読切小説
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魔女と男10









 目を覚ましたのは夜明け前、辺りは暗闇に覆われていた。
 夢の余韻が色濃く残っていた為か、自分がいる場所がどこなのか判らず混乱する。

 腕はある。
 足もある。
 考える頭もある。

 何も見通せない暗闇の中で、最も身近な自分の身体を確認して、俺は膝を抱えてその場に縮まった。

 闇が怖くて瞼を閉じる。
 暗闇に変わりはないが、何かの拍子にもっと怖いものを見なくても済む。
 けれど恐怖は連鎖的に増殖して、想像を掻き立てていった。

 今まで目にし触れて実感したもの全てが、人を殺す怪物の夢でしかないとしたら。
 生き物の姿がない枯れた森でうずくまっているだけとしたら。
 恐ろしくて泣きそうになってしまう。

 奥歯を噛み締めて悲鳴を我慢した。
 泣いてはいけない。
 そういう約束をした。

 次々と襲い繰る恐怖に攫われないよう、俺はその場で根を張ったようにうずくまっていた。
 そうしてどれくらい我慢していただろう。

「お目覚めか。おはよう」

 いつか聞いた声が間近で聞こえた。

「……おはよう」

 俺は口を開けばすぐにでも飛び出てきそうになる悲鳴を充分噛み殺してから、強張った声音で答えた。

「なんだ、また怖い夢で見ておったのか? いい年こいてこの弱虫め。おねしょでもしようものなら一生笑い種にしてやるからそう思え」

 声は小馬鹿にしたような口調と共に鼻先で笑った。
 先ほどまであった恐怖の底で、ふつふつと湧き上がり始めているのは怒りだ。
 俺を馬鹿にする表情も細部に渡ってしっかりと想像する事が出来る。
 相変わらず生意気で腹が立った。
 
「おねしょなどするか」

「だが夢精はするだろう。盗んだ下着を嗅ぎまくり、パンツを汚す一五の夜」

「やめろ」

「照れるな。男なら誰もが通る道だろう。挿れてもいないのに発射などと、男は贅沢な身体の作りになっているものだな」

「恥じらいを持てと言っている」

「阿呆め。見せる相手を選んどるだけだ。それとも何か。お前の前で乙女のごとく振舞えとでも言うのか」

「例えば?」

「んもう、お兄ちゃんってば臆病さん。私の魔法で怖い夢どころか目が覚めなくしちゃうぞ! マジカルちゅっ♪」

「おえっ」

「殺すぞ」

「気持ち悪いから恥らうな」

「ぶち殺すぞ」

 下品で口が悪くて乱暴な声と会話をしていると、怒りも確かに湧き上がるが、不思議な事に安堵していた。
 何一つ定かでない暗闇の中、よく知る者の声はとても安心出来た。
 緊張で固まっていた身体から、じわりじわりと硬さが抜けていくのが判った。

 良く知っている相手だからだろうか。
 それとも、良く知っている相手に似ているからだろうか。
 なんのてらいも気後れも遠慮もなく、乱暴な言葉遣いに引きずられて俺まで口調がぶっきらぼうになっていた。

 この感覚がそうなのだろうかと疑いながら、俺は暗闇の中で呼びかける。

「おい、妹」

「なんだ兄」

「ありがとう」

「理由のない無差別感謝でほだされるとでも思ったか? わしをそこらの尻がゆるい妹と同じに思うのなら大間違いだぞ」

「いてくれてありがとう」

「わしが存在するのは美少女の美少女たる由縁よ。世界共通の財産として、まもなく恒久美少女指定を受けるのであろう」

「妹になってくれてありがとう」

「全国妹至上主義協会の会長代理を務めるわしにとって、はるか東の輪廻の枠組みすら超えた位置にありすでに妹である。魂的に。よって啓蒙活動を行っているだけであり感謝されるいわれはない」

「家族になってくれて、ありがとう」

「……」

 今まで口を開けば汚い言葉の応酬になり、態度で表そうとすれば互いに手が出る喧嘩になり、余り仲の良い関係だったとは言えなかった。
 時間の経過が俺の意地を解きほぐしたのか、旅の出会いが俺自身を変えたのか。
 単に暗闇の中であの憎たらしい顔を見ずに済んでいるだけなのか。
 まだ答えは出ないが、ありがとうと口にした事に間違いはない。
 そのはずだと固く信じた。

