読切小説
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名前を教えて
 昼下がり、都心部の公園。

 太陽が真上に昇ろうかというこの時間帯、公園には様々な人物が集まっていた。

 これから昼食であろう弁当を手にしたサラリーマン、子供を連れ井戸端会議に勤しむ主婦、授業をさぼったであろう学生、散歩途中の休憩の老人。

 そして、その中に今回の話の主役である青年も座っていた。
 
 青年は何をするわけでもなく、ベンチに深く腰掛け背もたれに寄りかかりながら、ボケっと雲の流れを見つめていた。

 そんな青年に一人の妖艶な雰囲気を持つ美女が一人。

 人間ではけばけばしくなるであろう桃色の長髪が不思議と上品に見え、サファイアブルーの垂れ目が女の妖艶な雰囲気をより一層倍増させていた。

 女の象徴である乳房は豊かに実り上着を押し上げ、尻は子を産むには苦労しなさそうなほど大きい。

 女は人間ではなかった、ここ最近日本に現れた魔物娘のサキュバスだった。

 そのサキュバスは空を見上げている青年に近づくと、胸を強調するように前かがみになりながらこう問いかけた。

「こんにちは。 お暇そうだけど、良ければ私とお茶でもどうかしら?」

 普通の男なら、こんな美女からお茶のお誘いを受けたらホイホイとついて行ってしまうだろう。

 しかし、青年は普通の男ではなかったようで、そうはならなかった。

「……」

「……ねぇ、良かったらお茶でも」

「……嫌だね」

 反応が無かったので再度サキュバスは青年に問いかけたが、その青年は鬱陶しげに顔を歪めながら視線だけを女に向けた。

「何で俺なんだ? 男なんてそこら中にいるだろう」

「それはあなたが気になったから……」

「そうやって上手い事を言って俺を連れ出して、関係を迫った挙句に金を毟り取る……美人局の典型的な手口だな」

「美人局って、そんな事は……!」

「ふん、騙す相手に自分の事を犯罪者だっていう犯罪者なんて、いるわけがねえだろう」

 青年の勝手な持論をサキュバスは否定するが、青年は一方的に捲し立てあげ……

「俺を馬鹿にするなよ、色狂いが」

 ペッと唾を吐き捨ててから、男はその場を去った。

 サキュバスはしばらく何を言われたのか理解出来ていないようだが、男に振られた事を知ると、沈痛な面持ちで肩を落としながら、その場をとぼとぼと帰った。
 

 



 翌日も青年は同じ時間に、同じ公園で雲の流れを眺めていた。

「こんにちは」

 すると、昨日手酷い扱いを受けたサキュバスが、めげずに青年に声を掛けた。

「……ハァ、またアンタか」

「隣に座ってもいいかしら?」

「好きにしろよ」

 男の許可を得ると、おずおずとサキュバスは男の隣に座った。

 しばらく、静寂が空間を支配していたがサキュバスから質問を投げかける事で静寂は途切れた。

「あの……貴方の名前を聞いてもいいかしら?」

「嫌だよ、個人情報だからな」

「そ、それじゃあ私の名前を教えるから、交換ってことで貴方の名前を聞かせて?

