読切小説
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触手姫語
むかしむかし、あるところに。
触手の森の一角を統べる、一株のテンタクル・ブレインがいました。

名前は『クルル』。くりくりした瞳がチャームポイントです。
クルルは植物ですので、性別といった概念はありません。
年齢は、人間のそれに当てはめれば、思春期の年頃でしょうか。
若いながら、我侭な触手達を束ねる、いっぱしのリーダーでもあります。

さて、そんなクルルの日々は、どのようなものなのでしょう。

クルルの一日は、森を訊ねるカップルを出迎えることから始まります。
まだ日も覗かぬ刻、人目を忍んで、触手の森へと足を踏み入れる若き夫婦。
彼らの目的は、森の奥にあると云われている、『子宝宝樹』…幻の大樹です。
噂によると、その樹を前にした男女は、子供を授かることができるとか。
子を生すことが難しい魔物にとって、それは奇跡とも呼べる存在のひとつでした。

しかし、とかく奇跡というものには、試練が付きものです。
この森において、その試練となるは、言うまでもなく触手達です。
彼らはカップルを見つけると、我先にと襲い掛かり、その身を舐ります。
淫液を飲ませ、粘液を塗りつけ、縛り、くすぐり、骨の髄まで犯し尽くす…。
疲れを知らない触手達は、カップルが気を失うまで、身体中を這い回ることでしょう。

そう、触手達は、いくら動いてもまったく疲れないのです。
というのも、彼らの養分となるのは、人間や魔物が持つ多大なる魔力。
犯す過程でそれらを吸収するので、むしろ、元気になる一方なのです。

そのようなワケですから、これでは一度捕まってしまえば、一巻の終わりです。
試練というにはあまりにも酷で、誰一人として最奥までは辿り着けないでしょう。

そこで必要となってくる存在が、テンタクル・ブレイン…クルルなのです。
触手達を制御し、カップルが奥へ通すに値する恋仲かを見極めるのが、ブレインの役目。
犯されながらも、自身を保ち、恋人を想い、子宝を願うものにだけ、道を開く…。
それはクルルが子宝宝樹より賜った、唯一にして、とても大事な使命でした。

当のクルルはというと、この任を誇りに思い、また、心から楽しんでいました。
その一端として、この役を通じ、数多くの人間や魔物のカップルと友達になれたからです。
恋人達は、子宝宝樹を目指す以外でも、森を訪ね、クルルに会いに来ることもありました。
そして、世間話をしたり、惚気たり、時に触手プレイをお願いしては、クルルを喜ばせました。

恋人達の関係を、より深いものにするお手伝いができる…。
その喜びは、いつしかクルルの誇りにもなっていました。

しかし、一方で、マイペースな触手達を統率するのは、非常に大変なことでした。
例えば、先端が男性器型となっている触手は、そのほとんどが女性を犯すことを好むのですが、
中には個性的なコもいて、男性のお尻を犯したがる触手も、少なからずいるのです。
クルルが指示を出すと、彼らも一度、二度ならば、自身の欲求を抑えてくれます。
が、三度目はありません。鬱憤を晴らすべく、男性のお尻を徹底して犯し尽くすことでしょう。

他にも、母乳が出る女性の胸にしか吸い付かないというポリシーを持つ吸引型のコ、
夫婦を犯すよりも、付き添いの子供と遊ぶ方が好きというツブイボ型のコ、
引っ込み思案で、自分からはカップルに触れることができない繊毛型のコ、等々…。
触手達は、素直に言うことを聞いてくれるコの方が少ない、問題児の集まりでもあるのです。
そのような我侭集団を受け持っているものですから、クルルの苦労も絶えることがありません。

日々奮闘し、勝手気侭な触手達を指揮するクルル。
そんなクルルにも、特別な友達…親友と呼べる存在がいました。

それはクルルの名付け親でもある、フェアリーの『エリー』です。
エリーとの仲は、二年ほど前、クルルが管理するフェアリー・ハグに、
偶然近くを通り掛かった彼女が捕まったところから始まりました。
彼女はちょっぴり悪戯者で、しかし、花のように優しい女の子でした。
また、誰とでもすぐに友達になれる、持ち前の明るさがありました。
ふたりは出会い、瞬きの内に仲良くなり、お互い無二の親友となったのです。

エリーは毎日のようにクルルの下を訪ねては、楽しいひとときを過ごしました。
楽しいひととき…というのは、もちろん、大半がエッチなことです。
彼女は、一種の自慰中毒…触手中毒とでもいいましょうか、
全身を触手に包まれ、一片の隙間無く弄られることに快感を覚えるのです。
毎日一時間、エリーはフェアリー・ハグの中で自慰に浸るのがお決まりでした。
そして、たっぷり行為を愉しんだ後、彼女はピロートーク代わりに、
以前に本で読んだ童話をクルルに聞かせるが、これまた日課となっていました。