「おい、妹」

「なんだ兄」

「その恥じらいは気持ち悪くない」

 ただ、少しばかり照れくさかったから、急に黙り込んでしまった妹をはやすような言葉を口にした。

「殴る」

 一秒と待たずに拳で即答してきた。
 うずくまっていた俺は柔らかいベッドの上で大の字に転がる。
 妹のパンチは相変わらず骨身に染みる痛烈なものだったが、ただ痛いだけのものではないというのが最近になって判ってきた。

「おい、妹」

「なんだ兄」

「お前の手はもさもさだな」

 その手についた鈎爪を使えば、首を掻き切る事など容易い。
 殴るのに適した手ではないのに殴ってくる妹は、口で言うほど乱暴ではないのだ。
 極端に気が短いだけで。

「わしのチャームポイントだというに、微妙な気分になる評価をするな」

「そうか。悪かったな」

 そのもさもさの手は、俺も結構気に入っているのだ。
 出来る事ならそのもさもさ感を存分に味わってみたいが、それをすると途中で妹が飽きてあの拳が飛んでくるに決まっていた。

「まだ夜明け前だ。寝直せ。さもなくばわしの拳で安らかな眠りにつかせてやる」

「気絶は睡眠と違う。言われなくても眠る」

 もう恐怖は残っていない。
 暗闇の中でも、妹が側にいれば怖くはない。
 穏やかな眠りの予感に誘われて、俺は睡魔に身体を明け渡す。

「おやすみ、兄」

「おやすみ、妹」

 安らかな眠りだった。






 鳥たちの早朝を告げる声に身体を起こして、辺りを見回す。
 窓辺から差し込む陽光。
 広い寝台と荷物を放り出した机。
 木の中身をくりぬいてそのまま利用したかのような部屋は、俺にあてがわれた個室だった。

 見慣れたはずのこの光景に違和感を覚えているのは、しばらくここを離れて旅をしていた為だろう。
 この懐かしむ感覚は、昨日魔女殿と共に戻って来た時から感じていた。

「おはよう」

「おはようございます」

 俺は寝台の傍らにいた魔女殿に挨拶をした。

「すっきりとした顔をしているな。何か良い夢でも見たか?」

「いつもと同じ顔ですが」

【気熱よ】【爛れよ】【還れ】

「痛いです。すっきりしました」

「さよか。で。何か良い夢でも見たか? 夢の一時のよな時間があったか、と置き換えても良い」

「ありました」

 考えるまでもなかった。
 魔女殿は何故かしてやったりという顔つきになって続きを促してくる。

「ほう。どんな良い事があったのかわしに聞かせろ」

「はい。目が覚めてすぐ魔女殿を見つけました」

 朝日を浴びて蜂蜜色の髪がまばゆく輝いている。
 たわわに実った麦穂が大地の恵みをあらわすような、その姿はとても美しかった。
 魔女殿は何故か白けた顔つきになった。

「ああ、まあ、うん……それだけか?」

「それだけですが」

 他に何かあっただろうか。
 何か夢を見たような気がするが、いつもの目が覚めると忘れてしまう夢だろう。
 忘れてしまうので良いも悪いもない。

 妹との会話は、ぶん殴られたので余り良い事でもなかった。

 魔女殿は怒ったような非難するような曖昧な表情を浮かべていた。
 喜怒哀楽がはっきりしている魔女殿にしては珍しく、ついでに言えばいつもの下品な言葉も飛んでこない。

「……そうか」

「はい」

 理由は判らないが、魔女殿はひどくつまらなさそうに呟いて部屋から出て行った。
 俺はその背中を見送った。
 不思議な反応だったが、魔女殿にしか判らない深い理由があるのだろう。
 そして、晩酌に一本蜂蜜酒をつければきっと機嫌を直されるとも思った。

 俺は魔女殿が消えたドアから室内へと、視線を移す。
 かつて連れこられた時には違和感しか感じられず、今となっては馴染み切ってしまった俺の自室。

 帰ってきたんだな。
 住み慣れた我が家に。

 窓の向こうに広がっている景色に目を細めて、実感を噛み締めた。

 一日が始まる。

 朝一番に放たれた傷害の魔弾のおかげで眠気が吹き飛んだ事だし、朝の仕事を始める事にした。



 魔女殿の家は実に広大なのだが、暮らしている者の数は意外にも少なかった。
 つまり家長である魔女殿と俺だ。
 魔女殿の客が訪れてくる事もあるが、基本は二人暮らしで生活をしていた。

