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第八十話・クスコ川防衛ラインA
戦の開幕を告げるように、一本の矢が風を斬る。
それは帝国軍に味方するセラエノ軍将軍、双子のエルフの姉、リンの鋼造りのロングボウで放った矢だった。
放たれた矢はピィッと高い音を出して弧を描く。
鏑矢(かぶらや)が飛んでいく。
学園都市セラエノにとっても、ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍は敵であったため、龍雅の案によって作られた鏑矢は、彼なりの宣戦布告としてリンの手で甲高い音を天高く鳴り響かせる。
砂漠の兄弟社、ルイ=ターニックの提唱したオリハルコンの矢は実現しなかった。
学園都市セラエノでオリハルコンが採掘出来ることもあり、仕入れコストがかからないことと、エルフなど弓術を得意とする種族が使った際の威力は凄まじく、誰もがこれを使えば…、と期待をしたのだが、そういったメリットを覆してしまうデメリットが懸念されるようになったためである。
もしも、敵が放たれた矢を集めてオリハルコンを利用するようになってしまったら、という懸念が松井電衛門所属の学園都市研究所が意見を出した。
それに合わせるようにその他の人々も同様の意見を出すようになったため、ルイ=ターニックたちが夢見たオリハルコン製の鏃は、まさに夢と消えてしまった。
しかし、彼らの発想は無駄ではなかった。
オリハルコン製の鏃は試作段階で潰えてしまったものの、学園裏山から採掘された良質の鉱石を元に、サイプロクスなどの刀鍛冶が自分の腕前を披露する場を求めて学園都市に集い、生産された武器や鎧は他の都市では最高品質として店先を賑わすような仕上がりで、セラエノ軍の身に付けられている。
そんな中で作られたのが鏑矢であった。
誰も見たことのないその矢を、帝国軍も連合軍もただ呆然と見詰めていた。
やがて、天高く風を斬っていた矢が失速する。
それは一筋の鋼の雨となって舞い降りた。
「……へ?」
そんな間抜けな声を上げて、連合軍の馬に乗った将軍の頭に、鏑矢が突き刺さる。
重力による加速を十分に付けた矢は、兜を突き抜け、頭蓋骨を貫通し脳を傷付ける。
一度だけ、ゆらりと将軍の身体が揺らいだかと思うと、彼は身体を支えられずに重い鎧が重力に負けるように馬から落ちた。
誰の目からも明らかな即死。
たった一人の死にどよめく連合軍最前列に反し、防御陣を敷く帝国軍に歓声が上がった。
リンの見事な腕に誰もが賞賛を惜しまない。
この瞬間、帝国軍の中での魔物に対する不信感は消えた。
皇帝が彼女たちの治療を受け、皇帝が信用しても彼らの中にまだ疑いの念は晴れていなかった。
昨日までの常識がいつも頭の中に残って、魔物たちで構成された援軍と一定の距離を開けていたのだが、名もなき町改め学園都市セラエノは本当に自分たちの味方なのだと心から喜んだ。
リンの下へ妹のレンが駆け寄って、彼女を労った。
「軽いわ、これくらい。昔、砂漠で盗賊たちを狩って暮らしていた頃の彼らの方がまだ矢を当て難かったくらいね。」
そう言ってリンは気取って長い後ろ髪を悩ましげに掻き揚げる。
それを聞いてレンは溜息を吐いた。
「姉さん……。盗賊狩りをして暮らしていた頃って、あいつら追いかけていたのは私よ。姉さんはすぐにサボって、喰っちゃ寝喰っちゃ寝で……。弓の腕を上げたのだって町に亡命した後じゃない…。」
「レ、レン!少しくらい見栄を張らせなさいよ!!」
そんな二人のやり取りに帝国軍からは笑い声が上がった。
「ちょっと笑わないでください!」
リンが必死になって取り繕うが美しい外見と彼女のずぼらな中身が、見事なギャップを生み出して、周囲のセラエノ軍も帝国軍も大笑いしていた。
彼女の見事な剛弓捌きに、そして姉妹の会話に、帝国軍の兵士たちは緊張して硬くなっていた身体が良い具合にほぐれ、否応なしに士気が上がる。
我々はやれる。
絶望的な戦争だが、彼女たちが自分たちに付いてくれたことで希望が見えた。
誰もがそんな淡い希望を胸に抱き始めていた。


