連載小説
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第一話 ウールと狼
ここはクルツ自治領唯一の服屋であるトリーの店だ。
自治領に服屋が一つしかないことに関して河川だの毒腺だので価格を釣り上げることを危惧する輩が最近増えたが、そんなもん言ったらこの自治領の第一次産業・第二次産業とも全部その毒腺やら河川やらの市場で成り立ってる。このクルツが数十年平気でこの仕組みでやってきた以上口を出すのが野暮だってことくらいわかってほしいもんだ。
そんなことを思いながら、俺はいつも通りなめすためのタンニン液につけられた未来の革製品の状態を確認する。副店長ほどきっちりと出来てる自信はないが弱音を吐いてたら殺されるからかなり真剣に必死にやってる。
そもそもこの液に触る許可が出たのも一年前だから仕方がないか。
俺の前任だったスローンさんは、二年前の女王戦争で不幸にも亡くなった数少ないクルツ人の一人だった。彼を喪いできた穴を最初は店長が補ってたんだがそれでは無理があると医者先生に叱られ、俺がやることになった。
大分色が濃くなってきた、そろそろ次の液に移すタイミングじゃないだろうか。
そんな風に思っていたところ、被服作業所のドアが開いてそこから店長のトリーことトリニスタ・ロドリーさんが姿を現した。手に持っているのは伝票のようだ。
「ヘルマン君、悪いけど農場に行って今日納品のはずの羊毛を受け取ってきてくれない?」
店長は俺を発見すると全然さっぱり悪いと思っていなそうな口調でそう言って俺に伝票を押し付けてくれた。
そう言えば、短い夏も近づいてきて昨日一昨日と農場では羊の毛刈りが行われていたんだったか。農場から買い入れる毛を運んだり接客したり服を縫ったりがもともとの仕事の俺にとってはこっちが本来の役目なわけだし、楽しみでもあった。
寄り道をして後でばれるとおっかないが、行って帰ってくるまでの間に遠目に町を見ることは当たり前だがお咎めなしだ。変化のない街並みを楽しみ日常を実感することは大切、と思ったがそうでもないらしい。
「あー、クロードさん。に……あいつらまたやってるのか。」
町の広場に集団でたむろしてるのは女王戦争の後クルツにやってきて住みつくようになった連中の一部だ。毎度毎度大通り周辺で許可なく露店をやったりするから何度も領主館の役人たちが注意に行ってるけど改善の兆しは見えない。
どころか、最近になって盗品が市場に並んだことが発覚して大騒ぎにもなった。
魔物にセクハラしたこともある。料理屋でバイトしてる開拓局長の奥さん二人の尻を触ったとかで一人がボコボコにされた話も聞く。うちの店でも万引き未遂事件が発生した。俺が水際で食い止めたからよかったが店長はかなりキレていた。
そんな感じで何かと騒々しくて問題を起こす連中なので、領民も「外から来たもの」と「法の外で行動するような奴ら」という意味で「アウター」などと呼んで距離を置き、出来れば近づきたくない存在と煙たがっている。
クルツの発展と外部との交流が増えるにつれてこういう面倒事が増えるかもしれないとは皆がわかっていたことだったが、予想以上に最初からきついトラブルだ。
あと、自分たちは他の領民と隔離されていると言い出す。新しい居住域が他の古い領民の居住域と川の形をした用水路一つ隔てた外側にある事を隔離と主張しているわけだ。
何より大きな確執になっているのが半年ほど前の領主館放火事件だった、アウターとのトラブルが拡大した矢先に起こった事件だけあって、前々からいた領民の中にはアウターの中に犯人がいると考えてる人間も多い。俺もその一人だ。
「だから俺たちは店をやることに文句を言ってるんじゃない。許可も取らずにここで――」
「我々は正当な権利を持ってこのクルツの独占姿勢に反対する! これでは自治領の経営はすべて領主館に握られているも同然だ! 我々新領民に門戸を開放しろ!! 隔離政策をとるな!!」
大声でクロードさんの説得にも応じず、というか話も聞かずに自分たちの要求を主張する。
あそこは人通りの邪魔になるし運送社長のライアや彼女の会社の荷馬車が全速力で突入してくることもある危険地帯だからバザーを開くのは特設の場所でやることと決められているはずだが、「人通りのある場所でやらないと意味がない」「今までに被害に遭ったことがない」と言い訳をしたり今のように反抗して意地でもあそこから退かない。
むしろ、ライアの会社ですらあれに気を遣わせられてるんだから逆にすごい。
やれやれと言った感じでクロードさんがため息をつくのを見て、
「まずい、仕事を片付けないと口を祭縫いされる。」