 必然的に、家事は俺の仕事になっていた。
 魔女殿はそういった家庭的な事全般が大味だった。
 それでも零から覚えた訳ではなく、魔女殿の友人の中には家事一般をこなせる方もいたので、先生と師事を仰いだ。
 今では料理洗濯保存食の作り方から、美味しい蜂蜜酒の漬け方まで覚えていた。

 学んだのは基礎で、あとは繰り返す事によって身につけていった。
 特に料理は覚えなければ下手をすると毎食塩スープになるので、切実な願いから習得したとも言える。
 魔女殿は基本的に蜂蜜酒さえあれば普段の食事には余りこだわらなかった。
 酒以外は。

 当初の食生活を思い出して、憂鬱が首がもたげてきた。
 ずっと暮らしていた家を離れてたりしていた為か、妙に昔を思い出す。
 昨日家の扉の前に立った時も、そわそわとして落ち着かなかった。

 それを魔女殿は里心だと教えてくれた。
 だとしたら、嬉しい。
 里心を覚える場所が、俺にもまだ残されていたのだから。

 俺は個室が並ぶ廊下を抜けて、食事の場所である大広間から厨房へと向かう。
 その途中、広間の片隅に置かれた甕の前で立ち止まった。

 飲み水を蓄えている甕だ。
 残量を確認し、甕がいっぱいになるまで足しておくのが俺の朝一番の仕事だ。

 だがその前に一口咽喉を湿らせておこう。
 寝起きで汗をかいたのか咽喉が渇いていた。

 壁からにょきっと生えた枝に吊るしてある柄杓を手にして、水を掬ってがぶ飲みした。

「?」

 水を飲む。

「……」

 水が飲み込めない。

 咽喉の奥でぴたりと止まって、飲み込もうと嚥下しても身体の中に流れていかずに戸惑った。 
 つけ加えるなら水にしてはやけに硬く、半分固形のように俺の口から甕の中へ垂れ下がっていた。
 ゼリーのような質感に覚えがあり、見ている間に揺れてもいないのに表面がざわざわと波打った。

 不意に甕の中身が溢れ出したかと思うと、そのまま俺に向かって勢い良く噴き出てきた。
 のしかかられた重みにそのまま背後から倒れ込むが、硬柔らかいその水が背後まで覆っていたので衝撃は殆ど感じられない。
 仰向けに倒れた俺の上で水がぐねぐねとうねり、見えない手でこねられるように明確な輪郭が浮かび上がっていく。

「クァ」

 俺の上で人の形になった水――もといスライムのスゥは、腕を伸ばして欠伸をした。
 学習して真似ているのか本当に眠いだけなのか、その仕草は以前見たよりもずっと人間じみていた。

 旅の途中で契約をしたスゥがこの家で暮らしている事は知っていたが、彼女の寝床が飲料水を収める甕の中とまでは知らなかった。
 昨日戻って来たばかりでどの部屋を使っているのかまでは把握していなかったが、常に潤っている彼女にとってはある意味妥当な場所なのかもしれない。
 乾燥を避けるだけでなくひんやりとしていて気持ちがいいのだろう。
 スゥの冷たい身体は寝起きの俺にとっても心地が良かった。

「……ァフ」

 寝起きで寝惚けているのか、心なしかまぶたが重そうな表情になっている。
 スゥは胡乱げな眼差しできょろきょろと辺りを見回し、すぐに絡み敷いた俺の存在に気がついた。

 身体の表面と比べて濃い青の瞳が俺に向けられ、きょとんとした表情で見下ろしていた。

「エムビー」

 どこか発音がたどたどしい彼女の声から、俺が誰なのか認識した事が判る。

「スゥ」

 次に彼女は自らを認識したようだ。

 しばらくの沈黙。

「ゴハン」

 食欲を覚えたらしい。
 本能的なものなのか俺の四肢に絡みついてしっかりと捕獲していたスゥの身体が、じわじわと服の隙間から潜り込んでくる。
 腰紐をどれほど固く結ぼうとも、半液体の彼女にかかれば文字通り染み込むだけの隙間さえあれば容易く潜り込まれて解かれてしまう。
 早くも半裸にされてしまい、スゥが身体を倒して俺の顔を覗き込んできた。

