連載小説
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前編:夜に生まれた、奇妙な友情
 疲れているのか、ここ最近、似たような夢ばかり見る。

「アハッ…いいわ、貴方…♪
 大きくて、熱くて、激しくて、何よりその可愛い声。とっても素敵よ…」

 俺の上で、俗に言う『騎乗位』の体勢で腰を動かしまくるこの女性。
その容姿を一言で表すならば、まさしく『絶世の美女』という言葉が相応しい。
あらゆる人が足を止め、見惚れそうな端正な顔立ち。
切れ長の美しい目。紫色の艶やかな髪。ずっと聞いていたくなる声。
下に目をやると、ピンと立ち上がった綺麗な桃色の乳首を備えた
高級なメロンのように大きな胸が二つ、腰の動きと共に跳ね回っている。
多くの男性を興奮させ、女性は嫉妬、あるいは羨望の眼差しで見つめるであろうそれが、
キュッとくびれた腰と、形のいい柔らかそうなお尻と見事に調和して、
全くもって完璧なボディラインを描いていた。
老若男女、あらゆる存在の憧れであろう『女性の理想形』…
……ダメだ。俺のボキャブラリーじゃ、ありふれた形容詞しか出てこない。
とにかく、そんな超絶ド美人が、ベッドの上で妖艶な表情を浮かべ、
気持ちよさそうに俺に抱かれて…いや、気持ちよがる俺を一方的に犯している。
ここ数日間、どういうわけか毎晩そんな夢を見ているのだ。

「俺も、ハッ、やき、が、回った、かな…ッ。」
「あら、何が?」
「知り合いが、どんど…ん、クッ…彼女作っ、たり、結婚してく…からって、
 あんたみたいな、ぁ…すげー、いい女に、犯される…夢、毎晩、見る、なんてな…」
「いいじゃない。ここは夢なんだから、思いっきり楽しまなきゃ♪」
「それも…そうだな。………うっ、く!もう、出る…ッ!!」

 ビクッ!!ドクッ、ドプドプッ…!

「ふふっ…私の中で、どんどん出てる…♪
 もう何度も出してるのに、まだまだとっても濃くて…あぁ、癖になっちゃいそう…
 ……さ、まだまだ夜は長いわ。このままもう一回、やっちゃいましょうか♪」
「ああ。」
「素直でよろしい。ごほうびに、今夜は最高に気持ちよくしてあげるわね♪」
「ハハッ、楽しみだな。…あのさ。」
「何かしら?」
「…ありがとうな。こんないい夢見させてくれて。」
「どういたしまして。…でも、これはただの夢。ちゃんと現実で恋人を作らなきゃ。
 私は、もう…」
「…どうしたんだ?」
「あ、いえ、何でもないわ。それじゃ、続きしましょうか♪」










 …いつものように夢の中で精の摂取を済ませると、私はそのまま、そっと立ち去った。
彼はなんにも知らないまま、ベッドの上で寝息を立てていた。
決して顔も性格も悪くないはずなのに、女性運が無いのか、はたまた興味が無かったのか、
彼には長い間、恋愛や結婚という機会が訪れなかったらしい。
数ヶ月前に、彼の住む町が反魔物から親魔物派に移行しても、それは同じだった。
優しくて頼りになる素敵な男性なのに、恋愛ではいつも貧乏くじを引く…
そんな彼を、幸せにしてあげたいと思ったのかもしれない。
…でも私は、地味で、臆病で、暗くて、おまけに下半身が馬。
唯一自慢できるポイントといえば、この大きな胸くらいしかない。
そんなのが近付いても、迷惑なだけだろう。

 だからせめて、彼に幸せな夢を見せてあげようとした。
私の分身であり、私の理想の姿でもある、あの美しくも大胆な絶世の美女の姿で。
でも、夢の中で交わる内に彼に惹かれ、彼の事を好きになっていく程、怖くなってきた。
何かの間違いで彼にこの姿を見られ、この関係が終わってしまうのが…

 だから…私は決めた。今夜で、彼とは終わりにすると。

「ごめんなさい。さよなら…ラエールさん。」

 彼に、嫌われたくなかったから。
彼のことを好きになればなるほど、彼から離れづらくなる。
そして、彼の傍に居られなくなった時のショックも大きくなる。
私のやっている事は、彼の弱みに付け込んで、騙し続けている事に他ならない。
万が一、この姿を、私のやってきた事を彼に見られてしまったら…きっと幻滅される。
それで私が傷つくだけならいい。私は、それだけの事をしたのだから。
…でも、私の蒔いた種とはいえ、そんな事態になったら、彼も傷つけてしまう事になる。
自分はあの女に騙され続けていたのだと。やはり自分は、女性に愛されないのだと。
彼は何も悪くない。だから、絶対に傷つけたくない。傷つけちゃいけない。
そうやって嫌われるくらいなら、傷つけ合ってしまうくらいなら、
離れられるうちに離れて、そして二度と会わない。その方がずっと楽なはず。
勝手に夢を見せて、自分のワガママで離れて…私は、本当にひどい女だな。
でも…私はやってしまった。だから、もうこの手しかない。

