連載小説
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摘み取られた正義の芽
反魔物領の街、メンセマトのとある場所に一人の男が居た。

男は、民を魔物から守る為に騎士となった者ある。

実際……今の彼のやっている事が「そういう事」に繋がっているかどうかは別として、
男の心には、今でも彼なりの正義があった。

【他 の 者 が 自 分 の 中 に あ る 正 義 を 全 て 消 さ れ てい る に も 関 わ ら ず】だ。

男の正義も、本来ならば記憶から消されている筈だった。

しかし、男がとある事件に偶然遭遇した事により彼は思い出してしまったのだ。
彼自身の中にあった「真実」を。

男にとって自分の知る「真実」は耐え難いものだった。

魔物は、並大抵の人間よりも美しい。
実際に彼女達を目にした事はあるが、
今までに彼女達を超える美貌を持つ人間の女に会った事が無い。

魔物は、人間よりも優しい。
彼女たちは決して「殺し」をやらない。例えそれが、戦場で敵対した者であっても。

そして何より、魔物は人間よりも強い。
自分達と彼女達では戦闘能力の差が有り過ぎる。
3年前に、隣町の魔物達と戦場で敵対した時は、相手は無傷で此方は大損害。
挙句の果て、向こうには此方を「殺さずに倒すだけの余裕」があるという散々なものだった。

それらの自分が体験した事実を総合して男が出した結論は、
『人間はどうやっても魔物には勝てない』というものだった。

さらに男を絶望させたのは、魔物の強さだけでは無い。
今、自分達が置かれている状況のせいでもある。

3年前……自分達が新魔物領である隣町との戦いに破れ、撤退した後の事だった。

男を含む、魔物の手からなんとか逃れてこの国へと帰った騎士達は非常に憤っていた。
なぜなら、自分達がメンセマトの領主から聞かされていた情報と魔物の真なる姿はまるで異なっていたからである。

男は、魔物は人を喰らう化け物だと聞かされていたが、
実際の彼女達は、敵だと分かっていても見惚れてしまう程に皆が皆美しかった。
人外の特徴こそあるものの、むしろそれが彼女達の美しさを引き立てている。
どう考えても「化け物」という言葉は似合わない。

さらに、騎士としてそれなりの修行を積んできた男には分かっていた。
彼女達が、最初から自分達を殺そうとはしなかった事を。
「相手を殺さず倒せるだけの余裕があればそうする」のと、
「最初から絶対に相手を殺さないつもりで戦う」のでは戦い方がまるで異なる。
魔物達の戦い方は、後者だった。
つまり彼女達が「人を喰らう」というのはデタラメである可能性が高い。

仮に相手が自分達を行きたまま利用しなければならない事情があるにしても、
敵が自分達に対して悪意を持っているなら「なるべく」で済むだろう。
ましてや戦場でも魔物達が自分達を殺そうとしなかったのは、
最初から自分達に対して敵意を一切抱いていなかったからではないだろうか。

男が自分の考察から出した結論は「領主の言っていた事は全部嘘っぱち」である。
男の仲間達もそれは同じだった。

そして、領主に対して怒りを抱いた自分達が、
彼の部屋の扉を蹴飛ばしてそこへ踏み込んだ事までは覚えている。

しかし……そこから先の記憶が無い。

気が付けば、
騙された筈の自分達は当然のように【魔物は憎むべき敵だ】と思ってしまっていた。

原因は、恐らく領主だ。

ヤツが他人に対して「命令」を行うと、
命令をされた者は操り人形のようになり、領主の命令に自分の意思とは関係無く従ってしまう。

『それ』が何かは分からない。
しかし、領主は確実に怪しげな『何らかの力』を使って自分達の記憶を操作している。

……『その事』に気が付いた男は、
自らが魔物の真実を知った時よりも深い絶望を覚えた。

自分が3年前に知った「真実」を最近になって取り戻す事が出来たのは全くの偶然。
つまり、他の仲間達はそうでは無い。
男が真実を皆に伝えた所で、偽りの記憶を刷り込まれている皆がそれを信じるとは思えない。

