読切小説
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デッドスタート
今日、日本では全国的にチョコが降り、チョコに埋もれた街では女性がこぞってコンビニエンスストアやスーパー、それからデパートの棚に降り積もったチョコをかき集めてはそれを男性に渡すという奇行が目撃された。
無論これは比喩だ、決して今季の某アニメの第一話ではない。
しかしながら、これによって日本のお菓子メーカーは年間の売り上げを左右するとあって、毎年のことではあるが、街はチョコ一色に染められた。


そして、
俺こと野村克治(のむらかつじ)23歳(独身)は、
今日、初めて人を殺した。

事の発端は、今俺の目の前に横たわるこの女だ。
向村さゆり(さきむらさゆり)年齢不詳、恐らく高校生。

一見何の罪もないいたいけな少女のようだが、しかし、その実態は、

.                 ストーカー

.                               である。

俺がこの無残にも頭にプラスドライバーを突き刺された少女と出会ったのは半年前のことだった。
当初は何の罪もない女子高生だったのだろう。
もちろん頭にプラスドライバーが刺さっているなんてこともなかったわけだが。
しかし、それでもここ数カ月の少女の行動は明らかに常軌を、情気を逸していた。
何度メールアドレスを変えても届く少女からのメール。
かわいい絵文字に彩られたその長い長い文章に隠された少女の狂気を読み取ることは、汚職疑惑のある政治家の心の内を暴くよりも幾分も簡単な事だった。
時折アパートのドアノブにぶら下げられる可愛い包の入ったビニール袋も、更にはアパート内部に残る嗅ぎなれないシャンプーの匂いも、俺の歯ブラシの隣に寄り添うように並べられた歯ブラシも。
すべてが全て、少女の異常性を示す証拠にほかならない。
アパートの鍵を新たに交換したこともあった。
しかし3日後には見つかる彼女の痕跡は、俺に「無駄」だと笑いかけるようであった。
だが、今のところ、俺の身に危険が及ぶことはなかった。
それが、それだけが、俺が警察を頼るという最後の切り札を留めている理由であった。

今にして思えば俺がその切り札を切らなかったことは大きな間違いだったのかもしれない。
もしそうしていればこの物語はこんな結末には、いや、始まりにはならなかったのだろう。









デッドスタート









「ありがとうございました〜」

俺はいつもどおり、最後の客、近所に住む田村長 清臣(たむらちょう きよおみ)68歳こと、店長目当てで夕方過ぎから長話に花を咲かせる迷惑なエロジジイを閉店時間に追い出し、玄関脇の看板を店内にしまった。

「お疲れ様。野村くん。はい、これ、晩御飯」
「ありがとうございます。店長」

このシナモントースト片手の黒髪の美人は俺のバイトする喫茶店の店長、沢崎鳥羽莉(さわさきとばり)さん、年齢不詳(未亡人)。
紹介の通り年齢不詳の美しさで男女問わず、老若男女分け隔てなく、誰からも人気のあるマスターだ。
近所の女子高生からは恋の相談を持ちかけられ、エロジジイからは毎日口説かれ、営業周りのサラリーマンからは愚痴を聞かされる苦労人。
しかしまぁ、本人はそんな話を聞くのが何よりも好きでこの仕事を続けているのだと答える。
初めは今は亡き旦那さんと始めた小さなこの店。
敷地の裏が墓場という悪条件の中、東京銀座の名店、ヨハンで修行を積んだ旦那さんの淹れるおいしいコーヒーに、元パティシエの鳥羽莉さんの作るケーキは瞬く間に人気を呼んだ。
旦那さんの亡くなった今も旦那さんに習ったドリップと、女性ならではの発想から生まれたスイーツに合うカフェメニュー。何より、鳥羽莉さんの聴き上手な人柄がこの店の人気を支える。
そんなこの店で唯一のバイトである俺は学部時代からの鳥羽莉さんのファンなわけで。
無論、先ほどの何気ないやり取りの中で、実はチョコレートなどというハイカラな物を渡されるのではとにわかに期待しなかったわけではないのだが、そんな甘くも苦いビターチョコレートのような幻想を軽くも砕き融かしてできたホットチョコレートのような鳥羽莉さんには何の罪もない。
結局のところ俺はいつも一方通行で、店の近くに所々存在する路地を歩く通行人のごとくこの人のカームの様な緩慢な空気に流され漂う一学生でしかない。
老化学などという胡散臭い分野を、これまた胡散臭い登山マニアの教授の下で研究、という程身を入れるでもなく。一日の三分の一を研究に、もう三分の一をバイトに、残りを睡眠に明け暮れる毎日だ。

「はい、抜き打ち利き珈琲」
「ぐ…。ありがとうございます。   ん…。この甘み…ほのかな酸味…ドミニカ モンテアルトで」
「ふぁいなるあんさ〜?」
「ふぁ、ファイナルアンサー…」
「ん〜おしい。ハイチ マールブランシュでした。コクと飲んだ後に残る爽やかな酸味が特徴よ」
「ははは。俺もまだまだですね」

浅煎りだってぐらいしかわかんねぇよ。つか、産地の区別なんてつかねぇよ…。

本音を笑いで覆い隠した俺は笑顔で感想をごまかすのだ。


「お疲れ様〜。また明日、来れる時でいいからね」
「はい。なるべく早めに来ますよ」
「ふふふ。期待しないで待ってる」








店の裏手。
木製の柵の向こうには墓地、
そして、

「お疲れ様です。克治さん。これ、克治さんの好きなジンジャエールです」

満面の笑みと制服。

「……」
「あれれぇ〜?どうしたんですか?ジンジャエールお嫌いでしたぁ?」

ジンジャエールは俺の好物だ。
正直に言ってしまえばコーヒーよりもずっと好きだ。
しかし、

「俺はお前が嫌いだ」

そう。
俺はこいつの事が嫌いだった。
というより、

「え〜?そんな事ありませんよぉ〜?私は誰よりもあなたの事を知っています。誰よりもあなたの事を大事に思っています。誰よりもあなたの事を愛しています」

ただ、ただ、恐ろしかった。

「それはお前が決める事じゃないだろ」
「ん〜。そうかもしれませんねぇ〜。でもねでもね。克治さんはシャイだから言えないだけなんですよぉ〜? …ほら、今だって私が怖いって顔してるのに私を傷つけまいと言葉を堪えてるです。そんな優しいところも、臆病なところも全部全部大好きですよぉ〜」

