読切小説
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除夜煩悩百八点鐘
「今年も無事終われそうだね」
「祝賀」
「明日はどうする? 初詣は……混みそうだからいいかな?」
「同意」
「じゃあお詣りは無しで。元旦は家でゆっくりしてよう」
「安泰」
「夕飯はそばとうどんだったらどっちがいい?」
「饂飩」
「わかった。それじゃあうどんでいこう」
「酒類」
「年越し用の?」
「肯定」
「酒かあ。酒は……今切らしてるな」
「購買」
「まあそうか、買うしかないか。コンビニならまだ開いてるかも」
「出立」
「頼んでいいの?」
「委細」
「じゃあお願い。その間うどん茹でとくよ」
「合点」




 早瀬義人とFRe-リツがこちらの世界で年越しをするのは、これで三度目である。魔物娘の存在が当たり前のものとなった時代において、彼らのような人間とオートマトンのカップルは最早特別なものではなかった。
 家の外に目をやれば、至る所に人魔の二人組を見出すことが出来た。義人とリツのように自宅で年末年始を祝う者もいれば、二人仲良く外出して年越しを迎える者もいる。
 彼らを縛るものは何も無い。人間が人外と恋を交わすことに資格はいらない。
 全てが自由なのだ。
 
「帰宅」
「お帰り。酒はあった?」
「確保」
「何買ってきたの?」
「和酒」
「焼酎か。しかも結構いいやつじゃん」
「自力」
「さすが、リツの眼力に狂いは無いな」
「鼻高」

 ただし、ことこの場において、リツは著しく「縛り」を受けていた。具体的に言うならば――散々書いて来たから言うまでもないことだろうが、敢えて言っておく――言語機能の「縛り」である。
 リツは言語を用いた自己表現を行う際、熟語しか話せないようになっていたのだ。
 
「こっちもうどん茹で終わったから、先にテーブル座ってて」
「御意」

 後天的な異常ではない。彼女は起動したその瞬間から、件の言語縛りを有していた。おかげでコミュニケーションにはそれなりに難儀し、自身も目覚めた当初は己のこの不自由な喋り方を嘆いたりもした。
 
「そろそろ九時か。いい時間だし、食べるか」
「実食」
「うん、そうしよう」
「同伴」
「もちろん。二人一緒にね」
「一緒」

 そんな彼女を、義人は何の抵抗も無く受け入れた。告白も義人の方からした。このご時世、魔物娘の世界に出向くのは海外旅行よりずっと楽なものとなっていた。
 二つの世界は、遥かに近しいものと化していた。義人が世界の境を越えたのも、電車に乗って隣の県に行くくらい気軽なものであった。
 そこで二人が出会ったのはまさに偶然であったのだが。
 
「じゃあ、いただきます」
「頂戴」

 途中略。そんなわけで、義人とリツは晴れてカップルとなった。義人の側の世界で住みたいと言ったのはリツの方だった。最初の方こそ価値観のギャップ等々で戸惑うことはあったが、今はリツもしっかりとこの世界に順応していた。
 住めば都とはよく言ったものである。
 
「ごちそうさまでした」
「馳走」

 一時間後。二人揃って夕飯を終える。本年最後の夕食は、特に変わり映えすることなく終了した。
 代わり映えのない日常だが、二人にとってはその変わらない毎日が何より大切だった。
 
「後片付けは俺がやるよ」
「拒否」
「いいっていいって。俺がやるから。リツもたまには休んでて」
「同伴」
「一緒に?」
「肯定」
「いいね。じゃあ一緒にやろう」
「歓喜」
「終わったら一緒に酒を飲もうか」
「至福……!」

 義人の言葉にリツが頬を綻ばせる。言葉は縛られていたが、表情は縛られていない。
 何より元より怜悧であるが、彼女は酷薄では無いのだ。
 
「早速!」
「ああ。さっさと済ませるぞ」
「至急!」

 義人の言葉を待たずして、リツが矢の如き速さで流し台に向かう。そんなに飲みたいのか。義人はリツの素早さに苦笑しつつ、それでも悪感情は抱かずに一足遅れて流し台に向かった。
 
 
 
