連載小説
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伏魔都市クロスボール 〜樹霊の願いと、風変わりな医者〜
 ――医方館〈白切〉。

 石造りの建物群の中にあって、木造建築の診療所は趣を異にする。殊に、朱塗りの門構えはよく目立った――。



「ここが、お医者様のいらっしゃる……」
 建物自体は、表から見た〈宝石箱〉より少し大きいくらいかな? けれど、一目見て判った。なんというか、異国情緒豊か? ……異国を語れるような知識はないけれど。
 それに、なんだか独特の匂いもする。
「ああ、コーリュールの話によれば、白澤の医者がいるはずだよ」

 ――白澤。

 道すがら聞いた話しだと、とても物知りな魔物なんだって。本来は〈霧の大陸〉に住んでるそうだけど、運良く診療所を構えていて下さった。
 人々が『智』を請いに訪れる立派な賢者様だというけれど……凄く緊張しちゃうよ。

「よし、では早速中に入ってみよう。――頼もう!」

 朱塗り扉を開け放ち、サーラが声を上げた。
 院内はパッと見た感じ、四人がけの机が一卓。壁際に長椅子が一脚。それから箱がいくつか積まれているだけで、あとはめぼしい物は見当たらない。
 奥はカーテンが掛かっていて、向こうにも部屋があるみたい。あっちが診療室なのかな?

 そのカーテンが揺れ――ボサボサ髪の女性が、ぬぅっと現れた。

 アシュリーと同じく白い髪の下、分厚く大きな眼鏡に隠されて顔立ちははっきりしない。霧の大陸独特の物らしい長衣に身を包み、一番目立つのは胸元を押し上げるとても大きな膨らみだろうか。
 その人は、ジーっとこっちを見ているようだったけれど、ややあってこう言った。
「誰も、悪くないよ……」
 ボソボソと告げると、頭をボリボリとかいて、あくびを一つ。それから再びカーテンの奥へ引っ込んでいく。
「ちょっと待て!」
 慌てたサーラが呼び止める。
「我々は患者ではない! 診て欲しい者は別にいる」
 その言葉に、一度引っ込んだその人は再びカーテンから顔を出す。……布を割って現れたのは顔だけじゃなくって、大きすぎる胸もだったけれど。
「……どこに?」
 いかにも大儀そうな声だけど……この方がお医者様でいいのかな?
「〈常葉の森〉に。クロスボール伯の細君が病を得てね、貴女に診て欲しい」
 アシュリーの説明に、お医者様は懐へと手を突っ込み、ボリボリとかいてから言った。
「往診は……しないよ」
「なっ?」
 サーラが気色ばむ。
「患者を連れてくるか……裏の薬局で薬を買うか……選んで」
 それだけ言うともう、お医者様は『全て話した』とばかりに奥へ引っ込んでしまった。
「何という医者だ! というか、医者なのか!?」
 サーラはカンカンに怒って、顔を真っ赤にしてる。赤毛から陽炎でも燃え立ちそう。
「これはこれは……難物だね」
 アシュリーも苦笑して肩をすくめる。
「すみませーん、あのー!」
「リーフィ、あんなの放っておきましょう! どうせ藪医者に決まってる。それより裏に薬屋があるとか言ってたから、そこの店主に他の医者を紹介して貰った方が早いわ」
「ふぅ……行ってみるかな」
「う、うん」
 僕たちは一度診療所を出て、裏手に回ってみた。



