連載小説
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前編
 昔々、ある所に1人の男の子がいました。彼は母親を早くに亡くし、その母親が生前作ってくれた、ピンクのドレスを着たお姫様の人形をいつも大事に持ち歩いていました。男の子は物心ついた頃から外で走り回ったり木に登ったりして遊ぶよりも、家の中で縫い物をしたりおままごとをして遊んだりするのが好きな子だったので、人形がほつれたり破けたりした時にも自分で修繕していました。

 ある時、男の子の父親である商人が再婚することになりました。相手は父親と同じように夫を亡くし、2人の娘を女手1つで育てていた女性です。母親のいない息子の寂しさもこれで少しは癒されるだろう。父親はそう考えていました。
 しかし、新しい継母は男の子がお姫様の人形を大事に持ち歩き、その人形を相手におままごとをしているのを見るとこう言いました。
「こんな物は男が持つものではありません!」
 継母は人形を男の子の手から奪うと、燃え盛る暖炉へと放り投げます。男の子は慌てて水を汲んできて暖炉の火を消し、その中に屈みこんで両手で灰をかき集めましたが、布と糸と綿と木のボタンでできた人形はすっかり燃え尽きてしまっていました。
 しかも継母の娘である新しい継姉達までも、そんな男の子の姿をあざ笑います。
「御覧なさい。元に戻せるわけないのにあんなに灰だらけになりながら必死になっちゃって。あの子のことはこれからキュサンドロン(灰まみれのケツ)と呼んでやりましょう」
「嫌ですわお姉さま。淑女がそんな言葉を口にするなんてはしたない。それよりもサンドリヨン(灰かぶりちゃん)がいいわ。こっちの言葉だとシンデレラだったかしら」
 男の子は縋るような目で父親を見ますが、父親も息子を気の毒そうに見るだけで助けてはくれません。彼も息子がいつまでも女の子のような遊びばかりするのを快く思っていなかったのでしょうか。
 とうとう男の子は大声で泣きだし、家を飛び出して裏にある大きな森の方へと走り去っていきました。父親は息子を追いかけるべきか迷ってオロオロしていましたが、継母や継姉達は「男があの程度で泣き出すなんて情けない」と男の子を余計にあざ笑いました。




 森の中までやってきた男の子はそこで長い間大声で泣きじゃくっていましたが、彼がふと気づくと、自分以外にも大声で泣いている人がいました。男の子と同じくらいか少し年上の女の子で、その手にはウサギのぬいぐるみが握られています。よく見るとそのぬいぐるみは耳のところが千切れていて、そこから中のそば殻がこぼれ落ちていました。
 男の子は女の子に話しかけます。
「あの、もしよかったら僕がそのぬいぐるみを直してあげようか?」
「……ほんと?」
「うん。お母さんが作ってくれた人形をよく直していたから、こういうの得意なんだ。その人形は燃やされちゃったけど」
「燃やされた? 誰がそんな酷いことを」
 男の子は今までの顛末を女の子に話しました。すると、女の子はぬいぐるみを直してくれるお礼に、と言って男の子にこうアドバイスしました。
「この森にあるハシバミの枝を持って帰って、人形が燃やされた灰を土に埋めた後その上に枝を植えるといいわ。そしてそのハシバミをお母さんが遺してくれた人形だと思って、大切に育てるのよ」




 その日から、男の子は下の継姉が言った通り灰かぶりと呼ばれるようになり、彼にとってつらい日々が始まりました。継母は灰かぶりからおままごとの道具だけでなく子供部屋までも取り上げて自分の娘に与え、「男らしくなるように鍛えるため」という口実で家事をほとんど彼にやらせ、召使いのように扱ったのです。代わりの部屋として与えられた薄暗い屋根裏部屋にはベッドもなく、その代わりだと言わんばかりに藁が積み上げているだけでした。特に冬なんかは隙間風の吹きすさぶ屋根裏部屋ではとても眠れたものではないので、暖炉のそばで灰の上に横になるしかありません。継姉達はそんな彼の姿を見て、やっぱりこいつは灰かぶりだとますます馬鹿にするのでした。
 父親はこの頃から商人としての販路を拡大し、大きな船でよその国から珍しい品々を運んできたりするようになったため灰かぶりの家は前よりも裕福になりましたが、継母や継姉達は自分たちだけ高価な衣服で着飾って贅沢な食事を取り、灰かぶりにはみすぼらしい服とエプロンを着せて自分達の残飯を食べさせました。そうした衣服だって破れたり丈が合わなくなったりすれば有り合わせの布を使って自分で補修するしかないので、灰かぶりの恰好は日に日に継ぎ接ぎだらけになっていきます。父親は仕事で家を空けることも前より多くなり、たまに帰ってくるたびに息子には「俺がいない間はおまえがこの家でだた1人の男になるんだから、お母さまやお姉さまをしっかり守るんだぞ」とだけしか言わないので、灰かぶりが受けている仕打ちについては何の助けにもなりません。
 灰かぶりは時々継母や継姉達の目を盗んでこっそり庭に抜け出しては、森の中で女の子に言われたとおりにして植えたハシバミの枝の前で泣いていました。ハシバミはそんな灰かぶりの涙を吸い、いつしか灰かぶりよりも背の高い木へと成長していました。

