連載小説
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 とある市井の端の端には、どこか肩身が狭そうに軒を構える小さな鳥屋がある。
 何の変哲も無い種から、海の外から仕入れた変わり種まで。その店の規模と比べて、置いている鳥の数は豊富だった。
 鳥屋の主は、常にどこか人を馬鹿にしたような薄笑いを浮かべている、ヤナギという男。
 ヤナギは、流行り病で亡くなった両親から店を継いだのだが、どうにも遊び癖があり、店を空ける事も少なくなかった。
 それでも店が傾かないのは、ひとえに、片田舎からやってきたヤナギの甥のおかげであった。
 遠い里の生まれであるその男は非常に勤勉であり、「こいつは使える」と考えたヤナギによって、半ば無理やり里の外へと連れ出され、鳥屋で働かされる事となった。
 だが、男はその境遇に何の文句を言うでもなく、むしろ、これこそが天職であったかのようによく働き、鳥屋は瞬く間に今まで以上の繁盛を見せるようになった。

 しかしながら、生来の性質からか、男はヤナギとは対照的に遊びには触れようともせず、日々を勉学と鳥の世話に費やしてばかり。
 その姿は人々に尊敬される一方で、奇人であるとまで言われていた。
 更に、鳥や他の動物には優しいものの、人に対しては少々当たりが強く、「なっていない」飼い主を叱責する事すらあった。
 そういった理由からか、普通ならば既に子の一人や二人があってもおかしくない年頃になっても、男は独り身であった。
 舞い込んでくる見合い話は両の指では到底足りぬ程だったが、男はそれらも、角が立たぬように上手い事かわしてしまった。

 やがて、ヤナギは彼なりにそんな甥を心配して、遊びを教える事にした。

「張り詰めた弦はいずれ切れる。適度に緩める事こそが、長く生きる秘訣である。
 ここで言う緩めるとは、つまり遊びだ。
 お前は楽しんでいるのかもしれんが、鳥の世話も読書も、俺の言う『遊び』ではないぞ。
 要するに、一夜限りの逢瀬こそ、世にある遊びで最も優れたものだ」

 我が物顔で通りを歩きながら、ヤナギは紫煙と講釈を口から垂れ流す。
 その隣で、男はただ、店に置いてきた鳥の心配ばかりをしていた。




 はっきり言って、男は遊郭と言う場所があまり好きではなかった。
 鳥を運んでやってきた事は一度や二度では無かったが、その度に目に入るのは、ぎらぎらと目を光らせた男女ばかり。獣じみた欲を隠そうともしないその姿には、汚らわしさすら感じていた。
 しかし、こういった「遊び」以外にも広い知見を持つヤナギには、仕事以外にも何かと世話になっている。「余計な世話だ」とは言えるはずも無い。

 その日、ヤナギの手配で用意されたのは、舞い歌う遊女を酒を飲んで眺めるような場所だった。
 目が痛くなるような装飾に、鳴り響く器楽の音と笑い声。
 男は腹の底に抱えた嫌悪感を吐き出さぬ事に精一杯で、酒など一滴も飲む気にはなれなかった。

 「自慢では無いが、おれはこの辺りでの遊び方なら誰よりも良く知っている」

 などと言いながら早々に酒を飲み始めたヤナギには、曖昧に笑う事しかできなかった。
 鼓と鈴の音が鳴り響く中、着物を肌蹴て笑う遊女たちは、人ではなく獣であるようにも見える。
 では、俺は獣の住処に放り込まれた餌か玩具か。
 音色に耳を澄ますふりをして、目の前の光景から目を逸らす。

「どうだ。女とは良いものだろう」

 涎でも垂らしそうな笑みを浮かべてそんな事を言うヤナギに、「ええ、そうですね」と当たり障りの無い返事を搾り出す。
 頼んでもいないのに隣にやってきた遊女に注がれてしまった酒は仕方なく口にしたが、それすらも、どぶの水を飲んでいるように感じられてしまい、吐き気がこみ上げた。

 とにかく早く終わってくれないかという祈りだけが頭にあった男が、厠に立つとでも言って逃げ出そうかと思い始めた頃。
 鳴り物が止んだ静寂の中へ、一人の遊女が現れた。

 畳を踏む音もしない、優雅な足運び。
 床まで届く濡れ羽色の髪を揺らし、臙脂の着物の裾からは、陶器のような白い肌が覗く。
 それはもはや、作り物であるのでは無いかと思うほどの、美しい遊女だった。

