上 実験と失敗
ドクトル・キャサリンの研究室
薄暗い実験室の中、様々な計器や機材が唸り声や蒸気を出している。至るところに書類や本が散らばり、中にはフラスコに浮かぶ怪しい液体やら薬品やら、ホルマリン漬けにされた気味の悪い臓器やらなんやらがプカプカ浮き沈みしていた。
その中に埋もれるように実験に勤しむ白衣を着流した研究室の主が一際大きな実験機の前で計器の針をレンズが沢山付いた研究眼鏡を弾きながら注意深く見つめていた。ボサボサの寝癖ほったらかしの短い癖っ毛の黒髪がガラスに映って少し気になる…
これが私の姿、キャサリン・ブラックマンの姿だ。
ようこそ、私の研究室へ。
ヴゥゥゥーーーー………
『…よし、安定した。人口脳起動…』
培養液に浸かったそれに手をかざして魔方陣を起動させる。大きなフラスコが薄暗い明かりを放つと、フラスコに付いた沢山のコードが鈍い音を出してエネルギーを送る。
フィィイイン…
『……よし。起動確認。魔力系統、人口脳擬似神経接続、電気信号、反射確認……対象の人口筋肉の制御開始。私の手の動きとリンク……作動実験開始。』
機材の中の金属製の腕がカチャカチャと音を立ててガラスに映った白衣の少女の手の動きと全く同じ動きをする。
『…作動誤差0.02…まずまず…。伝達された電気信号を魔力ジェネレーターに与えて人口筋肉を動かすまでに、私の魔法と人口脳の2プロセスを挟むから、実際はもうすこしレスポンスが…でも、圧倒的にデータが足りない…魔力ジェネレーターによるエネルギー制御系統が実際どの程度……ブツブツ......』
『どうじゃ？上手くいっているか？』
突然、ひょこっと、私の後ろで無邪気な笑顔と共に、これまた無邪気な声で元気よく挨拶した少女……幼女が立っていた。幼女は山羊のような角と蝙蝠の羽根、フサフサの手足を持ったバフォメットという魔物娘だ。少女と同じ白衣をズルズルと着ている。
『…バフォ様。ノックしました？』
幼女はつるぺたの断崖絶壁の胸を目一杯えっへん！と張り上げて
『して無いのじゃ！どうじゃ、どうじゃ？ビックリしたか？』
と、可愛い満面のドヤ顔で私に返事をした。おおきな眼鏡がまた斜めになってる…
『……シマシタヨー』
対する私はなんとも言えない表情で答えた。多分棒読みになってる。
『…お主、相変わらずよのぅ………。』
『…ヴァルフォア先生も相変わらずですね。』
この少女…もといこの幼女、マナ・ヴァルフォア先生は私の魔法と錬金術と医学の師だ。彼女はこのカルミナ国の魔王軍サバト魔法技術開発局兼、人魔練金科学研究所の共同研究者で支部長だ。言わば私の上司に当たる。彼女はダルダルの白衣の袖をまくりながら小さくコホン…と咳払いをした。
『それで、キャサリンよ。成果はどうじゃ？』
『…結果は上々です。そろそろ、この技術での生体実験が可能です。この義手が成功すれば、義足や義眼などの様々な生体機器への代替えが可能になります。』
私は今、生体医学、錬金術、魔法科学技術を駆使しての義手を開発している。より本物に近く、感覚も痛覚もある。そんな、生命医学の根源にせまる研究だ。
『それで先生…肝心の被験体は…？』
ヴァルフォア先生は腕を組んで顎に手を当てた。彼女が悩んでいる時の癖だ。
『…被験体は打って付けのが手に入った…しかし、しかしな？少々厄介で…』
『…なんですか？』
『まぁ、後々わかるでな。焦るでない……明日には輸送されてくる。それに、今日中に資料が届くじゃろう。後で使いを寄越す。』
ヴァルフォア先生は顔を少し曇らせながら何かを考えていた。
『キャサリン...』
『はい？…』
『えと…なんでもないのじゃ！……わしはサバト・ロリの会があるので、これで失礼するぞい☆』
『はい…。』
そうすると、先生は魔方陣で扉を作り、何処かへ行ってしまった。後には机に置いてある飲みかけの冷えたコーヒーを啜りながら殺風景な部屋兼研究室のなかで取り残されてしまった私だけだ。
『寒い…』
私はアンデット・リッチだ。生きていた頃から研究と実験と実証を続けるため、死ぬほど未練がましく縋り付いて、生体錬金術の研究中、偶然発見した死霊術のその果てに魔物娘になってしまった。そんな時にヴァルフォア博士に拾われて、カルミナ国に流れ着いた。もう、何百年も前のことだ。
私は……自身の研究にその身を捧げるエゴイストだ。生命の機能や命の根源をテーマとする自分の研究の他に何も興味が無く、自分自身の事にも他人事みたいな感覚がある。そんな自分に時々嫌気がさす。心臓も動いていない。魔力の増幅器官として胸に収まっているだけだ。心も部屋の隅に転がってる小さな箱の中に閉じ込めてしまった。血の代わりに魔力が流れるこの身体は体温も死人のそれだが、時々言い様の無い寒さを感じる。
