連載小説
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おわり
 少し時を戻す。
 正確には竜泉郷で男がのぼせ、それをデオノーラが介抱している時までである。
 
「やってしまった」

 彼らのために宛がわれた個室にて、布団に寝かせた男の隣に座り、デオノーラが自戒する。強く押しすぎてしまった。相手の気持ちを考えずに行動してしまった。
 自分は女王だ。もっと理性的に動くべきだったのだ。団扇を扇ぐ手に力がこもる。
 後悔してもしきれないが、デオノーラはただ悔やむばかりだった。
 
「……ガイドの仕事一つ出来んとはな」

 自分は女王なのに。自嘲するようにデオノーラが呟く。そして彼女はガイド役として日夜飛び回る騎士団に改めて驚嘆と感謝の気持ちを抱き、同時にままならない今の己の姿に焦りと苛立ちを覚えた。
 
「情けない。上に立つ者がこのような有様とは」
「燻っているみたいね」

 不意に声が聞こえてくる。この部屋の唯一の出入口であるドアの方からだ。
 驚いたデオノーラが顔を上げ、声のする方へ視線を向ける。そこには一人の魔物娘がドアを開け放ち、廊下の側で堂々と立っていた。
 
「貴様は」
 
 デオノーラはそれが誰かを知っていた。それが誰なのか、知らぬ魔物娘はいなかった。
 
「デルエラ――」
「久しぶりね、デオノーラ」

 名を呼ばれた魔物娘が笑顔で手を振る。なおも驚くデオノーラの眼前で、その魔物娘が室内へ足を踏み入れる。
 デルエラ。強大な力を持つ「リリス」の一人。魔王の娘の一人にして、レスカティエを陥落させた偉大なるもの。
 そんなビッグネームが、自然な動きでデオノーラの前までやってきて腰を下ろす。デオノーラは何故デルエラがここにいるのかまだ理解出来ていなかったが、目の前の事態に対処することは出来た。
 
「いつからこちらに来ていた? 連絡くらいよこしてもよかろうに」
「こっちに着いたのは昨日よ。それとお忍び旅行で来てるから、連絡は最初からするつもり無かったわ」

 まずデオノーラがここにいる理由を尋ねる。対してデルエラも淀みなく返答する。
 なるほど経緯はわかった。一歩前進だ。さらにそこからもう一歩踏み出す。
 
「なぜこのタイミングで、ピンポイントに私の元に来たのだ」
「それはもう、あの女王デオノーラが独身男性のガイドをするって聞いたからには、追いかけたくなっちゃうわよ」

 デオノーラの問いにデルエラが答える。実に明快な答えだ。
 同時にデオノーラが思い出す。このデルエラという魔物娘は、愉しいことが何より好きなのだ。
 
「魔王の娘がストーカーとは。あまり褒められたものではないな」
「朋友が真なる愛に目覚めようとしている瞬間を見逃すなんて、出来るはずないでしょう?」

 ため息交じりに飛び出すデオノーラの言葉に、デルエラがさらりと返す。なおこの時のデオノーラの台詞は苦言めいたものであったが、そこに険悪な気配は微塵も含まれていなかった。
 気の置けない間柄だからこそ生み出せる、毒の混じった心地良い空気がそこにあった。
 
「あいにく今は茶を出せる状況ではない。許せ」
「いいわよ。今はこの子をどうにかしないとね」

 デルエラが布団で寝入る男に視線を送る。すかさずデオノーラが横槍を入れる。
 
「やらんぞ」
「取らないわよ」
「わかってる」

 デオノーラの言葉にデルエラが肩をすくめる。デオノーラもあっさりと即答し、共に視線を男に向ける。
 
「それで、いつ結婚するのかしら?」

 男の寝顔を見たままデルエラが問う。デオノーラは動揺しなかった。そう言われることは予想済みだったからだ。
 
「私はいつでも構わない。だが私の気持ちを押し付けるつもりはない」

 だからデオノーラも、自分の気持ちを迷うことなく吐き出せた。デルエラもそれを責めず、ただ「真面目ねえ」と肩を落とした。
 
「欲望に忠実になれるのは魔物娘の特権よ」
「それでもだ。私は私のやり方で彼と添い遂げたい」

 堂々と回答しながら、デオノーラが未だ寝息を立てる男の額を撫でる。そんなデオノーラの手の感触を知ってか、男の口元が緩み微笑みを浮かべる。
 
「可愛いやつめ」

 その微笑を見たデオノーラが、同じように頬を緩ませる。次いでデルエラが立ち上がり、二人を見下ろしながら口を開く。
 
「手助けは必要なさそうね」
「そうなるな。わざわざ来てもらったのにすまない」
「いいわよ。私も素敵なものを見せてもらえたし」

 デルエラが腰をくねらせて身を翻し、開けっ放しのドアの方へ歩き出す。そうしてドアの境目まで来たところで立ち止まり、肩越しに振り返ってデオノーラに言った。
 
「後悔しないように、全力でやりなさいな」

 それを聞いたデオノーラがデルエラの方を向く。ドラゴニアの女王は何も言わず、ただ力強く頷いた。
 デルエラも言葉を返すことはしなかった。ただ満足げに笑みを浮かべ、前に向き直ってその場を後にする。後に残ったデオノーラも彼女の後姿を目で追いかけることはせず、代わりにその視線を男の寝顔に注ぐ。
 
「望むところだ」

 男の顔を見つめながら、誰に言うでもなく、デオノーラが静かに呟く。
 
「落としてみせるとも。貴様は絶対私がモノにしてみせる」

 覚悟を決めるように、己の決意を噛み締める。同時に頭の中に颯爽とプロポーズする自分と、それを受けて顔を赤らめ、しかし首を縦に振って告白を受け入れる男の姿が描き出される。
 脳内シミュレーションも完璧だ。
 
