連載小説
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第五章
後にレヴィは、彼女の友人クィルラの夫について、あの黒服の少年についてこう述べた。
"彼は想像を絶する狂気と、人間特有の妄信の結晶だといえる。少しでも常識ある者がその誕生の瞬間に居合わせたなら、彼は生まれず、極秘裏の悲劇も起こらなかったに違いない。はるか昔は、我々魔物が人間を襲いその肉を喰らったとされている。だが魔物が脅威ではない現在、我らが愛する人間がこの世で最も恐るべき存在となってしまったのではないかと、あの教団の所業を見るたびに、私はそう思ってしまうのだ"

レヴィとクィルラはぼやけた景色をしばらく眺めていた。不鮮明極まるその景色をずっと見続けていれば、やがて一度食べた物が戻ってきてしまうような気がしてクィルラは固く目を閉じた。一方のレヴィは何かを探すようにそれを必死で見続けている。こんなものに慣れているのか、はたまたそのような嫌悪感にひどく鈍感なのかをクィルラは尋ねようとしたが、後者であった場合は余計な怒りを買ってしまうかもしれないのでやめておくことにした。
「いつまで酔ってるんじゃ、目を開けい」
レヴィの声が聞こえてクィルラが恐る恐る目を開けると、マーブル模様のような気味の悪い光景から一転、二人は広大な草原に立っていた。見渡す限りを緑が覆い、他の物といえば岩が点在するのみだった。だが、やや遠くを見れば北の方角に城と周りを囲う城下町のようなものが見える、クィルラはそれを指差しレヴィに聞いた。
「・・・ありゃなんだ、どこの国だ?」
「恐らくはどこかの教国じゃろう、まあそれよりアレを見ろ」
レヴィが指差した先にあるのは七つの人影だった。そのうち五つは同じ格好をしている。紫色のローブと白い手袋を身に付け、地面に描かれた五芒星の頂点にそれぞれ立ち中心にいる六つ目の幼子の人影にその視線が集まっている。そして七つ目は、クィルラもレヴィも良く知るあの長身の男だった。
「町の者が、あの男をカルトスと呼んでおった。奴自身が名乗ったのだろう」
「じゃ・・・じゃあ、アイツの本当の名前はなんなんだよ!?」
この事実にクィルラは驚きを隠せない。そしてふと、カルトスという言葉を初めて聞いたときのことを思い出した。
忘れもしない、彼が襲撃してきた日。やっとの思いであの狂戦士を組み伏せ、その全身に全力で雷を流し込んだとき、彼は快楽に溺れることも、魔物の糧である白濁した精を放つこともなく、悲鳴をあげてただもがき苦しんだ。クィルラは自身の雷を人間相手に使うのは彼が初めてだった。しかし、姉妹喧嘩の仲でその効力自体は理解している。姉も妹も、快感に顔を歪ませ全身を震わせ雌としての嬌声を響かせながら絶頂を続けていた。二人を屈服させる為の手段として用いてはいたが苦しみを伴うものでは決してなかったはずだ。
「・・・全部、分かるんだよな」
「分かるとも、この男の記憶からお主の夫に関することを探し出した。これで全ての謎は解ける。」
レヴィとクィルラは七つの人影に近づいていった。それにつれて話し声がハッキリ聞き取れるようになっていった。無論、彼らが二人に反応することはない。これは過去ではなく記憶であり、それに干渉する類の魔術は今回は用いていないからだ。
「カルトス殿、見込みはあるんでしょうな。貴方を疑ってはいないが、これだけの物をつぎ込むのです。失敗すれば許されはしませんよ」
ローブを着た人物の一人がが念を押すように長身の男に問う。カルトスと呼ばれたその男はやや軽蔑するような顔をしてそれに答えた。
「"これだけの物"か、大した自尊心だな。何度も言ったはずだ、一分のミスも無ければ必ず想定通りに事が運ぶと。今失敗が許されぬのは貴方達の方だ」
ローブを着た人物はこれ以上質問することをやめて幼子に向き直る。そして一人が五芒星の頂点に触れると、それが合図となってカルトスがやや後ずさり距離を置くのと同時に、残りの人物が全員自分の立つ頂点に手を置いた。
「一瞬たりとも集中を切らすな。それだけでこの場に居る全ての者が死に、この計画は水泡に帰す。よいな坊や、何があろうとその場を動くでない。では、始めるぞッ!」
