連載小説
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前編
 晴れた空。白い雲。心地よい風。
 山は赤茶色に紅葉し、人々は収穫の時期を迎え作物の実りをもたらす自然に感謝する。子供たちは田園で遊びまわり、主婦らは路地で他愛も無い世間話をし、若い大人らは日々の仕事に明け暮れる。限りなくのどかで平凡、このナサリ村はそういった印象を受ける平和な村である。
 代り映えのない毎日、毎年。だがそれでも村人らはこのナサリ村を愛し、住んでいる。反魔物領ではあるものの熱狂的な信者はおらず、教団から派遣される警備兵が数名駐屯しているだけだ。守りが薄すぎると思われるが、ナサリ村の近辺に凶悪な魔物の出現例はほぼ皆無でありせいぜいスライム、ごくまれにゴブリンやワーウルフがちょっかいを出しに来る程度である。適当な作物を適当な量分け与えれば満足して去っていくのでむしろ警備兵すら不要な現状ではあるが念には念を入れて、というのが教団本部の方針らしい。

「よお、今年の収穫はどうだ?」
「まー例年通りって感じかね。そっちはどうよ」
「猪のヤロウが食い漁りやがってめちゃくちゃだ。来年は対策しねぇとなあ」
「お前んトコの地域、獣害が酷かったらしいな。どれ、売り物にならねぇ芋分けてやっから元気出せよ」
「おお、助かるわ」


「ねえ聞いた?今都会ではネイル?アート?っていうのが流行ってるらしいわよ」
「なぁにそれ、聞いたことないわ」
「爪を化粧するんだってさ。都会の女性は爪の綺麗さで美を磨くんだと」
「ふ〜ん……でもアタシら、爪なんて化粧したってすぐ農作業で泥まみれになるしねぇ」
「そうそう。うちも試してみようかと思ったけど無意味だと思ってやめたわ」
「それにアタシら、爪を磨くよりも腹の肉絞った方がもっとマシになるわよ」
「「アッハハ!!」」


「な〜じっちゃん、さっきからずっと釣り糸垂らしてるけど全然釣れてねーじゃん」
「坊主が隣で喚いてりゃ魚も逃げるわい。ほれどっか行った行った」
「しゃーねーだろー、友達が風邪ひいちまって遊び相手いねーんだし。じっちゃん暇そーだから俺の遊び相手になってくれると思ったんだけどなー」
「……なら釣りでもしてみるかね」
「うーん…………ま、いっか!暇つぶしにはなるかな」
「坊主が静かにしてりゃ晩飯は焼き魚になるぞ」
「魚より肉がくいてーなー」

 村人らは今日も変わらぬ日々を送っている。とりとめのない毎日、それが何よりも尊くかけがえのないものだと知っているからだ。きっと明日も、明後日も、来年も、再来年もそうした日々を送っていくのだろう。ナサリ村はそうして今まで存続しており、そしてこれからもそうであり続ける。


    ◇


「うーん、ちょっと喉の奥が腫れてますね。薬出しておきますので1週間ほど様子見ましょうか」

 椅子に座った子どもの向かいに座り、子どもの口の中を一望した青年はそう言いながら卓上の紙にすらすらと文字を書いてゆく。文字の読み書きが不十分な子どもとその保護者は神妙な顔つきで青年を眺め、不安を募らせているようだ。

「う、うちの子は大丈夫なんでしょうか……?」
「恐らくはただの風邪でしょう。喉の奥にばい菌が入ってしまった可能性が高いですね。今から出すお薬を毎日1錠、就寝前に飲めば1週間後には収まっているはずです」
「ありがとうございます!先生がいて助かりました……」
「いえいえ、これが仕事ですので」

 彼は1週間分の錠剤を保護者に渡し、子どもと保護者を見送った。
 ここは村唯一の医療機関である診療所。村医者である彼、アルベルトは教団から派遣された正規の医者であり、この村の医療は実質彼一人で補っているといっても差し控えない。それでも彼は医療に携わる者として人々の苦痛を和らげることこそが自分の仕事だと割り切っており、多忙な生活ながら充実して過ごしていた。生活費と給料は教団本部からそれなりの金額を支給されており、生活にはそれほど困っていないようだが、やはり多忙ゆえに彼の身体は常に疲労しているのは言うまでもないだろう。

(ふう……今日はこれくらいにしてくれると助かるんだけど、どうだか)

 一人しかいないためなかなか診療所を離れることができない彼は自らの凝り固まった肩をトントンと叩き大きなため息をひとつ。せめて助手が一人でもいればだいぶ和らぐのだが……と考えたこともあったが、教団も人材不足らしく、ましてこの辺境の村に貴重な人材を二人も派遣するほど余力がないのは彼も重々承知していた。
 誰一人としていなくなった待合室を確認した彼は椅子から立ち上がると大きい伸びをする。身に着けていた医療道具を指定の位置に戻し、ポケットを財布にしまい込むと晴れた秋空へのそのそと外出するのであった。

「先生こんにちはー!」
「やあこんにちは。怪我の調子はどうだい?」
「もうぜんっぜん痛くないよ!」
「それはよかった。気をつけて遊びなよ」
「はーい!!」

 すれ違う村人らと他愛も無い会話をし村を歩く。彼が初めてこの村に訪れたときの第一印象は極めて質素な村であった。争い事がないのは良いに越したことはないが、あまりに平凡すぎて逆に刺激を求めたくなるのではないかという危惧さえ抱きかねないほどのどか過ぎたのだ。
 しかしこの地に住み生活していくと、彼の抱いたその懸念は誤りであったと彼自身が痛感した。日々移ろいでゆく季節に身を任せ近隣の人々と手を取り合いながら争い無く暮らしていくことの素晴らしさを村人の姿から学び、教団本部にいた頃とは想像もできないほど安定した生活に彼自身がいい意味でほだされてしまったのだ。教団本部にいた頃も激務であり、ナサリ村での生活もまた多忙である。しかしその忙しさの質は全く異なったものであり、こちらの生活の方が格段に生きがいのある忙しさゆえ彼はそこまで不満ではなかった。
 事実、忙しい忙しいと言いながらもこうして自分の時間が取れていることが何よりの証明でもある。

「いらっしゃいませー。あ、先生かい。そろそろ来る頃だと思ってたよ」
 
 香ばしい香りを嗅ぐわせる売店に慣れた足取りで入っていくアルベルト。カラコロとベルが鳴り、見渡す限りの黄金色に思わず腹の音が鳴ってしまいそうになるほどだ。

「いつものパンあります?」
「あいよ。いっつも頑張ってる先生にはサービスして――ほら、これも持ってきな」
「ありがとうございます。これで数日は過ごせそうだ……」
「先生がぶっ倒れちゃアタシらも困っちゃうからねぇ。ちゃんと食べて栄養つけなよ!」
「ハハ……気をつけておきます」

