読切小説
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新しい宝物はお前に決めた
どこだ、どこにいる。
グリフォンのリンは自身の住処である塔の周りをぐるぐると飛びながら、その鋭利な刃物のように鋭い目つきで、塔のどこかに潜んでいる侵入者を探していた。
一言で塔と言っても、単に大きな建物が一本そびえ立っているというわけではない。
陸地から離れた海の上に数本の塔が建てられており、そこへ続く、今はほとんどが海に沈み、数本の塔への道だけが残る、何百年も前は小さな都だったであろう場所全てを塔と、リンを含めた、ほとんどの者たちがここをそう呼んでいた。
リンはチッと舌を鳴らすと、一番近くの塔の頂上へと降り立った。本来なら飛び回らずとも、ほとんどを見渡せるほど見晴らしがいいにも関わらず、侵入者が見つけられないことにリンは苛立っていた。
本当は侵入者などいないのではないか、そんな考えが一瞬頭をよぎるが、いや、必ず侵入者はいる、とリンの本能とプライドがすぐに不安を打ち消した。
そもそもグリフォンは侵入者や盗掘者の、宝物への欲望を察知することができ、それを頼りに彼らを探す。だが、ここ数十年、リンのテリトリーであるこの塔に忍びこんだ者はおらず、そのためにリンの感知能力とでもいうべき力が鈍っていたのは確かだった。
しかし、それ以上にリンには侵入者を見つけられない理由があった。
日はすでに海の中に落ちようとし、最後の足掻きとばかりに西の方で真っ赤に燃えていた。早く見つけなければ夜になってしまう。夜目が利く方ではないリンにとって、夜の闇に紛れこんだ侵入者を見つけるのはかなり厳しい。
リンは苛立ち、焦る気持ちを抑え、深呼吸を繰り返し、欲望を感じ取ることへ意識を集中させていく。本来ならこんなことをせずとも、一瞬で欲望の発生源が分かるのだが、なぜか今回は靄がかかったかの様に、漠然とこの塔の中にいることしか分からなかった。
侵入者や盗掘者にしてはずいぶんと欲がない、かといって、こんなところに無欲な旅人が迷い込むはずもない。では、今この塔に忍びこんでいるのは何者なのだろうか。
「ええーい!そこにいるのは分かっているんだぞ!大人しく出てこい!」
塔全体を震わせる、咆哮にも近い大声をリンはあげる。だが、それは海にほんの小さな波紋を生むばかりで、それ以上の変化を起こすことはできなかった。
「…いるはずだ。いるはずなんだ…」
リンは下唇を噛むと、そっと腰を下ろし、何度も見渡した風景を眺めた。
ここで諦めることは侵入者に負けを認めるだけでなく、自身の能力がまるで役立たずに感じられてしまう。プライドの高いリンにとってそれだけは認めたくないことだった。
しかし、そんなリンの考えとは裏腹に陽の光は次第に弱くなっていく。
帰ろうか、ついにプライドが折れ、ふと自身が寝床とし、宝物を隠している塔に目を向けた時だった。崩れかけた塔の階段を小さなリュックサックを背負った少年がひたすら上を目指して駆け上がっていくのが見えた。
やった!