「せっくすスル?」

「もがもが」

 スゥが小首を傾げてはにかむが、彼女の身体の一部を口の中に収めていた俺は生憎返事を返せなかった。
 それはそうとそろそろ苦しい。
 口の中だけでなく、咽喉も飲み込みかけたスゥの一部で詰まったままだ。
 スゥは俺の言葉にならない声を吟味するように小首を傾げて、思い出したようにずるっと咽喉を塞いでいた一部を引きずり出した。

 目で訴えるだけでも案外通じるものだなと、少し感心した。

「チョット失敗」

「そうか」

 どの辺りが失敗だったのか訊いてみたい気もしたが、俺の知的好奇心はすぐどこかへと霧散していった。
 胸元に顔を摺り寄せるスゥの姿と比べると、ひどく些細な事だ。

「エムビー」

「ああ」

 甘えてくる彼女に俺は身じろぎをして腕を持ち上げる。
 全身を覆われていたが、拘束するほどの圧迫感は感じない。
 捕獲された際は内側への圧力が働き、それこそ簀巻きと同じくらいがんじがらめにされた事を覚えていた。

 スゥの身体は意志によって加減が効くのか、部位の差なのか、硬軟調節されている。
 内側に柔らかみを感じる皮膜のようなスゥの輪郭に触れ、彼女が頬擦りしても顔の形が崩れる事はなかった。

「おちんちん元気」

 すでに露出していた俺のペニスはスゥの中。
 いきり立ったペニスが根元まで飲み込まれて、ぎゅっと握り締められる圧力と先端から吸い出される吸引力を同時に感じている。
 スゥの体内は複雑で独特で、信じられないほど心地が良い。

「朝勃ちだな」

 すでに勃起していたのは生理現象もあったが、今はそれだけではない。
 スゥの身体は冷たいが包まれても熱を失う様子はなく、それどころか刺激されて発火したように熱くなっていた。

「あさだち……美味シイ? タクサン出ル?」

「そうだな。沢山出る」

 聞き慣れない単語に身体の表面を振るわせたスゥに、俺は彼女の髪を撫でた。
 潤った髪が俺の指に絡んで流れ、彼女は小さくはにかんだ。

「せっくすスル」

「ああ、セックスしよう」

 頷いて、うっとりと微笑んだスゥが口付けしてきた。

 スゥの口を甘く感じるのは、水が良かったからかもしれない。

 そんな俺の思考もすぐに露と消え、彼女の甘い身体を抱き寄せた。



 覆い被さった身体を愛撫している内に、すぐに彼女の身に変化が起きている事に気がついた。

「ア、アァ……ァ」

 スゥが身体をこすり付けてくる度に、甘い声音が口からこぼれてくる。
 以前よりもずっと反応が良く、記憶の中にいる彼女は愛撫だけでこれほど快楽を感じてはいなかったはずだ。
 不思議に思いながら、どこでそれほど感じているのか手で探っていく内に、柔らかい身体にしこりのような硬い部分を見つけた。

「アァン!」

 爪の先程度の小さなしこりに触れただけで、スゥは一際甲高い声を上げた。

 俺の手は、快楽に震えてのけぞった彼女の乳房の中を泳いでいる。
 指先で摘んだのは、その先端にある小さな突起だった。

 スゥに乳首があった。
 正しくは、少し違っている。
 不定形で液体に近い彼女の膨らんだ乳房に、球状の何かがあった。

 それがスゥにとっての性感帯で、以前は握り拳程度の大きさの物が腹の中に一つだけしかなかったが、今は小さな物を含めて三つある。

「ここが気持ちいいのか?」

 たっぷりと手の平に余る乳房を支え、指先でスゥの乳首をくすぐった。

「ア、アァ――キモチイイ――ァンッ」

 スゥの身体がさざなみ、青い瞳がとろんと陶酔したように蕩けた。

 スゥが快感に喘ぐ姿は、ここが性感帯とみなして間違いない。
 感度と反応を確かめる為に乳房を揉みながら、言葉でも訊ねてみる。

「前はなかったはずだが」

「ア――増エタ――ァン」

 これはどうやら増えるものだったらしい。

 乳首を擦らなくとも乳房を揉むだけで刺激があるのか、スゥはゆるゆると身体を震わせている。
 感度は鋭敏で反応も上々。
 スゥの乳房は今にもこぼれ落ちそうなほど瑞々しい。
 その感触を俺が楽しむだけでなく、彼女の快感に繋がる事が嬉しい。

