連載小説
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その1



 太陽の光が濃度の高い魔力によって遮られていて一日中薄暗く、深奥に住むノームの夫婦によって作られた独特の構造をした森。一度迷い込めば、男は濃度の高い魔力に中てられ発情した魔物娘に襲われ、そのまま夫婦となる。女もまた、魔物娘に襲われて同族にされてしまうか、高濃度の魔力という環境の中で育った淫猥な触手達の餌食になりサキュバスにされてしまうか。
 その森はもはや唯の森ではなく、魔界という名のダンジョンだった。
 ワタシはその魔界に生まれ、物心ついた時にはこの世にはワタシやお母さんのような身体をした女と、お父さんのような身体の男しか居ないと根拠もなく信じ込んでいた。
 それから時が経って、普通だと思っていた世界が『魔界』と呼ばれる場所であり、全世界は魔界と同じような場所ではないと知った。世界にはお父さんと同じ『人間』と言う種族が居て女の人間も居る。そしてワタシやお母さんのような種族の事を『ダークスライム』と言うらしい。
 でもそれはお父さんやお母さんに見せてもらった本、そして友達のサキュバスのシルヴィアちゃんとかから聞いたお話に過ぎなくて、魔界から一歩も出た事がないワタシは魔界とは違う環境の世界があって、人間の女性というものをすぐには理解出来なかった。ワタシがちょっと抜けているからなのか、それとも何か別の原因があるのかはわからないけれど、とにかくそう言う世界があるんだという強引なやり方で認識するしかなかった。
 そして成長したワタシは、お父さんとお母さんを二人っきりにする為に家を出た。物心ついた時から家を出るまで、ずーっと二人は仲良しで。小さな時には目の前でイチャイチャし始めて、次の瞬間にはお母さんがお父さんに覆いかぶさってエッチしていたなんてざらで。それから成長してエッチをする事の意味を知ったワタシは気にしてないって言っても、気を使ってくれてエッチな雰囲気になったら二人で何処かへ行く事が多くなっていたからだ。
 お父さんとお母さんに、ワタシは二人の愛の結晶なんだって教えてくれたけれど、いつまでも愛の結晶が二人きりを邪魔するのは良くないと思ったから。
 それにシルヴィアちゃんもワタシより先に男の人と夫婦になる為に家を出たのもあった。シルヴィアちゃんったら、家を出たら真っ先にワタシに別れの挨拶に来てくれて。あの時は嬉しかったなぁ……。
 だから、ワタシはワタシなりに考えて、お父さんとお母さんの二人の幸せの為とワタシ自身も男の人と結婚する時期だったのもあって二人に見送られて家を出たのだ。
 当てはなかった。
 一度は魔界から出て新しい場所で新しい生活を始めようと考えたのだけれど、そこでどうしても反魔物国家、教会という存在が怖かった。ワタシ達魔物娘の事を強く憎んで排除しようとする人たちの総称。
 まだ魔界になっていない場所なら話は違ってくるけれど、完全に魔物娘の巣窟となった魔界は易々と手を出さないという。ワタシにとっては何でもないこの魔力が、人間にとっては強い影響を及ぼしてしまうからだそうだ。
 つまり魔界は魔物娘であるワタシ達にとっては安全な場所で、平穏な日々を送られる絶好の場所だったのだ。
 結局、家を出ても魔界からは出られなかったワタシは、生まれた家よりも離れた、魔界の深奥に住み始めたのだ。
 ワタシが生まれた家はとても過ごしやすくって、他の魔物娘たちの家族も沢山住んでいるダンジョンの中の住宅街。そんな場所には食べ物も豊富だった。
 でも、ワタシが家を出てから住み始めた場所は街と呼ぶには程遠い、まさしくダンジョンと呼ぶべき場所。
 お腹が空けば虜の果実が実っている木を探して採り、偶然見つけた浅い洞窟に持ち帰ってのんびりするだけ。
 こんなダンジョンの深奥、しかもさまざまなトラップだらけの場所に独身の男の人なんて来る訳がなかった。来たとしてもすぐに同じ独身の魔物娘に襲われてしまう。
 そもそも簡単に来れるなら、とっくにこの魔界なんて滅んでいただろう。
 でも、やっぱり心の奥にあった怖いという感情があったから、この魔界を出る勇気が湧かなかった。
 毎日毎日、お腹が空けば虜の果実を探して。それで見つかればある程度採ってから帰って食べて。そして眠くなればそのまま寝る。
 それだけの生活だった。
 他の魔物娘に相談しても「そんなに怖くない」って言ってくれるけれど、でも駄目だった。この薄暗い魔界を出たら、すぐにワタシのような臆病なダークスライムはやられちゃう、と。
 だから毎日同じ事の繰り返しで。家を出た半分の意味がないなぁなんて。
 でも勇気がないワタシは、お腹が空いたから虜の果実を探して。これからもこうして一人で過ごしていくのかなぁって思いながら探していて。
 半年もすれば、ダンジョンでも慣れるという過信も相まって…………。
 足元から聞こえた、かちりという音がしたかと思えば、ワタシの身体は勢い良く空へと吹き飛んでいた。
 その勢いは凄まじくて、普通の人間が踏んでしまうと死んでしまうんじゃないかってくらいで。ダークスライムであるワタシの柔軟な身体はその衝撃を全身で受け止めてしまい、凄い勢いで景色が流れていく。
 魔界の上空を覆っていた魔力すらも突き抜けて、生まれて太陽の光を直接浴びながら、ワタシが住んでいた魔界が一気に遠い場所になってしまった。
 ダンジョンの深奥に引きこもって、人間に怯えているワタシに対する罰なのかもしれない。
 未だ何処かへ向かって吹き飛び続けているワタシは思った。
 種は何もないものから生まれたりはしない。そこには過程があって、動物だったら交尾をして誕生させる。花だって花粉を飛ばして実を結ぶ。
 それを怯えて出来なかったから。神様は見かねてワタシに罰を与えたに違いない。
 きっと、このままワタシは何処かわからない遠い場所へと飛ばされて、そこで死んでしまうのだろう。
 …………怠惰な生活を続けていた癖に、ワタシは泣くのを我慢できなかった。人間は怖くて魔界から出られない。そして無理やり魔界から追い出される形になって、その先に待っているのはきっと死。
 泣いて、泣いて。
 ついにその時は訪れた。飛んでいる方向を見れば立派な城壁に覆われた街が見える。魔界なんかとは全く異なる場所で、きっとそこは怖くて強い人間が沢山居る反魔物国家に違いない。
 飛んでいた私は重力によって引っ張られて、地面へと近づいていく。よりによって、こんな場所でっ!
 祈っても願ってもどうしようもない。こんな重力に見放されている状況で魔法なんて役にも立たない。ハーピーのように翼もない。
 もう、おしまいの時なんだ。
 そう、思った。
 ……けれど予想外の事が起こった。地面に激突する時は、多分ワタシの身体ならちょっと痛いかもしれないけどトラップを踏んだ時みたいに吸収出来るはず。
 ――――落ちる場所に、誰も居なければ。