その言葉と同時に五芒星が輝き五つの人影から光の柱が伸びる。刹那、その場が光に包まれたかと思うと、五芒星のいたるところから光の玉が飛び出し次々に中心の幼子にぶつかっていく。幼子が悲鳴をあげその場に倒れても光の玉は全く容赦することがない。そしてぶつかった光の玉は一つ残らず彼の体に入り込んでいった。
「や、やめろ!やめろーー!!」
クィルラが思わず飛び出し中心に居る幼子を庇うように覆いかぶさった。しかし、光の玉は彼女の体をすり抜けて相変わらず幼子に吸い込まれていく。それどころか、幼子でさえクィルラをすり抜け触れることすら出来なかった。
「無駄じゃ・・・今見ていることは既に起こったこと。それを変えることはできん」
レヴィの言葉を聞き、クィルラは絶望したようにゆっくりと幼子から離れ、レヴィの下へ戻った。
「これ、あいつなんだろ・・・?今そこで殺されかけてんのがあいつなんだろ!?」
レヴィは「間違いない」と頷き、クィルラの言葉を認めた。クィルラは文字通り、それをただ見届けることしかできなかった。
数分間、そんな光景が続いた。光の玉ははち切れんばかりに幼子の体に入り込み続けている。その数は既に千を超えただろうか。辺りにはそれが飛び交う音と、幼子の悲鳴ばかりが響き渡っている。二人はその光景を見続けた。今この場で起きたこと、そして次に見るものを決して忘れまいとひたすらに見続けた。
そしてようやく、最後の光の玉が幼子に入り込み全てが終了した。幼子は起き上がることもできず苦痛に耐えるように呻き声をあげ、ローブを着た者は一人残らずその場に倒れている。そして、ただ一つだけ立っている人影が、満足気な笑みを浮かべてそれを見ていた。
「成功です、カルトス殿・・・!」
ローブを着た者の一人がよろよろと立ち上がりカルトスに報告する。残り四人も続いて順番に力なく起き上がっていった。
「ご苦労、後は私一人が管理する。あなた方は高名なる魔道師諸君ではなく、歴史に残る大功労者として誇り続けるがいい」
「ご健闘をお祈りします」
五人の魔道師が同時にカルトスに頭を下げた。そして一人ずつその場から姿を消し、後には幼子とカルトスのみが残された。カルトスは幼子に近づきその様子をうかがす。幼子は未だに苦しみに呻くばかりで、カルトスがどれだけ近づこうとそれに反応することはなかった。
「少なくとも、慣れるまで一日はかかるか」
カルトスは踵を返し、幼子を草原に残し北に見える城に向けて歩き出した。そのまま姿は見えなくなり、とうとう残った者は幼子一人だけとなった。
「な、なんだ?連中何をしたんだ?」
クィルラが目の前の出来事を理解できずにレヴィに説明を求めた。レヴィは信じがたいといった様子でそれに答える。
「・・・憶測にすぎんが・・・あの五人は魔法使い、それも全員かなり高位のな。そして、恐らくその五人の力をまとめて全部あの幼子に無理矢理詰め込んだのじゃ。儀式が終わったあとにふらついていたのも、力を失ったせいじゃろう。じゃが・・・問題はそこではない。あんな年の子供に長年培った大きな力を五つも押し込んだらどうなるか・・・生きているだけでも奇跡じゃ。下手をすれば、暴走を起こしこの辺り一帯が焦土と化しても不思議ではない。まともな思考なら・・・考え付きもしないことじゃ・・・」
クィルラはレヴィの話を詳しく理解することはできなかったが、しかしあの連中が幼子の―自分の夫の命などまるで考えておらず、正気の沙汰ではないような事を実行したのだけは、なんとなく分かった。
「なんだよ、何がしたいんだよあいつら・・・」
うずくまる幼子を見てクィルラが心底悔しそうに呟いた。目の前には身に余る膨大な力を与えられ、それを必死に押さえ込もうと涙を流し、歯を食いしばり、必死に生きようとしている弱々しい姿しかない。この子がやがて、自分が初めて出会ったときのように狂っていく様を目の当たりにするかと思うと、彼女は強い憤りと吐き気を覚えた。
「時間を進めるぞクィルラ。明朝、奴は再びここに来るはず」
かける言葉が見つからず、やや事務的にレヴィはそう告げる。彼女も最初は知的好奇心に溢れていたのだが、もはやそんな面影はどこにもない。
景色があのマーブル模様に一瞬なったかと思うと、すぐに草原に戻る。光景は先ほどとほとんど変わっていない。わずかに違うのは、太陽が東から顔を出したばかりだということと、幼子がようやく立ち上がり呆然と辺りを見回していることだった。一晩、彼はここでもがき続け、ついにその力を抑え込むことに成功したのだ。
