連載小説
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情愛の彼方(10)


 境一を治療する手段、それは一振りの短剣であった。


 魔界銀なる鉱物がある。名の示すところ偽らず魔界にて採取され加工される、桜色の光沢を帯びた魔性の銀で、ヒトがまだ魔物と共存を選択することを拒否していた時代、魔王軍にて武器として多用された不可思議な特性をそなえる金属である。
 魔物は人に対し、命を奪うことはおろか傷をつけることさえ嫌う傾向があるのに反して、戦いの場においては、概して魔物族に総合的な身体性能の劣る人という種を無傷で捕獲することは、人間側の抵抗もあって、容易ならざる事実であった故に、この銀製の武器は大変重宝されたといってよい。
 これを日常内にたとえるなら飼い猫を風呂に入れるとき、ヒトの十分の一以下の質量しか持たない小さな獣であっても、必死の抵抗は人を痛めつけうるし、猫を抑えつけようとするなら、下手をすれば愛猫の体を損壊してしまいかねないその腕力を緩めるわけにもいかず、そしてこれが猫ほどに体格の遠くない人間、それも武器を持っている者が相手ならば、殺害を避けるためには無慈悲な全力の投入ができない魔物側にとって、これ程やりにくい事はない。そこに相手の確保に有用な道具があるというならまさしく渡りに船である。
 
 簡潔に言えば、魔界銀で練成された武器は人の肉体に傷をつけず、精神を支える活力源に作用し、精や魔力といったものを漏出させ、気力面での疲弊を持って戦闘を終了させることができ、どの様な強者であっても膝をつき、剣を構えること困難となれば、そのあとは木の葉が川を流れ下るごとく、魔物主流の時間が過ぎるのみである。
 魔界銀器に倒れる相手が女性であるなら削り取った精神力の補填に魔力を注入することで女性を魔物化させることや、武器でなく魔力を混入した装飾品として女人に身に着けさせることで、自覚無きうちに魔物化させることを可能とする。安全なはずの町中の、見知った隣人が魔物に変容しているとわからないままに、確実に浸食の幅が広がっていくさまはさながら文化・思想侵略に等しい。
 だがそれも今は昔。高価な装飾品としてならともかく、現代にあって魔界銀製の武器等は一般的には滅多に見ることはなく、魔王軍や魔族警察が不殺の手段として使用することはあれど、社会の中の魔物娘全体が所持することなど必要性から言って、無い。ましてや日常の中に剣の形状をしたものなど堕落神教会で行われる何らかの儀式に際して、堕落尼僧(ダークプリースト)か、その夫の神父が形式的に持つことがあるか、あとはせいぜい、魔物歴史博物館の展示品のうちに少数が飾られているくらいである。




 ――――――それが今、女の目の前に、ある。



 今日、ついにこれを美亜乃に渡し、そして使わせなければならない。
 だけど、だけど、果たして彼女はこれを、使えるだろうか。
 弟へ、好いた人へ、向けることができるだろうか。

 ふう、吐息を漏らしてうつむく。
 答えが分かっていても。分かりきっていても、辛くなる。


 出来るわけがない。
 「これ」の目的が何なのか、説明しても、理解できても、納得は成るまい。
 ほかならぬ私が、そうだったのだから。
 そう、私にはできなかったこと、それを私は、私と似た過失を犯した彼女へ、させなければならない。させようとしなければならない。
 きっと成功はしないことを、試みなければならないのだ。

 私は、失敗した。 美亜乃もきっと、失敗する。でももし、成功したなら・・・・・・?

 私にも、もう一度、チャンスが巡ってくるのだろうか。
 夫の中へ突き刺さった呪いのくさびを、外してあげることができるだろうか。私が掛けてしまった、呪いを。


 もし、それができたとき、私たちは、どうなる? 今までのようにはいられないんじゃないの? あの人が私の元から去っていくことだってあり得るのよ・・・・・・?
 これは本当に、成功させて良い事なの・・・・・・?


 銀の剣を自分に託したリリムを恨まずにいられない女は、何があっても手放したくない隣で寝息を立てる男の胸に手を添えた。


 すでに朝。今日というを避けたいと思う者は美亜乃のみではなかった。





12/10/23 17:02更新 / 月乃輪 鷹兵衛(つきのわ こうべえ)
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