 「ど、どう、しよう……っ、人が、いる……!」

 街の外、広い草原の中に男性が寝転がっていて、その場所が激突地点と完全に一致しているのだ。
 しかも、その男性は寝ていた。

 「わ、わあああっ! 逃げて、もらわな、きゃ……っ」

 いざ大声を出そうとしても、ほとんど声を出す事もなく生活していたから声がたどたどしいだけで終わってしまう。
 ワタシにとっては大声を出しているつもりでも、実際にはか細い声しか出ない。

 「おき、て……ぇ! ぶつかっ……ちゃぅ!」

 だめだ。全然声が届かないしワタシの存在に気づく事もなく眠っている。
 どうしようどうしよう。
 魔法、魔法。こんな時に使える魔法……っ!
 火を熾す魔法――そんなの使ったら丸焦げになっちゃう!
 魅惑の魔法――こんな時に使う魔法じゃない!
 盾の魔法――見えない壁で潰れちゃうよぉ!
 回復の魔法――こ、これなら……っ!?

 「せ、生命……を癒す力、を……! かの者に――――」

 その時のワタシは冷静じゃなかった。怪我も何もしていないのに回復をさせても意味がないのに。
 でもワタシは回復の魔法を詠唱する事で必死だったのだ。

 「あた……え、よ!」

 詠唱しきったのと同時に、ワタシは眠っていた男の人と激突した。
 ワタシの身体は無意識に彼の身体を体内へと取り込んで、そのまま空へと放り出すように吐き出した。
 べしゃり、という音と共に彼の体重がワタシにのしかかる。

 「――い、たぁ……っ」

 やっぱり痛かった。でもワタシは生きている。
 じゃあ、さっきまで眠っていた彼は…………?

 「…………ん、つめたい」
 「あ……」

 よかった…………。生きているみたい。
 見た所何処も出血していないみたいだし、なんだかよくわからないけれど怪我もないみたい。

 「きみ、誰?」
 「あ、えっ、えっと」
 「なんで僕は君の上に?」
 「えーっと……その、ぅ」

 でもお互い無事で済んだ後にはまだ問題が待ち受けていた。さっきまで眠っていた彼も流石に起きてしまったのだから。
 なんと言えばいいのだろう……。地面を掘り進んでいたら偶然あなたが眠っていて……なんて言っても通じないだろうし、吹き飛ばしのトラップを踏んだらここまで飛んできちゃいましたなんて絶対信じてくれない。
 寝ぼけ眼をこすりながら、彼は欠伸を一つ。
 あ、あれ? なんだか、この人怒っているとかそういうようには見えないし、魔物娘のワタシを見ても驚いていない…………。

 「一緒にお昼寝したかったの……?」
 「ぁ、えっと、えと……」

 吹き飛ばしのトラップを踏んでここまで来たワタシが言うのもなんだけど、彼の言っている事もちょっとズレているような気がする。
 でも、なんて言えばいいのだろう。いっそ、彼の言うとおりにしてしまった方がいいのかな……? 彼は首をかしげながらワタシをじーっと見つめたままだ。
 ずっと黙っていたら怪しまれるだろうし、吹き飛んできたワタシに非はあるし…………。