自分への嫌悪感と一緒に、冷めたコーヒーの残りを飲み下した。
コンコン、コンコン…
『キャサリン博士〜』
と、規則正しいノックの音と一緒に幼い女の子の声が聞こえてきた。おそらく、ヴァルフォア先生の部下の魔女だろう。
『…入って。』
ギィィ…
『カルミナ国魔王軍サバト第4魔法技術開はちゅ！ぶはぁ…///』
噛んだ…盛大に噛んだ
『コホン…カルミナ国魔王軍サバト第4魔法技術開発局、魔法薬科学研究所所属、アニー・テイラー研究助手です！…ぜぇ、はぁ…キャサリン博士はいらっしゃいますか？』
…長い
『…長いです〜これー…』
うん、大変ね…
『…私が、キャサリンだけど…』
テイラー研究助手はぱぁ…と花咲くような笑顔を見せてくれた。眩しい…
『お会い出来て光栄です！キャサリン博士！論文読みましたぁ！！死霊魔術の生体魔法医学への応用と理論。素晴らしいです！！！もう発想が違うと言うか何と言うか…』
『…死霊魔術はもともと医学的な解釈があって、私はそれをわかりやすい様に纏め、行使し易いように術式を幾つか創っただけよ。…それで…用件は？』
『はっ…！！失礼しましたっ！コホン…えっとですねー、うちのバフォ様……えっとヴァルフォア博士からですねー、キャサリン博士宛に実験サンプルが明日の夜に運ばれてくるのでその資料を届けてこいとの事です！此方を参照下さい。』
と、テイラー研究助手は封筒を出してきた。彼女から封筒を受け取り中身を確認する。
（被験体情報
オリバー・スミス
27歳 男性
主神教軍の兵士。識別章から階級は軍曹。作戦行動中に、親魔物国の民間人の少年を助けたとして異端審問にかけられた模様。拷問により、声帯を損傷。左手を肘から先と両足を簡易止血処理を施した状態で1発づつ大口径の銃で撃たれ分断されている。
カルミナ国魔王軍ヨハン・エーデルバッハ少将率いる13師団所属、フレデリック・リヒター中佐の特殊潜入作戦部隊に拷問中の被験体を発見、保護される。
簡易魔法処置及び、冷蔵魔法処理後サー・ジェンキンス社の高速輸送船にて輸送後、被験体としてキャサリン・ブラックマン博士に被験体として明日の夕刻に引き渡す。被験体の状況写真を同時に添付する。参照されたし。
ps.なんとしても必ず彼を救いなさい。あなたの力に期待してます。
by ロード・カルミナ )
『…………。』
『えっと…どうかされましたか？』
心配そうにテイラーが聞いてきた。
『…あぁ、大丈夫。』
『そうですか？』
『あなたは、この文書について何か知っているの？』
するとテイラーは頭の上にハテナマークを浮かべて首を傾げた。
『えっとー…機密事項ですから〜…わかんないです！』
『そう…』
知らなくても、無理は無いわね…むしろ知らない方がいい。少なくとも、研究助手の彼女には関係無い。
封筒の中には被験体の写真が有り、人間との戦争で…いや、むしろ人間同士の戦争でどう言うことが起きているかをまざまざと語っている。私たち魔物娘はこんな惨たらしい事を許していない。
前に1度、負傷兵を預かった時にエーデルバッハ旅団長とフレデリック中佐にあった事があった。…彼女は、エーデルバッハ旅団長は頭のネジの外れ方が違うだけで私と同類だ。彼女は特に問題のある戦争区域を担当する事が多い。写真のコレは彼女が見てきたほんの一部分だろう。彼女達はもっと酷い、地獄のような景色を見てきているのだろう。
『あのー…』
そんなことを漠然と考えていたら、テイラー研究助手の事をすっかり忘れていた。
『…ありがとう。もういっていいわ。』
『はい！失礼します！』
と、彼女は元気よく挨拶をして研究室を後にした。
もう直ぐ夜が明ける。今日はもう休むとしようか…
私は実験椅子に腰掛け目を閉じ、意識を手放した。
。
。
。
。
。
薄暗い地下質の中で乾いた笑い声が響いている。
‘‘ははは！やっと…やっと手に入れた。…！？体が縮んでる？……女の体に……まぁ、いい。永遠の命と老いぬ体だ…これで、これで…！！”
ぶかぶかのフードを纏った少女の背中には、蒼く揺らめく十字架が背負わされていた。
‘‘逃すな！！追え！追え！！”
幾つもの影が少女を追っている。少女は逃れようと走る。そして、少女はとある地下墓地へと身を隠した。
誰もいない背後から少女に迫る影が
‘‘誰！？”
‘‘わしはヴァルフォアという。バフォメットという魔物娘じゃ。こんななりじゃがな。よもやこんな若いのが、サムエルの遺した禁術を使うとは…”
‘‘バフォメット？伝説の悪魔の？こんな幼子が？”