「収まったようだな」
カルトスがその様子をみて笑みを浮かべながら幼子に近寄ってきた。
「な、なに?昨日何をしたの?」
「知る必要は無い、さあ次の段階に進むぞ」
カルトスは幼子の問いに素っ気なくそう答えると、腰の剣を抜いて幼子に向けた。
「お、おい!あれ―」
再び幼子を庇おうとするクィルラをレヴィが制止した。
「クィルラ、もう一度言っておく。これから何が見えようとそれは過去のことなのじゃ。そして現に彼はこれを生き抜いて、今お主の夫として一番身近にいるではないか。ワシ達は、今はただ見届けるだけでいい・・・!」
その言葉でクィルラは平静を取り戻し、頷いて二人から距離をおいた。
その間にカルトスは幼子に向かって猛然と走り出し、彼の体を斬り裂かんと手に持った剣を大きく振るう。
「う、うわッ!」
幼子は腕を体の前に出し身を守ろうとする。その時だった、幼子の手から光が伸び、それが刀身のみで出来た一振りの剣の形となった。幼子は咄嗟にその剣でカルトスの剣を受け止める。一瞬の静止のあと、カルトスが真横に払い幼子はその方向に吹っ飛ばされた。
「そうだ、その力だ。それを使いこなさねば、貴様は死ぬ!」
カルトスはそれきり喋らなくなり、再び幼子に斬りかかる。幼子がそれを受け、そして吹っ飛ばされる。時折受け損ない、彼の腕に赤い線が描かれることもあった。次第に彼の体には傷と血が目立つようになっていった。それでもカルトスは一切の手を抜かない。たとえ幼子が力尽きその場に崩れようとも乱暴に蹴り起こし、立ち上がるとまた剣を交える。いつまでもいつまでも疲れを知らぬように戦い、否、一方的な暴力が続いた。だが当然のこと、カルトスが幼子に止めを刺すようなことはない。彼が目的としているのは幼子の腕を上げることだったからだ。
そしてもう一つ重要な目的があった。それは幼子の心を恐怖で埋め尽くすこと。死への恐怖心で身体を支配させ、そこから逃れるべく生きる力と意欲を幼子に芽生えさせ、それを育てる。最終的には、少しでも彼に危害を加えるような存在が近づけば、心から恐れて退けようとする。そうなれば彼は無鉄砲な死に様を演じることは決してなくなるはずだ。
カルトスはそう信じて止まなかった。そして登った日が傾きかけた頃、ようやくカルトスは剣を引き、何も言わずにその場を立ち去った。幼子は疲労と傷の痛みからまともに動くこともできずに倒れこみ、そのまま眠りについた。
そして、次の日の夜明けにカルトスはまた幼子の下にやってきた。安らかな寝息をたてる彼を蹴り起こし、剣を振るい、幼子が倒れ一日が終わる。そんな日々が延々と繰り返されていった。その中で、幼子はだんだんとカルトスが何を求めているかが分かってきた。次第に彼はカルトスが剣を抜く前に、自ら光の剣を作り出しカルトスに斬りかかっていくようになった。だが実力の差は歴然であり、彼は一太刀たりとカルトスに入れることは出来なかった。どれだけ抵抗してもいいようにあしらわれ、徹底的に痛めつけられた。
それでも幼子は剣を振るった。生き続けたいから、死にたくないから、全力でそれに抵抗する。カルトスの思惑通り、彼の中に凄まじいまでの生への執着が根付き始めた。
その様子を見たクィルラが耐え切れずに目を逸らすのと同時に、景色がまたマーブル模様へと戻る。

一ヵ月後のある日、カルトスは幼子の下へは赴かず、厳かな雰囲気のある部屋にいた。その部屋にはカルトスのほかにもう一人、法衣を纏った威厳ある老人がいる。
「あの子の成長速度は素晴らしい、あと数日あればこの計画も完了します。そこで、是非とも神官様のお許しを頂きたいのです」
カルトスが老人にやや嬉々として報告した。神官の老人はその報告に満足気な様子を見せる。だがカルトスの要求を簡単に呑もうととはしなかった
「彼の実力は良く理解しているつもりだ。そこの勲章が何よりの証拠」
神官が見つめる先には様々な剣の形を象った数多の勲章が並べられていた。
この国では年に一度、教国中の騎士を集めて最強の一人を決める大会が催される。並んだ勲章はそれぞれそのときの優勝者の剣を模し、その刀身部分に名前が彫られている。名立たる名剣が並ぶ中、最も新しい位置にどこにでもあるような取るに足らない剣を模した物があり、その刀身にはカルトスの名が刻まれていた。