「アッ、ン、アァ、アアッ、アッ」

 スゥの喘ぎに欲望が刺激され、身体が自然と動く。
 上体を持ち上げて、たわわに揺れる乳房の突起に吸い付いた。

「アゥン!」

 口に含み、吸い上げる。

「ハ、ア、アッ、アァッ」

 舌で転がし、唇で食む。

「ア、アア、アアアアァァァァ」

 指先で引っかき、こねる。

「ハアアアァァァ――」

 スゥの切ない声色に狂おしいほど劣情が揺さぶられた。

 悦楽によって、スゥの形が少しばかりとろりと崩れている。
 彼女の口からこぼれだしたものが舌とも体液とも判断がつかぬまま吸い付く。
 とろりとしたそれはかろうじて固体を留め、俺の舌に絡み付いてきた。

 舌よりも細く、それ以上に表情豊かな動きで俺の口の中を貪り始める。
 スゥの口の中から人肌程度の温もりを感じる。
 性感に浸ったスゥの身体は温かく熱を放つ。
 手の平が、口が、そしてペニスが――全身が。
 スゥの温もりに包まれていた。

 もっと熱く。
 触れる俺を焼き焦がすほどに、熱く。

 スゥが俺から貪欲に体液を欲するように、俺もこの温もりに強烈な渇望を抱いていた。
 どうすればいいのかはもう判っている。
 もっと、スゥに快楽を。
 飽く事無く口を吸い上げながら、乳房を揉み上げていた右手をぐいと押し込む。
 一定の抵抗を越えると、ずぶっと容易く俺の手がスゥの体内に飲み込まれた。

「エム。ハ、アアッ、エム、ビー?」

 皮膜のように感じていた表面を突き破りはしたが、体液が溢れ出す事はなかった。
 突き入れた腕から、温かな締め付けを感じる。
 スゥも戸惑っているようだが痛みは感じていない様子だ。
 俺はずぶずぶと飲み込まれるままに肩口まで突き入れて、下腹の辺りで緩やかに回転していた球体を直接撫でた。

「ア――」

 ぶるりと、一際強くスゥの表面がさざめいた。

「アアアアアアァァァ――!」

 スゥの声と一緒に前後が裏返った。
 スゥの球体に直接触れた反応は、劇的だった。

 正面から抱き合っていたのが背後から抱きすくめる形に移り、俺が塞いでいた口はスゥの髪に変わっている。
 歓声にも似た恋しい嬌声を上げるスゥの体温が熱を持ち、それを全身で感じながら俺は二度三度と激しく震える球体を撫で下ろした。
 球体を撫でる事で、下腹部からさらに下へと追い込む。

「アアァ! アアアァァァッ!」 

 首を左右に振って駄々をこねる幼児そのものの姿でいやいやするスゥに、俺は今までされるがままに留めていた腰をぐいっとせり上げた。
 ペニスの先端に、こつんと硬いものが当たる感触。
 スゥの身体が縦に跳ねた。

「――ッ」

 スゥは大きく仰け反り、天井を仰いで目を見開いていた。
 叫び声は声にならず、或いは俺が聞こえる音の範囲を振り切ってしまったのか。
 腰が浮いた事でペニスを包んでいた吸引力が強まった。

 それこそ、スゥの俺の尿道の中まで潜り込んでいたのだろう。
 包まれるどころか中から直接吸い上げられるその感覚に、俺の自制心は呆気なく堰を切って雪崩打った。

 射精した。
 蓋を引っこ抜かれて噴出しているような射精だ。
 陰嚢どころか腰の奥から引っ張り上げられるような深い快感だった。

 泡立つほどの白い精液が流し込んでいる様子が、透き通ったスゥの身体越しに良く見える。
 精液が白い球体に絡み、そのたびに不規則な回転で白濁を巻き取り、その動きと連動するようにスゥの身体が波打っていた。

 スゥの身体から腕を引き抜くと、吐き出したばかりの精液が指に一絡みしていた。
 俺は指に付着した精液を眺めて、未だ口を開けたまま震えていたスゥの口元に近づけてみた。