―――――――――――――――――――――――


ヴァルハリア・旧フウム王国連合軍が俄かに慌しくなった。
丸太を組んで筏を作り、彼らはその上に盾を構えて、20人一組で渡河する。
そんな彼らに帝国軍とセラエノ兵は容赦なく矢の雨を降らせた。
連合軍の渡河作戦第一陣がバタバタと倒れていく。
彼らも弓を引き、必死の反撃を試みるも、そのほとんどが浮き足立った状態だったために、狙いが定まらずに帝国側の矢によって命を落とす。
戦とは攻めるよりも守る方が有利な場合がある。
それが今回の場合である。
大きな川で隔たれた陣容、互いが攻め合うのであれば条件は五分五分なのだが、連合軍は帝国側へ攻め入らねばならないため危険を冒して水上に打って出なければならないが、帝国軍は堅く敷いた陣で防御に徹し、安定した地上で比較的安全な防御柵の中から狩りをするように連合軍を狙い打てば良いだけ。
これは水軍が存在しない内陸部の国家同士の戦争だから生まれた優劣である。
もしも連合軍に水軍が存在していたなら、もっと戦の仕方は変わっていたであろう。
しかし、連合軍は数と暴力性だけは他の追随を許さなかったが、言ってみれば烏合の衆。
そのほとんどが戦を経験したことがない人々だったので、鍛えに鍛えられてきた帝国軍にとっては、まさに鴨狩りの鴨と言ったところである。
クスコ川渡河第一陣の筏の上に、動く者がいなくなるとすべての筏が川の早い流れに逆らい切れず、死者を乗せたまま下流へと流されていった。
「何をしておる!第二、第三と兵を繰り出さぬか!!」
フィリップの怒号。
その響き渡る声に兵卒たちは我に返り、再び筏を出し、川へ入ろうとしたその時。
彼らの目に信じ難い光景が目に飛び込んで来た。
防衛の最前線、未熟な連合軍でも川の真ん中あたりから矢を放てば届くような場所に、堂々と皇帝の旗が翻った。
彼らには信じられなかった。
何故ならフィリップ王やユリアス大司教は安全な位置で指揮を執っている。
それは身分ある者、最大の礼節を以って接しなければならない貴人であれば当然の権利。
しかし対岸の敵、神聖ルオゥム帝国皇帝は兵卒たちに混ざり、最前線でその身を敢えて危険に晒して指揮を執る。
本物の皇帝旗なのか、と戸惑う彼らの目に再び、純白の軍服を身に纏い、白馬に跨り、腰に剣を下げた金髪の美女が映った。
それは間違いなく皇帝、ノエル=ルオゥムの姿。
もちろん連合軍兵卒がノエル帝の姿など知るはずもない。
しかし、遠目からでもわかる彼女の発する気品は紛い物ではないことを彼らは理解した。
それはフィリップ王やユリアス大司教にはない、本物のカリスマ性。
兵卒のために涙し、心から民を愛し、国を守らんとする皇帝は真紅の鎧に身を包んだ魔物たちに警護されながら川岸のギリギリまで歩み寄り、自らの姿をその目に焼き付けよ、と言わんばかりに悠々と、まるで馬に乗って散歩でもするように連合軍の前に、その姿を見せ付ける。
両軍共に、一時の静寂が訪れた。
そんな様子を聞き付け、慌ててフィリップ王が兵卒を掻き分けて川岸に姿を現した。
「な……、なんとしたことだ…!あの女、一体何を考えておるのだ。皇帝としての自覚がないのか!最前線に顔を出すなど、貴人にあるまじき愚行。一体何が狙いなのだ…。」
当然、フィリップ王の声などクスコ川の轟音の前に掻き消されるのであるが、流し目に対岸の連合軍を眺めていたノエル帝は、フィリップ王の姿を視界に納めると馬を止めた。
「ああ…、そこにいたんだね、山猿。他人の土地を土足で踏み躙る礼儀知らずも、この首欲しさにわざわざ群れから顔を出すくらいは出来るようだ。どうせ、お互いの声など聞こえはしないだろうが、こうして顔を見れて嬉しいよ。改めて、お前を殺してやると、燃えてくる。」
ノエル帝は対岸のフィリップ王に向かって手を伸ばす。
そして誘うように、滑らかな仕草で指を折っていった。
「おいで、教会の犬。その首、刈り取ってあげる。」

その声が彼らに届いた訳ではない。
しかしノエル帝が最前線に姿を現したことで、フィリップ王はノエル帝を討ち、戦を一気に決めてしまおうと逸る心のままに渡河、上陸の号令を発した。
再びクスコ川は、混乱に包まれる。


