連載小説
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序章
とある人間の兵士は言った。
「術が嵌れば、魔王だって倒せるのでは?」

とある魔物の兵士は言った。
「神も悪魔も怖くないけど、この魔法だけは怖い」

全ての元凶は言った。
「ぎっくり腰が原因で戦争? ふざけてるのか?」

これは魔物から恐れられた人間に関わる物語である。






「お願いしますから、どうぞ命だけは・・・」
 目の前には這いつくばって震えあがる魔物。
 そこには純粋な恐怖だけが浮かんでいる。
 
「取らねえよ。分かったら帰ってくれ」
「有難うございます!」
 魔物が文字通り飛んで逃げ帰ると、大歓声が
 周囲を満たした。

「「「賢者様万歳! 我らが神に栄光有れ!!」」」
 勝鬨を上げる人間達。その中心には渋い顔を浮かべる
 祈祷師らしき男の姿が有った。

「やっぱり彼をどうにかしないと無理」
 同じように渋い顔を浮かべるは、敵として来た軍師。
 眼下には腰を抑えて蹲る無数の魔物が呻いている。

「もうさ、スライムとか腰の無い魔物で襲えば?
 これ以上は無茶無理無謀だって」
 遠目で男を見ながら魔界銃士が語り掛ける。
 
「おつむが足りな過ぎて無理。近づく前に
 他の兵に囲まれて袋叩きにされたし」
 魔界軍師は泣きそうな目をして頭を抱えた。

「流石はレスカティエの七姫すら負けを認める御方。
 そう簡単には手に入らないか」
 物欲しそうな眼をしながら指を咥える魔界戦士。
 その言葉には畏怖と敬意が混ざっていた。

「ゑ、その話、本当ですか?」
 真新しい従軍記者の腕章を吊るしたラタトスクは、
 思いがけないネタとの遭遇に喰い付いた。
 
「ああ・・・後にも先にも、全員を相手取って
 人間のままで居られたのは、あの男だけだからな」
「どんな化け物ですか、あの人は」

 人間の兵に囲まれながら去りゆく男を見送りながら
 記者は話を促した。

「只の人間だよ。戦士の様な膂力は無いし、魔道士の
 ように幾多の魔法は使えない。頭の方も平々凡々。
 強いて言えば土弄りが好きな奴だったよ」

 懐かしげな表情を浮かべながら、楽しそうに呟く
 魔界騎士。されど視線は物悲しげであった。

「もしかして、お知り合いで?」
「まぁね。元々は同じ所で暮らしてたからね。周りが
 考えてるような奴じゃ無い事は良く知ってるよ」
 
 兵士達が渡り終えるや否や、跳ね橋が巻き取られた。
 ここから男の姿はもう見えない。それでも名残惜しく
 戦士の視線は橋を向いたままだった。

「お前、そう言う事は早く言えよ。どんだけ
 犠牲者が出てると思ってるんだよ」
 自身も腰を抑えながら魔界戦士が不満げに呟く。

「そりゃ、今まで何度も進言はしたよ? 尤も、上は
 頭に血が上って碌に話を聞いてくれなかったけど、
 ようやく頭が冷えたみたいだね」
 その手には一枚の手紙が握られていた。

「これ、デルエラ様の魔力を感じるんだけど」
「そうさ、ここまで被害が出てくれたおかげで
 上奏文が通ったの。君達には感謝してるよ」

 恍惚とした表情で差し出された手紙。軍師がそれを
 広げると、簡潔な文章で指示が記されていた。

『魔界氷華騎士団所属 魔界騎士ディートリンデ
 払暁を以って以上の者に指揮権を譲渡する事とする。
 魔界第四王女デルエラ』

「何はともあれ、指示書は本物。分かったら指示に
 従って貰うよ。さっさと帰って夫に会いたいし」
 周りの視線をよそに、魔界騎士は夫に会える
 期待で胸を膨らませ始めるのであった。