 紅を差した唇で挨拶の口上を述べてから、扇を手に、拍子に合わせてゆらりと舞い始める。
 長い髪の間から、切れ長の涼やかな目が覗く。猪口を持ったまま呆けていた男は、女と目が合い、微笑まれただけで、純朴な童のように顔を赤らめた。

 女が舞い踊れば、当然、その長い黒髪も体に追従して動く。
 意図できるはずも無いのに、髪の動きまでもが舞の一部となっているかのように、ふわりと膨らみ、するりと流れる。

 気付けば、男はその女の舞に、いや、女そのものに、完全に見惚れていた。
 呼吸すら忘れ、まさに心を奪われたと言ったところであった。

 一瞬にも永遠にも感じられた舞が終わり、一礼して出て行ってしまった女を追いかけようと腰を上げてしまってから、男は自分がすっかり冷静さを失ってしまっている事に気付いた。
 取り繕い、座り直して酒を呷った男に、ヤナギは下卑た笑みを浮かべる。

「なんだ、あの遊女が気に入ったか。なるほど、確かにあれはいい女だ。おれくらいにもなれば、一目見ただけでよく分かる。だが、好い女ほど悪い遊女であるというのが世の常よ」

 その言葉は、あの美しい遊女を侮辱しているように思え、酷く苛立った。
 奥歯を噛み締める男の様子になど気付きもせず、ヤナギは適当な娘を捕まえて尋ねる。

「おい、そこの。さっきの髪の長い遊女はなんと言う。……ヨシノ、ヨシノか。分かった。おい、聞いたな?」

 しかし、男はその苛立ちすら、すぐに忘れてしまった。
 あらゆる物を押し流す、自分でもどうしたら良いのかも分からない程の激しい慕情に、男は深くため息をついた。
 ヨシノ。
 その名を中心に、あらゆるものが胸中をかき乱す。

 その後、ヤナギは一人の遊女と共に、どこか別の宿へと消えていった。
 よくもまあ飽きもせず。店はどうするつもりなのか。なんとふしだらな男なのだろう。
 普段ならばそんな事も考えただろうが、今の男は、それらを考える時間すら惜しむように、ふらふらと家路を辿るばかり。
 もちろんその間に想うのは、あの美しい遊女、ヨシノの切れ長の目や、流れるような黒髪の事だった。




 籠を開け、小さな鳥の世話をする男の様子は、一見すれば何ら変わったところは無い。
 しかし、その目は愛らしく鳴く鳥ではなく、どこか遠くを見つめているようであった。
 この指で、鳥の羽ではなく、あの遊女の髪に触れたい。この口で、鳥の名を告げるのではなく、あの遊女と話がしたい。
 何をしていても、思い浮かべるのはあの遊女の事。
 生真面目一辺倒だったはずの男の胸中は、たった一度の女遊びですっかり変わってしまっていた。
 それでも、周囲から見れば以前と変わらぬ仕事ぶりだったのだが。

 陽は既に頂点まで上っているというのに、ヤナギが起きてくる気配は無い。
 昨夜もどこかへふらふらと出かけて行き、夜明けをとうに過ぎた頃に赤ら顔で帰ってきた。
 店を開けて鳥の世話をしていた所に顔を出し、「おれは寝る」とだけ言って布団に転がって、今もいびきをかいている。
 あのようにはなりたくない。だが。

 未だかつて感じた事の無い焦燥感が、苛立ちに変わる。
 仕入れの予定が狂った時よりも、鳥が病にかかった時よりも強い不安が身を焦がす。

 しばし苦悩を続けていたが、やがて、日が暮れ始めた頃になると、男は出かける旨を置手紙に残した。
 念のため、近隣の馴染みに鳥の事を任せ、不恰好で無い程度の身だしなみを整える。
 そして、耐えかねたように、あれほどまでに嫌っていた遊郭に自ら足を運んでいた。