「これでいいんだ。これがお互いのためなんだ…」

 自分にそう言い聞かせ、私は町の出入り口を抜けた。
しばらく歩き、ふと夜空を見上げると、空に月は無かった。
月が、弱くて臆病で嘘つきな私を隠れて笑っているようで、余計に悲しくなってきた。

(騙してる事も分かってる。いつ壊れるかも知れないことも分かってる。
 互いに傷つくのも分かってる。だからこうして離れたけど…
 …それでも私は、彼と離れたくなんかない。ずっと一緒に居たいよ……)

 そんな未練たらしい私の言葉を、零れる涙と共に飲み込んで、私はひたすら歩き続けた。
ネガティブな感情から逃げるように。これ以上、自分が自分を惑わせないように。

 今度こそ、さようなら。……私は、あなたの事が、本当に好きでした。















 …

 …最後にあの夢を見てから、一ヶ月が経った。
突然夢に出てきたと思ったら突然いなくなって…彼女は一体何者だったんだろうか?
今でもしょっちゅう、彼女の美しい顔や声、仕草、
そして、時折見せるどことなく影のある表情なんかが頭に浮かんできてしまう。
家にいる時でも、酒場で仕事をしている時でも関係なくだ。

「ねえ、どないしたん?ラエちゃん。最近なんや上の空って感じやけど…」
「あ…すんません、マスター。ちょっと色々あって…。」

 ここのマスターは女性だ。しかもかなりの美人。
黒髪黒目という特徴から、ジパングからの移住者であることがすぐ判る。
そのせいか、ここで出される酒には、『コメ』等を使って作られたジパングの物もある。
美人のマスターと、珍しいジパングの酒が飲めると言う事で、
大々的な評判ではないものの、この町の反魔物派時代から密かな人気があった。

「性欲を持て余しとる言うんなら、いつでも相手したるで?」
「そんなワケ無いでしょうが…。それに、マスターには旦那さんいるでしょ?」
「あら、違うん?ラエちゃんも男やし、てっきり溜まってるんやないかと…」
「溜まってません。」

 こんな美人に誘われたら、誰でもちょっと、あるいはかなり揺れる。
しかも、夫がいることも、自分の人気も自覚した上でやってるからタチが悪い。
…そういえば、マスターは今いくつなんだろう?
確か、俺がまだ5つか6つ位の頃から居たような気もするが…(ちなみに俺は現在27歳)

「なら、どないしたん?お姉ちゃんに何でも話してみ。」
「お姉ちゃんって言う歳でもないでしょ…
 …それに多分、マスターでも信じてくれないと思います。」
「そんな事あらへん。こっちは、ラエちゃんがまだ毛ーも生えてへんような
 ちょこんとした可愛らしいもんお股にぶら下げてた頃から、
 あたしでも舌なめずりしたなる程のゴンブトになる頃まで知っとるんやで。
 ラエちゃんは、こんな所で変な嘘つくような子とちゃうって。だから、な?」
「ゴンブトって…見たわけでもあるまいし。」
「あら、見た事あるで?今まで言わへんかったけど、ラエちゃんがお店で着替える部屋、
 入って右の壁にちいちゃな穴が空いとってやな…」
「塞いでくださいよ!?っていうか何で覗いてるんスか!?…まあとにかく、
 この件に関しては、もうちょっと自分一人で悩んでみたいんです。」
「そか。ま、それもええ事やな。ラエちゃんはまだ若いんやし、色々自力で悩んでみ。
 悩んで、悩んで、悩み倒して…それでもどうしようもならへんかったら、
 いつでもあたしに相談しに来てな。悪い事とかでない限り、全力で協力したるで。」
「…わかった。ありがとう…マスター。」
「ええって。…せやけど、お客さんの前では悩まんといてな?
 お客さんがゆっくり飲めへんから。」
「ああ。ハハ…気をつけます。」

 ……とは言ったものの…依然として、彼女のことが頭から離れない。
時々、街中で、散歩道で、ふと彼女の姿を探してみたこともある。
それどころか、彼女の面影を探して、数日間だけとはいえ旅までしてしまった。
しかし当然、そんな女性は見つからなかったし、噂もなかった。
一体どうしてしまったんだろうか。俺は…

