連載小説
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後編 貴方を殺す
「……?」
「やっと起きた」
 日の昇り始める頃、彼女の目が覚めた。彼女が起き上がれば、腐りかけのベッドが大きな音を立てて軋む。
「寝てて」
 僕は彼女を促して、もう一度横たわらせた。相変わらず彼女は表情の変化に乏しいが、恐らく、この状況を完全には理解していない。
「僕がお前を助けた。お前、池の傍で倒れてたんだ」
僕が説明すると、彼女はその意味を反芻する様に沈黙していた。
「……ありがとう」
 沈黙が破られたその時、僕は初めて彼女の声を聞いた。彼女の、僕が聞く最初の声。感謝の言葉。小さいけれど、可憐で透き通っていた。僕はこの日、初めて依頼を失敗した。



 僕は、彼女を助ける。短剣を収めて、彼女の首に手を触れた。脈拍は安定していた。うつ伏せの状態では、背中に髪がかかっていて様子がよく分からない。うつ伏せの身体をひっくり返して、僕はまた息を呑んだ。
 尻尾こそ無事だったが、体中が傷だらけで、露出している腕や脚は勿論、体を覆っている鱗でさえもズタズタ。極めつけに、彼女の耳にある一対の鰭は両方とも切り取られてしまっていた。魔物とは言え、この矮躯をこうもしてしまえるものなのか。筋違いながら、僕はそう胸が痛んだ。毎日誰かを殺している僕にはそんな傷口くらい見飽きていたのに、彼女がそうなっているというだけで見るに堪えなかった。
 早く、手当てをしなければ。僕は焦燥の赴くままに彼女を抱き上げて、家のベッドに運び込んだ。家中をひっくり返しても、見つかったのは黄ばんだ包帯に、使えるのかどうか分からない塗り薬。それと、ガーゼ。幸い、これは汚れが少なかった。あるものでどうにかするしかない。
 池から桶に水を汲んで、なるべく清潔なタオルに水を含ませ、傷口を拭う。タオルが汚れてきたら濯いで、また拭う。傷口の一つ一つを、丁寧に。出来る限り傷が痛まないように。処置をしている間中、僕の鼻を突く血の臭い。嗅ぎ慣れているはずのそれが、僕にはとても不快だった。手早く、しかし焦らず。他人にこういう処置をするのは難しい。力加減はこれでいいのだろうか。意識を失っているとはいえ、彼女は痛く感じていないだろうか。血を拭う度に露わになる傷口が生々しい。桶の中の水が見る見るうちに赤くなる。水を汲み直して、もう一度。手足は全て終わった。鱗の内側も、やらなければ。
 僕は鱗の肩紐の部分を外し、ずり下げる。柔肌に血が紅く滲んで、汚れている。腹にまで、こんなに傷だらけで。拭っては濯ぎ、拭っては濯ぎ。一つずつ、丹念に。臀部も鼠蹊部も、傷付いたところは全て。背中も忘れずに、優しく。鱗に覆われていたからか、手足よりは傷が浅かった。最後、耳の部分。血は止まっているけれど、傷口を見るのが怖い。殺し屋が傷を見るのを怖がるなんて、可笑しな話だというのに。僕は意を決して、彼女の長い髪を掻き上げた。髪に隠れた小さな耳が覗き、そのすぐ後ろで赤黒い傷が口を開けていた。
 あろうことか、口の中が酸っぱくなる。それに耐えながら、僕は少しずつ傷口を拭っていった。鰭を無くした彼女は、これからどうなるのだろう。鰭がどんな役割を担っているのかは知らないが、鰭が無くなったということは、彼女の生活において何らかの支障が生じることになるだろう。その時、僕には何が出来るのだろうか。