彼女が話す、森の外の世界のお話。『人魚姫』、『眠れる森の美女』、『シンデレラ』…。
それはクルルにとって、どれも心をときめかせる、夢のような物語でした。
特にその中でも、『美女と野獣』や『白雪姫』といったお話が、クルルのお気に入りでした。
クルルは何度もエリーにせがんでは、彼女の語るラブロマンスに、夢を馳せました。
そしていつしか、自分もそんな風になれたら…と、満天の星空を見上げて思うのでした。

こうして、夜もとっぷりと更け、エリーを見送った後。
クルルの一日は、最後に子宝宝樹へ日勤報告をすることで、終わりとなります。

月を頭上に望み、フクロウの子守歌を聞きながら。
クルルは根っこを足代わりにして、えっちらおっちら、森の奥へと向かいます。
その途中、人の腕ほどの太さはあるかという触手や、先端から媚毒針が飛び出した触手、
人間の形そっくりに擬態した触手達の横を、クルルは身を小さく屈めながら通り抜けます。

彼らはこの森の中でも一際暴れん坊な触手達であり、クルルにとって畏怖する存在でした。
クルルの指揮外にいる彼らは、彼らの犯したいがまま、カップルに襲い掛かります。
過去にクルルが奥へと導いたカップルも、ことごとく彼らの餌食となり、追い返されてきました。
触手の森の、最後の難関にして反り立つ壁。それがここ、触手地獄…『テンタヘル』です。

テンタヘルの住人は、森に根を張る触手達の中でも、長寿なものの集まりです。
触手とは、年月を経て、より魔力を取り込むことで、強い個体へと進化していきます。
そして、ある程度の魔力が溜まると、それを種へと宿し、森の外側に植え付けます。
この繰り返しで、触手の森は自身の陣地を広め、その勢力を増していきます。
つまり、触手の森は内側に向かうほど、より強力な触手達が待ち受けているのです。

この法則は、森の中央に位置する、子宝宝樹にも当てはまります。
子宝宝樹とは、テンタヘルの触手達さえをも超える力を持つ、触手の王…。
いえ、正確に言えば、王達が集い、ひとつの樹となったもの。それが子宝宝樹です。

これらの繋がりを踏まえて考えますと、
クルルにとって子宝宝樹は、御先祖様と呼べる存在といえます。
しかし、触手の森の住人達は、皆、子宝宝樹を母親と認識していました。
なぜそう思うのかは、当の触手達も分かっていません。クルルも例外なく、です。
遺伝子に刻まれた何かか、はたまた、全ての触手は子宝宝樹から産まれているのか…。

さておき、ようやく目的地に着いたクルルは、子宝宝樹に今日一日あったことを話しました。
六二組のカップルと、二九人の独り身の魔物が訪ねたこと。そのうち三組を通したこと。
うまく指示を伝えられず、失敗してしまったこと。あるカップルからお礼を言われ、嬉しかったこと。
楽しかったこと。不思議に思ったこと。親友のエリーのこと。それから、それから・・・。

まるで学校から帰ってきた子供が、その日のことを親に聞かせるかのように。
クルルはまんまるな瞳を、表情豊かに動かして、子宝宝樹に話し伝えました。
対し、子宝宝樹は、その身を静かに脈動させながら、我が子を見つめました。
そして、クルルが全てを話し終えたところで、王はゆっくりと口を開きました。

―お疲れ様でした。今日はもう、お休みなさい。

それは毎日、一言一句として変わらない言葉。
ですが、クルルにとっては、心から安らぎを感じる一言でした。
子宝宝樹はクルルと違い、目がありません。鼻も、耳も、口もありません。
しかし、その穏やか口調、優しい瞳を、クルルは確かに感じていました。
まるで母の腕の中にいるかのように、温かく自身を包み込んでくれているのを…。

クルルは今一度、にっこりと笑顔を浮かべると、母に、おやすみなさい…と告げました。
踵を返し、来た道を戻るクルルの表情は、疲れを感じさせぬ、とても明るいものでした。
苦労も多く、まだまだ失敗ばかりの毎日ですが、それでもクルルは、とても幸せなのです。
仲間に囲まれ、親友と分かち合い、母親に愛されて。これ以上ないというくらいに。

そう、これ以上の幸せはないと、クルルは思っていました。
彼という人間が、クルルの前に現れるまでは…。

……………

………



それは、とある雨の日のこと。
今日もクルルは、カップルの来訪を心待ちに、大きな瞳を輝かせていました。

ですが、クルルの期待とは裏腹に、恋人達は一向に現れませんでした。
雨の日は人足が少なくなるのは、ここ触手の森も例外ではありません。
とはいえ、それでも五、六組ほど、熱心なカップルが訪ねてくるものです。
だというのに、今日はお昼を過ぎても、今だ客足がゼロのまま。
これはいったいどうしたことでしょう。クルルは徐々に不安になっていきました。
もしかして、自分の行ってきた試練…もといサービスが、実は不評だったのではないか、と…。

そんな心配に囚われているクルルの下に、小さな影が飛び込んできました。
見ると、それは親友のエリーでした。ヘロヘロになり、クルルの頭へと降り立つ彼女。
どうしたのかと尋ねると、小さな友人はある一方向を指差し、肩で息を吐きながら言いました。