気持悪い。
それがその言葉への感想だった。
何故こいつは自分への悪意をこうも平然と受け入れるんだ?
普通自分を恐れている人間に向けられる言葉じゃないはずだ。

「いいですか?私は一般的にはストーカーと言われる人種かもしれませんが、それでも克治さんを愛してるんですよ。愛ゆえの過ちです。でも謝ったりしませんよ〜。誤りませんよ。ほらほら、よく考えても見てくださいよ。私、こう見えてもクラスじゃ決行モテるんですよ?胸は控えめかもしれませんが、顔だってホラ、幼い顔立ちにくっきり二重の大きなおめめ。腰回りだって安産型ですよ?克治さんの元気な息子さんをがっちりホールドです。そんな私は世界でただ一人、克治さんのものなんですよ?誰よりも克治さんを愛しますし、誰よりもあなたを知ろうとします。髪形だってホラ、克治さんの好きな黒髪のロングをポニテにしてます。あの人と髪型がかぶるのは心苦しくもあるのですが、それでも活字さんが愛してくれるためならなんだってやります。乙女心も恋のためなら踏み潰します。結婚してからも理解ある妻になります。愛人も4人までなら我慢しますよ?え?4は縁起が悪い?じゃあ大敗けに敗けて5人にしちゃいます。英雄色を好むと言いますしね。ホラ、克治さんの大好きなマスターさんでも構いませんよ?私はストーカーではありますが、ヤンデレではありませんからね〜。チープでビッチなセフレと思ってもらっても構いませんよ?そんな事で私のディープでリッチな愛は砕けたりしません。あれ?どうしました?顔が青いですよ?これは大変。胃薬ですか?吐き気止めですか?何でもありますよ。克治さんのためにどんな薬も持ってますよ?なんなら気持ち良くなるお薬だって3種類ほどありますよ?ああ、そうでしたね。私が気持ち悪かったんですよね。いいですよ。気にしないでください。ホラ、私の事は背景かなんかだと思ってもらって構いませんから。安心安全がモットーのストーカーである私としては何よりも克治さんの健康が第一です。そのためなら背景になる虚しさも噛み締めます。あ、でも。その虚しさをおかずにオナニーする位は許してくださいね。ああ、大丈夫です。ちゃんと克治さんの生活リズムは調査済みですから、克治さんの利用しない時間に克治さんちのバスルームを拝借する位です。ハァ…ハァ…ちょっとしゃべりすぎて疲れましたね。す〜は〜す〜は〜。あ、これですか?克治さんが眠っている間に採取させてもらった克治さんの生吐息です。あ、寝息かな?ふふ。克治さんの寝息、少しコーヒーの匂いがします。あ、そうだ。前から言おうと思ってたんですけど、克治さん、よくコーヒー飲まれるんですから、ハミガキもステイン対策用のものに変えた方がいいですよ。あ、ちょうどここに昨日買ってきた物があります。あ、開封済みなのは気にしないでくださいね。別にただ私の体液が混ぜてあるだけですから。あ、どこの体液かだなんて、レディーにそんなこと聞かないでくださいよ。安心してください。私いつもきれいにしてますから。体中のどこだって克治さんに舐めてもらっていいようにいつも清潔に保ってます。ふふ。実は学校で克治さん以外の男の吐息が触れるのが嫌ってだけだったりするだけなんですけど。あ、別に男が嫌いってわけじゃないんですよ、克治さんじゃなきゃ嫌ってだけで… … ――」





キモチワルイ
気持ち悪い気持ち悪い

克治さん克治さん克治さん

コイツが呼ぶたびに俺は自分の名前を嫌いになっていくようだ。

もうたくさんだった。
毎日毎日こいつから聞かされる言葉言葉言葉。
脳ミソのほとんどを俺への言葉で埋め尽くしたような気持ちの悪い聴き心地の悪い言葉。
そして…、
気が付けば、俺は柵の傍に置かれていたプラスドライバーを彼女の頭に振り下ろしていた。

―ゴツ

一瞬、固い感触がして、それでも鉄製のドライバーは少女の頭蓋骨を貫通するには十分な強度を持っていたらしく、軽々とその脳に突き刺さった。

「あれ?いたたたた!ちょっと何するんですか!?わぁ、酷い。頭に何か刺さってますよ!?あれ?なんだか…うっ…ゲェェェェェェ」

少女はめまいがするのかふらふらと後退した後、その場に胃の内容物を吐き出した。

「あ、あははは。ごめんなさい。汚いもの見せちゃいました。あ、このカプセルは豊胸用のサプリメントです。克治さんがおっぱい大きな人が好きだって…しってますかりゃ」

自らの身に起こったことが理解できてないのか、少女は自分の吐き出した汚物を俺の目に触れないようにと震える手でかき集める。

「ありぇ?おひゃひいにゃ……くりゃくりゃしゅりゅ………。あ、そっきゃ……あらひ、死にゅにょきゃ…」

死ぬのを理解して、理解した。
ああ、そうか…

「あひゃひゃ……かちゅじしゃんに、殺ょしゃれりゅにょ…しああしぇ…。愛ひへましゅ…かちゅ……」

俺は、少女に凶器を振り下ろした。
俺は、動かなくなったストーカー少女を見おろしていた。
俺は、自分の事を好きだという少女を突き放し突き刺した。
俺は、この娘を殺した。

「…  ……  …は…」

少しして、自分が息をしていなかったことに気付いた。










ここまでがこのお話の冒頭だ。

そして、俺は柵の向こうに放り込んだ少女を人気のない夜の墓場に転がして、それを見下ろしていた。
殺されたのに、頭にドライバーが突き刺さっているのに、それでも尚、酷く安らかな顔の少女を、いや、少女の死骸を。
冷静になって初めて気が付く。
俺はとんでもないことをした。
刑法的にも、人間としても。
きっとこの娘は殺されるようなことはしていない。
きっとこの娘は俺に殺されるとは思ってもいなかったに違いない。
きっとこの娘の愛は本物だった。
いくら好きだとしても、自分を殺そうとしている相手に、自分を殺した相手に、最後まで、最期まで、愛してるだなんて言えない。
言ったとしたらそれは狂人か変人か。
そしてこの子は狂人で変人だったのだ。
気は違えていても、この子はこれ以上なく純粋に、無垢に、健気に、病的に、俺を愛していた。
何が彼女をこうさせたのか、誰が彼女をこうしたのか。
いや、少なくとも彼女を殺したのは俺だ。
この手で、この腕で、彼女に振り下ろしたのだ。
そうか、
そうだとしたら、俺は償わなければいけないんだろう。
この子の命を奪った代償を。
この子の心を踏みにじった代償を。
でも、
それにはもう少し、
時間が欲しかった。

俺は墓場の隅に捨てられるように落ちていた卒塔婆を拾い、スコップにして湿気の多い地面を掘ろうとした、
その時だった

「あらら。やっちゃったね〜。野村くん」
「店長っ!?」

俺はこれ以上なく驚き、これは比喩でもなんでもなく、本当の意味で飛び上がった。

「いや〜。やっちゃったわね、いや、とうとうヤっちゃったわね。そんなにこの子の事、嫌いだったの?」
「……いや、正直、わかりません。ただ、怖くて、気持ち悪くて…」
「そっか…。で、どうするの?この子」

俺は、この時、店長の態度に酷い違和感を覚えた。
いや、覚えるべきだった。
いくらなんでも、いくら明るい人だとしても、おかしい。
そう、気づくべきだった。

「……自首します。こんな子だったけど、こんな子だったからこそ、罪を、償わなくちゃいけませんから…」

俺が罪の気持ちに押しつぶされそうな心から逃れるために吐いた一言はそれだった。

「そっか〜。でも、いいの?何十年も牢屋暮らしよ?親御さんも悲しむわよ?」
「……そうですけど…。でも、だからこそ…」

この頃になって、やっと俺は鳥羽莉さんの言葉の違和感に気付き始めていた。
でも、遅かった。
この次に吐いた彼女の一言は、その当時の俺の心には、砂漠に落ちる一滴の水よりも魅力的な言葉だった。

「じゃあさ、この子が生き返ったらさ、どうする?」
「え?」
「この子が生き返ったら、問題はないはずよね?」
「え…まぁ、確かに…でも、そんなこと…」
「生き返った後、野村くんはこの子にどうするの?」
「え?」
「ほら、さっき、罪を償うって言ってたじゃない」

え。
え?
どういう事だろう。
何故生き返る前提で話が進むのだろう?
鳥羽莉さんは俺を馬鹿にしているのだろうか?
いや、しかしこの状況で、
そんな事、
どうだってよかった。

「罪を…償えるなら…彼女の気持ちを受け入れてみます。もし、そんな事が…
「じゃっ決まりねっ」
「え?」

(ぺたっ)

え?
え、え?

