連載小説
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カヌクイ 第四話 友は拳を語り、神父は拳闘に構え
 夢。
 浅く眠った頭の中に、ずっと昔にしまいこんだものが再現される。
 遠い遠い日。
 春の桜が白い花弁を雪のように散らし、山にひっそりとある先祖代々の墓を飾っていた。
 現在では法制によって禁止されたが、ほんの一昔前には何処の墓も、自分の土地の傍、何時でも綺麗に、何時でも会いに来れるような場所にその石を置いた。
 祖父に手を引かれる洟垂れ小僧が一人。佇んだまま墓石を見る横顔は、笑っているのに、どこか寂しげであった。
『長生きなんてするもんじゃなかなぁ』
訛りに自嘲の混じる。祖父の悲しみを解る歳でもなかったが、何故か泣きたくなった。
『うちのもここに眠っとるが、あいつは、幸せだったのかねぇ』
じいちゃん。
 そう呼びかけたはずの自分だが、掠れた声に気付かず、
『覚えておけ。人を助けるという事は、助けない人間を見捨てるということだ。敵味方が出来た時、どこかで綺麗ごとじゃ済まなくなる』
じいちゃん。こわい。
 そう呟いた声は、今度は聞こえたらしく、涙目の自分に祖父は笑いかけた。
『おぉ、悪かった。悪かったな。家に帰って本でも読んでやろう』
手を引かれ、家路へと帰る道すがら。
 自分はお墓を振り返っていた。
 そこに眠る誰かの為に。
 祖父は祈り、そして、大役を果たして召された。自身の誇りと共に。
 叶うならば、大好きだった祖父が祈った相手と共に居て欲しい。
 思い出すたび、ふとそう思う。


 梅の季節は時に早い。
 一月に蕾がほころべば二月には白く美しい花弁を散らす。
 異常気象もこの時ばかりは風雅ともいえ、白梅の咲く中、白く小さな雪が朝に漂う薄靄の中、ちらり、ちらりと舞い踊っていた。舞い散る雪粒も、花も、揃って白く、美しい。
「寒いと思ったら・・・」
風雅なれど、寒いものは寒い。今朝の夢もまた、寒くて眠りが浅かった事が原因だろう。
 不平を漏らした枝節布由彦(エダ フシフユヒコ)は、どてらに首をすぼめ、心地よい朝に舌打ちすらしかねない様子であった。
 寒いものは寒い。


 卵かけごはんに醤油を垂らす。
 熱々の白米の上、湯気ごと黄色い黄身を混ぜると、醤油の香ばしい匂いが鼻まで届いた。
「・・・日本人でよかった」
心からの感謝と共にかっ込む。
 噛み締める白米の味、醤油、卵。齧ったたくわんの感触。
 日本人で本当によかった。
 そこでふと思う。
 目の前で居座る異国の美女。
 2m近い長身で青白い炎を思わす艶やかな濃紺の髪、容貌は彫像かと見紛う硬質な美貌。年齢不明。
 巽 アマトリ(タツミ アマトリ)。
 異世界からの客人は、楚々たる仕草で箸を動かしている。
 猛烈な速度で。
「・・・美味い?」
ぴたりと動きが止まる。
 逡巡。
 しかし、何かに屈したのか、頬を僅かに赤くし、くやしそうに頷いた。
「そうか。味噌汁、おかわりは?」
再び頷くアマトリの御椀を受け取り、お玉から熱々の味噌汁。
 味噌の香りもまた食欲をそそるのか、しずしずと、それでいてご飯二杯をを瞬く間に食べる。
 気持ちのよい程の食べ方であった。
 しかし、弁当に詰めた後の炊飯器が既に空になりかかっている。
 一食五合。
「ところでアマトリ」
 撫で付けた髪の下、眉間には皺。
 それは今まで一人暮らしだった今までは違い、逼迫を招いていた。
「今日、米櫃が空になりました」
エンゲル係数の上昇。
 米の枯渇。
 卵かけごはん。
 その意味とは。
「うちにはお金がありません。このままだと米を買えません」
箸が、食卓に落ちた。
 無表情ですらあったアマトリの容貌に。
「・・・!?」
初めて、絶望が浮かんでいた。


