読切小説
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 (あー、疲れた)
アパートの一室に戻った伏野英樹(ふせのひでき)はため息をつくと、買ってきたコンビニ弁当を一人用の小さなテーブルに広げ、缶チューハイを開ける。
そうしてから卓上にラップトップのパソコンを乗せ、お気に入りの動画を再生しながら弁当をつつき、缶を傾ける。
近頃の若者の多くと同じく、伏野もテレビよりも動画をよく視聴する。
行儀は悪いが見咎める者もいない一人暮らし、仕事の後の囁かな癒しの時間である。
自分は恵まれている方だと思っている。
二十代前半、一人暮らし、製造業勤務。独身。彼女なし。
仕事は無論厳しいが少なくともよく噂に聞くサービス残業というものはないし、給料にも文句はない。
休暇もそれなりに取れるし、お盆の連休も近い。
「ふふ、ははは……」
動画に笑いながら弁当と缶を空にし、今度の連休どうしようかな、なんて考えながら寝る準備を始める。
そう、暇なのだ。
満たされているからこそ感じる事かもしれないが、伏野は仕事以外では基本的に暇を持て余している。
特に趣味や熱中する事があるでもなく、休みは寝て過ごしたり、動画を見たりゲームをしたり……。
自分でももう少し有意義に過ごせないものかと考えたりしている。
考えるだけで特に何も行動を起こさずに月日が過ぎている訳なのだが……。
ごろん、と布団に横になり、これも現代人らしく、部屋を暗くしてからも寝付かずにスマホをいじり始めたりする。
「……」
普段はそうこうしているうちに眠くなるものなのだが、この日は中々眠気がこなかった。
布団の中でごろごろするうち、次の日が休みだというのもあっていっそ眠くなるまで起きていようと考えた。
ラップトップのパソコンを枕元に引き寄せ、何となく電源を入れる。
「……」
伏野は、普段使っているブラウザと違うブラウザを立ち上げた。







 深層ウェブ、という言葉がある。
普段人々が利用する一般的な検索エンジンでたどり着けるサイトはネットの中の10%ほどであると言われている。
残りの多くは会員制のサイトやオンラインバンキング、管理画面などのIDやパスワードを必要とするサイト。
そして、その中のさらに深くに存在するのがダークウェブ、と言われる領域だ。
通常の検索方法ではたどり着く事ができず、法的な管理のなされていない無法地帯。
よって、違法な取引や犯罪などに利用されるケースもある。
また、奇妙な動画や意味不明なメッセージが発信されていたり、薬物の売買やハッキング依頼、児童ポルノ動画、挙句はアサシンサイト(殺人依頼サイト)までも存在している。
しかしそれに類似したサイトを見つけたとしてもそれが本物である確証はないし、そもそもそれほど本格的に犯罪に関与したサイトはごく一部だ。
無法地帯にいる者全てが犯罪者であるとは限らない。
とはいえ入口がどこに開いているかはわからない、興味本位で覗いてよい場所でない事は確かなのだ。







 「……」
布団の中、暗闇の中で伏野はその領域に見入る。
アクセスするだけなら容易く手に入るブラウザを使えば誰でもアクセスはできる。
何故、リスクを犯して伏野がそんなものを見ているのか。
はっきりとした理由などない、何となく心を惹かれたからだ。
だがあえて説明するならば「暇」だったからだ。
恐らくは人と比べても恵まれた、平和な自分の日常。取り立てて特別な事のない日常。
そんな中で伏野は平凡から外れた物を求めたのかもしれない。普通でないものが見たかったのかもしれない。
このブラウザを通して見る世界は何か、物事の裏側を覗くような背徳感があったのだ。
とはいえ、トラブルに巻き込まれるのは御免だ。
あからさまに危険そうな領域は避け、あくまで安全な場所をふらふらとサーフィンする。
「ふ……」
伏野の口に思わず笑みが浮かぶ。
画面に映っているのはプレッツェルの広告。
英語なのでよくはわからないが、どう見てもプレッツェルを販売しているサイトだ。
表で堂々と売ればいいのに何でわざわざこんな所で売ろうと考えたのか。
どうという事のないサイトもこんな場所で見かけると何かおかしみを感じる。

「あっ?」

と、勝手にウィンドウが開き、プレッツェルの広告が黒い画面にとって変わられる。
(ああ、何だ?何か踏んだか?)
舌打ちを打ってその画面を消そうとするが、枠も超えて画面一杯に表示されたそれを消す方法はポインターを隅々まで巡らせても見当たらない。
と、横のスクロールバーを見てその画面が下に続いている事に気付いた。
普段ならばそんな怪しい画面が出てきた時点でパソコンを強制終了するところだが、伏野を好奇心が動かした。
(……何があるんだろ、何か書いてるのかな)

カララ……カララ……カララ……

マウスホイールを回し、その暗い画面の下を目指す











































  も 


  っ


  と


  深


  く 


  へ






 
 ぽつん、と、暗い背景の中にその文字が浮かんでいた。
(うわ、日本語?)
そう、日本語だった。
そのフォントにポインターを合わせるとまたどこかに繋がっているらしい。
どうしてもその先が気になった伏野はポインターを合わせる。
(……ヤバいよな、これ)
何かの悪戯かもしれない、何かのウィルスに感染するかもしれない。
だが、不思議と伏野はこの先に何があるのかが知りたくてたまらなかった。

カチ

(うわ、やっちまった)
思い悩んでいる間に、指が思わずクリックしてしまう。
サイトが移動する。
また、真っ暗な画面が映った。
横のスクロールバーを見ると前の画面と同じ構造になっており、下に続いているらしい。
(……前よりも長くないか……?)
いや、気のせいではなく、バーが小さい。
画面がより縦長になっている。
(面倒くさいな……)
思いながらもまた、ホイールをカラカラと回して下を目指す。
スクロールバーが、降りていく。


































