 せめてもの救いがあるとすれば、継母や継姉達の服を繕うのに必要だという事で、人形と同じく母親から貰った裁縫道具だけは取り上げられずに済んだ事でした。




 それから何年もの月日が経ったある時。灰かぶり達が暮らす国の王城で、王子様の結婚相手を決めるための盛大な舞踏会が開かれることになり、国中の有力な貴族やお金持ちの家に招待状が送られました。その頃には灰かぶりの父親もこの国で有数の大商人となっていたため、彼の家にも招待状が届きます。
 継姉達は大はしゃぎでこの前買ってもらったレースを付けて行こうだとか、お気に入りのダイヤモンドのブローチを付けて行きたいとか口々に話していましたが、上の継姉はふと灰かぶりの方を見ると、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら近づいてきました。あ、これはまたいつものように僕にろくでもない事を言おうとしている顔だ、と灰かぶりは直感します。その直感は当たっていました。
「ねえ、灰かぶり。あんたも舞踏会に行ってみたいでしょ?」
「は、はい」
 舞踏会には独身の女性たちだけでなく、男性も招待客として行くことができるようになっていました。王子様に結婚相手として選ばれなかった女性に交際や結婚を申し込んだり、互いの親に予め決められていた婚約者と顔を合わせる場としてもこの舞踏会を利用できるというのがこの国での古くからの習わしになっていたからです。
 しかし、灰かぶりはそんな事とは関係なく、自分も舞踏会に行ってみたいと思っていました。こんな機会でもなければ、平民である自分が王城の中の様子を目にする事などできないからです。継姉達は灰かぶりの返事を聞くと彼を鼻で笑いました。
「連れて行けるわけないじゃない。あんたみたいな情けない奴、いい笑いものになるのがオチよ」
「それに付いてこられたら私達もいい迷惑だわ。あんたみたいな弱々しい男が弟だと知られて、それで私達とあんたの血が繋がっていると誤解されでもしたら、王子様も私達のどちらかと結婚するのを取りやめてしまうもの。王子様の血を引いた力強い男の子を産むことこそ、王女の役目だものね」
 その時、継母が娘達に声をかけました。
「あんた達何しているの。王子様の目に留まるように、とびきり美しいドレスを仕立てて貰いに行くわよ。灰かぶり、あんたは夕飯の下ごしらえをしなさい。台所のザルに入れてある豆を形のいいのだけ選り分けて鍋に移し、水に浸しておくのよ」

 灰かぶりは出かける3人を見送ると、継母に言われた作業をするために台所に向かいましたが、椅子に座ると今にも泣き出しそうな顔で項垂れてしまいました。辛辣な言葉をかけられる事は予測していましたが、それでもさっきの継姉達の言葉はあまりにも酷かったからです。
 その時、台所の勝手口がキィ、と音を立てて開きました。灰かぶりがそちらに目を向けると、黒いローブを羽織った女の子が立っています。あの日灰かぶりにハシバミの枝を植えるようにアドバイスした女の子です。
「お姉ちゃん」
 あの日以来、女の子は灰かぶりに森で採れた野草やキノコをお裾分けしに来てくれたり彼の相談に乗ってくれたりして、灰かぶりにとっては継姉達よりもよっぽど姉のように思える存在になっていました。
「その顔、またあいつらに酷いこと言われたんでしょ」
 灰かぶりは頷き、さっき招待状が家に届いてからのことをお姉ちゃんに話しました。
「僕がこの家にいる事自体が家の恥みたいに言われるのは悔しいよ。それに、僕だって舞踏会に行きたい。お城の中がどうなっているのかも見てみたい」
 すると、お姉ちゃんは灰かぶりの肩に優しく手を置きました。
「それだけ? まだあるんじゃない?」
 彼はしばらく黙っていましたが、観念して口を開きました。
「僕だって綺麗なドレスを着て踊ってみたい。お姉さま達が楽しそうにやっている事を僕だけ『男だから』とか言って取り上げられるのはもううんざりなんだ」
 お姉ちゃんは満足そうに微笑みました。
「そう言うと思った。解ったわ。でもその前に、こっちを先に片づけましょうか」
 お姉ちゃんは豆がいっぱいに入ったザルを持ち上げ、水を張った鍋の上へと動かして手のひらでポンポンと叩きました。するとどうでしょう。形のいい豆だけが鍋へと落ち、形の悪いのはそのままザルの中に残っていくではありませんか。実はお姉ちゃんは「幼い少女の背徳と魅力」を広める事を教義とするサバトの一員として、森の奥に住むバフォメットから魔術を教わっている魔女だったのです。まだ修行中と本人は言っていましたが。
「こっちの豆は貰うわね」
 魔女のお姉ちゃんは形の悪い豆だけ残ったザルを手にしたまま、勝手口を出て森の方へと歩いていきます。灰かぶりもその後を着いていきました。