 「ぁ、は、はひ……っ」

 こんな時に限って上手く声が出ない。さっきの詠唱だって、家を出る前はもっと早く詠唱できたはずだったのに。ほとんど喋らない生活を送ってきたからだろう。
 かすれるようなワタシの返事を聞いて、彼は二度頷いてから、

 「こんなに気持ちいいもんねー」

 と答えたのだ。
 こんなに、気持ちいいもんね?
 …………えっ?
 いや、その前に謝らなきゃっ! ワタシが、ワタシが悪いんだから。
 それに彼を怒らせちゃったら、この先どうなるかわからないし…………。

 「あっ、でも、その……勝手にして、ごめんなさ……っ」
 「別にいいよー」

 …………あれ?
 なんだろう、寝ぼけていたからちょっと変な答えをしたのかと思ったけれど、それは勘違いのような。
 しかも、

 「あ……ごめんね、いつまでも乗っていたら重いよね」

 そう言って彼は謝ってワタシから降りてくれたのだ。彼は全く悪くないのに。

 「うっ、その……あなたは、悪くない……です。ワタシが、勝手にしちゃった……事で」
 「でもずっと乗ってたら重いでしょ?」

 ワタシが言ってものんびりとした答えしか返さない彼。
 あれ……、なんか、想像していた魔界の外の世界の人間と違う。
 外の世界の人間は誰もが屈強な身体で、それですぐに剣を抜いて斬りかかってくるって思っていたのに。
 よく見れば、彼は剣どころか短剣すら持っていないようだった。
 怯えながらワタシは彼を見ていると、彼は頭を掻いてからまたあくびを一つ。

 「ふぁぁ……。よく寝た」

 しかも昼寝の感想まで述べる始末。
 どんどんワタシの中の人間像が壊されていく。

 「あの……ワタシ、魔物ですよ?」

 だから思わず、そう聞いてしまったのだ。
 それは魔物は怖くないのか、とかそういう意味を含めた問い。

 「うん、魔物さんだね」

 魔物、さん……!?

 「でもこの辺じゃあんまり見かけない色のスライムさんだねー」

 この辺じゃあんまり見かけない……!?
 仮にすぐそばにある街が反魔物国家だとしたら、魔物一匹すら近づけさせないだろう。
 でも、彼は余り見かけないと答えた。

 「えと、ワタシは……ダークスライ、ムという種族……で」
 「ダーク、スライム」

 反芻した彼の言葉にこくこく、と頷く。

 「なんか、格好いい名前だねー」

 かっこ、いい…………!??
 彼は、彼は何を言っているの? ワタシ、魔物なのに。もしかして平和ボケしているとか……?
 そう思ったワタシは、とうとう核心に近い言葉を彼に投げかけた。

 「怖くない、んですか……?」
 「怖い……? ぜんぜん。だってこの街じゃよく見かけるよ?」

 その言葉を聞いた時、緊張していた糸がぷっつりと切れた。

 「はぁぁぁ…………」
 「どしたの?」

 また彼が首をかしげているが、ワタシはそれどころではなかった。
 そう、外の世界には反魔物国家だけじゃなくって、魔物を受け入れている国家もあるのだ。それを親魔物国家と呼ぶのだけれど、どうやらワタシが飛んできた場所は命を狙われるような場所ではなかったらしい。

 「よかったぁ……よかったよぅ……」
 「…………? よくわかんないけど、よかったね」

 ワタシの独り言に彼はニコッと笑ってくれた。のんびりしている人みたいだけれど、いい人みたい……。微笑んでいる顔がとても、優しいから。
 ……と、ここでワタシの身体をじーっと見つめる彼。

 「どうか、しました……?」
 「それ……なに?」
 「それ?」
 「これ。この、顔みたいなの」

 彼が指差したのは、ダークスライムなら誰にでもあるというスライムコアだった。
 その場所はワタシの胸の真ん中に丁度あるから、なんだか胸を見られているみたいで恥ずかしい……。
 自然と手で隠そうとしても、結局ワタシのようなスライム種は半透明だから透けて見える。

 「これは、えと……スライムコア、です」
 「スライムコア……」
 「これがあるから、魔法を使えたり、出来るんです……」
 「魔法かー。いいなー」

 なんて、彼は呑気……は、失礼よね。のんびりとした返事だろう。
 争いも何もない親魔物国家だからなのか、穏やかな顔で彼はスライムコアを見つめる。恥ずかしい…………。

 「変、ですか……?」
 「んーん、変じゃないよ。この辺じゃちょっと珍しいけど、つまり魔法を使える凄いスライムさんなんだねー」
 「……あ……っ、その……、凄くない……ですから」

 だって、ワタシは今日まで怠惰な日々を過ごしていた、ただの臆病なダークスライムだもの。ワタシなんかよりも、お母さんの方がもっともっと凄かった。

 「――――あっ。僕はセージ」

 い、いきなり自己紹介し始めた……。脈絡もなくって驚いたけれど、ワタシも答えないと失礼だよね。

 「ラセナ…………です」
 「ラセナ、さんね。いい名前だねー」

 よろしく、と笑ってくれたセージさんは。
 とても笑顔が似合う、素敵な人なんだなぁって思った。
 …………けど、それもセージさんのお腹の虫がそれをやんわりと壊してくれた。
 そういえば、ワタシもお腹が空いていて虜の果実を探していたんだっけ……。