 傷口の汚れを拭い終えたら、次は傷薬の塗布。薬を手に取ると、薬品特有のツンとした臭いが鼻を突いた。彼女の腕を取り、手の平全体を使う様にして、ゆっくりと患部に塗り込んでいく。腕が終わったら、脚を。続いて胴、最後に背中。薬は傷に沁みている。意識が無いから反応も無いけれど、何だか申し訳なく感じた。
 僕の手に感じる彼女の肌は傷付いてしまっていたけれど、絹の様に白くて、柔っこい。それでいて常に泳いでいるからか、余分な肉は無くて引き締まっていた。僕とは似ているようで全然違う。確かにすっきりした体型ではあるけれど、僕より小さくて、細い。僕が力を込めれば、この腕はいとも簡単に折れてしまうとすら思えた。こんな体で、本当に人を殺せるのだろうか。群青の手は無骨さをも孕んでいるが、とても人を殺められるものとは思えなかった。彼女は人を殺さない魔物なのか。それは魔物と言えるのか。だが……現に僕は彼女を助けてしまっていた。ある種の慈しみすらも携えて彼女を介抱していた。こんな事、師匠からは教えられていないのに。教えてもらったのは必要最低限、受けた傷の処置だけ。それを他人に僕がしているだなんて……。
 薬を塗り終えたら、最後は包帯。特に傷がひどい腕と脚を中心に、傷口をガーゼで保護し、包帯を巻いて固定する。途中で緩まないように、だが締めつけないように。巻いたら留め金を挟めば、処置は終了となる。腕と脚、それから頭に巻いたところで包帯は無くなった。僕に出来る処置はこれだけだった。傷の全てに完璧な処置が出来たわけではないし、道具だって質の良いものではない。それでもやれることはやったのだから、後は意識が戻るのを待つしか僕に出来ることは無かった。日頃そこにいるとも意識していない神に僕は、彼女の快方を祈った。
 待つなんて事は依頼で数えきれない程しているのに、僕は彼女が目を覚ますまでの時間が永遠とも思える長さに感じられた。辺りに座って、僕は死んだ様に眠る彼女を見ていた。
「……僕、変だ」
 どれくらいの時間の後だろう。やがて、気付くと僕は独白していた。
「お前のこと考えると、胸の辺りが苦しくなる」
 物言わぬ彼女に。
「でも、お前と一緒にいると安心する」
 魔物なのに。
「もっと一緒にいたくなる」
 魔物なのに。
「僕、どうすればいいのか、わからない……」
 それから、彼女が目を覚ますまでは、僕達の間を沈黙が支配した。
 すぐ近くの彼女が、とても遠くに見えた。このまま彼女がずっと、眠ったままでいそうで。丁度、師匠に拾われた直後の僕は、確かこんな心持ちだった。全身に受けてなお有り余る、大海の如き不安感。
 僕はその結末が起こらないという望みに懸けて彼女を見ていた。眠る彼女を。名も知らない。僕は、眠ることなく。死んだ一夜を、ずっと。





「……どうして?」
 陽光が徐々に家を照らし始める中、目を覚ました彼女は訊く。僕がどうして彼女を助けたのか。そんなことは僕にもよくわからない。僕は彼女を助けたかった。だから助けた。それくらいしか言えない。彼女を納得させることは出来ないだろうから、僕はかぶりを振った。また、沈黙が訪れる。
「腹、減ってない?」