えっと、あれ?
どういうことだろう。
明るく言い放った鳥羽莉さんは店の制服のブラウスの胸元に手を入れると汗でしっとりとしてしまった和紙でできた御札を彼女の、ストーカー少女の死体の顔面に貼り付けた。

「そ〜れ、生き返れ〜」

鳥羽莉さんは漫画や映画で見るような呪文なんてものは唱えず、ただ両手を広げて高らかに言った。

「え?あれ?呪文は!?そんな軽い感じでいいんですか!?っていうか何!?いきなりそんなファンタジーでいいんですか!?」
「え?そう?じゃあ、『君の祈りはエントロピーを凌駕した』とか?」
「いや、まぁ、意味的にはあってるかもしれないけど!?でもそう言う意味じゃないですよね!?いや、やっぱ意味的にも若干違いますよ!?」

もはやこれまでの六千字余りの文章などぶち壊すかのような、そんなコミカルな光景だった。

「ん…あぁ〜…しあわせぇ〜〜。克治さんに殺してもらえたぁ〜」

しかし、聖なる光が降り注ぐこともなく、怪しい魔法陣が浮かび上がる事もなく、まるではじめからすべてがお芝居だったかのように、少女は生き返った。
というか、それが第一声かよ…。

「あれ?ここはどこです?天国にしても地獄にしても微妙に肌寒くて嫌なところですね」

生き返った少女は思いのほかリアルな感想を述べた。

「ふぅ。疲れた疲れた」

『一仕事終えたわ』
みたいな顔をした鳥羽莉さんは満足げに店と墓場の境界をまたごうとしていた。

「え!?あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
「え?どうしたの?」
「な、なんですかこれ!?手の込んだお芝居ですか!?え、なんでこれ!?え?何!?何が起こったの!?」
「え?そんなの、生き返らせたに決まってるじゃない」
「い、いや、そうじゃなくて…、ふ、普通そんなことできませんよね!?」

自分でも変なことを言っている気がした。

「え?ああ。いや、ほら、私、旦那を早くに亡くしたじゃない?だから死んだ人間を生き返らせる方法をちょっと研究してたのよ」

あっけらかんと、しかし驚愕の、鳥羽莉さんの言葉。

「そ…」

そんなこと…。
あまりにも、あまりにもな言葉。
俺はそれに対しどんな言葉を返すべきか分からず、のどに詰まらせた。
と、

「あぁ〜〜〜!克治さんだっ!克治さん!地獄まで私を追いかけてくれたんですか!!?きゃ〜!嬉しいです!愛してます!あれ?ここ、もしかして天国!?あははっ!勝治さんがいるならどこだって天国ですよね!ハッ!?もしかしてこれは神様が見せる幻!?だとしたら神様…最高です!そっか、そうですね。これは私だけの克治さんということですね。キャッホー!好きです克治さん。愛してます克治さん!」
「うげっ!?」

頭にドライバーを突き刺した死体少女に抱きつかれるのは、俺の人生で初の体験だった。








とりあえず俺たちは鳥羽莉さんに真相を聞くため、再び閉店後の店内に戻った。

「…で、どういう事なんですか?これ…」
「あふふ〜。克治さんがゼロ距離に〜。じゅるり…」

俺は腰にまとわりつく少女を引き剥がそうと試みたが、死後硬直が始まっているらしく、その抱擁を引き剥がすことは諦めざるを得なかった。

「だから言ったでしょ。私は死者を生き返らせる方法を研究したのよ。で、これがその成果」

鳥羽莉さんはドライバーの突き刺さった少女を指差した。
少女は笑顔のまま死後硬直で顔まで固まったらしく、もがもがと何かを言いながらよだれを垂らして俺に抱きついている。
その顔が幸せそうなのは笑顔で固まっているからだけではないだろう。

「そんな…非科学的な…」
「古代ではどこの国でも行われた研究よ?これだって立派な科学よ。現にほら、成果も出てるし」

本当だとしたら世界がひっくり返るほどの大発見である。
っていうか老化学なんてやってるうちの登山マニアのおっさんはそれこそそんなことをやっている場合ではない。

「で、この子が元旦那、現“奥たん”のかえでさん」

そうして紹介されたのは真っ白なフリル付きワンピースを着た、真っ白な肌の色をした少女、というか幼女だった。

「はじめまして。きみがノムラくんだね。いつもトバリがおせわになってます」
「あ、これはこれは…」

舌足らずな可愛い声でいながら、落ち着いた物腰の挨拶だった。

「私がネクロマンシー…、あ、蘇生術ね。これを完成した時にはかえでさんはもうお骨になっちゃってたから、魂だけ呼び戻して、運良く手に入った女の子の死体、というか骨に定着させたの。そしたらこんな可愛い姿になっちゃって…。かえでさん。幼女なかえでさんも大好きよ」
「ぼくもだよ、トバリ」

衝撃だった。
鳥羽莉さんがこんなに電波、
いや、もはやここまで来たらマッドだ。
そんな人だったなんて。
いや、それ以上に

「かえでさ〜ん。あ〜。かえでさん、かえでさん。ねぇ、すりすりしていい?」
「ちょっとトバリ、ノムラくんがみてるよ…」
「そんなの構わないわ。だってかえでさんが可愛いのが悪いのよ!ぷにぷになんだもの。すべすべなんだもの〜!」
「あ、あうぅ〜」

こんなに前の旦那さんにベタ惚れだったなんて…。
ナニコレ!?マジナニコレ!?あれ?おかしいな、なんだか視界がかすむよ?
っつか、運良く手に入った女の子の死体って何!?
死体って運良く手に入るものなの!?
ってか何あれ!?わっ、羨ましい!
鳥羽莉さんに頬ずりされてぷにぷにのほっぺがプニっプニだよ。チクショ!
ちくしょう!なんであんなに可愛いんだよ!旦那なんでこんなに可愛いんだよ!
羨ましい!
あれ?どっちが羨ましいの?あれ?

俺は様々なショックに打ちのめされて両手を付いてうなだれた。

「げんきだひてぃくらはい。かちゅじしゃんには、あらひあちゅいていみゃふよ?」
(元気出してください。克治さんには私が憑いていますよ?)

