連載小説
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亡国のリッチ
何時の時代も流行り病というものは厄介だ。いや、厄介どころの話ではない。大量の人間に死と恐怖をばら撒く、宛ら死神と疫病神が合体したようなとんでもなく嫌な奴だ。
そんな厄介な流行り病も二年前まで猛威を振るっていたが、ここ最近は鳴りを潜めたらしく感染者の死亡は聞かなくなった。あくまでも俺の耳に届く範囲内ではあるが。だが、それでも数年前まで当たり前のように広がっていた屍累々と言った地獄の様な光景は見なくなったのは結構な事だ。

「もう……五年か……」

小雨が降り注ぐ険しい山道を歩き、ふと上空の灰色の雲を眺めながら呟いたのは俺―――剛隻腕というあだ名で傭兵界に名を轟かせているガルフ・ライゼンだ。
突然泣き出した空が恨めしい訳ではない。ましてや今歩いている道が険しいのを呪っている訳ではない。しかし、顔を顰めてしまうには理由がある。

「キャサリン、お前が流行り病に殺されたなんて……今でも信じたくねぇよ」

この山道の先にある超巨大墓地『ナハト』でキャサリンは眠っている。眠っているというのは単なるお昼寝という意味じゃない。死という人間誰しもが経験する意味での永遠の眠りだ。

彼女は有能で最強と呼ぶに相応しい魔法使いだった。最上級Sランクの、所謂エリート中のエリートと言われる魔法使いだった彼女。彼女の右に出る者は誰一人としておらず、戦争となれば彼女の力だけで戦況を左右する事も可能であった。味方からすればこれ以上にない程に心強く、敵対者からすれば恐ろしい以外の何者でもない。そんな存在だった。
また彼女は誰に対しても優しかった。同僚の魔法使いだけでなく、戦場で戦う兵士、更には俺のような金の為だけに命を張る傭兵にでさえ平等に接してくれた数少ない優しい女だった。いや、お人好しと呼んでも良いぐらいに良い奴だった。

だが、そんな彼女にも弱いものがあった。それは身体だ。彼女の身体は同年代の女性と比べれば極めて病弱であり、軽い風邪でもあっという間に肺炎などの重病を引き起こしてしまう程だ。
そんな病弱な彼女が流行り病に掛かったとなれば、掛かった時点で死亡宣告を受けたも同然だったに違いない。そして……五年前、遂に彼女は流行り病によって還らぬ人となった。

最初は彼女の死に対し、大勢の人が悲しんだ。いや、悲しんだ素振りをしたと言った方が正しい。実際に悲しんだのは彼女の死ではなく、彼女を失った事で発生する損失だ。特に軍は彼女が死んだ瞬間、軍事的有利を失ったとして緊急の軍事会議を開いた程だ。
また魔法使いとして天賦の才を有していたキャサリンに影で嫉妬していた同僚の魔法使いの何人かは、彼女の死を心の底から喜んだそうだ。他人にはあって自分には無い才能を恨んだり妬んだりする、人間が持つ嫉妬心から生まれ出る醜い一面というやつだな。
あとの残りは俺みたいに純粋に彼女の死を悲しみ奴ぐらいだ。彼女に救われた大勢の人間はキャサリンの死に涙を流し、彼女の冥福を祈った。

しかし、人間という生き物は薄情だ。その時は彼女の死を心から悲しんだり、冥福を祈ったり、彼女の死を忘れないなんて大層な言葉を吐いておきながら……一年経ったらコロリと忘れちまう。何もかもだ。

対する俺はと言うと、キャサリンの命日にはちゃんと彼女の事を思い出していたし、彼女が今頃は天国で穏やかに暮らしているだろうと信じている。
だが、こうやって彼女の墓参りの為に墓地へ向かうのは彼是五年振りだ。先に言っておくが、決して忘れていた訳ではない。中々、そこへ足を運べなかっただけだ。軍に就職して、この近くに居続けられれば命日に足を運ぶ事も可能なのだが、残念ながら俺の職業は傭兵だ。戦場は選べない、戦場がある場所しか居られない、戦争が無い場所には留まれない、こういった傭兵ならではの悪条件があるので中々墓参りには行けなかったのだ。

そしてもう一つは……俺自身が彼女の死を認めたくないからだろう。今尚、心の何処かで死んだ彼女を求めている女々しい自分が居る。大の大人になって、しかも名を馳せた傭兵だと言うのに、格好悪いったらありゃしねぇ。