人間の男のコが倒れている、と。

親友の言葉に、クルルは目が飛び出るほど驚きました。
人間、それも男性が一人で触手の森に来ることなど、滅多にないからです。
来るとすれば、迷子か、はたまた行き場のないワケあり以外考えられません。
おまけに倒れているとなれば、事態は一刻を争います。

クルルは急いで根を地面から出し、全速力で走りました。
その速度は亀並ですが、それでも精一杯、根っこを前に動かしました。
親友の疲れ具合を見るに、現場はここからだいぶ離れたところと思われます。
恐らく、森の入り口辺りでしょうか。このままですと、行き着くのに二時間は掛かります。
男のコの無事を祈りながら、クルルは雨の中を、ただただ必死に走るのでした。

…それから数刻後。
知らせを受けてから、どれほどの時間が経ったのでしょう。
クルルは、まだ走り続けていました。根はボロボロになり、歩みは亀よりも遅く。
ここまで少しも休まず、それも、常に全力で走ってきたことが窺えます。
僅かでも気を抜けば、後はもう、倒れるばかりの身体。満身創痍です。

ですが、それでもなお、クルルは前へと進んでいました。
諦めません。クルルはぬかるみの道を、前へ、前へと這っていきます。

なぜこんなにも、見ず知らずの人間のために、クルルは頑張れるのでしょう。
答えはシンプルです。クルルは、誰よりも人間のことが大好きだからです。
クルルが出会った人間は、誰もが優しく、その幸せの欠片を分けてくれました。
その隣に立つ恋人を…魔物娘を、羨ましく思うことが何度もありました。

その人間のひとりが、今、危機に陥っているのです。
考えるよりも先に、身体がクルルの足を動かしました。
前へ、前へ、前へ。彼女は一途に、果ての見えぬ道を走り続けました。

と、不意に。傍らにいたエリーが、あっ、と声を上げました。
クルルが顔を上げると、進む先から、こちらへと向かってくる何かが見えます。

よくよく目を凝らすと、それは触手達の群れでした。
彼らは束になって協力し合い、あるものを運んできたのです。

そう、人間です。人間の男のコ。
泥まみれの、意識を失った男のコを。

驚くクルルを前に、触手達はゆっくりと子供を下ろしました。
急いで状態を調べてみると、服こそボロボロでしたが、外傷は見当たりません。
呼吸も正常で、熱もないようです。恐らく、空腹か何かで倒れたのでしょう。

クルルはひとまず胸を撫で下ろし、協力してくれた触手達にお礼を述べました。
そして、すぐさま少年の雨除けになるよう指示を出し、自身はエリーと食料探しに向かいました。
いつもは自分勝手な触手達も、この時ばかりは、指示に逆らおうとするものはいませんでした。
それどころか、彼らは率先して少年に自身を押し当て、わずかでもその身を温めようとしました。

この触手達の働きは、クルルの熱意に押されたから…だけではありません。
彼らもまた、クルルと同じように、人間を心から愛していたからです。

こうして、迷子の少年はクルル達の介抱を受け、一命を取り留めました。

翌朝、目を覚ました少年…『ソラ』は、クルル達を見て、ひどく狼狽えました。
しかし、子供ゆえの純真さから、すぐに仲良くなり、新たな友達として迎えられました。

聞くと、ソラは戦争に駆り出された少年兵とのことで。
敵の捕虜となったところを、隙を見て逃げ出してきたのだと、彼は言いました。
しかし、故郷は既に焼かれ、行く当てもなくなり、雨の中を彷徨い続けて…。
空腹の末、倒れたところが、ちょうどこの触手の森の入り口だった…というのです。

さて、ひとつの命を救い、安堵の表情を浮かべるクルルでしたが。
それも束の間、また別の問題が出てきました。ソラをどうするか、です。
行く当てがないのであれば、このまま放り出すワケにもいきません。
となると、カップルの誰かに、彼を近くの街まで連れていってもらうのが最善策ですが、
当の本人は、いたくこの場所が気に入ったらしく、ここに住むことを望んでいるようでした。

親友は親友で、喜び賛成していますが、クルルはそれを難しいと考えていました。
触手の森は人気スポットとはいえ、一方で、魔物すら住もうとしない魔境です。
それが人間…しかも年端のいかない子供が住むなど、無謀もいいところです。
クルルの目が届く範囲ならともかく、少しでも森の奥に立ち入れば、
彼はたちまち穴という穴を犯され、悲惨な初体験を迎えることになるでしょう。

悩みに悩んだ末、クルルは子宝宝樹に相談することにしました。
子の悩みを聞き、しばし沈黙に浸る母。不安そうに見上げるクルル。

枝葉の触手達が、親子を見守る中。
ふと、母親は子を見据え、問い掛けました。

あなたはどちらを望んでいるのですか、と。

クルルは、少年の安全が保障されるならば、このまま居てほしいと考えていました。
新しい友達、それも四六時中一緒に居てくれる、初めての人間となるかもしれない。
それはまるで、クルルが夢にまで見た、物語の主人公とヒロインのような…。