「分かってるのになぁ、彼女が現実じゃないって事くらい…」

 それでも、毎日のように思ってしまう。
彼女に、また会ってみたい。犯されたりするよりも、ゆっくり色んな話がしたい…。

しかし、彼女は現実には居ない。
また、今後また夢で会えるという保障は無い。
故に、彼女に会うことは出来ない。 

 文にしてたった三行と、まったくもって簡単に片付けられてしまう問題。
しかも、それが紛れも無い現実。だが…

『…でも、これはただの夢。ちゃんと現実で恋人を作らなきゃ。私は、もう…』

 彼女が最後に夢に現れた時の言葉と、
その時に見せた、これまでで一番の悲しそうな顔が気になって仕方ない。
俺の夢に出て来なくなったのは、何か理由があるのだろうか?
そうだとしたら、何とか彼女に会って聞き出す事は出来ないだろうか?
ああ…まただ。我ながら、なんて入れ込み様だよ…。
彼女は俺の夢の産物に過ぎない、と、頭ではわかっている。
…でも、彼女が実在しないと言う事は、なぜか信じたくなかった。

「思えば生まれてこの方、恋愛にはとんと無縁だったしな…。」

 女の知り合いもいくらか居るが、みんな恋人あるいは夫がいるか、
もしくは、お決まりの『優しい人』止まりで終わってしまう。
俺の方も深追いはせず、恋人が居ないことも特に気にしないで、これまで生きてきた。
だけど彼女は、そんな俺の世界を変えた。
彼女に出会い、抱かれている内に…これまでに無いぐらい、強く。
彼女とずっと一緒にいたい、離れたくないと思うようになった。
それは決して、彼女が美人だからじゃない。犯されるのが気持ち良かったからでもない。
ただ、今まで知らなかった『女性』の温もりを感じさせてくれたから。
彼女は俺の世界に、彩りを与えてくれたから。

 …ああ、そうか。俺は、本気で彼女の事を…

 …しかし、それに気付いた所でどうすればいいんだ?
彼女は実在しない。どんなに信じたくなくても。
どうやっても、俺の人生には入って来れない存在なのだ。
しかも、この悩みだって誰にも打ち明けられない。
自分の夢を好きになるなんて、他人に漏らせば変人狂人扱いされるのがオチだ。
そもそも、人に相談したり協力してもらえれば解決するような問題でも無い。

 最初から叶う可能性が全く無い、始まる前からすでに終わるしかなかった恋。
こういうものは、失恋と呼べるのだろうか………















 …彼の報われぬ想いを受け、ワタシはこの世界に現れました。

 ワタシは彼の想いを読み取り、そして、その想いと一つになりました。
彼の心の中にある女性の姿、声、仕草、性格、全てはワタシの物になりました。
…そのはずなのに、彼の持っていた彼女に関する情報は、なぜかあまりに少なすぎます。
名前も、生い立ちも、重要な情報のほとんどがわかりません。
わかっているのは、彼と彼女は一ヶ月前まで、毎晩交わっていたということくらい。
…どういう事なのでしょう?彼と彼女は、全くの見ず知らずという事なのでしょうか?
しかし、魔物でもない限り、見ず知らずの相手と毎晩交わる女性なんて考えられません。
容姿に魔物らしい特徴は見当たらなかったので、おそらく彼女は人間です。
ならば何故彼と……いえ、考えていても始まりません。
足りない情報は、嘘と誤魔化しとハッタリで何とかするしかないでしょう。
今最も大事なのは、彼に会うこと。彼の家は……ここですね。

 コンコンッ!

「ごめん下さい!ラエールさん、いらっしゃいますかしら?」
「はい、ラエールは俺ですが………ッ!!?」
「あら、私がいきなり来たのが、そんなにビックリした?」
「…あんたは、誰なんだ?」
「嫌ねぇ、忘れたの?毎晩あんなに激しく愛し合ったじゃない…♪」
「あ、ああ…。そうだな。
 …まさか、まだ夢を見てるのか、俺…?」
「いいえ、これは紛れもなく現実よ。何なら、頬をつねってみる?」
「…いや、やめとくよ。夢だとしても…もうちょっと見ていたいしな。」
「そんなに私と居たいの?嬉しい♪」
「ところで、どうして一ヶ月前から急に夢に出てこなくなったんだ?」

 夢に出て来なくなった…?一体どういう事でしょうか?
う〜ん…ここは誤魔化すしかありませんね。

「ご、ごめんなさい…それはちょっと言えないわ。
 でも大丈夫。これからは、ずっと貴方と一緒に居られるわよ。」
「え?」
「だって私、この町に住むことにしたから。」
「何ィッ!?」
「…嫌なの?」
「いや、驚いただけ…。それにしても、色々と突然だな。」
「まあね。私もずっと、貴方のところに行きたかったから…」
「嬉しい事言ってくれるな…
 あ、そうだ。ずっと玄関で話すのも何だし、上がってくれよ。」
「ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えて…おじゃましまーす♪」