 2人が森の奥に入っていくと、そこには魔女のお姉ちゃんが魔術を教わっている先生であり、彼女が属するサバト支部の長でもあるバフォメットがいました。魔女のお姉ちゃんが豆の入ったザルを差し出すと、嬉しそうに1つ摘まんで口にします。
「やっぱりこの豆は美味じゃの。ちょっと形が悪いくらいで捨てるのはもったいない」
 それから、魔女のお姉ちゃんはバフォメットに舞踏会の事を話しました。
「私はエラに何度もお人形を直してもらいました。それだけじゃなくて私は彼をいも……弟のように思って可愛がってきました。バフォ様、なんとかして彼を舞踏会に行かせてあげられないでしょうか」
 エラというのは灰かぶりというあだ名をかわいそうに思った魔女のお姉ちゃんが新しく付け直したあだ名で、「シンデレラ」という名前から灰を意味する「シンダー」を取ったものです。
 その時、どこからかラージマウスの5人姉妹がやってきて言いました。
「私達からもお願いしますバフォ様。エラはお母さんとはぐれてお腹を空かせていた私達に、庭の菜園で育てていた野菜を分けてくれたんです」
「ふむ。わしのサバトの一員であるおぬしらが友情や恩義に報いたいと言うなら、わしも手を貸さぬわけにはいかんな。よしわかった。エラ、舞踏会の日の夕方になったらおぬしの家の庭からカボチャとヘーゼルナッツ(ハシバミの実)を1つずつ取ってくるのじゃ。他の者達もその時になったら森の広場に集まってくれ」




 それから、舞踏会の日が迫ってきました。継姉達は興奮のあまり2日も前から食事も喉を通らず、当日には自分達を少しでも細く見せようと灰かぶりにコルセットの紐を思いっ切り引っ張らせては力が弱いと文句を言ったりしていました。灰かぶりにとっては継姉達が異性である自分の前で平気で下着姿を晒している事も、彼を対等な相手ではなく召使いとしか思っていないという証に思えてきます。
 それでも彼はバフォ様達との約束を思い出して自分を奮い立たせ、2人と継母の身支度を整えさせると、馬車に乗って出かけていく3人を見送りました。タイミングを見計らったかのようにやってきた魔女のお姉ちゃんと一緒にカボチャとヘーゼルナッツを収穫して森へと急ぎます。森が開けてちょっとした広場のようになっている所で、バフォ様とラージマウス達が待っていました。
「来たな。それじゃあ早速始めよう。まずはおぬしが乗っていく馬車じゃな」
 バフォ様が呪文を唱えると、まずカボチャが金色に輝く馬車に変わりました。それからラージマウス達のうち1番上のお姉さん以外の4人が馬車に見合う立派な白馬に変わります。それから1番上のラージマウスがきらびやかなお仕着せに身を包んだ凛々しい御者に変身しました。
「すごい……! これが私なんて」
 ラージマウスの御者は嬉しそうに自分の両手を見ると、それから馬車の前にある御者台に颯爽と飛び乗りました。
「次はエラ、おぬしじゃな」
 そう言ってバフォ様が呪文を唱えると、今度は灰かぶりの着ていた灰色のみすぼらしい服が青くて美しいドレスに早変わりします。よく見るとその形は、継母に燃やされた人形が着ていたピンクのドレスに似ているようにも見えてきます。髪もあっという間に長く伸び、見えない手が結っているかのように纏められてどこからか現れた髪飾りで止められていきました。
 灰かぶりもラージマウスのお姉さんと同じように自分の姿を見回して感激していましたが、魔女のお姉ちゃんはそれ以上に喜んで楽しそうに飛び跳ねました。
「すごいすごーい! それでバフォ様、私は何に変身するの?」
 バフォ様は魔女のお姉ちゃんが収穫を手伝うために紺色のエプロンドレスを着て来た姿を見て答えます。
「おぬしは……そのままじゃ」
「えー。なんでですかー」
 魔女のお姉ちゃんは不服そうに頬を膨らませます。
「お姫様の恰好で行くなら従者を連れていないと不自然じゃろう。おぬしがその姿でメイドに扮するのじゃ」
「あー、そういうこと。はいはいわかりましたよ」
 魔女のお姉ちゃんはしぶしぶといった様子でエプロンドレスの前掛けに付いた土くれや葉っぱを掃うと、馬車の傍まで行って扉を開けました。
「どうぞお乗りくださいお姫様」
「まあ待て。最も肝心なのがまだ残っておる」
 そう言うと、バフォ様はヘーゼルナッツを空中に放り投げ、手に持った自慢の鎌を1振りました。見事な鎌捌きで綺麗に半分に割れたヘーゼルナッツが落ちてきます。灰かぶりと魔女のお姉ちゃんはそれを見て思わず拍手しました。
「「おー」」
「え? え? 何が起きたの?」
 少し離れた所から見ていた御者のラージマウスはよく解っていないようです。バフォ様は照れながら2人に怒鳴りました。
「感心しとる場合ではない。大事なのはここからじゃ!」
 すると、半分に割れたヘーゼルナッツがみるみるうちに大きくなり、透き通ったガラスでできた1足の立派なハイヒールに変わりました。灰かぶりはドレスで足元がよく見えないので、魔女のお姉ちゃんに靴を履き替えさせてもらいます。灰かぶりはそのまま意気揚々と足を踏み出そうとしましたが、ハイヒールなんて初めて履くので早速バランスを崩して転びそうになりました。
 魔女のお姉ちゃんが慌てて彼の手を取り、馬車の所へと引っ張って行きます。
「綺麗なドレスを着て歩くのって結構大変なんだね。コルセットで締め付けられてお腹も苦しいし」
「文句言わない。元々あんたがやりたいって言ったからこうなったんでしょ」
 お姉ちゃんは灰かぶりをどうにか馬車の座席に押し込み、自分は後ろの従者が乗る所へと飛び移りました。早速出発しようとする一堂にバフォ様が声をかけます。
「よいか? この魔法は一時的なものじゃ。ラージマウス達をずっと馬のままにしておくわけにもいかぬしな。じゃから馬車も服も皆、お城で夜中の12時を告げる鐘が鳴り終わったら元に戻ってしまう。その前に帰ってくるんじゃぞ」
「わかりました。それまでに帰ってきます」
 それから、馬車は王城へと向かって勢いよく走りだしていきました。