「――ア」

 そのまま吸い寄せられるように、スゥは俺の指を口に含んだ。
 ちゅうっと吸い上げられた精液がスゥの体内で漂い、みるみる内に分解されていった。

 精液を舐めとった後もスゥはちゅうちゅうと俺の指に吸い付いたまま離れない。
 明確に意識があるのか条件反射なのかも判らない陶酔した目で、無心に俺の指をしゃぶりつく。
 ともすれば形を失って流れだしかねないほど柔らかくなったスゥを抱き寄せて、指をしゃぶり続ける姿を見守った。

 攻撃的なほど求めていた欲情が収まり、今は普段の自分を取り戻していた。
 スゥに対して抱くこの感情はなにが作用しているのか。
 落ち着いた今となっては不思議にさえ感じた。

 単に性欲が溜まっていただけなのか、それ以外の理由があるのか。
 一度射精した事で冷静になった俺は、スゥが余韻にひたっている間に己の内面をじっと見つめる事にした。

『朝からずいぶん元気じゃねぇか。えぇ?』

 思考を中断した。

 耳に慣れを感じるゴブリン語で、付け加えるなら明らかに怒気を含んでいた。
 それが殺気だとは思いたくない。

 振り返るとそこにリコがいた。
 腕組みして仁王立ちで、今だかつて目にした事のない目の色で俺を睨み据えている。
 目は据わっていたが、腹には据えかねているようだ。

 これはとても上手い言い回しではないだろうか。
 記憶しておこう。

『あちしだって色々言うことがあったんだぞ? 契約したらなにがなんだかわかんねぇ内にいきなりここに飛ばされて。事前の説明もないし、いつ帰ってくるかも判んねぇ。おまけになんだ。あちしのこと奪っておきながら他の女にもほいほい手ぇ出してる。ようやく帰ってきたけど疲れてっから文句もぐっと堪えて、精のつくものでも食わせてやろうと思って来たんだ』

 良く見ると、リコの身体が小刻みに震えているのが判る。
 寒いからでも、怖いからでもなく、察するに怒りの為だろう。

『それでなにか。あちしがどんな気持ちでいたかも知らずに、おめぇはスライムとお愉しみですね、ってか? えぇ? あちしの今の気持ちが判るか?』

『とても怒っている』

 ゴブリン語で返した俺に、リコは口元を引きつらせた。
 八重歯を覗かせたリコの表情は、笑っているはずなのにそのように見えなかった。

『あっはっは。正解だよ唐変朴。じゃあ今から何されっかも判るな?』

『おそらく』

 アレだろう。

 今から自分の身に何が起きるのかを予測し、受け入れた俺の目の前で、リコは一度大きな深呼吸をした。

『……こぉのエロ助があああぁぁ!』

 口火をきったリコの怒声の直後、頭をごっちんされた。



 朝だというのに目の前で星屑が一際輝いた時、俺は夜空に浮かぶ星々の真実を掴んだ。
 内容は痛みで忘れてしまった。

「額が割れるかと思った」

「次やったらほんとに割るかんな」

 少し覚束ない手つきで湧き水を桶で汲んでは甕に移す俺の隣で、リコが尖った眼差しで睨み上げてくる。
 怒った態度は崩さないが、朝の仕事をこうして付き合ってくれてくれている辺り、なんだかんだで優しい。

「二重契約は出来ないので二度はない」

「おめぇはたまに真顔で嘘つくから信じらんねぇ。しかもエロ助だし。わかっか? エロで助平なんだぞ」

「なるほど」

「……ほんとにわかってっか?」

「相乗効果で倍率が上がる。エロと助平ならきっと相性もいい」

 気がする。

 俺の計算式にリコはうんざりとした表情でため息をついた。

「わかってねーじゃねぇか」

「説明を欠いて信用まで欠いてしまったというのは理解している。取り戻す為に努力する」

 一度信用や信頼を失えば、不断の努力が必要となる。
 上手い話や目も眩む奇跡は信じないようにしていた。

「……わかってんなら、いっけどよぅ」

 リコは勢いを失ったようにそっぽを向いてしまった。
 素っ気無い態度も報いなのだと甘んじて受け入れ、彼女の顔に笑みが戻ると信じよう。
 リコは一度は許してくれている。
 その誠意に応えて地道な努力を積み重ねよう。
 芽吹いたばかりの種も時間をかければ天を突くかのような大樹へと育つのだから。
 今、俺たちが立っている場所のように。