だから、そういった女々しい自分とおさらばし、未だに引き摺っている過去と決別する為に今日漸くキャサリンの所へ足を運ぶ決心をしたのだ。

「……急がねぇと本降りになってきそうだな」

チラリと顔を上げて遠くを見れば、薄い灰色の雲を押し退けて、こちらへ迫って来るドス黒い雲があった。黒い乱雲からは落雷の音も聞こえてきた。今はまだ遠いが、雲の動きから察するに俺の頭上に到達するのは一時間弱って所だ。
これは下手すると土砂降りに見舞われて、今日中に宿へは戻れないかもしれないな……そう考えると俺の足は自然と小走りとなり、最終的にはナハトへ続く道を全力で駆け抜けていた。




超巨大墓地ナハト――名前から察しての通り、そこは世界で一番大きい墓地だ。それ以外の何物でもないのだが、実を言うとこの名前は後から付けられたものである。

それ以前に付けられた正式名はナハト連合共和国……そう、嘗てナハトは多くの人々や近隣諸国との交流で賑わった独立国家の一つであった。
元々はナハトと呼ばれる街を中心に近隣にあった村々や街を吸収・合併し、それを繰り返しながら領地を増やしていった結果、一世紀半程前までは大規模な領土を有する国家にまで上り詰めた。だが、その後の度重なる戦乱とそれによる人口流出で一気に数が減り、更に運悪く今回の流行り病が大流行した事で今では見る影もない。

戦乱と流行り病のダブルパンチを受けたナハトから人が居なくなり、ナハト連合共和国は事実上滅亡した。そして滅亡した後のナハト連合共和国の領土は流行り病で亡くなった大量の人間を埋葬する墓地へと生まれ変わったのであった。

因みに流行り病の発生源がナハト連合共和国であるという噂が流れたり、流行り病で亡くなった死体から病に感染するという噂も流れたので、ナハトに人間の姿は無い。
もし人影があるとすれば、それは不法居住者か重罪を犯した犯罪者、もしくは人間の女性に近い姿形をした魔物娘と呼ばれる魔物だろう。少なくとも俺の様に真面目な目的を持ってナハトに足を運ぶ人間は居ない筈だ。酔狂な奴であれば別だが……。

「ちっ、やっぱり降り出してきやがった……」

予定を早めてナハトに辿り着いた俺であったが、その予定を上回る速さで雲が追い付き、俺の到着と同時にバケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めた。これが通り雨ならば何処かの木陰で雨宿りしていれば良いかもしれないが、どうも通り雨という感じはしない。暫く降り続く長雨のようだ。

「こりゃ……宿に戻るのは諦めるしかないな」

ナハトから約三十キロ離れた場所にある村に宿を取っていたのだが、この土砂降りの雨を見ると戻るのは危険だと俺の長年の勘が訴えていた。俺もその勘に同意し、最悪の場合は何処か雨を凌げる所で野宿だなと覚悟を決めてナハトに足を踏み入れた。

足を踏み入れて最初に俺を出迎えてくれたのは、所々が罅割れたり激しく欠けた石畳の道、砲弾を受けたのか二階や一階の壁が破損している家、土砂降りの雨を前に全く意味を成さない真っ二つに折れた雨どい等、この地で起った過去の出来事を物語るかのようにナハトに残された建築物であった。
ナハトの領土は今現在墓地という名目で使用されているが、過去に築かれた建築物が全て潰されて墓地となった訳ではない。確かに幾度かの戦乱で失われた建物もあるが、それでもまだナハトという亡国の中には全体の約半分以上の建物が姿形を保ったまま残されていた。

隙間も見えない程に密着する家々の前の道を通り、ヒンヤリと冷気を感じさせる土砂降りの雨に背筋を軽く震わしながらも、俺の足はナハトの墓地へと向かっていく。

そして漸く墓地に辿り着いたが……そこは墓地と呼ぶには余りにもお粗末な場所であった。

真っ平らな台地から小高い丘のような急斜面の場所、起伏が激しい凸凹の地面や全く管理されていない雑草が伸び放題の大地。それらの場所の至る所に、手当たり次第に突き刺さった真っ白な十字架。超巨大墓地とは名ばかりの、その実態は死人を手当たり次第に放り込む無縁墓地であった。