 
 片づけは数分で終わった。時刻は午後十時八分。共同作業の勝利である。
 何よりこれを終えればご褒美が待っているのだ。発奮しないわけがない。
 
「一献」
「おっ、ありがとう」

 リツが義人のグラスに焼酎を注ぐ。それを終えた後、義人がリツから酒瓶を受け取る。
 
「はい。次はリツ」
「拘泥?」
「そんなこと言わないで。俺からも奉仕させてよ」
「……恐縮」

 説得に折れたリツが、おずおずと義人にグラスを差し出す。義人が酒瓶を傾け、注ぎ口から透明な液体をグラスに移していく。
 その間リツは石のように硬直していた。恋した相手に無窮の献身を捧げる事が最優先事項であるとプログラムされている彼女にとって、その恋人から奉仕を受けることは全く未知の領域に属する事柄であった。
 だが悪い気はしない。むしろ安心と至福が胸の内から湧き上がってくる。自分は大切にされているのだと改めて認識でき、身体温度が急激に上昇する。
 
「それじゃ、乾杯」
「乾杯」

 しかし自分は、その気持ちを言葉で表すことが出来ない。二字熟語で表現するにも限界がある。リツはそのことを歯痒く思い、しかしそれを顔に出さずに、義人とグラスをかち合わせた。
 アルコールの刺激臭が嗅覚センサーをくすぐる。液体が口から体内に進入し、機関を燃やす。
 身体が熱い。
 
「美味」
「うん。うまい」

 その胸を焼く感覚がたまらない。感情の枷が外れ、自然と笑顔になる。隣に座る義人も、同じく爽やかな笑みを浮かべる。
 二人揃って酒が飲める性質であったのは幸運であった。そうして暫く無言で酒を堪能した後、最初に義人が口を開く。
 
「やっぱり美味いな」
「同意」
「二人で飲むともっと美味い」
「……」
「同意してくれないの?」
「……同意」

 恥ずかしげにリツが答える。さらりと言ってのける義人に、彼女の思考が一瞬オーバーフローを起こした。
 不意打ちなんてずるい。
 
「反則」
「なにが?」
「惚気」
「今の、その内に入る?」
「肯定」
「思ったこと言っただけなんだけどなあ」
「鈍感」

 乙女心は複雑なのだ。
 
「そんなこと言われても……」
「謝罪」
「弄んだから?」
「肯定」
「ええ〜? どうしようかな〜?」
「要求……!」

 大袈裟な演技で焦らす義人に、頬を膨らませてリツが詰め寄る。二人して早速出来上がっていた。
 気の置けない相手と二人きりで飲むからこその早酔いであった。
 
「嘲弄! 嘲弄!」
「なんかお前中国人みたいになってるぞ」
「陳謝ー!」

 当短編に登場する人物、設定、口調は全てフィクションです。特定の人種を貶める意図は含まれておりません。
 
「請願! 要求!」
「怒った顔も可愛いなーお前」
「〜〜!」

 まるで猫がじゃれ合うかのように、両者仲良く軽口を叩き、感情の花を咲かせ合う。二人を中心に周りの温度が上昇し、心に纏った恥じらいや遠慮のベールをどんどん脱がせていく。
 
「……ああ、うん」

 そしてついに義人が動く。煽りを止め、グラスをテーブルに置き、暖かな笑みを浮かべながらリツに向き直る。
 
「?」

 それを見たリツも動きを止める。
 
「良かった。いるんだ」
 
 意味不明な呟き。この後何をするのか、不安半分期待半分でリツが待ち構える。
 そのリツを、唐突に義人が正面から抱きしめる。
 
「!?」

 突然のことにリツが目を白黒させる。面食らったのも無理はない。
 
「!?」
「うん、いいなこれ」
「奇襲! 当惑! 怪訝!」
「ごめん。ちょっと抱き心地良過ぎるから、もうちょっとこのままで」
「奇矯!」
「……嫌だったか?」
「!」

 義人が耳元で申し訳なさそうに囁く。それを聞いたリツの肩から力が抜け、強張った心がみるみる氷解していくていく。
 
「リツ?」
「……卑怯」

 貴方はずるい人だ。
 好きな人から間近でそんなことを言われて、拒絶できるわけないではないか。
 
「貴方。卑怯。篭絡、卑怯」

 今の心境に相応しい熟語を、思いつくままに列挙する。しかし彼女の顔は憎しみに塗れておらず、代わりに悔しさと嬉しさと愛しさで真っ赤になっていた。
 どれだけ突然のことであろうが、好いた相手から真心こめて抱き締められるのを拒否できるわけが無い。
 