 今度は僕から沈黙を破った。起きぬけの彼女には悪くないと思ったが、彼女は少し前の僕と同じ反応をした。無理に食べさせることもないか、と僕が目を落とした時、ぐう、と。僕ではない。見ると、彼女の顔は赤らんでいた。僕は何も言わず、壁に掛かった袋に入っている林檎を、なるべく赤く熟しているものを選び、彼女へ放った。受け取った彼女の表情は、僅かな難色を含んで見えた。
「食べて」
 僕は促したが、彼女は遠慮しているのか警戒しているのか、食べようとしない。怪我人なのだから、食べてくれないと介抱した側が困るのだが。どうしたものかと思っていると、彼女につられたか、僕の腹も同じように唸った。今度は彼女が僕を見る。成程彼女はさっき、この様な気持ちになっていたわけだ。僕は袋からもう一つ、無造作に林檎を取り出した。
「僕も食べる。いい?」
 ヘタを持って彼女に見せる様にぶらつかせると、僕は答えも聞かずにまだ青みのあるそれに齧りついた。それを見た彼女は遂に観念したか、遠慮がちに両手でしゃくしゃくと食べ始めるのだった。白い歯の突き立てられた赤い果実が、小気味良い音を立てて抉れる。暫くの間は、僕達のその音で包まれた。
 早く食べ終わったのは僕。となれば当然、手持無沙汰になった僕は彼女を見た。僕が処置をしたから当たり前だが、体に巻かれた包帯が見ていて痛々しい。
「ゆっくりでいい」
 僕の視線に気づいた彼女が慌てたように見えて、諭した。なるべく、この時間がくれればいいと思っていた。二人とも何もしないでいる時間は、何だか居心地が悪く思えて。それに、僕は何となくこの時間に安らぎを感じていた。その時間は呆気無く、間も無く、終わりを迎えた。僕達はなおも沈黙する。
「……エト」
「え?」
「エト。私、エト」
 徐に、だが静かに、彼女から沈黙を破る。一度聞き返して漸く、僕はそれが彼女の名前なのだと理解した。
 エト。それが彼女の名前。ずっと、僕が知らなかった名前。
 名前なんて、大した意味も無いと思っていた。僕の人生においてこれまで、他人の名前というものは何ら意味を為さなかった。依頼人はよく標的の名前を言うが、それ以前に身なりの特徴とか、写真とか、手掛かりになるものはいくらでもある。その上、それはどうせ殺しの標的でしかない。師匠ですら、名前は教えてくれなかった。だから、師匠はいつまで経っても師匠だ。けれど、彼女は、エトという名前は、僕の心の中へ、明らかな輪郭を伴って滑り込んでくる。僕が、彼女の名前を刻んでいる。
 僕自身の名前は、僕が便宜的に付けた仮初の名前だ。勿論、本当の名前は知らないし、知りたいとも思わない。だから、僕は名乗り返す。僕が僕たる証を。
「僕はドライ」
「……ドライ?」
 聞き返す彼女に、小さく頷いた。
「ドライ……ドライ」
 確かめるようにエトが繰り返す。何だか少しむず痒い。僕と同じで、彼女にとって名前は珍しいものなのかもしれない。
「ドライ」
 エトは反芻してもう一度僕の名前を呼ぶ。その声に、僕はエトの目を見つめて無言を返す。
「近く……いっても、いい?」
 彼女が僕に、心なしか恥ずかしげに言ったこと。それは、ずっと前に僕が彼女に釘を刺したことだった。彼女は忘れてしまっているのだろうか、それとも覚えている上で敢えて頼んでいるのだろうか。今、この状況で、どうしてそれを。
 矢張り、恩を仇で返すのかもしれない。僕がどんなに彼女への警戒を緩めたとしても、彼女は魔物だ。魔物は人間を喰う。悪辣に、狡猾に、人間を陥れる。僕の恩などすっかり忘れているかもしれない。