「なぜ彼にそなたの名前を使わせたのだ、そなたはあのような大会など楽々と勝ち残れるだろう」
「私の力は見世物ではありません、あんな大会出ずとも構わない。それにあの子には名前が無い、そもそも、もはやあの子は人ではない、ただの兵器です、故に名前を必要となどしません。だから仮初でいいのです、実力を証明できさえすれば」
カルトスの言葉にクィルラは大きな衝撃を受けた。
「ふ・・・ふっざけんな!アイツにだって、考えて考えて、考え抜かれた名前があるはずだ!名前が要らない兵器だって・・・?そんな・・・そんな人間いてたまるかッ!!」
クィルラは飛び出してカルトスに掴みかかろうとする。だがやはり、カルトスは虚像のように彼女の身体をすりぬけ、微動だにしなかった。
「ち、畜生・・・!この、ド外道がッ・・・!」
がくりとうなだれ悔しさにクィルラの目から涙が流れる。同時に、この凄惨な悲劇を決して思い出させはしないと固く誓った。図らずも自分が彼の記憶を消し去ったことにより、彼は自分を愛し、そして伴侶となってくれた。その事実をかみ締め、これからも彼のそばで共に生きていこうと。この男を、二度と近づけさせはしない。彼に名前はある。カルトスという、心優しい人間として、自分の夫として、自分は彼の妻として生きていくのだ。
「捕らえた不死の魔物を数匹でいいのです。それさえあれば、あの子は我々にとっての英雄へと育ちます」
「一応、聞いておこう。逃す気ではあるまいな?」
「無論のこと」
時間にして数秒、神官は考え込んだが、やがてカルトスに向き直り静かに頷いた。
「よかろう、ただし極秘の裏にだ。教会が魔物を開放したと知れたら、信者の反乱が起きる」
「はっ!」
カルトスは神官に深々と頭を下げ、部屋を出て行った。神官は一人窓の外を眺め、そして呟いた。
「ここからが勝負。カルトス、決してしくじるなよ」

幼子は野生の動物を捕まえ、魔法で生み出した火で炙ってはその肉を食べていた。カルトスとの戦いでは光の剣を作る程度しか行っていないが、五人の力は絶大であった為、やりたいと思ったことはほぼ全て実現させることができた。
そして幼子は、今日は妙な日だと思っていた。すでに日は天頂に昇りかけているというのに、カルトスは一向に姿を見せない。いつもなら夜明けと同時に自分は苦痛と共に目が覚める。そのおかげで、条件反射というべきか目覚めたのはいつもと同じ時間帯であった。だがそれに続くものは未だに始まってすらいない。まあ、味わわずに済むのならそれに越したことはない。そう思って一時の休息をとろうとしたときだった。
後ろから、幼子に何かが抱きついてきた。
「!?」
幼子は身体をよじりそれを突き飛ばす。すぐに剣を作り出ししっかりと握り締めて突き飛ばした何かを確認した。ボロボロの衣服に青白い肌、真っ白に染まった髪。どうみても人間のそれではない。幼子は植え付けられた本能に従って剣を向ける。一瞬にしてその身体は真っ二つに切り裂かれた。
「な、なんだ・・・?」
生まれてこのかた魔物を見たことなどない幼子が、それを危険と判断するのは当然のことだった。それこそがカルトスの狙いだった。そして魔物の知識を一切持たぬ幼子は、一度斬り捨てたそれを見て安心してしまった。魔物の傷は一瞬にして塞がり、何事もなかったかのように立ち上がって、欲に満ちた瞳で幼子を見据える。
「ば・・・化け物!!」
幼子は再び手に持った剣を振るった。その場に倒れる魔物、そして再生。ならばと形も残さず切り刻んでしまおうとするが、それは失敗に終わる。魔物は一人だけではなかった。
「えへへ、つっかまえた〜」
油断した幼子の真横から抱きつき、地面に押し倒す。そのまま彼の顔を固定し貪るように唇を奪った。激しく、しかし愛でるように食んだ後に、舌を入れて幼子の口内を嘗め回す。恍惚とした表情を浮かべ、愛しくてたまらないといった様子で唾液を交換する。
「あー、ずるい。私が先に見つけたのにー」
「早いもの勝ちー」
先に切られた魔物が起き上がりその行為を見て憤慨する。幼子を押し倒した魔物は口付けを中断し勝ち誇ったように彼を抱き寄せた。だがその魔物の愛は、彼にとって恐怖しか感じ取れなかった。隙を突いて、幼子は拘束を解きながら魔物を蹴り飛ばす。魔物はそのまま吹き飛ばされ幼子からやや離れた場所に倒れた。しかし一切応えていないようにすぐに起き上がる。まるで痛覚など無いように。