思いがけず、ストーカー少女のつい数時間前までは気持ち悪かった言葉が今の俺の心には優しかった。
が、

「良かったわね、さゆりちゃん。野村くん、さゆりちゃんと付き合うって決めたそうよ」

衝撃の一言だった。
どれぐらいの衝撃かというと、何の不安もなく眠っていた最中の頭の上に植木鉢が地上10メートルの高さから降ってきたかのような。
そう、そんな衝撃。

「え!?ちょ、鳥羽莉さん!?」
「わぁぁぁ!ホントでしゅかぁ!?わほぉぉぉ!やはぁぁぁぁ!あはぁぁぁぁぁ!」

至近距離、いや、ゼロ距離で狂喜乱舞する少女。
俺はそれを呆然と見つめる、いや、受け止めるしかなく、

「あら〜?野村くん、さっき確かに言ってたわよね?“もし生き返ったら彼女の気持ちを受け入れる”って」
「え、あ、いや、でもそれは…」

確かに言った。言った気がする。
しかしそれは…

「あら〜?もしかして本当に生き返るだなんて思ってなかった?生き返らないから守らなくてもいい約束だと思った?野村くんってそんなにひどい人だったかしら?」
「ぐぅ……」

もはやグウの音も出ない。
いや、むしろグウと音を上げるしかない。
まさにその通りだった。
こうして生き返って、こうして鳥羽莉さんに言われて、俺は初めて自分という人間の醜さに気がついた。
こんな少女を殺しておいて、その上その死体の前でした約束でさえ自分で責任をもっていなかったのだ。
い、いや、しかし、言い訳もさせて欲しい。
まさか生き返るだなんて誰が思うだろうか。
まさか頭にドライバーが刺さりそれが軽々と脳にまで到達しているであろう少女がこんなにも元気に、そして生前の異常性もそのままに蘇るだなんて誰が予想できるだろうか。
そんな予想を前提に約束する人間なんていないはずだ。
いや、まぁ、確かにだからといって墓前で立てた約束を破るなんて人間として最低なのは分かっているが。
あれ?
でも、これって死んでるのか?
ほんとに死んだのか?あれ…
いや、しかし現にこうして死後硬直らしき現象は俺の腰に巻き付いた少女の身に起きているわけだし…。
いや、でも死後硬直ってもっと時間が経ってから起こるもんな気も…。

何故だろう、俺はとっても納得がいかなかった。







「じゃ、二人とも、気をつけて帰るのよ」
「ひゃ〜い。ありぎゃとでしゅ〜」

少女は俺の腰で死後硬直したまま元気に挨拶していた。
反面、俺は心に深い傷を負っていた。
というか呆然としていた。
しかし成り行き上、腰に抱き着いたまま(物理的に)離れない少女は俺と行動を共にするしかなく、一旦俺のアパートに連れて帰ることにした。




「トバリ?ちょっとノムラくんにいじわるしすぎじゃないかな?」
「んふ。だって野村くんってば、いじめるととっても可愛いんだもの」
「……ノムラくん、オトコとしてどうじょうするよ…」
「え?何言ってるの?今のかえでさんは男じゃなくで童女よ?」
「あうぅ〜…」




『お友達の家にお泊りします。2、3日で戻ります』

俺は彼女に言われるまま、彼女のケータイで親に代返(?)した。

「ほんとにこんなの大丈夫なのか?どう考えても2,3日っておかしくない?」
「らいひょうぶれすよ〜。あらひの親、あらひにきょ〜みにゃんてありましぇんきゃら〜」
(大丈夫ですよ〜。私の親、私に興味なんてありませんから)
「え?」
「おきゃ〜しゃんも、おと〜しゃんも、あいじんしゃんとイチャちゅきゅのにいしょがしいれしゅ。おたぎゃいにしっちぇりゅにょににゃんにもおもっちぇにゃいにょれしゅ。むひりょ、おたがいほ〜いにょうえにゃにょれす〜」
(お母さんも、お父さんも、愛人さんとイチャつくのに忙しいです。お互いに知ってるのになんとも思ってないのです。むしろ、お互い合意の上なのです)

「そんな…」

少女の垣間見せた、複雑な家庭事情。
きっと、それはこの子をこんなに歪に、歪ませるのには十分すぎるほどのことだったに違いない。

――オート通訳モードに設定しました

『お父さんもお母さんもお家の理由で結婚しただけなのですよ〜。昔でいう政略結婚と言うやつです。だから、外面だけは仲良し夫婦を演じていますが、実際は毎週、毎晩愛人さんとイチャイチャしてるです。いわば私もお芝居の小道具みたいなものなのです。あ、でも、好きなお洋服は買ってもらえるし、お小遣いも毎月口座にドドンです。なので別段不自由する事もないです。おかげで盗聴器も無線機も小型カメラも、ピッキングツールも何でも手に入ったです』

……最後のは聞きたくなかった。
いや、全部、聞きたくない話だ。
そんな話を聞いたからと言って、彼女の俺に対して行われてきた行為は決して許されるわけもないし。
しかしだからと言って同情しないわけにはいかない。

「お前は、なんでそんなに明るくしていられるんだ?そんなの、辛くないわけがないっていうのに…」

俺は、居た堪れない気持ちになって尋ねた。
すると、

『そんなの、克治さんが居るからに決まってるじゃないですか』

そう言って笑ったのだ。
いや、もともと硬直した表情では笑っていたのかどうかすらわからないけど。

『私は克治さんの事が好きです。恋を愛して、克治さんに恋する乙女なのです。こんなに好きになれる人がいて、明るくなれないわけがないのです』

そんなはずはないのだけれど、それでも、気のせいか固まったはずの少女の腕が俺をより一層強く抱きしめたようだった。

「……なぁ」
『ふぇ?』
「どうして俺の事、そんなに想ってくれるんだ?俺はお前を…殺してしまうほど嫌っていたのに」
『うふふ。とうとう聞いてくれましたね』

ニヤリ
硬直した笑顔が、一瞬不気味にゆがんだように見えた。
でも、それはほんの一瞬で、もしかしたら錯覚かもしれない。

『それはですね〜…』

少しもったいぶったような、
それでいて、彼女自身も何かを考えているかのような間を開けて、

『私にもどうしてだか分からないですねぇ』
「え?」

意外な返答。
頭で考えるよりも早く、言葉で感情がこぼれるほどに。

『克治さん、覚えてます?私、ずっとお店に通ってた時期があるのですよ?』
「ああ、そりゃな…」

今となっては苦い。
焦がしてしまったカラメルのような思い出。
通い始めて1ヵ月で俺はこいつに告白されて、その次の日には失恋の相談を持ちかけられて、2か月目でストーカーされ、3か月目で出禁を言い渡した。
そんな瞬く間の記憶。

『初めは正直、顔だけが好みでした。どこにでもいる優しそうなお兄さん。でも、1週間もしたら、その声から仕草から、何もかもを好きになりました。3週間目にはベッドの上の食卓に並ぶようになりました。克治さんフルコースです』
「う…」

早くも俺は身体に回された硬直した細い腕を振り払う姿勢をとった。

『で、告白したあの日の夜、私には分かったんです。克治さんは私の運命の人だったんです。だって、フラれて、あんなに、あんなに悲しかったんですもん』

寂しげな言葉に、俺は少女の腕にかけた手を、思わず放してしまう。

『初めてだったんです。えへ。言ったでしょ?私、モテるんですよ?今まで食べた男子(だんご)は数知れずです。でも、フってもフラれても、悲しかったことも、嬉しかったことも、一度だってなかったんです。なのに、克治さんにフラれた時は…悲しくて、悲しくて、そして、それが、何よりも嬉しかった。えへへ。信じられます?たった1ヵ月の恋ですよ?それが、あんなに悲しくて、嬉しくて、そんなの、どう考えたっておかしいです。変なんです。だから、きっと…恋だったんです。初恋です。私、初めて本当に人を好きになってたんです。だから、離れたくなくて、もっと傍に居たくて、気づいたら私、ストーカーしてたです』
「……もっと早く気付けよ。こんな事に…なる前に」

何を思うでもなく、ただ、そっと、俺は少女の頭を撫でた。
死んで、俺に殺されて、なのに少女の身体は、まだ温かかった。

『えへへ。私はなんでも克治さんの初めてになりたいです。これで、初めて殺された女になれたです。それに、調べたところによると、克治さんが女性を部屋に上げたのも初めてです。初めての女には…高校生の頃だという事なのでタイムマシンでも使わなきゃ無理そうですが…』
「う…」