 いつものパン、もとい肉と葉野菜を挟んだ簡易パンを数個購入し、売り物にならないパンの切れ端が詰められた袋を受け取った。彼の食事はほぼ毎日このように手軽なもので済ましている。調理する暇すらないので仕方ないといえば仕方ないのだが、さすがにこれでは医者の不養生とも言えるだろう。
 尤も彼自身自覚はあるようで、挟まれている野菜がせめてもの健康意識の象徴である。

(書類整理と試薬の調製と……ああ、やることが多すぎる)

 パン袋を持ちながら帰路につく彼は清々しい秋空とは真逆の事を考えている。書類を纏めて本部に送り、試薬の在庫を確認し、明日来るであろう患者のリストを確認し……ブツブツと呪文のように呟きながら徐にパン袋に手を入れ、そのまま口に運ぶ。本部にいた頃は食べ歩きなどしようものなら即注意されたものだが、ここはそんなことを考えることすら必要のない田舎だ。
 いつしか食べ歩きはアルベルトの習慣になっていた。

(このまま患者が来なければ今日は酒でも……うん?)

 今夜の晩酌のことを考えつつ帰路についていると、ふと見慣れぬ人影を目撃した彼は足を遅める。

「もし……どうかしましたか?」
「いやあ素晴らしい。この自然豊かな原風景、子どもが遊び回る田園、雰囲気から感じ取れる平穏な暮らし。まだこのような村があったとは感動を隠せません」
「は、はぁ」

 彼は村医者であるがゆえに、ここの村人はある程度顔と名前は把握している。だというのにその彼の記憶には目の前の女性は存在していなかった。

「これは申し遅れました。私は旅の宣教師をしておりますロジオーネと申します」
「聖職者の方でしたか、これは失礼しました。僕はこのナサリ村の村医者をしておりますアルベルトという者です。宣教師様自らこのような村に赴くとは何か用事でも?」
「いえいえ私は旅の者。■■■教の教典のままに迷える子羊のため流浪しているのです。この村に立ち寄ったのも何かの御縁、ただそれだけです」

 そう語る彼女の視線は感動に満ち溢れているかの如く燦燦と煌き、平凡な村の風景を一望している。手に持っている錫杖をジャラジャラ鳴らし、およそ旅をするに適しているとは言えない司祭服を着込んだ彼女は興奮のあまり錫杖を放り投げてしまいしまいそうなほどであった。

「何もない村ですが宣教師様がそう言ってくださるのならば村長も鼻が高いでしょう」
「宣教師様だなんて、私はそこまで偉くありません。ロジーと呼んでくださって結構です」

 外見は20代そこらの普通の女性と何ら変わりない。しかしこの若さで宣教師をしているということはそれ相応の徳を積んだ聖職者であることは確実であり、つい畏まってしまうアルベルトの対応は教団本部に勤めていた彼にとって当たり前のことであった。
 そんな宣教師から愛称で呼んでくれと呼ばれたからには従うほかなく、それと反して愛称で呼んでしまっていいのかという戸惑いがあるのも事実だ。

「ではロジーさん。この村にはその……■■■教を広めに?」
「ええ!■■■教の素晴らしさを一人でも多くの人に広めるため私のような宣教師が各地で日々奮闘しています。かくいう私もその一人でありましてたまたまこの村に立ち寄った、ということになりますね」
「なるほど、ではまずは村長の所に行った方が良さそうですね。この村についていろいろと教えてくれるはz……」


ぎゅる、ぐごぐるるるるるうる


 突如として鳴り響く怪音。獣の声帯を何重にも擦り合わせたような重低音が辺り一面を覆い尽くした。直後、腹部を抑え赤面するロジー。全てを察するアルベルト。

「……聴こえました?」
「聴かなかったことにするにはあまりにも、その……大きく」
「〜〜〜〜///」

 遠くで遊んでいた子どもが彼女の方を指さして笑っている。心なしか木の上に止まっているいる野鳥すらも嘲笑っているかの如く鳴いているのであった。
 そしてアルベルトはというと、彼は彼で医療従事者として見逃すことができずにいた。

「あ、あはは……そういえば昨日の朝から何も食べてないんでした」
「丸一日以上じゃないですか。旅の携帯食は?」
「昨日の朝食べたのが最後だったので……本当に、ほんっとうに申し訳ないですが何か食べ物を恵んではくれないでしょうか。どんな些細なものでも結構です。その気になれば雑草とかも食べますので」
「ハハッ、宣教師様にそんなことできませんよ。では診療所に来てください、食材なら多少ありますので簡単なものなら調理できますよ。それまではこのパンの切れ端をどうぞ」

 そういうと彼はパン屋から貰ったパンの切れ端をロジーに手渡した。直後恐るべき速さで開封し貪り始める彼女の姿を尻目にアルベルトは”宣教師らしくない宣教師”と思うだけ思いあえて口には出さなかった。
 リスのように両頬にパンを突っ込み咀嚼する姿は誰がどう見ても聡明な宣教師には見えなかった。


  ◇


 アルベルトの家は診療所と一体になっており、診療所の奥に彼の自室が続いている。無論この家は彼が建築したものではなく、前任の村医者から引き継いだ時に仮住まいの家として引き継いだものだ。築年数もそれなりに経過しているが必要最低限生活できるくらいには整っており、彼の生活の中心ともいえよう。
 今まで女性の一人たりとも入り込んだことのなかった彼の自室に初めて足を踏み入れたのが宣教師というなんとも不思議な体験をしているわけだが、当の本人は特に気にはしていないようだ。

「何かあるもので作りますのでロジーさんは自由に休んでいてください」

 自分の食事だけならパンだけで済ませていたところだが客人に振る舞うとなると別である。旅をして腹を空かせているロジーをせめて美味しいもので満たしてあげようと思った彼は冷暗所を覗きこみ何があるか確かめ、そしてしかめっ面をするのであった。
 芋、そして干し肉。たった二点のみである。

(煮るか、炒めるか……いや揚げるか?)