「な〜んでこんな騒ぎになっちまったかねぇ・・・」
 生垣の向こうを覗けば、遠巻きに村を囲む魔物達。
 耳を澄ませば苦悶に喘ぐ声が飛び交っている。

「いやぁ、効果覿面ですなぁ。おかげでやっと良い酒が
 作れそうで助かっとりますわ」
 籠を背負い、てきぱきと鋏で葡萄を摘み取る農夫が
 祈祷師に礼を述べた。

「いつもなら虫が畑に押し寄せて荒らすんだども、
 向こうに一匹残らず平らげられて安心でさぁ」
 
 風に乗って漂う香ばしい匂い。それは農家の天敵
 魔界甲殻虫が焼かれる香りであった。兵糧として
 魔物達が食べている様子が遠目でも見える。
 
「ほれ、賢者様も一杯引っ掛けてくだせぇ」
「別に賢者なんて大層なもんじゃないんだけどなぁ」
 苦笑いを浮かべながら祈祷師は瓶を受け取った。

「最初は畑に獣避けを仕掛けた。効き目が出たんで
 やり方を広めた。それがいつの間にやら魔物の天敵。
 どうしてこうなっちまったんだか」

 ラッパ飲みで酒を呷りながら空を見遣れば、
 たちまち魔物が雲の中へと逃げ惑う。
 理由は知らんが随分と嫌われたものだ。

「今までに一度だって魔物に喧嘩を売った事は無いし、
 そもそも死ぬような御呪いじゃないんだけどなぁ」

 ちょっとした呪いを村に施しただけ。なのに
 やたら魔物から敬遠されるようになったのだ。
 そして国からは賢者と祭り上げられる始末。
 何がどうなってるのやら。
 
「とりあえず安全は確保された事だし、後は宜しく」
「はっ! お気を付けて!」
 敬礼を捧げる兵士を尻目に、祈祷師は畑を後にした。
 
「さ〜て、次の村に行くか」
 仕事を終え、荷物を纏めて村を去る。
 いつも通りの独り寂しい出立──

「ん?」
 と、思いきや俄かに地面が揺らめいた。
 幾何学模様に迸る光。一瞬目を背けた後には、
 甘ったるい匂いが周囲に漂う林の中に居た。

「お〜っす、元気にしてたか?」
 背後から明るい声。振り向けば黒づくめの武具に
 身を包む女性が居た。

「・・・・・・誰?」
「どこ見てんだよ、下だよ下!」
 言われるがままに視線を降ろすと、腰程度の背丈で
 怒鳴り散らす小人が居た。

「お前・・・ディートリンデか?」
 かつて寝食を共にしたドワーフの名が零れ出た。
 こんなに小さな知り合いは一人しかいない。
 
「久しぶりだなぁ、ジャン! 学院生活以来だっけ。
 実家は無事か? そろそろ収穫の時期だろ?」
 身の丈を超える剣を背負いながら彼女は微笑んだ。

「うわ、本当にやりやがった!」
「ヒィッ! こっち見てる!」
 俺の名が響くや否や、周囲がざわつき始める。
 見渡せば魔物がひしめいている。

「おいこら、仮にもそれが客に対する態度か!?」
 即座に銅鑼声の一喝。ピシャリと止まる喧噪。
 一拍置いて武具に身を包んだ女性が進み出た。

「あー・・・見苦しい物を見せたな」
 女性が申し訳なさそうに頭を下げると、
 髪の隙間から生えている角が見えた。
 地肌には白黒の毛。彼女はホルスタウロスらしい。

「あたしはホルスタウロス・ポーラ。
 こっちの招待に応じた事、感謝する」
 帽子を脱ぎ、伸ばした脚を交差させつつ一礼。
 粗野な口調とは裏腹に、所作は洗練されている。

「俺、招待状何て受け取った記憶なんざ無いぞ?」
 混乱しながらもジャンは女性に言葉を返した。
 この状況は一体なんだ?
 