男が自分の記憶を取り戻す際に体験した「偶然」だって、
彼にとっては、魔物の強さを屈辱的な形で思い知らされただけだ。
その時の『失態』が原因で、今の自分が騎士であるにも関わらず、
便所掃除などという下らない事をさせられている。

「クソっ……!」

男は汚れたブラシをバケツに放り込みながら、歯噛みした。

『自分が知った真実』は、きっと仲間にとっても領主にとってもきっと都合の悪い真実だ。
その事で今更喚いた所で、負け犬の遠吠えという事に「されて」終わりだろう。
それどころか、男が真実を取り戻した事を領主が知れば、男は彼によって再び記憶を消されてしまうだろう。

敵は自分達よりも遥かに強く、味方には誰一人として頼れる者は居ない。
それ故に男は「操られたフリ」を続けるしか無かったのだ。

しかし、だからといって男は魔物の味方になる気にもなれなかった。

……はっきりとは覚えていないが。
3年前に隣町との戦いで敗走した自分達が魔物の手から逃れている最中、
彼女達が自分達に対して「旦那様」や「愛してる」という単語が使って来たのを覚えている。

かつてメンセマトで『勇者』と呼ばれていた元親友もよく戦っていた。
だが白い肌をした蛇のような魔物に惚れられた挙句「貴方になら殺されても構わない」と言われ……敵意を喪失して投降してしまった。

その他にも、彼女達に捕まってゆく仲間達の表情は必ずしも嫌悪を帯びたものでは無かったし、
その後もかつての仲間達が悪い扱いを受ける事は無かったのだろう。
魔物に捕まってしまった仲間達は既に「死んだという事にされている」が、
実際にその中で死んだと報告された者は一人も居ないし、
隣の新魔物領から生きて逃げ帰った者も居ない。
つまり、彼等は今でも自分を捕らえた魔物の傍らに居る確率が高い。
それだけ、彼女達の傍らに居るのは心地良いのだろう。

その証拠として「かつての仲間達」は「魔物の味方」として隣町の軍に編入されつつあるという情報が何処からか入って来た。

ならば自分も魔物達に投降してしまった方が良いんじゃないか、と男は考えたりもした。

だが、男が結局そうする事は無かった。

「それって、今の俺達と何が違うんだって話だよな……!」

男は、魔物の手に落ちたであろうかつての仲間達を思い浮かべながら……誰にそれを聞かせるでも無く独り言ちる。

男には、
歪んだ現状ですら打破出来ずに領主のような外道に良いように操られている今の自分達と、
味方であった筈なのに、魔物の好意を受けてもう帰って来ないどころか敵方の勢力になりつつあるかつての仲間達は同じにしか見えなかった。

結局、魔物は「自分達に悪意を抱いていないだけ」で、
彼女達がやっている事は領主のやっている事と同じような「洗脳でしか無い」のでは無いか?
その事に気が付かず魔物達は「良かれと思って」自分達を滅ぼそうとしているだけでは無いか?

男が反魔物領であるメンセマトで育ち、騎士となったが故の魔物への偏見。
それは簡単に消え去るようなものでは無く、男を苦しめ続けた。

何が正しくて何が正しく無いのか分からず、
それを分かった所でどうすれば良いかも全く分からない。
……男の精神は日に日に疲弊して、正常な判断力がどんどん失われつつあった。

そんな中でも、男はただ操られたフリを続けるだけでは無かった。

男は、現状を打破する状況を一つだけ思い付いていた。
後先考えずの、半ば八つ当たりのような思い付き。

それは「領主を殺す事」だった。

騙されているフリをして領主に近付き、隙を見てヤツを殺す。
その後、偽りの記憶を刷り込まれている皆に殺されても良い。
ただ、計画を実行するまでに皆が『真実』を知る事の出来るような何かを遺して置けば良い。

自分は今まで「魔物の手から人々を守る為に」騎士となった。
その為の努力も、全て無駄だった。
そして、この後の人生も希望が全く見えない。
だったら、自分が死んだ後の世界がどうなろうとも、どうでも良い。

男がそう思い、自らを嗤った……その時である。

“――――よ、私の声が聞こえますか?”