「動くな」
 僕はベッドから降りようとしているエトを止めた。
「……僕が行く」
 エトは怪我をしているから。
 僕は立ち上がり、引かれる様にエトの方へ歩いていく。古びた床板の軋む音が、大きく聞こえる。ベッドまで歩くだけなのに、そこまでの道のりが長く感じる。エトの表情は変わらない。僕と同じ、いつもの仏頂面。彼女は、一体何を考えているのだろう。今も僕を殺すチャンスを窺っているのだろうか。僕はやっとの思いでベッドの横に立った。すると、エトが自分の頭に手をかけた。包帯を外している。
「おい、傷がまだ……」
 止める僕を無視して、エトは巻かれた包帯をしゅるしゅると解く。鰭の傷は一番ひどいのに、彼女はどういうつもりなのだろう。
「……また、生えてくる」
 僕の意を察したか、エトが付け加えた。僕は表情に出さなかったが、内心むくれた。再生するなら出血が少なかった理由も納得出来る。態々あそこまでする必要も無かったのなら、吐き気すら催した僕は滑稽以外の何ものでもない。
 包帯に縛られていたエトの長い髪が自由になる。長い時間留めていたからか、少し癖が付いてしまっている。
「もっと」
 エトが催促する。僕は彼女のベッドのすぐ傍に立っているのに、これ以上近付かなければ出来ないことがあるのか。そんな事はもう……それでも僕は、ベッドに腰掛けたエトに、更に近付いた。目線を下げて、彼女と同じ高さに。
 エトが両手で僕の頬に触れる。僕よりも大きくて、暗く青い手。包帯越しに彼女の手の温かさが伝わったようで、顔が熱くなった。すぐ目の前には、エトの顔。僕と同じ髪の色。僕と同じ目の色。でも、よく見てみると、僕達は似ているようで少し違うみたいだ。
 僕達は互いの目を見つめ合ったまま、時の止まったように動かない。彼女の、琥珀の目。その奥にあるものが何なのかは、僕には見えない。彼女は僕を……どうするつもりだ。そんな事、最初から。
 エトの顔が近づいてくる。首を噛みきろうと思えば容易い。元々、僕はこうなるはずだったんだ。
 いや、違う。彼女は、また僕の唇を奪う。触れるだけの、軽い。僕の琥珀の目の前にはエトの琥珀の目。柔かくて温かい、唇。その時間、刹那か永久か。彼女の顔が離れて、唇が動いた。
「私、ドライが好き」
 好き。僕はエトが何を言っているのか分からなかった。
 エトは僕が好き。だから、僕にキスをする。でも、彼女は魔物だ。人間を喰うのに、どうして僕を好いているのだろう。
「僕は……分からない」
 そもそも、僕は誰かを好きになるという事を知らない。だから、好意を向けられても、僕はどうすべきなのか分からない。確かに分からなくはあるけれど、エトが僕に言ったことは、僕達にとって大事なことである気がした。
「でも……僕はエトと一緒にいると、心が落ち着く」
 だから、僕は出来る限り、彼女に対する感情を吐露することにした。
「エトと一緒にいると、それだけで嬉しい」
 ぶっきらぼうに。
「胸の鼓動が早くなる」
 ちぐはぐに。
「……心が、とても温かくなる」
 直向きに。
「エトも、一緒?」
 僕の両手が、エトの頬に伸びる。触れると、じんわりとした熱が伝わる。エトは、笑っていた。口の端を歪めて目を細めるだけの、ほんの僅かな微笑みではあるけれど、彼女は確かな笑顔を僕に見せていた。目の端から光るものを伝わせながら、彼女は噛みしめるように頷いた。ああ、そうか。これが、好きっていうことなんだ。視界が歪んでくる。