 「お腹すいた」
 「あ……わ、ワタシも」
 「そうなんだ、じゃあ一緒に食べようよ」
 「いえ、でも……」
 「一人で食べるより、誰かと一緒に食べる方が美味しいんだよ?」

 誰かと一緒に食べる……。
 そう言えば、最後に誰かとご飯を食べたのはいつだっただろう?
 もうずっと、一人で虜の果実だけを食べていたように感じる。本当は半年しか経っていないのに。
 ワタシは家を出てからずっと一人だった。当然、誰かと食べるなんて事も久しぶり。
 でも、セージさんは気づいていないかもしれないけれど、一歩間違えればワタシは彼を殺してしまうかもしれなかった。それをちゃんと謝っていないし、しかも嘘までついてしまって……。

 「ワタシ、なんかと居ても、不幸になります……から」
 「…………? よくわかんないけど、行こうよ」
 「あ……っ」

 そう言ってセージさんはワタシの手を無理やり引っ張った。
 いいのかな…………。さっき知り合ったばかりの見ず知らずの魔物なのに。
 ワタシは内心迷いながらも、セージさんに引っ張られて街の中へと入るのだった。



 …………やっぱり、無理にでも手を離してもらえばよかった。
 ワタシはセージさんに手を引っ張ってもらいながら、どんどんと顔が熱くなってくるのを感じる。初めて異性の人と手を繋いだ事に対してもそうだけど、原因はそれだけじゃない。
 街を歩く人たちが、ワタシの事を不思議そうな顔で見ているからだ。人間も、魔物も。
 どうやら、本当にここは人間も魔物も居る親魔物国家らしい。道を行く人々の殆どが人間の男性と魔物で、手を繋いで歩いていたり肩を抱きながら……。
 今まで魔界にしか済んだ事がないからこういった風景は見慣れているのだけれど、その人たちがこぞってワタシを見ているのだ。やっぱりワタシ、おかしい所があるのかな……。

 「あの……っ、セージさん」
 「なに?」
 「気にならない……ですか?」
 「んーん。別に」
 「そうですか……」

 ワタシはすっごく気になっている。みんながみんなワタシをすれ違いざまに見て、首をかしげて。
 なんで、だろう……。

 「ついたよ」
 「……あ、はい」

 ずっと俯きながらだったから、着いた事に気がつかなかった。
 見るとそこは開放感のある小さなカフェ。いわゆるオープンカフェだと……思う。魔界にもこういうの、あったから。あ、でも魔界の場合はたまにテラスでえっちし始める人たちも居た。でもここは本当に落ち着いた雰囲気のあるカフェで、テラスでお茶しているカップルは会話を楽しんでいて、異種の魔物同士が美味しそうにデザートを食べている。あ、あれ虜の果実だ……。

 「ここ、僕のお気に入り」
 「そうなんです……か」
 「静かだしねー」

 確かに落ち着いた雰囲気のカフェだけど、生まれてからずっと魔界育ちのワタシには太陽の光が少し、つらい。それに眩しくって、ちょっと瞼を開けているのがつらい……かも。
 でも、せっかくセージさんが連れてきてくれたのだから、厚意を反故にするのも、悪いし……。うん、ここは我慢しよう……。

 「いっ、いい場所……ですね」

 うぅ、だめ……。こういうのに慣れていないから上手い事言えないよ。こんな事なら何も言わなきゃよかった……。

 「気に入ってくれてよかったー」
 「…………はい」

 けれどセージさんは柔らかい笑顔で喜んでくれて、またワタシの手を優しく引いてくれた。
 開いていた席はテラスしかなく、セージさんはそれでもいいか聞いてきた。ワタシは何も言わずに頷いて席に座る。
 と、ここで気がついた。さっきまではちょっとつらいと感じていた日光が和らいできたような気がするのだ。

 「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」
 「僕、サラダサンドとミルクティ」

 お気に入りと言う事もあって、セージさんはメニューを見ずに注文してすぐにワタシにメニューを渡してくれた。
 ワタシはこんな場所に、しかも異性と来た事なんてないから全然余裕なんてない。メニューを見てもどれにすればいいのかわからなくってさっきからあ、とかう、とかしか言えていない。
 ど、ど、どうしよう。セージさんと店員さんを待たせちゃだめなのに……。でも、たくさんあってどれにしたらいいのかわからないよ……っ!
 えと、えと…………。
 あ、そうだ。

 「セ、セージさんのと同じ……ので」

 これ以上待たせるわけにはいかない。だったら、いつも来ているらしいセージさんが頼んでいるものと同じものを頼むしかなかった。

 「かしこまりました。サラダサンドとミルクティのセットがお二つですね。少々お待ちくださいませ」

 男の店員さんが戻った後、ワタシはふとまだ日が高い太陽を見上げてみた。
 すると、まるで魔界で見上げたかのように丸い太陽がそこにあった。

 「あの……このお店、何か特別なものを使って……ます?」
 「あー。どんな魔物さんでも日光がつらくないようにって、このお店は直射日光を和らげる結界があるんだよ」
 「結界……」