「姫様、お足もとにお気を付けください」
 メイドのふりをした魔女のお姉ちゃんに手を引かれながら、王城の中に入っていった灰かぶりはそこで言葉を失いました。天井には数えきれないほどのろうそくが煌々と灯った巨大なシャンデリアが掲げられ、壁や廊下には至る所に品の良い絵画や彫刻が歩く者の邪魔にならないように考えられた配置で並べられています。そして色とりどりの服で着飾った人達が一様に楽しそうな顔で行き交っていました。まさしく夢の光景です。
 灰かぶりはガラスの靴を履いた足がいつの間にか前から練習したみたいに自然に歩けるようになっていることに気づきました。さっきまで1歩踏み出すのもままならなかったのに。これもバフォ様の魔法なのでしょうか。
 彼が広間に入っていくと、既に舞踏会は始まっていました。踊ったり雑談したりしている招待客や音楽を奏でている楽団の人達、料理を運んだりしている使用人達も最初は灰かぶりが入ってきた事に気づきもしない様子でしたが、1人また1人と灰かぶりを目に留めると動きを止めて彼に釘付けになりました。気づけば広間全体がしんと静まり返っています。女装がばれているのか、大事な舞踏会に怪しい者が紛れ込んだと思われているのではないか、と灰かぶりは心配しましたがそうではありませんでした。
「ねえ。あの人ってどこの誰だか知ってる?」
「いいえ。でも、きっとどこかの国のお姫様に違いないわ」
 そう。皆ドレスで着飾った灰かぶりの美しさに言葉を失っていたのです。1段高い所から舞踏会の様子を見下ろしていた国王様もその様子に気づき、隣にいるお妃さまに呟きます。
「お前と舞踏会で初めて遭った時みたいだ。あの時もこんな風に辺りがしんとしていた」
 どこかのお嬢様と踊っていた王子様も慌ててやってきて、灰かぶりにダンスのお相手を申し込みました。会場の隅っこで目立たないように踊ってすぐに帰ってくればいいと思っていた灰かぶりは慌てて答えます。
「あの、お誘い頂いたのは嬉しいのですが私、ダンスを踊った事が無いんです。その……こちらの国のは」
 すると王子様はこう言いました。
「やはりこの国は始めてでしたか。道理で貴女に見覚えが無いわけだ。それではこの機会に我が国をぜひ好きになって頂きましょう」
 王子様は執事に命じて、この国で採れた果物の中で特に質のいい献上品を籠に入れて持ってこさせ、それを灰かぶりに渡しました。灰かぶりはこんな物を持って帰ったら舞踏会に来たことがばれてしまうと内心焦りながらも、平静を装って取り繕います。
「まあ、なんて美味しそうなんでしょう。私だけで独り占めするのはもったいないわ。他の皆さんにもお配りして」
 そう言って、灰かぶりは籠を魔女のお姉ちゃんに渡しました。
「かしこまりました」
 魔女のお姉ちゃんは他の招待客の所を回って果物を配り始めました。その中には灰かぶりの継姉達の姿もあります。お姉ちゃんも最初渋っていたのが嘘のように乗り気でメイドを演じていました。
「それでは、我が国のダンスをお教えいたしましょう。まずは簡単な曲から」
 そう言うと王子様は楽団に曲目を指示し、灰かぶりをリードして踊り始めました。他の女性が王子様を誘おうとしてもそれに応じず、灰かぶりを誘おうとする男性が現れても「この方には今私がダンスを教えているのです」と言って渡そうとしません。王子様は灰かぶりとのダンスを何曲も楽しむと、灰かぶりを庭園へと連れ出しました。