 彼の家の中…どうやら、この女性も入った事が無いようです。
…二人は一体、どこで交わっていたんでしょうか?この女性の謎は深まるばかりです。
ちなみに、どうやら彼の家には本が沢山あるようです。読書家なんですね。

「あのさ、」
「何かしら?」
「この町に住むって言うなら、今のうちにいくつか質問しておきたいんだが…いいか?」
「え、ええ…」

 来ました…。でも、ここを超えなければ、彼には近づけません。
彼も彼女に関する情報は無いようですし…余程の失敗がなければ、信じてくれるでしょう。

「まず、君の名前は?」

 何か良さそうな人名は…そうだ!
ちょうどワタシたちの横に本棚があります。そこの本から取りましょう。
ええっと…

『ノイア=ブラウンの手記 〜私は二度騙された〜』
『ファントム達の宴 上巻』

「の…『ノイア=ファントム』って言うの。改めて、よろしくね。」
「へぇ…、綺麗な名前だな。」

 褒めてくれるのは嬉しいけれど、もちろんこれは偽名です。
嘘なのに褒めてもらって、なんだか申し訳ない気分です…

「それじゃあノイア、次に…生い立ちについて、聞いていいか?」
「わ、わかったわ。私は…」



 数時間後…



「へぇー、そういう事だったのか…」
「そうなのよ。」

 あぁ…やりすぎてしまいました…。
ついついノってしまい、嘘がかなり大きくなってしまいました。
嘘の内容を説明すると…

 私はノイア=ファントム。元は隣の大陸の良家の娘だったのだけれど、
家が没落してしまい、折角だからと、家を出て自由気ままに旅をするという
長年の夢を実現するべく、手始めに大陸の西の方にある国を目指し旅を始め、その道中で
素敵な美青年の剣士と意気投合して共に旅を続けて、火山の噴火やら盗賊やらと
様々なハプニングに見舞われながら、数ヵ月後ようやく西の国にたどり着いた。
しかし、そこで私が美青年剣士に告白しようとしたら、なんと彼には隣の国に許婚が

 (中略)

 で、彼の夢に出てきた理由は、一ヶ月と数日前にこの町に立ち寄った際、
彼を見かけて一目惚れしてしまい(一目惚れはあながち間違っていません)、
彼が優しい人間か確かめるために、旅の途中で習得した魔法を使って夢を見させ、
夢の中のベッドの上で、彼の本性を確かめたのだという事になりました。
何というか…我ながらメチャクチャな設定です。
もし、本物の彼女が現れたら…完璧確実にアウトですね…。

「それで、俺はお眼鏡にかなったのかな?」
「当然よ。じゃなきゃ、わざわざ会いに来ないでしょ?」
「それもそうか。」
「そうよ。…さ、質問タイムも済んだ事だし…
 ラエールさん、私は貴方のことが好きです、結婚して下さい♪」
「…って、いきなり結婚ッ!?」
「……ダメ?」
「いや、心の準備と言うか身辺の準備と言うか、その…
 まずは普通に、恋人として付き合って欲しい…って何言ってんだ、俺…」
「あ〜あ、そうよね。夫婦未満の恋人同士の甘酸っぱい生活…
 そんなステキな物を、すっかり忘れてたわ。OK、まずは恋人から…ね♪」
「あ、ああ…。よ、ヨロシクオネガイシマス。
 …あのさノイア、何だか…性格が一ヶ月前と変わってないか?」
「えッ!?そ、そうかしら。そんな事無いと思うんだけど…」
「う〜ん…」
「…疑うんなら、変わってるかどうか、ベッドの上で確かめてみましょ?
 記念すべき、現実での初体験…楽しませてアゲル…♪」
「え、ちょっと、おい、待ッ…うわああッ!?」

 その後、勢いで初体験を済ませてしまい…気付いたら翌日の朝になっていました。
誤魔化せたから良かったものの、ホントに彼には迷惑をかけたと思っています。
幸い、彼の勤めている酒場は、その日は休みだったみたいですけど…
…仕方ないじゃないですか!情報が全然無い相手になりきるなんて無理ですよ!
多少というか、かなり強引でも、こうするしかなかったんです!
…しかしとりあえず、どうにか彼に告白することは成功しました。
その後も、住むところや仕事を探したりと、これまた大変でしたが…
今では彼と同棲する所までこぎつけ、とても幸せな日々を送っています。

 …でも、

 正直なところ、不安で仕方がありません。
何時ボロが出るかもわからないし、月の状態にも気をつけなければいけません。
もし、月が隠れ、彼の目の前で変身が解けてしまったら…
もし、彼に疑われるような大きなミスをしてしまったら…
もし、ワタシの居ない所で、彼が本物の彼女に会ってしまったら…
その瞬間に、全ては終わりです。