少女の腕が剥がせるものなら俺はすかさず距離をとった事だろう。
しかし、そんな俺の様子すらこのストーカー少女にとっては嬉しい事の一つであるらしく、満足げな笑みを浮かべていた。
ほんと、これさえなければ…。

これさえなければ、どうなのだろう。
不思議と、奇妙なことに、彼女に抱く嫌悪感は、驚くほど真っ白になくなっていた。
それは同情によるプラス補正なのか、
はたまた、少女をこんな姿にしてしまった負い目によるものなのか、
もしくは鳥羽莉さんに対する気持ちが砕けた直後だからなのか。
ただひとつ言えることは、

「お前、馬鹿だろ」
『え〜?そんなことありませんよ?私、こう見えても学校での成績はとても優秀なのですよ?容姿端麗、文武両道、なんでもできるお利口さんです』

ふむ、
そう言われれば、彼女の異常な行動の数々は何の変哲も無い普通の女子高生ができる範疇を遥かに超えている気もしないでもない。
しかし、

「いや、そう言う意味じゃなくてよ…」
『ふぇ〜?』

なんというか、そう、不器用なのだ。

「お前さ、なんでストーカーみたいなことしたんだよ…」
『みたいじゃなく、ストーカーですね。ぐふふ。克治さん。私は思うのですよ。ストーカーって、愛の究極系だと思いませんか?』
「思わねぇよ」
『でもでも、克治さんがマスターさんのお店でバイトを始めたのも、ある意味では私と近いのでは?』
「ち、近くねぇよ!」
『そ〜ですかぁ?恋した人に全身全霊、その身を掛けて、人生をかけて、法まで犯して、それでもその人を愛し抜く。これ、ロマンチックじゃないですか?』
「お前のロマンチックさはどうかしてる」
『そうです。どうかしてるですよ。恋っていうのはきっとそう言うものなのですよ。好きな人の為ならルールだって破ります。だって恋は戦争なのですよ?ルール無用の残虐ファイトです』

あれ?恋ってそんな血なまぐさいものだったっけ?

「いや、その発想はおかしい。相手の気持ちを思いやってこそだろ?恋愛って」
『いやいや。それはせいぜい“愛”ですよ。私がしてるのは“恋”です。恋っていうのは魔物なんです。想いが深くなればなるほど抜け出せなくなるです。分かりやすく言うと、愛はナイトです。どっちかっていうと護る心です。恋はハンターです。狩るか狩られるかのせめぎあいです』

いや、その例えは分からんけど…。

「少なくとも法は守れよ…」
『正攻法でいって、私も克治さんも一度は恋に破れたわけですが?』

ぐ…
痛いところを突いてくる…。

「い、いや、俺はまだ破れてなんか…」
『いやいや〜。克治さんに殺された私が言うのもなんですが、わざわざ生き返らせてまで取り戻した旦那さんからただの学生の克治さんがあの女性を奪えるとは思えないですよ〜?』
「ぐ…」

ストーカーに正論を突き付けられてしまった。
くそっ、頭にドライバー突き刺さってるくせに…。
いや、突き刺したのは俺だけどさ…。

「このっ」

俺はもやもやした気持ちをぶつけるべく少女の頭に突き刺さったドライバーにデコピンをおみまいした。
と…

「んひゃぁぁあん!」
「ぅおっ!?」

突然少女が艶めかしい声をあげた。

「い、いきなりなんつぅ声をあげるんだ…」
「だっていきなり克治さんが」
「ん?お前、滑舌が戻ってるぞ?」
「あれ?そう言われればです…」

先ほどまでの酔っぱらったかのような呂律の回らなさが嘘のように回復していた。

「あ、体も動くです!」

少女はそう言いながら腕だけではなく脚まで使って俺に絡みついてきた。

「ぬあっ!?動けるなら離れろ!」
「あ、やっぱ固まった気がするです。もう動けないです。一生このままです(棒)」
「嘘つけ、てめぇぇぇぇぇ!!!」

俺が全力で引きはがそうともがくが、それでも化け物じみた執念で少女は俺にくらいついていた。

「ぐぬぬぅぅぅぅ…は、はなれないですぅぅ!」
「離れろぉぉぉ!!」

しかし所詮は少女の力、徐々に俺の腕が彼女の身体を引きはがし始める。
と、その時

「でぇいっ!です」
「うがっ!?」

少女は頭に刺さったドライバーを俺の顎に勢いよくぶつけてきた。
く、武器にもなるのか…。

「何しやがる!コロ助みたいな頭のくせに!」
「ひぇひぇひぇ。またかりゃだが固まっらのでふ〜」
(へへへ。また身体が固まったのです〜)

ぐ…。
少女の手足は石のように固まり、ビクともしなくなっていた。

「このやろ〜…」
『あひゃひゃ〜。克治さんとべったり。むふふふ〜』
「離れろぉぉぉぉ!」

どうにかしようともがくが、今度は両腕を巻き込んだ状態で固まられたので本当にビクともしなかった。

「はぁ、はぁ…」
『ふふふ。諦めるがいいのです。克治さんは大人しく私の抱き枕になるがいいのです!』
「こ、このやろぉぉ!」

俺はどうにか脱出しようと畳の上を転がる。

『あふぅ〜。克治さんとごろごろ。しあわせです〜』

俺の苦労とは裏腹に胸元で少女は幸せそうに悦ぶ。

「このっ!これならどうだ!」

俺はふと閃き、少女の頭のドライバーに噛みついた。

『んひゃぁぁぁぁぁぁ!!???』

――ビクンビクン

少女の身体が大きくのけぞり、その反動でドライバーが抜け、少女は転げ落ちるように俺の身体から剥がれた。

「ふん。恐れ入ったか」

俺は得意満面で少女を見下ろした、が

「んひゃぁぁぁぁああああっあっあっ!???」

――ビクンビクンビクン

少女は畳の上を転げまわり、何度も何度も痙攣した様に腰を撥ねさせていた。

「え?ちょ、ちょっと?大丈夫か!?」
「あ、も、もらめぇぇぇぇぇ」

――ぷしゃぁぁぁぁぁ

駆け寄った俺の足元に暖かい液体が広がった。
その液体は少女の股の辺りから勢いのいい音を立てて広がっていた。






「あふぅ〜…あれがイキっぱなしというやつですか…。生きた心地がしなかったのです…。まぁ逝ったわけですが。ああ、そもそも私は死んでるんでした」
「いや、その…なんというか…すまん」
「いえいえ。気にしないでください。『克治さんの口でイカされる』なんて私にとっては名誉以外の何でもないですから」

その一言で俺の罪悪感はカロリー1/2になった。

「お前って、ほんっと逞しいのな…」
「ストーカーですからね。あ、でもでも、勘違いしちゃダメなのですよ?私がこんなになれるのは克治さんだけなんですからね」
「いや、できればもう少し控えめにしてもらいたいんだが…」
「あっ!これは大変です!ごめんなさいです克治さん。克治さんの聖域を私の聖水が汚してしまったです。どうしましょう。舐めて綺麗にした方がいいですか?」

そう言いながら四つん這いになって頬を赤らめながら床に舌を這わそうとする少女をつまみ上げ、風呂場に放り込むという種目がオリンピックに存在したら、その時の俺はきっと金メダルを狙えていたことだろう。








