連載小説
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知を知る(前)
 長峰佑が魔物娘の世界に来て、一週間が過ぎた。人間の順応性とは恐ろしいもので、佑はその一週間足らずの内に、ほぼ完全にこちらの世界に適応していた。
 もちろん、時折唐突に驚かされる――そしてそれまで培ってきた価値観とのギャップを再認識する――こともあるにはあった。だが最初の頃のように、見るモノ全てにカルチャーショックを受けることは無くなった。グレイリア・サバトで行われる「行き過ぎた」医療行為も、そういうものとして冷静に認識することが出来るまでに至った。
 なお、その「慣れ」が良いことなのか否か、佑はまだ決めあぐねている節があった。
 
「あ、そうそう。佑さん」

 だが時間の方は、佑の心の変化を悠長に待ってはくれなかった。その時は、全く突然に佑に襲い掛かった。
 
「ちょっとあなたにお会いしたいと申されているお方がいるのですが……」
「俺に?」

 サバトの構成員の一人、エンジェルと呼ばれる魔物娘に声をかけられ、佑が足を止める。ちなみにこの時、彼は紙袋を持って廊下を歩いていた。袋の中は古ぼけた書物がぎっしり詰められており、それらは例によってグレイリアから貰ってくるよう頼まれたものだった。
 これを無碍にするわけにはいかない。佑は紙袋のことを話し、話なら後で聞くと答えた。
 
「い、いえ。そちらは私がグレイリア様にお渡しします。理由も私が、その時グレイリア様にお伝えしますので」

 だがそのエンジェルは、佑の反論にそう返した。口調は足早で、双眸には縋りつくような必死さが映っている。余裕が無く、どこか焦っているようだ。
 何かのっぴきならない理由でもあるのだろうか?
 
「何かあったんですか?」

 怪しい雰囲気を察した佑が――こちらに来てから、佑は何故だかそうしたことに敏感になっていた――気遣うようにエンジェルに尋ねる。それを聞いたエンジェルは、ちらちらと左右を見た後、注意深く佑に近づき耳元で囁いた。
 
「実はその、あなたにお会いしたい方というのが、かなりの大御所でして」
「そんなに? そんなに凄い人なんですか?」
「それはもう。私のような木っ端組員とは比べ物にならない、雲の上のお方ですよ。なにせサバトの長ですから」
「おお……」

 熱のこもったエンジェルの言葉に、思わず佑が唸る。この時彼は、不安や恐怖よりも好奇心を強く抱いていた。そこまで言われる大御所とは、いったいどのような人なのだろうか。彼は子供のような純真さで、それに思いを馳せた。
 
「ちなみに、それってどんな人なんです?」
 
 そしてその好奇心のままに、佑がエンジェルに問いかける。エンジェルはそれに快く応じ、彼に早速回答を提示する。
 
「バフォさまですよ」
「えっ?」
「バフォさま」

 一瞬、佑は目の前の彼女が何を言っているのかわからなかった。一方のエンジェルも、念を押すように再度佑に言った。
 
「バフォさまという方です。一応言っておきますけど、本名じゃありませんからね」
「あっ、そうなんですか」

 それを聞いて、佑は少し安心した。また新たなカルチャーショックに遭遇するところで、内心ヒヤヒヤしていた所だった。
 だが現実は残酷だった。
 
 
 
 
「そなたがよその世界からやって来た人間じゃな? 儂こそバフォ様、魔王軍サバトを統べるバフォメットじゃ」

 応接室の一つで佑と対面した幼女の魔物は、開口一番にそう言った。頭部から立派な角を生やし、手足に獣の要素を残した、露出の激しい魔物娘だった。
 そんなバフォ様と名乗った幼女は、相手の反応を待たずして、続けざまに口を開いた。
 
「儂がここに来たのは言うまでもない。そなたとグレイリアの関係について確認するためじゃ」
「えっ」
「率直に聞こう。グレイリアとはどこまで進んだ?」

 角を生やした幼女が、ずずいっと聞いてくる。佑はその押しの強さに圧倒され、ソファに座ったまま上体を後ろに引かせた。
 当のバフォ様はお構いなしに、更なる質問を続けた。
 
「そなたとグレイリアのこと、既にあらゆるサバトに知れ渡っておるぞ。どこまで進んだのじゃ?」
「いや、進んだって、そんな」
「遠慮することは無い。言ってみるがよい。キスはしたのか? ハグは? その先は?」

 困ったように動揺する佑を見て、バフォ様が質問を乱打する。何故彼女がそんなことを聞くのか、佑には見当がつかなかった。
 理由が知りたい。佑の口は自然と動いた。
 
「……なんでそんなこと聞くんですか?」
「簡単じゃ。グレイリアがそなたに惚れておるからよ」
「……は?」

 一瞬、思考が停止する。この人は今なんと言った?