 ワタシはドッペルゲンガー。彼の報われぬ想いから生まれた魔物。
過去も、身寄りも、美貌も、他人に誇れる物も、何一つ持っていません。
ワタシが持っているのは、彼への想いだけ。
産みの親でもある彼を、幸せにしてあげたい。それが、ワタシの全てなんです。
でも、もしも何かの間違いで、正体を知られてしまったら…
彼がいくら優しくても、彼女への想いにつけこんで、彼をずっと騙し続けていた
ワタシの事を、嫌わないでいてくれる訳がありません。
そして…やはり彼女への想いは遂げられないのだと、彼が傷ついてしまう。
ワタシの蒔いた種だとは言え、それが、どうしようもなく怖いんです。

 …だから、ワタシは今日も『ノイア=ファントム』を演じ続けます。
嘘で塗り固められた関係でも…この愛だけは、本物ですから。
ワタシは、この愛だけでここに存在し、この愛のためだけに生きているのですから。

「ノイア…愛してるよ。」
「ええ、私もよ♪」

 ………寂しくなんて、ない。















 …私は、やっぱり弱い女だ。
結局、あの後も彼の事を忘れることが出来なかった。
走っても、眠っても、何か食べても、景色を眺めても…あれから半年余りの間、ずっと。
誰か別の人の夢で精を摂ろうとした時も…彼の事を思い出してしまい、できなかった。
一度だけ、それを押し込めて、無理やりに精を摂ってはみたけれど…
彼ほどじゃなかった。彼よりも満足できなかった。彼よりも優しくなかった。彼よりも…
と思ってしまって、結局一回きりで終わってしまった。
その上、その事があってから、ますます彼に対する気持ちが強くなっていき…
いつしか、彼に抱いてもらいたい。彼の精しか欲しくない。と思うようになっていた。

 …そうか。
私、もう戻れないところまで…彼の事を、好きになってたんだ…。

 …でも、それに気付いたところでどうするの?
また夢で精をもらうの?…それで、もし彼にばれたら?…ばれて、嫌われたら?
…私の性格上、気持ちの切り替えも出来そうに無いし…
最悪、未練タラタラのまま、精も摂れず、…寂しく野垂れ死に…
そうなってしまったら、お父さんとお母さんにも顔向けできない。
それ以前に、彼が傷ついてしまったら、精神的な意味で…私はもう、生きていけない。
でも、すっぱり諦められるほどの切り替えのよさも持ち合わせていないわけで…
…はぁ……。弱くて、しかも優柔不断な自分が、こんな時本当に嫌になる。

 ……そうだ、見るだけなら……

 一目見るだけ。今彼がどうしてるか見れば、納得できると思う。
一目見て、それですっぱりと終わりにしよう。
それなら誰も傷つかないし、もし彼に恋人が出来ているなら、諦めもつく。
元々、恋人の居ない彼のためにやってきた事なんだから。
というわけで、やる事は決まった。早速彼の町に向かおう!
私は、すぐさまもと来た道をたどり始めた。
私のコンプレックスの一つである異形の下半身も、こういう時には役に立つ。
あの町から半年も徒歩で旅を続けてきたはずなのに、
走って戻ったらたったの三月、およそ半分しかかからなかった。

「懐かしいなぁ…」

 彼の町に戻ってきた私は、まず彼の家の前にやって来た。…茂みに隠れてだけど。
曇ってるからよくわからないけど、空がだんだん暗くなってきたから、もうすぐ日没だ。
彼から精を摂っていた時に、彼の生活パターンは大体把握している。
彼の働く酒場は、午後の業務が終わると、夜のピークタイムの前に休憩を挟む。
その間、彼は一旦自分の家に帰り、休憩が終わる頃にまた酒場に戻るのだ。
だからこのまま隠れていれば、もうすぐ彼が姿を見せるはず…
…あ、来た!

「それじゃ、行って来るからな。」
「行ってらっしゃい、ア・ナ・タ♪」
「だから、まだ早いって…」





    嘘



 どうして?


 ありえない

 なんで『あの私』がいるの?

      なんで彼の隣にいるの?

   なんで?

 あれは…私が作り出した夢じゃなかったの?

 …でも、あそこに居るのは、紛れもなく『あの私』だ。
美しく、魅力的で、積極的で…私では絶対になれない、遥か高みの存在。
私が作り出した者でありながら、密かに羨み、妬んでしまうほどの、女性の理想像。

 …彼は、あの私のモノになってしまったんだろうか?
あの私と共に、現実の私なんかじゃ絶対に届かない所まで行ってしまったんだろうか?