 そこには、表と似たような木造朱塗り門が。
「おい、まさか」
「……入ってみようか」
「うん。ごめんくださーい!」
 僕が声を張り上げると、カウンターの奥からぬぅっと見た事のある人が顔を出す。あと、胸も。
「……薬方堂〈白切〉へ、ようこそ」
「何がようこそか!? 貴様っ、我々を馬鹿にしているのか!」
「馬鹿になんて……してないよ」
「ならば真面目に応対せぬか!」
「……面倒だよ、そんなの」
「き、き、きさっ、貴様〜〜〜!!」
 あ、いけない、サーラが火を吹きそう!
「お願いですお医者様、どうか僕たちの話に耳をお貸し下さい!」
「……ん?」
 一歩前に出て訴えると、お医者様の顔が僕を向く。表情の変化は……眼鏡でよく判らないけれど、特に変化はないと思う。でも、耳を傾けて下さるなら。
「伯爵の奥さんはドリアードで、二人はとっても仲睦まじいご夫婦なんです。それで、二人の間には子供がいて……けれど、その子は宿り木で、トーィルさんの――奥さんの木から栄養を吸ってしまって、それでっ、それで――」
 気ばかり急いて上手く説明できない。僕にはサーラのような胆力などなければ、アシュリーのように弁舌をふるうこともできない。そんな自分がひどくみじめで悲しいけれど、なんとか説得しないと。
 けれど。
「わかった、もういいよ」
 要領を得ないと呆れられたのか、言葉をさえぎられてしまった。
「あ……」
 もう、どうしていいか判らない。やっぱり僕が出しゃばらずに、サーラかアシュリーに任せておけばよかったんだ。
 知らず、目線が落ちてしまう。
 その視界に、足が映る。長衣の切れ目から覗く白い足と、履き口が広くて甲が丸見えの靴。
 視線を上げれば、眼鏡をかけたお医者様の顔が、そこにはあった。
 お医者様は僕の側まで来ると、こう言った。
「吾輩は、一を聞いて十を知る白澤だよ。皆まで説明せずとも、解るよ。……貴殿の話から、患者の『証(しょう)』を立てたよ。……薬を、処方して欲しいんだよね?」
「は、はい! お願いします!」
「ならば、条件があるよ」
「条件、ですか?」
「貴殿の、朝露に煌めく若草のような翠眼、それを片方、吾輩に差し出すんだよ」
「え?」

「貴様、黙って聞いておれば」

 深く、闇い、地の底で静かに煮えたぎる岩みたいな、張り詰めた怒気だった。
 とっさに振り返れば、サーラの瞳は真っ青に燃え盛り、青炎の中心では黒い瞳孔が刃みたいに裂けきっている。
「サーラ待って!」
 慌てて腰にしがみつく。お陰で、彼女が何かする前に止められたと思う。
「リーフィ、離して、ね?」
 そっと僕を引きはがそうとする手は優しいけれど、瞳の青は鎮火していない。
 だから僕は、ますます強く幼なじみにすがりつく。
「この子の目が、一体なにに必要なのかな?」
 アシュリーが尋ねる。彼女は……たぶん、冷静だと思う。
「吾輩の薬は、種々様々なる本草――動植物・鉱物・虫やカビに至るまで薬効のある物を掛け合わせて処方するんだよ。中には珍しい物もある。例えばゴキブリやミミズ、ある種の寄生生物や砂鉄、他には……人体の一部、なんかもね……」
「その材料に、ミー君の目が必要だと?」
 アシュリーの問いに――お医者様は、答えない。
 ただ、分厚い眼鏡の向こう側から、僕への視線を感じる。
「……選んで」
 小さく、抑揚に乏しく、けれどハッキリ耳に届いた。

