく。それも立派な恋の形よ」
「恋……」
「それにその子が告白してきたんでしょ? それなら今のあんたを十二分に好きってことじゃない? それならきっとあんたのなにもかもを、受け止めてくれるはずだわ。甘えちゃいなさい」
 ちゅ、と頬にキスされる。優しい、愛の口づけ。
 それでもやっぱり答えは見つからない。
 見つからない、けども。
「うん……わかった」
 一歩進めるだけの勇気はもらえた。
「じゃあ、明日OKしてきなさい。心配はないわよ、魔物娘は最後には運命で結ばれるものって昔から相場が決まってるんだから」
「運命かぁ」
「運命論は嫌いだっけ?」
「……わかんない。それもまた後で考える」
 あたしは、今度は自分から抱き着いた。お母さんは拒まず、ただただあたしの頭を撫でてくれた。


「マジで切んの? 私、そこまでうまくないよ?」
 翌日の昼休みの屋上。いつものメンバーで。
 あたしは意を決して、橋子にお願いをした。「あたしの髪を切ってほしい」と。
「糸の扱いは橋子うまいし、最悪糸でウィッグでも作ってもらおうかなって」
「糸と髪を同列に扱うのはすごく駄目だと思うし、まずリカバリー前提なのがムカつくなぁ、ほんと」
 ぶつぶつ言いながらも橋子は散髪を始めた。
しょき、しょきと慎重な鋏の音。
「……相手がメカクレ大好きだった場合は?」
「それ今言うかよ閑ぁ」
 もう取り返しのつかないところまで切ったあたりで、閑はそんな突っ込みを入れてきた。
「……考えてなかった」
 そう言えばお母さんも『今のあんたを十二分に好きってことじゃない?』とか言ってたっけ。
「あぁ!? もう前髪は切り捨てたからな! ウィッグ作るか!?」
「いや、いい。もしそうだったとしても、あたしがまた伸ばせばいいから」
 変われる。付き合う前もそうだけども、付き合ってる最中でだっていくらでも変われる。だから、今はこれでいいと、思う――
「――でもそれが原因でフラれたらどうしよう……」
「はっきりしろよぉ! ウィッグ作る!? 作っちゃう!?」
「だが、その程度で告白を取り下げるような男はこちらから願い下げだろう」
「ひっかき回すな閑ぁ! 切ってんの私だぞ!? これでうまくいかなかったら一生罪悪感引きずることになるからな!?」
「ふふふ」
 思わず笑ってしまった。
「あぁもう、これ以上私を揺さぶらないでくれぇ……」
「ごめんね。でもなんか、すっごくありがたくなっちゃって」
 あたしには友達がいる。すっごく一緒にいて楽しい友達が。きっと二人もあたしを支えてくれるんだろう。躓いても、きっと助けてくれるはずだ。
 それはすっごく頼もしいことだ。

「できた。けっこう可愛く仕上げたぞ……」
「うむ。我も可愛いと思うぞ」
「えへへ。ありがとう」
 頭が軽いし、視界が広い。それだけで足取りは軽くなる。
「じゃあ、行ってくるね」
 そろそろ昼休みも終わりそうだ。急いで彼の所に行かなくちゃ。
「頑張れよ、眼々子」
「行ってらっしゃい、眼々子」
 二人の応援に背を押され、あたしは少しだけ胸を張って駆け出した。

19/11/05 23:38 鯖の味噌煮


久しぶりの投稿です。お題箱の「ゲイザーちゃんが自己暗示を試みるお話をください」というリクエストより生まれたお話でした。拡大解釈も甚だしいですがこれが今僕の書ける限界なのだと思います。
また次回、近くに出せるよう頑張ります。
[エロ魔物娘図鑑・SS投稿所]
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33