男が「その声」を始めに聞いた時は酷く動揺した。

当然である。
男の周りには誰も居ないにも関わらず、男の耳には確かに声が聞こえて来たのだから。

「だっ、誰d……!!!!」

声に反応して後ろに振り返った男は、絶句する。

そこには、誰も居ない筈だった。
しかし、そこには確かに「何か」が居る。

そこに居たのは、人間の形をした……光の塊。
神々しい黄金の光を放ちながら佇む、人の形をした人ならざる存在。

「それ」を見た男は、目の前の存在をこう解釈した。

眩い黄金の光を放ち続ける「自分の目の前に居る何か」は、人間や魔物を遥かに超越する何かだ、と。
……それと同時に、男は自分でも気が付かぬまま心の奥底で願っていた。
「目の前に居る神々しい何か」がドン底に居る自分を救ってくれる事を。

「あ、あんたは一体……!?」

男の言葉に、光の塊が応える。

“私は、あなた方が【主神】と呼んでいる者の一部です”

男は、心の中で舞い上がった。
何せ、自分が心の奥底で願っていた事が叶ったのだから。

男の中では「主神教」に対する敬意は魔物の真実を知ってから消え去りかけていたが、
主神そのものに対する信仰はまだ死んではいなかった。
「主神を信じているだけの人間」は魔物に勝てずとも、
「主神そのもの」であれば魔物をこの世界から駆逐出来ると、男は信じていたから。

敵に追い詰められ、味方にだった筈の主に裏切られ、仲間は操られている。
そんな状況に置かれた男にとっての最後の心の支え。
それが「主神への信仰」だったのだ。

「あ、貴方が、しゅ……主神樣の一部……!?」

振って湧いたような助けに期待に胸を躍らせる自分の理性を何とか抑えつつ、
男は「ソレ」へ問いかける。

“ええ、そうです。実は――”

光の塊は、男に自分の正体を告げた。

……元々自分は領主に取り付いていた「勇者としての加護」だった。

しかし、領主は「加護」を思うがままに振るい、
味方である筈の人間達を操るばかりか、
今度は「加護」を使って魔物を操り人形にして彼女達の力を手に入れようとしている。

だから自分は領主の元を離れようと思ったが、領主の元には力だけが残ってしまった。

領主を何とかして止めたいが、
彼の周りに居る人間は既に操られていてどうにも出来ない。

そこで光の塊は偶然にも記憶を取り戻した「男」へと助けを求めたのだ……と。

光の塊が話した事に、男はとりあえず納得した。

3年前、記憶が無くなった時。
領主は自分達を「操った」だけで殺さなかった。
自分の敵を排除する、もしくは口を塞ぐには殺してしまうのが一番手っ取り早い。

しかし、領主がそうしなかったのは自分達を利用したいと思っているからだろう。
光の塊の話を聞く限り、どうやら領主は「魔物達に対して『加護』を使い、操り人形にする事」を考えていて、その為に自分達を生かしているようだ……と。

男は光の塊が話した事実により、とりあえず今自分が置かれている状況を掴む。
自分の状況を掴めた事で心に少しだけ落ち着きを取り戻した男は、ふと疑問に思った。

それは「なぜ、主神は領主に『加護』を与えてしまったのか?」という事。

主神が領主に加護を与えたタイミングは……多分「あの時」だ。
「隣街の魔物達に負けて帰ってきた自分達が、領主の元へ駆け寄る直前」だ。

以前から領主が「加護」を使えたのなら、
彼の性格的に「加護」を使って魔物を討伐しようとした筈である。
領主の部屋に自分達が踏み込んだ時に領主が「加護」を持って居なかったのであれば、
今、自分の置かれている境遇に説明が付かない。

何より、なぜ主神は領主のような人間に加護を与えてしまったのかという事である。
彼のような人を人とも思わぬ人間によって、真実は隠され、仲間の記憶と共に正義は歪められていた。
主神なら、領主が「そういう事をする人間」だと気が付く事が出来た事が出来ていたのではないだろうか?