「成る程、こりゃ酷いな……」

そう呟いて思い浮かべたのは、キャサリンの墓参りへ行く前に立ち寄った葬式屋の事だ。この葬式屋、キャサリンの葬式が終わった後、彼女の死体をナハトに運んで埋めた業者であり、俺が墓参りをするにあたり、彼女を墓地のどの辺りに埋めたのか聞こうと考えて立ち寄ったのだ。
しかし、俺が葬式屋の人間にキャサリンの事をどれだけ尋ねても、相手は口籠ったり、曖昧な返答をするばかりで殆ど役に立たなかった。結局、俺は明確な答えを得られずにナハトに辿り着いたのだが……成る程、こんな無縁墓地じゃ何処に誰が眠っているのか分からんな。

葬式屋の適当な仕事振りに俺は怒りさえも通り越して、呆れるばかりだ。いや、葬式屋だけのせいじゃない。こういった実態を把握していない国にも責任はある。

「……何処に居るのかは分からないが、折角来たんだ。せめて、キャサリンと他の奴の分まで祈ってやるとするか」

本当ならばキャサリンの為だけに来たのだが、無縁墓地状態ではそれも叶わないだろう。しかも、墓地にある十字架の殆どは亡くなった人間の名と生没年が刻まれておらず真っ白のままだ。挙句の果てには長年風雨に晒され続けたせいか、ボッキリと根元から圧し折れてしまっている十字架だってある。手抜き仕事も甚だしい。

そんな惨めな墓場で眠るキャサリンとその他大勢に哀悼の意を表して暫しの黙祷を捧げた後、持ってきたワインを墓地の大地に注ぎ、供物の花束は一つ一つをバラ撒くように放り投げた。少々雑にも見えるが、キャサリンだけでなく他の奴も弔ってやりたいという想いに嘘偽りは無い。

そして墓参りも一通り終了し、これで亡きキャサリンとの過去とは決別した……というかしたつもりだ。問題なのは今後の俺の人生で、彼女の影に囚われず生きていけるかだ。つまりは俺の心次第という訳だ。

後はナハトを出て、宿のある村へ帰るだけなのだが………ここで問題が一つ発生した。

「くそ、益々酷くなるばかりじゃねぇか」

此処へ到着する前から降り出している雨は更に勢いを増し、目の前の光景でさえ雨のカーテンで遮られて目視が困難だ。凄まじい豪雨を降らしている原因であるドス黒い積乱雲は既にナハト全体を覆い尽くしており、この様子だと帰路も豪雨に晒されているに違いない。

「まいったな、こりゃ廃墟で野宿か……」

滅んだ亡国の市街地に聳え立つ廃墟で野宿なんて不気味で真っ平御免だが、豪雨によって危険度の上がった山道の中を歩いて帰るよりかは幾分か安全(マシ)だろう。最悪の野宿を選ぶしかないと諦め掛けていた矢先、俺の瞳に意外な光景が飛び込んできた。

「………何だ、ありゃあ?」

豪雨で周りの風景がぼやけて見える中、唯一ハッキリとそれは見えた。光だ、嘗て栄華を極めたナハト王族の権力の証明であり、ナハト王国の象徴でもある城の一室に光が燈されていたのだ。

「誰か居るのか? いや、待てよ。確か城は戦乱に巻き込まれた挙句、全壊したと聞いている筈だが……」

当初は不法居住者や犯罪者が勝手に城を宿代わりにしているのかと思ったが、ナハトの城は戦火に飲み込まれて崩壊したと他所の傭兵に聞かされた記憶が俺の脳裏から引き摺り出された。
だとすれば、この城は誰かの手によって修復された事となる。修復するにしても全壊した城を元の状態に立て直すのは尋常じゃない金と人材が必要な筈だ。つまり、誰にも知られる事無く壊れた城をこっそりと直すなんて真似は不可能だと言う事だ。

「一体どこの誰だ? こんな酔狂な真似をしやがるのは……」

どうやって人知れず城を直したのか、そして直した奴は一体どんな奴なのか。強い好奇心と純粋な興味が俺の中で湧き上がり、また短気な性格ととことんやり通さないと気が済まない性分が絡み合った結果、居ても立ってもいられなくなった俺は光が燈されている城に向かって走り出していた。



断崖絶壁の如く聳え立つ傷一つない真っ白な城壁、贅の限りを尽くして作られたステンドグラスやシャンデリア、更には一生踏む事は無いと思われていた恐ろしいぐらいに柔らかなレッドカーペット……城の内部は王族が権力を握っていた頃の暮らしぶりを再現したかのような豪華絢爛の風景が広がっており、城内に侵入した俺はそれを見てあんぐりと口を開けてしまう。