 庭園に出ると、そこでは舞踏会の騒ぎで疲れたらしい招待客達がひと息付いたり、この舞踏会で新しいカップルになったらしい若い男女が2人きりで楽しそうに話したりしていました。色とりどりの花や美しい形に刈り揃えられた木々が植えられています。どれも灰かぶりの家の庭や裏手の森では見たこともないような植物でした。
 灰かぶりは王子様が直々に庭園の花や木について説明するのを楽しそうに聞いていましたが、気づけば2人は広間からも庭園にいる他の人達からも目が届きにくい場所に来ていました。そこで王子様は本題を切り出します。
「私は今まで貴女ほど美しい女性を見たことがない。どうか私のお妃になってもらえないでしょうか」
「わ、私が……ですか?」
 灰かぶりはあいまいに苦笑していましたが、そのドレスの下では背中を嫌な汗がダラダラと流れていました。彼は女性のようにドレスで美しく着飾って踊ってみたいと思ってはいましたが、別に男性と――たとえ相手が王子様でも――結婚したいと思っていたわけではないのです。人間の女性が必ずしも男性から好かれるためにおしゃれをするとは限らないように。
「お、お気持ちは非常に有難いのですが、あいにく私は話をお受けする以前に殿下について何も存じ上げておりません。……そう。この国の踊りさえもよく知らないくらいですのに」
 これでなんとか諦めてくれないかと灰かぶりは心の中で願いましたが、王子様はそれでも食い下がります。
「仰りたいことは解ります。しかし私には時間がない。舞踏会の2日目である明日の夜12時までに結婚相手を決めることが出来なければ、その後は国王である父上がこの国の大公や大臣と話し合って私の結婚相手を決める事になっているのです。当事者である私抜きで」
 王子様は真っ赤なバラの花にそっと触れながら言いました。
「私もこの草花と同じなのです。人間にとって美しく見えるようにするために掛け合わされ、切り刻まれ、限られた庭園の中でだけ咲き誇ることを許される。舞踏会で結婚相手を選ぶしきたりはせめてもの『お情け』です。この家の娘なら王子と『掛け合わせて』も問題ないだろうと、何度も選別したうえで最後の決定権だけが『僕』に与えられる。それも限定された形で」
 灰かぶりからは王子様の顔は見えませんでしたが、その口調からは「国中の女性が憧れる王子様」という仮面が剥がれ落ち、無力な1人の青年の顔が見えたような気がしました。彼は王子様を気の毒に思いましたがなんと声をかければいいのか解らずに俯いてしまいます。その時、殆ど中身の無くなった果物の籠を抱えた魔女のお姉ちゃんが灰かぶりの所に走り寄ってきました。
「姫様! こんな所にいらっしゃいましたか! もうすぐ12時になってしまいますよ」
 その言葉で灰かぶりはバフォ様の言葉を思い出して焦りました。そうだ。12時までに帰らないと全部元に戻ってしまう!
「殿下。今日は本当にありがとうございました。良いお相手が見つかる事を祈っております」
 そう言うが早いか、灰かぶりは魔女のお姉ちゃんと一緒に走りだそうとしました。しかし、ガラスの靴のヒールが石畳に引っ掛かり、思いっ切り転んでしまいます。ドレスの足元のあたりが破れるような嫌な音が聞こえ、右膝からは血が出てドレスの布が膝に貼り付いているような嫌な感触がしました。灰かぶりは慌ててガラスの靴を脱ぐと、それを手に持ったまま走りだします。すると、今度はタキシードを着た招待客らしき人にぶつかってしまいました。
「申し訳ありません」
「いや。こちらこそすまない」
「急いで!」
 魔女のお姉ちゃんに急かされながら、灰かぶりはカボチャの馬車に急ぎます。しかし、目前で12時の鐘が鳴り、カボチャの馬車はカボチャとラージマウスに、灰かぶりのドレスも元の服に戻ってしまいました。
 ラージマウス達はバフォ様から教わった魔法を使い、咄嗟に小さなネズミに化けて姿を隠します。
「エラ!」
 その時、魔女のお姉ちゃんが灰かぶりに何かを投げ渡しました。それは森の中でガラスの靴に履き替えるまで履いていたボロボロの靴でした。灰かぶりはお姉ちゃんの機転に心の中で感謝しながら急いで靴を履き、足元に置いたガラスの靴を再び拾い上げて走りました。