 基本、高校生に収入はない。学業は金にはならない。
 とある知り合いの仕事を下請けする事で臨時収入を得る事もあるが、それも稀であり、通常は親からの仕送りによって生計の大半が賄われている。
 だからこそ、最近のエンゲル係数上昇は痛かった。
「・・・祖父よ。カヌクイとは難しい」
この仕事は家業、慣習に過ぎないので、報酬も訪れた客次第。
 そしてアマトリが報酬として提示したもの。
 床の間に飾られた眩しいほどに輝っているもの、白銀に近い七色を放ち、異世界であっても希少金属、賢者の石に等しい入手頻度とさえされている『オリハルコン』と呼ばれる代物だった。
 古典ラテン語では『oreichalkos(オリカルクム)』とも呼ばれていたものと同質、同系統であり、ギリシャの英雄譚にも登場するという。
 その金属は純度99.999%の純鉄の特性、錆びず、曲がり、硬いというものを倍加し、更に新たな特性を付け加えたような代物であり、その精製方法は知られていない。
 曰く、精神に感応して硬度を変化させるものから、自律神経を備えたものまであり、その剣は地を割り、その盾は龍の息を防ぐとすら語られている。ドワーフなどは『一欠けらで一財産。一国より一石』と語る。
 だが。
「・・・鉱物市場が破綻してしまう」
こちらの世界ではどれだけ金に困っても売買できないものだった。
 頭を抱える。
 とりあえず年長者に電話相談したものの。
『え?グラムじゃなくてキロ?・・・誰にも言わない方がいいぞ。それはどちらの世界でも大戦になる』
という非常にありがたい言葉と共に電話が途絶した。
 結局、金銭は自身でどうにかしなければならないわけだが。
「どうするか・・・」
溜め息は尽きない。
「おぉ、主夫ですネ。布由彦ハ」
 昼休みにマーカーで印を付けたチラシの束を見た同級生のアルバートの一言を聞き流し、それらをポケットへ押し込んだ。


 踏み切りの警報機が鳴る。
 遠く山の輪郭は降りしきる雪によって霞み、その冷たい風は街にまで吹き降ろし、誰もが襟を寄せる。
「さむい」
思わず呟き、欠伸を漏らす。
 放課後のけだるい空気の中、校門を抜けた。
ペダルを踏み込み、一気に加速した。
 隣街。
「ありがとうございましたー」
自動ドアの開閉。重たい買い物袋を手に、激戦区を生きて帰ってきた今日に感謝する。
「業務用シーフードミックス半額、白菜58円・・・!
市道を抜け、隣の町まで足を伸ばした日。クーラバックに荷物を詰め込むと、自転車に装備したバックパックの中に固定した。
「そのうち免許だな」
地面を蹴る。
 伊達に山村育ちではない。マウンテンバイクが加速し、坂道を登る。
 五十鈴村へのアクセスは山間道路しかない。緩やかな傾斜が続く坂道を登り、山頂から一気に駆け下りた。
 嵐のように殴りつける風。
 顔が強張り、速度が上がっていく。
 やがて麓まで辿り着く。
 風が止んだ瞬間、短く息を吐く。
 空気が違う。
 この村が、この町が、ここが自分の領分だ。
 漕ぎ出したペダルが軋み、自転車は再び加速していく。


 昼のワイドショー。蜜柑。コタツ。
 すっかり日本の冬に染まりきったアマトリは、竜の化身、異世界に居を構えていた魔物とは到底思えない様である。
 2m近い身長に、魔術的な処置による失語。そのくせ、自己主張は強い美女。
 睨むような鋭い視線。しかし、それもコタツに入り、緩いセーター姿では可愛いくらいである。
その時、ふと思いついた。
「・・・料理、できるか?」
短い質問。立ち上がるアマトリ。
 高圧的な態度。
 思わず後退りしたものの、差し出された手に対し、つい買い物袋を渡してしまった。


 数十分後。
「・・・まさか」
冷凍食材、冷蔵庫の野菜、ブロック肉など。
「・・・嫁に来ないか?」
素早い筆致で『嫌』の一文字が手帳に記される。
 その手帳もそこそこに、目の前の料理に手を合わせた。
 クリームパスタらしきものを筆頭に、肉料理、野菜料理、どうやったのか、焼きたてのパンまであった。
「錬金術か・・・?」
そう言った瞬間に殴られた。無言の威圧が怖い。
 頭の痛みに耐えながら、まさかという気持ちと共に料理を食べ続ける。
「う・・・」
美味い。
 涙すら出そうになる手料理。
 憮然とした表情のまま、こちらを睨む相手が作ったものとはいえ、その照れ隠しすら心地良い。
 噛み締めたパンは、塩の味が効いていた。