 確かに、ヤナギはここの上客だったらしい。
 それが連れてきた客と言う事もあり、一度訪れただけにも関わらず、見世の者には顔を覚えられていた。

「……ヨシノ、と言ったか。あの、美しい髪の遊女は居るか」

 見世の掟も何も知らぬ、無礼で滅裂な訊ね方であるとは思ったが、それで通じたらしい。
 下働きの娘によって、少し離れた宿に案内され、畳敷きのさほど広くない部屋へと通される。
 そこでは、蝋燭が一本、隅で燃えていた。
 敷かれた布団は真新しい。枕元には、何やら鳥の絵が描いてある屏風。
 単なる装飾か、何か意味があるのか。
 ヤナギに聞けば、それも分かるのだろうか。
 そう思った所で、嫌っていたはずのものに触れている事を自覚し、男は自嘲した。

 持て余した時間を、襖に書かれた見事な風景画を眺めて潰していると、ちょうど見つめていた絵に縦線が入り、そこからおもむろに二つに割れた。
 絵の中から姿を表したヨシノは、以前と変わらぬ美しさと気品ある振る舞いで、音も立てずに部屋へ入る。
 舞を披露した時とは異なり、肌を見せないよう見事に着付けられている、臙脂色の着物姿。
 座ったまま襖を閉めると、あらためて男に向かって正座し、頭を下げた。
 頭を上げると共に、長い髪がさらりと流れて、深黒の明眸が覗く。

「……ようこそ、おいでくださいました」

 凛と澄んだ声が、狭い部屋に響く。
 ヨシノの見せた、たったそれだけの振る舞いで、男は幾つも考えていたはずの言葉をすっかり忘れてしまい、息を飲んだ。

 いっそ、このまま、沈黙を共有していられるだけでもいい。
 そのような考えは頭を振って振り払い、しどろもどろになりつつも、口を開いた。

「あぁ……その、以前……舞を披露してくれたな」
「ええ。覚えております」
「とても、美しかった。だから……その、なんだ、そなたと言葉を交わしてみたくなったのだ」

 飾り立てた言葉など、何一つ出なかった。ただ、感想と己の欲求を吐露するばかりになっていた男は、ともすれば滑稽ですらあった。
 しかし、ヨシノは男の言葉を最後まで聞き届けてから、深々と頭を下げた。

「若輩者ではございますが、私の芸に感じ入ってくださったのなら、これほど喜ばしい事はございません」
「ああ。今まで見たどのようなものよりも、あの舞は……いや、舞だけではない。姿も、振る舞いも、言葉も、全てが、心を惹き付けて止まなかった。本当だ」
「それは、少々言い過ぎでは無いでしょうか」

 口元を隠して上品に笑う遊女に、男も釣られて笑った。
 その振る舞いは、やはり品の良い淑女のそれだが、笑みにはどこか人懐こい性質を感じさせられ、男は緊張が解れるのを感じていた。
 不安を誤魔化すために事前に飲んでいた酒の回りも相まって、男は自分でも思っていなかったほどに饒舌に語り始める。

「いや、言い過ぎなどでは無い。特に、髪だ。動くにしろ止まるにしろ、その髪に目を奪われない男など、居ないだろう」
「まあ。それは嬉しいお言葉でございます。私も、この髪は特に大事にしておりまして」

 そう言いながら、ヨシノは自分の髪を梳いた。
 黒髪の衣を白い指が裂く光景は、奇妙な事に、どこか淫靡に見えた。
 やおら浮かんだ情欲を腹の底へ押し隠すように、男は何度も頷く。

「俺は、それほどまでに美しいものは見たことが無い。おそらく、海を越えてもその美しさに並ぶものは無いだろう」
「あら、あら。他の方ならいざ知れず、可憐な鳥を数々目にしていらっしゃる方に申されますと、なんだか喜びもひとしおでございますね」
「む、俺が鳥屋だと知っているのか」
「ええ。遊郭とは、人の出入りが絶えぬもの。人の出入りは話の出入りと同じです。『鳥屋の息子は少し変わっているものの、心優しい丈夫だ』と聞いた事は、一度や二度ではありませんので」
「そうか。鳥以外には気を許さない冷血漢だとは、聞かなかったか?」

 男の言葉に、ヨシノは目を丸くした。
 そして、何か悲しげな目をして、男の手に触れた。
 白く細長い指が、男の骨ばった手の筋をなぞる。俯いた拍子に長い黒髪が流れ、二人の手に絡んだ。