「で。なぁ」

「うん?」

「ここってどこだよ?」

 リコに問われ、俺は仕事の手を休めて周囲を見回した。

 俺たちは街を一つ丸ごと収まってしまいそうな幹を持った木の上にいた。
 立っているのは張り出した枝の上だ。
 枝とは言っても、幹の太さからしてその逞しさは充分推し量れる。
 言い回しとしては間違っていないが、測るにも目が眩んでしまう為正確な数字までは俺も知らない。
 枝は幾重も折り重なり、絡み合い、王国の舗装された道よりも広くて頑丈だ。
 少なくとも、俺やリコが上を歩いた程度ではびくともせず、魔女殿いわく竜が乗っても大丈夫との事だった。

 俺はじっくりと周囲を見回してから、リコに向き直った

「家」

「全部か! でっけぇなおい!?」

「玄関から最奥の寝室まで歩けば一週間はかかる」

「不便過ぎっだろ!」

「魔女殿の転移陣があちこちに張り巡らされているので、移動は一瞬だ」

 大樹の内側の開いたスペースをあちこち利用して作られている。
 実際の生活スペースは大樹の一割にも満たないだろうが、それでも充分過ぎるほど広かった。

「なあ。なんでこんなとこに住んでんだ?」 

 この場所で暮らすようになり、俺が抱いたものと同じ疑問をリコから投げかけられた。

「住む家は大きければ大きいほどいいから、だそうだ」

 魔女殿はけろっとそう答えた。
 リコは呆れた表情を浮かべた後、妙に納得がいったように何度も首を縦に振った。

「あのチビの仕業か。チビらしい事してんな」

「そうだな」

 このでたらめなスケールの大きさは魔女殿らしいと思った。

「ところで俺も訊きたい事があるのだが」

「なんだよ」

「そちらの方はどこのどなた様だろうか」

 この場にはリコだけでなく、契約に含まれていた彼女の子分たちの姿もある。
 彼らは湧き水を汲み上げる作業を手伝ってくれていた。

「夜遅くにようこそ。岩の歯亭へ」
「お泊りですか? お食事ですか? それともご休憩ですか?」

『いや、ゲッパとドッパは判る』

 二人の王国語定型文にゴブリン語で答えながら、一人見慣れない女性に視線を向けた。
 ゴブリンの女性にしては背が高めで、斜めに尖った少しきつい眼差しをしている。
 肌は赤銅色で、短く太い角が額から二本にょっきりと生えている。
 灰色の長い髪を後ろに流し、年齢の為か落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

 誰だろう。
 見覚えがない。

『あっしですかい? そいつぁ随分薄情な言葉じゃねぇですか、旦那』

『嫁なのか』

 知らないうちにリコ以外のゴブリンの女性を娶っていたのか。
 驚きだ。

『そういう意味じゃあねぇです。それに旦那に手ぇだそうものなら、お嬢からこっぴどく叱られちまいまさぁ』

 女性は髪を撫で付けて諧謔交じりのにやりとした笑みを浮かべる。
 妙齢の女性だが口調はべらんめぇだった。

『そうでゲス! 今日という日の為に、姉ビンはちゅうからゴブ秘コースまで考えてたんでゲス!』
『朝からの追加延長プランもあるでガス! 名づけて、姉ビンスペシャルビンビンフルコースでガス!』

 姉ビンとビンビンがかかっているのだろうか。
 語呂は良かった。

『ななななななに言ってんだおめぇら!』

 子分たちの言葉にリコの顔色が一気に真っ赤になった。
 リコの反応を余所に子分たちは盛り上がる。

『とうとうこの台詞を言う時が来たでゲス、ドッパ!』
『今こそおらたちの本気を出すときでガス、ゲッパ!』

「岩の歯亭をご利用いただきありがとうございます」
「昨晩は随分お愉しみでしたね」

「思うのだが、ドッパもゲッパも本当は王国語を理解しているのではないか?」

「いいえ。私はダニエルではありません」
「ダニエルはサラとベッドでテニスをしています」

 ダニエルとサラとは誰だろう。
 二人の定型句が暗喩を含むまで向上しているのは理解した。

『おおおおおめぇらぁ!』

 我慢の限界に達したのか、茹だっていたリコが暴れた。

『姉ビンが本気だとおらたちは赤子の手をひねられるでゲス!』
『ひどいっスー!』

 二人が木の葉のようにかなぐり捨てられる様子を、見慣れぬ女性と一緒に眺めた。
 リコも加減していると判っているのか、女性は慌てる様子もなく肩を揺すって笑っている。

「シシシ」

 女性は薄い唇をめくり兎のように反った前歯を剥くと、歯と歯の隙間から息を洩らす独特の笑い声。
 聞き覚えのある笑い方だった。

『ソッパ?』

 幼児ほどの大きさをした小人症のゴブリンを思い出した。
 女性は灰色の髪を撫で付け、少し気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。