 朝。庭。
 身体が自然に目覚める。それは十数年生きてきた自分の中に根付いてきた習慣であり、枝節という種族的な行動である。
 始祖は海を守る検非違使か防人に近い仕事を生業としていたらしく、朝陽を浴びる頃には血が滾り、全身に力が満ちていく。
 型。教えてくれた祖父はなく、それでいて身体の奥へ刻み続けてきた反復運動。
 震脚強く、重心を転がす。
 滑るかの動作に腰、膝、足、踵、まるで駒のように回転して動く。歩法一つの所作から邪念が一つずつ消えていく。体格に恵まれていない自分のような人間は、体格に見合った戦い方を研鑽した時間。
 記憶が消える。身体が動作の中で空気に溶けていく。
 円と旋の動きを重ね、それが打撃に転じ、回避に転じ、攻撃に転じる。
 その最後には鋭い点。全身を叩きつけるようなフルスィングの拳に、汗が一気に弾けた。
 全身を心地良い充足が満たす。汗に塗れたTシャツからは湯気が立ち上る。
 大きく深呼吸。長く長く息を吐く。
 身体が徐々に落ち着いていく中、微かな足音に振り向く。
 一人の青年。
 細い眼、凡庸な容貌。ジャケット姿にも何のイメージも沸かない。だが、妙な空気を纏っていた。


 撫で付けられた髪。厳しい容貌。自分と然して変わらない年齢とは思えない。
 青年が構えた。
 否。
 もしかすると、こちらが先に構えたのかもしれないと、杵島 法一(キシマ ホウイチ)は思った。
 どちらであれ既に遅い。
 走り出した二人が互いに攻撃を放つ。上段の前蹴りと下段の足払い。そのまま低い姿勢から掌底を突き上げた布由彦と変則の打ち下ろしを放った法一が交差する。
 互いに躱す。
 距離をとろうとした法一と踏み込む布由彦。薙ぎ払う腕、両腕での防御。
 軽い衝突音と共に法一が吹き飛んでいた。
 腕の痺れ、数歩での立て直し。
 再び跳びこんできた布由彦に対し、頭を下げて迎え撃つ法一。
 泳ぐように掌が触れようとした刹那、回し受けからの手刀がカウンターとして入った。
 鎖骨の傍、剣戟を思わす鋭い打撃に布由彦が呻き声を漏らすも、巧みに打点をずらし、手刀を戻す前に双掌打が迎撃。
 胸板を強く打つ衝撃。しかし、バックステップでの軽減。掌が宙を流れた瞬間、膝が打ち込まれる。
 化勁。
 受け流されたと法一が気付くより速い。
 手の甲が岩のような威圧感と共に迫る。
 間隙。
 二人が距離を離す。
 突き上げた拳が腕の向きを変え、反射的に打ち払われる掌が肩を叩く。
 腕の鈍痛と肩の痛痒。
 どちらも腕一本の動きを阻害する形での痛み分けとなった。
 動きが巧い。
 舌打ちと共に法一は状況を慮る。相手の動きは無駄が極端に少ない。円軌道を軸にした攻撃と歩法に加え、発勁らしき打撃が恐ろしく強い。腕は痺れたまま上がらない。吹き飛ばされた時の影響で利き腕の動きも鈍い。有利な状況が一つとして浮かんではこない。
 眉間に皺を寄せ、布由彦が計る。格闘技の匂いは薄い。鍛錬も足りない。だが良い師によるものか、経験か、打撃に関しては勘がいい。辛うじて直撃はないが、腕が僅かに痛む。
 黙らせる。
 打ち倒す。
 互いの感情が強く発せられた瞬間、双方が動く。
 が。
 二人の側頭に、何故か庭石が直撃した。
「よし、鎮火」
「・・・・・」
疑問符の浮かぶ眼差しを、隣の美女へ向けるアマトリ。
「え?いいわよこんくらい。少なくともうちのはあれくらいじゃ死なないし」
「・・・・・」
納得したのか、自身でも首肯し、アマトリが倒れ伏した布由彦を片手で摘み上げる。
「わー、無抵抗。頬擦りしとこ。あはー」
楽しげな巽・カンジナバル・夜子(タツミ・カンジナバル・ヤコ)は、抱き締めた法一を人形のように振り回していた。
 幸いにも。
 村の外延部であった為、この騒ぎを聞きつけた人間はいなかった。


