連載小説
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前編
「思うんだけどその格好って熱くない?」
「なら、思うんだけどその格好で恥ずかしくないの?」
「アタシはこれがいつもだから仕方ないの。そっちは?」
「オレはこれがいつもの服だから仕方ないんだよ」
「人のこと言えないじゃないの」
「そもそもアンタ、人じゃないんだろ」
「ふふ、確かにね」

そう言ってアタシは小さく笑う。
目の前の彼も同じように笑う。
柔らかな笑みは優しくて、楽しげな笑みは温かい。炎を纏っているのに私にはそう思えた。

そう、アタシは炎に包まれている。

なぜならアタシは炎の精霊だから。イグニスだから。この世界での火を、炎を司る存在。それもただの精霊ではなくて、魔力を交えた魔精霊。人しての肉体を持って、女としての姿をしている一人の存在だ。
話すことも、笑うことも、触れることもできる、一人の存在。

だけど私のところへ訪れる人間は目の前の彼だけ。

炎というのは人に明かりを、暖かさを、技術を与えた。暗闇を照らし出し、寒い時には暖をとり、熱を持って鉄を加工する術を持った。
炎とは人間にとって発展の鍵。

だが逆に恐怖の対処ともなる。

強すぎる明かりは目を眩ませ、過ぎた熱は何もかもを焼き払ってしまう。
現にアタシに寄ってくる人間はいなかった。
この熱い場に好き好んで来る人間などいなかった。

目の前の彼を除いて。

「でもそんなに服着て大変じゃない?額に汗浮かんでるけど」
「まぁ暑いっちゃ暑いけどさ。でもオレがいたとこも夏になればこれぐらいにはならないけど結構暑くなったんだ。だから多少暑いのは我慢できるってわけ」
「へぇ?」

その言葉に私は首をかしげる。
今彼はアタシがいるこの場所、この山の麓に住んでいる。だがそれ以前はどこにいたのかなんて知らない。
私は彼の姿を見た。
そこにいるのは一人の男。
着ているのは高級な布で出来ているのかまるで貴族がまとっているような黒い服で金色のボタンが付いている。上下共に同じ布、同じ色のそれはここらではまず見られず人目を引くこと間違いないだろう。また、同じ色をした短めの髪の毛。そして何よりも目を引くのはその瞳。同じ黒色だけど服よりも髪よりもずっと濃くて、ずっと深くて、まるでそこの見えない闇の中。見つめるだけで吸い込まれるように思える不思議な瞳。

―黒髪黒目、それはジパング人の証。

だからこそ彼は―黒崎ユウタという名の彼はきっとジパングに住んでいたのだろう。
だけどジパングにそれほどまで暑くなるような場所があっただろうか。夏はそこまで暑い季節になっただろうか。
でもそんなことはどうでも良かった。こうして話に来てくれるだけで良かった。
以前ならアタシの周りにはたくさんの人がいた。昔なら精霊として敬われ、慕われていた。皆が皆アタシに優しくしてくれるし、こんな山にいなくても村の中で仲良くしていた。
それでも彼らは人間でアタシは精霊。
そして何よりアタシは火。
熱く燃えては焼き焦がす、炎。
人が触れることなんてできないくらいの温度があり、抑えきれない勢いを持っている。



だからアタシは自分が嫌い。



人間に厭われる火を司る、アタシ自身のことが大嫌い。
でもそれは仕方ないとしか言えない。
火は人間が進化するための術であって、同時に厭われる存在。過ぎた炎は我が身すら焼く。人を傷つけないとしても、自分自身を焼いてしまうかもしれない存在に近づきたいとは思えない。
アタシが傷つけたいと思ってるはずがないのに、それでも嫌われることになった火が嫌い。

「…ユウタは、よくこんなところに来れるね」
「んん?」

アタシは遠まわしに聞いてみる。直接アタシが怖くないかなんて聞けない。そんなことは分かっていても聞けない。こうして話相手になってくれた相手に目の前で言われたくない。