「いやいや、転移して来ただろ。本当に嫌なら
 デーモンに邪魔されて失敗してるからな」
 
 ディートリンデが指を差した方向には、黒く禍々しい
 羽が有った。五芒星の魔方陣を結ぶ頂点に各一つ。
 計五枚の羽根からは、素人目にも魔力が渦巻いて
 見える。

「ふ〜ん・・・で、何か用か?」
 悪魔を仲介した契約。内容は知らないが、少なくとも
 理不尽な要求が絡む訳ではないらしい。

「おう。そこの女を嫁にやるからさ、
 ちょっくら停戦交渉手伝ってくんね?」
 ディートリンデはポーラと名乗った女性を指さした。

「おま、何言ってやがる!?」
「見方によっちゃ故郷を盾にされてるんだし、建て前は
 立つでしょ。他は適任じゃないし」
 目を白黒させながら叫ぶポーラに、ディートリンデは
 平然と言葉を続けた。

「既婚者は論外だし、未婚でもキルシュやベルモットは
 条件に合わないから除外。他は軒並み腰を壊してる。
 なら、残りは隊長だけでしょう」

 淡々と述べるディートリンデ。一方のポーラは
 口をパクつかせるだけで言葉が出ていない。

「何が何だか分からんが、とりあえず説明しろよ」
 一人話の外に置いてけぼりを喰らったジャンは、
 話を遮って口を挟んだ。

「おっと、悪ぃ悪ぃ。とりあえず立ち話も何だからさ、
 落ち着いて話せる場所に行こうか」
 手招きされるがまま、ジャンはディートリンデに
 付いて行くのであった。













「そんじゃ、改めて話をしようか」
 案内された天幕で、置いてあった腰掛けにジャンが
 座り込むと、ディートリンデが口火を切った。
 
「まずはジャンを呼んだ理由から何だが、さっきも
 言った通り停戦の仲介をやって欲しいんだわ」
 ディートリンデは地図を広げながら続けた。

「現在国境を挟んで魔界の軍は教会の軍と競り合ってる
 訳だが、中立非武装の空白地帯が在る」
 
 チェスに使う白黒の駒を次々と並べ、周辺の紛争地帯が
 地図上に浮かび上がる。しかし、並び終えても
 所々に空白が浮かび上がっていた。


「ここはどれも田舎だ。農村だったり漁村だったりと
 色々だが、いずれも共通点がある。それは──」
「どこも俺が立ち寄った場所だな」
 説明の最中、ジャンは口を挟んだ。その空白は彼が
 歩んだ道程と一致していたのであった。

「そうだ。お前が今までに立ち寄った村だ。
 そして、此処に攻め込んだ魔界の軍が壊滅した
 曰くつきの場所でもあるんだ。お前のせいでな」

 ディートリンデは古くて傷んだ紙束を取り出した。
 
「俺のせい?」
「そうだ。お前が仕掛けた泥棒避けの呪い。あれが
 原因で今じゃ魔界きっての賞金首だぞ?」

 紙束の中身は指名手配の人相書きだった。
 でかでかと描かれた人物は見間違え様も無く
 ジャン自身の顔。綴られた罪状は──

「暗殺未遂・・・!? おいコラ、でっち上げにも
 程が有るじゃねえか! 誰だこんなん作ったのは!」
 謂れの無い内容に憤慨するジャン。
 
「どうどう、落ち着け。そこを今から説明するからさ」
 ポーラは宥めすかすように語りかけた。

「念の為に訊くぞ。お前が仕掛けた泥棒避けの呪い、
 致死性の物じゃないんだよな?」
「ああ、そうだ。まかり間違っても殺しに使える
 代物じゃあない! 精々獣避けにしか使えんぞ!」
 手配書を引っ手繰りつつ、ジャンは吼えた。

「具体的にどんな仕掛け何だ?」
「只の身体強化だよ。仕掛けた陣の中で魔力を使えば
 術者の体に強化が掛かる。魔力さえ使わなければ
 何の役にも立たない単純な代物だ」
 