リンはそのまま立ち上がらずに塔を足で蹴り、空に飛び出す。そして、すぐさま翼を広げ、少年の姿が見えた塔の頂上へ向けて飛んだ。その顔は子供の様に満面の笑みを浮かべていた。
音を立てない様に塔の頂上手前の窓に着地すると、すぐに頂上の寝室の方からガサゴソと何かが動いている音が聞こえた。リンはふぅ、と息を吐き、高鳴る鼓動を抑えながら、ゆっくりと階段を上がっていく。
階段を上がるにつれ、動く音と胸の鼓動音がリンの耳を支配していく。そして、寝室のドアが見えた時には、リンの我慢は限界だった。
「そこで何をしている!返答次第ではただではおかんぞ!」
ドアを蹴り開け、無我夢中で叫ぶリンの目に入ったのは、シーツが引っぺがされたベットに、全ての引き出しが開かれた机やタンス、そして、部屋中に撒き散らされた宝物の数々、という様なリンの予想に反し、少年がいる以外いつもと何も変わらない様子の部屋だった。
少年は突然開かれた扉に驚くことなく、そっと振り返る。
垂れた髪からはポタポタと止めどなく水が滴り、濡れた服がべったりと体にくっつき、少年の細身ながらも、付くべきところにはしっかりと筋肉の付いた、健康的な体のラインを映し出していた。
互いに黙って睨み合っていたが、不意に少年が窓に向かって走り出し、そのまま体を丸めて突っ込んだ。パリンと窓はなんの抵抗も見せず、高い音を立てて割れ、少年はそのいくつかの窓の破片と共に、海へと真っ逆さまに落ちていく。
「なっ!?バカな!?」
リンはすぐに少年と同じように窓から飛び出し、落ちていく少年に手を伸ばした。
塔の下は海、地面よりかは幾分かマシだろうが、それでも二百メートルは下らない高さの塔から落ちれば、ただでは済まない。そのうえ、近くに海岸はなく、もし生きていたとしても、絶壁の打ち付けられ、身動きが取れなくなってしまう。
無謀、少年の行動はその一言に尽きた。
リンは自分たちグリフォンが人間たちにどう認知されているかは知らない、だが、少なくともリンには人間を殺す気や、痛めつける気は全くなかった。必要であれば追い返すために脅かすくらいしかするつもりはなかった。
しかし、あの少年の行動を見るに、自分たちはそんなにも恐れられているのか、リンは重力に従って落ちていく少年の足を追いかけながら、胸のあたりがチクリと痛む思いに苛まれていた。
もう少し、手がもう少しで少年の足を捕らえそうになった時、少年は顔をリンの方へと向けた。その瞬間、ボン!ボン!と大きな破裂音がいたる所から聞こえた。
驚いたリンが横に顔を向けると、塔へ続く道や、数本の塔から眩しい閃光と激しい炎が上がり、まるでお菓子の塔から砂糖がポロポロと落ちるように、瓦礫が海へと落ちていく。
そんな光景にリンが唖然としていると、バッシャーン!という音共に大量の水飛沫が顔にかかった。
しまった、リンがよそ見をしている間に、リンと少年の間はずっと開き、もう少しで届きそうだった少年はすでに海へと落ちてしまっていた。リンはすぐに翼を広げ、自分も海に突っ込まないように急ブレーキをかける。
太陽のほとんどが隠れ、残り陽だけとなった海はどんどんと黒く変色していく。リンは必死で目を凝らし、少年の姿を探した。さすがのグリフォンでも泳ぐことは出来ない。そのため、少年が浮いてくるのを待つしかなかった。
「くそッ!どこだ!?頼む、上がってきて、ぐっ…!?」
リンが祈るようにして少年の姿を探していると、背中に重たい物が覆い被さってきた。もがく時間もなく、リンは海面へと叩きつけられ、そのままどんどんと真っ暗な海の底へと向かって落とされていく。
なんの準備もなく、突然酸素の無い場所へと追いやられたリンは慌てる以外に出来ることがなかった。だが、それも背中の激痛によってかなり制限された動きでしか慌てることが出来ない。
幸いだったのは、底がそこまで深くなく、海面から数メートルのところだったことだ。
小さく細かい砂に手をついて着地する。だが、すぐに背中に信じられないほど重い圧がかかる。リンが首を回すと、そこで初めて、自分の背中に覆い被さっているのものが、塔の残骸だということに気がついた。
リンは右手だけで踏ん張り、左手で残骸に向かって裏拳を放つ。しかし、水中で鈍る動きに加え、酸欠状態のリンの裏拳に残骸を破壊するだけの力はなく、逆にリンの左手が傷ついた。
あぁ…もう、駄目かもしれない…。取り払うことの出来ない背中の重り、空っぽに近い肺、暗くなっていく視界にリンは諦めていた。
だが、不思議と死にたくない、もっと生きたい、というような生への渇望は湧いてこなかった。むしろ、こんな所で死ぬのか、という虚しさの方が大きかった。