「だってここ、山でしょ」
「そりゃ…」

アタシのいる場所は山。それも火山。麓には村があって街ほどではないにしろ栄えている。
だからといって山へ登る意味はない。麓が栄えても山頂にはなにもない。
ここに登ってくるのはせいぜい登山家ぐらい。普通の人間ならまず来ることはないし、麓の村の人なら絶対に近寄らない。



―アタシが、いるから。



「んー…なんていうかさ、することないし」
「すること?」
「村にいるのはほとんどおじいさんおばあさんか子供でオレの年代の人いないし、午前中にほとんどやることやっちゃうし、テレビとかゲームもないしさ」
「…てれび?げーむ?」
「…あー」

ユウタの話ではよくわからない言葉が出てくる。それを言うたびに彼は誤魔化すように唸るけど…一体何だろう。

「それに話題とか合わないんだよ。せいぜい天気ぐらいしか話せないし」
「そっか」

年齢が違う、それからユウタに至っては住んでいた場所も違ってる。それなら会話が噛み合うことなんて難しいことだろう。会話ができてもこれぐらいの年齢で自分よりずっと上、または下の子相手に話を盛り上げるのはきついのかもしれない。
それでアタシのところに来ている。
よく考えて見ればそれはいい暇つぶしに思えるけど、それでもアタシのところに来てくれるというだけで嬉しかった。こんな山を登ってでも、村から離れた場所にいても、それでもユウタは来てくれる。
それだけでも嬉しい。
その気持ちに反応するようにアタシの手足の炎が揺らいだ。

「…前から思ってたんだけどそれってすごいよな」
「え?」
「手足の炎」

ついついっと指差したのはアタシの感情に合わせて燃え盛る炎。アクセサリーのような綺麗さはないけど、それでもアタシの自慢だったもの。
ユウタはそれを興味深そうに見つめる。

「…熱くない?」
「アタシは火の精霊なんだから」
「そうだった」

彼は見つめたままゆっくりと手を出してきた。何をするのかと思えば指先で炎の先を撫でるように動かす。特にこれといって怖がる訳もなく、熱がりもせずに。
あまりにもいきなりのことでアタシは反応ができなかった。何をしたのかさえ理解することに一瞬遅れた。

「ユウタっ!」
「へぇ、熱くないんだ」

熱くないことを確認したらそのまま手首に触れようと手を出してきた。アタシは逃げるように手を引く。

「ちょっと!」
「うん?あ、ごめん…嫌だった?」
「そう、じゃないけど…」

触れられること自体は嫌じゃない。むしろアタシだって触れ合えるのなら触れ合いたい。
彼の体温を感じてみたい。
それでも、嫌われるんじゃないか。
嫌がられるんじゃないか。
そんな考えが頭に浮かんでしまう。
ユウタはアタシを見て心配そうに顔を覗き込んできた。途端に近づく彼の顔。黒い、闇のような瞳がアタシを映し出す。

「…大丈夫?」
「え、あ…うん」

吸い込まれそうな不思議な魅力のある瞳と心配してくれるその声色に胸の奥が温かくなる。なんだか優しい気持ちになるというか、炎とは違う温かな感覚だ。以前関わった村の人相手じゃ感じられなかった、未曾有の感覚。とても、満たされるもの。
もっと欲しい。もっと触れ合いたい。
そう思ってしまうのはきっとアタシが魔力の混じった精霊だから。純精霊よりも女に近くて女よりも魔物に近い存在だから。サキュバスの魔力はアタシの理性を越えて本能を疼かせてくる。
そんなアタシの中の葛藤を知らないユウタはにぃっと笑みを浮かべた。

「その火が出るやつ、フラメがイグニスだからなんだろうけど、そうやって火を出すのってカッコイイ」
「え?」
「ほら、こうやって両手で囲って火とか出すの憧れるんだよね」
「…」
「漫画とかでもよくあるし」
「…マンガって?」
「あー…いや、こっちの話」

