連載小説
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前編
「……明日は各自、最善を尽くすのみだ! ベストの状態で試合に臨め! 以上!」

 我らが顧問は燃える尻尾を振りながら、今日の練習を締めくくった。夏が来てますます暑苦しい熱血教師、サラマンダーの日下先生だ。この人の熱血指導やムチムチボディとも今年でお別れだと思うとなかなかに寂しい。世の中の問題の八割は根性で解決できると思っている面倒な人だが、それが俺たちを強くしてくれたことは間違いない。戦車に火炎瓶で挑めるくらいの根性はついたような気がする。

 いつものようにグラウンドに向かって礼をし、解散。みんな思い思いに会話を始めるが、話題は大抵が明日の試合のことだった。全国行きがかかった重要な一戦、同時に俺たち三年生にとっては自分の高校野球を締めくくる試合でもある。泥まみれのこのユニフォームも今年でお別れだ。

 ……あの応援団長とも、な。

「打ーて打て打て打て打て南高!」

 グラウンド中に響き渡る声。応援団はまだ練習を続けている。あいつら次第で試合の流れが変わることもあるだけに、俺たち野球部員と同じくらい必死だ。
 先頭に立つ団長が叫び、背後の連中が唱和する。服装は応援団らしく学ランで統一されているが、団長だけは仕様が異なっていた。ハーピー種仕様でノースリーブに加工された学ランを着るのは水色の翼のセイレーンだ。きりっと凛々しい顔で、どこであろうとよく通る声を出す。あいつが叫ぶと一瞬辺りが静まり返り、続いて熱気に包まれる。

「押ーせ押せ押せ押せ押せ南高!」

 結わえた長髪を風に靡かせながら、彼女は叫び続ける。
 三矢さゆり。我が校の名物、大声だけなら誰にも負けないセイレーン。

「いやー、気合い入ってるよな。三矢さんは」

 俺と同じ三年生の黒田が汗を拭きながら言った。明るく陽気なムードメーカー、一年の頃から一緒にやってきた仲間だ。

「小学校の頃からあんな感じだったのか?」
「……いや、よく覚えてない」

 三矢とは小学校が同じだったが、卒業前に俺の方が引っ越していた。そして高校へ入学して再会、という流れだったが……

「俺はどうもあいつに嫌われてるみたいで」
「そんなことないと思うけどなぁ」

 黒田が応援団の方へ目をやると、三矢は団員たちに喝を入れていた。水色の翼をバサバサと振り、あれこれと訓示している。

「いいかお前ら! 明日フヌケた声を出した奴は粛正だ! いや切腹だ!」
「押忍!」

 よく通る声なので内容がはっきり聞こえる。ちなみに本人は自分の羽毛は水色ではなく、新撰組の羽織と同じ『あさぎ色』だと主張しているらしい。似たようなものじゃないかと思うんだが、あいつも規則には新撰組と同レベルの厳しさだとかで『鬼セイレーン』と呼ばれている。応援団の先頭で声を出している姿を見ると、むしろ鬼でも逃げ出しそうな気迫があった。実際女子レスリング部のウシオニがあいつに道を譲るのを見たことがある。
 そんな女が応援団長というのは運動部として心強いことだ。しかし。

「あいつ、俺を応援するときだけ声がフヌケてるだろ」
「そうか? 他人のはあんまりちゃんと聞いてないからな」
「それに廊下で会うと露骨に顔背けて避けて通るし」
「そこまでかよ! お前一体何やったんだ?」

 何やったんだ、と訊かれれば心当たりはなくもない。小学校から転校する前にあいつと大ゲンカしたのだ。昔のことを今でも根に持つような奴だとは思えないが、女ってのは恨みを忘れない奴が多い。あいつにだってそういう一面はあるだろう。