法服を着たバフォメットが目を光らせると、少女は途端に動けなくなった。
‘‘…何をした！？”
‘‘少し話がしたいのじゃ。お主は何故、不死者になったのじゃ？”
‘‘研究の為に…永遠の命が欲しかった。だから…”
バフォメットはもの哀しい目で少女を見た。
‘‘わしと一緒に来ないか？来ればお主が未だ知らぬ知識を授けよう”
少女に手が伸ばされた。
‘‘なぜ…？”
‘‘お主は…愛を知らぬ目をしている…”
少女は差し伸べられた手を掴もうと手を伸ばした。
ドンドン、ドンドン…
私は乱暴なノックの音で目を覚ました。どうやら夢を見ていたようだ…何百年も昔の夢を…
『キャサリン〜！夜じゃー！おはようなのじゃー！今度はノックしたのじゃー！わしはえらいのじゃ！』
。
。
。
。
。
そして、その夜おおきなカプセルに入った被験体が私の研究室に運ばれてきた。
『……これは。』
『…うむ………』
予想以上に酷い状態だった。バイタルは確保してあるようだが、すぐにでも処置が必要だ。左腕、両足は関節から銃で何発も撃たれて千切れた後のようにズタズタになっていた。。喉は声が出せない様に潰されて、右手は拷問の途中だったのだろう、生爪が剥かれていた。
今すぐに処置が必要だ。
『…すぐに……オペを…始めます……』
『わかった。わしが助手をしよう。』
魔力でのバイタルスキャン、浄化の魔法を使い、ヴァルフォア先生が、水を純粋なアルコールに変え、消毒を行なう。
左腕、両足の関節は最早機能しないので切除することにした。眠ってはいるが、強力な麻酔の魔法を使用して彼が痛みを感じないように細心の注意を払う。神経を傷つけない様にギロチンのような大型の解剖刀を使い、スッパリと切る。すかさず、ヴァルフォア先生が止血の為に癒しの魔法を使う。その作業と並行して義手、義足のジョイント部分をつける。生体神経に制御回路を繋いで、接合させてジェネレーターをセットする。術後の経過を見て、後々に私の義足と義手をつけよう。
潰された喉も歪に治らないように、調整しながら治していった。大方の処置を終えて、包帯を巻きつけ、大きな身体を抱き抱えてベッドに寝かせる。沢山の古傷があった。きっと彼は勇敢な兵士だったのであろう。何だか良く分からないが、胸とへその下が苦しい。
ヴァルフォア先生の手伝いもあって、ほぼ完璧なオペだった。彼は暫く満足に動く事も、喋る事も出来ないが大丈夫だろう。後は、ヴァルフォア先生の部下の魔女達が…
『やれやれ…やっと終わったのー。後の事はキャサリンに任せるとしよう。』
『…はい？』
『お主の被験体じゃ。他人任せにするでない。というより、こ奴の手術の術後の経過処置など、わしかお主しかできんのじゃ。こんなぶっ飛んだ物まで着けおって…わしでも詳しくはわからんぞコレ。後で資料を寄越すのじゃ！それにの……』
先生は私と被験体の彼を視界の隅に置いてニヤついた。
『…？』
『まぁ、気にするでない！……というわけでこ奴はキャサリンに任せるのじゃ！』
と言うと先生はまたしても魔方陣を発動させて何処かへ消えてしまった。先生と言い、国母のカルミナ様と言い、超高度な空間魔法をお気兼ねなくポンポン使っている。今度教えて貰おうか…
オペから3日後。被験体、オリバー・スミスに変化があった。どうやら悪夢を見ている様だ。のたうつようにうなされて、冷や汗でぐっしょりと身体が濡れている。
私は彼の汗を丁寧にリネンで拭き取る。
『う…ぁ…あ''あ''あ''あ''ぁぁぁぁぁ！！！！！』
突然、オリバーが治りきってない声帯を無理やり鳴らして叫び声をあげた。
『…！？』
フィィィイイイインン！！！！！
彼の左腕に付けた魔力ジェネレーターが明らかにヤバイ音を立てた。エネルギーが過剰に造られている！？
ーーーーーバンッッ！！！！！！
バリン、バリン、バリン、バリン、バリン、バリン！！！！
次の瞬間に、エネルギーが衝撃波となって放出された。結果、私は吹き飛ばされて本棚に叩きつけられ、周りにある実験機やフラスコやら計器などのガラスはみんな割れてしまった。
『大丈夫か！！キャサリン！！』
ヴァルフォア先生の声だ。騒ぎを聞きつけたのだろう。またノックもせずに直接空間魔法で来たようだ。後で文句を言おう。
『私は大丈夫です。それより彼は？』
煙と埃の舞う中、ベッドの方を見ると気絶しているオリバーがいた。
『呼吸はしているみたいです。気を失っています。』
『うむ…。それで、何があった？』
先生は気絶しているオリバーに毛布を掛ける。