何かごまかすようにユウタは言葉を濁して頭を掻く。

「それなら…ちょっと試してみる?」
「?試すって…できんの?」
「少しだけだけどね。手を出して」

アタシの言葉にユウタは目をキラキラさせながら手を出した。黒い瞳はまるで宝石のように輝いていて、その様は好奇心旺盛な子供みたい。
ふふ、可愛い。
そんなことを考えながらユウタの両手にアタシの手を上から重ねる。
ちょっとばかり硬い手の甲の感触。それからじんわりと伝わってくる体温。
あったかい…それから、とても安心する…。
もっと感じていたいな…。
そんな風に思ったアタシはそのままユウタの手を握りこんでしまった。

「…」
「…」
「…フラメ?」
「あ、うん!」

アタシは慌ててユウタの手に自分の手を重ね直し、集中して魔力を流し込んでいく。
ユウタからは魔力の欠片も感じられない。きっと魔法に通じるタイプの人じゃないんだろう。
それでも、精霊のアタシならそんなユウタにでも火を扱わせることはできる。契約をして使うわけじゃないからそれほど大きくないし長くは続かないものだけどこうして肌が触れ合うほど近くにいれば多少の炎なら好きに出せる。

「…ほらっ!」

ぽっと、両手で囲った空間にロウソクに灯るぐらいの火が生まれた。
ただアタシの思った色じゃない。
それはユウタのように黒く揺らめく、不思議な火。アタシの力の半分も使わない、微弱なもので魔力も同じく少しだけ。闇精霊ではないのについた漆黒の炎。まるで魔力を濃縮させたかのようなそれを不思議に思いながらもユウタはおぉ〜と子供のように声をあげた。

「魔法みたいだな」
「魔法っていうか、近いものなんだけどね」

おもちゃを与えられた子供のように掌に生まれた火を揺らめかせるユウタ。やっていることは子供っぽいのだけど宙に踊らす両手は流れる水のようになめらかで、吹き抜ける風のようにかろやかに踊る。その後を続く火もまた同じく踊るように揺らいだ。

―綺麗…。

アタシの手を重ねたまま、舞のようなユウタの動きに纏いつく炎。彼は瞼を閉じて流れに見を任せるように揺らいでいく。
揺れる体に揺らめく黒い炎。
それはまるで、アタシとユウタが一つになったかのようだった。
一つに…。

「…」

もしもアタシがユウタと契約したら…どうなるのだろうか。
ユウタだったらアタシと契約をしてくれるだろうか。
彼はきっとその意味を知らない。知っていたとしても自分からは言おうとしない。それでもこうしてアタシの元へと訪れてくれる。
そんなユウタにアタシから契約を持ちかけたら…頷いてくれるだろうか。

「…ねぇ、ユウタ」
「ん?」
「ユウタは…アタシとけい―」

そこまで口にして、言うのをやめた。
こうして話して手を重ねるのと契約するのでは大きく違う。
ただ触れ合うのと契るのでは全く違う。
いざ断られてたことを考えると…。
ユウタに受け入れらなかったことを考えると…。

―怖くて…堪らない。

「…フラメ?」
「いや、なんでもない」
「?」

怪訝に思うユウタにアタシは彼の目の前に回り込んだ。両手を重ねたまま力を注ぎ、黒い炎を揺らめかせる。
さっき聞いたことなんてなかったようにアタシは声を弾ませて聞いてみる。

「ねぇユウタ。今の舞は何?」
「舞?ああこれか。空手の稽古であるんだよ、こうやって相手を想定して動く稽古が」
「カラテ?それってジパングの武術?」
「ジパング?…まぁそうなんじゃない?」