「エト、泣いてる」
「……ドライも」
 言われて初めて気付いた。僕も泣いているんだ。僕もエトも、悲しくなんてないのに。悲しくないのに、涙が溢れて止まらない。僕達はきっと、ずっとこの瞬間を望んでいたのだろう。
 僕から彼女に口付けをした。自分から近づくということが僕にはとても難しくて、それは触るか触らないか分からない程の軽いものだった。
「僕は人殺しだ。それでも……」
 口を離して最後の忠告をしようとすると、エトの唇が僕の言葉を遮る。唇が塞がれて、二の句が継げなくなる。エトの舌が、僕の唇を割って入り込む。最初は驚いたが、程無くすると、舌の絡み合う甘い感覚を求めていた。嫌なんかじゃない。寧ろ、心地良い。上顎を舐め回されて、ぞくぞくしたものが背筋を走る。ちゅっ、ちゅっ、と、何度も何度も鳥が啄む様に吸われて、その度に頭の奥がぴりぴりして麻痺してしまった様な感覚に陥る。時間としては、それほど長くはない。外だって明るいし、何よりも今はまだ朝だ。けれどもエトとの口付けは一昼夜をゆうに越えてしまうような長さに思えて、つまり僕の感覚を悉く狂わせてしまう程度には甘美だった。未だ嘗て経験した事の無い魅惑に取り憑かれて、僕の頭の中はエトで充満していた。
「……こっち、来て」
 エトが僕をベッドの上へ導く。普段、一人分の重量しか支えていないベッドは悲鳴を上げるが、そんなことは今の僕にはどうでもいい。ベッドが壊れたって構わない。今は、ただエトの事だけを考えていたい。
 ベッドの上、エトはアヒル座りで、僕は脚を投げ出す様に座る。……けれど、この先はどうするのだろう。口付けだけしているわけにもいかないだろうし。かと言って、僕はこの後何をすれば良いのか分からない。身体を覆う火照りだけが高まっていく。ベッドの上でも暫く見つめ合っていた僕達だったが、目を伏せたのは引け目を感じた僕の方だった。僕の当惑を感じ取ったか、彼女が動く。僕の股を開かせ、草臥れたズボンに手を掛けたかと思うと、それを一息にずり下ろした。下着越しに、僕のモノが露わになる。それは起床直後の様に起立していた。
「っ!? 何を……」
「いいから」
 当然、下着越しとはいえ恥部を覗かれたら流石の僕でも狼狽える。しかしエトはそんな僕の制止すらも振り切る。間も置かずに今度は僕の下着に手を掛ける。僕の最後の砦が陥落しようとしている。これを下ろされたら、僕はいよいよ自分の恥部を彼女の視線に晒すことになる。それはいけない。
「駄目っ……!」
 いけないのに、僕の手が動かない。動いたのは口だけ。エトは必死の抗議に応じた風も無く、掛けた手を無情にも下へ。白日の下に、僕の最も恥ずかしい所が曝された。それは自分でも見た事がないくらいの大きさで、寧ろ堂々たる立ち居振る舞いでエトに姿を見せる。グロテスクですらあるそれを見た彼女は、かえって恍惚としていた。
「すぅーっ、はぁー……」
 剰えそこから立ち上る、噎せる様な臭いを楽しんでさえいた。躊躇い無く、そんなところに、こんなに顔を近づけて。顔の熱だけが急速に高まる。彼女が恍惚に染まる傍ら、当の僕は圧倒的恥辱に苛まれる。
 僕は知らない。この先どうなるのか。これが始まりなのか終わりなのか。出来れば後者であってほしい。……そうなのか?