風呂場からシャワーの音が聞こえ始めた頃、俺は雑巾で畳の掃除をしていた。
少女の尿をふき取るという一見怪しいプレーのような行為をしながらも、俺は驚くほど冷静だった。
きっと、子供の粗相を始末する母親はこんな気分なのだろう。

『克治さん、助けてください!』

突然、風呂場から悲鳴が上がった。

「ん?今度はなんだよ?」

俺はストーカー少女の出汁をふんだんに含んだ雑巾をゴミ箱に捨てると、風呂場に向かった。

『克治さんん〜〜〜〜』
「はいはい、今…行くぅっ!??」

何が起こった。
いや、何をしている。

『なんかむずむずするので克治さんがいつもここでアラレもない姿になっていることを想像しながらオナニーしようとしたら身体が突然動かなく…。じゃなかった。おしっこで汚れた局部を洗おうとシャワーを当てたら…』
「おい、言い切ったぞ。隠すべき本音を言い切ったぞ。もはや何一つ隠せてねぇぞ?」

おい、ホントになんて事をしようとしやがったんだこのド変態死体娘…。

そこにはぺたんこ座りの姿勢でシャワーを局部に当てたまま固まった少女の姿があった。

『と、とにかくたすけてくださいなのです。一生このままなんていくら何でも酷過ぎるのですよ〜』
「あぁ〜もう。しかたねぇな…このっ!……くっ。硬ぇ…」

三再び硬直した少女の肢体はビクともしなかった。

『そんなぁ〜。ヤですよぉ〜。いくら私でも置き物になっちゃうのはヤですよぉ〜〜。びえぇ〜ん。こんな、おもらししたまま、汚い身体のまま、このままだなんて…』

ストーカーで変態だが、それでも一応は女子高生なのだろう。
少女は本当に泣き出してしまった。
それに、自分の体が自分の意志で動かせない。 それは、きっと恐ろしいことなのだろう。

「しかたねぇな…これ以上変なことされても困るし俺が洗ってやるよ…」

俺はため息を

『ホントですか!?ひゃほぉ〜〜〜!』

少女は歓喜を吐いた。





『〜〜♪』

嬉しそうに、鼻歌を口ずさむ。
俺はそんな少女の背中を流してやっていた。
俺愛用の垢すりタオルで洗おうとしたら、
『そんなゴツゴツしたものでプリンの様な乙女の肌を洗わないでください』
などとぬかすので仕方なく素手に石鹸を付けて洗う。
まったく、プリンみたいな頭の作りしてるくせに…。

『克治さん。前も洗ってくださいよ〜』
「あほ。これでも俺は男なんだぞ?自分でやれ」
『だから身体が動かないんですよ〜』

ああ、そうだった。

俺は今日何度目かわからないため息を吐いて少女の右側に回り込む。
ぅお……。

ぎりぎりで声を抑えた。
全く持ってこんな事は本音とは程遠くて口にするのも憚られることだが、42.195km譲って客観的に見る分には美少女と言えなくもないストーカーゾンビ娘の肢体、いや死体は、
死んでいるはずなのに水を弾く、死んでいるが故に真っ白い肌は、
育ちざかり、いや、発育の未熟な小さな胸の頂にあるピンクの突起は、
文武両道と自称する無駄な肉の無い均一のとれた細いウエストは、
大好きだと、のべつ幕なしに騒ぎ立てる男相手の素手で身体を洗われ興奮しつつも恥じらう表情は、
正直、溜まらなかった。

『克治さん…ど、どうですか?私の身体…』

かわいい

などとは死んでも言わないが。

「いいんじゃねぇの?」

ぐらいは言っても悪い気はしない。

が、気づくべきだった。
この女はストーカー。
宇宙の誰よりも俺から認められることを望んでいたのだ。
そう、例え全身が硬直していようが、至近距離にターゲットがいれば、そして、それがほんの少しでも甘い匂いを出そうものなら、

「かちゅじしゃ〜〜〜〜んすきだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「のわぁぁぁぁ!!??」

俺は強烈なラリアットのようなフライングハグを喰らい、足を滑らせて転んだところで見事にマウントポジションを取られてしまった。

「はぁはぁ、かちゅじさん、はぁはぁ」

獲物を疑似餌で誘い込み捕食する提灯アンコウのような動きを見せた少女に抱き着かれ、

「きゃぁぁぁぁああ!」

俺は乙女のような悲鳴を上げた。
そう、それほどまでにこの時のこいつの目はやばかった。

後にその時の向村さゆりの目を野村克治はこう語る。
“あれはまさにハンター。いや、獲物を見つけたモンスターの目だった”
と。


『克治さん克治さん克治さん』
「ひぃ…。な、な、なんでしょうか…」

ギシギシと錆び付いたような音を立てるように硬直した手足を気力で動かして俺を押し倒す少女。
人間離れした力に取り押さえられ、俺は身動きが取れなかった。
怖い。
レイプ犯に捕まった時の乙女の気持ちはこんな感じなのだろうか?
いや、俺の目の前にいるのはレイプ犯ではなく(いや、まぁ、確かに逆レイプではあるのだろうが)、柔らかそうな白い肌をした女子高生なのだが。

『克治さん。ごめんなさいです。私、もう我慢できないです』
「ひぃ」

少女は荒い息を吐きながら俺の両腕を左手一本で抑え、拘束する。
未だ硬直の解けていない腕は、動きを止めてしまえば強固な拘束具になってしまう。

「な…くそっ!硬ぇ…。お、お前、どこにこんな力が…」
『にへへ。私はゾンビなのです。人知を超えた力ぐらい出るかもしれないのです。あれ?でも今知られちゃったら人知を超えないのです。う〜む。むずかしいですね〜』
「俺を取り押さえたまま勝手に言葉の迷路に迷い込むな!いいから離せよ!」
『ヤです。今離したら克治さんは逃げるに決まってるのです。もうこうなってしまった以上離すわけにはいかないのです。悪いとは思ってるです。でも…』

――ちゅ

「んむっ?」

唇を奪われた。
それは、生者か死体かと問われればどちらかといえば死体で、
好きか嫌いかと問われれば、どちらかといえば嫌いで、
しかし、良いか悪いかを問われると、悪くないと言ってしまいそうな、
そんな感覚。

「んむ…ちゅ……あむ…」

まるで、花の蜜を吸う蝶のように、まるで、血を求める吸血鬼のように。
俺の唾液を求めているかのように、少女は俺に口づけた。
不思議と心地よい感覚がして、死体のはずの少女の唾液は甘くて。
いつしか、俺も舌を絡めていたかもしれない。

「ぷは…」

唇を離し、愛おしそうに俺を見下ろす少女の頬は、血の気を取り戻し桃色に上気し、首筋を流れる汗は色っぽく、それでいてその眼は未だにギラギラと輝いて。
ああ、なるほど。
確かにこいつはもう人間ではない。
その姿は、その表情は、まさに魔性だ。
俺の精気を吸ったように、先ほどよりも幾分も血色がよくなり、張りの増した唇で彼女は言った。