「本当にごめん」
 
 そこに義人の言葉が飛ぶ。

「暫くこのままでいさせてほしい」

 純粋な懇願を発する。義人の両腕にほんの僅か力がこもり、リツと自分を密着させる。
 リツはそれを拒まなかった。

「理由」

 拒む代わりに疑問を投げる。義人はなぜそれで安心するのか。
 そもそも何故、いきなり自分を抱き締めようと思ったのか。

「言わなきゃ駄目?」

 耳元で義人の声。リツが返答する。

「回答」

 言葉で表してほしい。言語機能に異常を持ったオートマトンの、ささやかなわがまま。
 義人は抵抗しなかった。抱きついたまま、己の気持ちを素直に吐き出した。

「嬉しいから」
「?」
「さっき話してたら、不意にリツが近くにいるって思えてさ。それで嬉しくなって、つい抱き締めちゃった」

 偽りない義人の答え。
 
「熱気」
 
 それだけなのに。
 体内の動力コアが激しく振動する。
 全身が発熱する。冷却機能を振り切った熱が体表温度を著しく上昇させる。
 体が熱い。人間の言葉だけで熱暴走を起こすなんて。
 
「発熱」
 
 二字熟語を心の中で呟く。
 ああ。私はこんなにも変わってしまった。
 
「……以上?」
「以上だよ」
「了解」
「……これでいいかな?」
 
 私を変えたのは貴方だ。
 本当に貴方はずるい人だ。
 
「……納得」

 でも、悪い気はしない。
 
「感謝」

 ちゃんと答えてくれたお礼に、リツが義人の身体を抱き返す。
 人間とオートマトンの身体がより密着し、それぞれの心音とコアの波動を響かせ合う。
 
「理解」

 そして理解する。
 義人を近くに感じられる。
 それがたまらなく嬉しく、愛しい。
 
「堪能……♪」

 もっと味わいたい。義人を抱く腕に力がこもる。
 義人も負けじと力を込める。
 二人の身体がさらに密着する。
 足りない。雄と雌の本能が同時に叫ぶ。
 
「リツ」

 義人が話を切り出す。リミッターを外したケダモノが、身を離して愛するオートマトンと向き合う。
 リツがその義人をまっすぐ見据える。オートマトンの視線を、義人が正面から受け止める。
 
「もっとほしい」

 一人の男が、浅ましい欲求を白状する。その義人を慰めるように、リツが彼の頬に手を添え言う。
 
「共感」

 頬を上気させ、機械の雌が艶やかに微笑む。
 濡れた唇が吐息を紡ぎ、それに合わせて言葉を放つ。
 
「性交」

 臆面もなく放たれる直球の言葉。
 それがいい。その自分を偽らない正直なところに、義人は心底惚れていた。
 
「やろうか」

 義人が答える。微笑んだまま、リツが小さく頷く。
 十二月三十一日。午後十時三十二分。
 年に一度の催事。どうでもいい。
 この煩悩は誰にも消せない。
 
「先にシャワー浴びようか」
「肯定」
「本番はその後で」
「承知」
「それじゃあ」
「入浴」

 体を離し、揃って立ち上がる。手を握り指を絡ませ、横並びに身を寄せあって風呂場へ向かう。
 
「背中流してくれるか?」
「御意」
「俺もリツのこと洗ってあげるから」
「承諾」

 午後十一時二十二分。入浴はつつがなく終了した。
 
 
 
 
 布団の上で二匹のけものが乱れ合う。
 雄が棒で突き、馬乗りになった雌が嬌声を上げる。
 遠くで鐘が鳴る。
 精の滾りを胎内で受け入れる。愛する魔力が生み出され、機械の体を生々しい快楽が駆け巡る。
 視界が明滅する。頭が弾けて馬鹿になる。
 雄が上下を再開する。絶頂を迎えたばかりの無防備な神経系に、再び肉悦の暴力が襲い掛かる。
 理性が鏖殺される。脳機能が停止し、欲望のままに機械が吠える。
 青臭くどろりとした奔流が子宮を汚す。己の全てを雄の色に染められる。
 遠くで鐘が鳴る。四十八回目。
 果てた回数と同じだ。
 FRe-リツは無意識に計算していた。
 百八回。このまま百八回イかされるのだろうか。
 