 も

 
 っ


 と


 深


 く

 
 へ





 (何だよ同じかよ……)
いや、同じ言葉だが、画面の構成は違っていた。
ループしているという訳ではない。違う所に飛んでいる。
やはり、ポインターを合わせるとどこかに繋がっている。
(……もう、ここまで来たんなら……)
最後まで付き合ってやろう、最後に何が待っているのか見てやろう。
そういう気持ちになった。
例えばここで強制終了を押してやめてしまったら、次にここにたどり着ける可能性はほぼ皆無だ。
アクセスは容易でも検索は困難といわれる深層ウェブだ。
増してこのウィンドウはこちらからアクセスしたわけではなく、勝手に現れた、しかもURLさえ表示されていない。
この先に何があったのか確かめないままだとこの先もずっと気になってしまう。
そう思い、伏野はそのフォントをクリックする。

カチッ

「……」
案の定、というか、同じく真っ暗な画面、そして横に見えるスクロールバーは……。
(うわ、小さ)
それだけ、このページが大きい事を表している。
やはり一番下に何かあるのだろうか。
伏野はホイールをクリックし、自動スクロールでページの下へ降りていく。























































 スクロールバーが画面を降りていく、真っ暗で何も見えないが、最高速度だからかなりのスピードで降りているはずだ。




























































 不意に、伏野は寒気を感じた。温かい布団の中にいるのに背筋に鳥肌が立つ。
何故かはわからない、だが何か、この画面から圧迫感を感じる。
同じ黒のはずなのに、画面の黒が濃くなっているような気がする。
その黒い空間を、どこまでも、どこまでも、深く降下していくような感覚がした。






































































 スクロールバーは降りていく。
深海に潜るダイバーのように。
真っ暗な闇に降下していく。
息が苦しい、ような気がする。









































































































 http:/○○○○○○○○○○.com







 見付けた。

真っ暗な画面の中、ぼんやりと白くURLが表示されている。
深海の暗闇の中からぬるりと姿を表したクラゲか何かのようだ。
はあ、はあ、と伏野は息を乱す。
息苦しい、酸素が足りない、身体が重い。
水圧で身体が締め付けられるようだ……。

水圧?

伏野は布団を除けて立ち上がり、部屋の電気を付ける。

パチン

明かりが灯り、部屋が照らし出される。
自分の入っていた布団、部屋の隅にまとめて置かれたゴミ袋、テーブル、パソコン、洋服ダンス、壁に掛けられた上着、カーテンに遮られた窓……。
いつもの自分の部屋だ、どこよりも落ち着いてくつろげる我が家だ。
別に海の底な訳でもない。
今まで感じていた圧迫感は何なのだろう……。
伏野はいつの間にかかいていた汗をタオルで拭い、ミネラルウォーターを一杯飲んだ。
「ぷはぁ」
一息ついて、パソコンの元に戻る。
黒い画面を見ても先ほどのように息切れはしない、さっきこの画面のどこにそんなに息苦しさを感じたのかわからない。
「……」
しばらく悩んだ。
この奇妙なURLにアクセスするかどうか。
繰り返しの思考になるが、しない方がいいのは明白だ。
ウィルスに感染させられるかもしれないし、どんな被害に合うかわからない。
しかし……
(気になる)
何故だか、どうしてもその先が見たい。
その白いアドレスが(奥を覗いてごらん)と誘っているような気さえする。
馬鹿らしい事に伏野はその画面を見つめたまま五分ほど固まる事になった。
そして結局。

カチッ

誘惑に負けた。

 (……何があるんだろ)
身を乗り出して画面を見つめていると、画面の中央に大きな再生ボタンが現れ、下部にシークバーが表示された。
(うわ、動画だ)
乗り出していた身体を思わず引く。
この手のまともでない経路で探り当てた動画といったらグロ動画やらびっくり系など、精神的によくないものも多い。
あまり直視しない方がいいかもしれない、そう思いながらも再生ボタンにカーソルを合わせる。
「……」
思えば、引き返す機会を何度も無視している。
最初にウィンドウが表示された時、二度に渡る「もっと深くへ」のメッセージ、謎のURL、そしてこの動画の再生ボタン。
もう、これで何か被害にあっても自己責任としか言いようがない。
そう思いながら、指に恐る恐る力を込める。

カチッ

「……ん……」
最初、映像は真っ暗だった、そこからぼや、と景色が浮かび上がる。
薄暗いコンクリートの部屋。
所々ひび割れて鉄筋が見えているので廃墟か何かの一室に見える。
一応カラーではあるが画質は粗い、テレビで見る防犯カメラの映像のようだ。
(うわ怖え……)
粗い画質で写るコンクリートの部屋、これだけで不穏なイメージが掻き立てられる。
カメラは暫くその部屋を映し続ける。時折映像に入るノイズがなければ静止画のようだ。
「……」
急に大音量を流して驚かせる動画かもしれないと警戒して限界まで絞っていた音量を徐々に上げてみる。