「克治さん。お願いなのです。私を、貰ってください。そしたらもう。ストーカーしないです。克治さんの、好きなようにしてもらって構わないのです」

決意に満ちた様な表情。
俺は、

「ちくしょう。そんな目で見るな!」
「わきゃ!?」

俺は柔らかく動くようになっていた少女の腕を振りほどき、その唇に再び口づけると、今度は逆に少女を押し倒した。
狭い風呂場の中、少女の身体を少しだけいたわりながら。

「……」

少女を見下ろすと、その瞳は揺れる様に輝いて、

「克治さん…好きです」
「…俺はお前が嫌いだ」
「知ってますよ」

いや、知らない。
こいつは知らない。
本当に嫌いなら、
嫌いなままだったなら、
俺はこんな事はできないはずだ。
少なくともこいつを殺してしまった時の俺はそうだった。
なのに、どうしてだ?
告白もせずに鳥羽莉さんに振られてしまったショックからか、
多分それもある、でもそれは理由じゃない、はずだ。
どうして、どうして…。
分からない。
考えたって答えは出ない。
でも、
今はたまらなく、彼女を、求めていた。
でもいいのか?
俺はこんなことしていいのか?
俺はこいつを殺して、
嫌っていて、
あんなことを言っていたのに。
俺にはこんなことをする資格があるのか?
ない、
あるはずがない。
なのにコイツは。

「克治さん。好きです。貰ってください」

俺は、

「ごめん」

誰に対してのセリフかはわからない。
しかし、自然と口をついて出た言葉。
その一言を残すように俺は服を脱ぎながら少女の唇にくちづけた。

「克治さん。ああ…やっと、私を…」

1000年も待った。
そんな表情でうっとりと見つめられた。
ああ、くそう。
本当に俺はどうかしてる。

キスを首筋に落とし、その小さな膨らみを舐める。

「ん…克治さん。そこ はぁ…」

柔らかい肌は、死んでいるとはとても思えないほど張りがよく、掴む手が、舌が吸い付きそうだ。

「かつじさぁん……」

俺が周りばかりを攻めていたら、不満そうな声が上がった。
でも甘やかすのは良くないだろう。
そうだ。
これは教育だ。
ストーカーなどと言う社会のごみの役にも立たないモノに成り下がったこの少女を俺は教育してるんだ。
などと、ずうずうしい事を考えながら俺は未発達な少女の臍の回りや首筋などの敏感な部分を攻めつつ、

「ひぁん!」

時々固く自己主張する乳首などに刺激を与えてやる。

――とくんとくん

キスをしながら胸の表面に伝わる振動は俺のものか、少女のものか。
いや、少女が本当に死んでいるのだとしたら、これはきっと俺のものなのだろう。
しかし、

「ハァ…はぁ…… かちゅじさぁ…ん…」

これほど荒い息をあげる少女の心臓が止まっているとはとても思えない。

「かちゅじさぁん……」

寂しそうに、物干しそうに、見つめる少女の上目遣いはそそるものがある。

「ダメだ、我慢しろ」
「あうぅ……」

犬なら耳を垂れてしょげそうな声を出しながら少女は俯いた。

「なんてな」
「んひゃっ!?」

俺はキスしながら両の乳首をくにりといじめてやった。

「んむぅ…ん……ん…」

目の前に迫る少女の瞳は熱い涙の膜を張り、オアシスのように輝いた。
しかし少女の身体は太陽に熱された砂漠の砂の上に上げられた魚の様に跳ねる。
そんな姿が思わず愛おしいと感じる。
もっといじめてやりたい。
もっと悦ばせたい。

俺は

「いれるぞ」
「ふぁ、ふぁぁい……」

返事も朦朧な少女の十分に潤ったそこへ。

「んふぁぁぁぁ……」

気の抜ける様な、そんな声。
しかし、それとは対照的に少女のそこはやっと手に入れた俺を逃がすまいと、きつくきつく俺を締め上げる。

「んく…」

俺も思わず声をあげる。
本当にもう、どうにかなりそうなほど気持ちいい。

「かちゅじしゃ〜ん…」

溢れる涎のせいでふやふやにとろけきった少女の笑顔。
そんな顔すら愛おしくて、

「ん…」

何度目かのキス。
長い長いキス。
それでも俺達の腰は別の神経で動いているようにお互いの身体を感じあう。

おかしい
もっと早く気付くべきだった。
気持ちいい。
気持ち良すぎる。
俺も年頃の男ではあるので、パチンコ台と言う悪徳ATMからまんまと金をせしめた時など、商売女の身体を何度かいただいたことは在ったのだが、
こいつの身体はそれとは桁が違う。
それが若さによるものなのか、
いや、それなら2年も前に別れた彼女だって4つも違わないはずだ。
まぁ、それが十代と二十代の壁なのかもしれないが、
いや、きっとそんな物ではない。
きっとこれはこいつの想いだ。
俺を、野村克治を、これほどまでに愛してくれた女がこれまで居ただろうか?
確かにやり方は間違いだらけだ。
髪型やメイクの感じなど、鳥羽莉さんに似せてはいるが間違い探しも間違いだらけで、今やメイクの落ちたこいつの幼い素顔は俺の好みからも程遠い。
なのに、なんでか、どうしたことか、これがどうにか愛おしい。
可愛い。
一心に、

「かつじさん…すき…すきぃ……」

俺を求める姿は何とも儚げで、
ほんの些細な衝撃で砕けてしまう宝石のように。
しかし、それ故にこの少女の心には傷一つついていない。
掛けて砕けて小さくなっても、それでも中心の硬い部分を残して俺に縋り付いてくる。
ああ、
もう、
敗けてしまおうか。
敗けるに負けられない賭けをし続けてきた少女に、俺はきっとまんまと嵌められた。
ハメたが故に嵌められた。

「かつじさんかつじさんかつじさん」
「ん……すまん…出るっ」


――


真っ白に、ぼやけた。
身体の境界もはっきりしなくなり、
心のうやむやも、どこか霧のように。






「あぁ〜。しあわせれすぅ……」

うっとりと、
俺の命を飲み干した死体少女は。

俺も、何故か安らかな心地で、その表情に魅入っていた。














後悔

それは先に立たず、
かと言って取り返しもつかず、
だからと言って捨て置くこともできない。

「やっちまった…」
「はいっ♪ 殺られて、ヤられちゃいました♪」

ちくしょう。
いい顔しやがって…。

なんという事だ。
俺は23にもなって2つも人間として恥ずべき過ちを犯しちまった。
殺人犯に、ネクロフィリア、ロリコン。あ、3つか…。
とにかく、もうなんとでも言えよ。
今日、バイトが終わったあの瞬間から、俺の人生の歯車は直しようもなく狂い壊れちまったんだ。
少女一人犯しといて、殺しといて、どうやって今更鳥羽莉さんが好きだなんて言えるだろうか?