とにもかくにも今は仕事だと思いだす、大通りは避けて少し迂回する形になるが小道を抜けていく。道は狭いが綺麗に片付いていて通り抜けるくらいなら余裕だ。
「あ、ヘルマン。」
広い道に出た俺に声をかけてきたのは料理店で働くワーキャットのシェンリだった。そう言えば少し前にとうとうランスの子供を妊娠したんだったか、少しお腹が出ているような気がしなくもない。
「よう、休憩か?」
「うん。そう言うヘルマンはサボり?」
「違うっての、納品物の受け取りだよほらこれ伝票。じゃあな。」
伝票を示してやってから、一目散に左前の細い路地に入る、右前にも路地はあったがあれは駄目だ袋小路になってるはずだ。
徐々に右に向けて緩やかなカーブを描く路地を抜けると、期待通りに俺がクロードさんたちを見かけたのとは反対側の通りに出る。
そこから南にまっすぐ行くとやがて農場が見えてくる。
そして俺の目当てのものはすぐに見つかった。一台の、一頭の馬が牽くには大きめの荷馬車に積まれたいくつもの麻袋と、その上に座る、暗青色の毛を持つ一人の魔物。
「今日はヘルマンの当番?」
「いつも俺しか来ないだろ、ここ。」
牧畜農場に努める魔物、ワーウルフのレティことレティシエルだ。
荷物の引き渡しの時にはだいたい彼女が俺をここで出迎える、こうやってあとは馬車を走らせるだけの状態にしてあることは稀だが、常に彼女は待っててくれている。
彼女に会うのが、町を見渡すことに並ぶ俺の楽しみの一つだったりする。
初めてこの仕事をやって彼女に会って気にし始めてから、何度も何度も繰り返し会って会話をするうちに自然と彼女に惹かれていた。
「伝票、見せて。」
「ああ、これでいいよな? 羊毛八袋、羊皮一頭分。」
「うん大丈夫、じゃあ、行けヴェガニア。」
そうレティが指示をすると馬が歩きはじめる、三年前に生まれてレティが主に世話をしてきた馬だけあって、ヴェガニアはレティの言うことを良く聞き良く働く。
けど今回は何かちょっと事情が違う。
「おい……何で降りないんだ?」
「…………服屋に、用事。何人かの作業着が紛失。破損ではない。」
口数のあまり多くないレティは単語を繋げたように、いつもと違って馬車に乗ったまま俺と一緒に来ている事情を説明する。どうやら作業着がいくつか……
「窃盗されたのか、まさか。」
「可能性はある。でも、証拠不十分、うっかりが重なった可能性あり。」
俺が何か言う前に何が言いたいのか察知したらしくレティはそう言う。
さすがにばれるだろうから同時にいくつも盗んだりしないだろうと俺も思うが、アウターはそう言う意識の外にもいるからシャレにならない。
作業着を盗んで何をする気なのかはわからないが、一応こういうことがあったとクロードさんに報告させておいた方が良いのかもしれない。昔助けてもらった恩義からか、こいつクロードさんには妙に懐いてるし。
特に意識もなく大通りを歩いていたところで、レティがヴェガニアの足を止めて前方の集団を見やる、まだいたのか、どっちも。
「………また?」
「ああ、まただ。クロードさんが直々に出向いてあれなんだからいい度胸してるよな。」
前方で怒鳴り合っているのはクロードさんとアウターの集団、議論に終わりが見えない。というか平行線をたどってる。クロードさんの話、俺が見てた時と変化なし。
「クロ、私も手伝った方が良いか? こいつら、どかす?」
レティは馬車からひらりと飛び降りると尻尾を振り振り駆け寄っていく。
いきなり現れたレティに怪訝な顔を見せたクロードさんだったが俺と馬車を見て事情を察したらしく、渋い顔をして返事をする。
「いらん、お前はお前の仕事をしろ。」
「こいつらが邪魔、ヴェガニアが通れない。」
レティの言うことはもっとも、無理に通ろうとしたら最悪相手を轢いたり踏んでしまう、羊毛と皮だけの荷車とはいえ、量が量なのでそこそこ重いしヴェガニアに至ってはこのクルツで大きさだけなら一二を争う大馬だ、踏まれたら骨が折れるし物も壊れる。
「はぁ……そこをどけ、往来の邪魔だ。」
ツィリアさんが出向いてしょっ引いてやればいいものを、わざわざ行政機関のはずのクロードさんたち領主館に対応を任せる意味があるんだろうか。
アウターはかなり不満そうな顔を見せるが、やがて勝ち目がないことを察したのかすごすごと荷物を回収して去っていく。
「なんでこんな面倒なことになっちまったんだろうな。」
「門戸を開いたから。」
クロードさんのため息交じりの言葉にレティが求められていない答えを答えるとさらに大きなため息が彼の口から洩れる、かなりストレスがたまってるらしい。
「住民同士のトラブルならわかるんだよ、あいつらのは勝手な主張を繰り返すばっかで人の話聞きやしないし道まで不法占拠しやがる。」