サーーー……

音は無いようだ。
「あっ」
ふつ、と映像が飛び、部屋の中央に黒い人影が現れた。
(……何だ……何その格好……)
画質が粗いためよくわからないが、どうやらシルエットから何かエプロンのような……制服のような……メイドみたいな格好をしているように見えた。
髪は後ろにまとめられた長髪に見える、つまり女だろうか、いや、女装でないとは言い切れないが……。
暗さと画質で顔もよく判別できないが、その両目は何か異様に光を放っているように見える。
野生動物が暗闇の中で見ると目が光って見えるように。
そんな黒いシルエットが、部屋の中央にじっと立っているのだ。
伏野は思わずじっとその人物に見入る。
人形などではない事はわかる、その光を放つ目が一定の周期でぱち、と瞬きするからだ。
おもむろに、その人物が画面の右に向けて歩き出した。
(……やっぱり、女……?)
しずしずとした……淑やかさを感じさせるようなその歩き方から、やはり女に見えた。
と、固定だとばかり思っていたそのカメラがその人物に追従して動き始めた。
合わせて部屋を照らしていたライトも移動する。
カメラは歩く女性の背中を照らして追う形になり、周囲の様子が少しだけわかる。
やはりどこかの廃墟のようで、部屋と同じく荒れた廊下を女性らしき人影はしずしずと歩く。
伏野はその映像を異様な集中力でもって見入る。
所々廊下の壁に窓があり、外が写る。
とはいえ時間帯は夜らしく、暗くて外の様子はわからない。
女性は、廊下の先にある階段を下り始める。

コツ コツ コツ

ふと、音に気付く。
無音だと思っていたが、極端にボリュームが小さいだけで音声も入っていたのだ。
女性が階段を降りる音が微かに耳に届く。

コツ コツ コツ

女性は階段を下り続け、カメラはその女性の背を追う。
ゆらゆらと、結ばれているらしき髪が女性の後頭部で揺れるーーーーーー。

 「え?」

 ふつり、と動画はそこで終わっていた。
シークバーは右端に届いており、動画にはリプレイのボタンが表示されている。
「……何なんだよ……」
いや、こういった場所で見つかる動画などは大抵意味が全くわからないものなどが多い、どんな意図で作られたのか検討もつかないようなものもある。
つまり、この動画もそういったものの一つ、なのだろう。
「……」
何か、このまま消してしまうのが勿体無い、と感じた。
ディープウェブで見付けた謎の女の動画、動画サイトにでも投稿してみればちょっと話題になるかもしれない……。
伏野は動画保存ソフトを立ち上げ、それを保存した。







 盆休みも近い平日の夜、伏野は何も変わりなく過ごしている。
晩酌片手に動画を眺める。
眺める動画はあの動画。
奇妙な女が廃墟を歩く動画。
(振り返ってくれないかな……)
動画にそんな事を思っても無意味なのはわかっているが、ついついその後頭部に見入ってしまう。
(……)
少し、いつもと首の角度が違う気がする。
横顔がぎりぎり見えそうな気がする。
保存した動画なのだから内容が変化する訳はないのだが……。
(……あれ?)
違う。
明らかに、首の角度が違う。
廊下をフォローするシーンでは後頭部しか映っていなかったはずだ。
しかし今見ていると、頬の輪郭が僅かに見えるくらいに顔が横を向いている。
「何で……?」
思わず口にした瞬間。

くるり

と、顔がこちらを向いた







 「うおっ!うわっ!」
伏野は布団から飛び起きた。
周囲をきょときょとと見回し、現実を自覚する。
「……はぁ……はぁ……」
部屋は暗く、まだ夜中のようだ。
静かな室内で自分以外にも聞こえそうな勢いで心臓がドクドクと脈打っている。
肺はつい先程まで水中に潜っていたかのように空気を貪っている。
布団から立ち上がり、洗面所に行く。
汗濡れの下着を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びた。
「ふううい」
ばしゃばしゃと手で顔を擦りながら息をつく。
どうかしている。
夢の中でまであの動画を見ているとは。
そう、いつもと変わらない伏野の平凡な日常。
その日常の中にあの動画はするりと入り込んでいた。
仕事終わりに眺める動画達、その最後に必ずその動画に目を通すようになっていた。
自分でもどうしてそんなにあの不気味な動画を繰り返し見るのかわからない。
ただ、あの女の姿。
コンクリートの部屋。
廃墟。
それら全てが伏野の興味を引いて止まなかった。

どこで撮られたのか?

この女は誰なのか?

誰が撮ったのか?

いつ撮られたのか?

気になる、気になって見てしまう。
実は自分で思っている以上に仕事に疲れているのかもしれない。
そんな事を思いながらシャワーを終え。
部屋に戻り、布団に戻る。
「……」
「……」
「……」
手元にパソコンを引き寄せ、起動する。
(駄目だな俺は……どうしちまったんだ)
そう思いながらもその動画を開く。

真っ暗な画面から、ぼんやりと映し出されるコンクリートの部屋。
ふつ、と中央に現れる女。
じっと、目を光らせて立っている。
おもむろに横を向き、歩き始める女。
それを追うカメラ。
荒れ果てた廊下を歩き……。

「……んっ?」
ふと、一時停止を押す、動画が止まる。
下のシークバーを触り、少し前に戻す。

おもむろに横を向き、歩き始める女。
それを追うカメラ。
荒れ果てた廊下……。

ここ

ちょうど、歩く女をカメラが追い始めるタイミング、アングルが変わる瞬間だった。
廊下にある窓から見える外の暗闇。
ずっと外には何も見えないものだと思っていた。
しかしその視点が変わる瞬間のアングル、窓の外に見えたのだ。
ライトに照らされて暗闇の中に一瞬だけ浮かび上がる柱状の何か。
多分、電柱か何か。
それだけならば何でもない、何の手がかりにもならない
しかし、その電柱らしきものの表面に張り紙らしきものが見えた。
画像の粗さから内容を読み取るのは困難だが、確かに何か文字が書いてある。
広告か何かの張り紙。
「……」
伏野は画面に鼻がくっつかんばかりに顔を寄せ、その文字を読み取ろうとする。