正直に想いを告げる我が子を、母親は、目を細めて見つめました。
そして、おずおずと見上げるクルルに、子宝宝樹は一本の触手を伸ばしました。
先端から、きらきらと輝く七色の粘液が垂れる、見たこともない種の触手です。
それをクルルの頭上へ移し、溢れる粘液を、身体いっぱいに浴びせ掛けました。

子宝宝樹が何をしているのか、クルルにはさっぱり分かりませんでした。
粘液を浴びた身体は、むず痒さこそ感じますが、何が起こるワケでもありません。

首を傾げる子へ、母親は静かに告げました。
あなたが望みたいようになさい、と。少年の居住を認めてくれたのです。
その言葉に、クルルは触手を上げて喜び、すぐに少年へ伝えようと駆けていきました。
遠く、小さくなる背中を、母親は微笑みながら、影が見えなくなるまで見送りました。

その目は、どこか物悲しそうでもありました…。

……………

………



さて、それからというもの、クルルの日々はというと。

結果から述べれば、以前と比べて、楽しさも、苦労も、共に倍々となりました。
朝、目が覚めれば、隣にはソラがいます。夜、目を瞑る前にも、隣にはソラがいます。
話し掛ければ、応えてくれます。こちらが笑うと、あちらも笑い返してくれます。
常に傍にいてくれるソラの存在に、クルルは今までにない幸せを感じていました。

その幸せが、恋という感情であると気付くのに、さほど時間は掛かりませんでした。
クルルは少年との出会いを、物語と同じ、運命的なものであると感じていました。
白馬に乗った王子様とはいきませんでしたが、ソラの方が、ずっと素敵に見えました。
あどけない笑顔。裏表のない性格。可愛いえくぼ。どれも、どれもが魅力的です。
ソラとの出会いによって、クルルはすっかり恋する乙女と変わったのでした。

一方で、ソラの無邪気さが、クルルを困らせる場面も多々ありました。
最初こそ、彼は触手達に対しておっかなびっくりでしたが、慣れるにつれ、
自分から触手達に近付き、最近では一緒になって遊ぶことも多くなりました。
が、触手達は本能に素直ですので、すぐにソラの身体やアソコを弄ろうとします。
その度に、クルルが慌ててそれを制するのですが、当の本人があまり気にしておらず、
むしろ、それも遊びの一環と思っているようで、尚更クルルの頭を悩ませるのでした。
おまけに、一部の触手達は、カップルを犯すよりもソラと遊ぶ方が楽しいのか、
以前にも増して、クルルの指示をそっちのけにするようになってしまいました。

人間と触手。異種が共存する難しさ。
クルルは、エリーが話してくれた童話を思い出しながら、溜め息を吐きました。
物語のように、トントン拍子とはいかないのが、現実の難しいところです。
いえ、仲が良いことは良いので、関係は良好と言えるのかもしれませんが…。

また、クルルはソラと遊ぶ触手達に、少なからずジェラシーを感じていました。
ソラは私の友達なのに。もっと私と遊んでほしいのに。こっちを見てほしいのに。
一日のうち、そのほとんどをソラと一緒に過ごしているクルルでしたが、
その僅かな時間…他の触手と仲良く遊ぶ時間さえ、気になってしまうのでした。

それはあまりにも我侭で、独占的な考えでした。
まるで、森の奥に根を張る、凶暴な触手達のように。
クルルも、そんな自分をたしなめ、何度も言い聞かせました。
ソラは皆の友達なんだ、と。他のコも、もっとソラと遊びたいと思っている、と。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も…。

そしていつしか、気持ちを押さえつけているうちに。
クルルはカップル達を見て、あることを思うようになりました。

私にも、この人達のような身体があればいいのに。

手があれば、ソラを抱き締めることができます。
それなら、彼ともっと近い距離で触れ合えるでしょう。
足があれば、ソラを追い掛けることができます。
それなら、彼がどこへ行こうと、ずっと隣にいられるでしょう。
口があれば、ソラとおしゃべりすることができます。
それなら、エリーを介さなくとも、自分の言葉を伝えられます。
胸があれば、ソラに異性を感じさせることができます。
それなら、彼はもしかすれば、私のことを…。

しかし、クルルには、目しかありません。
彼をじっと、じっと見つめる目しかありません。
目だけじゃ伝わらない…伝えきれない想いがあります。

想いは膨らみ、それは次第に重石となって、クルルにのしかかりました。
幸せなはずの時間が、徐々に辛くなり、母の労いの言葉を受けても、疲れは抜けず。
気付けばクルルは、枯れた花のように萎びれ、すっかり元気がなくなっていました。

そんなクルルの変化に、いのいちに気付いたのは、親友のエリーでした。
エリーは、小さくしぼんだ親友の頭を撫で、何を悩んでいるのか問いました。
友の言葉に、クルルは卑しい己の胸の内を晒すべきか、最初は戸惑いました。
しかし、幾度となく頭を撫でる小さな手に、荒んだ心は解れていき、
いつしか、ぽつり、ぽつりと…彼女の潤んだ瞳から、本音がこぼれ落ちていきました。

