連載小説
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第六章
薄暗い部屋の中で、一人の魔物が艶かしい声を漏らしている。もしその声が耳に入れば、さぞ今夜は心の底から愛した男性と疲れ果てるまで楽しんでいるのだろうと思う人もいるかもしれない。
しかしそれは大きな誤りだった。もちろん、彼女にだってかけがえのない人は存在する、それも最近結ばれたばかりの新婚だ。生涯をかけての伴侶と初々しくも情熱的な夜を過ごす日々。そんな大切な時間を、先ほども述べたように彼女は"一人で"過ごしていた。そうせざるを得なかったのだ。
「カ、カルトス・・・ッ!ふぁっ・・・」
魔物クィルラはベッドの上で愛を叫ぶ。片方の腕翼で自らの慎ましくも艶のある胸と、その頂点で固くなった小さな桜色の突起を愛でながら。もう片方は太ももの間に伸ばし、鼓動のたびに疼く秘所を必死でなだめながら。
「ん、んぅ・・・あっ・・・!」
彼女の脳裏には愛する夫の姿と、声と、その精の味と匂いが焼きついている。まだ数回身体を重ねあっただけとはいえ、本人が居なくてもそれらを感じるように鮮明に思い出すことが出来る。だが、当然それだけで事足りるはずもない。クィルラは布団を抱き寄せて鼻と口を塞ぐ。若干の息苦しさはあるものの、交わったときに染み付いた雄の匂いが呼吸に合わせて彼女の感覚を支配した。その度に、餓えたクィルラの体は火で炙られるように熱く火照り、夫を受け入れる穴は足りないモノを求めて愛液を滴らせ、その上に位置する第三の突起物は充血し僅かに大きさを増して鮮やかな桃色に染まる。
「あっ・・・カ、カルトス・・・カルトスーーーッ!!」
一際大きな声をあげてクィルラは身体を仰け反らせつつ絶頂した。夫のことで頭を埋め尽くすと、強い快感が全身を走り抜けていく。秘所からは熱い液体が迸り、彼女の四肢は大きく震えて快楽の強さを物語る。
しかし、やはりこれは自慰行為にすぎなかった。仮初の幸福の後、あの荒野で過ごしているときに時折感じた強烈な孤独感がクィルラを襲った。夫の居る身での自慰という魔物特有の屈辱も相俟って、それは一層耐え難いものになる。荒い息を整えて、彼女の汗で湿った布団を強く抱き締める。そこに人の温もりは無い。改めてその事実を思い知ると、クィルラの目から涙が零れ落ちた。
「アタシはいつからこんなに涙もろくなったんだろうな・・・」
翼で涙をぬぐいながら、自嘲気味に笑った。そういえば、あの日も布団を抱き締めて泣いてたっけかな。雨の中飛び出して、カルトスの家に押しかけて、襲い掛かって・・・それから、アイツは一緒に暮らそうと言い出して・・・。
「雨、止まねえなあ・・・。こんな中どこで何してんだよカルトス、風邪引くぜ・・・」
窓の外を見て呟いた。星一つ見えない夜空の中、雨音だけがずっと鳴り続けている。あの教団の男が来てから二日、カルトスの姿は一度も見ていない。
雨が止んで太陽の光が雲を切り裂けば、アイツは何にもなかったように帰ってくるかな・・・?