「まあとにかく、あの声も今年で聞き納めだ」
「そうだなぁ……ところで」

 ふいに、黒田は改まった口調になった。いつになく真剣な表情になっている。

「どうした?」
「俺、明日の試合が終わったら……日下先生に告白するんだ」

 ……しばらく、沈黙が流れた。応援団も練習を終了して解散しはじめたので、このタイミングで一気に静かになった。
 日下先生は独身であり、生徒と教師の恋愛も「人間×魔物娘ならOK」というのが今時の風潮である。いつのころからか分からないが流れでそうなったとしか言いようが無い。恋愛や性的な問題の大半は「魔物なら仕方ない」で片付けられてしまうのが今の世の中である。だから魔物になりたがる人間女子も多いらしいが、それはこの際どうでもいい。
 俺は今、黒田が猛烈に許せなかった。

「お前……それは死亡フラグだぞ!」
「い、いや、野球だし。死ぬようなことをやるわけじゃないし」

 いきなり怒り出した俺に黒田はたじろぐ。

「お前はピッチャーだろ! 死球をかまされたら困るんだよ!」
「その通りだな」

 背後から聞こえた同意の声。振り向かなくても独特の暑苦しいオーラが何者か教えてくれる。黒田はのり付けされたが如く固まっていた。試合中は抜群の反射神経を見せるこいつでも、練習後の気の抜けた今は彼女の接近に気づかなかったらしい。尻尾をメラメラと燃やしながら、日下先生は黒田をじっと見下ろしていた。

「せ、先生……」
「試合前にフヌケた縁起悪いこと言いやがって。生徒指導室までツラ貸せや」
「……ハイ」

 がっくりと肩を落とす黒田の首に尻尾を巻き付け、引きずるようにして我らが顧問は去って行く。サラマンダーの炎は敵意のない相手には無害らしいが、黒田の頭が燃えないということはまあ、そこまで怒ってはいないということだろう。

 だがああやって恋ができるのは、少し黒田が羨ましい。俺の高校生活は野球ばかりだった。それはそれで充実していたと自分では思うが、魔物を彼女にした奴は高校『性』活を送っていると思うと、男としては複雑な気分だ。

「……ん?」

 目の前に何かがぽとりと落ちてきた。白い物だ。手にバットがあれば反射的に打っていたかもしれないが、それはボールではない。クシャクシャに丸められた紙だ。
 誰かがゴミをポイ捨てしたのかと思ったが、他のメンバーは皆更衣室へ向かったようだし、空から落ちてきたように思えた。よく見ると何か字が書いてあり、ノートの切れ端か何からしい。何となく不審だ。丸まりを解いて中を見てみた。


 『春山慎吾、体育館の裏へ来い。一人で。絶対に来い。絶対来てくださいお願いします』



「……なんだこりゃ」

 春山慎吾、俺の名前だ。一体誰がこんな真似を、と思ったが、思い当たる節はあった。
 以前から俺の体操着だのネクタイだのが無くなることがあったのだ。誰かがレギュラーに対するやっかみから嫌がらせをしているのではないかと思い、日下先生も調べてくれてはいた。クラスメイトたちも犯人探しをいろいろ手伝ってくれた。ガスマスクをつけたマンティスに超能力捜査もしてもらったが、何故か結果は教えてくれず、代わりにコントローラーを震動させられただけだった。
 もしかしたらその犯人がいよいよ実力行使をしようとしているのかもしれない。しかし何と言うか、よく分からない文章だ。来てくださいお願いしますって何だよ。

 ケンカには自信あるが、試合前に何だか分からんことに巻き込まれてはたまったものじゃない。それにもしこれが犯人からの呼び出しだったとしたら、どんな卑怯な手でフルボッコにされるかも分からない。ここはボウル並に華麗なスルースキルを発揮するべきだろう。

 が、俺は見つけてしまった。丸められていた紙の折れ目に、濃い水色……あさぎ色の羽毛が挟まっているのを。




















………









……




















 人気の無い体育館の裏。そこで待っていたのは予想通り、あさぎの羽の持ち主だった。だが街灯に照らされる三矢の顔はいつもの引き締まった『鬼セイレーン』ではない。服装こそ応援団の学ラン姿だが、伏し目がちでどことなく弱気に見える。