 メモ帳に走るペンを覗き込む長身の二人。その雰囲気はどこか似ていた。
「久しぶりー。元気?元気?」
『喉以外は』
「とりあえず、何時まで居るつもり?」
『向こうが静かになるまで』
「え?けど、滞在費どうするの?」
『オリハルコンを一抱え、持ってきたけど』
「・・・本気?」
心底疲れきった様子のカンジナバルに対し、アマトリは本気で疑問符を浮かべていた。
 姉妹。
 その単語に疑問符こそ浮かんだが、たった一言で突きつけられた事実にそれらは氷解する。
『あ、母親違うもん。父は同じだったけど、その父親も160年も前に死んでいるからねぇ』
時間の尺度があまりにも違う。
 午前の暖かな日差しの中、蔵の得物を手入れしていた自分は、常識の脆さを目の当たりにしていた。
 磨くは武者鎧。
 着る者を想像もできない巨大な鎧。面頬によって兜の奥は定かでないが、その重さは手を貸したカンジナバル、龍の膂力を僅かに軋ませるほど。全長が3m誓い黒漆の表面には幾多の傷が残り、その姿は壮観ですらあった。
 その腰に差された同田貫もまた長大である。斬馬すら容易く見える刀身は七尺五寸。肥後の刀匠が長柄に極厚と拵えた造りは2mを優に超える。
 尋常の品ではない。
「これは?」
杵島 法一。そう名乗った青年は、ぼんやりとこちらの作業を眺める。その周囲では、身長が1m弱の小柄な何かがうろうろと周囲を見聞していた。
 ビター。そう説明された機械人形達は、大きなレンズの瞳をくるくると動かし、時に法一の頭へしがみつく。面倒くさげに首を振る彼には、まるで子供のようにあしらわえているが。
「まぁ、鎧だ。戦う為に着る。カヌクイの血脈には、戦えない女子供、力のない者は幾らでもいた。そういった者達の為の、武者鎧だ」
「なるほど」
その目が何を見ているのかは判然としない。透徹するかの様子は何も考えてはいないようにも見える。
 解らない。
「・・・だから、換金できないなら、オリハルコンだろうが純金だろうが、意味がないでしょう?」
「・・・・・!」
金銭による社会システムを知識としては認識していたのだろうが、実感はなかったのだろう。
 価値があるものがそのまま即物的な意味合いでの資産にならないことを、今更に理解したらしい。
「あ、金を借りるようだな」
「・・・同じ龍なのに、どうしてこんなに常識に違いがあるのか」
深い溜め息が喉から漏れる。
 その肩を、ビターの一人が同情するように叩いた時、昨夜のパンと同じ味が口の中に広がった。
「最近、涙脆いのかもしれない」
「・・・苦労してるんだな」
 深い共感と同調。何故か堅く握り合った互いの手。
父よ。
 今日、親友が出来ました。


 賛美歌。
 朗々たる声の重なりと共に、周囲の空気が凝固した。魔術的な隔離、空間の遮断。記憶、記録、魂に情報を貯蔵していた法一が身構える。
 敵。
 法一の周囲に居たビター達の気配も一変する。両腕が何時の間にか黒い金属製の籠手に包まれ、一体一体が距離を測る。
 単なる武者鎧であるはずの巨大甲冑が自ら動き出した。
「動くな」
命じられた鎧がぴたりと動きを止める。肋骨を思わす鎧の骨格は有機的に蠢き、あたかも、身震いしているかのようである。
 山道を行進する灰色の法衣に身を包んだ一団。
 その手には短槍を携え、その姿には血の匂い。
 背筋が痛むほどの緊張は、あたかも葬列を思わす雰囲気からだと、遅く気付く。
 気持ち悪い。
 神父が執り行うのは教義と葬儀である。私刑の執行では談じてない。
 そこには厳かな空気と冷たくも真摯な対応があって然るべきである。
 ここにはそのどちらもない。当然だ。
 ここは民家の前であり、彼らは何も教えてはくれない。
 徐々に湧き上がってくるものが怒りか、苛立ちか、それをどちらも理解してはいなかった。
「神の御手よ。神々しき御技よ。我等は貴方を父とし、貴方を尊び今日に感謝します」
この言葉を聴く人間はこの場にしかいない。それが隔離というものであり、それだけ大掛かりな人数が居た。
巨大な人影は頭頂のみが禿頭の男。顎の骨格が随分と立派だった。にこやかな笑みこそ貼り付けてはいるものの、友好的な相手とは思えない。
「こんにちは。よい日和です。龍の身柄を渡していただきたい」
白い僧服に茜色のトーガ。胸に手を当て、一礼するさまには教養が感じられたが、眼の笑っていない表情といい、感性と良識については一考の余地があるだろう。
「どうする?帰ってもいいが?」
「そうもいかないだろう?第一、こうも強固な隔離じゃあそれも難しい」
「悪い」
「仕方ない」
二人が同時に貌を上げる。若干の敵意を滲ませながら。先に動き出したのは法一だ。掌から黒い表皮が広がる。肘まで覆われた。
「お断りだ。彼女は賓客であり、そちらの言い分に正当性はない。お帰り願おう」
「それは困った。では、神を知る前に信奉してきたものに頼らねばならない」
一斉に構えられる。槍の石突でアスファルトが幾重にも打ち鳴らされ、その反響は鉄琴を連想させる。
「暴力を」
「それは、解りやすいな」
両拳を籠手、ガントレットで包んだ法一が睨む。
 振りかぶられた拳を受ける掌。衝撃波の予兆を布由彦が感じ取るが、十字架と鋲に飾られたセスタス、革のバンテージで固められた掌は、それを打ち消していた。
「実に、解りやすいだろう?」
男の輪郭が滲む。肘までを覆うガントレットがそれを捌くも、次には突風が吹き荒び、法一を吹き飛ばしていた。
「申し遅れましたが、某の名前は『聖クレザンスの使徒』にして名をホーマン・バーナルド。クレザンスは嵐と津波からの守護聖人」
「ご高説悪いが、その聖人は非暴力については?」
「彼の文献で最も多い引用の言葉は『拳は決意を示すであろう。さぁ満身をもって掲げよ』です」
「どんな聖人だ一体」
異世界、異文化、そういったレベルの問題ではない。
 とかく、敵は打撃と暴風を操る拳鬼。それに。
「蒼天よりきたれ。雷撃の咆哮(サンダーブラスト)」
「蒼天よりきたれ。雷撃の咆哮(サンダーブラスト)」
重なる声。帯電した中空より放たれた指向性を持つ雷撃が布由彦の傍を通り過ぎる。
 驚愕を張り付かせた布由彦だが、感電した様子もなく走る。既に詠唱を完了しているのか、微笑むを浮かべた少女達が指先を揺らめかせる。
「私」
「達」
背には燐光を放つ翼。白い衣の上、赤に銀糸のケープ姿をした少女達は微笑みを浮かた彼女達は、携えたロッドを揺らす。
「「聖ランドリオンの守護天使です」」
声を揃えた二人。
 その指先だけで空中を漂う紫電が従い、線を描き、円を描く。
「聖ランドリオンは雷雲に荒れた海の中、移民を乗せた船を故郷へ導いた聖人。雷は彼に従い、その頭を垂れたといいます」
宣教師にしてはあまりに不謹慎。そう説くホーマンは両拳を顎の下へ引きつけ構えていた。
「顎は脆いものですよ。存外に」
「そうか?アンタのは随分と堅そうだが」
笑う。法一が。
「いいますね。貴方も」
笑う。ホーマンが。
 壮絶な殴り合いのゴングは、槍に黒いガントレットで殴りかかったビター達の打撃音だった。
 泥仕合が始まる。