「……こいつはたまげた」

贅沢を凝縮した城内の様子を目の当たりにし、俺は思わず放心状態になってしまう。しかし、すぐに我に返って、城へ来た目的を思い出す。

「兎に角、何処のどいつだ? こんな風に城を直すだけじゃなく、贅沢な暮しをしているなんざよぉ」

滅亡した国の跡地で豪華な暮らしをしている城の主の事を考えると、羨ましさと妬ましさを抱いてしまうのは仕方の無い事だと思う。まぁ、貧乏人の妬みとでも言いますかねぇ。
それよりも、この城に住んでいる奴って一体何者なんだ? どうしてこんな場所に住んでいるのか、一体何の得があるというのか。考えれば考える程、謎は深まるばかり。しかし、幾ら考えても埒は明かないので、結局俺は足を進めるしかなかった。

迷路のように入り組んだ道を歩き、何度か迷いそうになったものの、そこは長年の勘と戦場で培えた知識でどうにか切り抜けた。たかが道に迷う程度で、そんな大層な勘と知識を使ってどうするなんて思う節もあるが、そこは敢えて突っ込まないで欲しい。

そんなこんなで、どうにかして光が燈されていると思われる部屋の数m前に辿り着き、そこから俺は慎重に忍び足で部屋の傍へ近付いて行った。この城に住んでいる奴自体が妖しいのだが、かく言う俺も興味本位だったとは言え、城の中へ不法侵入してしまった身だ。今更かもしれないが、堂々と歩ける身分ではない。

そっと掌を扉に当て、音を最小限に抑える為にゆっくりと押す。僅かな隙間から部屋の中を覗き、中に誰か居ないか確認しようとするが、やはり狭い隙間では視野も限られてしまう。狭い視野の中で天井に着くぐらいに大きな本棚と机を確認出来た事から、恐らくこの部屋は書斎として利用されているのだろう。

もう少し押しても大丈夫か……そう思って手に力を入れ掛けた瞬間だった。

「!?」

手に力が入るよりも先に扉が独りでに開き、年甲斐もなく俺はそれに驚いて後ろへ後ずさってしまう。だが、これでも傭兵の端くれだ。すかさずコートの下に隠してあった武器に手を遣り、もし向こうが襲ってきたら何時でも武器を抜けるように身構えた。

………が、扉が開かれても襲って来る気配は無い。いや、そもそも部屋の中は暖炉の火やランプなど灯りこそ灯っているが、それらしい人影は何処にも――――

「あら、どうしたの? 入って来ても良いのよ」

―――いや、居た。よくよく見たら暖炉の前に置かれている大きめのソファーに座っている。俺の位置からじゃソファーの背中しか見えず、正面は死角になって見えない。見えるのはソファーの手凭れに乗せている蒼白い腕だけだ。

血の気が悪いのか、それとも例のアレなのか……判断に迷っている俺にソファーに座っている奴が更に言葉を投げ掛けた。

「貴方は何しに此処に来たの? 偶然迷い込んだだけ? それともあたしを狩りに来たのかしら?」

淡泊な口調で発せられた前者の台詞は単純な質問であったが、後者の台詞には質問だけでなく敵意と疑念が込められていた。そこで漸く俺は彼女の正体を察した。

「あんた……魔物か?」
「ええ、そうよ」

魔物……遥か昔から存在する人類の天敵でもあるそれは、この世界では受け入れる者と拒絶する者の二分割に分かれている。天敵でもある魔物を受け入れるとはどういう事かという疑問もあるかもしれないが、それにはちゃんと理由がある。
確かに遥か昔の魔物は人間を襲い、喰らう、凶暴で野蛮で醜い生き物だった。ところが、何十年か何百年か前に魔物を支配していた魔王がサキュバスへと世代交代した瞬間、魔物は全部メスに……人間の女性に近い形へ生まれ変わった。俗に言う魔物娘の誕生だ。
魔物娘になってからは人間を殺したり食ったりという野蛮な行為こそ無くなったものの、代わりに人間の男が無理矢理連れて行かれて番いにされたり、性欲発散の道具にされたりと、魔物の当主となったサキュバスの本能が全ての魔物に色濃く受け継がれてしまったらしい。