「なんじゃ? 気づいておらんのか? 鈍い童じゃのう」

 呆れたようにバフォ様が言う。佑の頭がさらにフリーズする。
 そこにバフォ様のダメ押しが入る。
 
「周りの者はみんな気づいておるぞ。彼女はそなたに惚れている。遊びや面白半分ではなく、心の底からそなたに惹かれておる」
「嘘だ」
「嘘などつかん。こんな時に嘘ついてどうする? 儂は本当のことしか言っておらぬぞ」
「……」

 佑は唖然とした。開いた口が塞がらなかった。
 あの人が。自分を。あんな立派な人が。
 
「……本当なんですか?」
「本当じゃ。魔物娘は、そういうことには鼻が利くのじゃ」
「でもそんな、俺なんか……」
「釣り合わぬというのか? 馬鹿者。愛に釣り合いなど無い」

 弱々しく呟く佑に、バフォ様が力強く反論する。
 
「愛に資格も立場も無い。誰にも止める権利は無い。互いが愛し合っているか否か。そこが唯一大切なところなのじゃ」
「……」

 佑は何も言えなかった。バフォメットの言葉は、自分が今まで聞いて来たどんな説教よりも、深く心に刻み込まれた。
 大切なのは互いに愛し合うこと。胸の中で何度も何度も反芻する。愛することを止める権利は、誰にも無い。
 魔物娘の常識に染まりかけていた思考回路が、ゆっくりとそれを受け入れていく。
 
「で、大事なのはこれからじゃ」

 バフォメットが声をかける。反射的に佑が顔を上げる。バフォメットが佑の顔をじっと見つめ、真剣な口調で問う。
 
「そなたは、グレイリアが好きか?」

 数秒の沈黙。
 やがて佑の首が動く。
 理屈ではなく本能が、彼を動かした。
 
 
 
 
 佑の首肯を見た後のバフォ様の動きは、まさに電光石火の如き素早さであった。そうなることを予想していた節さえ見られた。それだけ彼女は用意周到だった。
 
「うむ。ではウブなそなたのために、儂らが一肌脱ぐとしよう。実はこんなこともあろうかと、協力者を数名呼んでいるのじゃ」
「協力者?」
「そうじゃ。強力な助っ人じゃ。そなたに兄のイロハを教授する、サバトの精鋭たちじゃ」

 自信満々にバフォ様が言う。佑はそれを聞いて、期待半分不安半分の心境に置かれた。
 
「俺なんかのためにそこまでするなんて」
「くどいぞ佑よ。これは、儂らが自発的にしたいと思ったからしているだけなのだ。そなたが気に病むことは無い」

 悶々とする佑にバフォ様がぴしゃりと言い放つ。佑は言葉に詰まり、バフォ様が笑って続ける。

「それでは、始めるとするかのう。期待するがよい」
 
 そして授業が始まった。佑に後戻りする選択肢は無かった。
 バフォ様がそう言い残して退室し、それと入れ代わるように別の女性が入ってくる。バフォ様と同じくらいの背丈を持ち、形は違えど頭に角を生やした幼女だった。
 グレイリアやバフォ様と同じ種族だ。入って来た魔物娘を見た佑は、直感でそれを悟った。
 
「汝がバフォ様の言っていた人間か」
 
 だが彼女が身に纏う雰囲気は、バフォ様と全く違っていた。身を包む色彩は全体的に黒く、瞳は怪しく光り、口元は小さく笑みを湛えていた。そして彼女を構成するそれら全てが、甘く淫靡な空気をこんこんと生み出していた。
 
「我はクロフェルル。魔王軍サバトの長である。今日は汝に、『立派な兄』のなんたるかを教えに参った」

 クロフェルルと名乗った幼女が、黒いオーラを放ちながら悠然と言い放つ。見た目は幼かったが、身体から放たれる圧力は凄まじいものがあった。それを正面から浴びた佑は、ただ無言で頷くしかなかった。
 