『被験体の彼、オリバー・スミスに変化がありました。悪夢を見ていた様で、ひどくうなされていて、リネンで身体の汗を拭き取ろうと彼に触れた時に彼の意識が覚醒し、叫び声を上げ、ジェネレーターが暴走。過剰に造られた魔力が衝撃波となり、この様な事に……申し訳ありません。』
ヴァルフォア先生はやれやれと首を振ると眼鏡を掛け治した。
『お主が無事ならそれでよいのじゃ。実験には失敗が付き物じゃからの……して、まだ資料を貰っていなかったが、お主が開発している義手、義足はどう言う仕組みかの？』
『はい…ご存知の通り、全ての生物は魔物娘や人間もふくめて…脳からの指令で腕や足の指や関節が動きます。それは神経に通う電気信号です。』
『うむ。』
『そして正確には生物と異なる我々アンデットや一部のゴーストは、魔力で脳や身体を動かしています。もう、死んでますからね……。ならば、我々アンデットの様に魔力で体を動かせないのかと。…人間も魔物娘も魔力を持っています。男性の場合は精ですが…。エネルギー体として使われる時の現象と結果は同じです。例えば魔力と精のエネルギーで同じ魔法を発動させた場合、魔法の効果や消費されるエネルギーの質量や性質に変化はありません。私はその結果と現象に着目しました。研究、開発中の義手、義足は…脳からの指令、すなわち電気信号を魔力ジェネレーターがキャッチして、装備者から魔力を生産。…生産された魔力によって人口筋肉を動かして義手、義足をコントロールする……被験体の彼、オリバー氏にあのオペで付けたのは、義手と義足、それぞれのジョイントパーツと魔力ジェネレーターです。』
ヴァルフォア先生は腕を組んで唇に手を当てている。
『暴走の原因は？』
『…魔力の制御には装備者の運動神経の他に心の神経……心や感情で動かす様になっています。…恐らく、オリバー氏の感情の暴走が原因だと思います…』
珍しく先生が真剣な表情をしている。それだけで、今回の実験事故の深刻さがわかる。…たぶん私の技術や理論の事では無くオリバー氏の事だ。
『……うむ。あい分かった。キャサリン…被験体の精神が回復するまで、実装実験は禁止する。ジェネレーターはきっておくのじゃ。……考えたくはないが、恐らく拷問による肉体的苦痛が精神的外傷になっているようじゃ。ある程度予想はしていたが、思っとったより深いようじゃの。喉を割かれておったろう？拷問のさいに神への許しを乞えば、拷問を止めねばならぬが、それをさせんようにする為じゃな。』
彼が受けた拷問の様子を考えただけで吐き気がする。心が…胸が苦しくなる。
？…私は何を？
心が…？
胸が……苦しく………⁇
『キャサリン？…キャサリン！』
『は、はい！』
『いったいどうしたのじゃ？らしくないぞ？…まぁよい。ともかく、被験体が回復するまで実装実験は禁止じゃ。被験体のケアはお主がやる事。支部長命令なのじゃ！よいな？』
まな板をえっへんと張り上げて先生は私に命令を下した。
『はい。わかり…ました。』
『うむ！よろしいのじゃ！キャサリンよ、諦めるでないぞ！失敗は成功のエキドナなのじゃ！……では、わしはサバト・淋しい会に行ってくるのじゃ！！(まさかな…まぁ、そのまさかとしたら面白い事になったのじゃ！ふふふ〜)…』
何やらブツブツ言いながら、先生は魔方陣に消えて行ってしまった。
仕方がない、片付けるとしようか…
私は散らばった瓦礫やらガラスの破片をガサゴソと片付け始めた。
まったく…先生はつかめない人だ。普段は、見た目どうりお子様で、部下に仕事を丸投げなのに、凄く頼りになる。かとおもえば……
あ……
経箱が……
壊れている？
そうか…私は……私は…心を…取り戻したんだ……
禁術を使い、不死者になって、異端審問官やエクソシストに追われていた時に、後悔から幾度となく経箱を壊そうと試みた。だけど自分ではどうにも出来なかった。ヴァルフォア先生に拾われて、カルミナ国に来てからは箱を壊す事を諦めて心を思考と研究室の隅に箱ごと追いやってしまった。
実験事故で私の心の牢獄たる経箱が壊れた。その事実を認識した私は何百年ぶりに感じる心の大きな変化に涙を流していた。空気や音や何かに触れる感覚はまるで氷が溶けた様に思える。と、同時に箱を壊してくれた彼…オリバーに産まれて初めて心から
ありがとう…
という、感謝の気持ちを感じていた。この世に出て何百年とたっていたが、たぶん私は人間だった頃から今の今まで誰かに心から感謝した事が無いのだろう。でもこれからは違う。オリバーが私の運命を変えてくれた。
だから、
絶対に彼を救おう。
私の戦いが始まった。
続く。
薄暗い実験室の中、様々な計器や機材が唸り声や蒸気を出している。至るところに書類や本が散らばり、中にはフラスコに浮かぶ怪しい液体やら薬品やら、ホルマリン漬けにされた気味の悪い臓器やらなんやらがプカプカ浮き沈みしていた。