 僕は――。

 それは、瞬く間に起こった変化だった。
 状況は一変していた。
 僕の右手は、サーラとお医者様に掴まれている。
 お医者様の首筋には深紅の尾が突き付けられ、その迸った炎みたいな切っ先を、アシュリーの白い手が握り締めている。
「本当に抉ろうとするなんて……貴殿は愚か者だよ」
 分厚い眼鏡がずり落ちて、菫色の瞳が露わになる。英明な光の奥に見えるのは……安堵? それに、十五歳のサーラよりは年上っぽいけど、アシュリーと同い年かな? それとも年下なのかな? 混乱の中、ボンヤリとそう思った。
「我が主君を弄するならば、その舌ひき抜き、臓腑をぶちまけ、小賢しい腹の内を天下に晒してやる」
「熱くなりすぎだ。頭を冷やすと良い」
「サーラ?」
「む、確かに軽率だった。この距離では返り血でリーフィが汚れる」
「さ、サーラっ、そうじゃなくって! というか、『主君』ってなぁに? 僕、そんな風に言って欲しくないって、何度も伝えたよね?」
「り、リーフィ!? あの、それは、つい……勢いで……」
 さっきまでの憤然とした気勢はどこへやら。いつもの温度を取り戻した碧眼は、誤魔化すみたいにあちこち向いて。尻尾も、中身がないクレープみたいにグンニャリしちゃった。
「やれやれ……」
 微かな溜息はアシュリーのもの。この人でも緊張することってあるんだね。
 二人を交互に確認したのち、僕は改めて正面を見る。だって、まだ僕の用事は終わってないんだから。
 けれど。
「貴殿は」
 僕が口を開くよりも、お医者様の方が早かった。
「十二年ものあいだ盲(めし)いておられた」
 え?
「目が明いたのは、つい近頃のこと。やっと手に入れた光を、どうしてそうも容易く手放せるのです?」
 すごい、さすがは白澤。賢者の名は伊達じゃないんだね。僕のことなんてお見通しなんだ。
 でも、とっても賢いのに、勘違いなさってる。
「お医者様、僕の目は二つありますから」
「……は?」
 眼鏡はずり落ちたままだから、アメジストみたいな目が真ん丸になったのがよく見えた。なんだか可愛い。
「目は一つあれば見えます。サイクロプスのコーリュールさんだって、目は一つきりですが、見ることに関して困ってはおられませんでした。それに、もともと見えなかったのが当たり前だったのです。今こうして見えている方が奇跡というもの」
 そう、奇跡。サーラと二人、導かれたようにアシュリーと出会い、絶望の中で拾った奇跡。
「その奇跡だって、きっと……クロスボール夫妻と、あのご夫婦のことがとっても大好きな『子』のために、今このために、あったのです。それはとても、素敵なことでしょう?」

 だからこの目を使って下さい。そう、言おうと思ったんだけど。

「主上!」

 お医者様は、何を思ったのか突然その場で拝跪し、額ずいたまま叫んだ。
「え? え?」
 何が起こったの?
「臣(やつがれ)を、臣下の末席にお加えくだされ!」
 は? 臣下? は?
 僕の混乱を余所に、お医者様の言葉は続く。
「恐れながら、齢十余年という若芽であられるに、これほど仁愛深き御方は、この天下のどこを探しても他にはおられますまい。この巡り合わせこそ、まさに天の導き、天佑で御座います。どうかっ、どうか!!」
 どどど、どうしよう?
「サーラ?」
 後ろを振り向く。
「ダメ。リーフィの臣下はわたしだけ」
 そういう問題なの?
「アシュリー?」
 斜め前を見る。
「うーん、もうウチでは飼えないかな」
 そんな、ペットじゃないんだから。
 ああ、本当にどうしよう? きっと何か大きな誤解があるんだ。それを何とか解きたいけれど、どうすれば……。
「あのぅ……僕なんかに仕えても、きっと後悔なさるかと」
「……そうですか。この一転機を逸してしまうとは……。我が身に天運はなく、ならば生きる意味もない。もう何もかも面倒だ、死のう」
「わーっ、わーっ、待って待って、待って下さい!」
 慌てて彼女の側にしゃがみ込み、肩に手をかける。
「あの、顔を上げてください」
「いいえ、臣下にお加え下さるまでは、このままでいます。食事の時も、寝る時も、お風呂の時も」
「こやつ、なにリーフィを脅してるんだ?」
「ううむ、先程のゴロツキよりも厄介だね、これは」
「しかも、食事や風呂はしっかり楽しむつもりだぞ」
「意外と余裕のある、不退転の請願だよね」
 ねえ二人とも、見物してないで助けてよ?
「ほ、他に、僕以外に立派な人は星の数ほどいますから!」
「そうですか……」
「そうですそうです!」
「……やっぱ死のう」
「わーーーっ? 解りました!」
 触れてる肩が、ピクリと動く。
「何をお解りになられたのでしょう?」
「あなたほどの知恵者にこうまで請われ、いったい誰がその魅力を退けられるでしょう。ですが」
「ですが?」
「やはり僕には自信がありません。あなたの智を、僕の器が受け止められるかどうか……。ですから、お試し期間を設けたいのです」
 その時、やっと白澤さんの顔が上がった。とりあえず土下座は止めてくれたと、少しホッとする。
「お試し期間、で御座いますか?」
「はい。あなたの目で、あなたのやり方で、僕を確かめ、試して下さい。それでお気に召したら、どうか僕にその智をお貸し下さい。そしてつまらぬ者と判断なされば、その時こそ真の天運に身をお任せ下さい」
「して、期間は?」
「それは、あなたのお気の済むままに。今この瞬間、失望なされば打ち切って頂いても結構です」
「成る程、では、その様に」
 お医者様はニッコリ笑い、
「あぁ……」
「ま、仕方ないね」
 背後ではなんだか溜息交じりの声がする。
 だめ……だったかな? 我ながら上手く言えたと思うんだけど。白澤さんの意思を蔑ろにせず、かつ、いつでも辞められるような……。
「主上」
 肩にかけたままだった僕の手に、白澤さんの手が重なる。
「愚かにも自己紹介がまだでした。臣は、姓を李(リー)、名は白切(パイチエ)と申します」
「パイチェ・リーさん」
 ちょっと珍しい発音。言葉の境界が曖昧というか。それに、少し高音になった。