 店内を見渡せば、確かに日光が苦手そうなワーバットが恋人と会話を楽しんでいて、弱っているようには見えなかった。

 「この街全部にやろうとしたみたいだけど、マンドラゴラさんとかアルラウネさんとかが抗議して、こういうお店に設置されるようになったんだよ」
 「そうなん……ですね」

 凄い……。本当にこの街は魔物との共存をしているんだ。
 このお店や道行く人たちもだけど、ちゃんと人々の意見を取り入れて対応している。この街を管理している人は凄い人なんだ……。

 「お待たせいたしました、サラダサンドとミルクティになります。ごゆっくりどうぞ」

 ……あ、今の人アヌビスだ。砂漠地帯に住んでいるはずだけど、ここに居るって事は夫が居るんだ。
 アヌビスのメイド服って結構可愛い……。スカートが長いから清楚なイメージだし。
 ワタシは服を着ようとしてもすぐに服が濡れてしまうから、おしゃれには縁がない。身体を服の形に変えるっていう手もあるけれど、それとこれとは違うし……。
 そんな事を考えながら、ワタシはてきぱきと接客をこなしているアヌビスを眺めていた。

 「むぐ……ラセナさん、食べないの?」
 「あ……っ、ごめんなさい」

 セージさんの声で意識が戻った。ワタシ、失礼な事してたよね……。
 ともかくサラダサンドを手にとって食べてみれば、レタスのシャキっとした食感とトマトの程よい酸味、後は口にした事がない不思議な味のソース。不思議な味だけれど、野菜とぴったりな味でとても美味しかった。

 「…………おいしい」
 「よかった。僕が作ったわけじゃないけど」

 安心した表情になってからまたセージさんはサラダサンドをゆっくりと食べ始める。ワタシもそれに続いてサラダサンドをかじる。
 …………こんなまともな食事、家を出る前日にお母さんが作ってくれたご馳走以来だな。
 あれからはずっと虜の果実ばかり食べていたから。
 ワタシ、本当に怠惰な日々を過ごしていたんだな……。料理もやらずに、ずっと同じ事の繰り返しで。そんなワタシに神様が怒って無理やりここまで飛ばしたんだろう。
 きっともう、魔界へは戻れないんだ。ワタシの故郷からずいぶんと遠くまで吹き飛ばされてしまって、ここが何処なのかもわからない。何かしらの運が働いて、反魔物国家じゃなく親魔物国家だったのはよかったけれど……。でも、これからどうなるかなんてわからない。ワタシは元々ダークスライムだから服なんてないし、道具も魔法を少し使えば事足りたけれど、ここではそうはいかないだろう。
 だってここは虜の果実が実っている木が沢山あるダンジョンではなく、街なのだから――――――。
 …………あ。

 「あ、の……セージさん」
 「んー?」

 口いっぱいにサラダサンドを咀嚼しているセージさんに、とても、すごく、言い辛い事を言わなければならない。
 ワタシは馬鹿だ。堕落した生活を送っていたからこんな事になってしまうのだ。見ず知らずの魔物であるワタシに対して優しく食事に誘ってくれたというのに、その優しさを仇で返してしまうなんて。

 「あの、あの……」
 「ごくん。うん」

 首をかしげてワタシをじーっと見つめるセージさんをまともに見られない。
 だって、ワタシがこの言葉の続きを言ってしまえば、優しいセージさんの表情も憤怒で歪んでしまう事だろう。その瞬間を見たくない。見たくないけれど、今言わなければいけない事なんだ。じゃないと、もっと酷い事になってしまうだろうから。
 早く言って、何かしらの方法で許してもらわなきゃ…………。
 でもワタシ、何も持っていない。価値のある品なんてないし、あるのはワタシのこの身体一つだけ。
 だとすればワタシの身体を使うしかない。
 どんな命令でも、ワタシに拒否権はなくて実行するのみ。ああ、どうしよう。ワタシのこの身体を実験体に使われたりするのだろうか? ありとあらゆる物質をワタシの身体に混ぜ合わせて反応を見る、とか。そんなのワタシ、死んじゃう…………。神様、これがワタシに対する罰なのでしょうか…………?

 「ラセナさん?」
 「あっ、えと……ごめんなさい」

 言わなくちゃ。言わなくちゃ。
 怖い。怖い。
 言わなきゃだめ。
 恐ろしい。

 「おっ、おか……、おか……ね」
 「?」
 「お金……持って……ないん、です」
 「…………」

 いやあああああああ!!
 ワタシを、ワタシを見ないで! 唖然としたセージさんの表情を見ていられなくて、テーブルを穴が開くほどに見るしかない。
 きっと唖然から怒りに変わって、次にセージさんはワタシにこう言うんだ…………!
 テメェふざけ――――

 「あー。じゃあ仕方ないねー」

 んな…………って。
 あ、れ?