○○○MOTORS→100m

前半は読み辛いが、後半はそう見える、いや、間違いない。
MOTORS。
モータース
モータース、というと……自動車の整備、修理、あるいは販売をする店の事。
伏野は思わず手を叩いた。パン、と部屋に音が響いた。
意味不明さ、不鮮明さから正体のわからなかったこの動画。
大げさな言い方をするとこの世のものかもわからなかったこの動画。
しかし、確かにその中に「意味のある文字」があった。
それもモータース、という日常の中にある単語。
どこかで見かける事のできる広告、紙ビラが映っていた。
この動画の世界は、自分の世界と「地続き」なのだという確信を得た。
尚且つ、このMOTORSの前にある不鮮明な文字。
見間違いでなければカタカナの三文字。
そう、カタカナなのだ、つまり、この動画は日本で撮られた可能性が高いという事だ。
日本。
日本であれば、つまり自分が行くことの出来る範囲にこの場所があるのかもしれない。
だから何だ、と言われればどうとういこともない事実。
しかし、伏野はずっと求めていた謎の核心に迫ったような興奮を覚えた。
この動画の正体に一歩近づいたような……。
そうだ、正体だ。
自分がこの動画にどうしてこれほど心惹かれるのかというと、正体がわからないからだ。
曖昧で意味不明で、わからない。
だからこそ正体を知りたいと思う。
自分がこの動画に「捕らわれて」いるのはそれが原因なのだ。
再び、伏野は画面に顔を近づける。
前半の三文字、この三文字は何なのか?
「……シ……シ……ジ……?」
不鮮明すぎる。読めない。
だが、それが何なのかわかりたい。
顔をしかめ、目を凝らして画面を睨んでもやはりわからない。
ふと思い立った伏野はスクリーンショットキーを押し、その静止画像を保存する。
そうしてから画像編集ソフトを立ち上げ、その画像を表示する。
闇に写る粗い広告の部分を囲い、拡大して見る。
拡大するとより潰れるが、伏野はツールを使って色の濃淡で区分けし、薄い部分を消していく。
面倒な作業だったが、伏野は夢中になってその作業に没頭する。
文字が浮かび上がってくる。

ヤジマ

か、もしくはカジマ

そう読み取れる。
デフォルメされた文字のため、「ヤ」と「カ」の区別が困難だ。
だが、「ヤジマモータース」か「カジマモータース」、そのどちらかだ。
この動画が撮られた場所はこのヤジマだかカジマだかの半径100メートル以内にある、という事だ。
早速検索してみる。
ヤジマモータース、または、カジマモータース、という名前の店。
そして、その周辺100mにこの動画のような廃墟らしき建物がある場所……。
ヒット数はかなり少ない、その中から周囲に建物の無い店を除外していく。
そして、繁華街の中にある物も。

カタ、カタカタ、カタ

暗闇の中、目を輝かせて伏野は検索を続ける。
該当する店舗があれば地形を調べ、周辺をストリートビューで見て回る。
動画にあるような場所……場所……。

ものの数回の探索で行き詰まった。
無い。
ヤジマモータース、カジマモータース
ヒットした場所の住所を調べ、100m圏内を探し回ったが、それらしき廃墟はどこにも見当たらない。
……ひょっとしてこの動画はかなり昔の物で、もう既にこの廃墟は取り壊されてしまっているのではないだろうか?
いや、考えてみるとその可能性が一番高い。
それ以外にないような気がする……。
そう考えながら、諦め切れないように加工した画像を今一度見返す。
「……」
もしかして、字を読み違えているのではないだろうか?
MOTORSという後半は違いないとして、前半のカタカナ三文字。
何しろ不鮮明な画像だ、尚且つその手のプロでも何でもない自分が無理に加工した画像だ。
ノイズが混じってそう見えただけなのかも。
もしくはカタカナに似た別の国の文体という可能性だってある。
この文字……。
いや。
もしくは。
待てよ。
伏野は今一度その加工した画像に見入る。
端の方の文字。
他の文字よりも幅が狭い。
デフォルメされた文字なので確証はないが、他の二つよりも明らかに狭い。
(……待てよ、この映ってるのって……多分、電柱だから……円柱な訳で……)
ぐうむ、と伏野は喉の奥で唸った。
そう思って改めて見ると明らかだ。
カタカナは三文字ではない、いくつかの文字が電柱の裏側に隠れている。
見えている部分が全部ではない。
(つまり……○ヤジマか、いや、一文字とも限らない、○○ヤジマ、もしくは○カジマ……)
頭を抱えた。
一気に選択肢が増えてしまう。
と、なると、五十音順に当てはめて総当りするか……一体何パターンになると思っているのだ。現実的でない。
がっくりと、パソコンの前でうな垂れる。
やはり場所を割り出すなんて無理か……、いや、そもそも自分はどうしてこんなにムキになって……。
そう思いながら、半ば惰性で適当に文字を当てはめて検索をしてみる。
しかしやはりかかる件数が多すぎる、とても候補を絞れない。
「……」
ふとした思いつきだった、何の気なしに、「ヤジマモータース」を画像検索にかけてみた。
「……あっ……んっ!?」
現れた画像の三番目だった。
車等の写真の中に、ある「ロゴ」が表示されている。

コヤジマMOTORS

 デフォルメされた文字に、英語でMOTORS。
まさに、あの電柱に貼ってあった広告のロゴそのもの。
ぶるる、と伏野は犬のように身体を震わせ、「コヤジマMOTORS」で検索をかける。
ヒットしたのは一軒。
「閉店」している。
しかし店がやっているかどうかは問題ではない、その立地だ。
とりあえず、写真を見る限り山の中にある訳ではないらしい。
画面に齧り付くようにして伏野はストリートビューを表示する。
100m、という表示があったという事は少なくとも道沿い、百メートルの付近にあるはずなのだ、建物が取り壊されていない限りは。