 すると、不思議なことが起こった。

『白切(パイチエ)は字(あざな)であり、通り名であり、医者としての号である。諱(いみな)は雪花(シュエホァ)であり、これは家族などの限られた者しか呼ぶことが許されない、真名である。諱を預けられるということは、極めて大きな信頼を寄せられる証(あかし)となる』

 触れた手を伝い、頭の中に知識が流れ込んでくる。これって、白澤の魔術……みたいなものなのかな?
(雪花(シェーファ)……)
 声に出さず口内で確かめるようにすれば、眼前の女性が――花がほころぶような笑顔を見せてくれた。

『身長:169p、体重:ヒ・ミ・ツ♪、B:110p(Mカップ)♥/W:60p/H:92p』

 なに、今の……?
 シェーファさんを見れば、
「フヒヒ……♪」
 変な笑い声が漏れ聞こえた。……というか笑い声なの?
 ううん、そんなことよりも。ご挨拶頂いたのだから、僕も応えないと。
「シェ……パイチェさん、僕の名はミリシュフィーンです。えっと――」
「全て、存じ上げておりますよ、主上」
 やんわりと押し止められる。
「ああ……それから……アストライア様のことも、ついでにルーナサウルスのことも把握済みだよ」
「誰がサウルスだ!?」
「白澤の能力か、手間が省ける。で、肝心の往診だが」
「主上のご下命とあらば、拝さぬ訳にはいかないんだよ」

 よく解らないけれど、なんとか上手くいったみたいだった。……これで、本当に良かったのかなぁ?



 〈常葉の森〉を、茜の色がうっすら覆う。
 少し肌寒くなった大気の中、シェーファによる診察は行われた。

 トーィルさんの、手首、指、お腹などを触ったり、舌の表裏を覗き込んだり、足を撫でたり。あとはシェーファがそのつど質問することに、トーィルさんがポツポツ答え。たまに、体臭なんかも嗅いでるみたいだった。
 それが終わると宿り木の子も診て……こっちは体もなければ会話も成り立たないので、触るだけだったけれど。