 王子様は馬車で帰るであろう謎のお姫様を追いかけるために厩舎に走り、ご自慢の大きな黒馬に跨って城門の所までやってきました。そして門番に問いかけます。
「君! さっきここから美しいお姫様が出て行かなかったか」
 すると、門番は答えました。
「いいえ。先ほど小間使いらしき若者が2名ほど通りましたが、それ以外に外に出て行った者はおりません」




 灰かぶりが魔女のお姉ちゃんやラージマウス達と一緒にお屋敷の前まで戻ってくると、バフォ様がそこで待っていました。
「だから言ったはずじゃ。早く帰って来いと。どうせこうなるじゃろうとは思っておったがな」
「バフォ様。今日は本当にお世話になりました。王子様から果物を頂いたので皆さんで食べてください」
「それは後で皆で頂くとして、エラよ。明日はどうする? 確か舞踏会は2日間開かれるんじゃろ?」
 灰かぶりはお姉ちゃんやラージマウス達の方を見ました。皆へとへとです。それに彼は王子様の言葉を思い出しました。明日は彼にとって自分の意思で結婚したいと思える相手を選べる最後のチャンスです。それを引っ掻き回すのは気が引けました。
「いいえ。今日だけでもとても楽しめました。これ以上は望みません」
「そうか」
 バフォ様は優し気な声で言うと、エラの近くに寄ってきて、他の魔物娘達に聞こえないように小さな声で囁きました。
「本当はな。今日わしがおぬしに手を貸したのはおぬしらのためだけではなかったんじゃ。この国は表だって反魔物領を名乗ってはおらぬが、わしらのようにあからさまに人間と姿がかけ離れていたり何年経っても子供のままだったりする魔物娘はまともな職に就かせてもらえなかったりするからの。これはわしにとってはいわばあ奴らに対するちょっとした『仕返し』のいたずらでもあったんじゃよ」
 そして、バフォ様は灰かぶりの反応を見て付け加えました。
「そんな暗い顔をするでない。別にわしは今の暮らしに満足しておらぬとか、この国の人間達にどうこうしたいというわけではないのじゃ。森にも気のいい友はたくさんおるし、なによりわしを母のように慕ってくれる『娘達』もおる。そしてそんな娘達と仲良くしてくれるおぬしのような人間もおると解ったからな。わしもこれ以上は望まんよ」
 その時、継母や継姉達が帰ってくる馬車の音が遠くに聞こえたので、灰かぶりはお屋敷へ、サバトの魔物娘達は森へと慌てて走り去っていきました。




 灰かぶりは家の中に入ると、ガラスの靴を隠し、それから暖炉の前に横たわって灰を体に付けました。彼はその時になってようやく、靴の片方をどこかに落としてしまったことに気づきます。しかしどこで落としたか思い出そうとしたその時、玄関の呼び鈴が鳴り、灰かぶりはさも今起きだしてきたような演技をしながら扉を開けました。
 上の継姉は灰かぶりに意地悪そうに言いました。
「もし舞踏会で何が起きているか知っていたら、あんたも寝ている場合じゃないって思っていたでしょうね。今日はどこか遠い国から、とびきり美しいお姫様がいらしたのよ」
「しかも見た目だけじゃないわ。とても気前のいい人で、王子様から果物をたくさんもらったからと言って、付き人に命じて私達にも分けてくださったのよ」
 下の継姉も付け加えると、大きくておいしそうなオレンジを見せてくれました。2人は灰かぶりがこれを聞いて自分が舞踏会に行かせてもらえなかったことを一層悔しがることを期待していたようですが、彼はどう反応していいか解らずにボーっとしていたため、「こいつ寝ぼけているのかしら」と呟きました。その時、継母が継姉達の後ろから声をかけます。
「あんた達今の状況解ってるの? あの姫が来てから王子様もずっとそっちに目を奪われていたのよ。途中で2人仲良く庭園に出ていくし。あんた達は大事なチャンスを目の前で逃しかけているのよ。もっと焦りなさいよ」
「でもお母様、あの後あの姫はさっさと帰ってしまって、王子様だけが落ち込んだ顔で戻ってきたのよ。結婚を申し込んだけどうまくいかなかったに違いないわ」
「どうだか。あの娘だって明日になったら気が変わるかもしれないわよ」
 それはありません。灰かぶりは喉まで出かかった言葉を飲み込みました。