ジパングという言葉に一瞬不思議そうな顔を浮かべながらもユウタは頷いた。そのまま手はゆったりとした動きで宙を舞う。黒い炎はアタシの意思の下に形をかえながらもユウタの手に纏っていく。
それは傍から見ればまるでアタシとユウタが手を取り合って踊っているように見えただろう。実際アタシはそう思えた。
触れ合う手から感じる優しい体温。今までこうして触れることなんてなかったからちょっと恥ずかしいけど、でも嫌じゃない。顔を上げて彼を見据えると視線に気づいたのかアタシへ視線を移して気さくに笑う。
子供みたいに純粋な笑みと闇のように吸い込まれるような瞳。
アタシはユウタの笑みに照れながらも同じように笑みを返した。










「それじゃ、また明日来るよ」

既に太陽が隠れて夜の帳が降りた辺り。周りは闇に包まれながらも月明かりでかろうじて足元が見える。これなら山を降りるのにも平気だろう。ユウタが帰るのにはここから一直線に下に降りればいいだけなんだし。
ユウタはアタシの隣から立ち上がった。黒い服を着ている姿は夜の闇に溶けて見えにくくなるのだが淡い光に照らされる姿はどこか幻想的で本の挿絵に思えた。

「あ…」
「うん?」

ユウタがこちらを振り返る。アタシはやってしまったように声を漏らす。
アタシの手が立ち上がり離れようとするユウタの服の袖を掴んでしまった。これ以上話をしていようものならユウタに悪いとわかっているのに。

「…どうかした?」
「あ、いや…えっと」

離れたくない。
もっと傍にいたい。
そう思ってしまうのは先ほどアタシがユウタに契約を持ちかけようかなんて考えたからだろうか。アタシの胸の内から言葉にできない気持ちがこみ上げてくるのに上手くユウタに伝えられない。

「えっと…その…ね」
「うん」
「…」
「…」

どうしよう、なんだか気まずい雰囲気になっちゃった。いつものように話すならばとくに気を使うこともないはずなのにこんなことになるとどうすればいいのかわからない。アタシは笑ってユウタも笑って、初めて会ったときからずっとそんな感じだったのに。

「ねぇ、ユウタ―」

沈黙に耐えられずアタシは彼の名を呼んだその時だった。

「…何だあれ?」

ユウタが村の方を向いて静かに言った。アタシは釣られて同じ方を見る。山であるから麓にある村なんてものは一望できる。そして今の時間ならば村にわずかながら灯った明かりがぼんやりと見える程度のはずだった。
アタシ達の眼下に広がる光景、それは明かり。
それほど多くない家の中、村の端にある家がやたらと明るかった。明るいだけじゃない、照らされながら天に登る黒い雲があった。

いや…あれは…煙?

「…悪い、ちょっと行ってくる」

それにユウタも気づいたのだろう、アタシの手からするりと抜けるとそのまま走り出してしまった。山の斜面では下へ向かって走るのは危険なはずなのに勢いを増して彼は駆け抜ける。あっという間にアタシの声の届かない距離へと行ってしまった。

「…あ」

こうしてはいられない。
もしあの煙が火事によるものだとしたらアタシがどうにかできるはず。火の精霊なら自身の魔力を含ませ、火力を上げることができる。逆に勢いを殺し、消火することだってできる。自在に操れて当然だ。
だけど、アタシの足はすくんでいた。
あの村へ行くことを躊躇っていた。
火を止める手立てとなるはずなのに、皆のところへと行くことができない。


一度嫌われた相手に会いに行くのは、敬われた上で嫌われた皆に会いにいくのは辛いなんてもんじゃない。


「…」

助けたくても、助けられない。

逆に、今アタシが皆の前に姿を現したら皆はアタシがやったと勘違いするのではないか。
皆は…アタシを…嫌っているのだから…。

「…っ」

あぁ、ダメだ。足が動かない。前へ進みたいのに体が動かない。アタシが行かなければいけないのに。アタシなら火事でもどうにかすることができるのに。

「…行かなきゃ」

ユウタが行ってしまったのに。
人間で火を操ることもできない彼が行ってしまったのに。
もしかしたら最悪、炎に巻かれて死んでしまうかもしれないのに。それでも彼なら無茶をするはずだ。火事で燃え盛る家の中に人がいたとしても我が身を徹して救おうとするはずだ。それぐらいやってのけることをアタシは知ってる。今まで話してきたからこそわかってる。
絶対に無茶をする。
その確信は不安にしかならない。