「ああ…ぅぁ……!」

 あまりの衝撃と混乱と悲しみ、悔しさに、私は知らない内に嗚咽を漏らしていた。

「?…そこにいるのは、誰!?」

 しかも、あの私にそれを聞かれて、見つかってしまった。
その時には、もう彼は酒場に行ってしまっていたから、彼には見つからなかったけど…

「うちの前を見張って…貴女、一体何者なの?もしかして泥棒?」
「…そういう貴女こそ、一体…誰なの?」
「私?私はノイア。ノイア=ファントムよ。ここに住むラエールさんと同棲してる…」
「そ、そうなんだ…。ごめんなさい。
 あんまり私の知ってる人とそっくりだったから…」
「へぇ…。貴女の名前は?」
「私は…エイム。ナイトメアです。」
「そう。確かナイトメアって、夢で精を摂る魔物なんでしょ?彼を狙ってきたの?
 でも、ごめんなさいね、エイムさん。彼はもう、私の恋人なんだ。」
「……そう。やっぱり、そうなんだ…。
 …ねえ、ノイアさん。彼とはどこで知り合ったの?」
「そんな事聞いて、どうするの?」
「私も、ラエールさんの事がずっと好きだったから…。
 彼が選んだ人は、どういう人なんだろうって思ったの。」
「そうね…。わかったわ。話せば長くなるんだけど、私は元々は隣の大陸の

 (中略)

 それで、この町に立ち寄った時、偶然見かけた彼に一目惚れしちゃって。
 彼が優しい人か見極めるために、旅の途中で偶然習得した魔法を使って
 毎晩彼に夢を見させて、彼が優しい人か見極めていたの。
 それで彼が優しい人だってわかったから、現実でも会いに来たってわけ。」
「…ちょっと待って。彼に夢を見させた!?そ、それって、何時のこと?」
「大体…九ヶ月前くらいかしら?」

 九ヶ月前…!私が彼のもとを去った時期と同じだ。
やっぱりこの姿は、私の……?
…でも、名前やら生い立ちやら、そんな『設定』をつけた覚えはない。
ただの他人の空似なの?でも……
…そういえば、なんで彼女は、さっきから空をチラチラ見ているんだろう?

「あの…、どうして空を気にしてるの?」
「えっ!?そ、そんな事ないわ。ただ、明日の天気はどうなるかなぁ、って…」

 …ちょっと嘘くさい。
彼女が何を見ているのか気になって、私も空を見上げてみた。 
けど、別に変わった所は見当たらない。空は一面曇っているばかりだ。
でも彼女はなぜか、そんな空の様子をそわそわしながら見ていた。

「思い出した!ごめんなさいね、エイムさん。私、ちょっと用事が…」
「えっ、突然どうしたの?何だかそわそわしてるみたいだけど…。」
「な、何でもないの。ごめんなさい。時間がないの。今日はもうお話できないわ…」

 彼女の様子は、何だか用事を済ませなきゃいけないというか、
早くこの場から離れたいって感じだ。私が、何か気に触ることでもしたんだろうか?

「あの…時間がないって、一体…?」
「ごめんなさい!何でもないの、何でもないから!
 話はまた明日にでもしに来て下さい。それじゃッ!!」

 彼女はそう言うなり、踵を返して、ラエールさんの家に戻…
ろうとして、足がもつれたのか、草にひっかかったのか、思いっきりすっ転んだ。

「あうッ!?いたたた…」
「あの…大丈夫?」
「だ、大丈ぶ…痛ッ!」
「でも足首ひねっちゃってるみたいよ?私が家まで運んで…」
「いや、私は平気だから、貴女はもう…
 ……!! ああっ、もう空が…!」

 その時、突然彼女の姿がゆらめく黒い影のようになったかと思うと、
次の瞬間にはもう、その姿は何処にもなかった。

 …いや、正確に言えば、彼女はまだそこに居た。
ただし、先程の姿とは似ても似つかない、黒髪と赤い瞳を持つスレンダーな少女の姿で。

「…えっ?」
「………!!」
「貴女は、一体…?」
「………い、

 嫌あああぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 彼女は突然、マンドラゴラも真っ青な位の大きな悲鳴を上げると、
そのまま手で顔を覆って、ガタガタと震え始めた。

「み、見ないで下さい!お願いします、見ないで下さいッ!!」
「と…突然どうしたの?それに、その姿…」
「ごめんなさい!お願いです。許してください。彼には、彼に言う事だけは…!」
「落ち着いて!とにかく落ち着いてよ!?何が何だかわかんないから!」
「うっ、ふぇっ…、うわぁぁぁ……!!」