男のそういった予想は、的中していた。

主神と、主神の分身たるこの光の塊にとって大事なのは、
人間が魔を滅するという結果「だけ」だったのだ。

男以外のメンセマトの騎士達は、魔物の真なる姿を理解して彼女達を「味方」だと判断した。
しかし「男」と「領主」はそれぞれに事情があってそうでは無かった。

だからこそ、光の塊は彼等を利用したのだ。
わざわざ、彼等が「詰み」にも等しい状況になってから『加護』という形で手を差し伸べた。

ところが間一髪の所で、男は「その事」に気が付いてしまった。

男の精神は完全に摩耗していたが、今まで色々な事があり過ぎて疑心暗鬼になっていた。
それ故に、振って湧いたような目の前の「希望」に対してバカ正直に縋り付けなかったのだ。

男は主神に対して信仰を失っていないが故に全く信じていない訳では無いが。
彼にとって光の塊が喋っている事はどうもちぐはぐに思えてしまった。

精神的に追い詰められた男に希望の糸を掴ませ、そのまま自らの操り人形にしてしまう。
そんな光の塊の計画に暗雲が立ち込めつつあった。

『目の前に居るのが主神なら、どうしてもっと早く自分達を助けてくれなかったのか?』
『こんな回りくどい事をしなくても主神なら全部自分で何とか出来るのでは無いか?』
『にも関わらず今の自分「なんか」に協力を求めるのは、光の塊が何か良からぬ事を考えようとしているのではないか……?』
『そもそも、こんなヤツが勝手に敵視している魔物とは絶対的な悪なのか?』
男の胸中に疑問がどんどん膨らんでゆく。

“貴方は、私に対して疑問を抱いているようですね”

光の塊が発した言葉に、男は無言で俯く。

“ではお答えしましょう。
私が何故、今まであなた方に対して手を貸さなかったのか?
そして、私が何故魔物を滅ぼそうとしているのかを”

光の塊は、手を伸ばし男の額に触れる。
男の疑問をブチ壊す為に、光の塊は彼へとそのまま『劇薬』を投入する。

それは「人間の弱さ」に絶望しきってしまった男にとっては、眩すぎる光。
男が「この世界」では決して見る事の出来ない光景だった。

「おお……!
お、おおおおぉ………!!」

男の脳へ、光の塊によって「とある光景」が流されていた。

男は、それを見ながら感激のあまり涙を流し……吠えた。

天に届くのではないかと思うほどの四角く高い塔。
馬よりも遥かに早く走る鉄の塊。
男が見たこともない、強く明るい光が溢れる真夜中の街。
そして、そこら中に溢れかえる……人、人、人。

……「そこ」に居る人々は皆笑っていた。
自分達と違い……何かに怯える事無く。
皆が皆、そこらの貴族が着ていそうな上質な服を着て。
平和に、楽しそうに。

この光景を初めて見た男だが、理解した。
これが自分達の世界よりも遥かに発展した文明をもつ「異世界」だと。

“これは『知的生命体が人間しか居ない世界』の光景です”

男は光の塊に言われて気が付く。
これだけ発展した世界なのにも関わらず「魔物」の姿が一切見当たらない。

“貴方は今の自分と人間そのものに絶望してしまった”

男は、確かにそうだと思った。
この世界の人間達は、魔物の姿を正しく理解しないまま虚ろな戦いを続けているか、
魔物によって死ぬ事も許されずに堕落を続けるのか。
「勇者」のような選ばれた者でなければ、そういった人生を歩むしか無いのがこの世界の人間だと……嫌という程思い知らされた。

“人間『なんか』魔物の家畜になってしまっても仕方ないと思ってしまった”

男は、またしても光の塊に図星を付かれた。
しかし、今の自分達があの「人間だけの異世界」に居るような人間へと変われれば、
道を間違えずに済むのかもしれない。

“なら、変えれば良いのです……この世界を”

光の塊が、男に与える。
自分の無力さに絶望した男へ、彼が心の奥底で抱いていた英雄願望に直撃する言葉を。

「え?」

“確かに魔物共は……世間一般で言われているような『怪物』では無いのかも知れません”