だが、それでも遥か昔に比べれば穏やかな時代になったのは言うまでもない。現在では魔物娘を快く受け入れる親魔物派と、古くから魔物を忌み嫌う反魔物派との二つに分かれ、いがみ合っているのが実情だ。中には魔界に進行して魔物を殲滅するという無謀且つ馬鹿な軍隊も居たそうだが、その末路は本末転倒であったとだけ記しておこう。

それはさて置き、俺は彼女……魔物娘の質問に応えなければならない。幸いにも彼女は他の魔物娘のように問答無用で人を襲うのではなく、きちんと人の意見を聞いてくれる良識ある魔物娘らしい。
ここで下手に答えをはぐらかせば自分の身が危ない。色んな意味で。それでも何をされるのかは分からないので、武器に手を掛けたまま俺は彼女の問いに答えた。

「ここにはある女の墓参りで来ただけだ。だけど、ここが無縁墓地だったのは予想外だったな。おかげでそいつだけじゃなく、他の連中の弔いをする羽目になっちまった。それと城に入ったのは、偶々城の外から光が見えたってだけだ。まぁ、好奇心に負けたって事だな。もし勝手に入ったのが癪に障ったんだったら、素直に謝るよ」
「……嘘は付いていないようね」
「俺はこう見えても素直に生きようと心掛けているんでね」
「強いて言えば、貴方の右手に握られている物体が唯一の気掛かりね」
「…………」

くそっ、全部お見通しかよ。しかも、相手は俺に対してソファー越しに背を向けている上に、こっちが手にしている武器だってコートに隠れて見えない筈だぞ。何もかもを見通されては、最早打つ手はないと見るべきだろう。

「分かったよ、降参だ。あんたが魔物だから警戒していたのは事実だ。だけど、決してあんたを狩る為に此処へ来たんだ。俺は女の墓参りに来ただけだ、それだけは信じてくれ」
「さっきも言ったでしょ、嘘は付いていないようね……と」
「あ? ああ、それじゃ信じてくれるって事か……」

どうやら正直に話しをしたのが功を奏したようだ。向こうも俺に下心がないと察してくれたらしく、攻撃したり襲い掛かったりはしないでくれるようだ。

「ありがとよ、えーっと……あんたの名前は? 俺はガルフ、ガルフ・ライゼンだ」
「……………」
「ん? どうした?」
「……いえ、何でもない」

自己紹介を名乗った後に出来た少しだけの間が気になるが、すぐに彼女は気を取り直して立ち上がると、今まで全く見えなかった全体像をこちらに見せてくれた。

身体を纏う如何にも魔法使いらしい漆黒のローブ、死人のように血の気の失せた蒼白い肌、背中には十字架を模した魔法具を備えている。十字架の両端からぶら下がっている髑髏のアクセサリーがチャームポイントだ。

だが、そんな事実はどうだって良い。因みに彼女の身に付けているのがそのローブ一枚だけで残りは全裸という点も後回しだ。

納まりの悪いボーイッシュな髪形、少し眠たげな二重の目、そして雰囲気は大人びているが何処か幼げで儚い顔立ち……そう、紛れも無くその顔は――――

「キャサ……リン……?」
「あら、あたし……自己紹介したかしら?」

――その魔物娘、アンデッド系で最強とも謳われるリッチの姿は紛れも無く俺の肩想いだった女性……亡きキャサリンそのものだった。しかも、偶然にも名前まで一緒だったので、俺は今度こそ言葉を失ってしまった。


………………
…………
………
……



「成る程、その死んだ女性とあたしがそっくりという事ね。そんなに似ているの?」
「ああ、驚くぐらいにな。一瞬、本気で本人が生き返ったのかと思っちまったぜ」

その後、落ち着きを取り戻した俺はリッチことキャサリンと会話を重ね、一応それなりの事情を聞く事が出来た。まぁ、まだお互いに信じ合ってはいないがな。
分かったのはキャサリンが目覚めたのは今から三年前らしい。目覚めた直後から膨大な魔法の知識と強大な魔力を有しており、更に独学でそれらを磨き上げていたそうだ。因みに崩壊したこの城もキャサリンの魔法によって修復されたものだとのこと。羨ましいねぇ、万能な魔法はよぉ。
またキャサリンは目覚める以前、つまり人間として生きていた頃の記憶はこれっぽっちも覚えていないらしい。魔物化による影響なのか、それとも死のショックで記憶も吹き飛んでしまったのか。どちらにせよ私生活には問題は無いので、本人は然程気にも掛けていないようだ。