「……愉悦……♪」

 想像した直後、心が悦びでいっぱいになる。もっとしてほしいと愛が叫ぶ。
 衝動が暴走する。欲望のまま、顔面が醜く淫靡に歪む。
 それに応えるように、雄が腰振りを再開する。
 愛に飢えたインキュバスに中休みは無い。
 
「リツ! リツ!」

 インキュバスが叫ぶ。肉の棒が鉄の子宮を叩く。オートマトンがそれを受け止める。
 腰が浮く。
 遠くで鐘が鳴る。
 愛を知ったオートマトンが絶叫する。熟語越しにしか会話は出来ないが、叫ぶことは出来る。
 
 「――!」
 
 まだ止まらない。止まりたくない。二人のけものの気持ちは一緒だ。
 
「リツ、もっと行くぞ……!」
「合点ッ、了解ッ、精子……ッ!」
「もっと出すからなッ。もっと出すッ!」

 遠くで鐘が鳴る。
 雌が叫ぶ
 煩悩が一つ増える。
 年跨ぎの姫始めは、そのまま朝方まで続いた。
 
 
 
 
 午後六時六分。
 早朝。
 理由も無く、リツは不意に目を覚ました。
 
「……」

 無意識に視線を横に向ける。そこには愛しい人が全裸で眠っている。
 季節は冬。しかし魔力の充満したこの部屋で、それを気にする者はいない。
 こういう時はとりあえず魔力と言っておけばいいのだ。
 
「……♪」

 話を戻す。幸せそうに寝息を立てる義人を見下ろす中で、リツの胸中に愛しさがこみあげてくる。同時に部屋に満ちる精臭が、昨夜の情事の激しさを言外に伝えてくる。
 
「幸福♪」

 獣欲を思い起こして恥じらう時期はとうに過ぎている。今のリツは、セックスのフラッシュバックで興奮出来る域にまで達していた。
 義人と夜通し交わったことを思い出して、どうして恥じることがあるのだろうか。リツは素直にそう思った。
 
「感謝」

 今だ腹部に残る温もりに意識を向けながら、リツが義人の寝顔を見る。大好きな男の静かな寝息が、鋭敏化したリツの聴覚センサーを心地よくくすぐる。
 素敵な人。大好きな人。自分を受け入れてくれた人。
 
「……」

 やがてリツが手を伸ばす。細いリツの手が義人の顔に近づき、人差し指の爪で彼の頬をそっと撫でる。
 暖かく弾力がある。その熱と触感さえも、リツの心を昂らせていく。
 
「素敵」

 本当に素敵な人。
 自分とは大違い。
 
「……」

 言語機能の異常。コミカルだと言う者もいるが、笑い話ではない。
 自分にとっては深刻な問題だ。リツにとって、それは立派なコンプレックスだ。
 愛する者と交わり、魔力をその身に蓄えていけば、その内機能修復は為されるだろう。そう話してくれた者もいる。
 そうであると願いたい。そうでなければならない。リツは切にそれを願った。
 しかし。
 それでも。
 
「義人」

 リツは時折不安になった。外の世界を知り、自分の欠陥を理解する中で、彼女は自分が周りに比べてどれだけ性能的に劣っているかを嫌というほど実感した。それが不安の根源であり、それが根元から消え失せることはついぞ無かった。
 その話をする度に、義人は気にするなと笑ってくれる。だがリツは、それを忘れて前に進むことは出来なかった。
 自分を愛してくれる人のために、この機能だけは正常に戻したい。それはリツのわがままであり、当人はそれを次のステップに進むための「けじめ」であると考えていた。
 
「断固」

 だからリツは諦めない。貴方に相応しい女になるために。もっと貴方を喜ばせられる女になるために。
 リツは前を向く。腐らず逃げず、今を生きていく。今を生きることが未来に繋がると信じているから。
 だから。それまで。
 
「断金」

 どうか私を、傍に置いてください。
 出来損ないの私を見捨てないでください。
 
「何卒……」

 眠る義人の顔へ向かって、オートマトンが顔を寄せる。
 眠り姫の唇に、自分の唇をそっと被せる。
 懇願のキス。快楽を求めない、心からの願いのキス。
 
「ッ……」

 渇いたキスは、塩の味がした。




 新年。午後六時二十二分。
 リツと義人の旅路は、始まったばかりだった。
19/12/31 22:49更新 / 黒尻尾

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