「行かなきゃ…っ!」

震える体を抱きしめて、揺れる心を押さえつけて、アタシは久しぶりにこの山から一歩を踏み出した。


















村では一つの家が燃えていた。天を焦がさんばかりに轟々と燃え盛り木で出来た家を容赦なく焼いていき、辺りには炎の熱気と焦げるような匂いが充満する。火の手はどうみても激しいものであと数分で家を全て焼き尽くすんじゃないか、そう思えるほどだった。
周りには大勢の人がいて中には近くの井戸から水を運びバケツを手渡して火を消そうと奮闘している人たちがいる。しかしその程度で収まるほど火は弱いものじゃない。きっと燃えた状態を長く放置していたのだろう消すにはもう手遅れだった。

ユウタは?

その中にあの目立つ黒髪黒目黒服の姿は見当たらなかった。
別の家の陰から皆に見つからないようにユウタの姿を探していると…いた。
いつも着ている黒い上着を脱ぎ捨て、上質な絹のように輝く白い服を纏って家の前に立つ姿を見つける。後ろ姿で顔は見えないがそこに立っている時点で何をしようとしているのか嫌でもわかった。
ユウタはすぐさまバケツリレーをしていた人たちから一つバケツを奪い取る。ポケットの中にあったらしいハンカチを水に浸して口の周りに巻き、大量の水を頭からかぶる。
水が白い服へ染み込んでいく。肌に張り付いた服が鍛えられた体の線を露わにした。

こんな状況だというのにその体にアタシは見とれていた。

白い布地にうっすらと透けた肌。しっかりとした肩にゴツゴツとしたわけじゃない、しなやかな筋肉に包まれた体。水の滴るユウタの姿はどこか艶っぽくて普段と違う姿に映る。ちらりと見えたユウタの真剣な顔は普段見られないもので胸をときめかせるような表情だった。

「二階でいいんですね!?」
「はい…っ!」

すぐ傍にいた男性、おそらくその家に住んでいる人にユウタは大声でそう聞いている。きっと中には誰かが残っているに違いない。水を被ったのはそれを助けるためだろう。
危険だ。
あそこまで燃え盛っているのにその中に突入するのは自殺行為もいいところなのに。

「無茶だっ!あんた死んじまうぞ!」
「もう諦めるしかねぇって!」
「まだ来たばかりのあんたがそこまでするもんじゃないっ!」

皆口々にユウタの心配をする言葉を投げかけた。その様子からそれなりの関係を築いていたのだろう。それでもユウタは場所を聞くと頷き、周りの声を無視してドアを蹴破って炎の中へ消えてった。

行かなきゃ…っ!

ユウタが入っていった炎の中はアタシならケガを負うことなく助けられる。魔力が混じったこの体なら触れることだって守ることだってできる。それにあの炎ならアタシの力で押さえ込むことだって可能だ。
可能、だけど。
あたり一面に皆がいる。
皆がユウタの入っていった家を見ている。
もしそこにアタシが手を出して、炎を急に弱めたら皆不審がる。そこにアタシの手が加わってることがわかったらきっと皆は…。

―それでも…っ!

こうしている間にユウタが燃えてしまう。口に濡れたハンカチを巻いても体を濡らしても炎から身を守りきれるはずがない。それに炎からは煙が上がる。それから守るためにハンカチを使っていたのはユウタが火事に対する知識か経験があるからだろう。
だが知識があるならわかってるはずだ。その程度で火を防げるはずがないことを。
それ以上に家が崩れる恐れがある。炎で焼けた柱が崩れ、家が倒壊することなんて珍しくない。もしも家の中で柱の下敷きにでもなったらユウタは…っ。

それを防ぐことができるのはアタシだけ。

ユウタを救えるのは、アタシだけ。


―っなら!!