 頭の中で様々な料理を想起するが、もとよりそこまで日ごろ料理をするわけでもない彼のレパートリーなどたかが知れている。だが、無いアイデアをひねり出そうとうんうん唸っているアルベルトの背後からひょっこり顔を出し食材を覗きこむ影が見えたとき、その影は思いもよらぬことを発した。

「芋に干し肉、ですか。よし!私が作りましょう!」
「ええ!?いやいやいやそんな、ロジーさんは休んでてください。客人に振る舞うのが家主の仕事ですから」
「なりません!それでは■■■教の教義に反します。というかむしろ私に作らせてください。アルベルトさんだって最近ロクな食事をしていないのでしょう?ならばなおのこと私が作る使命があります」

 聖職者特有の謎の説得力に押され彼はすごすごと退いてしまった。
 芋と干し肉を手にしたロジーは軽快な足取りで炊事場へ向かうと、慣れた手つきで芋の皮をむき始める。水を張った鍋の下に小枝を敷き彼女がぱちんと指を弾くと、何もなかった小枝から火が立ちたちまち強火へと燃え広がっていく。その光景を後ろから眺めていたアルベルトはあまりの手際の良さに"ロジーに任せておいて正解だったかもしれない"と思うようになっていた。
 簡易な魔法を駆使しテキパキと調理を進めていく彼女を尻目に、家主であるアルベルトは何もすることができずただただ彼女の後姿を呆然と見つめることしかできなかった。

「一品料理ですが”ふかし芋と干し肉の塩胡椒混ぜ”の完成です!さあ食べましょう。芋は良いですよ、パンに匹敵するほどのエネルギーがあります」
「何から何まで申し訳ないです。本来振る舞う側なのですが」
「飢えは安定した生活を送るうえで最も避けねばならない問題の一つですからね。いち聖職者として見逃せません」
「そういう割にはロジーさんも食料全部尽きていたでは……あっ」

 途中まで言いかけたところでロジーは「それ以上いけない」という静止の手をかざしていたので彼は口をつぐんだ。
 二人はそのまま無言で料理を食べ、腹を満たしてゆく。古くなりすぎていつ芽が出てもおかしくない芋だったのだが味は普通の芋と何ら変わらず、むしろ予想以上に美味しくて食事の手を休める暇すらなかったのだ。
 気がつけば皿の上の芋と干し肉は空になり、二人分のスプーンだけがカラリと皿に落ちていた。

「いやあ実に助かりました。貴方の行いはきっと■■■神様もお褒めになるはずです」
「そ、それはどうも。流石に皿は僕が洗いますよ」

 このまま放置していたら、きっと彼女は気を利かせて皿まで洗ってしまうと危惧したアルベルトは食べ終えるなり即座に皿洗いに移行したのであった。宣教師という立場の相手に皿洗いをさせるなど彼女が許しても彼の教団役員としての立場が許さなかったのだろう。

「そういえばロジーさんはどちらから来られたのですか」
「このナサリ村を訪れる前はエティスアラプ市に滞在しておりました」
「エティスアラプ市……それはまた随分と長い旅路でしたね。ここからだと片道ひと月以上はかかりますが……まさかずっと徒歩で?」
「初めの頃は馬を借りていたのですが、道中川を渡るため泣く泣く手放しました。それからはもう毎日歩きっぱなしでもうヘトヘトです。しばらくの間はこのナサリ村で英気を養って、準備が整い次第出発しようかと」
「それは過酷な旅路だったことでしょう。ご覧のとおり何もない村ですがどうぞゆっくりしていってください」

 20代そこらの女性が厚手の司祭服を何重にも重ね、重厚な装飾具を所狭しと見繕った格好をしながら旅をしている。その旅路は過酷であって当然であった。
 見た目こそごくごく普通の女性ではあるものの、その身に宿す使命感は聖人のようであり彼女の人柄もあってつい擁護したくなってしまう気にならざるを得ない。


  ◇


 彼女が村に来てから1週間が経った。
 彼女はその後村長の元に赴き、事情を説明すると、村長は快く快諾し村の空き家を一つ化したのだという。彼女がこれからまた宣教の旅に立つにはこの地の冬は厳しすぎるため冬を越して春になってから、ということになったようである。
 しかしいくら平和な村といえど、見ず知らずの赤の他人を春まで滞在させるというのはいかがなものか、という意見が飛び交っているのが現状だ。滞在させてもらってはいるものの彼女はよそ者であることに変わらないのである。彼女自身も、村人もそれを意識してかあまり接点を取らないようにしている。

「あ、アルベルトさんこっちこっち!」

 ある昼下がりの頃、アルベルトは定期的に行う巡回診察を終え村の一角を歩いていた。
 先週よりも少し肌寒くなりそろそろ冬用の防寒具を用意しなければな、と物思いに耽りながら歩いていると何やら聞き覚えのある声が聴こえてくるではないか。
 彼は声が聴こえてくる方を凝視し、そちらへ足を進める。

「おぉ先生!見てくださいよこいつ、俺の畑荒らしてたヤツでさぁ!」
「いや〜私の見込んだ通りでした!ふふん」

 ロジーと彼女の隣でご機嫌な調子で声を張り上げている男性は足元の大きな塊を指さしそう言った。アルベルトが恐る恐る足元の塊を見てみると、それはどうやら獣の死骸、それもひときわ大きな猪であった。

「こ、この猪は一体……」
「それが先生聞いてくだせぇや。コイツぁ前々からここら一帯の畑を荒らしていた例の猪でさぁ。俺ら農家もなっかなか捕られられなくて困ってたところなんだ。それがなんだ、このネーちゃんの入れ知恵を仕込んだ罠をひとつかけりゃこのザマよ!!」
「ロジーさんが?」

 そういうと彼女は自信あり気な顔をしてふんすと鼻を鳴らしている。彼女がどのようにして猪を捕らえたかは定かではないが、彼女の様子とそれを語る農家の男性の証言からして事実のようであった。傷ひとつなく倒れている猪の死骸はまるでついさっきまで生きていたかのような生暖かさがあり、見ようによっては寝息ひとつ立てず寝ているようにも見える。しかし脈はなく確実に死んでいるようだ。

「このッ、こいつッ、よくも俺らの大事な作物食い漁りやがって」

 農家の男性が死骸い蹴りを数発叩き込んでいるがもちろん揺れるだけで何の反応もない。

「■■■教■章■節には狩猟の教義がありまして、それを活用したまでです。私なんてこれっぽっちも活躍してませんよ」
「けどネーちゃんが教えてくれなけりゃ俺らはずっと獣害に悩まされ続けていたんだ。感謝するぜ」
「いえいえ私なんて全然……」
「そう畏まんなや!そうだ、お礼に作物ちょっと分けてやるよ。ネーちゃん、来年の春までナサリ村にいるんだろ?ここら一帯の農民に顔利かせてやっからよ、腹減ったら食材貰うといい」

 いやいやいや、と拒否するも半ば強引な農民の提案に乗せられるロジー。

「ロジーさん、こういうものは好意として受け取っておくものですよ」
「……ア、アルベルトさんまでそうおっしゃるのであればそうですね。ここはお言葉に甘えて頼っちゃいます」
「おうよ!売りモンに出せねぇ作物は手あたり次第ネーちゃんに押し付けてやっから!ガハハ!!」