 槍。間合いという大きなアドバンテージを備え、古来は戦場の主戦力であった得物である。
 刺す。突き放す。その繰り返しで優位性を確保し、歩兵を確実な戦力に高める。
 だが、弱点も無論ある。
「アクセル、ナッコォォォォ!」
 衝突音らしきものと共に、僧兵姿の男が吹き飛ぶ。
「て、敵は!?」
「足元だ!小柄な人形が十数体!」
槍は小回りは効かない。
「わざの一号!」
「ちからの二号!」
ビターのうち一体が投げ飛ばす。そしてもう一体がドロップキック。
「ろっくゆー!」
そして数体が雪崩れのように戦列を突き崩した。
 槍は乱打戦に向いていない。
 小兵が敵陣を縦横無尽に駆け回る中、殴り合っていた法一がセスタスに覆われた拳に吹き飛ばされ、雷撃から逃げていた布由彦と背中をぶつける。
「調子は?」
「そこそこ。あと疲れた」
「こっちもだ」
「それにしても龍を捕らえるには人数が少ない気もするが」
「彼女はブレスと共に大部分の能力を封じている。対龍兵器から逃れる為にな」
「成程。だからこの人数か」
「いやいや、これでも奮発したのですが。たった二人と十数体の人形に、なんともはや」
暴風と拳打の使い手、ホーマンの貌にも青痣。鼻血を拭うと、セスタスを強く引き結ぶ。
「衝撃波は無効化。拳打は師匠の四割弱の威力。きっつい」
「いうな。こちらは雷撃の豪雨だ」
溜め息と共に再び自身を奮い立たせる二人。力の篭った表情を前に、天使達も詠唱を加速させる。
「そう。そしてこんな時にこそ私参上!」
コートを棚引かせ、中空を泳ぐ長い肢体。
 着地の瞬間には、周囲の空気が一瞬で凝固した。
「空気読め」
「嫁!?いきなりプロポーズ!?」
間髪入れずに拳が飛んだ。鉄拳に殴打されながらも堪えた様子はなく、さも心外だとばかりに拗ねた顔をする。
「せっかく手伝おうかと思ったのに」
「もういい。もう帰れ。ひっこめ」
「ひどくない!?」
ほとんど呼吸のような言葉の応酬。その最中に、法一の手がひらひらと布由彦に振られる。
 地味に、そして素早く布由彦が反応し、二人の後ろを走った。
「十分だと言っている。お前が後ろに居るだけでやる気が出る」
「マジ惚れるわね。けど」
法一の隣にカンジナバルは並ぶ。
「男は愛嬌。女は度胸ってね」
「・・・逆じゃないか?」
固まった鼻血を鼻息で飛ばす。血の混じった唾液を吐き出すと、法一がガントレットを打ち鳴らす。
「第二ラウンドだ。ミスター・ホーマン。卑怯だがタッグでいくぞ」
「よろしい。女性に手を上げるのは好みませんが、どちらもいい貌をしています。斃すには実に惜しい」
「暑苦しいことだ。神なんか知らん。存在を感じたこともない」
「残念です」
「そうだな。残念だ。秒で沈めてやる」
突進と突貫がぶつかり会う。
 砲弾のようなホーマンの拳打をガントレットと回し受けで裁いた刹那、法一とカンジナバルが位置を変えていた。
 法一が跳ぶ。カンジナバルがその身体の影へ隠れる。
 息の合った動きにも判断を鈍らせることなく法一へ狙いを定めたホーマンだったが、死角にされた下から、長い足先が跳ね上がる。
 迎撃は間に合わない。足先の軌道と拳の射程の間には、遮るよう法一が構えている。四発の高速ジャブのうち、捌かれたのは一発。だが、命中した三発もまた、ガントレットによって致命傷には至っていない。
 しなやかな足先、パンプスの先端がホーマンの横腹へ突き刺さった。
「っご・・・!?」
踊るように位置を入れ替えるカンジナバルと法一。呼吸を詰まらせたホーマンは反応が遅れる。
 暴風と拳打に全身を打ちのめされようとも止まらない。
 着地と同時に前へ全身を投げ出した法一と、腰から下を大きく捻ったカンジナバルのタイミングに祖語はない。
「準備はいい?神父さん」
迎撃は叶わない。既に目の前に法一とカンジナバルが居た。
「神よ」
呼吸するだけの間もなかったのに、ホーマンは大いなる父、もしくは母へ祈る。
 飛び蹴り。
 回し蹴り。
 リーチも速度も違うはずの攻撃が同時に命中し、ホーマンは高く高く、空へ召された。