リンは手から力を抜く、すると、すぐに残骸がリンの頭を底へと押さえつけた。しかし、意識の無くなりつつあるリンは痛みを感じることはなかった。
リンはゆっくりと目を閉じた。


ザーッ…ザーッ…。
ゆったりとした波が打ちつける音に、リンは静かに目を覚ました。そのぼやけた目にまず入ったのは、満天の星々が輝く夜空だった。塔に住んでいた時は専ら、暗くなると寝室に入り、出てくることもなかったリンにとっては、それらの星々はとても新鮮なものと感じられた。
そして、そのまま重たい体は動かさずに、顔だけを右に向けると、パチパチとリズムよく鳴る炎と、その横で機械の様に定期的に木の枝を焚べる、あの少年の姿が目に入った。
「おま、痛っ…!」
起き上がろうと体に力を込めたリンだったが、背中の全身に響く様な痛みのせいでそれは叶わなかった。
少年は一瞬だけリンの方を向くが、すぐにまた火の方に顔を向け、木の枝を焚べ始めた。好意も無ければ、敵意もない。そんな少年の態度に、リンは体が痛まないよう体勢に戻しながら、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「…お前が助けてくれたのか?」
夜空を見上げながら、おずおずとリンが尋ねる。だが、少年はいつまで経っても答えようとはせず、ただ黙って火を見つめていた。
リンは体を横にし、少年と向き合う。
少年はタンクトップにショートパンツというこの時期には少し肌寒いような格好をしていた。そのうえ、多少乾いてきているようだが、それでも、まだまだびしょ濡れと言っても差し支えない髪や体だった。
何か拭くものは無いのか、リンは目だけを動かして、少年の周辺を探す。だが、あるのは、同じくびしょ濡れのリュックサックと、木の枝のみで、それ以外のものは無さそうだった。
チッ、つい出てしまった舌打ちを隠すように手を口に当てようとした時、リンは自身の体に大きめのタオルが数枚かかっていることに気がついた。
「これはお前のか…?」
「あぁ…」
「だったら、これで早く体を拭け。そんな体じゃ、風邪を引いてしまうぞ?」
かかっていたタオルをリンは少年に渡す。だが、少年は数枚あるうちの一枚だけを受け取り、体を包むように被る。
「まだあるぞ?」
「それはお前の分だ」
目も合わさず、タオルで包まれた体から手だけを出して、木の枝を焚べながら少年は言った。あ、ありがとう、リンは恥ずかしげに礼を言うと、少年と同じようにタオルにくるまった。
「…さっきの質問に答えてくれ。お前が私を助けてくれたのか?」
「…お前の寝室であろう、あの部屋に仕掛けるはずの爆弾が余った。お前は運が良かった、それだけだ」
「…?よくわからないが、お前が助けてくれたんだな」
少年の言っていることがよく理解出来なかったリンはそう決めつけた。少年もそれを否定はしなかった。
「隣に座ってもいいか?」
「お前の好きにすればいい」
背中の痛みがだいぶマシになってきたリンは起き上がり、少年の隣に座った。こうして並んでみるとよく分かるが、少年の身長はリンよりも一回り小さく、顔もどこかあどけない。だが、その瞳はまるで百戦錬磨の達人のように研ぎ澄まされたものだった。
「お前があの塔を破壊したのか…?」
「そうだ」
恐る恐る尋ねたリンに少年は即答した。その返答に迷いや罪悪感など微塵も感じられなかった。
「なぜだ?なぜあんなことをした!?」
「仕事だ」
「ふざけるな!」
リンは立ち上がり、少年を高い所から睨みつけた。
「仕事だと!?なら私はお前の仕事ごときのために、こんな怪我をし、住処を破壊されたというのか!?」
「そういうことになるな」
淡々と答える少年に、ふつふつと怒りの念が湧いてきたリンは、しゃがみこみ、少年のタオルを掴んだ。
「人の住処を荒らし、傷までつけたくせに、お前は何とも思わないのか!?」
「…お前のような魔物がいるとは思わなかった。それに、背中の傷は故意ではなかった」
少年はそう言うとリンから顔をそらした。その横顔はどこか苦しげだった。
「…すまん、その、助けられておきながら、こんなことを言って…」
少年の表情に毒気を抜かれたリンは、ぎこちなくタオルから手を離し、少年を解放した。問題ない、少年は小さく告げると腰を下ろした。
波打つ音が再び二人を包む。リンもゆっくりと腰を下ろすと、真っ暗な海の方を見つめた。近くに光源はなく、ただただ、星々にほんの少し照らされた黒い液体がゆらりゆらりと揺れているだけの、味気なくも、どこか落ち着ける景色だった。
「…そういえば、ここはどこなんだ?」