 翌朝、夜番を終えてお城で働く兵士の兵舎に戻ってきたお城の門番は、自分の個室で戸惑っていました。
「一体どうしちまったんだ。全然収まりそうにないぞ」
 彼はいつも夜番を終えた後は、行きつけの酒場で1杯引っ掛けてから兵舎の自室で夕方までぐっすり眠っているのですが、今日だけはやけに性欲がむらむらと湧いてきて目が冴え、自らを慰めてはみたのですがそれでも収まるどころか体がどんどんと熱くなっていくのです。
 その時、彼の部屋の扉を誰かがノックしました。兵士は慌ててズボンを履き直し、扉を開けます。すると、そこにはラージマウスの5人姉妹が立っていました。
「お嬢ちゃんたち、ここで何しているんだい? ここはお城で働いている人しか入っちゃいけないんだよ」
 すると、1番背の高いラージマウスがいたずらに引っ掛かった相手を見るようにニヤニヤと笑いながら言いました。
「お兄さん、さっきまでオナニーしていましたね?」
 実は昨晩、門番をしていた彼が灰かぶりと魔女のお姉ちゃんをお使いに出された小間使いと勘違いして通した時、小さなネズミに化けたラージマウス達が彼の足元をすり抜けて行ったのですが、その時にラージマウス達は彼の足に噛みつき、魔力を流し込んでいたのです。
「くんくん。本当だ。部屋の中からいい匂いがする」
「お姉ちゃあん。この匂いを嗅いでいたらお股がじゅんってなってきちゃったよぉ……」
 1番背の低いラージマウスのショーツに、お漏らししたような染みが出来ていくのが兵士の目に留まりました。彼女達はそういうのを隠さない恰好をしていたからです。おしっことは全く異なる臭いが鼻につきます。ラージマウス達に淫らな事をしたいという欲望がたちまち彼の頭を支配しました。起伏の無いと言ってもいい胸に指を這わせたい。そしてショーツを脱がせて――いや、脱がせる間も惜しい。染みが出来ている所をずらしてその下の濡れぼそった場所を指でいじめたり口を付けて思いっ切り舐めたりしたい。そしてそこにさっきから収まってくれそうにない俺の愚息を――
 いや、何を考えているんだ。彼は慌てて妄想を振り払いました。魔物だし変な格好をしているが、相手は小さな子供達だぞ。
 その時、1番背の高いラージマウスが彼の腰に抱き着き、腰に、というより股間に頬ずりをしました。
「お兄さんのおちんちん、まだ出したそうにビクンビクンしてる。お兄さんも私達と交尾したいって思ってくれたんですね。嬉しい」
「『も』……?」
「私達、お母さんとはぐれちゃって、早くお母さんになりたいんです」
「もう我慢できない!」
 ラージマウス達はその体の大きさからは想像できない力で、兵士の「お兄ちゃん」を彼の個室に押し戻し、扉をバタンと閉じてしまいました。そしてそれから何時間もの間、部屋の中からは何かが激しく暴れているような物音と興奮した野太い声、そして楽しそうな黄色い嬌声が何度も聞こえてきたそうです。




 一方、継母と継姉達が今日こそはと舞踏会の2日目に出かけていくのを見送った灰かぶりは、暖炉の前で冬の夜の寒さを凌ぎながら考えました。王子様は納得できる結婚相手が見つかっただろうか。ついでに継姉達にも誰か良い相手が見つからないだろうか。2人がお嫁に行ってしまえばその分、家の中で灰かぶりにやかましい事ばかり言う口が減って少しは楽になるのに。そうした事が頭の中に次々とちらつき、横になってもう12時を過ぎたかと思うほど時間が経っても全く寝付けませんでした。
 すると、玄関の呼び鈴が鳴り、灰かぶりは起きだして帰宅した3人を出迎えました。継姉達は不機嫌そうな顔で灰かぶりを食卓につかせます。灰かぶりは長い耳で猛獣の足音を聞きつけたウサギのように嫌な予感を感じ取りました。継母や継姉達は嫌な事、特に男の人に関してうまくいかない事があるといつも不満を灰かぶりにぶつけて憂さ晴らしをするのです。
「今日は最悪だったわ。王子様は私達とも踊ってくださったけど、昨日の謎の姫の事しか考えていないのが見え見えだったもの」
「しかもなんかベタベタする物が階段に塗られていて、昨日の姫がまたいきなり帰ろうとしても走りにくいようにするためだって噂が流れていたわ。しかも帰りの馬車を追いかけるための騎兵まで待機させているなんて言っている人もいたわよ」
「で、でも結局昨日の人は来なかったんでしょう……?」
 思わず口を挟んだ灰かぶりは、すぐに自分の失言に気づいて内心慌てます。しかし、それに対する継姉の返答は彼をさらに困惑させました。
「来たわよ。12時まであと15分の鐘が鳴って、王子様もすっかりダンスを踊る気を無くしていた時にね。どこかの紳士があの姫の手を引いて王子様の所にやってきて、『こちらの方とも踊っていただけませんか』って言ったのよ。王子様はもう大喜びで、その場で『この人を私の妃にする』と宣言したわ」