 魔力を持つ者は身体能力が高い。それは魔力で
 肉体に補助を掛ける為である。単なる豚も肉が
 鉄の如く硬くなるのは周知の事実だ。
 
「え? 強化? 呪詛じゃなくて?」
「魔界の生物相手にゃこっちの方が効率的なの。
 あいつら、考えなしに魔力を使うからな。すぐに
 魔力を空にして動けなくなるのさ」
 得意げにジャンは話を続ける。

「魔力が多い奴ほど体が強化されるからな。その分
 消耗や反動もでかくなるんで、自滅しやすくなる。
 元々少ない奴は影響を受けにくいが・・・それは
 弱いって事だから駆除もしやすいって訳だ」
 笑みを浮かべるジャンは、どこか嬉しそうだった。

「例えば魔界の蠍。あいつら尻尾から魔力を出すだろ?
 そこに強化が掛かると、威力が高すぎて暴発するんだ。
 見ものだぜ? 無様に自滅してくれるんだからな」
「・・・・・・ぎっくり腰の原因はそれだ」
 ディートリンデは呆れた様に宙を仰いだ。

「ジャン。お前が指名手配されてる理由なんだけど、
 罠に掛かった魔物が、ぎっくり腰でセックスが
 出来なくなってるからなんだよ」
「・・・・・・は?」
 予想だにしない答えに、ジャンの表情が強張る。

「え、何? 俺の罠に掛かったせいで、ぎっくり腰に
 なったから指名手配? 訳が分からんぞ」
「そうなんだけどさ、掛かった相手が悉く大物なの。
 例えばレスカティエの七姫とか・・・」
 またしても予想外の答え。ジャンは目頭を押さえた。
 
「何でそんなのが罠に引っ掛かってんだよ。それも
 戦争とは無縁の村に仕掛けた罠に」
「悪かったな、罠に引っかかって」
 居心地悪そうにポーラがぼやいた。

「ん? 引っ掛かった?」
 思わず彼女にジャンは視線を向けた。
「あ、もしかして気付いて無かった? この人、
 レスカティエ七姫の一人なんだけど」
 驚きのあまりジャンの口がぽっかりと開いた。
 
「・・・・・・あんた、あのトロンメイルなのか?」
 ポーラは恥ずかしげに目を背けた。

「って事は、さっき言ってたキルシュとかって・・・」
「うん、七姫本人。ベルモット・ローズネルもな」
 唖然とするジャンをよそに、ディートリンデは
 話を続けた。

「まぁ、そういった偉い人が相次いで被害者になった
 もんだから、魔界じゃ躍起になって指名手配を
 やってるって訳。此処までは良いか?」
「どうしてこうなった」
 頭を抱えてジャンは机に突っ伏した。

「あ〜・・・結局の所、ぎっくり腰の原因はなんだ?」
 要領を得ない、と言った様子でポーラが訊ねた。

「要は強化の掛け過ぎ。正規兵は乗馬を習うから、
 腰回りが鍛えられるでしょ? そこに体を壊す程の
 過剰な強化が掛けられて、腰を壊してたって訳」

 馬術を習う正規兵は腰使いが上手くなる。つまり
 無意識の内に腰回りへ魔力を集中させてしまうのだ。
 そこに魔力を暴走させる魔法が掛かったのが事の
 発端だったのである。

「熟練の兵や才能の有る兵士になればなるほど
 威力が増すし、あくまでも強化だから害意は無い。
 つまり保護の魔力を素通りするから、格上であれば
 あるほど嵌る仕掛けなんだよねぇ・・・」

 ディートリンデの一言に、ポーラは勿論の事、
 聞き耳を立てていた外の兵士達も凍りついた。

「うん、初見殺し過ぎるな」
 御世辞にも頭が良いとは言えないポーラでも、
 感覚として脅威の理解は出来ていた。

 魔物はどれだけ凶暴になろうとも、無傷で夫を
 迎える為に、無意識下で魔力と体の動きを最適化
 している。例えば膣の締め付けで夫のモノを潰して
 しまわないように。だが、それが暴走すれば・・・
 