アタシは家の陰から飛び出していった。
皆の目にアタシが映り驚き目を見開いている。
彼らと関わっていた頃にはアタシはまだこの体はなく、純精霊としてだから炎の姿で現れていた。それが今は女性の姿。皆一瞬誰だかわからなかったようだが纏う炎がアタシである証となった。

「…その姿…炎っ!フラメ、か…っ!?」
「フラメ?フラメだとっ!!」

皆口々に久しくアタシの名を呼んだ。そこへ込められた気持ちは…もうわかってる。
その気持ちをぶつけるように、一人の老年の男性がアタシに歩み寄ってきた。彼はアタシを頼ってくれた人の一人であって、アタシを嫌った人間の一人。

「…何しに来た、フラメ」
「…っ!」

まるで親の敵のように睨みつけ、低い声で彼はアタシの名を呼んだ。
何しに来た、その言葉にどんな意味を込めているのか気づかないわけがない。
炎よりもずっと燃え盛る瞳の奥の意思に気づかないはずがない。

「お前は…また、火をつけに来たのか…っ!!」
「!違―」
「黙れっ!!」

アタシの言葉を遮って彼は大声を出して言った。目の前で家が燃えているというのにそんなこと気にする素振りも見せない。
久しぶりに姿を見せた『原因』に彼らは怒りをぶつけに来てる。
足がすくむ。
心が冷えてる。
声が喉で止まり、言いたいことが言い出せない。
息が詰まり呼吸さえ満足にできなくなる。
情けない。
なんて、情けない。
この体を手に入れたというのに、あの頃よりもっとすごい精霊になったというのに。
それでもアタシは変わってない。
今も逃げ出したいくらいに足が震えてる。
あの時みたいに皆の前から消えたいと意志が揺れてる。
本当はこんなことしてる場合じゃないのに。
燃える火を弱めるために出てきたのに。
アタシは、ユウタを助けに来たのに。

「おいっ!どうなんだフラメっ!!」

彼はアタシに殴りかかりそうな勢いで迫ってきた。以前ならば純精霊として形しかなかったけど肉体を持って触れることができるのなら、当然殴られることも可能になる。
振り上げられた拳が理不尽にアタシに振るわれる、その寸前。

「だらぁああああああああああああああっ!!」

村に大きく響くユウタの声。それに続いて窓ガラスが砕ける音と共にユウタが誰かを抱えて飛び出してきた。
それも二階の部屋の窓から。

「なっ!?」
「ユウタっ!?」

地面とはかなり高さがあるというのに、二階なんてところから飛び降りたら火傷どころじゃないというのに、どうしてそんなところから飛び出してきたのだろう。皆が皆ユウタの姿に驚き、悲鳴を上げるものもいた。
ユウタの体は重力に引かれそのまま地面へ激突する。はずだった。
だが片手に掴んだ綱らしきものが体を引き、間一髪地面スレスレで落下を止める。綱と見えたそれはよく見ると衣服をいくつも結んだ即席のもの。あの状況であの炎の中で階段を下りて脱出することが不可能と踏んだのか、それとも危険性が少ない方を選んだのか。
どちらにしろユウタの行動全てが常軌を逸していた。
先ほどユウタに頼んでいた男性が駆け寄り、涙を浮かべて抱えていた子供を手渡される。あの炎の中だというのに子供には火傷らしきものは見当たらない。それは見覚えのある濡れた服を子供が纏っているからだろう。

だけど、ユウタの体は…。

先程まで纏っていた白い服は抱えた子供を包んでいた。上半身を裸で炎の中を突っ切るなんて無茶にも程がある。いくら子供を助けるためといえ自身を守るためのものを他人のために渡す姿は英雄ではなくてただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
肌は焦げ、火傷も多少負っていて擦り傷だって大きく刻まれている。それでも命に関わるほど重度じゃないところを見ると奇跡としか言えなかった。

「ありがとうございます!ありがとうございます…っ!」

子供の父親らしき男がユウタに何度も礼を言っている。
それに対するユウタは満身創痍になりながらもからから笑って応えていた。いつものような笑みだけどあの傷ではそんな顔を浮かべるのも辛いはずだ。その証拠に未だ燃え続ける炎に照らされた顔には玉の汗が浮かんでいる。
どう見たって正常じゃない。
どうしたところで異常だ。
それなのにユウタはゆっくりと立ち上がろうとする。体がふらつくも傍の男に支えられてなんとか立った。

そして、視線が合う。

黒い瞳がアタシを映し出した。

―いけない…っ!