 私の名前はマノンって言うの、貴方のお名前は?」

「……」

「ダメ、かしら……?」

「……ナツとでも呼べ」

 嫌そうにではあるが、仮名らしき物を男は……ナツは言った。

 名前を聞いて、パッとマノンの顔が明るくなる。

「ナツ……ナツっていうのね! 素敵な名前だと思うわ!」

「世事はいらねえよ」

「お世辞なんかじゃないわ……貴方は、私の名前をどう思う?」

「……まあ、悪くはないんじゃねえの」

 照れ隠しのように、ポリポリと頬を掻きながら答えるナツ。

 昨日の辛辣な態度とはまるで人が変わったようだが、それには理由があった。

 先日、実はマノンはナツと出会ったとき、誘惑の魔法をコッソリ使っていたのだ。
 
 しかし、それを本能的に感じ取ったナツは魔法に抗うために、あんな態度をとった。

 もし、二度も魔法を使われると、次は間違いなく抗えなくなるだろう事を、心のどこかで悟ったため、わざと無視したり辛辣な態度を取ったりもした。

 だが、こうしてまた二人は出会ってしまった。

 当然、マノンは誘惑の魔法を使い、ナツはそれに抗えない。

 それ故、急激に態度も軟化した……というわけである。

 実際、昨日のナツは半目で白けていた表情を見せていたのに、今の夏は顔を若干赤らめているのを見れば、一目瞭然である。

「ね、こうして話してくれたのも何かの縁だと思うの。

 どこかのカフェでお茶でも飲みましょう?」

「……俺、金持ってねえよ」

「いいの、お茶代ぐらいなら私が出してあげる。

 ほらっ、行きましょ♪」

「……っ。

 分かった、分かったから引っ張るな!」

 ナツの手を取り、嬉しそうに先導するマノン。

 その顔は昨日見せていた沈痛な面持ちとはまるで違い、実に明るい笑顔に満ち溢れていた。

 このままナツはあっという間にカフェに連れていかれ、そのままあれよあれよという間にホテルに連れていかれ。

 二人は身体を何度も重ねた……のだが、ナツはこの時の記憶がまるでなかった。

 ただ、無性に『満たされていた』事だけが記憶に残っていた。

 そして、次の朝。






「……」

 ホテルのベッドの中で、ナツは目を覚ます。

 ふと、隣を見ると隣には誰もいない。

(……やはり美人局だったんだろうか……そうか、それもそうだ。

 人の善意に悪意で返すような、俺みたいなゴミに、あんな美人が……

 悪い夢……いや、いい夢だったと思って、諦め……)

 ナツがベッドのシーツを握りしめながら、唇をかみしめていたその時。

 バスルームへと繋がっているドアが開いた。

「あ……起こしちゃったかしら?」

「マノン……」

 扉から現れたのは、バスタオルで胸を隠しただけのマノンだった。

 火照った肌と濡れた髪が実に艶めかしい。

「……どうしたの? 泣いているみたいだけど……嫌な夢でも見た?」

「あ?」

 マノンに言われて、顔に手をやった所で、ナツは初めて自分が涙を流していることに気が付いた。

「もし、嫌な夢でも見たのだったら……」

 マノンがナツの隣に座り、彼の涙をそっと拭いながら、手を重ねてきた。

「これからはずっと、いい夢を見ていきましょう?
 
 私がずっと、ずーっと幸せな夢を見させ続けてあげるから……」

 そういってから、マノンはナツを胸元へと抱きしめた。

 母親が泣き止まない子供にするような、優しい抱擁であった。

 それと同時に、堰を切ったかのように、大きく泣き始めるナツ。

 自分でも理由の分からぬ、心の中から溢れる激情に耐えられなかった、戸惑いの涙だった。

 マノンは、ナツが泣き止むまで、ずっと優しく抱きしめながら、彼の頭を撫で続けていた。

 十数分もすると、流石に泣き止んだのか、鼻水を啜りながらも彼はマノンの胸元から離れる。

 タオルをしていないこともあり、乳輪も乳首も丸見えだったが、それを気にする余裕は彼には無かった。

「マノン……その、一つ言いたいことがある」

「何かしら?」

「俺の、本当の名前は……その……」
 
 ナツが俯きながら言いづらそうにしていると、マノンが人差し指を彼の口元に軽く当てた。

「ダメ、今はそれ以上言わないで?」

「……何でだ?」

「『ナツ』は貴方が初めて教えてくれた名前だから。

 私はこの名前を大切にしたいの」

 少し、照れ臭そうに笑うマノン。

「もちろん、あなたの本当の名前も知りたいとは思うわ。

 でも、今のあなたはただの『ナツ』で、私はただの『マノン』……それで、いいと思わない?」

「サキュバスのどこがただだってんだよ」

「あっ、もう。 そういう事言っちゃ『メッ』よ?」

 互いに笑いあう。

「……そろそろ時間ね、もう服を着て出ましょう」

「それはいいんだけど……俺達、いつここに来たんだ?」

「昨日の夕方よ」

「ってことは、宿泊で?」

「ええ……もちろん、お金は私が出すわ。

 私が連れ込んだんだから……ね?」

 ブラウスのボタンを留めながら、悪戯っぽくマノンは笑った。

 その顔にナツは何か言いたげに口を尖らせたが、結局何も言えなかった。

 部屋を出て、マノンがフロントに料金を支払い、ホテルを出る。

 すでに太陽が明るく街を照らしていた。

「ね」

「うん?」

「貴方のお家に連れて行って?」

「お、おう」

 差し出されたマノンの手を、ナツが握りしめる。

 二人は手を繋ぎ、肩を並べて歩き始めた。
19/10/09 02:23更新 /

■作者メッセージ
なんで昨日の自分はこれをかけなかったんだ……
やはり気分が抑鬱している時に作品を書くものではないですね……

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