「ふむ、それはおそらくドッペルゲンガーという魔物娘じゃな」
 翌朝、灰かぶりの話を聞いたバフォ様はそう答えました。いつもなら灰かぶりは今頃暖炉に火を入れて朝食を用意しなければならないのですが、継母も継姉達も2日間の舞踏会ですっかり疲れてまだ眠っていたのでその隙を見計らって抜け出してきたのです。
「ドッペルゲンガーというのはゴーストの1種でな、恋に破れた男の前に現れてその者が思い描く相手の姿を写し取るのじゃ。相手の想う者であれば絵に描かれた人物にも化けられると聞く。その噂が本当なら、おぬしをおなごだと思い込んだ王子の思い描く『姫』の姿になるなど造作もないじゃろうな」
 灰かぶりはもう1つ気になった事をバフォ様に聞きました。
「そういえば、他にもおかしな事があったんです。バフォ様の魔法で姿を変えたものは馬車もラージマウス達もドレスも僕の髪も元に戻ったのに、ガラスの靴だけは今朝ここに来る前に確かめた時にもヘーゼルナッツに戻っていなかったんです」
「それはおぬしが植えたハシバミの木が元になっておるからじゃ。おぬしが母君から貰った形見の灰を埋めたあの木には、おぬしと母君の互いを想う強い念が宿っておる。その靴はまだおぬしに何かを為そうとしておるのかもしれん。良いか、その靴を決して粗末に扱ったりしてはならぬ。おぬしが母君の事を忘れず、ガラスの靴を大事に持っておればいずれ何かの形で助けてくれるかもしれんからな」

「こんな事になるのは予想外だったけど、結局これでよかったんじゃないかしら。だってもうあんたが女装して舞踏会に行ったことがばれる心配はなくなったんですもの。例の姫はドッペルゲンガーだったという事でみんな納得したでしょうし、誰もそのことをこれ以上追求しようとはしないでしょ。それにあんたの行動で結果的に2組もカップルが生まれたんだから言う事無しだわ」
 バフォ様と別れた後、家路につく灰かぶりに魔女のお姉ちゃんはそう声をかけましたが、彼女は灰かぶりが浮かない顔をしていることに気が付きました。
「どうしたの。もしかして、やっぱり王子様と結婚したかったの?」
 灰かぶりはゆっくりと首を横に振ります。
「そうじゃない。むしろそうじゃなかった事が僕にとっては問題なんだ。結局僕はお母さまやお姉さま達が望むような『男らしい男』にも、ラージマウス達が望むような『頼れるお兄ちゃん』にも、王子様が望むような『心から結婚したいと思えるようなお姫様』にもなれなかったし、どれにもなりたいとさえ思えなかった。僕は自分が何になりたいのかさえ解らなくなったんだ」
 彼の言葉に、魔女のお姉ちゃんも力なく項垂れてしまいました。
「ごめんなさい。私たちは貴方がなりたいものになる手助けはできるけど、貴方が何になりたいのかを見つける事だけはバフォ様にもできないと思うわ。だってそれができるのは貴方自身だけなんですもの」
20/09/13 02:16更新 / bean
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■作者メッセージ
僕は幼稚園の頃、従姉が小さい頃に使っていたという女の子の人形で遊んだり、同じ幼稚園に通う男の子たちがこぞって見ていた「ドラゴンボール」よりも「セーラームーン」に興味があったり、園や地域のイベントで女の子達が踊っているのを見ると一緒に踊りたがるような男の子でした。

それとラージマウス達について補足をするとなぜ彼女達が母親からはぐれてすぐに男性を襲ったりしなかったかというと、1匹だけじゃなくて5匹で行動していたこととバフォメットがすぐに母親代わりになったこと、そしてそのバフォメットから簡単な魔法を教わったことで例外的に少しなら溜め込んだ魔力を自力で処理できるようになったことが結果的に彼女たちの衝動を抑えていたという設定です。

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