 「大丈夫だよ。ここは僕が出しておくからー」
 「あ……ぅ、え?」
 「そういえばラセナさん荷物持ってないもんねー。ごめんごめん」

 怒るどころか、謝られてる?
 え? ワタシの幻聴? 現実逃避でそう受け取ってるだけ?
 …………けど、恐る恐るセージさんを見れば。

 「女の人に食事を奢るって初めてだなぁ」

 そんな事を言いながらサラダサンドを食べて、ミルクティを飲んで穏かにため息を一つ。
 幻聴じゃない? これ、本当に現実?
 どうして? お店に入る前にお金を持っていない事を言わずに、料理を食べてから言うなんて怒られても仕方ない事の筈なのに。セージさん本人は怒るどころかご馳走すると言ってくれて、食事を再開している。
 なんで?

 「あの……、怒らない、んですか?」
 「怒る? 何に?」
 「ワタシがお金、持ってない事を先に言わなかった……から」
 「それは僕が気づかなかったのが悪いし、それに女の人に食事を奢るっていう機会を得たからむしろ僕としてはちょっとラッキーだなぁって思ってるよ」

 何を言っているの? この人は何を考えているの?

 「ラッキー、ですか」
 「ん。僕の知り合いの魔物さんってみんな小さい頃からずっと付き合っている人が居たりして、気がつけば学校を卒業してて今に至るんだ」
 「…………はぁ」

 言葉を認識出来ても、その意味が上手く理解できない。
 食事を奢らせたワタシに対して、どうして感謝しているの?
 わからない。わからない。

 「こうやって女の人と食事するって事がなかったから、今日はいい日だなー」
 「…………」

 お金を持っていない事を怒られずに済み、それどころか喜んで奢ってくれるというのに、ワタシはサラダサンドの味がわからなくなってしまう程に混乱していた。
 ワタシが想像していた人間像とは大きくかけ離れた男性。
 しかも、まるで今まで一度も怒った事がないような人で、その不思議な雰囲気にワタシはその裏に何かおぞましい物が隠されているのではないかと疑ってしまうほどだった。
 けれどそんな事も知らずにセージさんはサラダサンドを全て食べて、サービスのミルクティのおかわりをのんびりと飲んでいる。
 対してワタシはもはや何を食べているのかわからないといった状態になってしまい、何度も何度もセージさんの様子をチラチラと見てはサラダサンドを食べていた。

 「…………」
 「…………」

 と、セージさんがワタシをじっと見つめていた。
 視線を感じると食べにくいのだけど、何だろう。ワタシ、何かおかしな事でもしているのかな…………。
 でもサンドイッチを食べるのに硬い礼儀作法なんてあるの?
 そう思っていると、

 「本当に消化って感じ」

 一言、感想を述べたのだ。
 突拍子もない発言に思わずワタシは首を傾げるが、次第にその言葉の意味を理解し、かぁぁぁっと顔が熱くなってくる。

 「その、あんまりみないで……ください」
 「あ、ごめん」

 ワタシたちスライムの種族は半透明で、身体の向こうにあるものが透けて見える。
 よって食事をすればそれを体内に取り込んでいるのが丸わかりなのだ。
 改めて、しかも初対面の男の人にそれを指摘されると、とても恥ずかしい。それに消化する位置は身体の中心だから同時に胸も見られているみたいで余計に恥ずかしいのだ。

 「うぅ……」
 「見ないようにするね。ごめん」
 「…………はい」

 こんなに、しかも異性の人間に見られたのは初めて。
 そう思うと余計にサラダサンドの味がわからなくなっていった。



 「あの……、本当にごちそう、さまでした」
 「うん、気に入ってくれてよかった」

 にこっと笑ったセージさんはさっきのお店で感じていた、結界を通して感じた日光みたいに温かい笑顔で頷いた。
 外に放り出されて、もうワタシは人間に殺されるしかないと思っていた未来だけれど、親魔物国家に飛ばされてセージさんという優しい人と出会えた。初対面のワタシを邪険に扱う事もなく食事までご馳走してくれた。
 でも、ここからはセージさんに迷惑をかける訳にはいかないんだ。
 意図せずに魔界から出て、幸いここは親魔物国家。
 右も左も全くわからないけれど、きっとどうにかなる……はず。

 「いつか、お、お礼、します」
 「気にしなくていいよー。困った時はお互い様って言うし」
 「でも、その、それじゃあ気が済まないですし、悪い……ですし」
 「そっかー。じゃあ期待しておくね」
 「は……はい」