カチッ

カチッ

カチッ

カチッ

 道をクリックで進む。
こんなにストリートビューに臨場感を感じたのは初めてだ。
まるで自分がその場を歩いているかのように周囲を見回しながら進む。

カチッ

カチッ

カチッ

 「これ……これ?……これか……?これか……!」
それは確かにあった。
人通りの少ない、寂れた道。
道の脇にひっそりと、その廃墟があった。
(……病院、か?)
小さな廃病院のように見える。そして道沿いに開いている窓。
その傍に立っている一本の電柱。
「――――――」
たまらず画面を開き、あの動画を再生し、あの場面で停止する。
カメラのアングルが変わる瞬間に映る、一本の電信柱。
ストリートビューに映る電信柱。
二つを見比べる。
窓の外に立っているアングル、そして、張り紙……。
間違いない、絶対にそうだ、ここだ、ここでこの動画は撮られた。
この廃墟の中で撮られたのだ。

カチッ

 もう一歩進み、その窓がよく見えるアングルに移動する。
窓の中は真っ暗だ、彼女がいた場所だ、この動画の場所だ。
まるでそこに彼女がいるかのように、伏野はその闇を凝視する。
「見付けた……!」
口の中で思わず呟く。
そうして、その周辺をぐるりと見回す。

「ひゅぅっ」

 伏野の喉から、奇妙な音が漏れた。
それは息を飲んだ音なのか、掠れて音にならなかった悲鳴なのか。
伏野にもわからなった。

 ストリートビューで見るその廃墟の道の傍らに、ぽつん、と人影が立っている。
晴天の下で撮影したであろうにも関わらず、シミのように黒い人影が。
モザイクが掛かっているので顔はわからない、だがその姿かたちはどう見てもあの動画の人物のように見える、そう見えて仕方がない。
その人影が、道端に立ってこちらを見ている。
伏野は全身に鳥肌を立てながら、その黒い人物を見つめた。
画像越しにモザイク越しにその人影と見つめ合う、見つめられているような、気がする。







 「っちぃ……」
思わず声に出る。
伏野はギラギラと照りつける日光を手で遮りながら、閑散とした商店街を歩いている。
お盆の期間中だ、観光客を呼び込むためのセールの看板がちらほら伺えるが、特に観光名所でもないこの場所では侘しさが際立つ。
伏野の仕事も連休に入っている。
実家に一日だけ顔を出した後、「その」場所に足を運びに来た。
その場所の住所は日本国内とはいえ違う県にあり、日帰りで行ける所ではなかった。
新幹線に乗り、旅館に予約を取ってわざわざこの……失礼な言い方をすると片田舎にやってきた。
伏野の歩いている商店街もかつては活気のある時期もあったかもしれないが、今はいわゆるシャッター通りだ、営業している店はちらほらとしか見かけない。
だが伏野の目的は観光ではない、ならば何なのかというと……何なのだろう。
拾った動画の現場を見に来るという行為を何と呼ぶのだろう。
もしかするとモデルになった現場を訪れるという意味ではいわゆる「聖地巡礼」に近い行為と言えるかもしれない。
いずれにせよ、貴重な連休を消費してまで行うのは物好きという他ない。
だが、住所を掴んだその時から伏野の中では「いつかここを訪れる」という事は確定事項になっていた。
遠出になるのであれば連休を利用する以外になかったのだ。
そこに行ってどうしようという事もない、ただその場所を、動画で何度も見たその場所をこの目で見てみたいというだけだった。
手元のスマホに目を落とし、チェックを入れたその住所に向けて伏野は歩き続ける。
あった。
いや、ここは動画の現場ではない。
ボロボロに錆びた看板に表記されているのは「コヤジマMOTORS」の文字。
他と同じくシャッターの降りた建物。
ここからだ、ここから100mだ。
ストリートビューで見た景色の中を伏野は歩く。
うるさいくらいの蝉の声と、アスファルトからの照り返しの熱気に包まれながら歩く。
不思議だ。
こんなに暑いというのに、背筋にぞくぞくと鳥肌が立ってきた。
陽炎揺らめく道の先を見据えながら、酷暑の中で寒気に震えながら歩く。
ふと、気付く。
あのストリートビューで見た黒い人影を探している自分に。
あれは一度しか見ることができなかった。
次に起動した時には映像が更新されたのか、もう道には誰も立っていなかった。
馬鹿らしい事に、自分はその人影が今でもそこに立っているのではないかと目を凝らして周囲を見回しているのだ。
無論、いる訳はない。
見かけるのは時折自転車で通り過ぎる地元の老人か、野良猫くらいなものである。
自嘲の笑みを浮かべながら伏野は歩き続ける。
そろそろではないだろうか……。
「あれ……」
と、GPSで表示される自分の位置を確認した伏野は思わず声を上げた。
目的地を通り過ぎている。数十メートルほども。
人影は探していたが同時に建物にも気を配っていた。
見落とすはずがない、あの廃墟があったなら。
踵を返して道を戻る、今度はスマホで位置を確認しながら。
「ここだ」
顔を上げて周囲を見回す。
しかし、周辺には雑草が伸び放題になっている空き地しか無い。
「え……?いや、そんな……」
迷子の子供のように周辺をウロウロと歩き回り、キョロキョロと見回す。
あるのは空き地と……電柱。
(え!?これ!?)
電柱に駆け寄って見る。
張り紙がしてある。