「……これは、人の温もりでございます。あなた様には、紛う事無く温かい人の血が流れておりますよ」
「冗談だ。俺も、自分がそこまで情の無い人間だとは思っていない……少なくとも、今は」

 男が思わず引っ込めようとした手を、ヨシノは両の手で掴んだ。
 微かに冷えたその手で、男の手を包み込み、髪の間から覗く黒い瞳でじっと顔を見つめる。

 感じた事の無い胸の高鳴りに、男は動揺した。
 ヨシノが首を傾げると、その髪も揺れる。思わずその髪に触れようとして、思いとどまった。
 目を逸らし、硬く握った拳を見つめる男に対して、ヨシノが囁く。

「……触れても、良いのですよ?」
「女子の髪は、気安く触れて良いものでは無いだろう」
「他の方であれば、私も拒んだかもしれません。ですが、あなた様は特別でございます」

 にわかに、男の胸中に疑心が浮かんだ。
 客を得るための、遊女の嘘ではないのかと。誰にでも、このような事を言っているに違いないと。
 それでも、抗いがたい誘惑に、男の手は本能のままにヨシノの髪へと伸びていた。

 汚れ一つ無い濡羽色の髪。思い焦がれていたそれは、細く丈夫な絹のよう手触りであった。
 指の間に挟み、引いてみると、一切の引っかかりも無く通り抜ける。
 軽く、指に巻きつけるように弄ぶ。緩やかに円を描き、いたずらに手を撫でてから、元に戻る。
 意図せず、髪が一房、腕を撫でる。ぞくりと、撫でられた箇所に妙な快楽がもたらされる。

 新しい玩具を与えられた童のごとく、黙々と髪に触れる男に、ヨシノは妖しく微笑んだ。

「いかがですか?」
「ああ……」

 答えも口にできぬほどの充足感。
 着物の下、自分の陰茎に血が集まっている事にも気付かず、男はヨシノの長い髪に顔を埋めた。
 大きく息を吸い込み、その香りをいっぱいに吸い込む。
 香油か何かを付けているのか、微かに甘い香り。
 花のそれにも似た魔性の香りが体中に染み込むようで、思わず身震いした。

「……そのように嗅がれてしまうと、少し、照れてしまいます」
「そうか、すまない……」

 謝罪の言葉を述べながらも、男はヨシノから離れようとはしない。

「……いえ、どうぞ。そのまま、お続けください」

 赤い唇の端をつりあげて、ヨシノは髪に夢中になっている男を抱き寄せた。
 逃れられないように頭を押さえ、子どもをあやすように優しく撫でる。
 そして、男の視界の外で、ヨシノの髪がひとりでに動いた。
 手のように自在に動くそれは、音も立てずに、男の着物の首元へと入り込む。

「っ!」

 襦袢の下に潜り込み、素肌を舐める髪の感触に、男の体がぞわと粟立つ。
 不快感の混じらぬ単純な困惑に、息が詰まる。
 ひとたび入り込んだ髪は、手よりも自在に体中を這い回りながら、下へ下へと流れる。

「このような雄々しく猛るものを、お隠しになられていたのですね……」

 耳元で囁かれるヨシノの声と共に、熱く滾る男根へと、髪がするすると巻きつく。
 根元から先端へ。絡まることなく、それは剥き出しになった亀頭をも包み込んでしまった。
 巻きつき纏まった髪が動くたびに、柔らかな絹で擦りあげるような快感をもたらされ、その刺激の強さに、男は思わず身悶えした。

「ご遠慮なさらず、存分に、精を……」

 ヨシノの言葉は熱っぽい吐息となり、耳から入り頭を犯す。
 赤い唇が耳朶を食み、時折、舌で、つつ、と舐め上げられる。

 耳への口淫と共に、巻きついた髪は複雑に動き、陰茎を責め立てる。
 しゅる、しゅる、と。
 小さく音を立てながら、竿を締め付け、裏筋を舐め、時には、いたずらのように鈴口をつつく。

「……どうぞ、こちらも」

 呟き、髪に触れていなかった方の男の手を取り、自分の乳房へと導く。
 いつの間に着崩していたのか、曝け出されていた柔肉を鷲づかみにされると、ヨシノは恍惚とした表情で小さく喘いだ。