 それじゃ、とセージさんは手を振って何処かへ行った。
 ワタシも彼の背中へ手を振ってから、改めてやってきた街、『フェリーチェ』の街並みを眺めた。
 道を行く人たちのほとんどが人間と魔物娘のカップルで、他は異種の魔物娘が仲良く歩いていたり、人間同士で遊んでいたり。
 魔物娘の種族も多くて、ワーキャット、ワーシープなどの動物系魔物娘やアラクネ、ジャイアントアントのような昆虫系魔物娘。中には魔女がサバトの勧誘をしていたり、サキュバスやゴブリンといった魔物娘。ワタシと同じスライム系魔物娘も居た。
 一言で言えば、このフェリーチェと言う街は活気に満ちている。
 というか、ワタシの故郷の魔界と殆ど変わりないのだ。違っていると言えば、魔界よりも魔物娘の種類が多い事と魔力で空が覆われていない事。ここには精霊の魔物娘が居ないのだろうか? それともさっきのカフェのように特殊な魔術が施されているのか…………。
 魔界は常に薄暗かったけれど、この街並みを見ていると太陽の光で照らされた世界も悪くないと感じた。ワタシと同じようなスライム系の魔物娘は太陽の光で透き通っていて綺麗だったから。ワタシは……、紫で綺麗なんて言えないおどろおどろしい色だ。主に魔界が生息地なダークスライムだから浮いてしまう…………。
 これ以上考えるとより落ち込んでしまいそうだから、歩きながらこの街を眺めよう。
 初めての外の世界、そして親魔物国家だから目に映るものが全て新鮮に見える。
 と、ここでまた魔界とフェリーチェの違いを見つけた。
 外で堂々とえっちしている夫婦がいない。故郷の魔界だと人の目なんて気にせずに外でえっちしているというシチュエーションに酔った夫婦が乱れに乱れていたのだけれど、そんな事をしている夫婦なんて一組もいない。
 路地裏でこっそり……なんていう夫婦すら見当たらない。何か、特別な決まりでもあるのだろう。
 …………なんだか、この街は面白い。

 「ワタシ、もしかして運がよかったの……かな」

 そういうしか他にはないだろう。
 魔界の奥にただ一人で食べては寝て、食べては寝ての繰り返しで全く生産的じゃなかった。
 でもここまで離れた場所に吹き飛ばされて、偶然にもここは人間と魔物娘が共存する親魔物国家。
 やっとワタシは本当の意味で独り立ちしたのだろう。……いや、これから独り立ちに訂正しよう。まずはここで生活をしていく為の準備をしなくてはいけないのだから。

 ――――ぷにっ。

 「!?」

 な、なにっ!? 今、誰かにつつかれた!?
 慌てて振り返ると、そこにはワタシよりも小さくて、白髪のショートヘア。そして褐色の肌で好奇心できらきらと輝いている大きな瞳。
 珍しそうに小さなグールがワタシの特徴である半液体状の感触を楽しんでいた。
 突然の出来事に動けないまま、それでもワタシの身体をつつき続けているグールの少女に声をかける。

 「あ、あの……」
 「あははっ! むらさきでぷにぷにー!」

 鋭く尖った犬歯を無邪気に晒しながら、グールの少女は依然ワタシの身体をぷにぷにしている。
 見るからに元気の塊、という感じだ。そういえばグールは同じアンデッドのゾンビとは違って動きが俊敏で凶暴――魔物娘にとっては凶暴はとても元気があるとかそういう意味も含まれているに違いない――なのが特徴だ。それが幼いとなると、普通は魔界に居るようなダークスライムがここに居るのが珍しいのだろう。

 「……ワタシの身体、面白い?」
 「うんっ! 見たことない色だけどクーちゃんといっしょでぷにぷにー♪」
 「クーちゃん……。クーちゃんはスライムなのね?」
 「そうだよ! あれ、でもお姉ちゃんはぼーっとしてないね」
 「うん……、ワタシはダークスライムだから」
 「だーくすらいむ? あっ、このお顔はなにー?」
 「そ、そこはだめ……っ」

 グールの女の子が好奇心に突き動かされるがままにワタシのスライムコアに手を伸ばすが、それを守るようにワタシは自分の身体を抱く。
 スライムコアはワタシたちダークスライムの特徴であり、これがあるから高度な魔法が使えるのだけれど、これに触れられると全身に強力な電撃魔法が走ったかのように敏感なのだ。
 けれどそんな事も知らないだろうグールの女の子は、指を咥えて首をかしげた。

 「なんでー?」
 「ここは、触られるとだめに、なっちゃう……の」
 「だめになっちゃう?」
 「そう……。きっと倒れちゃう、くらいに」
 「そうなんだぁ――――」

 ここで、少女の瞳が確かに光ったのを見た。
 ワタシは瞬時に身体を引くと、グールの少女の手が何も掴めずに空振った。

 「あっ!」
 「だ、だめなのっ!」
 「いいでしょー!」
 「よく……ないのっ」

 こんな、こんな天下の往来でスライムコアに触れられて悲鳴なんて上げたら…………。
 だ、だめ。それだけは避けなきゃだめ……っ!

 「逃げないのー!」
 「だめなんだって、ばぁ……っ」

 小さくても、やっぱりグールはグールだ。ワタシのスライムコアに触れようとしている手の残像が見える程のスピードだったから。
 きっとあんなスピードでワタシのスライムコアを鷲掴みにされたら、とんでもない事になってしまう…………っ!