「いきなり相手を殺しかねないくらい程度にまで
 力んじまうから、それを無理に止めようとして
 腰を痛めるって事か」
 なまじ、強靭な足腰を持つ淫魔故に被害が出たのだ。
 
 夫でもインキュバスなら、妻なら性欲が強い程
 罠の真価が発揮される。受動的で、一切の悪意が
 混じらない単純な仕掛け。だからこそ、純粋な
 好意をぶつける魔物には脅威となっていたのだ。


「とりあえず、やたら魔物が俺を狙ってる理由は
 それが原因か・・・でも、何で暗殺云々にまで
 話がでかくなってるんだ?」
「それなんだけどな、七姫の半数が今も
 飲まず食わずで今も苦しんでるからなんだよ」
 
 ジャンの疑問にポーラが答えた。
「キルシュとかは未婚だからさ、寝込んでる内に、
 魔力が無くなって治ったみたいだけど、他は
 既婚で夫が看病してるから治ってないんだよ」
 無論、魔物式の看病と言えば同衾である。

「そんなんだからさ、何が何でもあんたを
 捕まえろと御達しが来てるんだよ。
 解除手段を吐かせる為にさ」
 ポーラは手配書を指差しながら話した。

「俺、さり気に偉業達成してたんだな」
 魔界国家レスカティエ、ぎっくり腰で主力半壊。
 笑えるようで笑えない実績である。罠を仕掛けた
 下手人は、精の臭いで突き止めたのだろう。

「それにしても、何だって七姫何て大物が田舎に?」
 こればかりは腑に落ちない。鉱山とか港とか、
 軍事的に重要な場所に出向いたならば理解できる。
 だが、ジャンの赴いた場所は辺境ばかりだ。

「それについては隊長の方が詳しいから聞いてくれ」
 話を振られたポーラは、佇まいを直して口を開いた。
「あいよ。それじゃあ、きっかけから話すけど、今の
 魔界じゃ料理が流行しててさ、美食研究とかで
 魔界を飛び出す奴が増えてるんだ・・・」
 
 
 
 
 
 




「──つまり美味い食事がしたかっただけで、
 食文化を壊すつもりで侵略をした訳では無かった。
 そう考えても良いんだな?」
 
 明かりとして点けられた蝋燭が半分程度は燃えて
 小さくなる頃、魔界側の事情は語られ尽くした。

「そうだ。魔界化すると味が変わっちまうからさ、
 懐かしい故郷の味ってのが作れなくなる。だから
 田舎まで足を運ぶんだよ」
 
 長く語り、疲れたのだろう。ポーラは肩を落とした。
「で、たんまり魔力を持つ奴が動いたせいで
 魔界の虫が畑に出るようになったのか」
 合点が行った様子でジャンは机に突っ伏した。

「それじゃあ今度はこっちから訊くぞ。あんた、
 何でこうした田舎ばかりで罠を仕掛けてたんだ?」
「畑を守る魔法が、実用に耐えうるか調べる為だ」

 彼女の問いに顔を上げ、ジャンは力強く答えた。
「発端は魔界の蠍の大発生だ。人を殺さなくても
 作物が全滅したら人間は飢える。退治しようにも
 数は多いし頑丈。しかも何故か田舎にしか出ない
 から兵士や勇者が出張る事も無かった」
 
 吐き捨てるように彼は言葉を紡ぐ。実際、魔界の
 甲殻虫は臆病だ。人が多すぎる都会には出ない。
 そして草食故に農村付近では見かける害虫だ。

「理由は危険性ならサキュバスの方が上だからだ。
 故に田舎である程飢饉が広がるし、交通の便が
 悪くければ逃げる事もできない。そこは俺の研究と
 教会の記録でも一致していたんだ」
 
 ジャンから紙束が差し出された。それを受けとり
 めくるポーラ。一枚、また一枚とめくる度に
 彼女の表情は険しくなった。

「俺の実家は酒造でね、自前の葡萄畑を持っている。
 魔法の勉強なんてやってたのは、害虫を追い払う
 手段を探す為だった。そこら辺はディートリンデも
 知ってるから、裏取りはそっちでも出来る筈だ」
 