アタシの中で何かが叫んだ。
こんなアタシを見られたくないと。
村人から嫌われるアタシの姿を見て欲しくないと。
それ以上に助けに来たのに何も役にたてなかったアタシの姿を映して欲しくなかった。
それでもユウタは一瞬驚いて、次にいつも浮かべている柔らかな表情に変わる。

「フラメ…助けに来てくれたんだ…」

安心した声と落ち着いた雰囲気。
先程まで炎に巻かれていたとは思えない表情でアタシにそう言った。
違うのに、そんなことしてないのに。どうしてユウタはそんな目でアタシを見てくれるの?
そう聞いてみたかったけど、それは許されなかった。

「あんたは何を言ってるんだっ!フラメが助けるわけがないだろ!」
「…は?」
「!ダメっ!!」

その先を言って欲しくない。
その先をユウタに知られたくない。
もしも知られたら…ユウタはアタシのことを……っ。
それでも怒鳴る男性は黙らない。大声で村中に聞こえるように言った。



「この精霊は俺たちの家を焼いたんだ!!」



一瞬この空間が静寂に包まれた。
すぐそこで家が燃えているというのに誰もが声を出さず、火の弾ける音も聞こえない。

「…え?」

流石のユウタの表情も固まる。浮かべていた温かな笑みは消え去り目を見開いてこちらを見ていた。
先ほどの優しさあふれるものではない。
いつも向けてくれた温かな視線ではない。
愕然として、何も言えずに私を見ているだけ。

―嫌だ、そんな目で見ないで…っ!

「……フ、ラメ?」

一嫌だ、そんな風に呼ばないで…っ!



―アタシを、嫌わないで…っ!!



「あ…おい!待てよ、フラ…」

ユウタの叫ぶ声が途中で途切れた。次いでドサリと重いものが地面に落ちる音がする。
一瞬だけ音のする方を見ればそこには先程まで立っていたユウタが倒れ込んでいた。

「おい!アンタっ!!」
「まずい、煙を吸ってるぞ!」
「別の家に運べ!火傷の治療もするんだ!」

あれだけ燃えていた家に入ったのだから無事で済むはずがない。あそこまで出来てもユウタは人間、流石にこれ以上無茶はできそうになかった。
本当なら彼の傍にいたい。
アタシは傷を癒す術を持ってないけど、せめてそれくらいはしたい。
せっかく体を得たんだから、手を握ることぐらいしたい。
でも、今はそんなことができなかった。
ユウタを心配する視線と、反対にアタシを憎む瞳。
どちらも同じぐらいあっても片方に至っては込められた感情は刃物のように鋭い。それこそ視線だけでアタシを射殺すかのように。

「…っ」

そこからアタシは、また逃げ出した。
振り返らないように、皆を見ないように。

ユウタを…見ないように…。
12/11/18 20:41更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということでイグニス図鑑世界、前編でした
精霊だというのに皆から嫌われ、自分自身も嫌っている彼女フラメ
その原因は彼女が体を得る前の純精霊の時に一度過ちを犯してしまったことにありました
その過ちは軽くてもあまりにも重いもの
逃げ出したフラメに黒崎ゆうたは…後編でやってくれるのか!

ちなみに今回も犬神家スタイルで落とそうかと考えて、フラメと会わせるために直接マグマ滾る山へと突っ込まそうかと考えておりました
流石に無茶だったのでやめましたw

それでは次回もよろしくお願いします!

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