 体のいい残飯処理とも思えたが見た目にこだわらなければ作物としては同じものである。ロジーは承諾し、早速収穫された作物の一部を押し付けられたのであった。
 若干捻じれたり変色したりしているが調理してしまえば全く同じであろう。

「しかしあれだな、■■■教だっけか?意外とタメになるもんだな」
「■■■教は遍く人々を救済する教えです。入信の手続きは私に申請してくれればいつでも受け付けておりますので是非!そもそも私がこの村に訪れたのは■■■教を広く知らしめる為ですので」
「まぁ〜〜でも俺あまりそういうの興味無いからなぁ。主神教だって信仰してんのかしてないのかわかんねーぐらいだし」
「では、その気になりましたらいつでもお待ちしております」

 大きく一礼し、両腕に作物を抱きかかえたロジーはその場を後にする。アルベルトと農家の男性はその場に留まり彼女の姿が見えなくなるまで彼女を見送っていた。
 ロジーの姿が見えなくなった頃、農家の男性は再び口を開く。

「若いネーちゃんなのにしっかりしてんなぁ」
「ええ、私も同じことを思っていました」
「ハハ!なーに言ってんだ、先生もネーちゃんも同じくらいの歳だろ」
「僕こう見えて今年で30ですよ。ロジーさんは恐らく20代ですし、さすがに20代と30代では差があります」
「そういうもんかねぇ。20も30もそう変わらねぇだろ」

 そう変わります。アルベルトは反論したかったがここで反論しても平行線をたどりそうなのであえて口にはしなかった。

「おっといけねえ、早く猪の処理しとかねえと」
「これ、どうやって処理するんですか?」
「俺たちの作物をたらふく食って肥えてやがるからここら一帯の農家組合で鍋でもするつもりだ。先生も食うか?というか食え!先生は猪と違ってロクなもん食ってねえから肥えろ肥えろ!!」
「は、はは……それではご一緒させてもらいましょうか」

 その日の夜は地域の農家一同会しての宴会騒ぎとなったのは言うまでもない。
 今まで度重なる獣害を出していながら一向に捕らえられなかった大猪を容易く捕獲してしまった宣教師の話題で持ちきりになり、こんなことなら当事者も招けばよかったと皆が口を揃えていた。皆が皆、てっきり招待していたと思いきっていたのか、逆に誰も招待していなかったという失態を犯していたのである。
 宴会中、アルベルトはロジーを呼びに行ったのだが酔いが回った若手の農家に絡まれてしまいそれどころでなかったのだという。
 だがこれを機に村人のロジーに対する印象は大きく変わったのは間違いない。見ず知らずの宣教師から、農民を苦しめてきた獣害を解消したという大きな功績を立て、頼れる宣教師様という確固たる地位を確立した瞬間でもあった。


  ◇


 それからさらに数日後。
 アルベルトがいつものように診療所にて診察していた時のことである。

「次の方どうぞ……ってロジーさんじゃありませんか。今日はどういたしました?」
「実は先生に発表したいことがありまして」
「……もしかしてプライベートな話ですか。それなら今日の診察が終わってからに」
「さっき待合室見ましたけどもう誰もいませんでしたよ」

 そう言われ待合室を覗くアルベルト。ロジーの言う通り待合室には誰もおらず彼女が最後の患者(患者というわけでもないのだが)なのは間違いないようだ。日も暮れ始め、これから来る患者といえば後は緊急患者ぐらいだろう。
 アルベルトは白衣を脱ぎ本日の業務を終えたところでようやく彼女の話を聞く体勢になる。

「で、発表したいこととは一体何でしょう」
「実はですね……なんとこの度■■■教の教会の建築が認められたのです!」
「!!!それはおめでたいですね!」
「先日の猪の件が村長の耳に入ったみたいでして、何か欲しい報酬がないかって聞かれたんですよね。冗談交じりに■■■教の教会を建てて欲しいって言ったら……」
「本当になってしまった、と」

 ロジーは首をぶんぶんと縦に振り、そしてにへらぁと笑みをこぼしていた。
 聖職者にとって教会とは特別な場所である。聖職者としての業務を行い日ごろの礼拝をすべき聖なる場所として決して欠かすことのできない施設である。
 彼女にとって教会の建築はこの上なく喜ばしいことだろう。

(いくらなんでも早すぎやしないか。いや、彼女がこんなにも喜んでいるのなら……)

 アルベルトは一瞬、頭の中で考えたが目の前で喜びを顕わにする彼女の姿を見ていたら無粋であると察し、素直に祝福することにした。
 このナサリ村は主教の管轄下ではあるものの村人の中に熱心な信徒はいない。■■■教の教会建築に対して不信感を覚える者も少なからずいるかもしれないが、そこまで大ごとになるまではいかないだろう、と彼は胸の内に自らの言葉を収納した。

「というかアルベルトさん、先日農家の人たちと宴会したらしいじゃないですか。もうっ、どうして呼んでくれなかったんですか!?」
「い、いやそれはですね。その、皆が皆てっきり招待しているものだと思い込んで……」
「もういいです。それなら私とアルベルトさんとで鍋パしましょう。そうしましょう、そうしたいですよね?よし決定!」
「な、べぱ?その、なべぱとは一体……」
「前まで滞在していたエティスアラプ市で知った料理です。まぁ要するに鍋をつついて宴会するだけなんですがそういう言い方もあるみたいですよ」

 彼女は自信ありげに語るとてきぱきと準備し、キッチンを占拠し始めた。ここはアルベルトの家なのだが何故か彼以上に調理器の位置を把握しており、みるみるうちに食材が準備されてゆく。

「ははっ、まるで新婚みたいですね」

 何気ない一言。何の気なしに、本当に何気ないたった一言。彼はそのつもりだった。
 しかしその言葉を発した瞬間、手際よく動いていた彼女の手は時が止まったかのように停止したのを彼は目の当たりにする。背中越しに調理している彼女の表情をうかがい知ることはできない。

「…………じ、冗談ですよ冗談。ええ、はい、そう、そうです。お気になさらず」
(まずいな、怒らせてしまっただろうか)

 自ら発した言葉を訂正しつつ心の中で後悔するアルベルト。だがその直後、ロジーは手に持ったお玉を鍋に入れ、振り返りこう言う。

「も〜アルベルトさんったら!そういう冗談は女性を勘違いさせちゃいますよ」

(よかった……怒ってはいないようだ)

 ロジーはそう言うとケラケラと笑い再び背を向けると調理を再開した。アルベルトは安堵し、再び調理する彼女の背中を見つめながら完成するのを待っているのであった。
 湯気が立ち、塩気と野菜の煮える香りが部屋を充満する。アルベルトは食器と飲み物、そして鍋敷きを用意しできるだけの準備をする。