「何の用だ?」

 俺が尋ねても、三矢はもじもじした態度で目を逸らす。両手の翼も背中に回したままだ。さきほどまで団員を怒鳴りつけていた姿からは想像もできないが、三矢の顔はよく見ると童顔というか、昔とあまり変わっていないように思えた。応援団のメンバーが見ても、こいつがあの三矢と同一人物だとは思わないかもしれない。
 ちらり、と俺を見て、また目を逸らす。後頭部で束ねた髪が小さく揺れている。小学校の頃から強気だったこいつがこんなしおらしい態度を取るなんて、一体何があったのか。見ていると無性に胸が高鳴る。三矢ってこんなに可愛かったのか。

「どうしたんだよ?」
「……ぁぅ」

 再度問いかけても、体を縮めるような仕草をするだけだ。僅かに漏れた声もいつもの声援とはあまりにもかけ離れていた。脚を小刻みにすり合わせながら、唇を噛んでいる。
 これでは埒があかない。だがもしかしたらこれは……

「漏れそうならトイレ行けよ」

「なめんなバカヤロウ!」

 耳がキーンと痛んだ。まるで爆発のような大声が間近で炸裂したのだからたまったものじゃない。思わずよろめきそうになりながら、俺は三矢の顔が『鬼セイレーン』に戻ったのを見た。怒声を放った口を真一文字に結び、キッと俺を見つめている。
 一体何をされるのだろうかと思っていると、三矢は後ろ手に持っていた物を俺に突き出して来た。始祖鳥の翼に爪があったように、セイレーンの翼にも小さな爪があり物を持つことはできる。その爪にぶら下がっていたのはそこらのデパートでくれるような紙袋だった。

 三矢は俺の目をじっと見るばかり。話が進まないので受け取ってみると、あまり重くはないが中身はそれなりの量があるようだ。こいつに限って手作りのお菓子とかいうことはないだろうが、中身を覗いてみる。

「おい、これ……」

 俺は言葉に詰まった。その中身は衣類、具体的には体操着やネクタイ、靴下など。つまり俺が今まで盗まれたものだった。ジャージには名前も入っているし、間違いない。

「お前が見つけてくれたのか?」

 とりあえず考えられそうなことを言ってみたが、三矢は首を横に振った。

「……盗んだ」
「え?」
「だから、あたしが盗んだ」

 ……しばし思考停止。

「えーと、な、何のために?」
「……シンちゃん」

 そう呼ばれた瞬間、心臓が大きく脈打った。小学校時代の俺の呼び名だ。こいつからもあの頃はそう呼ばれていた。
 高校生になってからは一度も口をきかなかったというのに、今になって昔の呼び方ときた。何というか、無性に心に響く。

「シンちゃんさ、転校しちゃう前にあたしとケンカしたこと、覚えてる?」

 忘れようもない。あれが一番印象に残っている小学校時代の思い出だ。
 三矢はセイレーン、船乗りを魔性の歌声で誘惑して捕らえるハーピーの仲間だ。先祖は人間を食って生きていたのだろうが、今ではその美声も好みの男を誘うのに使ったり、本人たちの趣味や仕事で楽しく歌っている。だが三矢の場合、そのセイレーンとして致命的な欠点があった。

 とてつもなく、音痴なのだ。
 例えて言うならUSゴ○ラがアニソンを口ずさんでいるような。

 ある日の音楽の授業後、三矢はそのことを嘆いていた。これじゃ大人になってもお嫁さんになれないとか、セイレーンじゃなくてハーピーに生まれたかったとか。俺は励ましてやろうと思い、こいつの長所を褒めることにした。つまり、「音痴でも声がデカいからいいじゃん」と。
 そうしたら三矢は泣きわめきながら激怒した。デリカシーが無い、シンちゃんなんかどこかへ行っちゃえ、などなどそれはもうデカい声で罵られたのを覚えている。そのときは大声に気圧されて何も言えなかったが、子供心に歌が下手というだけで自分を嫌いになっている三矢が許せなかった。空を飛べるというだけで人間の俺からすれば羨ましいことこの上ない。今でもそうだ。
 結局意地を張って互いに一言も口をきかなくなり、そのほんの少し後に俺は転校してしまった。