「あの塔から少し離れた場所、としか言いようがない」
「そうか…。お前の仕事は宝を盗むことじゃなかったのか?」
リンが火を見つめながら尋ねると、少年の肩が落ちた。
「違う。俺の目的はあの宝を破壊することだ」
「なぜ、そんなことをするんだ?盗むならとにかく、それではお前の得にならないはずだが…?」
驚くリンに、少年は無表情な顔を向けた。
「二百」
「えっ?」
「この塔の宝を盗もうとし、死んだ人間の数だ。この一年間のな」
少年は何の躊躇いもなくそう言うと、最後の木の枝を焚べた。
「そ、そんな…わ、私は人なんか殺して…」
怯えるリンに少年は慌てて首を振る。
「分かっている、お前が人を殺していないことは。死んだ人間たちは皆、あの塔への道中で死んでいた」
「道中…?」
リンは上空から見た塔周辺の映像を思い起こす。数本の塔のある方は海、入り口の方は高い山々に囲まれていた。
「あの塔がいつ、何のために建てられたのかのは分からない。だが、あの塔を守るための罠や仕掛けが道中には張り巡らされていた」
「そう、だったのか…。知らなかった。すまない…」
自分が悪いわけではない、リンにもそれくらいは分かっていた。だが、何となく謝らずにはいられなかった。少年はそんなリンに首を傾げた。
「なぜ、謝る?」
「それは、その…」
「お前は何も悪くはない。連中が自身の能力を見誤っただけだ」
「そんな言い方…!」
事実だ、少年は吐き捨てる様に呟くと、火に目を向けた。先ほどまで明るかったはずの火は次第に力が弱まりつつあった。
「…たくさんの人間が死んだのは分かった。なら、どうして、わざわざお前は来たんだ?それも、宝を破壊するためなんかに?」
「大量の人間が死んでいるにも関わらず、あの塔の宝を目指す、欲深な者たちは数多かった。だから、そんな連中を止めるためにも、あの塔を遠くからでも分かるように無くす必要があった。だから、爆破した」
少年はこともなげに言うが、タオルからはみ出した手や足に無数の切り傷があることをリンは気がついていた。こんなに傷ついてまで、この少年は欲深な者たちを止めるためにあの塔に来て、あまつさえ、自分のことさえも救ってくれた。
リンは自然と微笑んだ。
「…優しいんだな」
リンの意外過ぎる言葉に、少年は慌てた様子でリンの方を向いた。だが、その表情はどこか暗い。
「俺は優しくなんかない。本当に優しい、俺を育ててくれた連中は皆死んだ…」
「…すまない」
「気にしなくていい」
少年はそう言うと顔を伏せた。まるで、涙を零さぬよう堪えるように。
「ッ…!」
リンはそんな少年の頭を抱いた。
濡れた髪は冷たいが、それでも少年の頭自体は温かった。リンは優しく少年の後ろ髪を撫でる。最初はもがくように動いていた少年だったが、力ではリンに敵わないと悟ったのか、すぐに大人しくなり、リンの二つの大きな乳房の間に挟まれていた。
数分間、リンは少年の頭を抱きしめると、不意に顔を少年の耳元に寄せ、小さく囁いた。
「助けてくれて、ありがとう。だが、お前のせいで私は守るべき宝が無くなってしまった。だから…」
リンは胸から少年を解放し、その赤くなった頬を包む。
「今度はお前が私の宝物になってはくれないか?」
「…俺なんかでいいのか?」
「むしろ、お前でなければ駄目だ」
リンは優しく微笑むと、自らの唇を少年の唇へと押し付けた。


いつの間にか背中の痛みが消えていた。少年の応急手当てが良かったのか、あるいは、彼の精によるものなのか、定かではないが、どちらにしても彼のおかげで、リンは彼をしっかりと抱いて飛ぶことが出来ていた。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。私の名はリン。お前の名前は?」
「……だ」
「なに?すまない、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
風が耳を掠めているせいで、少年のボソッと呟いた声が聞こえなかったリンは顔を少年の方へと向ける。だが、少年は目を瞑り、小さく寝息を立てていた。リンは苦笑いを浮かべた。
さすがに昨日は無理をさせ過ぎたか。塔の爆破し、リンを担いで海岸まで泳ぎ、そのうえ…。
リンは高度を下げ、ゆっくりと近くの街へと飛ぶ。その手にしっかりと新しい“宝物”を抱きながら。
16/12/16 10:27更新 / フーリーレェーヴ

■作者メッセージ
読んでいただきありがとうございました。

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