その中に埋もれるように実験に勤しむ白衣を着流した研究室の主が一際大きな実験機の前で計器の針をレンズが沢山付いた研究眼鏡を弾きながら注意深く見つめていた。ボサボサの寝癖ほったらかしの短い癖っ毛の黒髪がガラスに映って少し気になる…
これが私の姿、キャサリン・ブラックマンの姿だ。
ようこそ、私の研究室へ。
ヴゥゥゥーーーー………
『…よし、安定した。人口脳起動…』
培養液に浸かったそれに手をかざして魔方陣を起動させる。大きなフラスコが薄暗い明かりを放つと、フラスコに付いた沢山のコードが鈍い音を出してエネルギーを送る。
フィィイイン…
『……よし。起動確認。魔力系統、人口脳擬似神経接続、電気信号、反射確認……対象の人口筋肉の制御開始。私の手の動きとリンク……作動実験開始。』
機材の中の金属製の腕がカチャカチャと音を立ててガラスに映った白衣の少女の手の動きと全く同じ動きをする。
『…作動誤差0.02…まずまず…。伝達された電気信号を魔力ジェネレーターに与えて人口筋肉を動かすまでに、私の魔法と人口脳の2プロセスを挟むから、実際はもうすこしレスポンスが…でも、圧倒的にデータが足りない…魔力ジェネレーターによるエネルギー制御系統が実際どの程度……ブツブツ......』
『どうじゃ？上手くいっているか？』
突然、ひょこっと、私の後ろで無邪気な笑顔と共に、これまた無邪気な声で元気よく挨拶した少女……幼女が立っていた。幼女は山羊のような角と蝙蝠の羽根、フサフサの手足を持ったバフォメットという魔物娘だ。少女と同じ白衣をズルズルと着ている。
『…バフォ様。ノックしました？』
幼女はつるぺたの断崖絶壁の胸を目一杯えっへん！と張り上げて
『して無いのじゃ！どうじゃ、どうじゃ？ビックリしたか？』
と、可愛い満面のドヤ顔で私に返事をした。おおきな眼鏡がまた斜めになってる…
『……シマシタヨー』
対する私はなんとも言えない表情で答えた。多分棒読みになってる。
『…お主、相変わらずよのぅ………。』
『…ヴァルフォア先生も相変わらずですね。』
この少女…もといこの幼女、マナ・ヴァルフォア先生は私の魔法と錬金術と医学の師だ。彼女はこのカルミナ国の魔王軍サバト魔法技術開発局兼、人魔練金科学研究所の共同研究者で支部長だ。言わば私の上司に当たる。彼女はダルダルの白衣の袖をまくりながら小さくコホン…と咳払いをした。
『それで、キャサリンよ。成果はどうじゃ？』
『…結果は上々です。そろそろ、この技術での生体実験が可能です。この義手が成功すれば、義足や義眼などの様々な生体機器への代替えが可能になります。』
私は今、生体医学、錬金術、魔法科学技術を駆使しての義手を開発している。より本物に近く、感覚も痛覚もある。そんな、生命医学の根源にせまる研究だ。
『それで先生…肝心の被験体は…？』
ヴァルフォア先生は腕を組んで顎に手を当てた。彼女が悩んでいる時の癖だ。
『…被験体は打って付けのが手に入った…しかし、しかしな？少々厄介で…』
『…なんですか？』
『まぁ、後々わかるでな。焦るでない……明日には輸送されてくる。それに、今日中に資料が届くじゃろう。後で使いを寄越す。』
ヴァルフォア先生は顔を少し曇らせながら何かを考えていた。
『キャサリン...』
『はい？…』
『えと…なんでもないのじゃ！……わしはサバト・ロリの会があるので、これで失礼するぞい☆』
『はい…。』
そうすると、先生は魔方陣で扉を作り、何処かへ行ってしまった。後には机に置いてある飲みかけの冷えたコーヒーを啜りながら殺風景な部屋兼研究室のなかで取り残されてしまった私だけだ。
『寒い…』
私はアンデット・リッチだ。生きていた頃から研究と実験と実証を続けるため、死ぬほど未練がましく縋り付いて、生体錬金術の研究中、偶然発見した死霊術のその果てに魔物娘になってしまった。そんな時にヴァルフォア博士に拾われて、カルミナ国に流れ着いた。もう、何百年も前のことだ。
私は……自身の研究にその身を捧げるエゴイストだ。生命の機能や命の根源をテーマとする自分の研究の他に何も興味が無く、自分自身の事にも他人事みたいな感覚がある。そんな自分に時々嫌気がさす。心臓も動いていない。魔力の増幅器官として胸に収まっているだけだ。心も部屋の隅に転がってる小さな箱の中に閉じ込めてしまった。血の代わりに魔力が流れるこの身体は体温も死人のそれだが、時々言い様の無い寒さを感じる。
自分への嫌悪感と一緒に、冷めたコーヒーの残りを飲み下した。
コンコン、コンコン…
『キャサリン博士〜』