 動き出した時、彼らの後ろを走った事で雷撃の間隔に狂いが生じる。標的を認識するまでの僅かな時間で、一歩分の間合いが稼ぐ。
 揺れ動く空気の振動を『認識』し、によって雷撃の予兆は読める。自分にだけ、鮮明な軌跡の下をくぐり、余波すら届かぬ紙一重を駆け抜けていく。
 走る。走る。走る。
 足りないものの方が多い。あの二人ほど頑張れない。それでも。
 走った。
「っった!」
ステップ。くるくると回る。
 雷撃を躱し、路面を抉る衝撃を避ける。あと二歩、大きく胴体を開いた武者鎧へ届く。
「ざーんねん」
小規模な雷撃を連打していた青い髪飾りをした天使が微笑む。残忍に。その背後、巨大な円環型、自身の周囲に魔力を充足させていた赤い髪飾りの天使が掌を掲げる。
「ばいばーい」
 大規模術式。
 躊躇はない。それでも駆ける。
 背後では、カンジナバルが法一を投げ飛ばす様子が見えたから。
「っしゃあぁぁぁ!弾丸!ダァァァァァァリン!!」
空中を流れる人間。黒い皮膜に覆われた掌から長大な鉄パイプが続けて飛び出す。掌から離れると同時に元の銀色を取り戻した鉄パイプは次々と地面へ刺さり、最後には黒いレインコートで全身を覆った法一。
「行け!」
「応!」
「ちっ!暴虐の雷神(ドルトムント・トール)!!」
 信じられた。だからまだ走る。
 莫大な雷撃が背後に。しかし、隔てる男は毛先程も通さない。
 鉄パイプを避雷針とし、雷の射出速度に遅延、進行方向に狂いを与え、直撃間際にも、翻ったレインコートから『悪天候の忌避』に関するイメージから防御の効果が発揮される。
 まぁ、これは後に説明された話だが。
 ターン。足先から滑りこむと同時、背中をぶつけるように武者鎧の中へ着地。
 胴体が閉まる。筋肉を締め上げる鋼線と内圧。
 全身の神経が伸長した錯覚と共に、
 立ち上がった鎧の面頬が歪み。その罅割れが膨張し、一瞬のうちに牙の並びと変化した瞬間、そこには凶暴なる貌が張り付いていた。
 鬼。機神。そういった類の何か。
「動け。陸参巌正角(リクサンゲンマサカド)」
底冷えのする声とその威容を前に、ビター達との殴り合いを演じていた信者達が鎮まる。武神を思わすその風格から、身動ぎ一つに場が緊張した。
 牙の間から熱い呼気が漏れる。一歩の前進から二歩の突進、加速した巨体が天使達に迫り、対する天使達は同時詠唱での迎撃行動を行っている。
 詠唱と共に飛行する高度を上げ、相対距離を稼いでいる。遠距離攻撃と飛行能力の有利性を前に、彼女達の余裕は崩れなかった。
 だが。
「遅い」
距離は3mの巨体であれ随分と遠い。だが、この武者には、巨躯を俊敏に動かすだけの膂力を備える。
 もしも、その膂力を自在に制御できたとして、自身の能力である振動への観測と同時に使用した場合どうなるのか。
 答えは行動によって示される。
「こ」
短い呼吸。空気を切るように喉を鳴らした瞬間、一瞬だけ息が止まる。
「覇っ!」
 肺、心臓、血流、筋繊維、それら全てによる動。
 踏み込みと同時に拳を放つ。
 全身の円運動が連動し、一発の打撃へ変化する。大気を揺らした拳圧は絞り込まれ、その衝撃波は一点へ絞り込まれた。
「きぎゃっ・・・!?」
 短い破裂音。
 一人の天使が空中で跳ねた。叩きつけられた衝撃に眼を白黒させているうち、その細い身体は地面へと落ちる。
 その事に驚いた天使が詠唱を中断した刹那、二打目が軽々と吹き飛ばす。詠唱もない自分は、ただ同じ動きを
 蝋燭消し。
 場合によっては一種の鍛練法として知られるものが、特異な技能として昇華されたものが、今、天使を捉えていた。
 理屈こそ簡単であり、拳を前へ突いた時、さらに速度と精度が伴っていた場合に大気が直線に揺れる。それだけの話である。
 それを稀なる精度で行える感覚と、実現できるだけの膂力こそが、この陸参厳正角が人との合一を果たせし時の真価。
 無論それだけではないが。
「さて、幕引き」
陸参厳が両手を前へ構える。視線で法一を一瞥しただけでビター達は動いた。慣れた様子で撤退行動。あまりの潔さには爽快感さえ感じる。
 その間に構えは終わっている。
 高く掲げた足先が地面を踏みしめた震脚の動作から大地が揺れる。ビター達が転がり、立ち上がろうとしていた僧兵達がふらつく。
 高速で動く腕が描く軌道。銀光が広範囲に煌めく。
 それは、空を掴む。
「空間、投げ!」
飛んだ。数十人が一度に。
 大気ごと投げ飛ばされていた。
「うそ」
「凄いな」
正確には指先から放った鋼糸を操り、広い範囲の大気をかき混ぜて吹き飛ばしたという理屈であるが。
 生憎と自分には魔術の素養などはなかった。ならば、道具と知恵と技術、あとは根性と信念くらいが多少の武器。
 そういった不確かなものしかない。
「お帰りは、こちらにっ」
一本釣り。
 そういった表現が一番似合う。開いた蔵の中、中空を飛んでいた全ての僧兵、天使、拳闘使いが放り込まれた。
「神武合一。ここに有り」
光芒を背に、陸参厳が白い熱気を吐く。
 戦闘は終了した。