そんな事を考えながら、クィルラは眠りについた

翌朝、厚い雲は未だに日の光を遮り、少しばかり弱まってはいたものの、雨も未だに降り続いていた。クィルラは、およそサンダーバードのそれとは思えないような憂鬱な表情をしながら、二日ぶりに玄関の扉を開けて町を歩いた。カルトスがいなくなってから何の行動も起こす気になれず、彼女は一歩たりと家の外へ出ることはなかった。家の中でさえ、食事や睡眠などを除いてはほとんどその場から動くこともせず、ただ愛する夫の記憶だけを必死にたぐりよせて、次第に体が熱を帯びてきてはそれを鎮める為に自分を慰める。二日、それだけで二日が終わってしまった。当然、姿を消したカルトスを探そうという考えに至らなかったわけではない。だがそれはあまりに無謀に感じられた。第一に何処を探せばいいのか見当もつかない。行き先を聞くことはおろか、別れの瞬間を見てすらいない。気がついたときには家は蛻の殻と化していただけなのだ。そもそも、彼に"行き先"などというものがあるのかさえ分からなかった。
そしてもう一つ、彼女が彼を探す気になれない理由がある。部屋に残されていた紙に書かれていた文、それから察するに、あの教団の男はカルトスの記憶を蘇らせてしまった。レヴィと共に男の記憶を覗いたときに見た、正気の沙汰とは思えない計画。それら全てを思い出してしまったのであれば、そしてその計画の通りに動いているのであれば、カルトスはもはやカルトスではなく、最初にクィルラを襲ったときのような、魔物を葬る為だけの名前の無い生物兵器に戻ってしまっているかもしれない。そんな状態の彼を見つけるのは、死ぬより耐え難いことだった。
「ところでさ、発情期のハーピーが男を見つけたらどうすんの?やっぱりその場で青姦・・・」
「もうアンタは・・・口を開けばエッチなことばっかり♥」
ふと、彼女の隣をハーピーの番が通りすがった。相合傘に入り幸せそうに談笑している。様子を見るに新婚か、あるいはまだ知り合ったばかりなのかもしれない。尤も、魔物の愛が冷めることなどありはしないのだが。クィルラは二人に幻覚を見た。男の顔はいつの間にかカルトスに置き換わり、隣にいるハーピーは自分だった。あのまま何事も無ければ、こんな風にイチャつきながら町を練り歩けたのかもしれない。あるいは人通りの無い道に紛れ込みそのまま・・・。
「―!」
我に返ったときには、二人の姿は元通りになっていた。男はカルトスなどではなく、ハーピーも自分ではない。ただの見知らぬ仲睦まじい夫婦でしかなかった。そして僅かな嫉妬心がクィルラに芽生え、それが引き金となった。
「そんなにしたけりゃ気絶するまでヤってな!」
クィルラはやや威力を抑えた雷をハーピー目掛けて放った。見事にそれは命中しハーピーはその場で腰を抜かしてしまった。
「あ・・・あっ」
だが抑えただけあって、動けぬほど痺れはせず、もたらされた快感は絶頂に足るものではなかった。所謂生殺しである。そして隣には自分の大好きな男がいる。こんな状況で自制心が効くほどハーピーという魔物は強くない。彼女はすぐさま男に飛び掛り、雨など一切気にせずに地面に押し倒す。
「うわっ!何も実践しなくても・・・」
驚く男の口をハーピーは自分の口で塞いだ。そのまま舌をねじこませながら男の服を脱がしていき、同時に自分も裸になる。あっという間にその場で公開交尾が始まってしまった。
「なっ、あの二人あんなところで!」
そこに別のカップルが通りかかった。やはり魔物と人間という組み合わせではあるものの、恥じらいの欠片も無い光景を見て流石に引いてしまう。クィルラは二人を見つけると、先ほどと同じように魔物を狙って雷を放った。
「あんっ・・・ハァ、ハァ。でも、たまにはいいかもね・・・♥」
そんな言葉が聞こえてきたかと思うと、魔物は瞬時に宗旨替えして男に襲い掛かった。