「ところで、この城に住んでいるのはあんた一人だけか? 他にもリッチとかは居るのか?」
「いえ、リッチはあたし一人だけ。他の魔物娘は城下にある廃墟に住んでいる。大半はゾンビやグール、それとスケルトンとゴースト。あと少数だけどガーゴイルとマミーも居るわよ」
「……ガーゴイルまでは良しとして、何でマミーまで居るんだよ!? そいつらは砂漠にしか生息しない筈じゃないのか!?」
「そこまでは私も知らないわよ。私が推測するに恐らく魔力が漂う砂漠地帯で事件に巻き込まれたか、暴漢に襲われて命を落とした女性が犯人の手によってこちらに運ばれてきたんでしょうね。そして死んだ直後に砂漠の魔力を吸収し、此処でマミーとなって復活した……そんな所じゃないかしら」
「成る程、死体を隠すには此処は打って付けの場所だからな」

別の場所で人を殺し、その後ナハトみたいな無縁墓地に埋めたって異変に気付ける人間は少ないだろう。木の葉を隠すなら森の中ってヤツだ。
仮に行方不明者に気付いて捜索しようにも、ナハトは年がら年中雨に見舞われている土地だ。匂いや血の痕だって、あっという間に雨で消されてしまう。不謹慎な言い方かもしれないが、マジでこの土地は呪われているかもしれないな。

「………だが、城下町の中を歩いていたが、ゾンビやグールには出会わなかったぞ?」
「昼間は大抵、皆家の中か棺の中、もしくは土の中でジッとしているわ。彼女達は基本夜行性だからね」
「お、おう。そうか……」

良かった。もし城へ行くのを面倒くさがって城下町の廃墟に乗り込んでいたら、今頃俺はゾンビ達の餌食になっていたかもしれん。
そして会話もポツリポツリと尽き掛けてきた頃、キャサリンは俺に今晩はどうするのかと尋ねてきた。

「どうする、今晩は此処で泊まっていく? 隣の部屋は使ってないから、好きに使っても良いわよ」
「良いのか? 迷惑じゃないか?」
「良いも何も、城下町で寝ていたら真夜中に目覚めた魔物達が、貴方の精を求めて大群で押し寄せて来るわよ。それでも良いの?」
「絶対に嫌だ」
「でしょ」

俺はハーレムよりも一対一のラブラブが好きなんでな、なんてジョークはさて置いてだ。確かに眠っている最中にゾンビやグールの大群に襲われ、輪姦されるのは真っ平御免だ。

それとこれもキャサリンに聞いた話なのだが、実は俺がナハトに訪れる前から俺以外にも人間の男が居たそうだ。
勿論、そいつらは俺のような墓参りが目的でナハトを訪れた訳ではない。ずっと前から不法に居住していたり、国で指名手配を受けている犯罪者、果てには城下町そのものを犯罪組織の根城として利用していたそうだ。中には魔物娘の売春を斡旋したり、臓器や身体の一部の売買を目的とした組織も居たそうだ。

だが、今現在のナハトには犯罪者達の姿はない。キャサリンがリッチとして目覚めた直後、彼女の強力な魔法と、彼女に従うゾンビやグールといった魔物娘達の猛攻によって殆どの犯罪者はナハトから追い出されたようだ。一部の男達は彼女達に捕らえられて、今では城の地下で餌と化しているらしい。餌と言っても性的な意味だが、それがほぼ永遠に搾取されると思うと天国なのか地獄なのかは判断が微妙な所だ。

しかし、彼女達が犯罪組織を壊滅させたという事実だけに着目すれば、その戦力は相当なものであると察するべきだろう。しかも、ゾンビやグールやスケルトン、既に死んだ者達が大群で特攻を仕掛けてくる所を想像してみろ。屈強な男達も一溜まりもない。正に数の暴力だ。

つまりだ、キャサリンに逆らう事は即ち、ナハトに住んでいる魔物娘全員を敵に回すに等しいって事だ。

先程の話で俺はその事を肝に銘じ、成るべく彼女の意見には逆らわないでおこうと心に誓った。そして彼女に一礼して、部屋を後にしようとした間際、ふとした疑問が頭に過り、俺は彼女の方へ振り返って訊ねた。

