連載小説
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終焉の開始
 シグレは、森の中を東へと逃げていた。その背後には、俺を追ってきた連中が大挙して追いかけてくる。

『シグレ、待てっ! 大人しく捕まれっ!』

 昨日まで、同僚であった聖騎士の連中である。彼らは、決してシグレを逃そうとはしない。なぜなら、彼は自分の同僚だった奴を斬り殺したのだから。

 シグレは走っては斬り、斬っては走る。一つの所に留まって追っ手を迎え撃つのは、愚の骨頂であった。追っ手は、一応は精鋭と称される聖騎士の一員である。多数を相手にしては、一瞬で斬られるであろう。

『シグレっ! 貴様ぁ!』
「俺は、お前らなんかには捕まらねえ」

 追っ手は、思わぬ事態に焦りの色を見せる。十人もの聖騎士が、たった一人にやられているのだ。無理も無い。だが、彼らとシグレでは、踏んできた場数が違う。シグレは最後の一人を斬り殺すと、そのまま逃避行の旅を続けた。



 シグレは幼い時から剣術を仕込まれ、そして教会の教えに従い、聖騎士団の一人として幾多の魔物を討伐してきた。幾多の働きによって祖国では英雄ともてはやされていた。また、彼はある女と知り合い、そして結婚の約束も交わしていた。

 まさに、順風満帆であった。輝かしい未来が訪れるのだと、彼自身は信じていた。だが、運命の賽は投げられる。

 彼の許婚は滅茶苦茶可愛かった。こんな美人が将来、自分の嫁になるなど信じられず、彼は有頂天だった。今ならばはっきりと言えるが、この時の彼は何も見えていない大馬鹿であったと自覚している。もし、この時の彼が目の前に居たら、今のシグレなら殴ってでも目を覚まさせただろう。しかし、過去は変えられない。ある時彼は、彼が入っていた騎士団の同僚と、恋人が浮気していたというのを知った。彼は憤った。なぜなら、普段からその同僚とソリが合わず、好きだった女があんな奴とデキていたという事がショックだったから。

 しかし、事実確認もせずに行動を起こす訳にはいかない。シグレは即座に浮気の事を恋人に問い詰めた。その時は、まさかという思いであった。まだ、彼女を信じたかったのだ。だが、浮気の話になった瞬間、彼女は黙り込んだ。その様子に、シグレは顔から血の気が引いていくのを感じた。やがて、彼女は泣きながら全てを白状した。

 その後の事は、彼自身もあまりはっきりと覚えていない。ただ、即座に恋人に別れ話を切り出したのは覚えている。ずっと騙されていたのだ、当然である。彼女は泣きながらシグレに縋り、許しを乞うた。しかし、彼はそんな彼女を振り切った。

 その後、シグレは同僚を待ち伏せて、彼女との浮気を詰った。すると、そいつは薄ら笑いを浮かべて言った。「寝取られる方が悪い」と。さらに、そいつの口から出てくる、彼女が漏らしたというシグレに関する愚痴の数々。その中には、他人では知り得ないような細かい内容の物もあり、浮気の事実は疑いようが無かった。

 シグレは即座に剣を抜いた。絶対にコイツを斬り殺す。その思いで一杯であった。相手も、憎悪をむき出しにして剣を向けてくる。そこから先は、あまり覚えていない。気が付けば、彼は血に塗れた状態で突っ立っており、相手は血の海に沈んでいた。剣を強く握りすぎて痺れた腕。断続的に聞こえてくる断末魔。そして、みるみるうちに地面に広がる血だまり。全てが鮮明であった。

 そして彼は、何もかも捨てて祖国を脱走した。こんな事で捕まってたまるか、と思った結果である。未練は無かった。ずっと隠れて浮気し続けた恋人、浮気や同僚の所業を知りながらずっと黙っていた連中。何もかも、信じられなくなっていた。



 だが、追っ手を撒いたり斬り殺したりして祖国を脱出するまでは良かったが、シグレには脱出しても生計を立てる手段は無かった。彼自身、当初は聖騎士だった経歴を活かして魔物の退治屋でもしようかと思っていた。しかし、世界は既に、彼のような者を必要としなくなっていた。

 祖国を出ると、信じられない事に悪だとされる魔物娘と人間の男が共存する国ばかりだったのだ。幼い頃から魔物が悪だという教えを受け、武の英才教育を受けてきた彼にとって、それはまさに衝撃であった。むしろ今まで平穏を乱していたのは、教会に影響された祖国だったと言えよう。

 今までの彼の人生は何だったのか、と文字通り絶望した。しかし、何人もの人や魔物を手にかけた事実は、もう消せない。

 こうなれば、行き着く先は一つしかない。当然のように、彼は死を選んだ。深い森を抜け、山を越え、海を渡り、そしてたどり着いた、寒風吹きすさぶ荒野にて、シグレという男は独り、誰に看取られる事も無く自らの命の灯火を消した。
14/12/05 13:05更新 / 香炉 夢幻
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