と、規則正しいノックの音と一緒に幼い女の子の声が聞こえてきた。おそらく、ヴァルフォア先生の部下の魔女だろう。
『…入って。』
ギィィ…
『カルミナ国魔王軍サバト第4魔法技術開はちゅ！ぶはぁ…///』
噛んだ…盛大に噛んだ
『コホン…カルミナ国魔王軍サバト第4魔法技術開発局、魔法薬科学研究所所属、アニー・テイラー研究助手です！…ぜぇ、はぁ…キャサリン博士はいらっしゃいますか？』
…長い
『…長いです〜これー…』
うん、大変ね…
『…私が、キャサリンだけど…』
テイラー研究助手はぱぁ…と花咲くような笑顔を見せてくれた。眩しい…
『お会い出来て光栄です！キャサリン博士！論文読みましたぁ！！死霊魔術の生体魔法医学への応用と理論。素晴らしいです！！！もう発想が違うと言うか何と言うか…』
『…死霊魔術はもともと医学的な解釈があって、私はそれをわかりやすい様に纏め、行使し易いように術式を幾つか創っただけよ。…それで…用件は？』
『はっ…！！失礼しましたっ！コホン…えっとですねー、うちのバフォ様……えっとヴァルフォア博士からですねー、キャサリン博士宛に実験サンプルが明日の夜に運ばれてくるのでその資料を届けてこいとの事です！此方を参照下さい。』
と、テイラー研究助手は封筒を出してきた。彼女から封筒を受け取り中身を確認する。
（被験体情報
オリバー・スミス
27歳 男性
主神教軍の兵士。識別章から階級は軍曹。作戦行動中に、親魔物国の民間人の少年を助けたとして異端審問にかけられた模様。拷問により、声帯を損傷。左手を肘から先と両足を簡易止血処理を施した状態で1発づつ大口径の銃で撃たれ分断されている。
カルミナ国魔王軍ヨハン・エーデルバッハ少将率いる13師団所属、フレデリック・リヒター中佐の特殊潜入作戦部隊に拷問中の被験体を発見、保護される。
簡易魔法処置及び、冷蔵魔法処理後サー・ジェンキンス社の高速輸送船にて輸送後、被験体としてキャサリン・ブラックマン博士に被験体として明日の夕刻に引き渡す。被験体の状況写真を同時に添付する。参照されたし。
ps.なんとしても必ず彼を救いなさい。あなたの力に期待してます。
by ロード・カルミナ )
『…………。』
『えっと…どうかされましたか？』
心配そうにテイラーが聞いてきた。
『…あぁ、大丈夫。』
『そうですか？』
『あなたは、この文書について何か知っているの？』
するとテイラーは頭の上にハテナマークを浮かべて首を傾げた。
『えっとー…機密事項ですから〜…わかんないです！』
『そう…』
知らなくても、無理は無いわね…むしろ知らない方がいい。少なくとも、研究助手の彼女には関係無い。
封筒の中には被験体の写真が有り、人間との戦争で…いや、むしろ人間同士の戦争でどう言うことが起きているかをまざまざと語っている。私たち魔物娘はこんな惨たらしい事を許していない。
前に1度、負傷兵を預かった時にエーデルバッハ旅団長とフレデリック中佐にあった事があった。…彼女は、エーデルバッハ旅団長は頭のネジの外れ方が違うだけで私と同類だ。彼女は特に問題のある戦争区域を担当する事が多い。写真のコレは彼女が見てきたほんの一部分だろう。彼女達はもっと酷い、地獄のような景色を見てきているのだろう。
『あのー…』
そんなことを漠然と考えていたら、テイラー研究助手の事をすっかり忘れていた。
『…ありがとう。もういっていいわ。』
『はい！失礼します！』
と、彼女は元気よく挨拶をして研究室を後にした。
もう直ぐ夜が明ける。今日はもう休むとしようか…
私は実験椅子に腰掛け目を閉じ、意識を手放した。
。
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薄暗い地下質の中で乾いた笑い声が響いている。
‘‘ははは！やっと…やっと手に入れた。…！？体が縮んでる？……女の体に……まぁ、いい。永遠の命と老いぬ体だ…これで、これで…！！”
ぶかぶかのフードを纏った少女の背中には、蒼く揺らめく十字架が背負わされていた。
‘‘逃すな！！追え！追え！！”
幾つもの影が少女を追っている。少女は逃れようと走る。そして、少女はとある地下墓地へと身を隠した。
誰もいない背後から少女に迫る影が
‘‘誰！？”
‘‘わしはヴァルフォアという。バフォメットという魔物娘じゃ。こんななりじゃがな。よもやこんな若いのが、サムエルの遺した禁術を使うとは…”
‘‘バフォメット？伝説の悪魔の？こんな幼子が？”
法服を着たバフォメットが目を光らせると、少女は途端に動けなくなった。
‘‘…何をした！？”