 僕の希望のようなものは淡く砕かれた。こんな辱めは、ほんの序の口でしかない。
「うぁっ……! エト、駄目、汚い……!」
 次の瞬間、エトは剥き出しになった僕のモノを口に含んだ。口腔内のぬめった粘膜と舌が、僕の先端を虐めてくる。先程とは比べものにならない程の羞恥が僕を襲う。しかし僕は彼女を無理矢理引き剥がすことは出来ない。僕の両手は、肉棒をさも美味しそうに頬張るエトの頭に添えられて、それまで。この手をぐっと前に押し出せば良いだけなのに、それが出来ない。僕を蝕んでいる未知の悦楽が、僕の手を操っている。
 好意を寄せる者とのキス。それだけでも頭に霞がかかるというのに、その上恥部を舐られるという恥辱。羞恥の極みだというのに、浅ましくも僕はこの状況に興奮している。エトの上目遣いが増長させる。
「こ、こんなのっ……! 止めっ、エト……!」
 僕の抗議に反比例して、エトの責めは加速する。先端を担当する舌は最早別の生き物のように蠢いて、頭は早く早くと急かす様に上下して。それだけではない。彼女はそこへ更に、手による快楽をも追加してきた。片方の手で急所を揉み込まれる。ぐにぐにと、痛みを感じないギリギリの強さで、的確に。もう片方の手は、エト自身の秘部へ伸びていた。鱗の股の部分を横にずらして、そこを頻りに弄っている。僕と同じで、エトも昂っているのか。
「んっ……じゅぷっ、じゅ、じゅるる……」
「はあっ、変、エト……何か、くるっ、怖い、エト! あぁ、とめてっとめてぇ!」
 時間が経つにつれて激しくなる、唾液の撹拌されるいやらしい音と共に、僕の腰に熱が集中してくる。僕の意識の底で、体験したことのない、それでいて巨大なものが急速にせり上がってくる。それが頂点に達した時、僕は僕でいられなくなると、本能的に感じ取った。怖い。気持ち良い。快楽と恐怖が綯い交ぜになって、何が何だか分からなくなる。僕は自分でも二度と出す事が無いと思っていたくらいの悲痛な哀願をした。
 こうまでして頼んでも、エトは止めてくれなかった。逆効果だった。僕が登り詰めようとしている何かの頂へ、彼女は寧ろ押し出そうとしている。咥え込む動きが深く速くなって、責めが最高潮に達する。驚く程呆気なく、僕はその頂へ到達した。
「っ! っ! 〜〜〜っっ!!」
 声の無い叫びと共に、目の前の景色が白く明滅して、頭が絶対的な快楽で塗り潰される。尿道を何かが駆け抜ける感覚が全身を迸って、意識が飛びそうになる。そんな中でもエトは責める手を止めてくれない。僕があんなに頼んだのに、急所を揉み込む手が、快楽を確実に上塗りする。凡そこんなモノを咥えるとは思えない小さな口が、根本まで呑み込んで。きっと先端に感じる感覚は彼女の喉だ。喉に向かって熱い何かが出ている。尿とは違う、麻薬の様な浮遊感を齎すものが、ずっと。一秒が十倍にも百倍にも増幅して感じる。それを、彼女は、エトは一滴も零さずに飲み込む。喉まで届いているのなら苦しいだろうに、しかし、彼女の表情はその苦しさすらも愛しさに変わっていて。
「はあぁ……っ、はぁっ、はぁ……」
 絶頂の快楽が弱まるにつれ、脱力。けれど、不快ではない、夢うつつの忘我。目の焦点までもが狂ったか、エトの顔がよく見えない。
「エト……見えないよ、えとぉ……」
 僕は親鳥と引き離された雛鳥が鳴くようにしてエトを求めた。エトの事しか考えられない今の僕にとっては、エトが唯一の光だ。それが無くなったら、もう何も見えなくなってしまう。
「一人、いやだ……一緒がいい……」
 朧気な意識の中で、僕は駄々をこねて求め続ける。エトが傍に居てくれないと、気が狂ってしまいそうだった。
 僕の体が何かに押し倒された。首に抱き付いている、この感触は。
「……傍に、いるから。ずっと……」
 すべすべした感触を伴って、僕の耳元で誰かが囁いた。起伏にも抑揚にも乏しい、色彩に欠ける声。きっと人が聞けばそう思うだろうけど、僕にとっては何よりも強い安らぎをくれる声。やっと、焦点が合ってきた。