『へい。旦那、お久し振りで』

『見た目もそうだが声まで違うな』

『旦那方が旅ぃしてる間にこっちも色々ありやして』

『そうか。色々あるな』

 声と性別と身長が変わるような事があったのだろう。
 差し当たり、魔術に頼らずこうして不自由なく話が出来るのは喜ぶべき事だと思った。

『勿論おらたちも女体化済みでゲス!』
『神秘の女体に魔改造でガス!』

 ソッパと話していると、投げ飛ばされていたゲッパとドッパが起き上がり、それぞれずいと前に出てきた。

『この乳っ!』

 ドッパが有り余った胸をだぷんと叩いて見せた。

『この尻っ!』

 ゲッパが引き締めた尻をすぱんと叩いて見せた。

「おお ゆうしゃよ!」
「こんらんするとは しかたない!」

『見た目は全然変わってねーんだけどな』

 ひとしきり暴れて気が済んだのか、リコはがりがりと頭を掻きながら決めポーズをとる子分たちを眺めた。
 彼ら――いや、彼女らに、ソッパのような劇的な変容は見受けられなかった。
 外見上の変化は、以前腰巻だけだったのが胸元もちゃんと隠している事くらいだろうか。

「ベネ」

 ただ二人が喜んでいる事は伝わってきたので、俺は拍手と賛辞を送った。
 おそらくは本人にしか判らない僅かな、それでいて重大な変化があったのだろう。
 気がした。

『ほら、遊んでねーでちゃきちゃき片付けちまうぞ。のんびりしてっと日が昇っちまう』

『へい姉ビン!』
『合点承知っス!』
「シシシ」

 リコの号令で子分たちがてきぱきと動き出す。
 元々岩の歯亭を切り盛りしていただけあってか良く働いた。
 今まで朝は飲み水用の一甕しか用意してこなかったが、風呂用、掃除用、そして新たに用意したスゥ用の四甕が見る間に水でいっぱいになった。

『よっし、んじゃ運ぶぞ』

 てきぱきとしたリコの指示に従い、子分たちは一抱えもある甕を荒縄で固定し、余った部分肩に通した。
 重さを感じさせずに背負い上げてしまう。
 リコなど縄すら使わず、ひょいと肩に担ぎ上げていた。

『みな力持ちだな』

 俺が水汲みに来た時は、水汲み様の桶で泉と自宅を何度も往復していた。
 リコの力が強いとは感じていたが、こうして明確に目の当たりにするとやはり驚きを感じた。

『あちしらは人間よりずっと力持ちで頑丈なんだ。それに見た目ほど重くねぇ』

『古の禁術を披露されて、ほら簡単だろうと魔女殿に言われた気分だ。仕事がないと手持ち無沙汰で落ち着かないのだが』

『桶持ってっじゃねーか。いーからここはあちしらに任せろよ』

『そうでゲス! おらたち好きでやってるんでゲス!』
『おらたちは類まれに見る働き者のゴブリンでガス!』
『ここは器の広さを見せるとこですぜ、旦那。シシシ』

 リコだけでなく三人も加わり、俺に甕を渡すまいとひょいひょい進んでいく。
 俺は取り残されないように彼女らの後に続いた。

 ここで俺が水がたっぷりと湛えられた甕を背負ったところで、落として割ってしまうか下敷きになって潰れてしまうかのどっちかだ。
 居心地の悪さを我慢して、彼女らに言われた通り任せるしかなかった。

『すまん。ありがとう』

『へへ、いーっての』

 歩調を合わせて隣を歩く俺に、リコは朗らかな笑顔を浮かべて鼻をごしごしと擦った。
 俺はその表情を記憶に留めた。

 自らの過失で怒らせてしまったが、思いの他早くリコの笑顔を目にする事が出来て嬉しかった。



 




11/01/30 03:22更新 / 紺菜

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