「なぁ、あんたも魔物娘だけど……俺を襲ったりはしないよな?」
「………………」

しまった、この質問は藪蛇だったかもしれん。折角、穏便に済まそうと思っていたのに、余計な質問をしてしまった事を激しく後悔する。急に無言になったキャサリンに不穏な空気を感じ、慌てて『今の質問は忘れてくれ』と捨て台詞を残し、部屋のドアノブに手を掛けた時だ。

「性で得られる興奮や快楽、その果てに待ち受ける堕落……。私が精や性欲に関して深い関心を持ち、それらの知識を求めるようになったのは多分、魔物娘になった影響でしょうね」
「そ、そうか……」
「その為に数多くの性的実験もしたわ。でも、安心して。実験に必要なモルモットは既に手に入っているから。それなりの数をね」
「さっき言っていた……捕らえた犯罪者ってヤツか?」
「そう、それと実験にはゾンビやグールも手伝ってくれるからね。今の所、不満は無いわ。だから、貴方を襲わない」
「そうか、だったら……安心したぜ」

何だろうな、ホッとしたような残念に思えてしまう様な。いやいや、これはラッキーだったと捉えるべきだろう。下手をしたら、今の一言でキャサリンの逆鱗に触れていたかもしれないんだぞ。そうなったら俺も立派なモルモットの仲間入りだ。

そしていよいよ、俺が扉に手を掛けて部屋を出ようとした時――――再度キャサリンの声が俺の耳に届く。

「それとも………貴方は私に襲って欲しかった?」
「え……?」

意味深な言葉に思わず振り返ると、すぐ目と鼻の先にキャサリンが居た。150センチ半ばの身長しか持たない彼女の体は魔法の力で宙に浮かんでおり、2mという巨体を誇る俺の首に冷たくて滑らかな腕を絡ませて来る。
キャサリンの深く冷たい闇のような瞳と、俺の燃えるような赤い瞳が交差する。彼女の目を見詰めている内に、俺の五感はその瞳に吸い込まれる錯覚を覚えた。が、それを少しも変だとは思わなかった。

恐らく、その時の俺はキャサリンの力で暗示に掛けられていたのだろう。彼女の囁きに支配されて、彼女の腰に手を回してグッと互いの身体を密着させる。
そして再度、目と目が合い、彼女の顔が間近になった瞬間――――既に亡くなった人間のキャサリンと、今目の前に居るリッチのキャサリンの姿が脳内で重なり合った。

「っ!」

その瞬間、俺は我に返ってキャサリンを押し退けた。押し退けられたキャサリンは拒絶された事に怒りを露わにせず、只自分の掛けた暗示を解かれた事に目を丸くして驚きの表情を浮かべて俺の方を見ていた。

「驚いたわね、まさか私の暗示を振り解くなんてね。大抵の人間はこれで呆気なく落ちるのに……」
「悪いな、こう見えても精神面は鍛え抜かれているんでね。それに、あんたが相手だと襲うのも、襲われるのも御免でね」
「あら、私の身体はそんなに魅力が無いのかしら?」

そう言いつつ一枚のローブの下に隠された裸体を見せびらかして俺に尋ねて来るが、俺は首を左右に振った。

「いや、十分に魅力的さ。でも、俺はあんたとはセックス出来ない」
「どうして?」
「……もし此処で諦めてあんたとセックスしたら、折角の過去との決別が駄目になっちまう。そんな気がするからだ」
「人間って下らない事に執着するわよね。昔は人間だったあたしが言うのも変だけどさ」
「まぁ、永遠の命を持った魔物様からすれば人間の拘りなんて全部下らないものだよ」

このキャサリンは人間のキャサリンと似ている。似過ぎている。顔立ちや身長、雰囲気こそは異なるものの、それ以外は全てそっくりだと言っても過言ではない。
だからこそ、俺は彼女を拒絶したのだ。もしコレでリッチのキャサリンとセックスしたら、結局俺は過去と決別出来ていないって事になり、死んだ人間のキャサリンを裏切った事となる。こんな所で女々しい俺には戻りたくないんでね。

「じゃあ、最後に質問させて。私は死んだキャサリンにそっくりなんでしょう?」
「ああ、そうだ」
「だったら、今あたしをその人だと思って抱きたいとは思わないの?」
「………」