クルルの告白に、エリーは相槌を打ち、星降る空を見上げました。
そして、ふと、クルルの目を見て、にっこりと笑って言いました。

全然、卑しくなんかない。

エリーは、クルルの触手の一本を強く握り、言葉を続けました。
卑しくなんかない。そう思うのは、本当にソラのことが好きだから。
ほんの少しでもソラと離れるのが、不安で、怖くて、寂しいから。
確かに、ソラは皆の友達で、クルルひとりだけのものじゃない。
私だって、もっとソラとも遊んだり、おしゃべりしたいと思ってる。

でもね、愛しているのなら。
愛しているのなら、我侭でも良いと思うの。

手を握りたいって思ったら、そうすればいい。
キスしたいって思ったら、しちゃえばいい。
時には、我慢もしなきゃいけないときもあるけれど。
我慢ばっかりしていたら、何も伝えられずに終わっちゃう。

だから、クルル。周りは気にしなくていいの。
ひとりじめしちゃっていいんだよ、ソラのこと。

それが、愛するってことなんだから。

エリーの言葉に、クルルは、自分の中の何かが放たれるのを感じました。
我侭でいい。ひとりじめしてもいい。それが、誰かを愛するということ。
ここまでずっと我慢を続けてきたクルルにとって、それは救いの言葉となりました。

しかし、それでもまだ。
クルルには、もう一歩を踏み出す勇気がありませんでした。
心の壁。そして、種族の壁。それらがクルルの前に立ちはだかっているのです。
ひとつめの壁は、今、親友の手によって払われました。ですが、ふたつめは…。

再び頭を垂れる親友を見て、エリーは再び、視線を夜空へと移しました。
そして、しばらく黙したかと思うと…不意に、彼女はぽつりと呟きました。

私ね、昔は人間だったんだ。

思いもよらぬ一言に、クルルは全身が飛び上がりました。
目の前の小さな友人が、元々は人間だと。まさか、まさかの告白です。

曰く、彼女は五年ほど前まで人間だったのですが。
小さい頃から、童話で読んだ妖精に憧れていた彼女は、
世界中を旅し、幻の『妖精の楽園』を探していたのだそうです。
しかし、夢半ばにして、崖崩れに巻き込まれ、死を覚悟した…。
その時、真っ白になる視界に、手を繋ぎ円になる妖精達が現れて、
自分をどこかの花園へと連れていき…ふと目が覚めると、今の姿になっていたそうです。

何とも信じがたい話ですが、しかし、クルルは彼女の話に心奪われました。
それはまるで…そう、彼女がいつも話してくれる、童話そのもの。

奇跡って、あるんだよ。
エリーは笑って、クルルに言いました。
クルルだって、奇跡のひとつを知っているじゃない。

子宝宝樹。お母さん。
クルルの母親は、魔物達にとって紛れもなく奇跡の存在です。
そして、その子供であるクルルは、その本質をよく理解しています。
奇跡というものは、起きるのを待つのではなく、起こそうと努力するものであることを。
数々の試練を乗り越えた、勇気ある者にだけ、奇跡という結果が待っていることを。

涙を拭い、クルルは思いました。
私が今、為すべきことは何か。
私がまだ、乗り越えていない試練は何か。

瞳に光を取り戻し、意を決した親友を見て。
エリーは、その背をポンと叩いて、別れの言葉を残し、その場を去りました。

大丈夫。大丈夫だよ、クルル。
白雪姫も、シンデレラも、最後はハッピーエンドだった。

なら、クルルだって…。

……………

………



深夜、ふかふかの草の絨毯から、空を見つめる少年と触手。

今日あったことを、揚々に語るソラと、静かにそれを聞くクルル。
クルルの言葉は、ソラには通じません。返答のない、一方通行です。
それでも、クルルは表情で…目だけで、彼の言葉に応えました。
ソラも、その反応に一喜一憂し、瞼が重くなるまで話し続けました。
いつもと変わらない夜。その終わりの時が、刻一刻と迫っていました。

数刻後、いつしか会話が止み、ソラがうとうととし始めた頃。
そんな彼を見て、クルルは地面から根を出し、少年の傍らへと近付きました。
ソラはそれに気付き、手でクルルを顔の近くへと引き寄せると、おやすみ、と告げました。

しかし、クルルは首を横に振りました。
そして、その大きな瞳を、じっ…とソラへと向けました。

いつもと異なる様子の友達を、ソラは不思議そうに見つめました。
こちらに向けられた、まんまるつぶらな瞳。何かを訴えているかのような。
少年は考えました。クルルは、自分に何を伝えようとしているのだろう。
おやすみ、と言っているようには思えません。怒っているようにも見えません。
何か、もっと…もっと大切なことを、僕に伝えようとしているような…。

見つめ合うふたり。次第に、ふたりは胸がドキドキしてきました。
クルルはともかく、少年は、なぜ自分が胸を高鳴らせているのか、さっぱり分かりませんでした。
しかし、それは奇妙ではあるものの、嫌な感じではない…むしろ、心地良ささえ感じる鼓動。
不思議な感覚でした。クルルの目を見ると、どんどん吸い込まれていくような錯覚さえ覚えます。