 「いいでしょ、いいでしょ!」
 「だめ……っ、だめぇ……っ!」
 「触りたいの――――ひゃぅっ!?」

 どんどんとワタシに迫ってくるグールの少女の背後に、突然彼女と全く同じ白髪の女性が現れて、軽々と持ち上げた。
 
 「こらっ!」
 「あ、ママ」
 「あ、ママ、じゃないでしょ。いきなり居なくなったかと思ったら、悪戯なんかしてっ」
 「あ……あの」

 腰まで伸ばした綺麗な白髪のグールはどうやらこの子の母親らしい。
 ワタシよりも何歳か上のように見える。

 「ごめんなさいね、ウチの子が悪戯してしまって」
 「いえ、その……いいんです」
 「あーん、ママぁ、おろしてー」
 「その前にお姉さんにごめんなさいは?」
 「うー、ごめんなさぁい」
 「ったくもう……」

 確かにグールの少女にもうちょっとで大恥をかかされる所だったけれど、未遂に終わったし、目尻にちょっと溜まった涙を見てしまうと、この子が可哀想になった。

 「ワタシは、大丈夫なので……」
 「そうですか? でも何かお詫びを」
 「い、いえっ、その、本当に大丈夫なので……っ」

 流石にそこまでされると逆に悪い。それにこの子だって悪気があった訳ではないだろうし、好奇心でやった事なんだ。無邪気で、可愛いじゃない。
 さっきまで元気だった表情が暗くなった女の子と視線を合わせて頭を撫でてから、

 「落ち込まないで。ちゃんと謝れるのは偉い事なんだから」
 「そう……なの?」

 しっかりと頷いてから、出来るだけ笑ってみせた。
 すると女の子は元気を取り戻して、また無邪気な笑顔を見せてくれた。

 「ワタシはラセナ。あなたは?」
 「エクリュ!」
 「エクリュちゃん?」
 「そうだよっ! あたしの髪の色と同じ名前なの!」

 グールの少女、エクリュちゃんは心の底からこの名前を気に入っているようだ。
 溢れんばかりの笑顔がそれを物語っている。親からもらった名前を大切にしている、それはワタシもそう。

 「ワタシの名前はね、お花の名前から取ったのよ」
 「そうなんだぁ。お姉ちゃんもその名前、好き?」

 今度は、作る必要もなく自然と笑みが溢れた。
 もう一度エクリュちゃんの頭を撫でれば、くすぐったそうに笑う。

 「うん、ワタシもこの名前が好きよ」
 「いっしょー!」

 ワタシとエクリュちゃんの話を、母親のグールは照れ臭そうに頬を掻いた。

 「ありがとうございます、ラセナさん。許してもらうだけでなくウチの子を慰めてくださって」
 「いえ、いいんです。エクリュちゃんはとてもいい子ですし」
 「そう言って頂けて嬉しいです。私はエリー。見ての通りグールです」

 魔界で見た事がある、瞬時に次から次へと足場を移動していくあのグールも、母親になるとこのエリーさんのように落ち着いた女性になるのだろうか。
 母親になるって凄いんだ…………。

 「それにしても、珍しいですね。この街でダークスライムを見るなんて」
 「あ…………それは、ちょっとした事情と言うか」
 「わ、私ったら余計な事を」
 「いえ、いいんです」

 あれはワタシが悪かったのだし、こうして運よくこの街にやってきたのだから。

 「それにしても、ここはとても活気があって……、みんなが楽しそうにしていて」
 「そうですね、ここは『しあわせの街』ですからね」
 「しあわせの街……」
 「えぇ。フェリーチェは幸せという意味なんですよ」

 これは果たして偶然なのだろうか?
 それとも神様がワタシに与えてくれたもの?
 どちらなのかはわからないけれど、ワタシはこれを運命だと受け取る事にした。
 ワタシの名前の元になった花、その花言葉は幸福。
 これからこの街で生きていくには十分すぎる理由になるだろう。

 「――――素敵ですね」
 「えぇ。私もそう思います」

 エリーさんは暖かい笑みでエクリュちゃんの頭を撫でた。
 その意味はきっと、エリーさんにとっての『幸せ』の一つだから。
 彼女たちだけじゃない。この街にはエリーさんたちのような家族が沢山居るんだ。
 フェリーチェというその名前に偽りはない。

 「ここに住んでみよう……かな」
 「あら、それは嬉しい事ですわ」
 「はい。それに……、折角エクリュちゃんとお友達になれたんだもの……。ね?」
 「うんっ♪」

 初めてやってきた街で出来た、初めての素敵なお友達。
 それにセージさんにも優しくしてもらって、ワタシの中にあった不安が少しずつ晴れていくようだった。
 エリーさんにこの街の住人になる為の手続きをする場所を教えてもらって、早速その市役所と言う施設に向かう事にした。
 元気に手を振るエクリュちゃんに手を振り替えして、早速市役所へ。
 ワタシの新しい生活は、きっといい事が起こる気がする。
 この街を歩いていると自然とそう感じるのが、フェリーチェのいい所だなぁって思う。
12/04/01 14:46更新 / みやび
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■作者メッセージ
という事で始まりました新しい連載ものです。
心が温まって、幸せになれる そんなお話を目指していこうと思います。

のんびりとお待ちくださいませ……。

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