ぽかんとした表情を浮かべている男を見ながら、光の塊は何食わぬ顔で話を続ける。

反魔物領の世間一般で本来美しい女性である筈の魔物が怪物扱いされているのは、魔王に嫉妬した主神が有る事無い事を適当にベラベラ喋ってしまったせいでもある。

“ですが、魔物共は人を喰らう事よりも恐ろしい事をしています”
……それは、人を堕落させる事です”

それが実際に良からぬ事かどうかなんて関係無い。

主神が気に入らないという理由だけで何かを否定したとしても、
彼を信仰している男にとってはそれが「真実」となってしまう。

それが男の「魔物の手から人々を守る為にしてきた努力を無駄にしたく無い。そうであるが故に魔物は敵であって欲しい」という心の奥底に潜む欲と一致してしまえば、なおさら。

“魔物共は、貴方が今までして来たような『誰かの為の努力』を否定します”

光の塊は、男の「努力」を肯定して彼の機嫌を取りつつ、
男を「こちら側」だと。
そして魔物を「向こう側」だとさり気なく思い込ませる。

“正常な人間を人ならざる畜生とのまぐわいにしか興味を持てない『インキュバス』か『自分達と同じ魔物』に変えてしまうのです。
そして『魔物』か『インキュバス』に変わってしまった人間は『自分が快楽を求める為だけの』まぐわいしか生きる目的を見出だせなくなってしまいます。
……そうして「魔物」と「インキュバス」のまぐわいによって発生したケガレた魔力は、
強大な『サキュバス』である魔王の元へ集まってしまい、世界はさらなる闇へと堕ちてゆきます”

光の塊の言葉に、男もまた顔をしかめた。

彼は無意識の内に自分が「綺麗なもの」で、
魔物の側に居る者全てが「ケガレたもの」だと認識してしまった。

……男の思考回路が、既に光の塊にとって都合の良いように破壊されつつあった。

“自分を磨く努力をせず、誰かの為に涙を流すことも苦しむ事もせず、
ただただ……自分の為に快楽だけを貪っていたい。
そんな人間なら誰しも持っている『無自覚な悪意』を呼び起こし……人生を奪ってしまう。
それが……魔物です”

主神及び、主人神分身たるこの光の塊にとって……魔に携わる者は全て、無条件で悪。
故に……実際がどうであろうと関係無く、言いたい放題。
しかも、光の塊にとっては「思った事をただ喋っているだけ」であって、
間違った事を言っているという自覚が全く無い。
……要するに、誰よりもタチの悪い「無自覚な悪意」を持っているのはコイツ自身なのだ。

“そして……『魔物の居ない世界』がどれだけ素晴らしいか貴方も見たでしょう?”

光の塊の言葉に、またしても男は頷いてしまう。
しかし、男がそう思うのは当然である。

光の塊は男に対して「異世界」や「そこに暮らす人々」の綺麗な部分だけ……、
つまり主神にとって都合の良い部分だけを切り取られた映像であるが故に、
それを見た男が「異世界」に憧れてしまうのも当然の帰結だった。

「貴方は……メンセマトを……あの世界のように変えろと言うのか……。
でも、今の俺にそんな力は……!」

男は、悔しそうに握りこぶしを作る。
その手を、光の塊が腕を伸ばして優しく包み込む。

……光の塊の「無自覚な洗脳行為」は終盤に入りつつあった。

“貴方にも、今の私にもそれは無理でしょう。
ですが、もうすぐ時が来ます”

「えっ?」

“これより約一週間後、メンセマトと隣町の新魔物領との戦いが始まります。
力に溺れた領主が戦争の口実を作ってしまったせいで……!”
ですが、領主がいくら頑張ろうとも、隣町の魔物を全て駆逐するには至らないでしょう。
所詮は、私が与えた貰い物の力を振り回すだけですから……!”