「大丈夫。私ならやれる。私はドラゴニアの女王だぞ。しかし万が一……いややる前からそんな心配してどうする。それにまずは彼を起こしてやらねば……」

 しかし実際は告白するまでにかなり難儀したのは、前話に記した通りである。
 
 
 
 
 時を今に戻す。それから紆余曲折を経て城の前に来た二人は、開かれた城の大門と、それに張りつき雪崩を起こした城の関係者を同時に視界に収めつつ、落ち着いた調子で言葉を交わした。
 
「ひとまず中に入るとしよう。ずっと外で立ち話をするのもあれだからな」
「そうですね」

 デオノーラの提案に男が頷く。二人は出歯亀を働こうとして崩落した面々を見て、すっかり精神の平静を取り戻していた。今後の展開に昂る気持ちにいきなり冷や水を浴びせられ、無理矢理鎮められたとも言う。
 とにかく、彼らはこの時落ち着いていた。獣欲のまま相手を押し倒し、澄み渡る空の下で行為に及ぶことはしなかった――少なくともデオノーラは、それを愛情表現の手段として勘定に入れていた。
 
「まったく、肝心なところで水を差す……」
「どうかしましたか?」
「なんでもない。こちらの話だ」

 例によって鈍感さを発揮する男の問いかけに、デオノーラが静かに返す。
 返した直後、デオノーラの脳に閃きの電流が迸る。
 
「ああ、そうか。そうすれば良いのか」
「なんの話ですか?」
「なんでもない。城の……私の部屋に入った時に話す」

 またしても鈍感さを発揮する男の問いに、デオノーラが冷静に答える。この時の彼女はどこまでも落ち着いていた。
 今後の展望、もとい魔物娘心を知らぬ男への素敵なサプライズを思いついていたからだ。
 
「そうだ。私の部屋で大事な話がしたいのだ。とても大事な、私達の今後に関わるとても大事な話だ。それはもうとてもとても重要なことなのだ。共に来てくれるな?」

 一方のデオノーラもデオノーラだった。いきなり早口になり、説明口調で念を押してくる。感情の揺れを顔に出す事はしなかったが、それでも聡い者が見れば彼女が腹に何か抱えていることはすぐ察することが出来た。
 恋の駆け引きという点で見れば、どちらも大概未熟者だった。
 
「そんなに大事なことなんですか?」
「う、うむ。そうだ。最優先事項だ」

 しかしこの時、デオノーラは開き直ってもいた。未熟だろうが穴だらけだろうが構わない。今はただ、己の全力をぶつけるのみだ。初夜を迎え、デルエラとの邂逅を思い返したドラゴンの女王は、最後まで吶喊するつもりでいた。
 小細工はいらない。ストレートど真ん中を突っ走ってゴールするだけだ。
 
「そういうわけだから、はやく私の部屋に行くぞ」
「は、はい」

 デオノーラは急いでいた。急ぐ素振りを隠そうともしなかった。ゴールが眼前に見えている状況で二の足を踏むのはスマートではない。
 
「我が城はそれなりに広い。私が手を握り貴様を導こう。決して離れるでないぞ」
「わかりました」

 早速デオノーラが手を差し出す。男がそれを受け、彼女の手を握る。主導権がデオノーラにあることに、男は何の不快感も示さなかった。寧ろ率先して前に立つ女王の姿に、彼は憧憬の眼差しを向けていた。
 やっぱりこの人は素敵な人だ。男は自分がデオノーラと結ばれたことを何より嬉しく、誇りに思った。
 
「それじゃあお願いします」
「任せよ。私に続くがよい」

 男から頼られることに喜びを感じつつ、デオノーラが声高に告げる。そのデオノーラの姿に頼もしさを感じ、男が心からの笑みを見せる。
 鈍感であったり未熟であったりしたが、それでも彼らの間には確かな愛情があった。
 
「さあ、凱旋だ」
「はいっ」

 デオノーラの言葉に男が頷く。それから二人は迷いなく、未だ崩落していた面々を努めて無視し、城の中へと歩を進めていったのだった。
 
 
 
 
「それで、お城の中で具体的に何をするんですか?」
「うむ。貴様に首飾りを渡そうと思ってな」
「首飾り?」
「そうだ。番いの首飾り、というものだ。竜の爪を使った装飾品で、一般的には好き合った竜と人がお揃いのものを首に掛け、仲の良さをアピールするという……」

 そして城内に入った直後、自爆する。
 歩を止めたデオノーラが己のやらかしに気づく。後の祭りである。
 
「ち、違うぞ! 別にこういう時のために前もって作っておいたとか、そういうわけでは決してないからな! そんな竜の女王が将来の恋に備えてせこせこアクセサリーを作ってたなどと……!」

 墓穴を掘る。この女王、どこまでも初心だった。
 大門の向こうにある雪崩から黄色い悲鳴が飛ぶ。翼を広げ、雪崩から離れ何処かへ飛び去る者もいた。このニュースは、明日にはドラゴニア中に広まっていることだろう。
 
「えっと……」
「……」

 二人して立ち止まり、男がデオノーラの顔を覗き込む。遠慮がちな男の視線の先、気高きドラゴニアの女王は石化の魔法をかけられたかのようにガチガチに硬直していた。言い訳をする気力も尽きた。
 恋の力である。
 
「それって……つまり、その……」
「あ、いや……う……」
「デオノーラ様?」
「……」




 まあ、その。
 頑張れ。
20/08/03 19:25更新 / 黒尻尾
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