‘‘少し話がしたいのじゃ。お主は何故、不死者になったのじゃ？”
‘‘研究の為に…永遠の命が欲しかった。だから…”
バフォメットはもの哀しい目で少女を見た。
‘‘わしと一緒に来ないか？来ればお主が未だ知らぬ知識を授けよう”
少女に手が伸ばされた。
‘‘なぜ…？”
‘‘お主は…愛を知らぬ目をしている…”
少女は差し伸べられた手を掴もうと手を伸ばした。
ドンドン、ドンドン…
私は乱暴なノックの音で目を覚ました。どうやら夢を見ていたようだ…何百年も昔の夢を…
『キャサリン〜！夜じゃー！おはようなのじゃー！今度はノックしたのじゃー！わしはえらいのじゃ！』
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そして、その夜おおきなカプセルに入った被験体が私の研究室に運ばれてきた。
『……これは。』
『…うむ………』
予想以上に酷い状態だった。バイタルは確保してあるようだが、すぐにでも処置が必要だ。左腕、両足は関節から銃で何発も撃たれて千切れた後のようにズタズタになっていた。。喉は声が出せない様に潰されて、右手は拷問の途中だったのだろう、生爪が剥かれていた。
今すぐに処置が必要だ。
『…すぐに……オペを…始めます……』
『わかった。わしが助手をしよう。』
魔力でのバイタルスキャン、浄化の魔法を使い、ヴァルフォア先生が、水を純粋なアルコールに変え、消毒を行なう。
左腕、両足の関節は最早機能しないので切除することにした。眠ってはいるが、強力な麻酔の魔法を使用して彼が痛みを感じないように細心の注意を払う。神経を傷つけない様にギロチンのような大型の解剖刀を使い、スッパリと切る。すかさず、ヴァルフォア先生が止血の為に癒しの魔法を使う。その作業と並行して義手、義足のジョイント部分をつける。生体神経に制御回路を繋いで、接合させてジェネレーターをセットする。術後の経過を見て、後々に私の義足と義手をつけよう。
潰された喉も歪に治らないように、調整しながら治していった。大方の処置を終えて、包帯を巻きつけ、大きな身体を抱き抱えてベッドに寝かせる。沢山の古傷があった。きっと彼は勇敢な兵士だったのであろう。何だか良く分からないが、胸とへその下が苦しい。
ヴァルフォア先生の手伝いもあって、ほぼ完璧なオペだった。彼は暫く満足に動く事も、喋る事も出来ないが大丈夫だろう。後は、ヴァルフォア先生の部下の魔女達が…
『やれやれ…やっと終わったのー。後の事はキャサリンに任せるとしよう。』
『…はい？』
『お主の被験体じゃ。他人任せにするでない。というより、こ奴の手術の術後の経過処置など、わしかお主しかできんのじゃ。こんなぶっ飛んだ物まで着けおって…わしでも詳しくはわからんぞコレ。後で資料を寄越すのじゃ！それにの……』
先生は私と被験体の彼を視界の隅に置いてニヤついた。
『…？』
『まぁ、気にするでない！……というわけでこ奴はキャサリンに任せるのじゃ！』
と言うと先生はまたしても魔方陣を発動させて何処かへ消えてしまった。先生と言い、国母のカルミナ様と言い、超高度な空間魔法をお気兼ねなくポンポン使っている。今度教えて貰おうか…
オペから3日後。被験体、オリバー・スミスに変化があった。どうやら悪夢を見ている様だ。のたうつようにうなされて、冷や汗でぐっしょりと身体が濡れている。
私は彼の汗を丁寧にリネンで拭き取る。
『う…ぁ…あ''あ''あ''あ''ぁぁぁぁぁ！！！！！』
突然、オリバーが治りきってない声帯を無理やり鳴らして叫び声をあげた。
『…！？』
フィィィイイイインン！！！！！
彼の左腕に付けた魔力ジェネレーターが明らかにヤバイ音を立てた。エネルギーが過剰に造られている！？
ーーーーーバンッッ！！！！！！
バリン、バリン、バリン、バリン、バリン、バリン！！！！
次の瞬間に、エネルギーが衝撃波となって放出された。結果、私は吹き飛ばされて本棚に叩きつけられ、周りにある実験機やフラスコやら計器などのガラスはみんな割れてしまった。
『大丈夫か！！キャサリン！！』
ヴァルフォア先生の声だ。騒ぎを聞きつけたのだろう。またノックもせずに直接空間魔法で来たようだ。後で文句を言おう。
『私は大丈夫です。それより彼は？』
煙と埃の舞う中、ベッドの方を見ると気絶しているオリバーがいた。
『呼吸はしているみたいです。気を失っています。』
『うむ…。それで、何があった？』
先生は気絶しているオリバーに毛布を掛ける。
『被験体の彼、オリバー・スミスに変化がありました。悪夢を見ていた様で、ひどくうなされていて、リネンで身体の汗を拭き取ろうと彼に触れた時に彼の意識が覚醒し、叫び声を上げ、ジェネレーターが暴走。過剰に造られた魔力が衝撃波となり、この様な事に……申し訳ありません。』