 その上泣き出してしまった。もう手に負えない。
このままじゃ埒が明かないし、騒ぎを聞きつけた人が集まってくるかもしれない。
私はあれこれ考えるよりも早く、泣きじゃくる彼女をとりあえず彼の家へ運び、
とにかく必死に彼女をなだめた。

「ハァ…ハァ……」
「うぁ…ひぐっ…ぐすっ…」
「…ちょっとは落ち着いた?」
「は、ハイ…えくっ……」
「あの、ノイア…さん?だよね?」
「いえ…あれは、ワタシじゃないんです…」
「…じゃあ、貴女は一体、何者なの?」
「……何者でも、ありません。ワタシは、ただの影です…。」
「でも、少なくとも、貴女は魔物でしょ?それくらいは分かるから。種族は何なの?」
「…ドッペルゲンガー、です。」

 ドッペルゲンガー…
確か、恋に破れた男性の報われない想いから生まれる魔物で、
その男性が好きだった女性の姿に変身して近付き、精を摂る。という魔物だったと思う。

「なるほど。それで、あの姿になって彼に近付いてたの?」
「…はい。ワタシは、ラエールさんの想いから生まれた魔物ですから。」

 …と言うことは、彼は、本気であの私の事を好きになってしまったんだろうか?
報われぬ想いから、ドッペルゲンガーを産み出すぐらいに…
そうだとしたら…やっぱり、現実の私なんかじゃ、もう手を出せない。

「…そう。でも、今はどうしてそんな姿に?」
「ドッペルゲンガーは、月の見えない夜になると魔力を失って、
 変身が解けて、元のこの姿に戻ってしまうみたいなんです。」
「なるほどね…。だからあの時焦ってたんだ。」
「そういう事です…。」

「…あのね。ちょっと、聞いてくれる?」
「な、何ですか?」
「実は、貴女が変身してたあの姿の正体は…私なんだ。」
「…ええッ!?嘘ですよね?だ、だってあの姿は、その、まず二本足だったり…」
「うん。知ってる。アレは、私が男の人を誘うために作り出した偽の姿だから。
 …名前とか、生い立ちとか、そういう設定はつけてなかったけどね。」
「うっ…すみません。ワタシ、あの人に近付くために、色々嘘をついてしまって…」
「いや、いいのよ。私も、彼にそれを聞かれた時には、困ってごまかしちゃってたし。
 …ところで、貴女の本当の名前は?」
「……ありません。
 ワタシは、他の人や魔物さんのように親から生まれた訳ではないので、
 名前も、過去も、身寄りも…『自分』を証明できる物が、何一つないんです…。」
「そうだったんだ…。辛いことを聞いちゃって、ごめんなさい。」
「いえ、いいんですよ。隠しても仕方がありませんから。」
「…ありがとう。それでね…
 ……あの、呼びづらいから、貴女の事もノイアさんって呼んでいいかな?」
「はい、構いません。」
「ありがとう、ノイアさん。それで、話の続きなんだけど…
 私達の種族は、男の人の夢の中に入り込んで、夢を操って美女の姿に変身して、
 その夢を通して抱いてもらって精を貰うの。それが、ナイトメアの力なんだ。」
「そうなんですか…。」
「そしてあの姿は…私の理想の姿でもあるの。私なんかじゃ、届きっこないけどね。」
「そんな事ありません。
 現実のエイムさんだって、スタイルいいし、顔も綺麗だし…
 ワタシも、あの姿が自分の理想でしたけど…それにも負けないくらい素敵です。」
「…そんな事、ない。お世辞はよしてよ。でも…ありがとう。
 私は、その姿の貴女こそ素敵だと思うけどな。
 透き通った声に、そのつやつやした黒髪…羨ましい。」
「ありがとうございます…。でも、ワタシなんかの為に、無理しないで下さい。」
「無理なんてしてない!」
「お世辞なんかじゃありません!」

「………」
「………」

「…フフッ♪」
「クス…♪」
「あははははは!」
「ふふふふっ…♪」

 それから、何が可笑しいのかは分からなかったけど、とにかく可笑しくて、
私達は顔を見合せて、しばらくの間大声で笑いあった。
こんなに笑ったのは、こんな風に笑ったのは、誰かと一緒に笑ったのは、何年ぶりだろう。
心がだんだん晴れてくるような…そんな笑いだった。

「ふふふ…、久しぶりに笑ったなぁ…」
「この姿で、初めて笑ったかもしれません…」

 そうしてひとしきり笑い、お互いに落ち着くと、彼女が質問してきた。

「ところで、どうして彼から離れたんですか?」
「だって…何かの間違いで彼にこの姿を見られたら、きっと嫌われる。
 そしたら、自分は騙されていたんだって、彼も傷ついてしまう。それが…怖かったから。
 だから彼にばれる前に、お互いに傷つく前に、離れられるうちに離れようとしたの。
 …結局、彼の事が忘れられなくて、こうして戻ってきちゃったけど。」
「そうだったんですか。…ワタシと同じですね。
 ワタシも彼の事が好きですから、いつ何か失敗をして、彼に正体がばれて、
 彼に嫌われてしまうのが、怖かったんです。
 ワタシが傷つくだけならいいんですけど、やっぱり彼女への想いは叶わないのか…って、
 彼が傷ついてしまう事がずっと怖くて…」
「そうだったの…。」