「腎が虚してるよ。水が廻らず、潤いを生めず、冷やす力が失われ、相対的に熱が発生する。心火が盛んになり、心は穏やかじゃない。……下半身が冷え、逆に首から上は火照り、特に口内が乾くね? そして焦燥感に苛まれ、あれこれと気を揉む」
「は、はい、その通りです」
 ズバリ言い当てられたらしく、トーィルさんは驚いている。
「脾も虚してる。あまり腹が減らず、食べても以前のようには食えず、いつまでも腹に残る。食えないから気血も造れず、体はだるく、とくに腎虚と合わせて下半身が弱ってる。脾を病むと、これもまた思い悩む。肉体的にはとにかく疲労倦怠感が強く、動きたくない。精神的にも無気力で、やはり活動的ではなくなる」
「はい」
「それと、体の節々が痛む。足以外にも」
「え、ええ、その通りです!」
「家内は足の他にも、腰から背中にかけて痛むようです。肩も少し。それに、たまに目が充血しています」
 隣で肩を支えながら、クロシュさんが補足する。
「ふむ」
 一つ頷き、シェーファは言った。
「鹿茸大補湯(ろくじょうだいほとう)、これ以外にないよ」
「それが、薬の名なのかな?」
「そうだよ」
 アシュリーの問いに、名医は大きな胸を張って答えた。
「医者に頼っておいてなんだが、樹木の、それも精霊にああいった診察が通じるものなのか?」
 腕組みしたサーラがアシュリーに問えば、
「ドリアードに限らず、魔物というのは半分は人間だからね。精霊であろうと、血肉を得て実体としての側面を持つ。大丈夫だと思うよ。白澤のお墨付きでもあることだし」
「それでパイチェよ、リーフィが言っていた宿り木の子だが、そちらはどうするのだ?」
 今度はシェーファに尋ねれば、やはり彼女は胸を張ってこう告げた。
「うん、そっちね……お手上げだよ」
「おい!」
「フヒヒ……」
「笑って誤魔化すな!」
 サーラの叱声に、シェーファが首をすくめる。
「あのぅ……」
 その時。少し離れた場所でことの成り行きを見守っていた男女が、こちらへ歩み寄ってくる。
 エルフ男性のグラースラさんと、ドワーフ女性のパーシュテさんだ。
 二人はなんと、クロシュさんの計らいでこの〈常葉の森〉の管理人として住み込みで働けることになったんだ。広すぎるこの自然公園、もともと誰か信頼できる人に任せられたらと考えていた折のことらしく、お互い渡りに船だったみたい。
「どうかしたのかい、グラースラ?」
 声をかけられたアシュリーが、今はもう人化の術を解いた彼らを見る。といっても、エルフとドワーフはもとより人間に近い姿形だから、差異は少ないんだけれどね。
「はい。あの、これを」
 グラースラさんが取り出したのは、五センチ大の丸い……石? 宝石?
 パーシュテさんが取り出したのは、金細工かな? 装身具のような物だった。
「ぼくのは、里で採れたオークの樹液が化石化した……いわゆる琥珀です。同じオークでもトーィル伯爵夫人の宿る楢(ナラ)ではなく樫(カシ)なのですが、ライヴオーク(常緑樹)としての非常に豊かな力を秘めています」
「あたしのは、土の力を宿した金細工のパームバングル(甲環)です。身に付けた者の体を擬似的に土壌化させます。本来は土精霊を従えた契約者が装備し、土の元素が弱い場所へ行っても力を行使できる……って物なんですけどね」
「ほう?」
 アシュリーが、紅眼を細める。
「伯爵様を紹介して頂いたお礼に、どうかお受け取り下さい」
「だがこれは、かなりの値打ち物ではないのかな?」
「そうですけどね、もともと路銀が尽きたら売っ払ってしまおうかと考えてたもんで。どこの誰だかわかりゃしないヤツに渡るより、皇女様に使って頂きたいんです。あたしらには、必要ないですしね」
「そうか。では、ありがたく頂戴するよ」
 アシュリーがそれらを受け取ると、二人は嬉しそうに笑い合った。
「パイチェ、どう診る?」
「はあ……今日はもう診察は終わりだよ」
「パイチェ、お願い」
「うぅ……面倒だけど、主命ならやるしかないよ」
 シェーファはとても億劫そうにやって来ると、二つの品物を手に取り、ためつすがめつしだした。
 そして。
「これを上手く組み合わせれば、あの宿り木の植え替え先になるよ」
 ふうと溜息を吐き、そう告げた。
「本当っ? すごいっ、すごいよシ……パイチェ! それに何より、お二人もありがとうございます!」
 グラースラさんとパーシュテさんはニッコリ微笑んでくれて、
「フヒ、フヒヒ……、主上に褒められたよ」
 シェーファも頬を緩ませながら独特の笑い声。
「主上じゃないでしょう?」
「ああ……うっかりだよ……フィオ」
 ここに来る途中、二人で決めたんだ。『お互い他人行儀は無し』って。だから僕は、彼女を字のパイチェと呼んで、パイチェは僕をフィオと呼ぶ。……字にしろ諱にしろ、本当は正しい発音があるんだけれど、知識はあっても舌は動いてくれないから。パイチェ――シェーファはそれを『その発音が愛称みたいなものだよ』って言ってくれたんだ。
「これで後は、奥方と宿り木とを傷付けずに切り離すだけだな。おいパイチェ、なんぞ捻り出せそうか?」
「いいや?」
「いいやって、お前……」
「吾輩を便利屋扱いしないで欲しいよ……。今日はもう疲れたんだよ。帰るよ」
「リー殿、それに皆さん。そろそろ日も暮れる、今日は我が家に泊まられては如何でしょう? 持てなし役は人形になってしまうので恐縮ですが」
 クロシュさんがそう提案してくれる。
「お誘いは有り難いけど、調合する生薬の在庫を調べないといけないから、遠慮するよ」
 と、パイチェは辞退した。
「私はこの二品の件で二人に相談したい。管理人となった彼らのいるこの館に一泊したいのだがね」
「そういうことなら、お言葉に甘えることにするか。ね、リーフィ?」
「うん、そうだね。クロシュさん、僕たちはご厚意に甘えさせて頂きますね」
「ええ、喜んで」
 こうして僕たち三人は、クロスボール邸に一泊することになったのだった。