 枝節家裏手に広がる山中。
 四足の黒が駆ける。風に勝り、人より敏捷に。
 あたかも縮地の秘儀が如く、その動きは瞬間移動としか見えなかった。
 構えていたはずの男の背後から一撃、牙が喉を抉る。
 気道から空気が抜けてか細く息が漏れていった。
 致命傷でこそないものの、抵抗できないまま倒れた黒いローブ姿の男達が地面へ崩れ落ちる。
「貴様・・・ティンダロスの一族か・・・この雌犬が・・・」
「負け犬に比べれば上等」
震える声で最後に仕留められた男が呟く。他の面々は武器を持てないどころか、半数が虫の息である。
 鉄錆の臭い漂う呼吸を吐いたナナカマドは木々の影に隠れ、今にも短刀を抜こうとしていた全てを仕留めていた。
「背後に気を配らぬほどに我々も間の抜けた真似はしない」
鼻先、鋭い牙を示すようナナカマドが低く唸る。
「貴様ら、何時まで続けるつもりだ?損害も増せば龍如きに構う必要性に疑問視もあるだろうに」
深く、憤怒の混ざる口調を前に、血の混じった唾を垂らす男は笑う。
「我ら、東のカテドラル再興が成るまで、諦める事はあらず」
「・・・成程」
短い呼吸音を残し、男は昏倒した。
 ナナカマドは鼻先を巡らし、不機嫌そうに前足を数度叩いた。
 その姿が消える。
 遥か遠く、樹木の枝先へ後ろ脚を預けたナナカマドは、遠く、敵全てをゲートへ放り込んだ武者鎧をじっと見つめる。
「因果か」
男の口から漏れ出た『東のカテドラル再興』の言葉。
「どこかで聞いた覚えはあるが・・・はて」
雌犬と揶揄された一頭の猟犬は、大欠伸と共に前足を鳴らす。
 山の中から、男達が全て消えていた。