ぶつくさと文句を言い出す、ルミネさんや領主館の皆が言うにはクロードさんの口数が多くなってるときってのはたいがいイラついてる時だそうだ。
「俺は本来の仕事に戻るから、お前らも真面目に働けよ。」
疲れた足取りでクロードさんは領主館のほうに歩いていく、レティもそれを見送るとまた馬車の荷物の上に飛び乗る、そして「行こう」というと止まっていたヴェガニアも彼女の指示に従って歩き出す。
「……なぁレティ。」
ふと思ったことを聞いてみることにした、ここに彼女がいるということはその質問への答えは半ば決まっているようなものだったが、聞いてみたかった。
「なに?」
「お前の故郷、帰らなくていいのか? ……俺やロイド…それにアイリさんは町が全部消えてなくなってるから帰るところもないが……」
俺の出身であるローディアナ王国の町メディスは十年以上前、その領地の領主であった貴族によって難癖をつけられ、物資も人も略奪された上に滅ぼされた。
偶然近くを通りがかったクロードさんに助けられた俺と、その時町から離れていたアイリさんとロイドの姉弟だけが運よく生き延びた人間だった。
「なくなったから、平気。それにお参りなら、戦いのときに行ってきた。」
「………そうか。」
住んでいた場所を失い、クロードさんに助けられてここに来たという点では俺とレティには共通点がある、そのくらいしか共通点はないってのが実情だが。
まだ外に故郷があった人の中には、帰って行った人もいるらしい、俺はそんな人に会ったことはないけれど、確かにいるんだそうだ。十数人ほど。
「プラムも帰ったんだよな? 故郷に。」
「母親に会いに行くだけだって、有給を全部使いきる覚悟で。」
金属加工場のホブゴブリンのプラムは主にクルツのギリギリ割けるだけの余剰人員を基に編成したローディアナ王国復興支援隊について外界に行った。
「戻ってくるのか、意外だな。」
「ここは住み心地が良いから、仕方ない。」
そんな会話をしてるうちに店の前だ。
「ヴェガニア、止まれ。」
「じゃあ、俺はこれを搬入してくるからその間に店で注文済ませといてくれ。」
そう言って袋を二つ手に持つ、重くはないがでかいので二つずつ運ぶので精いっぱいだ。
「うん、じゃあまた後で。」
そう言って正面、店の出入り口からレティが店に入ったことを確認して俺も搬入口から羊毛の搬入を始める、他の店員はあまり手伝ってくれないので普段から俺一人でやっている仕事だ。
「ヘルマンさん、私も手伝いましょうか?」
そう声をかけてきたのは店一番の新人であり、アウターとほぼ変わらない時期にクルツにやってきたがあっさり溶け込んだチェルシー・ウッドだった。
まだ若い少女といっていい年齢でありながら既に結婚していたりその相手が従兄だったりその夫がもう一人結婚している相手はグリズリーだったりと、なかなか法律上それが可能なクルツでも珍しい戸籍を持っている。
「いらない、お前は自分の仕事をしてろ。」
「はいはい、ところでレティさんとは最近どうなんです?」
「自分の仕事をしろと言ってるんだが聞こえなかったか?」
たまに年上をからかうような態度を見せるのは子供らしさが残ってると考えればいいんだろうか。こいつだけでなく、俺がレティに惚れてることはこの職場の皆が熟知していた。
そして特にこいつは自分に相手がいるからかあれこれ言ってくる、顔変形するほどつねってやりたい。
「進展なしですか、やれやれ。」
「口を縫われたいんだなお前は。」
呆れた声を出すチェルシーにイラついた俺は迷わず自分の裁縫道具から針と糸を取り出し糸を通す。
「はいやめ、ほらヘルマン。レティが帰るから見送りなさい。」
店長がそれを抑え、俺に命令する。
そう言うわけで俺が店の出入り口まで行くと空になった荷馬車の上にレティが座っていた。
足を投げ出した姿勢で、ソファに座ってくつろぐように、衣服がなかなか際どいので少し目のやり場に困るが、客であり惚れた女である彼女相手に無礼はできない。
「ありがとうございました。」
「………うん。」
ちょっとだけ微笑んだレティの顔に安心感を覚えながら、去っていく彼女の姿を見送った。

13/05/09 19:09更新 / なるつき
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■作者メッセージ

ワイルドライア運送
クルツ唯一の運送会社、従業員は社長でミノタウロスのライアを含めて八名。
数台の荷馬車こそ持っているが馬は二頭しか所有しておらずライア以外の人員は農場から適宜馬を借りている。逆に農場に荷車を貸し出すこともある。

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