「なんでー?気持ちいい事いっぱいしようよー。私ひどい人にずっと捕まってて溜まってるんだよー」
「だーめ、次は私ー」
幼子は新たな声のした方を向いた。そこには第三の魔物がやはり笑みを浮かべてゆっくりと少年に近づきつつあった。
「く、来るな。来るなあッ!」
幼子は剣を構えた自ら駆け寄り魔物を袈裟懸けに斬った。魔物は倒れるもやはりすぐに蘇生し何の効果ももたらさない。だが幼子は他にいい手段を思いつくわけでもなかった。せめて一時でも、一瞬でもその動きを止めるために幼子は魔物を切り続ける。魔物はその度に蘇り、愛し愛されるために幼子に襲い掛かる。延々とその繰り返しが続く中で、幼子の心に次第に変化が現れた。
恐怖故に、死を恐れる故に剣を振るう、紛れも無くその通りだ。だがそれとは別に、魔物を退ければ自分はさらに生きることが出来る、そんな感情が次第に幼子の心を染めていった。魔物が、この醜悪な化け物が目の前から消えれば、自分は生き続けられるのだと。
三日三晩、彼は一睡もせずに生き続けた。二日も経てばその顔から恐怖の色は全て消え去っていた。そして三日目の夕方に、大きく空振った剣を取り落としたのを最後に大地に倒れ、死んだように眠りについた。魔物はそれを見て、悲しげに四方へ散っていった。落ちた日が再び昇って沈み、次に昇るときまで彼は眠り続け、太陽が天辺に差し掛かった頃、幼子は目覚めた。
その時こそが、彼の誕生であった。その瞬間を見届けたのは、他でもない、誰よりも心待ちにしていたカルトスだった。
起き上がった彼は最初に目に付いたカルトスに駆け寄り胸倉を掴んで問うた。
「あの化け物どもは、どこにいる」
「肌身離さずこれを持ち、そして探せ。国中を、大陸中を駆け回るがいい。数え切れぬほど見つかるだろう」
そう言ってカルトスは留め具の無いブローチを幼子に渡した。彼はそれを受け取りしっかりとしまうと、二対の光の羽根を生やし空の彼方へとその姿を消した。後に残ったカルトスは、天を仰いでそれを祝福する。
「成功だ、何もかも!全ては私の考えたとおりに運んだ!まもなくこの大陸から魔物が消える。教会の勝利だッ!」
カルトスは悠々と、その事実を報告するべく国に向けて歩き出した。

「カルトスーーーッッ!!!」
「うわ!」
クィルラは叫び声をあげて飛び起きた。そのまま怒りで我を失いかけていたのを、男とラミアの夫婦がなだめる。
「だ、大丈夫ですか?二人とも物置で倒れていたからここに運んだのですが」
ラミアの言葉を聞いてクィルラとレヴィは辺りを見回す。見ればそこはごく普通といった感じの居間であり、二人はそこにあるソファに寝かされていた。
「お主が、ワシらを見つけたのか」
「はい。あのどこか具合の悪いところでも―」
レヴィはラミアの言葉を遮ってあわてて質問した
「男がいたはずだ!青い制服をきた男が・・・奴はどこだ!?」
「い、いや。あの場にいたのはあんたら二人だけだったが」
その答えを聞いて二人の顔が一気に青ざめた。夫婦の制止を振り切り、早口にお礼をいって家を飛び出し物置に急いだ。そこにはレヴィが書いた魔法陣だけが残されており、ダメもと辺りを探ってはみたが青い制服の男などどこにもいなかった。
「ま、まさか・・・」
クィルラは物置を出て家に向かって全力疾走した。玄関の扉をほとんど体当たりするように開けて叫ぶ。
「カルトス!!」
祈りながら家のありとあらゆる場所を探し尽くす。居間、台所、風呂場、思いつく限りの場所を徹底的に探し回った。そして寝室の扉を開けた時、ついに彼女はガクリと膝を折った。
窓が開け放たれ、そこから雨が入り込み部屋は水浸しになっていた。中央にはぐしゃぐしゃになった紙が一枚落ちており、そこに書かれている文章をクィルラは信じることができなかった。信じたくはなかった。
"記憶の復元は完了した、今までどおりに生きるがいい"
13/09/01 15:29更新 / fvo
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■作者メッセージ
というわけでクィルラさんの夫はしばらく退場になります
つーか、主人公のはずのクィルラさんが空気すぎてやばい。

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