 ディートリンデに水を向けると、彼女は頷いた。
「実際、実家まで行って地酒を御馳走して貰ってる。
 一緒に同じ学び舎に居たし、そこは信用できる」
 彼女から同意を得つつ、話は続いた。
 
「そんで魔除けの魔法が出来たは良いが、実際に
 使えるか試す必要が有った。それで選んだのが
 前線では無く、且つ国境に近い位置に在る村。
 つまり、この空白の所だ」

 唾を飲み込み一呼吸。乾きかけた喉を潤し
 更に事情が語られる。

「研究の一環で神官とかとも交流が有ったし、
 向こうの手伝いをしつつ助力を得て各地を
 回った。そして罠を仕掛けた所に魔物が来た。
 事の始まりはそこからだったんだろうな」
 
 口調には徐々に熱が籠り、ペースが速まる。
 傍からみれば、彼の顔は上気しているのが
 見えたであろう。

「お忍びでやってきた連中が、罠に引っかかって
 正体露見。魔力の残滓で犯人が俺だと思われ、
 教会は侵略と判断。間接的に撃退したと見なされ、
 俺は英雄扱い。いつの間にか、そうなっていたと」
 
 しばしの沈黙。蓋を開けてみれば誰が悪いと
 言える事件では無かった。不幸な偶然が重なった。
 それだけの事だったのだ。被害者は堪ったものでは
 ないけれど。
 
「けど、よりにもよって巻き込まれたのが暇を
 持て余した大物で、暗殺騒ぎになった・・・
 災難だったな〜、お前」
 ディートリンデが労うとジャンは溜め息を吐いた。
 
「本当だよ。お蔭で不自然な土砂崩れとかで
 旅路が大幅にずれ込んだからな・・・」
「ま〜、上も上で伴侶がやられたって思い込んで
 ブチ切れてたからなぁ〜・・・ってか、よく
 無事なままでいられたな」

 まがりなりにも幹部格を無力化したと思われて
 狙われていたのである。普通なら人生終了の
 危機が幾らでも有った筈なのだが・・・

「外套とかにも念の為に魔除けを仕込んだからな。
 多分魔法で何か攻撃して自滅したんだろ」
「ああ・・・そういや全員腕っこきだっけ・・・」

 只の雑兵ならばまだしも、かつては聖氷華騎士団と
 呼ばれていた最精鋭集団。なまじ腕が立つだけに
 魔力が有るほど嵌りやすい呪いは覿面に効いた筈。
 それこそ腰が砕けんばかりに。

「とりあえず、解除手段有るなら教えてくれるか?
 流石に知り合いが何日も寝込むのは気の毒でさ」
「そうは言っても、また元気になったら魔界から
 出るんだろ? そしたら虫が湧くだろうが」
 
 頼み込むポーラに拒絶を示すジャン。
 彼にしてみれば、このまま寝て貰っていた方が
 畑を守る上で有効。この反応は当然であった。

「まぁまぁ、落ち着いて。もう日も暮れるし、結構
 長い時間話し合ったんだから休憩を挟もう。な?」
 二人の間にディートリンデが割り込んだ。
 気が付けば、空の色は茜色に染まっている。
 
「それに、そろそろ腹が減って来ただろ? 空腹じゃ
 気が立ってまともに話し合えないからさ、続きは
 飯の後でした方が良いって」

 実際、村人に貰った軽食を最後に飲食はしていない。
 外では炊き出しが進んでいるのだろう。美味しそうな
 匂いが鼻をくすぐっている。腹の虫も鳴り始めていた。
 
「と、言う訳で一旦終わり! 
 まずは再開を祝って一杯やろうや!」
 豪放な知人に流されるがまま、ジャンは宴席に
 連れられるのであった。





「・・・・・・で、何で囲まれてる訳?」
 もみくちゃにされながらジャンがぼやく。

 夕食を野戦炊飯兵が盛り付け終え、盃に酒が注がれ、
 準備が終わるや否や四方八方から魔物が集まった。
 中には昼間の空で見かけた魔物が混ざっている。
 人の顔を見るなり雲に隠れた奴だ。