「ドライの……ちょうだい?」
 僕の何かを、エトが求めている。耳元で、熱い吐息を混ぜて吹きつける。未だ余韻から完全には抜け出せていない僕は、それだけでもぞくぞくとした震えが走る。
 僕の何かとは、僕には詳しく分からない。だが、僕もまた、言葉では言い表せないエトの何かを求めている。僕の何かとエトの何かは、きっと同じだ。その思いが、僕の腰をまた熱くさせる。これからしなければいけない事は……きっと。
「僕も……エトが欲しい」
 そして、その準備は既に出来ている。僕が下で、エトが上。抱き付いていた彼女が起き上がり、一体となっていた熱が少しだけ冷めて寂しい。でも、これからすることがそんな寂しさを彼方まで吹き飛ばしてくれる。
 エトが膝立ちになって股を、そして彼女の秘部を指で開く。僕に対する愛撫でもうびしょびしょになっていて、溢れ出た透明な液が腿を伝って落ちていく。初めて見たけど、充血してひくついている様は、僕を求めているからだと理解出来た。僕の中の彼女を求める欲が膨れ上がるのを感じた。
 エトのそこと僕のそこがくちゅりと触れあう。先端が火傷しそうな熱を帯びて、それだけで僕はもう気が遠くなる様な思考で満たされるけど、本当に味わわなければならないのはこの先だ。この先で、もっとエトを感じられる。気持ちが逸って、物欲しくなる。エトもそれは同じで、そして、彼女は一息に腰を下ろした。
「ひぅあぁぁっ!」
 先端に感じるこの感触は、きっとエトの最奥部。すると、聞いた事の無い彼女の声。高く、弾けるような、僕の興奮を煽る声。竿全体が、エトで熱く、きつく締め付けられる。ぬるぬるでぎちぎち。それだけで、僕はまた絶頂に登ってしまうかと思った。一度出していなければ、挿れただけで登っていたに違いない。これから僕達が登りつめるには、どうすればいいか。考えなくていい。考えずとも、ただ、お互いを求めればいい。それだけだ。気付いたエトが腰を上下動させ始める。
「はっ、はあぁっ……んっ、あっ、はぁっ……!」
 彼女の表情は、普段なら絶対に見せない色に満ちている。きつさを感じる目はとろんとしていて、真一文字に結ばれていた口から涎が垂れている。身体が弛緩して、悦んでいる。あまりの違いからか、僕は尚の事エトが好きになってしまった。その想いは止め処無くて、堪らなくて。その内、エトだけが腰を振っているのが物足りなく感じて、僕も起き上がった。
「あっあ……んぅ、んっ……ちゅ……」
 起き上がって対面すると、エトの顔はすぐ傍に。細くも瑞々しい唇が欲しくなって吸いついた。お互いの性感を高めながらの、舌を、唾液を、息を絡ませ合う感覚。思考がぐずぐずになってしまいそう。唾液が甘くて、欲しくて、飲み下す。なのに、喉はもっともっと渇く。
 欲しがっても欲しがっても足りない。僕はエトをぎゅっと強く抱きしめた。エトが僕を抱きしめ返す。触れ合う身体、擦れ合う互い。全部が本能を焼け爛れさせる。エトだけに任せてはいられない。僕も負けじと腰を動かす。
「ひゃんっ! ぅあっ、ごりごりってぇ……!」
 欲望の赴くまま、僕が到達を目指す所へひた走る。抜こうと腰を引けば、させるまいと竿に襞が吸いついてきて、ならばと腰を突けば、竿が襞を巻き込んで抉る。ベッドが軋む音など何のその。そんな雑音が聞こえないくらい、僕達はお互いで頭がいっぱいだ。
「エト……っ、エトぉ……っ!」
「ふあぁ…っ、ドライ、ドライぃっ!」
 どちらかが名前を呼べば、それに呼応して名前を呼び返す。エトの身体が震えてくるのにつれて、僕にもまた熱が溜まってくる。さっきも感じた、とても大きいものがせり上がってくる。僕達が求める最果ては近い。
 僕達は一緒にそこへ向かう。昼前の穏やかな日差しが差し込む廃屋で。小鳥たちの輪唱を掻き消さんばかりの、二人の獣の二重唱。互いの腰の動きが更に加速する。