「コヤジマMOTORS」→100m

「そっ……」
言葉に詰まりながらその電柱の傍で周囲を見回す。
「ここ……?」
張り紙の角度から推測するに、そこだった。そこ以外有り得なかった。
雑草の生えた空き地。
「コヤジマ」の「コ」が隠れるアングルは、その空き地の側から見たアングルに他ならない。
つまり、この空き地の場所が……。
「嘘だろ」
呟きながらストリートビューを立ち上げ、自分が立っている場所を調べる。
何事もないかのように画像は表示する。
今、自分が目の前にしている空き地を。
つい先日まで表示していたはずの廃墟など、最初からなかったかのように。







 汗を吸ったシャツがクーラーの冷風に当てられて体温を下げていくのを感じる。
心地いい。
しかし伏野の心情は空虚そのものだった。
古めかしい個人経営の喫茶店の一席に伏野は座っている。
狭い店内には自分以外の客はおらず、だいぶ歳を召したおじいさんの店主がカウンターにぽつんといるばかりだ。
その店主は自分にアイスコーヒーを運んだ後は店内に据えられているテレビに映る高校野球を眺めている。
店内にはテレビから聞こえる高校野球の応援歌と、年季の入ったクーラーの稼動音が小さく響いている。
伏野は改めてストリートビューを立ち上げ、先程訪れた場所を見ていた。
空き地だ。
何度更新してもそこには空き地しかない。
そんなはずはない、絶対に前日まであったはずだ、と伏野がどれだけ思っても表示されている空き地が変わる訳もない。
「あの……すいません」
「あいよ?」
声を掛けると店主がカウンターから腰を上げて歩いて来る。
「この辺にその……コヤジマモータースって所、ありましたよね?」
「あー、あったあった、だいぶ前に潰れたけどね」
「その……そこから100メートルの所に、空き地があると思うんですけど……」
「空き地?空き地はここらにはいっぱいあるけどね、昔は色々建ってたけど、若い人が都会に出て行っちまったもんだからどこもかしこもねえ」
「あー、その、ここ……この場所なんですけども……」
言いながらスマホにその空き地を表示して見せる。
スマホを受け取った店主は「ほお、近頃はすごいねえ」などと言いながらその画像を見る。
「この空き地がどうかしたのかい」
「その……ここ、以前何が建ってたか知りませんか?潰れてても建物だけ残ってたとか……最近に取り壊されたとか……」
「いやあ……」
店主は画像を見ながら首を傾げる。
「この空き地はずっと前から空き地だよ、以前何やってたかっつうと……わからないねえ、物心着いた時からここにいるけど、何かが建ってた記憶なんてないねえ」
「そうですか……ありがとうございます」







 旅館特有の布団の匂いに包まれながら、伏野はまたその動画を見ている。
薄暗い部屋に立つ女性、廊下を歩く女性……。
その背景に一瞬映る電柱。
動画を止め、昼間に撮影した電柱の汚れた張り紙の写真を見る。

「コヤジマMOTORS」→100m

そもそも間違っていたのだろうか。
この電柱に映っているのはこの広告ではないのだろうか。
だが、どうにもこれにしか見えない。
それがそうではないと言われたならば、この動画の手がかりは完全に途絶える事になる。
(何でだよ……)
検討が外れた事への苛立ちが募る。
(何で……何で俺は……?)
しかし、それは次第に自分自身への疑惑へと変化する。
(何でこの動画がこんなに気になる……?)
どうして、自分はこの場所が見つからなかった事にそんなに苛立ちを覚えているのか。
どうして、高い交通費をかけてはるばるこんなところまでやってきたのか。
どうして……?
動画の始まりのシーン、女性が部屋に立つ場面で一時停止し、伏野はじっとその女性に見入る。
不鮮明な暗闇の中で光るその目に見入る。
「……そうか」
目を離さないまま、伏野はうわ言のように呟く。
「この人に会いたいのか俺は……」







 




































 ぱちり、と伏野は目を覚ました。
外はまだ暗い。
時計を見ると深夜の二時。
何か、夢を見ていた気がする。多分またあの動画の夢を見ていた。
もう少し、もう少しで手が届きそうなのに届かない、そんなもどかしい思い。
もっと深くへいかなくては、もっと深くへいかなくては。
そうしないと、届かないのだ。
もっと……。
むくりと布団から起き上がり、伏野はごそごそと着替え、外出の準備をする。
「大丈夫……」
途中、ぴしゃりと顔を両手で叩いて呟く。
「俺は正気だ、俺は正気……気になるから確認するだけ、それだけ……」
ずっと検証したかった事がある、あまりに馬鹿らしい考え。
あの時、あの場所に行ってその場所にたどり着けなかったのは……。

昼間だったからでは?

じゃあ、夜になればあの廃墟が出現するとでも言うのか、あの人に会えるとでも言うのか。
正気になれ馬鹿、どうかしてる。
なのにその考えが頭にこびり付いて離れない。
日が落ちると既にそわそわとし始めていた。しかし寝る前には思い止まっていた。
無意味と分かりきっているからだ、そして無意味とわかっていながらそんな行動を取るのは気の狂った人間だけだ。
伏野は自分の正気を疑っていた。
何か、自分はずっとおかしい、あの動画を見てからずっとだ。
ずっと正気と狂気の境目に立って、ふらふらと揺れている気がする。
色々と理屈をつけて自分は正気だ、まともだ、と、自分に向けて言い張っているが……。
昼間に確認したのに、夜になれば違うかもしれないと確認に行く。
これは客観的に見てどう考えても正気の人間の行動とは思えなかった。
だが……。
「夜の方が暗い、深いんだ……もっと深くへ……もっと深くへ……」
そうか、気が狂う、というのは、こういう気分なんだな。
そう思いながら伏野は部屋を出た。