自分で領主に「加護」を与えて置いて、用済みになったら容赦なく捨て駒扱い。
傍から見ればこれ以上ないマッチポンプである。
しかし、今や完全に正常な思考能力が失われてしまっている男はそれに気が付く事無く、
むしろ間接的とは言え憎き領主に「天罰」を下そうとしている光の塊に敬意さえ抱いていた。

“領主が魔物に倒された時点で彼から『加護』が完全に剥がれて私の元へと戻ります。

「ですが、そんなに上手くいくでしょうか?」

“勿論です。
そうなる為の『仕込み』は既に【私自身の手で】済ませてあります”

自分の宿敵を自ら手を下す事無く倒し、力を取り戻す。
そんな都合の良い事が起こり得るのだろうか、と思った男だったが。
やけに自身満々な光の塊の様子に、引き下がった。
分身とはいえ、主神が自らの手で用意した布石なら……相当確実なものなのだろう、と。

“力を取り戻した私は、すぐに貴方へ取り付きます”

「かつての領主と同じように、ですか……?」

“いいえ、違います”

恐る恐る訪ねた男に対して、光の塊は即答した。

“私が心から望んで貴方と融合すれば、
貴方の『加護』は領主のそれよりも遥かに強いものとなります”

「!!!!」

男の心臓が、今までに無く大きく跳ねる。

自分達に散々煮え湯を飲ませてきた領主を超える力を、自分が得られる。
……これが「男へのトドメ」となった。

“そして覚醒した『我々』は、戦争行為によって疲弊したケガレ共を全て討ち……メンセマトを再び光で照らし……【救世主】となって降臨するのです”

「き、救世主とは一体……!?」

男は全身の血が沸騰するような高揚感を覚えていた。
最早、彼の正常な判断力は見る影も無い。

“それは『勇者』のように、生まれながらにして加護を持つ者だけの者では無く、
人間と神の分身が融合する事で生まれる、勇者も魔物も超える大いなる光……!”

「お……おれが……俺が……新たなるキュウセイシュ……!?」

男の心にあった「絶望」が、
光の塊が用意した「希望」へと完全にすり替わってしまった。

男の心にあった最大のウィークポイントは、
自分の弱さ故の絶望や彼を裏切った領主や仲間に対する失望では無く、
「魔物娘」や「勇者」のような『真なる強者への憧れ』だった。

光の塊が放った「救世主」という単語は、
心がボロボロになって露見した男のウィークポイントを的確に射抜いていた。

「そうか、そうだったのか……だから今まで……!」

男に残っていた疑念が全て砕け散る。
そこから、男にとって……そして主神にとって都合の言いように彼の思考が高速回転を始める。

自分が今までに受けた苦しみは、全ては自分が「救世主」となるための布石だったのだと。
ならば、罪の無い魔物や人間を排除したとしても、
そうする事で自分の手がどれだけ返り血で染まってしまったとしても、
それが「ケガレ無きセカイ」の布石となるならば『構わない』と……!

「クク……アハハ……!
神よ……ありがとうございます……!!
アッハハハハハハハハハ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

男は……変わってしまった。
自分で自分の事を「殉教者」だと思い込んだ「狂信者」に……!!

男がかつて抱いていた……自分の命を犠牲にしてでもメンセマトに真実をぶち撒けようという「決意」は、光の塊によって全く別の禍々しいものへと変えられてしまった。

光の塊が男を自分の側へ引き入れたのも、
メンセマトから自分にとって都合の悪い『魔物に関する真実』を消し去る為だったのだ。

狂ったように……いや、
狂いながらもひたすら笑い続ける男を見ながら、光の塊は満足気に笑っていた。
14/11/01 01:57更新 / じゃむぱん
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■作者メッセージ
月末までにと予告していたにも関わらず、ギリギリアウトになってしまいました。
そして、毎回書いてる内に内容がどんどん膨れ上がってしまうのは何故だろう(汗)

……今回はメンセマト側の話でした。
察しの良い方は、もしかしたら「男」の正体に気が付いてらっしゃるかもしれません。

それと、今回登場した「主神」と「光の塊」の関係は、
電話の親機と子機のようなものだと考えて頂きたいです。
勿論ですが、この話に登場する『主神』及び『光の塊』とコイツ等が話している事は全て筆者の独自解釈によるものです。

次回からはちゃんと主人公のマモル君が登場します。
それでは、今回はこの辺で。

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