 なんだ。彼女も、私と同じなんだ。私と同じ悩みを抱えてるんだ。
そう思うと、何だか安心した。
…そうだ。もしかして彼女なら、私の事を……
私は、彼女の綺麗な赤い瞳をまっすぐ見つめ…言った。

「…ねえ、ノイアさん。」
「何でしょうか?」
「私たちってさ、似た者同士だと思わない?」


  その時私は、ある閃きと期待を抱いていた。


「…確かに、そうかもしれませんね。」
「でしょう?それで、一つ聞きたい事があるんだけど…」


  今まで、友達が居なかった私だけど…


「何ですか?」
「あのね…」


  ひょっとして、似た者同士の彼女なら。


「月が見えない夜に姿を隠すこと、彼は怪しんでない?」
「…最近、少し怪しまれているみたいです。」
「そうでしょう?
 今、いい方法を思いついたんだけど…」


  私と同じ悩みを抱えている、彼女となら。


「私達が組めば、彼に怪しまれないと思うんだ。」


  お互いの弱点を克服できるかもしれない。

  仲間に…友達に、なれるかもしれない!


「それって、どういう…」
「いつもは貴女が彼と一緒にいて、月が見えない夜にだけ、彼を貸してほしいの。
 私が帰ってきた彼を魔法で眠らせて、その夢の中に入り込んで、
 そこで、月の見えない夜でも、普通にあの私達が彼といるような夢を見させる。
 つまり、お互いの能力で、お互いの弱点を補い合うの。
 そうすれば、これからも彼に怪しまれずに生活できると思うんだけど…どう?」
「…そんなに上手く行くでしょうか?」
「酒場が終わるのは深夜だし、たぶん彼も眠くて分からないと思うんだ。
 私が彼の所に居たときも、そんな感じだったし。」
「なるほど…。」
「だから…図々しいかもしれないけど、お願い。貴女と組ませてくれる?
 私達…きっと、いい仲間になれると思うの。」
「そうですね…」


  あとは、彼女の返答次第…


「…わかりました。
 貴女もワタシも、同じ彼を愛する仲間ですからね。
 こちらからもお願いします。ワタシと一緒に、彼に夢を見せ続けてあげて下さい。
 ワタシの仲間に…友達になって下さい!」


  やった!!!


「ありがとう!!…よかった。」
「何がですか?」
「私、今までずっと、友達とか、私の悩みを分かってくれる人が居なくて…
 ずっと欲しかったんだ。こんな私でも、受け入れてくれる、友達になってくれる人が。」
「…ワタシも、同じですよ。ワタシには過去も身寄りもありませんし、
 あの姿じゃ、本当のワタシの悩みや心配事を、誰かに相談する事も出来ませんから。
 こんな何も無いワタシの友達になってくれて…ありがとうございます。」

 こんな私の友達になってくれた。悩みを理解し、共有してくれた。
私には、その事が…たまらなく嬉しかった。

「決まりだね。…それじゃ、ノイアさん、これからよろしくね!」
「こちらこそ、こんなワタシですが、よろしくお願いします。エイムさん!」



 夢を見せる私と、幻を見せる彼女。
持つ能力は違うけど、似た者同士の私達は、ここに協力関係と友情を結ぶ事ができた。
私は…もう、一人じゃないんだ。心強い仲間ができたんだ!


 そして、姿を隠したお月様の下…私達は、固い握手と抱擁を交わしたのだった。


 
11/12/22 23:53更新 / K助
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■作者メッセージ
 約半年も失踪してしまい、本当にスイマセンでしたッ!!

Q:なぜ、半年も音沙汰が無かったのか?

A:家庭の事情(震災のせいではありません。家族全員道民です)とか、
  大学が忙しかったとか、バイトしてたとか色々です。

Q:確かにそれもあるが、時間もたっぷりあったはず。
  ここも毎日覗けてたし、製本版図鑑も買ったはず。
  なぜ何も書かなかったのか?何をしていたのか?

A:………ゴロゴロしてました…
  すいません。本当にごめんなさい。だからその金属バットはしまって下さい。
  …え、いや、チェーンソーもダメです。ホントに死にますから。お願いしますよ。
  今回はすぐに続きも上げますから、マジで!ホント勘弁して下さ


  ### この作者は粛清されました ###

 

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