「よっ……とと、よし!食べましょう!」
「おおぉ良い匂いです。今時期のような寒い季節には最高ですね」
「自然の恵み、母なる大地、人々の勤労に感謝して……あむっ」



「「うまい!!!!」」



 特別な素材を使って居るわけでもなく、特別な調理法をしているわけでもない。だというのに舌の上でとろけ絡み合う塩気と食材が混ざり合い、喉を通り胃に到達するまでその全ての過程が完備と感じられるほどこの鍋は極上のものであった。

「本当に美味しい……ど、どうやって作ったんですかロジーさん!?」
「私だって知りたいですよ!?普通に作っただけですから……」
「しかし、あむ、これは、もぐ、うん……うまい……」
「そう言ってもらえると嬉しいです」

 食べる手が止まらない。この肌寒い季節に鍋という料理は最高なもので、体の芯から熱くなるにはうってつけである。葉野菜と肉の練り物を頬張り、スープを飲み、汗を流し、そしてまた食べる。魔性の鍋に魅了されてしまったかの如く手が止まらない二人なのであった。

「はふ、本当に普通の食材使っただけですよね?」
「もう、しつこいですよ。何も特殊なことはしてません」
「いやあ……美味しい。あつかましいかも知れませんが、また今度作ってはくれないでしょうか」
「アルベルトさんが食べたいと仰るのならいつだって作ってあげますよ!明日も明後日も、なんなら……」
「いやいや本気にならないでください。ロジーさんの余裕がある時で構いませんから」

 などと談話しつつ、二人は熱い夕食を交わすのであった。


  ◇


「お〜?何建ててんだ??」
「教会だってさ。それも■■■教の」
「■■■教……ってことはあの宣教師の?」
「らしいぜ。オマエ知ってるか?例の獣害の件、解決したのがあの宣教師らしくて、それが村長いたく気に入っちまったみたいでよ」
「村長のお人よしにも困ったものだ」

 近所の村人らが丘の上の建築現場を訪れこのような立ち話をしている頃。
 当事者はというと、彼らは遅れてこの場にやってきたようだ。

「これはこれは皆さん、どうしましたかな?」
「村長!!」

 杖を付き、いかにもな風貌の老人が遅い足取りで坂を上ってくる。その後ろからついてくる女性は、もう村の一員なら知らぬ者はいない例の宣教師であった。
 足腰の悪い村長を支えるかのように後ろに付き添う姿は事態を知らないものからすれば、さぞ慈愛に満ち溢れた女性に見えるだろう。しかしこの場に集まっている村人らはそうではなかった。

「そう怖い顔をしなさんな。みなの言いたいことはよくわかっとる」
「村長、じゃあなんで……」

 村長はすうう……と一息、大きな呼吸をする。そして村人らを一望すると、背を向け坂の上から町を見下ろしながら語り始めた。

「みなの許可を正式に受けず建築に至ったのは謝罪する。すまなかった。しかしこの教会は村に必要なものなのじゃ」
「どういうことだ……?」

 まるで意味がわからないといった様子で村人らは口を揃えてそう言う。

「この村は田舎じゃ。それもドがつくほどのな。名産も名所もなく旅人はただ通過するのみ、公共施設もなくあるのはただの静寂だけ。ハッキリ言おう。この村はあと100年もすれば廃れる」
「っ……!」

 村長の無慈悲な言葉に村人らは衝撃を隠せない。動揺し狼狽える者、震える手を握り締める者、そして反論しようにも言葉が出てこない者。村人らの反応はその事態が事実であるということの裏付けでもあったのだ。
 その村人らの様子を見た村長は続けて語る。

「本当はわかっているのじゃろう?旅人は一晩止まるだけですぐいなくなってしまう、移住者はここ数年誰もおらん。年寄りは増え、子は減る一方。もう、この村は終わりかけておる。争い事ではなく、自然災害でもなく、そのままゆっくりと衰退していくのじゃ」

 平和だから、という謳い文句に甘えのどかに暮らしてきたがゆえに起きてしまった衰退という結末。年々感じつつも事実から目をそらし何も対策してこなかった村そのものがついに終わりを迎える時が近づいていたのである。

「じ、じゃあどうすんだよ!このまま黙って人口が減っていくのを見てるってのか!?俺はそんなの……そんなの嫌だ」
「私だって!!この村で産まれてこの村に住み続けているのよ。他に行くアテなんて……」
「先祖代々受け継いできた畑を捨てるってのか、勘弁してくれ!」

 各々が嘆き、今後の行く末を想像しざわめき始める。

「ですからこのナサリ村には新しい風が必要なのです!」
「!?!?」

 声高らかに口を開いたのは今まで沈黙していたロジーだった。
 彼女は両手を高らかに揚げ、大げさな身振り手振りで朗々と語り始める。

「私がこの村を初めて見たとき、とても素晴らしい村だと思いました。大自然に囲まれ人々が豊かな暮らしをしている。それを成すことがどれほど難しいかは皆さんが一番知っていることでしょう。ですから私としても、この村を衰退させてしまうのはとてももったいないと思っております。
このような時期に私がナサリ村に訪れたのは天命なのでしょう。村の存続を維持するために尽力せよ、そう■■■神様は仰っているのです。
村おこしをしましょう。どんな村にも、どんな都市にも作り出せないこの村唯一至高の名産品を作りましょう。大自然を生かした観光名所を作りましょう。つい移住したくなるような地域づくりに尽力しましょう。学校を作り安定した教育を子どもたちにさせましょう。ナサリ村は今こそ変わるべきなのです!!」

 彼女の語りは意気消沈する村人らを活気立たせ始める。
 ある者は沈んだ顔を上げ、ある者は繁栄した村の未来を想像し、ある者は名産品で一躍有名になる夢を見る。彼女の声高らかな声明は村人らの胸に突き刺さり霞がかっていた村の未来を切り開く風となり始めていた。
 ロジーの語りは衝撃と希望を同時に生み出していたのだ。

「■■■教の教義は豊穣と繁栄。ゆえにこの村もまた■■■教の名のもとに繁栄させてみせましょう。それが私の天命であり、そして皆様方のためでもあるのですから!」
「……ということじゃ。皆さん、わしからもどうか、どうかお願いする。共にこの村を発展させてみようではないか」

「…………」

 沈黙。
 村長が頭を下げ、それに続けロジーも頭を下げる。
 肌寒い初冬の風が吹き、枯れ葉が木々から抜け落ちる。村長らと村人らの間で長い長い沈黙が維持されたのち、最初に口を開いたのは村人の方だった。