「克治さん克治さん」
「ん?なんだ?」

落ち込む俺の前で、バスタオルに包まった少女はいつものごとく、見慣れた笑顔で言った。

「克治さんが今考えていることなんて実はどうでもいいことなんです」
「え?」

「いいですか?克治さん、克治さんがあのマスターさんの事を好きなのは仕方のないことです。あの人は大人で、優しいし、器量の深い人です。はは、到底私じゃ及ばない人ですよね。でもねでもね、克治さん。克治さんがどんなに好きになってもあの人は克治さんのことなんてこれっぽっちも見てないのです。見ましたか?見ましたよね?あの人は旦那さんにメロメロなのです。顔も形も性別さえも変わってしまってもどうしようもなく旦那さんにメロメロなのです。見てました?見てましたよね?だからね。だから、今はすっぱり諦めましょうよ。それでもそれでも、あの人を落とそうというのでしたら作戦を立てなくちゃいけませんよ。あの人を旦那さんから奪う…は難しいようなら、旦那さんを奪ってあの人も奪っちゃいましょう。そうですね。それはいい考えです。私も全力でお手伝いしますよ。え?私はいいのかって?はは。いいに決まってるじゃないですか。私は克治さんのことが大好きなんです。克治さんのためならなんだってします。ほら、よく漫画や小説なんかで「あなたのためならなんでもします」なんて言いながら「じゃあ別れろ」と言われたら、別れるのが惜しくなって相手の人を殺したりするような頭の可笑しな人が出てくるじゃないですか?でもねでもね、私だったらちゃんと別れますよ。克治さんにそう言われたらちゃんと別れます。別れた上でちゃんと次の手立てを考えます。恋は策略です。出し抜き合いです。だからねだからね、私が全身全霊を持って克治さんのために全てをかけます。ですから…」

なんていうんだっけ?
こういうの。
シックハウス…いや、違うな。
ストックホルム症候群だっけ?
ああ、たしかそんな感じだ。
なぜだかこのイカレたはずの女の言葉が心地よくなってきた。
すごく自分が思われているような気がしてくる。
もはやこれは末期だ。
いや、でも俺は別に監禁されたわけじゃねぇのか。
いや、でも、きっとそれに近しい何かなんだろう。
ああ、もしかしたら全身ラバーで覆われて地下室で監禁されるのかもしれない。

「何言ってるんですか、そんなことしませんよ?」

ぬぁ!?いま心を読まれた!?

「心なんて読めませんよ。でもでも、365日24時間体制で克治さんを観察していればその表情の変化で何を考えているかぐらい想像はつくようになります」

いや、すごすぎるんですけど。引くほど。

「すごくなんてありません。愛の力です。寝ても覚めても克治さん。三食昼寝付きで克治さん。夜のお供に克治さんです」
「愛の力って…、俺が思ってたよりも邪な力だったんだな…」
「うふふ。そうですよ?色で言ったらピンクと黒のマーブルカラーです。プラスかマイナスで言ったらきっとマイナスです」

んなわけあるか!
と突っ込みたいが、こいつを見てると不思議と説得力があるわけで…。

「でも克治さん、信じてください。私の克治さんを思う気持ちは本当なんです。本物なんです。誰が何と言おうと、これは譲れません譲りません。だから克治さん。もう一度言います。私は」

そこまで聞いて、
もう十分だった。
十二分だった。

「分かったよ。お前に負けた、俺の負けだ」
「え?」

少女は一瞬不思議そうな顔をして、

「お前の気持ち、身をもって受け止めた。受け止める。ここまでしといてさせといて、今更かもしれんが…。もう、お前を嫌いだなんていえねぇよ」

「え?え?え?」

「俺も、お前が好きだ」

「……………」

俺は10年の戦争の末に敗北を認めた国の王のような気持ちでそう告げた。
が…。

「………」
「ん?あれ?どうした?」
「……」

少女は硬直してしまったかのように動かなくなった。

「ん〜?あれ〜?だいじょうぶか〜?」

――プシュー…

「え?」

その光景を前に、俺までも一瞬硬直してしまった。

「え?えぇっ!?もしかして俺のせい!?今更あの時の致命傷に異変が!?まさか、鳥羽莉さんの魔法(?)が解けた!?あ、いや、まさかさっきのシャワーで中に水が!?」

慌てた。
いや、混乱した。
それは仕方ないだろう。
何故ならこの時、少女の頭からは比喩でもなんでもなく、そのままの意味で湯気が出ていたのだ。
それも俺がドライバーで空けた穴の辺りから。

「うわっ、ちょ、マジかよ。え?嘘、コレ、嘘ぉ!?」

「………」

置物のように固まり、香炉の様に煙を出す少女を目の前に俺はあたふたするしかなかった。

「…か……さん…」
「ん?お、おお!生きてた(?)か!」

悦びもつかの間、

「克治さん…」
「ん?どした?」
「克治さん。克治さん…」

俯き、ぷるぷると震え、そして、頭の湯気の量が増え、

「克治さん」
「は、はいぃ?」
「克治さん。私わ、わた…わたし…」
「はい?」

「嬉しいですぅぅぅぅ!!!」

「どわぁ!?」

俺は飛びかかってきた少女に押し倒された。
ああ、もう。
俺は一日で何度驚かなきゃなんねぇんだ?
尻もちをつきながら、
少女に熱烈な抱擁をされながら、
俺はそう思った。

と、その時、

「ん?なんだ?」

尻もちをついたところに、何か尻に敷かれたものがあった。

「ん?私の制服ですねぇ…」
「いや、そのポケット、なんか入ってる…。ん?なんだ?箱?」
「あ…」

それは、綺麗にラッピングされ、リボンのついた小箱だった。
そして、その裏には

『克治さんへ』

そう書かれていた。

「……これ、なんだ?」
「むぅ…手渡ししたかったです…」
「ん?俺に、か?」
「はいです。いいから空けてください」
「おお…」

俺はそのラッピングを剥がした。
中身は…
ああ、そうか。
色々あってすっかり忘れていた。
今日は2月14日。
男女が愛の誓いを交わすとされる日。

「克治さん。好きです…」
「……まぁ、悪くない」

俺は、ところどころ粉々に砕けてしまったハート形のチョコを受け取り、それよりもずっと甘苦い少女の唇に口づけた。




13/03/11 00:38更新 / ひつじ

■作者メッセージ
私が生まれた日、おじいさんとおばあさんは大層喜んだそうだ。
お父さんもお母さんも嬉しそうにしていたと言っている。
でも、
私はそんな二人から愛された事なんて、一度もなかった。
ちやほやと、
甘く甘やかされてはきた。
でも、
不思議な違和感は大きくなるにつれてはっきりと分かるようになって、
初めて確信したのは、お父さんがお仕事で出張した日に、お母さんが愛人さんを家に連れてきた時だった。
お母さんの愛人さんを見る目は、私やお父さんに向けられる者とは明らかに違っていた。
当時10歳だった私にも、それははっきりと分かった。
その次の日からだった。
どうしても、どうやっても、私は孤独を感じるようになった。
明るい家族ごっこは毎日のようにリビングで繰り広げられる。
でも、お互いの部屋に戻ると、そこからは誰もリビングには戻ってこようとしない。
私は寂しいリビングで一人ドラマを見るようになった。
恋を焦がすような恋。
そんな物を憧れて、そんな物に騙されて。
いつしか私は代わる代わる男を作る様になった。
女友達からは何故か尊敬された。
羨ましがられた。
でも、どうしてそんなにうらやましがるのかわからなかった。
こんなの、家でやる家族ごっこと何も変わらないじゃない。
高校に上がって、2年も過ぎて、私はいい加減飽きてきた。
そんな時、ふと友達が言っていた喫茶店に足を向かわせていた。
別に失恋したいわけでも、何かを相談したいわけでも、なんでもなかった。
案の定、メニューを渡されても、何も選べない。
「お決まりですか?」
店員さんは、わりかし好みだった。
「えっと…これ?」
私は何気なく、メニューの一番上を指差した。
こうやって、付き合う男の人も決めてきた。
女友達の言う「おすすめ」を一番上から。
でも、結局、全部同じだった。
「やめときなよ」
え?
「やめときなよ。それはまだちょっと苦いんじゃないかな?これなんてどう?俺は結構好きだよ?」
なんだ。
そう思った。
でも、それなら。
私はその店員さんのおすすめを注文した。
甘くて苦い、ビターチョコラテ。
数分後に出てきたホットチョコラテを飲んで。
ああ、この人だ。
そう思った。

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