ヴァルフォア先生はやれやれと首を振ると眼鏡を掛け治した。
『お主が無事ならそれでよいのじゃ。実験には失敗が付き物じゃからの……して、まだ資料を貰っていなかったが、お主が開発している義手、義足はどう言う仕組みかの？』
『はい…ご存知の通り、全ての生物は魔物娘や人間もふくめて…脳からの指令で腕や足の指や関節が動きます。それは神経に通う電気信号です。』
『うむ。』
『そして正確には生物と異なる我々アンデットや一部のゴーストは、魔力で脳や身体を動かしています。もう、死んでますからね……。ならば、我々アンデットの様に魔力で体を動かせないのかと。…人間も魔物娘も魔力を持っています。男性の場合は精ですが…。エネルギー体として使われる時の現象と結果は同じです。例えば魔力と精のエネルギーで同じ魔法を発動させた場合、魔法の効果や消費されるエネルギーの質量や性質に変化はありません。私はその結果と現象に着目しました。研究、開発中の義手、義足は…脳からの指令、すなわち電気信号を魔力ジェネレーターがキャッチして、装備者から魔力を生産。…生産された魔力によって人口筋肉を動かして義手、義足をコントロールする……被験体の彼、オリバー氏にあのオペで付けたのは、義手と義足、それぞれのジョイントパーツと魔力ジェネレーターです。』
ヴァルフォア先生は腕を組んで唇に手を当てている。
『暴走の原因は？』
『…魔力の制御には装備者の運動神経の他に心の神経……心や感情で動かす様になっています。…恐らく、オリバー氏の感情の暴走が原因だと思います…』
珍しく先生が真剣な表情をしている。それだけで、今回の実験事故の深刻さがわかる。…たぶん私の技術や理論の事では無くオリバー氏の事だ。
『……うむ。あい分かった。キャサリン…被験体の精神が回復するまで、実装実験は禁止する。ジェネレーターはきっておくのじゃ。……考えたくはないが、恐らく拷問による肉体的苦痛が精神的外傷になっているようじゃ。ある程度予想はしていたが、思っとったより深いようじゃの。喉を割かれておったろう？拷問のさいに神への許しを乞えば、拷問を止めねばならぬが、それをさせんようにする為じゃな。』
彼が受けた拷問の様子を考えただけで吐き気がする。心が…胸が苦しくなる。
？…私は何を？
心が…？
胸が……苦しく………⁇
『キャサリン？…キャサリン！』
『は、はい！』
『いったいどうしたのじゃ？らしくないぞ？…まぁよい。ともかく、被験体が回復するまで実装実験は禁止じゃ。被験体のケアはお主がやる事。支部長命令なのじゃ！よいな？』
まな板をえっへんと張り上げて先生は私に命令を下した。
『はい。わかり…ました。』
『うむ！よろしいのじゃ！キャサリンよ、諦めるでないぞ！失敗は成功のエキドナなのじゃ！……では、わしはサバト・淋しい会に行ってくるのじゃ！！(まさかな…まぁ、そのまさかとしたら面白い事になったのじゃ！ふふふ〜)…』
何やらブツブツ言いながら、先生は魔方陣に消えて行ってしまった。
仕方がない、片付けるとしようか…
私は散らばった瓦礫やらガラスの破片をガサゴソと片付け始めた。
まったく…先生はつかめない人だ。普段は、見た目どうりお子様で、部下に仕事を丸投げなのに、凄く頼りになる。かとおもえば……
あ……
経箱が……
壊れている？
そうか…私は……私は…心を…取り戻したんだ……
禁術を使い、不死者になって、異端審問官やエクソシストに追われていた時に、後悔から幾度となく経箱を壊そうと試みた。だけど自分ではどうにも出来なかった。ヴァルフォア先生に拾われて、カルミナ国に来てからは箱を壊す事を諦めて心を思考と研究室の隅に箱ごと追いやってしまった。
実験事故で私の心の牢獄たる経箱が壊れた。その事実を認識した私は何百年ぶりに感じる心の大きな変化に涙を流していた。空気や音や何かに触れる感覚はまるで氷が溶けた様に思える。と、同時に箱を壊してくれた彼…オリバーに産まれて初めて心から
ありがとう…
という、感謝の気持ちを感じていた。この世に出て何百年とたっていたが、たぶん私は人間だった頃から今の今まで誰かに心から感謝した事が無いのだろう。でもこれからは違う。オリバーが私の運命を変えてくれた。
だから、
絶対に彼を救おう。
私の戦いが始まった。
続く。
16/11/22 18:21更新 / francois
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