 陸参厳から降りた全身を締め付けたバネと鋼線、歯車や口で説明できない何かの中から抜け出した瞬間、言い知れぬ解放感を感じた。
「・・・寒い」
次いで、この季節独特の寒さに震えた。
「豪快だったな。ところで妹さんは?」
「あ、それなら出てくる時に」
轟音。玄関から手足にワイヤーの残るアマトリは、何かを叫ぼうとして叫べず、地響きを伴う地団太を踏んだ。
「縛っといたわ。家から出たら見つかっちゃうじゃない。暴れられても困るしね」
「・・・あの短時間によくもまぁ」
「妹だもん。多少の行動パターンは予測できたから先にね」
「呆れたな」
飛び出してきたアマトリが法一の襟首を掴み、多少手荒く揺さぶったものの、開いた口がどれだけ動いても何も伝えられない。
 もどかしそうに首を左右に振る。何を伝えるべきかを考えていたのかも解らないが、その眼が布由彦を正面から捉えた。
「お」
感謝か。
「あら」
情愛か。
「う?」
それとも心配か。
「う?え?あれ?」
その両腕で強く抱きしめられた布由彦は、細い両腕からの圧力と、温かさ、そして、震える肩と胸から伝わる柔らかさと心音。
 それが、彼の望んだ報酬であったかは定かでないが。
「・・・ぬくいな」
彼は、そう呟くので精一杯だった。


 教団が運営する大陸最東端の教会、知る者は『最果ての教会』と呼ぶ。古来、世界の果てにあるという島国から訪れた東方移民達と手を携えた聖人が、その居を構えた場所としても記録に残っている。同時に、聖人『クリシトフォロ』の最期を迎えた場所とも。
 クリシトフォロは旅人に慈愛を示し、川を渡る者を手助けた。海という大きな川を渡った東方移民達にも、彼は大きな愛を示した。その起源は遥か遠く、覚える者も今となっては僅かである。今となっては聖人でありながらその史実性を疑われ参列を許されず、かつて偉大なる主の息子を背負ったとさえされた彼は聖典に記されてはいない。残るのは記録においてのみ。
 史実性の無さを指摘されてはいるものの、諸説は多くあり。
 異教徒を手助けしたことによる破門。
 異教の信徒となったことによる破門。
 他には。
 中央教義(セントラルドグマ)に関わる秘密を知ったことによる暗殺という説まであった。
 その最果ての教会、今となっては古びた石造りの廃墟と塔しか残っていない場所で並ぶ信徒達は無言のまま列を成していた。
「主は、申されたのだ。彼の者の罪を許せと」
膨大な布地によって構成された白と銀、灰色と限りなく黒に近い赤の神官服に身を包み、その儀仗は背の高い男、その倍近くあった。
「ならば、我々はこの地で新たな祈りを捧げようと思う」
深く通る、大きく、朗々たる声。
 信者達の中には、感涙に咽び泣く者まで居た。
 その中、男の左右を固める銀甲冑の全身鎧と白に銀と赤の糸で飾られた僧侶達。
 中央、儀仗の神官は両手を広げた。
「東のカテドラルを再び!」
『東のカテドラルを再び!』
唱和した信者達の言葉に大気が震えた。多くの者が膝を付き、両手を組み合わせた。
 黒い髪も、白い肌も、女も、男も、子供も、老人も。
 誰もが歌うように泣いた。
 それが、彼等にとって始まりの日だったのかもしれない。
 遠く、窪地で手当てされていた、顎の特徴的な男は、辟易するように空を見上げた。
「神よ。今更ですが、私は罪深い」
その声は、自身の信仰を嘆いているようだった。




                   − つづく −

11/04/27 19:59更新 / ザイトウ
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■作者メッセージ
 シリーズモノで一度はやってみたかった伏線&巨大な敵。
 さて、作品内の多くは造語や創作です。聖人も最後のアレだけが元ネタありで、他はオリジナルです。今後は作ってないので、再び小休止。
 今後は別枠のストーリーと並行か、本編の短いやつをやるか考え中。
 別枠競合版なら更新すぐできますけどね。
 ま、いつも通りにご意見ご感想誤字脱字指摘をお待ちしております。
 ではー。

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