―――――――――――――――――――――――


「皇帝殿は矢面に立つ勇気がおありかな?」
セラエノ軍の軍師、バフォメットの挑発的な言葉は余のプライドをくすぐった。
彼女の言いたいことはよくわかる。
余が最前線に赴けば、連中は否応なしに余を目指して軍を進める。
水計の成功の鍵は、如何に連中を我々の懐深くおびき寄せるかということにかかっている。
余、自ら餌となれば……、その効果は高くなろう。
彼女の言う通り、余は本陣を最前線に移した。
セラエノ軍医療班のおかげで、脇腹の傷も塞がってはいないものの、痛みで動けないという状態がなくなり、指揮系統も回復した。
彼女たちへの感謝は尽きぬ。
だが、それ以上に余はバフォメットの挑発的な言葉に感謝している。
余はかつてこれ程まで、兵卒を身近に感じたことがあっただろうか。
余は兵卒たちと共に帝国を守ろうとした。
しかし、それはあくまで上からの目線で彼らを見ていたらしい。
連合軍に気付かれぬように本陣を移し、兵卒たちと寝食を共にした。
帝都で彼らの無事に帰還することを待つ家族がいる。
将来を誓い合った恋人たちがいる。
異性にモテたいから兵士になって出世したいという者も大勢いる。
戦う理由など、聞けば馬鹿馬鹿しくて笑い話にしかならない彼らの声に、余の心は震えた。
ああ、そうか。
神だ、魔物だ、なんて言ってみたところで、我々は人間なんだ。
反魔物国家として存在する神聖ルオゥム帝国でありながら、人々は愛する。
それが人間であり、魔物であり、誰もが理想の外で現実を生きている。
生きている生身の人間なんだ、と余は彼らの中で気付かされた。
そう、同盟を結んでいた国家は早々に離反したにも関わらず、我らと同盟どころか敵対する立場にありながら、それでもただ義を感じて寡兵で駆け付けてくれたのは魔物たち、学園都市と名を改めたセラエノ軍ではないか。
ふふふ…、教会の犬か。
余も同じ。
神に尻尾を振り、皇帝という椅子に座る運命の下、教会に媚び、今日に至るまで反魔物国家の一端を担ってきた。
その結果、信仰の名の下にどれだけの悲しみを余は黙殺してきただろうか。
それは余の力及ばぬが故の罪。
未来永劫、後世にまで許されざる罪であろう。
だが、余はただの犬ではない。
余は神聖ルオゥム帝国という群れを守る長(おさ)なのだ。
群れを守るためならば、この牙。
神であろうと、食い破るまで。
「皇帝陛下、そろそろ戻らねば連合軍の射程内に入ります。」
リザードマンの一人が畏まって進言する。
「護衛感謝する。では戻ろうか。」
彼らの下へ。
余が愛する臣民たちの下へ。
一度だけ、余はこれから起こるであろう被害に思いを馳せ、セラエノ軍の総大将…、龍雅と名乗った男が潜伏する上流を見詰めた。
きっと、彼ならうまくやってくれるだろう。
歳は若そうだが、歴戦の勇士や軍略家に漂う独特の空気を纏っていた。
不甲斐ない余に代わって、やつらに一糸報いてくれ。
そう願ってやまない。
「さぁ、クスコ川に住みし水龍よ。その顎で帝国を蹂躙する不義を喰らい尽くせ!余は神聖ルオゥム帝国皇帝、ノエル=ルオゥムである。帝国に生きる者すべては余の家族も同然。それが人間であろうと……、魔物であろうと。貴様らは余の家族を蹂躙し、凌辱し、虐殺した。この借りは、命で購わせるぞ!」
剣を抜き、馬を走らせる。
必死の思いで渡河に成功した者の首を、擦れ違い様に刎ね落とす。
「おお、陛下が御身自らの手で逆賊を討ったぞ!」
「我々も続けぇー!!!」
最前線を守る兵卒たちが一斉に動き、渡河に成功した者たちを討ち果たし、敵を再び川の中へと押し戻し始める。
そうだ、これがバフォメットの本当の狙いだったのだろう。
余も、帝国軍もこれ程までの一体感など味わったことがない。
一枚岩となれば、この防御陣。
易々と突破はさせぬ。
「ヴァルハリア、ならびにフウム王国残党ども。余の姿をよく目に焼き付けるが良い。余が皇帝、ノエル=ルオゥムなるぞ。この首一つで、この戦が終わるのだ。余の首欲しくば、汝らの命を賭けよ!だが、覚悟せよ。こちらの岸に一歩足を踏み入れれば、ここは冥府であるぞ!!」


11/03/02 22:53更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
お久し振りです。
やっと風邪が治ったと思ったら、花粉症でクシャミと涙が止まらない宿利です。
更新が非常に遅くなって申し訳ありません。
冒頭の通りに長い間熱がなかなか引かなくて、
PCの前に座っていられませんでした。
もう80話までやったんだから飽きたんじゃ…。
と心配してくれた方がいたら嬉しいなぁ、と思いつつ
体調管理を怠りまくった自分に猛反省しています。

そんな訳で(どんな訳よ)、今回はクスコ川防衛線第2幕をお届けしました。
魔物娘出たっけ……?
………あ、冒頭のエルフ姉妹だけじゃん。
次回こそは、もうちびっと出します(笑)。
最近、この言葉が多いなぁとこっちも反省。

では最後になりましたが、
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回もお楽しみに。

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