「……ッ」
 
 同時に佑は、股間に熱が溜まっていくのを感じた。クロフェルルと相対しているだけで心臓が高鳴り、全身の血液の流れが目に見えて速くなる。
 
「あはッ♪ 早速興奮しているか。中々に雄々しいな。頼もしいぞ♪」
 
 そしてクロフェルルが目敏くそれを見つける。理性を保とうとして生唾を飲み込む佑に、クロフェルルが愉しげに言う。
 
「興奮しているようだな? 無理もあるまい。我の力をまともに浴びて、正常でいられる人間はおらぬ」
「これ、大丈夫なんですか……?」
「安心せよ。今日は汝を我がサバトに勧誘しに来たのではない。我も力は抑える。今のこれはそう、軽い挨拶だ」

 自分が何者か知らしめるため、敢えて魔力を剥き出しのままぶつけた。苦しげに尋ねる佑に、クロフェルルはそう説明した。そしてその直後、クロフェルルは宣言通り力の流れを自らせき止めた。
 空気が軽くなる。体を覆う圧力が消え去り、心臓が落ち着きを取り戻していくのを感じる。
 そこにクロフェルルの言葉が差し込まれる。
 
「どうだ? 気は楽になったか?」
「は、はい。なんとか」
「それは良かった。いやすまない。こういうことをするのには慣れていなくてな」
「いえ、平気です。俺は全然大丈夫ですから」
「そうか。では授業を始めてもよいか?」
「はい、お願いします」

 平静を取り戻した佑が頷く。クロフェルルもそれを受け、バフォ様に頼まれた通り教導を始めた。
 彼女が教えたのは、「淫魔法」と呼ばれる魔術の一つだった。もう名前の時点でオチていた。それは実際エロスの塊で、とてもじゃないが子供には聞かせられない代物だった。
 なお佑は話を聞く中で――恥ずかしながら聞いているだけで――何度も勃起してしまった。自分がその魔法を使って幼子とセックスしている情景が脳裏に浮かびあがり、それだけで身体の震えが止まらなかった。
 
「ふふっ、立派な雄の匂いがここまで漂ってくるぞ♪ 汝も興奮しているか……♪」
「いえ、あのっ、ごめんなさいっ」
「謝らなくとも良い。むしろそうでなくては。サバトの兄たるもの、そうでなくてはな♪」

 案の定、クロフェルルに察知される。そして指摘され罪悪感を覚えた佑に、クロフェルルが実に愉快そうな口ぶりでフォローする。道に外れた行いをしていると思っていた佑は、その言葉で救われた気分になった。
 
「――さて。我が教えられるのはここまでだ」

 数分後、ようやく授業が終わる。だいたいのことを話し終えたクロフェルルが、満足そうに笑みを浮かべる。
 
「どうだ、我らがサバトの誇る淫魔法は? 素晴らしいであろう」
「は、はい。とっても、その……」
「エロかった、か?」

 言い辛そうにしていた佑に代わって、クロフェルルがその部分を代弁する。佑は一気に恥ずかしくなり、頭から煙を出しながら無言で頷く。
 それを見たクロフェルルがクスクス笑う。まさに悪魔の微笑みだ。そうやって淫蕩な表情を見せた後、クロフェルルが佑に告げる。
 
「さて、これで我の番は終わり。少し休んだ後、次がやってくる。汝も一息つくがいい」
「あ、そういえば」

 協力者を複数連れてきた。佑がバフォ様の言葉を思い出す。そして思い出した直後、反射的に佑がクロフェルルに尋ねる。
 
「他の人って、どんな人が来てるんですか?」
「それは内緒だ。楽しみに待つがよい」

 あっさり断られる。佑は食い下がらなかった。クロフェルルは佑の利口さに感心し、本当に魔王軍サバトに勧誘しようかと一瞬本気で思ったりした。
 しかしそれは表に出さなかった。彼女はバフォ様との約束をきちんと守った。
 
「ではな。グレイリアのこと、よろしく頼むぞ」

 それだけ言って、クロフェルルは部屋から出ていった。
19/09/23 10:57更新 / 黒尻尾
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