「はぁ……っ……ええ……もっと、乱暴に……っ!」

 ねだるような言葉に、男は息を荒くして、ヨシノの願いに答える。
 手から零れ出すほどに大きな乳房に、ごつごつとした五指を食い込ませる。
 手のひらに擦られて、つんと立った乳頭を、乱暴に摘む。

「ひぅんっ!」

 鼻にかかる悲鳴と共に、ヨシノの顔が悦びに歪む。
 陶器のような白い肌も桜色の乳頭も非常に敏感なようで、軽く撫でるだけでも、面白いように反応を示す。
 ただ、今の男には、ヨシノを責め立てて楽しめるほどの余裕はなかった。

 手の中で柔らかく形を変える餅のような乳房の感触。
 耳にかかるヨシノの吐息。
 彼女の興奮と共に甘さを増す髪の香り。
 全てが興奮を引き立て、ほとんど無意識の内に、男はヨシノの名を呟いていた。

「……ええ、どうぞ……お好きなように……」

 それに応えるように、ヨシノの髪による愛撫が、激しさを増す。

 弄んでいたはずの髪は、いまや男の腕に絡みつき、指の股や手首、肘、脇までをも愛撫する触手と化している。
 着物の下にも幾筋もの髪が入り込み、陰茎だけでなく、その下の陰嚢を優しく揉みほぐし、その内に溜まっている精が吐き出される瞬間を今か今かと待ちわびている。
 更には、上体にも髪が巻きつき、胸や臍、背中などを優しく責める。
 もはやヨシノの髪は、男を悦ばせるためだけに動くものでしかなかった。

「……そろそろ、ですね?」

 男の呼吸が短く苦しげなものに変わったのを見取り、ヨシノは一際強く、男を抱きしめた。
 同時に、男の体中に巻きついた髪が、ぎゅうと締め付けを強める。
 特に、男根に巻きついていたものは、上下左右に滅茶苦茶に動いている。
 纏まった糸状の箇所が裏筋に、笠に引っかかるたびに、痺れるような快感が走る。先走りを舐め取るように、鈴口を擦られる。
 体が震え、反射的に大きく息を吸い込む。
 髪が首を、頬を撫でる。
 ヨシノの甘い香りが、体を満たす。

「っ!」

 声にならない声と共に、男は大量の精を放っていた。
 反射的に腰を突き出し、ヨシノの黒髪を白濁で穢す。
 乳房を掴んでいた手にも力が篭り、痕が残ってしまいそうなほどに強く握り締める。
 それでも、ヨシノの髪から顔を離す事はできず、香りと感触に包まれたまま、気を失いそうなほどの快感を伴う射精を続けた。

「あぁ、なんて、素敵……」

 そして、欲望の塊で自慢の髪を穢されておきながら、ヨシノは嬉しそうに熱っぽい息を吐いた。
 自分の腕の中で獣のような荒い呼吸を繰り返す男に、妖しく濁った目を向けて、愛しげに見つめる。

「……あ、その、すまない」

 だが、正気を取り戻した男がそう呟くと、途端にその目は落ち着きを取り戻したように見えた。
 男に巻きつけていた髪も解け、全てが、彼女のもとへと戻る。

「何も、謝られるような事はございません」
「しかし、このような……情欲のままに、汚してしまうなど」

 それがヨシノの魔性によるものであるとは思いもせず、男はすぐさまヨシノの体から身を離すと、深々と頭を下げた。
 その様子は、ただ精を吐き出して興奮から醒めたと言うよりも、激しく感情が揺れ動いたが為にかえって冷静になってしまったようだった。

「本当に……なんと詫びれば良いのか……」
「詫びる理由など無いのです。ここは、そのための場所なのですから」

 そう答えて、ヨシノは男の手を取ったが、男は苦々しい顔をしたまま、じっと目を伏せたままであった。
 かつてないほどの情動に戸惑い悩む者に、果たして何をすべきか。
 ヨシノはしばし思い悩んでから、男の手を離すと、意を決したように小さく頷いた。
 静かに、屏風の裏へと手を伸ばすと、そこに隠してあった短刀を男に差し出す。