いえ、実際に、ソラはクルルに引き寄せられていました。
少しずつ、少しずつではありますが、ソラの顔がクルルに近付いていったのです。
クルルがそれに気付いた頃には、既に彼の吐息が届く距離。目と鼻の先でした。
思わぬ展開に慌てふためきましたが、小さなヒロインは意を決して、目を閉じ、
震える身体を抑えながら、その触手の先端を想い人へと向けると…。

そっと…唇を重ねました。

瞬間、クルルの身体が、眩しく七色に輝き始めました。
虹は辺りを照らし、その光は森全体を包み込みました。

愛し合うことを知り、呪いが解けた野獣のように。
王子様とのキスにより、生を取り戻したお姫様のように。
彼女の身にも、ひとつの奇跡が舞い降りたのです。

ソラが、光に眩んだ目を、ゆっくりと開くと…。
目の前にいたのは、手乗りサイズの可愛らしい触手ではなく。
自分の背丈と同じくらいの、同じように可愛らしい、少女の姿がありました。

驚き、唇を離す彼に、クルルも目を開きました。
そして、自身の変わりように、大きな瞳を丸くしました。

ちょっと不恰好だけれど、手がある。
何本も生えているけれど、足がある。
口がある。鼻がある。小ぶりな胸もある。

それは彼女が夢見た奇跡。人間の…いえ、魔物の身体でした。
彼女はそのひとつひとつを、目で見て確かめ、実感すると、
その両の目から、大粒の涙が、とめどなく溢れ出てきました。

いったい、何が起こったというのでしょう。
ワケが分からず狼狽える恋人に、クルルはもう一度、口付けを交わしました。
二度、三度…何度も、今まで我慢した分を、全てそこで出し切るかの勢いで。
言葉も。好きだと、愛していると。口からは、胸の内に溜まった想いが放たれ。
腕を、足を絡め、無数の指で温もりを感じて。幸せを感じて。彼を感じて。

止まりません。走り出した想いは、加速する一方です。
クルルは、もっと彼を感じたいと想い、より深く唇を重ねました。
ねっとりと絡み合う舌。ソラの舌。初めて感じた味は、彼の舌の味。
彼女はその味を一生のものにしようと、丹念にソラの口内を弄りました。
歯の一本一本、歯茎、舌の裏と、余すところなく味わい、唾液を啜ります。
それにより、チュゥチュゥと響くいやらしい水音が、耳の奥を…脳を犯してきます。

あぁ、私、今、ソラとエッチなことをしている…。

胸中に湧く、興奮、劣情、背徳感、そして罪悪感。
彼女は知っていました。恋にはもっと、過程があるということを。
手を繋いで、一緒に食事をして、綺麗な景色を見て、愛を語り合って…。
エッチというのは、そういった手順を踏んでから、初めて行うものです。

しかし、彼女の身体が、それを許してはくれませんでした。
魔物の身体。愛とは肉欲。愛し合うとは、肌と肌を重ねること。
白雪姫も、シンデレラも、美女と野獣も、眠れる森の美女も。
めでたしめでたしの後では、王子と姫が、その身を求め合ったことでしょう。
それが魔物の考え方。魔物の悦び。魔物の幸せ。魔物の愛し方。

蠢く欲望。性を知らぬ少年を組み伏せ、魔物はその身を貪りました。
服を脱がし、無数の指で、彼の肌という肌を舐め回し、粘液を塗りたくりました。
少年の肌はすぐに火照り、桜色となって。口からは、甘く切ない声が漏れ始めます。
ペニスからはとめどなくカウパーが溢れ、ツンと濃い雄の匂いを放っています。

クルルは、淫らに歪む恋人の表情を見つめながら。
その触手の一本一本を、彼の指、肢体、ペニスに、余すところなく巻き付けました。
右手の人差し指に巻き付いた触手は、彼の指を根元まで呑み込み、内側の繊毛で刺激し。
左太腿に巻き付いた触手は、デコボコと不規則に波打ち、強弱を付けて撫で回して。
触手のひとつひとつがもたらす、それぞれまったく異なる快感に、
ソラはたちまちパニックを起こし、激しくその身を捩りました。

当然ながら、子供であるソラが、これほど強烈な刺激に耐えられるはずがありません。
彼は一分と保たないまま、触手の海の中で身を跳ねさせ、初めての精を放ちました。
ビュッ、ビュッと勢い良く放たれる子種が、宙に舞い、綺麗なアーチを描きます。

しかし、それすら逃すまいと。
すぐに一本の触手が、痙攣する彼の亀頭を、すっぽりと覆い尽くし。
まるで嚥下するかのように脈打ち、彼の精液を吸い出し始めたのです。

これを受け、ソラの身体は、更に弓なりに反り返りました。
彼のペニスを飲み込んだそれは、ただ放たれる子種を吸うばかりではなく、
内側で、細かな触手の群れを用い、無防備な雁首や裏筋を虐め抜きました。
射精中で敏感となっているペニスへ、駄目押しとばかりに刺激を与えるクルル。
少年は為す術もなく、あっけなくも、立て続けに二度目の射精を迎えるのでした。

