連載小説
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ファントム
 私はある建物の前に立っていた。
日が傾き夕方の光が外壁を照らしている。
この地区は我が国の政治の中心地だ。
しかし目の前の建物は私の所属している入国管理省ではない。

『総務省』

そう呼ばれる建物に私が連れてこられたのは
昼の爆破事件のせいだ。
あのとき意識がぼんやりしていたとはいえ
犯人が検問を通過したのは入国審査官をしていた私の責任だ。
減刑の言い訳を考えながら私は中に入った。

「今回の件、君の処遇については不問とする」

案内されたのは「人民委員部」。
そこの長である眼鏡の男から言い渡されたのは
意外な答えだった。

「君ね、普段の勤務態度が評判らしいからね」
「人間、間違いの一度や二度はあっても仕方がない」
「次からは気をつけるように。我々は常に監視している」

まるで些事であるかのように話を流すと
男はそれはそうと、と話題を変えた。

「最近国内で活動している集団について知っているかね」

私は答えた。

「人間と魔物娘が手を取り合おうと主張している国民が
 いるのは承知しております。」
「君はどう思うかね」
「はい、この国では不可能であると思います」
「ならば君は他の国へ亡命するのかね」
「いいえ私はあなたと同じ意見です」

男はクックックッと笑い、

「そうだな。君は実に模範的だ」
「そうとも魔物とは人と同じ姿をしてるが結局は人間じゃない。
 この国に居場所はない」
「君の身の回りでも不穏な動きがあったならすぐに知らせてくれたまえ」

私は検問所を訪れた彼女たちが違う生き物であっても
そこまでの嫌悪を持っているわけでもなかった。
私は彼のことは好きになれないだろう。

 建物を出るとすっかり日は沈み夜になっていた。
私は行きつけの食堂に向かった。
そこは私が入国審査官になる前から通っている店だ。
いつもは仕事終わりにそこで肉と野菜の煮込みスープを食べる。
今日は少し遅れてしまったがまだまだ閉店の時間ではない。
私が店に着くとほぼ満席だった。
開いているのはカウンター席ぐらいだ。

「となり、座ってもいいですか」

わたしはカウンターの赤いコートの女性に聞いた。
燃える火の塊がそこにあるような格好の彼女は

「かまわんよ」

尊大に、まるで男のような口調で返答した。
彼女は足先が透けて霞のようになっていた。

 まずいことになった。
隣にいるのは魔物娘である。
彼女の周りだけ妙に空いていたのは
魔物娘だからか彼女の気迫のせいか。
私は早く夕食を済ませ帰路に就きたかった。

「そういえば君はここのボルシチを食べたことあるかね。
 私も生前はよく食べていた」
「無論、今でも食べれるがね」
「これは庶民の味。労働者の味だ」

隣の幽霊は訊いてもいないことを勝手に話しかけてくる。
まるで久しぶりの知り合いにあったような口調だった。

「あの、私とあなたは以前お会いしたことありますか?」
「はは、上手い冗談だな。もう飲んでいるのか?」

もちろんシラフである。

「君はこの国の党員だな。その恰好を見ればわかる」
「下っ端の役人ですよ」

我々の国の政治を行っているのは一党のみなので
政府機関に属する公務員はみな党員と言っても過言ではない。

「では何か革命的な一言でも言ってもらおうか」
「働かざるものは食うべからず」
「私の論文からの引用だな。及第点だ」

私が教本で読んだスローガンを彼女は自分のものだと言った。
何者だ、という疑念が頭の中をよぎる。

「だが、実際はどうだ?政府の高官たちは労働を忘れ
 私欲を肥やすことに躍起になっていないか」
「上の人のことなんか私にはわかりませんよ」
「よくない、それはよくない。無関心は権力者への静かな支持だ」

人民委員部の男の言葉が頭の中で蘇る。
私がこの場にいるのはまずい気がしてきた。

「この体になって分かったことがある。人間としての体を失っても
 思想は死滅しないことだ」
「そしてそれは魔物にも我々の社会主義を
 理解させることができる証明でもある」
「私は今日の爆破事件で彼女たちに教育の必要性を確信したよ」

彼女の弁に熱がこもる。

「だがこの国では魔物娘の権利が認められないのが現実だ」
「これが真に平等な社会と言えるかね」
「ゆえに新たな革命が必要なのだよ」

彼女はもう私だけでなく食堂にいる人々全員を対象に演説をしていた。

「プロレタリアートの諸君!
 君たちの生活が依然と変わらないのはなぜかね?
 魔物の諸君!
 君たちが日の当たる道を歩けないのはなぜかね?」
「いまだブルジョワが生きているからだ!
 いまだ教会の教えを信じる者がいるからだ!」
「この国は今一度変わらなければならない!
 もう一度革命の情熱を思い出さなければならない!」
「奴らに奪われたものを取り戻そう!
 私と君たちで一つの軍となろう!」

食堂が喝采で湧くのを尻目に私は逃げるように店を出た。
結局夕食は家で食べることにした。
20/02/03 01:04更新 / 二三の理
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■作者メッセージ
そういえば今回入国審査してませんね

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