「村長に頭を下げられちゃ断れないよな」
「ふ、名産品か、イイじゃねぇか。実は俺、昔から考えてたことがあってよ……」
「そういえば村はずれの森に観光になりそうな滝があったわね」

 そういえば、俺はそう思う、そうすればいいんじゃないか、その案良いだろう。
 次第に村人らは各々が各々の案を言い合い、より良い発展に向け自然と言葉を交わすようになっていた。頭を上げ村長とロジーはその光景を見ながら安堵の胸をなでおろす。村長もまた活気に満ち溢れる村人らを目の当たりにして希望が湧いてきたようであった。

「ありがとうロジーさん。貴女のおかげでこの村はようやく変われそうじゃ」
「いえ、私はただきっかけを作っただけです。変われる力は元々あったんですよ」
「それでもじゃ。最初の一押しほど難しいものはない。教会を建築し否応なしに新しい風を取り入れるという案に乗って大正解じゃった。この恩は忘れませんぞ」
「そんなに言われてしまったら私もっと張り切っちゃいたくなっちゃいます。この教会を■■■教の教会として扱うほかに、学校として使用させてもらいますよ」
「ええ、ええ!構いませんとも!!ロジーさんの授業、子どもたちも楽しみにしてますわい」
「それはそれは……ふふっ」

 かくして今日をもってこのナサリ村復興計画が発案された。これに異を唱える村人は誰もおらず、満場一致で改革が執り行われることになり、同時にロジーが発案者であるという噂まで流れ彼女は今や村の有名人以上の存在になっていた。
 もはや彼女は旅の宣教師ではなく、ナサリ村改革の第一人者として知れ渡るようになっていたのだった。


  ◇


 しんしんと雪が降り始め、いっそう寒さが厳しくなり始めた頃。丘の上に建てられた質素ながらも荘厳な気配を感じさせる教会、その一室でけたたましい声が聞こえる。

「はいはーい先生!この式でどうですか!?」
「よくできました、正解です。カイル君は計算が得意ですね〜」

 ロジーは大勢の子供たちの前に立ち教鞭をとっている。
 この村には学業を学ぶ施設がなく、成人したとしても字の読み書きができる者は多くなく必要最低限の知識しか得ることができない現状だった。それを危惧したロジーは学問こそ子供達に必要なものと■■■教の教義に則り、こうして知識を分け与えているのであった。

「はいはい先生!これ合ってる?」
「……うーん残念、カエルは爬虫類じゃなくて両生類です」
「あーそういえばそうだった!」

 皆が皆同じ勉強をしているのではなく、個人がそれぞれ得意な科目をやらせる教育方針を取っている。ロジーもまたその勉強法で学問を学び過ごした過去があり、そうすることによりモチベーションが保てるという確信を持っていたからだ。

 ゴーン……ゴーン……

 定刻になると自動的に鳴る魔術を組み込んだ鐘が丘の上から街全体を響かせている。
 夕日が雪原を照らしいつもより明るめな橙色が景色を埋め尽くす。

「はい、ではみなさん今日のお勉強はここまでです。お疲れ様でした」
「終わった〜」
「このあと何する?」
「帰って農作業の手伝いかなぁ」
「俺も今日は早めに帰らないと」

 子供らは各々友人らと語りながら筆記用具と教材をしまい始める。席を立ち今まさに帰り始めようとしたその時、ロジーは教卓の側で子供らに語りかけた。

「はーい待って。10歳以上の人はちょっと残ってくれるかな。先生から特別に教えたいことがあるんです。10歳未満の人はそのまま帰って大丈夫ですよ」

「?????」

 教室にいた子供らは全員足を止めたが、自分が10歳ではないと自覚した者らはぞろぞろと教室から出て行った。40人ほどいた子供らのうち半分以上は10歳未満であり、いま教室に残っているのはわずか8人だけであった。無論、この8人がナサリ村に住む全ての10歳以上の子供というわけではなく、今日たまたま授業を受けていた中での10歳以上の子である。10歳になったばかりの子供だったり15歳くらいの大人になり始めている子供もいるようだ。

「用事がある人は帰っても構いませんよ。それでもいい、という人だけ残ってくださいね」
「あの、特別に教えたいことってなんですか?あとどれくらいかかりますか?」
「う〜ん……30分くらいかな。そんなに難しい話じゃないから、気を楽にして聞いてください」

 場に残っている8人の子供らが全員帰らなかったのを確認したロジーは黒板の前に立ちいつものように授業するように語り始めた。

「これから教えることはみんなが大人になるために必ず知らなきゃならない事。逆に言えば大人はみんな知っていて、あえてみんなに教えていない事なの」
「えっ、なにそれズルくない!?アタシらそれしらないと大人になれないってコト?パパもママも知ってるのに教えてくれなかったの?」
「そうです。ですからそれを私が特別に教えてあげましょう。くれぐれも親には内緒ですよ」

 先生から語られる内緒という言葉。それはまだうら若き子供たちの興味を引くにはこれ以上ない魅力的なもので、8人全員の視線はロジーに注がれることになる。

「ではミールちゃんに質問です。赤ちゃんってどこから来ると思いますか」
「え……赤ちゃん???えーっと、それは…………あれ?そういえば知らない……」
「じゃあレインくん、わかりますか」
「それなら前親父から聞いたよ。畑から採れるんだって」
「うーん、残念ながらそれは違います。お父さんはまだレインくんに知られたくなかったみたいですね」
「なんだよそりゃ!?」
「そうなりますよね。普通はそういう反応になります。では他に、赤ちゃんはどこから来るか知っている人いますか?」

 子供らは互いの顔を見合わせ誰か知らないのか、という顔をしているが誰も手を上げることはない。ロジーの問いかけに答えられるものは誰一人としていなかった。
 むしろこれは当然であるのだ。知りもしないことの答えなどわかるはずもないのだから。

「赤ちゃんはどこからくるのか。この答えを大人は知っていますし、だからこそ子供には教えません。なぜなら、子供の頃にこれを知るのはまだ刺激が強すぎるからです」
「でもそれじゃ、ウチらもまだ知らない方が良いんじゃ……」
「10歳です」
「え……?」
「■■■教の教義には10歳を超えた人は皆平等に知る権利が与えられるのです。それは生殖とて例外ではありません。体つきはもう立派な大人になり始めているのですからむしろ知るべきなのですよ」
「せいしょくってなんだ……???」

 生殖。セイショク。せいしょく。
 今まで聞いたこともない単語に混乱する子供たち。しかしその言葉は何故かわからないけどとてつもなく魅力的なものに感じられ、心のモヤを取り払ってくれるような気がした。