どくん、どくん…。快感は無限なれど、精子は有限であり。
魔物は、雄の長い射精が治まったのを確認すると、ゆっくりと触手を引き抜きました。

幾重もの粘糸を纏い、べちょりと、蜜壺から吐き出されるペニス。
恋人の精を飲み込んだ触手を、胸の前へと掲げ、クルルはうっとりとしました。
一度目の射精を受け止めた時点で、彼女の中にあった罪悪感は吹き飛び。
二度目の射精を飲み込んだ時点で、彼女の中にあった興奮は最高潮に達しました。

ソラ。あぁ、ソラ。好き。大好き。

繰り返される愛の言葉。口から洩れ、頭の中に響き、胸の奥で次々と生まれ。
ですが、足りません。手があっても、口があっても、魔物の身体があっても。
やっと手に入れた奇跡の身体を持ってしても、まだ全てを伝えきれません。
どうすればいいのでしょう。どうすれば、この想いを伝えられるのでしょうか。

そのとき、クルルの脳裏に、誰かも分からない声が響き渡りました。

―子宝。

そうだ、そう。子供。彼の子供を授かれば。
それは私達だけの愛の形。愛の証明。愛の結晶。
伝えられる。満たされる。私の、この想いが…。

天啓を受けるが早いか、魔物の本能が早いか。
彼女はソラに馬乗りになると、ペニスの先端を、自らの秘部に押し当てました。
ダラダラとはしたなく滴る愛液が、糸引き、ソラのモノを伝って流れ落ちていきます。
熱く熟れた互いのそこは、触れているだけで、目に火花が散るほどの快感です。

クルルは、逸る胸の内を抑えながら。
くりくりとした瞳を潤ませて、恋人に向け、尋ねました。

………いい、よね…?

震えた声。隠しきれない、不安の色。
罪悪感は既になく。興奮で身は燃えていようとも。
彼女はやはり、恋に臆病で。彼女はどうしても、我侭になりきれなくて。
どうしても、彼の口から…恋人の口から、答えを聞くまで、安心できなかったのです。

だから、今。今ここで、彼に聞いておかないと。
彼の想いを踏みにじってしまうかもしれない。それだけは、嫌だから。
例え…例えその結果、この恋が実らずに終わってしまおうとも…。

それを受けて。
余韻に痺れながらも、うっすらと目を開き、クルルを見つめるソラ。
一秒が、一分にも、一時間にも感じる間。口が渇く。息が苦しい。
一日千秋の思いの中、不意に、ゆっくりと開かれた彼の口から放たれた、その言葉は。

…クルル。

私の名前。貴方がいつも呼んでくれる、私の名前。
もっと、これからもずっと、呼んでほしい。明日も、明後日も。
別れたくない。離れ離れになりたくない。一緒にいたい。
ソラ、お願い。ソラ。お願い、お願い、お願い…っ!

………僕も、クルルと一緒にいたい…。

瞬間、少年は恋人の腰を掴むと。
不安に怯える彼女に、ひとつの答えを返しました。

心の準備が整う前に、膣奥へと打たれた熱い男根。
その衝撃に、クルルは嬌声を上げ、目を白黒させました。
そして、すぐさま背筋を駆け上がってくる、ぞわぞわとした快感の波。
絶頂。彼女は処女を彼に捧げると共に、生まれて初めての絶頂を体験しました。

同時に、少年もまた、三度目の射精を迎えました。
先の触手とは比べ物にならない締め付けに、彼もまた、意識が飛びそうになります。
どくり、どくりとクルルの中に注がれる、濃ゆく焼けつくような子種。とめどなく。
その一滴一滴が子宮を打つ度に、雌ははち切れんばかりの幸福に身を震わせるのでした。

瞳がとろんと蕩け落ちながら、クルルは思いました。
今、ソラは、私と一緒にいたいと答えた。私の心の声に応えてくれた。
通じたんだ。私の想いが。声に出さなくとも。通じた。通じたんだ…!

魔物としての悦び。女性としての喜び。
そのふたつを噛み締め、クルルはまた、涙をこぼしました。
泣いて、泣いて、たくさん泣いて…そして、笑顔になって。
心配そうにこちらを見る恋人の頬に、優しくキスをするのでした。

それからふたりは、日が昇るまで、互いを求め合いました。
クルルは、恋人の肌という肌、穴という穴に触手を這わせ、
ソラは、恋人の無数の手足、その一本一本を、丁寧に愛撫しました。
恋人の身体を…心を、隅々まで知りたいと。そう示すかのように。

終わらない初夜。お互いが満足するまで。
絡まり合った触手の、最後の一本が解けるまで。

王子様とお姫様は、いつまでも躍り続けるのでした…。

……………

………



翌日、ふたりは森の奥…子宝宝樹の前にいました。

普通ならば、ここは人間が辿り着ける領域ではありません。
先に述べたように、テンタヘルの住人達が門番として控えているからです。
それはこの森の住人となったソラも例外ではなく、以前にも何度か、
彼が奥へと立ち入ろうとしたのを、触手達は威圧し追い返していました。