 夜になっても気温は下がらず、蒸すような暑さが空気に残っている。
昼間でも人通りの少なかった道は完全に無人だ。
数少ない街灯に照らされ、ひっそりと静まり返ったその道を伏野はスマホ片手に歩く。
昼間に通った道を辿り、薄暗い街灯に照らされる「コヤジマMOTORS」の看板を通り過ぎる。
ここから100メートルだ。

チカ、チカチカ、チカ

街灯は電気が切れかかっているらしく、夜道が点滅する。
その光を受けながら伏野は歩く、暗い闇の中へ歩いて行く。
ふと、伏野は足を止めた。
一人分だけ響いていた足音も途絶え、夜の道は痛いくらいの静寂に支配される。
「……」
伏野は目を細め、道の先を見つめる。
何か、見える。
道の先に光が見える。
街灯の明かりと明らかに違う、二つの光。
暗闇に光る野生動物の瞳のような。
それとも街灯の明かりが何かに反射してそう見えるだけなのか。
「……」
二つの光は街灯の明かりの当たらない、伏野から数十メートル離れた場所から見える。
時折その二つの光がぱち、ぱち、と明滅を繰り返す。
伏野の背筋がすうっと寒くなる。
見覚えのある光だった、見覚えのある明滅だった。
あの動画の、最初のシーン、女性が立っているシーン。
そう、瞬きに合わせて、二つの光る目がぱち、ぱち、と……。
ふい、とその二つの光が消える。
伏野はその暗闇に目を凝らす。
その空間の先の街灯……自分から更に遠い街灯の明かりの中でひら、と何か黒いものが見えた。
揺れる、後ろ髪。
「あの人」が、歩く後ろ姿。
伏野は止まっていた足を進める。
静寂の中に再び一人分の足音が響き始める。
最後に影が見えた街灯を過ぎると、街灯の列が途絶えていた。
これまでよりもずっと道が暗くなっている。
伏野は呟く。
「もっと深くへ……」
そう言って、街灯の明かりの差さない道を歩く。

コツ コツ コツ コツ

コツ コツ コツ コツ 

コツ コツ コツ コツ

 ぴたりと伏野は足を止めて見上げた。
当然のように、最初からそうであったかのように、月明かりに照らされて佇む廃墟を。
昼間はそこになかったはずの廃墟を。

ボチャン、

と、伏野の耳に音が届いたような気がした。
自分の生きていた日の下の世界、普通と平凡と常識に彩られた平和な世界。
そこから切り離され、真っ暗な海面に投げ出されたような感覚。
ごぼごぼと泡を吹きながら、海底へと沈んでいくような感覚。
怖い。
苦しい。
だが……
「腹を決めろよ……」
伏野は呟く。
すう、はあ、と、水に潜る前のように深く深呼吸をする。
「もっと深くへ」
深くにいる、あの人に会いたい。







 ぽう、と、伏野の手元に明かりが灯る。
スマホのライトアプリだ。
廃墟の入口は施錠も何もされていなかったので侵入するのは容易かったが、中に入ると月明かりすら届かない暗闇だった。
足元も見えなくては進めないので、これを使う事にした。
そのか細い光源を頼りに伏野は廃墟を歩く。
先程からずっと、体の表面に鳥肌が立ち続けている。
蒸し暑かった外とは違い、建物の中はひんやりと冷えていた。
冷房などの涼しさとは違う、なにか、底から冷えるような冷たさに満ちている。
何故なのか、と疑問に思う事はしなかった。
自分は常識の世界から落っこちてここにいる、何が起きようと疑問に思うだけ無駄だ。
狂気に犯されていく自分を自覚しながら、伏野はコンクリートの廊下を歩く。
廊下を進んで左手に入口があり、その中に部屋を見付けた。
何もない、がらんどうの部屋。
劣化が進んで所々鉄筋が剥き出しになっている部屋……。

ああ

ここだ、たどり着いた。

動画で何度も何度も何度も見た部屋だ、わかる、壁の荒れ具合からして覚えている。

ここで彼女がこう立って……。

伏野は動画で見たのと同じ場所に、彼女と同じ場所に立った。
そうして、スマホであの動画を再生して見てみる。
暗い画面から浮かび上がるコンクリートの部屋、ふつ、と現れる彼女……。
おもむろに右を向いて歩き始める彼女。
それを真似るように、伏野は動画を閉じて右を向き、部屋を出る。
後ろ髪を揺らしながら彼女が歩いた廊下を、同じように歩く。
曲がりしなに外に電柱が見える。コヤジマモータースの広告が。
それを横目にして伏野は歩く、窓から差し込む月明かりを頼りに。
この先に進むと……。そう、階段が。
コツ、コツ、と、彼女がそうしたようにその階段を降りていく。
月明かりが届かなくなり、再びライトアプリで足元を照らす。
なんて小さな光だろう、この深い闇の暗さに比べて、人の英知の光のなんと頼りない事か。
ふつり、と頭の中で動画が切れる。
そう、この階段の途中だ。
動画ではこのあたりまでしか映っていなかった。
ここから先は未知だ。動画の続きに自分は進もうとしている。
高揚と恐怖と畏怖と好奇と、そして抗いがたい誘惑に引かれて伏野は階段を下り続ける。

コツ コツ コツ コツ 

コツ コツ コツ コツ 

コツ コツ コッ……

扉があった。
鉄の扉だ。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
伏野の息は上がっていた。
長い階段を降りたからではない。
降りるたびに少しずつ酸素が薄くなっていくような、体に掛かる圧が強まるような、そんな感覚に苛まれてだ。
キィィィィンと、耳鳴りがする。

















