連載小説
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第三話 アサガオ荘
「まったく突然なんなんだよ……」

 まだまだ続きそうだったヒナの拘束を学校に下見に行くからと言って無理やり抜け出してきたレンは、まだ痛む腰を摩りながら午前中の内に食器や料理道具を買いに行くこ

とにした。実は童貞だったレンはあんな形で卒業したことになるわけだが、

「あの卒業の仕方はねぇよ……尾崎豊さんもびっくりだよ…」

 そんな下らない文句をグダグダとこぼしつつ風が吹いてきたので上着の前を少し引っ張って百貨店へと足を運ぶ。百貨店へ入りエスカレーターを上ると、季節のせいか自分

と同じように新人さんが新品の買い出しに大勢来ているようだ。

「さーて!包丁やらまな板やら買わないとな。」

 元々料理が大好きで実家でもよく夕飯を作っていたので道具選びにはちょっとうるさい。棚に並んだパッケージに入っている包丁を穴が開くまで見つめながらうんうん唸っ

ていると、ふと、となりでも唸っている人を見つけた。

「あっ、もしかして貴女は……」

「……?あぁ、お隣さんね。こんにちは。」

 彼女は両手に包丁のパッケージを持ちながら顔だけをこちらに向けて素気なく言った。唐突に話しかけられたにも関わらず、落ち着いたよく通る綺麗な声が印象的だ。

「遅れましたが、藤堂蓮といいます。もしかして、あなたも悩まれてます?」

「あたしはヘリアンサスっていいます。まぁ長いからリアでいいわ。家にあるやつの刃がかけちゃってね。どっちがいいと思う?」

「そうですね、使い道にもよりますけど無難にこっちの万能包丁の方がいいと思いますよ。」

 レンは彼女の右手にあるそこそこ有名なブランドの包丁を指して言う。使い勝手が良くて人気があるので丁度レンもそれにしようか迷っているところだった。

「そうなんだっ。助かったわ、ありがとう。こういうのよくわからなくて」

 そう言って彼女はきれいにまとめたツインテールを揺らしてニッコリと微笑む。その笑顔は男子なら誰でも思わず見とれてしまうほど可愛らしく、しかしどこか艶やかだっ

た。

「いいえ、このくらい全然かまいませんよ。」

「ふふっ、優しいのね。…あっ、そう言えばあなたはこっちに何用できたの?奥さんの付き添い?」

「い、いいえ、違いますよっ。大学に通うために来ました。」

「へぇ、そうなの。人間じゃなくなったのにわざわざこっちの世界に戻って勉強しに来るなんて珍しいのね。」

「………?」

「だってあんたもインキュバスでしょっ?大概の人はこっちが煩わしくなって向こうに行くけれど。」

 なんだか話がかみ合っていないようだ。それに人間じゃなくなったってのがどうも気になる。俺は人間をやめた覚えはないのだが。

「すみません、なんのことだかさっぱりなのですが…。」

「え?だって、あのアパートに来たんだし魔物じゃないの?………もしかして違う…?」

 こちらの顔が違うと言っていたのか、全体的に少し緩めの服の裾を揺らして確認するように聞いてくる。

「えぇ、一応まだ人間なんですけど…。」

「そ、そうなんだっ。あちゃ〜、これは余計なことをしゃべっちゃったなぁ。―――とりあえず何も言わずに付いてきなさいっ!」

「え……ちょ、ちょっと引っ張らないでって、服伸びる!ていうかお会計っ!」

 しまったなぁと苦笑したのも束の間にリアにものすごい勢いで引っ張られたレンは、結局何も買うこともできずにアパートまで引きずられて行ってしまった。







「―――まぁ、では不動産屋さんのミスかもしれませんねぇ。」

 ここはアパートの105号室、大家さんの部屋だ。引っ越し初日に訪れたきりだったが、大家さんがとても美人なお姉さんだったことは覚えていた。しかしこの人も魔物だとい

う事にびっくりする。

「本来なら人間にはここは紹介されないはずなんですが…魔力をよみ違えたのかしら。」

 大家さんは長くてさらっとした髪をはらいつつ顎に手をあてて考え込んでいる。

「これ知られちゃったってことはあたしどうなるの?もしかして…逮捕?」

「いいえ、この方の記憶をいじれば良いだけなので大丈夫だと思いますよ?」

 リアのとても焦った態度とは裏腹に、大家さんは落ち着いた声で返した。…って、ん?