しかし、今回ばかりは。
触手の群れに担がれ、王の間へと立ち入ろうとするふたりを、
なんと、彼らは自ら道を開け、何の邪魔もせず通してくれたのです。
これにはクルルも驚きました。そして、すぐにその理由が分かりました。
彼らは認めてくれたのです。クルルとソラが、奥へ通すに値する夫婦であると。
それを見て、ふたりを運んでいた触手達も湧き上がり、お神輿の如く彼女達を運びました。
揺れる触手達の上で、自分達を祝ってくれる兄弟達に、クルルは目頭が熱くなるのを感じました。

さて、母を前にし、決意を秘めた表情を見せるクルル。
その一人前の顔付きに、子宝宝樹は目を細め、我が子に語り掛けました。

―行くのですね?

母の問いに、力強く頷く娘。
そう、彼女は想い人と共に、森を出ることを決めたのです。
理由はたったひとつ。ソラの両親を探すため、です。
彼の故郷は、戦火によって焼かれてしまいましたが、
それが彼の両親の死を意味するワケではありません。
別の街へ逃れたか、彼と同じ様に、捕虜となって捕らわれている可能性もあります。

当然、可能性は限りなく低いでしょう。
しかし、その可能性に賭けたいと、ふたりは考えていました。
奇跡は起こる…いえ、起こせると。そう、強く信じて。

そんな我が子の決意を前に、母は、彼女を止めようとはしませんでした。
あの日、ソラの処遇をどうするか、クルルの答えを聞いた時から、
今日という日が来るであろうことを予感していたからです。

もちろん、未練がないと言えば嘘になります。
我が子を森の外へと出すのは、大きな不安と寂しさがあります。
できれば、このまま森に残り、ブレインとしての役を続けてほしい…。

ですが、それは親の我侭であることを、母は理解していました。
可愛い子には旅をさせよ。彼女はもう、一人前の大人なのです。
ならば、止めるべきではありません。それがクルルのためならば。
手を振り、我が子の門出を祝うのが、親の務めというものです。

―クルル。愛しい私の子。

母は我が子の名前を呼び、一本の触手を差し出そうとしました。
その触手こそ、多くの魔物達が求めて止まない奇跡…子宝の源。
それは、せめてもの餞別に…という、子宝宝樹の親心でした。

しかし、クルルは顔を上げて言いました。
その手を、愛しい人と繋ぎ合わせながら。

いつか、子供の顔を見せに帰ってくるね、お母さん。

その一言を聞いて、母は出し掛けた触手を止めました。
我が子の言葉に秘められた思い。子供の顔を見せに帰ってくる。

これから先、クルルとソラは、二人三脚の人生です。
夫婦生活は困難の連続で、悩んだり、辛く思うこともあるでしょう。
ですが、それら全てを、ふたりで乗り越えていくのが夫婦というもの。
その中にはもちろん、子作りも含まれます。何度も、何度も肌を重ねて。
それらの苦労が報われた時、彼女はまた、この森へと帰ってくる…。

それは、愛娘の確固たる意思表明でした。
なら、ここで無償の奇跡を与えるのは、無粋の極み。
母は触手を引っ込め、嗚咽を飲み込み、旅立つ娘へ告げました。

―…いってらっしゃい。

別れの言葉。いつかの再会を願いながら。
クルルは、手を振る家族達を背に、その場を後にしました。
振り返ることはありません。前へ、前へと、彼女は進みます。
その立派な背中を、触手達は、いつまでも、いつまでも見送りました。

ただ、隣に立ち、肩を抱き寄せる夫だけが。
彼女の頬を伝う、小さな輝きを見ていました…。

……………

………



クルルとソラの馴れ初めは、これで終わりとなります。

彼女達はこの後、森の出口でエリーと合流し、ソラの故郷に向けて旅立ちました。
エリーが同行する理由は、なんてことはありません、お婿さん探しです。
旅は道連れ…ということで、ふたりは彼女の仲間入りを歓迎しました。
こうして三人は、新天地へと向けて、その一歩を踏み出したのです。

その後、彼女達がどうなったのか。
風の噂によると、とある地方で、妖精達が集う触手の花畑が広まっているそうです。
そこはカップルの聖地であり、全ての愛し愛される者達が悠久の時を過ごす、
人間も、魔物も、動物も、植物も、あらゆる種族、あらゆる命が、
分け隔てなく愛に満ちた、理想郷のひとつとなっているそうです。
もちろん、それが彼女達の関与することなのかは、誰にも分かりません。

そう、まだ彼女達がハッピーエンドとなるかは、神様にだって分かりません。
分かっていては、物語を読む気が失せてしまいます。それは人生も同じ。
思い掛けぬ出来事が起きるからこそ、一生というものは波乱万丈であり。
まだ見ぬ出会いが待っているからこそ、一生というものは面白いのです。

ここで『めでたし、めでたし』をつけるのは、早計というもの。
笑いあり、涙ありの、彼女達の壮大な物語は、これから…。










これから、始まるのです。
14/03/05 20:24更新 / コジコジ

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