「ではまず初めに答えから説明しましょう。赤ちゃんは女性のお腹の中から産まれてきます」
「!?!?!?!?」
「え……あ……?」
「ふふ、驚くのも無理はありません。ミール、レイリィ、マナ、カトレア。今この教室にいる貴女たち4人とも全員がもう赤ちゃんを産める歳なんですよ」
「嘘でしょ……?」

 8人中4人の女児はそれぞれ自分の腹をさすり、いるはずもない胎児の存在を確かめている。過程を知らず結果のみを知らされた彼女らがそのような行動に移るのも無理もない話である。一方の男子はというと放心していたり興味津々だったりとそれぞれな反応をしているようだ。

「お腹の中にいるといっても何もしなかったらできるわけじゃありません。あぁ、あと付け加えておきますとお腹の中に赤ちゃんがいる状態を”妊娠”と言います。覚えておいてくださいね」
「妊娠……」
「では本題に移ります。赤ちゃんはどこからやってくるのかということは教えました。そして”あること”をしないとお腹の中に発生しないということもわかりましたね?」
「い、一応は……」
「その”あること”とは何か。今回は時間も少ないことですし細かい原理は後日としてその行為だけでも教えましょう。マナちゃん、リオンくん、ちょっと前に立ってくれますか」

 ロジーが男女それぞれ1人ずつ指名し、黒板の前に立たせる。
 なぜ呼ばれたか、これから何をするのか全くわからない2人はとにかく先生の指示の元立ち上がり次の指示を待っている。

「それじゃあ2人とも、服を全部脱いでください」
「「!?!?!?!?!!???!?!」」
「せっ、先生!?!?」
「これはみんなが大人になるために必要なものなの。■■■教的にも大人になれば利点が沢山あるし早く大人になっておくことに越したことはないと記述されています。さ、脱いでくれますね」

 する……さらり……

 すっ……はら…………

「マナちゃん、胸を隠さないでちゃんと立ってくださいね。リオンくんもおちんちん隠さないで」
「う、うううぅぅぅぅハズカシイ……」
「なんで俺がこんなこと……」
「ありがとうございます。では簡単に説明しますね。まず、赤ちゃんは女性のここらへんに発生します」
「は、はひゅ、先生こちょばひっ」

 ロジーはマナの臍あたりに指を置き、円を書くようにをなぞらせる。ここに胎児ができるという事実を肉眼で分かりやすく教えるという彼女なりの采配なのだろう。当の本人にはまるで悪気を感じられないが、腹をなぞられるという未知の感覚にマナは困惑しているようだった。

「赤ちゃんを女性のお腹に作るためには、男性の精液が必要になります」
「せいえき????」
「なんだそりゃ」
「それって…………」
「ふふっ、リオンくんはなんとなくわかっているんじゃないですか?」
「そ、それは」
「精液とは男性のおちんちんから出る特殊なエキスです。赤ちゃんの元と覚えてもらってかまいません」

 精液。
 当然この単語も8人全員が初めて聞く未知なる単語である。
 だがしかし、未知なれど大まかな想像がついてしまう男子もいるようでロジーはその男子が黒板前に立たせているリオンであると確信めいていた。

「え、先生ちょっといいですか?」
「はいなんでしょうカトレアちゃん」
「赤ちゃんは女性のお腹の中にできるのに、どうして赤ちゃんの元は男性から作られるんですか?」
「良い着眼点ですね!それを今から説明しようとしていたところです。リオンくん」
「は、はい」
「リオンくんは精液がどんなものか知ってますね。夜えっちな夢でも見ましたか?」
「…………」
「ふふっ、では今日はみんなのために精液がどんなものかを見せてあげましょう。ちょうどリオンくんのおちんちんも勃起してますしいい機会です」

 同年代の女子の裸を目の当たりにしている男子が勃起をするのはごくごく正常な働きである。普段のそれよりも硬く、大きくなったモノを周りの7人と先生に視られるというのは羞恥の極みというものであるが、それと同時に精液という謎の物体の正体を知る機会でもあるので恥ずかしさをこらえ先生の指示に従うのであった。

「え、ちょ、せんせっ、なに、を」
「リオンくんはリラックスしてて構いませんよ。これからみんなに射精する瞬間を見せるため気持ちよくなって身を任せてくださいね」
「な、にを……せんせ、なんかおかしっ」

 ぬちぬちっ、にちゅにちゅにちゅにちゅにちゅにちゅ

 ロジーはリオンの勃起したモノを握り、子供相手にするにはいささか激しすぎる勢いで上下し始めた。カウパー液も出ていないのになぜかニチュニチュという湿った音を鳴らしながらしごかれるリオンはその暴力的ともとれる強制的な快感に足が震え腰が引けている。
 自慰すら経験のない男子に無理やり叩き込む強制的な快感はあまりに強烈すぎる刺激となってリオンを支配する。

「”射精”とはその名の通り、男性のおちんちんから精液を出す行為を指します。射精は小さい子供の頃だとできなくて、ちょうど皆さんのように大人になり始めた男子から順次できるようになるのですよ」
「あ、ああ、あ、もれ、もれちゃ、先生っ、しっこ、もれっっ……」
「その感覚ですよリオンくん。おしっこが漏れちゃいそうな、でもおしっことは違う感覚。そのまま出しちゃってもいいですけど最大まで我慢してみましょう」
「あっ、あっあっあっ、はっ、はっ……ああっううぅうっぅぅ!!!」
「はい、じゃあそろそろ出しちゃいましょう。いつでもいいですよ、リオンくんが我慢できなくなったら勝手で出てきますのであとはリオンくん次第です」
「せんせ、先生っっ、もう、だっっっ!!も、もれちゃ、ああああああ!!!!!!!!」

 ビュッッッ!!
 
 びゅくっ びゅくっっ!!

 びゅっっっ……

 どろっ……

「はぁーッ……はっーッッ…………はっ、はっ、はっ……」
「よくできました、リオンくんは立派な男の子ですね。ほら、みなさん見てくださいこれが精液です」
「なによ……これ……こんなのが男子のおち……から出てくるなんて」
「俺も初めて知ったぞ……お、おい、リオンお前いつから」
「…………ハーッ……はぁーっ……ううぅぅぅ」
「だ、大丈夫かお前」
「射精はとっても気持ちいいのでリオンくんは今軽い放心状態になっています。少し安静にしておきましょう」

 教室の机と床に飛び散った白濁液は特有の臭気を発しながらただそこにあり続ける。ロジーとリオン以外の者は初めて目の当たりにする精液という物体に興味をそそられ、臭いを嗅いだり状態を観察しているようであった。
 何故かはわからないけど妙に艶めかしい気分になりながら観察する一同を、ロジーはニコニコと微笑みながら見下ろしている。