「ちょっと待って下さいよっ。記憶いじるって?」

「基本的に私達魔物はこの世界では隠れて生活しているんです。ばれてしまうと色々と厄介なもので…。ですので万が一存在が知られてしまった場合は記憶を一部消してしま

うのが手っ取り早いんですよ。」

 と、笑顔で何やらとんでもないことを言っている。

「じゃあ僕の記憶も消されるんですか?」

「最初はそうしようかと思っていたんですけど…。あなたから弱いけれど魔力を感じるのよねぇ。もしかしてここ最近で誰か魔物さんとセックスしました?」

 あぁ、もしかするとあれか。確かに今朝ヒナに襲われはしたがそのことが関係しているのだろうか?

「えぇと…魔物というか、うちの部屋に出てきた幽霊に…その…襲われました。」

 自分で言って恥ずかしくなったのか言葉の最後はすぼまりながらもレンは言った。

「じゃあ、やっぱり203号室の幽霊さんに精力を吸われたのね。あの子実体が無い状態では部屋から出られないから困ってたんです。来る人は皆、インキュバスも気味悪がって

出て行っちゃうし、手がつけられなくて…。助かりました。」

 幽霊は例え魔物であっても怖いものなのか。でも、ヒナもまともに会話できたのはレンが初めてだと言っていたのであながち間違いでも無いらしい。

「そうだ、せっかく引っ越して落ち着つかれたのにすぐに出て行くのも大変ですよね。なので、このアパートの秘密を黙っている代わりにここに住むというのはどうでしょう

?家賃もサービスしますし、決して悪い条件ではないと思いますが…。」

 元々厄介事があまり好きではないレンは最初断ろうとも考えたが、こんな素晴らしい条件を提案して下さったのに断るのも悪いと思い、この提案を受けることにした。決し

て美人が多い事が決め手になったわけではない、決して。

「わかりました。その条件受けることにします。こう言っては失礼かも知れませんが、もっとひどい目に遭うのかと思っていたもので、安心しました。」

「ふふふっ、そんな身構えなくてもよろしいですよ?アサガオ荘はあなたを歓迎いたします。」

「ありがとうございます!それと……彼女はどうなるんでしょう?」

 レンはすっかり忘れていた自室の同居人の扱いが気になったので聞いてみた。

「えぇと、雛菊さんでしたっけ?彼女も晴れて魔物になったわけですし、部屋に戻られるのであれば201の空部屋があるので移るかどうか聞いみて下さいな。さすがにあそこに

二人では狭いでしょう。」

「そうですね、こちらとしても色々な意味で体がもちそうに無いので聞いてみます。それでは失礼しますっ。」

 挨拶をするとレンは部屋を出て2階の自室へと戻っていった。

「―――茉莉花(マリカ)さん、本当は藤堂さんが人間だってわかってらっしゃいましたね?」

 今まで話を黙って聞いていたリアが、マリカをじっと見つめながら聞いた。

「さぁ、どうでしょう?でも結果的に雛菊さんも実体化できたことだし、結果オーライですよっ。」

 マリカは豊満な胸の下で腕を組んで目を瞑ると、おどけた様に返す。

「でも、彼が信用できないわけじゃないですが、万が一ばれてしまったら…」

「その時はその時です。記憶に関する作業は難しいものではないですし。…何よりも若い男性がここに住むのなんて久しぶりじゃないですかっ。」

 屈託のない笑顔で答える年齢の読めないサキュバスに、リアは今後のレンの身に起こることを考え、かわいそうにとため息をつくのだった…。
10/10/19 22:33更新 / アテネ
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■作者メッセージ
今日はモチベーションが続いたのでもう一つ。
やっとキャラが揃ってきました!
三階の住人が全く決まらないですw

それではこんな文章ですが読んで頂きありがとうございました。

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