「良いじゃん、誤解が解けてモテてんだし」
「サキュバスとかはノーセンキューだよ。
 下手に魔力を浴びたら実家に帰れん」
 たちまち啜り泣く声が増え始めた。

「大丈夫。魔力の扱い、慣れてるから」
 爪先から頭の天辺まで武具に身を包んだ兵士、
 魔界重装騎士がチャンスとばかりに攻め寄った。

「あんたはアンデッドだろ? じゃあ駄目だ」
 鉄壁の守り、言葉の刃を前にあえなく惨敗。
 お通夜のような雰囲気を放ちつつ退散であった。

「畜生、あいつ強敵だぞ!」
 強敵の出現に舌打ちをする魔界戦士であった。

 あの手この手で詰め寄る未婚の魔物達。ジャンは
 今、魔除けを施した服を着ている。迂闊に魔力を
 出せば即ぎっくり腰。その為、魔法に頼らぬ誘惑の
 腕が試される状態になっていた。

「なら、私はどう? お花の世話は得意よ」
「アンタが居ると蜜に他の害虫が寄ってくるから駄目」
 すかさず割り込むアルラウネ。されどバッサリ
 返り討ちである。

「はい! 僕、ダンピールだから畑に害を出さずに
 過ごせます! 馬の飼育も出来ます!」
「ほぉ〜、こいつは珍しい。まさか実際に会えるとは」
 好感触に渾身のガッツポーズを決めるダンピール。
 だが、問題は別の所に有った。

「やめとけ。そいつが育てる馬は魔界獣になるから」
「貴女に良き出会いが訪れるよう、御祈り申し上げます」
 野次が飛んでくるや否や、ジャンの態度は逆転。
 あえなく敗者の仲間入りであった。

「う〜ん、やっぱ隊長じゃないと嫁入りは無理だな」
 喧噪を肴に、ディートリンデは酒を楽しんでいた。
 
「ぶっ!?」
 遠巻きに様子を眺めていた所に不意打ちの一言。
 思わず酒を吹いたポーラであった。

「だって、明緑魔界になら変化しても良いんだから
 ホルスタウロスは良し。銃士なら害虫探しも楽だし、
 何より点での攻撃でしょ? 畑を吹っ飛ばす真似は
 そもそもできないから適任でしょ」
 ディートリンデは物怖じせずに言い切った。

「そうは言ってもなぁ・・・」
 もじもじと胸を弄りつつ言い淀むポーラ。
 生来の気質が祟り、近寄る事はおろか声を掛ける
 事すら出来ずに居たのであった。

「丁度手元に良い物ぶら下げてるんだから、それで
 気持ちを伝えれば? それに、よく言うでしょ。
 幸運の女神は前髪しかないって」
 
 既婚者の余裕か、はたまた世話焼きの性分か。
 あらゆる意味で格上の相手でさえ真っ向から
 ディートリンデは諭していた。

「ま、他人の事だからね。とやかく口を挟めないけど、
 我慢のし過ぎは体に毒だ。やるなら今の内だよ」
 暫しの沈黙。そしてポーラは動いた。

「お前らなぁ・・・ちょっかい掛ける前に周りを見な。
 飯が全然減ってねぇだろ。少しは食べる時間を譲れ」
 
 ジャンに群がる魔物を押しのけ、ちゃっかり横に
 居座りながら胸を押し付ける。ホルスタウロスらしい
 誘い方であった。

「ほら、食え食え。迷惑かけた侘びだ。遠慮すんな」
「そんなに盛っても食い切れるかよ」
 手当たり次第に盛り付けるポーラ。好意に因る物で
 あろうが、言葉にしない辺りが奥手である。

「ま、同朋の恋路くらいゆっくり見守ってやろうかね」
 新たな肴を楽しみつつ、酒を呷るディートリンデ。
 まだまだ夜は始まったばかりであった。


18/06/26 21:34更新 / rynos
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