感情の籠っていない冷たい口調で発せられた質問に、俺はどう答えるべきか暫し迷った。やがて俺は彼女の目と向き合い、こう返答した。

「確かに……あんたを人間のキャサリンだと思って抱くのは簡単だ。姿形はそっくりなんだからな。だが、それは死んだキャサリンに対する冒涜であり、あんたに対しても失礼だ」
「別に失礼だとは思わない、私は」
「俺が思うんだよ! キャサリンはキャサリン、あんたはあんただ! 他人の面影を自分に重ねられて見られるなんて嫌だろ! それに―――!」
「それに?」

感情任せに出していた言葉が突然詰まる。ここから先は言ったら彼女を怒らせてしまうかもしれない。だから踏み止まって言葉を選び直そうとした。
しかし、既に台詞の出だしを発してしまったのは失敗だった。キャサリンは俺が何を言おうとしているのか勘繰るような視線をこちらに向けており、それは暗に言葉の続きを言えと催促しているに等しかった。

言葉を選び直している暇なんて無い。一呼吸置いた後、俺は率直に先程の台詞の続きを口に出した。

「それに……俺の知るキャサリンはそんな冷たい微笑みは浮かべない」
「……………」

ああ、言っちまった。言っちまったよ! どうして冷たいなんて言っちまったんだ! 相手だって好きでリッチやアンデッドになった訳じゃないのに……ったく、短絡的な言葉しか思い浮かばない脳味噌が嫌になる。
だが、俺がそれなりに酷い事を言った筈なのにキャサリンは微動だにしない。それが恐くて、後味が悪く、それでいて心と空気が重い。

遂に俺は居た堪れなくなり、部屋の扉を開けてキャサリンの言っていた隣の部屋へ向かおうとする。そこでチラリとキャサリンの方を見るが、彼女は相変わらず冷たい目線をこちらに飛ばすだけだ。

どう足掻いても罪悪感しか感じず、俺は部屋を出る間際に言葉を残した。

「スマン、今の言葉は忘れてくれ。それと……有難うな、泊めてくれてよ。明日の早朝に城を出ていくから、飯とかは気にしないでくれ。多分、もう二度と来ないだろうからよ……じゃあな」

簡単な謝罪と照れ隠しの感謝、そして別れの言葉を告げて俺は今度こそ部屋を出て行った。
その時、キャサリンが浮かべていた妖しげな微笑を顧みずに――――。




……興味深いわね、あのガルフって男。私の魔力に屈しない精神力、そしてあの体付き。恐らく戦場で活躍していた傭兵か兵士ね、それもかなりの手練れ。
大抵の人間は私や他の魔物娘を見れば、化け物だの魔物だのと言って腰を抜かし、武器を手に取って攻撃してくる見境の無い奴ばっかりだったけど、あんな風に私と面と向かって堂々と会話してくれる人間は初めてね。ゾンビやグール相手だと思考が単純だから、大した会話も出来ないからね。中々面白い体験だったわ。

それにリッチである私を対等の存在と見做し、私の事を真摯に考えてくれていたのも……実を言えば嬉しかった。特に『他人の面影を自分に重ねられて見られるなんて嫌だろ』って台詞は心の中で頷いてしまったわ。
確かに彼の言う通りだ。幾らセックスしたいと思っても、自分ではなく他人の事を想いながら抱かれるなんて正直嫌だ。だから、あれには少し感動した。死んだ私が感動なんて言葉を使うのは変かもしれないけど。

でも、だからと言って私を拒絶するのは頂けないわね。元は人間だった私だって、今では魔物娘の一人なのよ。欲しい獲物は自分で手に入れるし、時には襲う事だってするのよ。例え貴方が私を死んだ人間のキャサリンと重ねているとしても……ね。

だから誓うわ。私は貴方を手に入れる。貴方が望もうが望まなかろうが、どんな手段を使ってでも手に入れるわ。

彼は明日の早朝に出て行くと言っていた。と言う事は、明日の早朝までに手を打たないといけないわね。とりあえずゾンビとグールとスケルトン、ゴーストも総動員で動かしましょう。あと念の為にガーゴイルにも動員を掛けといた方が良いわね。

後は…………ブツブツブツブツブツブツブツ。

うん、大丈夫。これだけの手段を用いれば、きっと彼を手に入れる事が出来るわ。

待っててね、私専用の実験体さん。うふふふふ……。

でも、何でだろう。あの人……何処かで見覚えがある気がするんだけど……ま、いっか。
13/07/24 17:06更新 / ババ
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■作者メッセージ
エッチから離れて真面目なのを書いてみたいと思いやりました。
成るべくシリアスを目指しますが……どこまでやれるかは不透明です(ぉ)

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