   * * * * * * * * *



 今日は、運命の日だよ。
 運命の名は、ミリシュフィーン。シェーペール王国の元王太子。純真無垢で、利己心が薄く、愚かなまでに真っ直ぐぶつかっていき、どこか危うい。
 人からも、インキュバスからも浮いている。
 二体の魔物に――それも、リリムとドラゴンなんて厄介なのに気に入られて。その上、吾輩なんぞにも目を付けられて。可哀想に。

 貴方が悪いんだよ。
 その目が悪い。吾輩の大好きな目。青々と芽吹く草の色。我々の大好物だよ。
 その心根が悪いんだよ。清らかな水の流れだけ集めてできた、川のような。そういう水辺に住みたがるのが我々なのに。

 卦を立て、今日のことは解っていたよ。
 三つの象(かたち)。三つの星。
 卦で観た通り、一度は追い払い、そして乞眼(こつげん)で試し。
 ああ、なんと賢しい真似をしたのだろう。最も恥ずべき日。
 けれど。
 けれどけれど。
 そのお陰で、あんなにも美しく清らかな心の発露が見られたのだから。

 師娘、師姉達よ、吾輩の道は決した。あとは清流に乗り、流れ往くのみ――。
16/05/12 22:17更新 / 赤いツバメと、緑の淑女。
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■作者メッセージ
え? エロ? ありませんよ? ……許してケロ...
次話、99%の確立でエロが入りまする。

「白澤はもっと知的で高潔な魔物娘さんだ!」って思われる方は大勢いらっしゃるとは思うのですが……ウチではこんなのです。というか、彼女だけですので許して下さい。

私なんぞのssを読んで下さってる数少ない読者の皆様、本当に、心の底からありがとう御座います。

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