「あっ、あっ、ドライっ! やっ……はぁんっ、イっ……!」
「っ、エトっ! はぁっ、いっしょに……!」
 箍は外された。限界を超えて。身体が震えて昂る。がくがくと痙攣し始める。感じたい。もっと、エトの、奥の奥まで、一番奥で。
「イっああああぁぁぁぁぁ〜〜〜っっ!!」
「〜〜っく……っう……!!」
 頭が、意識が、白くなっていく。壊れそうなほどの快感と、幸福と。色んなものに僕は包まれていた。
 その先はよく覚えていない。それから僕達は何度お互いの身体を貪ったか分からない。十回かもしれないし百回かもしれない。或いはそれ以上か、とにかく僕達は求め合った。エトはまだしも、僕はそういう経験はこれまでしてこなかったから、その分反動が出たのだと思う。
 
 
 
 
 
 二月ほどが経って、僕は、魔物に対する認識を改めた。エトを求めた経験を元として、森に棲む他の魔物から情報を集めてみた。エトがただの例外なのだという懸念もあったが、それは杞憂に終わった。魔物は人間を喰わない。人間を愛し、伴侶となる人間を求める。この前に来た調査兵団と夫婦になっている魔物にも会った。人間は魔物の敵ではない。気が強かったりぼんやりしていたりと、色んな魔物がいるけれど、明らかな殺意を持って人間に接する者なんて一人もいない。
 僕はというと、殺し屋を辞めた。あばら家を改築して、エトと二人で住んでいる。ジャイアントアントを始めとする他の魔物の面々の助力もあって、工事は驚く程早く済んだ。森に住んでしまった方がエトと長く一緒に居られるし、面倒事も少なくて済む。収入は無いが、森の中でも十分に自給自足は出来る。偶に他の夫婦からお裾分けしてもらったりもする。僕が殺しをする時は狩りと、もう一つ、調査兵団の撃退。僕一人でやれる事は少ないが、街に出て情報を仕入れるのは得意分野だ。いつ騎士団が来るかが分かれば、予め対策を立てておく事も容易になる。僕はこの森を守る。エトが暮らすこの森を。



 満月の夜。僕達は寄り添い、水面を見る。間には沈黙。夜の虫が鳴いているだけ。僕達は他の夫婦と比べて会話が少ないらしい。それはそうだ、どっちも無口な性質だから。他の夫婦はもっと話せばと言うけれど、僕達はあまり気にしていない。話す必要が無い。肩を寄せ合って、どちらともなくお互いを見る。僕もエトも、相変わらずの無表情だ。でも、何を考えているかは大体解る。僕は新しく生えてきたエトの鰭を撫でながらキスをした。優しく、目を閉じて、エトは受け入れる。
 
 愛してる、と。僕は言外に告げる。殺し屋だった僕がだ。凡そ、殺し屋が得るとは思えないものを、僕はエトから沢山貰った。誰かを好きになるという感情。心を開く意味。愛する気持ち。胸いっぱいの幸せ。
 だから、僕はエトを守る。自分の為ではなくて、エトの為にこの刃を振るう。
 水面に映る月より綺麗な彼女。これは幻なんかじゃない。
 月光が煌々と、愛し合う僕達の影を草むらに落とした。
15/11/15 21:57更新 / 香橋
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■作者メッセージ
殺す(悩殺)

身内の方からリクエストがありまして、今回こういうモノを書かせて頂きました。気に入って頂ければ幸いです。
本当のところを言うと、当初は一万文字以内でぱぱぱーっと終わらす予定でしたが、書いてる方が悪乗りしてこの始末です。
無口って……いいですね……以心伝心……したいですね……

で、肝心の連載の方ですがね。時間、かかりますね。連載って進めば進むほど時間がかかるものなんでしょうか。何卒、お待ちください。いや、私生活の方も大分切羽詰まっている時期と言いますか。結構いっぱいいっぱいです。

では、次の更新でお会いしましょう。

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