「みなさんよく観察してくださいね。それが精液、いわば赤ちゃんの元となる生命のスープです。『主は蝋で塗り固められた白き涙を流し、涙はやがて白き川となりて繁栄をもたらす』■■■教の■節にはそう綴られておりますように、子を成すということは生物としての繁栄、生きる上での使命なのです」

 両手を広げ■■■教の教義を語る彼女。しかし彼女の言葉よりも子供らは飛び散った精液の方に夢中になっているようであった。

「おやおや、みなさんそこまで興味津々とは先生としても教え甲斐がありますね。それでは最後の質問です。カトレアちゃん」
「へっ、あっ、はいっ、何ですか先生」
「カトレアちゃんは将来どんな人と結婚したいですか?」
「えっ……?それは――――」
「かっこいい人、頼りになる人、お金持ちな人、優しい人、それはカトレアちゃんの好みです。自由なのです。ですが考えてみてください。その思い描いた人は男性ですよね?」
「そんなの当たり前じゃないですか。女が女と結婚なんてヘンでしょ。フツーは女と男がけっこ…………ああっ!」

 そこまで言いかけてカトレアはハッと言葉を失った。
 その様子を見たロジーは再びニコリと微笑み頷く。まるで物言わぬ聖母のように、慈愛と博愛に満ち溢れた雰囲気を漂わせ無言でカトレアを肯定しているかのようである。

「そうです。もうカトレアちゃん以外もみんなわかりましたね?赤ちゃんの元である精液、それを赤ちゃんのお部屋である女性のお腹の中に注ぐのです。そうすることにより初めて赤ちゃんが発生します」
「……マジか」
「信じられないってそんなの……」
「じ、じゃあこの精液をさ、私たちの中に入れれば赤ちゃんができちゃうってコトだよね?そういうことに……なるん、だよね先生?」
「そうです。もっと正確に言えば、精液とは非常にデリケートな物体なので直接女性のお腹の中に注がなければなりません」
「ちょく、せつ???」

 ロジーは放心状態のリオンと未だ困惑しているマナとを引き寄せ、朗々と語り始める。

「女性にはおちんちんがない代わりに割れ目があるのは当然知ってますよね。その割れ目は実を言うとおしっこを出す穴とは別にもう一つ穴があるんですよ。その穴を”おマンコ”と言います」
「おマンコ……」
「そして男性のおちんちんですがこれを正式には”チンポ”と呼びます」
「チンポ……」
「おマンコはトンネルのようになっており、その先には赤ちゃんのできる部屋”子宮”があります。ちょっと図解してみますね」

 チョークを握りカツカツと黒板に解剖図を描き始めるロジー。見たこともないグロテスクでリアリティな絵はこの上なく生々しく、それでいて正確だった。
 子供たちは言葉を忘れ全員が食い入るようにその絵を眺めている。今にも脈動してしまいそうなほど細部まで描きこまれた臓器は子供たちが知るにはあまりにも毒であった。自分の体の中にもソレがあると実感すると急に下腹部が熱くなるのを実感する。生命の血潮が滾り始める。

「トンネル状になっているおマンコ、そして棒状のチンポ。もうおわかりですね。おマンコにチンポを挿入して女性の中で射精する、それこそが子作りの本質なのです。大人はこれをひた隠しにし、時が来れば子供たちに自然と教えるのですよ。この行為の名を人々はこう呼びます」



『セ ッ ク ス』と――



  ◇



「……であるからにして■■■教では10歳以上の子は全てを知る権利があり、それは当然行う権利も伴います。■■■教の名の元であるならばみなさんは自由にセックスして子供を作り繁栄する大人として扱われるのです。好きな人とセックスして、子供を作りたいと思いませんか?幸せな家庭を築きたいと夢を見ませんか?
■■■教を信じるのであれば私が許可しましょう。みなさんはもう大人です。セックスはそれ自体が幸せな行為ですし、とても気持ちがいいのです。リオンくんの様子を見れば一目瞭然ですよね。呼吸するのがやっとなほど気持ちいい感覚を体験してみたくなりませんか。■■■教を信じましょう。
逆に言えば■■■教を信じない場合、みなさんはまだまだ子供です。目の前にとっても気持ちいいのがあるのにまだ手を出せないのですからそれはそれは辛い毎日を送ることになるでしょう。大人になるまでずっと待たなければなりませんのですから当然です。
■■■教を信じる事に関して先生は強要しません。みなさんが自分で考え、自分で行動してこそ初めて大人としての自立なのですから、自らの意志で決めなければなりません」

 淡々と笑顔で語るロジーの言葉を子供たちは笑顔で聞き入れていた。
 その笑みは強制されたものではなく、心からの屈託のない笑顔であった。何も違和感のない純粋なる笑みは8人全員を包み、まるでナサリ村のようなのどかさを象徴しているようでもある。

「先生、■■■教に入ったら何かしなきゃいけない事ってあるんですか」
「いえ特にありません。好きなようにセックスをして好きなように気持ちよくなって、好きなように殖やせばいいのです。あ、でもまだパパやママには内緒にしておいてくださいね。色々と準備が必要なので先生がいいよって言ったら公表して大丈夫です」
「わかった先生!!■■■教頑張ってイイ大人になってやるぞ」
「あたしもあたしも!実を言うと前から兄ちゃんと結婚したいなって思ってたんだよね」
「ヴェッ!?マジかよお前……」

 日はもう落ち、黄昏を通り過ぎ星が見え始めてきている。
 30分を少し超えてしまったため子供らは急ぎ帰りの支度をしてそれぞれ帰路に就くのであった。
 しかし未だ裸の状態のまま呆然と立ち尽くしているリオンとマナは一向に帰る気配がなく、神妙な空気が教室内に流れている。

「どうしました?もうそろそろ帰らないと親が心配しますよ」

 無言――――否。
 二人はもう大人だったのだ。

「先生、なんかヘンなの……リオンの裸見てたらなんかおマンコがスースーしたり熱くなったりして……」
「俺もだ先生っ。マナのこと考えてたら、また硬くなってきてっ……」

「おや、おやおやおやおやおやおやおやおやおや先生は嬉しいです。リオンくん、マナちゃん。今夜、親が寝静まったころ、また教室に来てくれますか。先生が二人を【祝福】してあげましょう。貴方たちは子供を卒業して、大人も卒業して、新しい存在になる時が来たようです。
いやいや子供というのはかくも純粋で残酷なものです」

 意味深なことを告げ教会の奥へと消えていくロジーの姿をリオンとマナは最後まで見つめていた。
 二人は脱ぎ棄てられた服を再び着て、教室を後にする。ぎゅっと繋がれた両手は初冬の雪を溶かし尽してしまうほど熱を帯び、また数時間後訪れるであろう教会を何度も振り返りながら帰るのであった。

18/10/18 22:40更新 / ゆず胡椒
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