「ああ、覚えてるよ。あれは俺が……」
「シンちゃんが転校しちゃった後、運動会で応援団長やったんだ」

 謝ろうとした途端、三矢は言葉を遮ってきた。小学生の頃と変わらない、それでいてどこか恥ずかしそうな喋り方だ。さっきの大声が同じ口から出たとは思えない。

「シンちゃんが正しいのかも、って思って。そしたらあたしの組、優勝してさ」

 両の翼で喉を撫で、次いで三矢は一歩近づいて俺を見上げてきた。束ねた後ろ髪がさらさらと揺れている。普段気の強そうな目は潤んでいた。

「みんなあたしの応援のおかげだって言ってくれた。あたしの声を聞くと、元気が出るからって」

 少し微笑を浮かべる三矢から目が離せなかった。俺はそこまで深い意味を込めて言ったわけではないが、こいつにとっては意味のある言葉に変化していったのかも知れない。三矢の人生に自分が影響を与えたのか、という思いが浮かんだ。凛々しい応援団長の姿があの無神経な言葉から生まれたなんて。

「ずっと、シンちゃんに謝らなきゃって思ってたよ。でも高校でまた会えたのに、顔を見るとなんか、口きけなくて。自分でもよく分からなかったけど、とにかくまともに顔合わせられなかった」

 言いながら、三矢は翼で自分の頬をさする。よく見ると小さな爪で頬をポリポリ掻いていた。炎天下での応援練習で日焼けした肌が、どことなく赤らんでいる。

「ようやく分かった。あたし、シンちゃんのこと好きだ」

 潤んだ目で、それでもしっかりと俺と視線を合わせて。街灯に照らされながら、三矢は告げた。
 何てことだ。完全試合並の衝撃だ。小学校を卒業する辺りから日々野球ばかりで勉強は一応平均、女の子との接点は無し……それが俺だと思っていた。だが実際にはこいつとずっと縁が繋がっていたらしい。別の中学校にいたときも、高校一年、二年の間も、三矢はずっと俺のことを考えてくれていたというのか。

「体操着とかも……シンちゃんのだな、って思うと無性に欲しくなって。応援のときも、シンちゃんの名前を大声で呼ぼうとすると体が熱くなって……」
「……つまり、ベタ惚れ?」

 やっとのことで俺は言葉を出せた。俺のような奴が女の子から告白されたら、しかも学校名物の『鬼セイレーン』にこんな告白をされたらパニクって固まってしまうのも無理はない、はずだ。
 だが俺のアホな反応にこくりと頷いてくれた三矢の思いに応えなくては男が廃る。やるべきことは考えてみれば簡単なことだ。こんな可愛い一面のある幼馴染みの応援団長を前にして、逃げるという選択肢はない。直球勝負だ。

「月並みのことしか言えないけど、まずありがとう。凄く嬉しい」

 ゆっくりと、我ながら本当に月並みの台詞を吐いた。変に凝ったことを言ってハズしてもみっともない。俺のバッティングだってシンプルだからよく当たるんだ。

「明日はお前のためにも頑張る。だから応援頼むぜ!」
「おう! 明日は最初から最後まで気合い入れていくからな! ……けど」

 翼で小さくガッツポーズをとりながら、三矢は上目遣いで俺を見た。

「その前に、さ。今からシンちゃんだけを応援したいんだけど……」
「俺だけを?」
「うん」

 突然、三矢は予想外の行動をとった。学ランのボタンを外し始めたのだ。くっきり浮かんだ鎖骨のラインが、日焼けした顔をとは対照的に白い肌が露わになっていく。

「な、何を……!?」
「試合じゃみんなを応援する。それが応援団の役目だから。でもな」

 前を完全にはだけ、三矢はきりっと俺を見た。その奇麗で凛々しい表情よりも、男の性か体の方に目が奪われる。学ランの下に着ているのは胸に巻いたさらしだけで、『着ている』うちに入るかも分からない。ふくらみは控えめのようだが、それでも柔らかそうな肌の質感は十分な『エロさ』を醸し出している。窪んだおへそも可愛いし、脇の下から腰へかけての緩やかなカーブもにも魅入った。
 これが魔物の体なんだ、と一人で納得したような気分になる。三矢はその格好ではずかしげもなく、両腕を横へ広げた。

「今からするのはシンちゃんのためだけの応援。私の、特別な応援」
13/08/31 23:54更新 / 空き缶号
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