「いいぞ、ヤれヤれぇ!どうせ親魔物領なんざ遅かれ早かれこうなっちまうんだ!なら早いほうがいいだろ!」
クィルラは町全体を見下ろせる高度まで一気に飛び上がり、町を歩く魔物という魔物を探し回り、片っ端から雷を放っていった。町に住むあらゆる魔物はさながら発情期のように盛りだし、夫や彼氏のいる魔物は即座に相手に襲い掛かる。独り者はといえば男を探して町中を駆け回る。結果同じく独り者の男を見つけて襲うか、珍しい例ではお楽しみ中の男女に混ざることもあった。その中で、騒動に巻き込まれない魔物が一人だけ存在した。
「やれやれ、荒れとるな」
雷はその魔物を見逃すことなく降り注ぐが、全て魔物が生み出した紫色の盾に遮られた。魔物はその盾で雷を防ぎながら空を見上げ、何かを見つけたかと思うとそこを指差す。その指先から同じく紫色の閃光が飛び出しそれは真っ直ぐクィルラを目指し飛んでいった。
「ぐっ!?あ・・・れ・・・?」
閃光は見事クィルラに命中した。その瞬間クィルラは強烈な眠気に襲われ、翼の動きが鈍りバランスを崩す。そして、そのまま真っ逆さまに落下していった。

クィルラは夢を見た。闇だけが果てしなく続き、床と壁の境界も見えない世界。いや、そもそも床があるのかどうかさえ分からなかった。だがクィルラはそんなことを気にしてはいなかった。闇の向こう、クィルラから遠く離れた場所に、一つの人影が静かに佇んでいる。クィルラの意識と間隔は全てその人影に集中した。その人影との再会を、クィルラは心待ちにしていた。
「カ、カルトス・・・!?」
クィルラはカルトスに向かって走り出す。それにつれて彼の姿が鮮明になっていった。同時にクィルラは言葉を失った。彼の背中には光り輝く二対の羽があり、手には同じように輝く刀身のみの剣が握られている。その彼の姿をクィルラが忘れよう筈もない。彼が教団の兵器として魔物を狩り続け、その果てにクィルラと出会ったときの姿そのままで、彼は佇んでいた。そして、クィルラはその周りに大量の何かが存在するのを見つけた。
「――ッ!!?」
ハーピー、ラミア、アラクネ、ケンタウロス、リザードマン、アルラウネ。ありとあらゆる魔物が、身体を真っ赤に染めて横たわっていた。彼の周りだけではない。クィルラが彼に近づくために通ってきた道も、彼女が最初いた場所も、見渡す限りに魔物が物言わぬ屍となって転がっている。
「カルトス・・・なんだよこれ・・・!おい!カルトス!カルトス!!」
クィルラがいくら呼びかけても彼がそれに応えることは無かった。彼女に背を向け、顔を伏せてじっと屍の海を見下ろしていた。それでもクィルラは呼び続け、十数回目でようやくその無意味さに気付いた。
そうか、カルトスじゃない。それはコイツを生み出した奴の名前だ。今の、ただの兵器として生み出されてしまったコイツには・・・
「名前が―無い」
暗転、名前の無い少年の姿も、おびただしい数の屍も闇に飲まれて行き、再びクィルラの意識が一瞬途絶えた。そして次に目に入ったのは、見慣れた紫色の薄暗いテントだった。
「落ち着いたか?面倒な騒ぎを起こしおって」
目覚めたクィルラにレヴィが淹れたての紅茶を渡した。
「大したもんじゃ、お主のせいで町に住むほとんどの魔物が盛り出したよ。一応鎮めてはおいたが・・・宿屋は大繁盛してるらしいな」
クィルラは何も言わずに紅茶をすすりながらレヴィの話を聞いていた。
「気持ちはわからんでもない。だが八つ当たりしたところで何の解決にもならんじゃろ」
「夢を・・・見たんだ。アンタに眠らされてから」
重い口を開いてそう言った。そしてゆっくりと、レヴィに先ほど見た夢の内容を伝え始めた。レヴィはそれを聞き終わると、思わずクィルラから目を逸らしてしまった。レヴィに夫がいたことはない、故にクィルラの心情を完全に汲み取ることは出来ない。だが、夫を失って悲しみに暮れる魔物なら、彼女は数え切れぬほど見てきた。その魔物達の目からは一切の光が消えており、クィルラもまた何も見ていないような空ろな目をしていた。