「……これは?」
「私の髪を、あなた様に差し上げます」
「何……?」

 先の罪悪感もどこへやら、男は突然の申し出に戸惑い、言葉も失った。

「遊女と客の間柄は、所詮戯れでしかありません。ですが、有り体に言うならば、私はあなた様にさだめを感じております。あってはならぬ事だとしても、強く情を抱いております。どのような事をされようとも、この身が愉悦に震えてしまうほどに……」
「……いや、待て、待て。確かに、俺もヨシノの事は……魅力的な女子であると思っている。しかし、その髪に刃を入れるというのは……」
「これは、私のわがままでございます。叶うのならば……遊女としてではなく、一人の女として、あなた様を慕っていたいのです。一人の女として、あなた様に想われていたいのです。そして、たとえ会えぬ日々が募ろうとも、私の一部があなた様と共にあると思えば、私は耐えることが出来るでしょう。もしも、私を想って……いや、憐れんでくださるのならば、どうか、この髪を……」

 まくし立てられて困惑している男の手に、ヨシノは懐刀を握らせた。
 細い指によって鞘が抜き取られ、白刃が蝋燭の灯に鈍く光る。
 そして、ヨシノは肌蹴た着物を正すと、男に背を向けて、目を閉じた。
 何もせず逃げる事も、刃を突き立てる事すらできてしまう、無防備な背中。
 ふざけているのではないと、その背が語っていた。

「……本当に、良いのだな?」

 そして、その想いを茶化す事も拒む事も、男にはできなかった。

 男の言葉に、ヨシノが頷く。
 それに伴い、黒髪が微かに揺れた。

 一度、深く息をついてから。
 男はヨシノの髪に刃を入れた。
 刃はするりと通り抜け、ぱさりと、美しい黒髪が一房、男の手の中に落ちた。 
 その髪を、何を言うでもなく、じっと見つめる。ヨシノも、まだ振り向こうとはせず、ただ、目を閉じていた。
 二人の間に訪れた奇妙な沈黙。それを裂くように、夜半の訪れを告げる鐘が鳴った。

「……今宵は、これで終わりとしよう」

 鐘の残響も消えてしまってから、男は呟いた。
 持ち主から離れ、それでもなお妖しい艶を残す黒髪を紐で束ねる。
 それを懐に入れると、急ぐように立ち上がって、ヨシノへと背を向けた。

「……夜明けまで、居てくださらないのですか?」
「名残惜しいのは、否定しない。しかし……これ以上浸るのは、俺はまだ、少しばかり怖いのだ」

 そう言い捨て、襖に手をかけたところで、背後でヨシノが立ち上がる音に動きを止めた。

「その髪は、私の誓いです。いつまでも……あなた様だけをこの遊郭で待つという、証です。たとえ、あなた様が応えてくださらなくとも……」

 その言葉に、男は一度だけ頷き、部屋を後にした。

 取り残されたヨシノは、閉じた襖を見つめたまま、ひとり、憂いを含んだため息をついた。
 蝋燭の灯火だけが残る部屋で、座布団へと座り込み、目を閉じる。
 そして、そっと自分の着物の下へと、手を滑り込ませた。

「は、ぁ……」

 男に掴まれていた乳房を、今度は自分の手で掴む。
 僅かに赤く残った跡を、愛しげに指でなぞる。

「……んぅっ!」

 桃色の小さな乳頭を指で挟み、体を走る快感に声を上げた。
 そして逆の手は、着物に隠れたままの自らの女陰へと伸ばされる。
 男を受け入れた事の無いそこは、まるで漏らしたかのように濡れていた。
 閉じたままの陰唇をなぞり、ほとんど触れた事の無い陰核を指先でつつく。

「っ!」

 硬く唇を結んだまま、小さな水音を立てて、自慰に没頭する。
 大きな手に胸を掴まれ、髪を撫でられ、穢され、愛された事を思い出しながら。

「ああ……もっと……もっと……っ」

 苦しげな声と共に、びくん、と体を震わせる。
 浅い絶頂を迎え、愛液に塗れた自分の手を見つめる目は、寂しげな光を湛えていた。

「私の、全てを……」

 得られた快楽すら虚しく思うように、ヨシノは呟いた。
 その呟きを聞き届ける者は、誰一人居なかった。
16/07/31 16:49更新 / みなと
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