 耳鳴りに混じって、脳に響くように聞こえる。
そうか、「ここ」か、ここが、「一番深い所」なんだ。













扉に手を伸ばす。
冷たい、鉄の感触がする。

ヌルッ

と、自分が触れた瞬間に、扉が「柔らかく」なった。
何か、生物の肌に触れたような感触がする。

ドクン ドクン ドクン

扉のノブが脈打っている。
心臓のように。
その鼓動を手に感じながら伏野はノブを引く。
ぬらぁ、と柔らかく縁を歪めながら扉が開く。

いた

暗い部屋の中央に彼女が立っている。
真っ暗な姿に、二つの瞳を輝かせて。
「ああ……」
思わず、伏野の口から溜息が漏れる。
会いたかった、ずっと会いたかった。
と、伏野は気付く。
部屋の中の光源が、彼女の二つの瞳だけではない事に。
それは、部屋中にあった。
闇に輝く光が、瞳が、無数に部屋に散りばめられている、プラネタリウムのように。
ぱち、ぱち、と彼女が瞬くのに合わせて、周囲の瞳達もぱち、ぱち、と瞬く。
彼女なのだ、この部屋は全て、この扉も含めて、全てが彼女なのだ。
「は、あ、あ、あ、あは、あは、」

ショロロロロ……

アンモニア臭が立ち上る。
伏野は失禁していた。

ニィィ……

と、彼女の瞳が三日月型に歪む。
合わせて部屋の全ての瞳が歪む。
笑みの形に。

「あああ〜〜〜ああ、何て、何て、綺麗なんだ、綺麗だぁ、綺麗……」
うわ言のように言いながら、フラフラと伏野は部屋に足を踏み入れる。
ぬるりと柔らかく足が沈む、生物の内蔵に踏み入ったような感触。
ひゅる、と、エプロンを模しているように見えていた彼女の衣服が解ける。
その中から暗闇に青白く浮かぶ肩、乳房、腰、尻、太腿、足……。
異様で、完璧な造形の女性の裸体が浮かび上がる。

ドビュッ

目にした瞬間、伏野は射精していた。

爛々と輝く二つの瞳の下、笑みを形作っていた口が開き、有り得ない程に長く、青白い舌がぬらり、と姿を現す。

空気が震える。
声帯を震わせて喋っているのではない、だが、それは確かに空気を震わせ、伏野の脳に直に響いて意味を伝える。









しゅ






























ぁぁぁぁ……





ぶわんっ
と、部屋中がタコの足のような触手に変貌し、突っ立っている伏野に絡みつく。
バタン!
と、その姿を覆い隠すように扉が締められる
ぐねん、ぐねん、と、鉄の扉を模していたそれが蠢く。




うぅぅぅぅ……んぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁ・・・・・・

やがて、扉の奥から声が漏れ聞こえ始める。

ぁぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁ
ふふふふふ、うふふふふふふふふふ

男の呻き声と、女の声、笑い声


うぅぅぅぅぅぅぅぅんんんん……

ぐねんっ!

ぐねんっ!

ぐねんっ!

ぐねんっ!

静寂の間を置いて、扉が激しく蠕動を始める、何かの性器のように蠢く



んんんんんんぁぁぁぁぁぁぁひひぃぃぃぃぃぃひひひひっひひひひひぃぃぃっぃぃい
ああああああはははぁぁぁぁぁぁぁあぁああああぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁ
ぉぉぉあああああああうぉぉぉおぉぉぉぉああああああ
ふふふふふふ、ふふ、ふふふあはははははははははははぁあぁぁぁぁははははははは
あはぁぁんんんんんんんあああああああああああぃぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおうううううううううああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ

中から、男の悲鳴とも喘ぎともつかない声が漏れた。
合わせて、女の喘ぎと、笑い声も響く。
扉はぐねぐねと蠢き続ける。
やがて。

べちゃっ!

と、その扉が外に何かを吐き出した。
粘液に濡れた伏野の靴だ。

べちゃっ!

べちゃっ!

べちゃっ!

シャツ、ズボン、靴下、下着、粘液濡れになった伏野の身に付けていた物が、次々吐き出されていく。

カランッ

最後に頼りない明かりを灯していたスマホもが、吐き出された

暗闇の中、ぐねぐねと蠢き続ける扉をそのスマホのライトが照らす。
やがて、ふつりとその明かりも消え。
闇の中に男女の嬌声が、終わる事なく響き続けた。







 伏野の失踪に気付いたのは、朝になって部屋に起こしに来た従業員だった。
部屋の荷物は置きっぱなしになっており、服とスマートフォンだけが無くなっていた。
警察に捜索願いが出され、痕跡はすぐに発見された。
その旅館からほど近い、とある空き地。
そこに伏野の衣類とスマートフォンが捨てられていたのだ。
警察は周辺一帯を捜査したが、それ以外の手がかりを得る事ができなかった。
発見されたスマートフォンの中には家族友人との一般的なメールのやりとり、その他ゲームやライトのアプリ等、事件性を匂わせる物は発見されなかった。
ただ一つ、記録の中に「最初から最後まで真っ暗な」五分少々の動画が一つあったが、事件との関わりはわかっていない。

 ここからは非公開になった情報だが、伏野の衣類とスマートフォンには何かの粘液が大量に付着していた。
その粘液はどんな化学式にも当てはまらない未知の成分が含まれており、正体はわからなかった。
ただ、何に近いかと例えるならばバルトリン線液……。
つまり、女性の「愛液」に近い成分だったという。

19/02/04 00:28更新 / 雑兵

■作者メッセージ
ホラー九割エロ一割

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