「アイツは、今どうなってるんだ・・・」
クィルラの問いに、レヴィはしばらく答えることができなかった。彼女の夫がどうなってしまったのか、単純に考えればすぐに分かることではある。だがそれは最悪の結末でしかない。そんなことを簡単に言い渡してしまえるほど、レヴィは冷徹ではなかった。
「・・・生きてると、いいな・・・。すまん、ワシにはこれぐらいしか言えぬ・・・」
彼の居場所を察知する術も、行動や状態を監視する術もレヴィは持ち合わせていない。このとき、彼女は初めて自分の無力さを呪った。
「そうだよな・・・。まあ大人しく待ってるさ」
ふと、クィルラはかねてより気になっていた疑問をレヴィにぶつけてみた。
「そういえば、アイツはなんでアタシの雷が効かなかったんだろ」
「魔物を葬ることを楽しみ、襲われることを恐れる。滅ぼす為の悦楽と生かす為の恐怖、その二つしか感じぬように奴は育てられた。そんな中で魔物のお主が奴を組み伏せ、生まれてこのかた感じえなかった性感を強制的に呼び起こしたらどうなる。」
レヴィなりに噛み砕いて説明したつもりだったが、クィルラは良く分かっていないようだった。クィルラは少しの間悩んでいたが、難しいことを考えるのはやめて家路につこうとする
「・・・一つ、謝らねばならんことがある」
テントを出ようとしたクィルラをレヴィの言葉が引きとめた。クィルラはキョトンとした顔つきで振り返る。
「あの男の記憶で見た出来事を全てここの領主に報告する」
「・・・・・・どんな風にだよ」
レヴィは悔しさに顔をゆがめながら、言葉を搾り出す。彼女も、自分が今から言う事を認めたくは無かった。
「結論を言えば、"教団の戦士に、この町を知られてしまった。彼は無差別に魔物を標的とする。黒服の光の剣を操る少年に対し、警戒体勢を布くべきだ"」
クィルラも大体想像はついていた。その通り、仮に少年が元通りになっているのなら、親魔物領にとってこれ以上ない脅威となる。そんなものを見過ごすわけにはいかない。頭では理解していた。
「ッ!・・・だけどッ!あいつは居なくなっただけだぞ!元に戻っていなんかいねえ、もうすぐ何にも無かったみたいに・・・」
「そんな証拠はどこにもないんじゃ!今のアイツの状態を示すのは、これしかない・・・」
そう言ってレヴィはクィルラに一枚の紙を見せた。二日前に寝室に残されていたそれには、全く変わらぬ文章が記されていた。
「・・・アイツは・・・戻ってねえ・・・!!」
それを見せられては、もはやなんの反論も出来なかった。自分がこの紙を見て同じように絶望したのは、紛れもない事実なのだから。
クィルラはテントを飛び出し町を走った。回りには宿屋が満員となり入ることの出来ず、しかし興奮の冷めない何組かのカップルが人目をはばかりつつ事に及んでいる。それを横目で見るたびに、強い孤独感が再びクィルラの中に巣食い始めた。歯を食いしばり、涙が流れるのを必死でこらえながら、雨の中をひたすらに走る。もしかしたら、家であの複製品のような料理を作り、何食わぬ顔で自分の帰りを待ってるかもしれない。
もう彼女の翼は水を弾き切れず、飛ぶことさえ叶わなくなっていた。
13/09/08 14:01更新 / fvo
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■作者メッセージ
いってー、右肩いってー、なんだか知らんけど右肩いってー。
おかげでキーボード叩くのがつらくて完成が予定より遅れています。
まあ間に合ってよかった。別に締切りとか無いんですけど。

ちなみに言うとこの町はルーエンハイムをモデルにしています。
あんな惨劇にする予定はありませんが。

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