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第玖章 龍の恋は夢幻の如く儚く切ない
さて、と……我輩の語る「東方魔恋譚」も、このお話で最後だ。
最後を飾るは、龍と青年の物語。
我輩が語ってきた、八つの物語よりもずっとずっと昔……魔王様が代替わりする前、人間と魔物がバトルロイヤル繰り広げてた時代だ。

ん? 我輩、一体何年生きてるんだって?
ぬふふぅ、ソイツは意味の無い質問だ。
この我輩、語り部に『時間』も『空間』も、『世界』すらも関係無いのさ。

ま、我輩の事は因果地平の彼方にポイ捨てしといて、始めるぜぃ。
東方魔恋譚最終章、『龍の恋は夢幻の如く儚く切ない』。
さぁ、終演の開幕ぅぅぅぅぅぅぅぅっ!

―龍の恋は夢幻の如く儚く切ない―

『グゥオォォォオオォォォッ!』
『いい加減、死にやがれぇぇぇぇぇっ!』
妾(ワラワ)は見る、青年の渾身の一撃を。
妾は聞く、異形の断末魔の咆吼を。
妾は嗅ぐ、異形から迸る血の臭いを。
青年の刀は異形を脳天から叩き斬り、両断された異形は瀑布の如き大量の血を流しつつ、分かたれた半身が地に伏せる。

『ふぅ……』
異形が死に絶えた事を確認した青年は溜息を吐き、刀を収め、背後にいた妾に振り返る。
『怪我は無いか?』
『あ、あぁ……大丈夫だ』
血塗れの青年は、妾に怪我は無いかと問うた。
寧ろ、妾が青年に怪我が無いのかと問いたい。

『しっかし……何で龍神様が、こんな物騒な所をぶらついてるんだ?』
妾の名は奈琴(ナコト)、種族は龍、ジパングでは神として信仰される事もある妖怪だ。
但し、妾は龍ではあるが龍に非ず。
元は名も無き一匹の蛇、ソレが長き年月を経て妖力を蓄え、『龍』として変化したばかりの若輩者だ。
いや、若輩者も良いところ、赤子といっても差し支えない。
故に、妾は先達と比べれば力は各段に劣る。
ソレを目前の青年に話すと、成程と納得する。

『変化したての龍神様かぁ……おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名前は編綴字編理(アミテイジ・ヘンリ)、妙ちきりんな名前だろ?』
妙ちきりん、というよりは遥か西方の名前に、ジパングの字を当てたような名だ。
然し、編理と名乗る青年は自分で妙ちきりんと言うが、己の名に誇りを持っているように感じる。

『まぁ、此処で会ったのも何かの縁だ。奈琴が一人前になるまで、俺が一緒にいてやるよ』
なっ!? 人間風情が、変化したてとはいえ龍である、この妾を守るだと!?
何を言っておるのだ、と言い掛けた所で、妾は言い止まる。
確かに、妾はまだまだ力が弱く、先刻も危うくウシオニの餌にされかけた。
牛と人間を掛け合わせたような醜悪な顔に、巨大な蜘蛛の身体を持ったウシオニは、その凶暴性から『怪物』と呼ばれる危険な妖怪だ。
最上位に位置する龍である妾が、やや格下の妖怪の餌になりかけたのは紛れも無い事実。
故に、妾に力が付くまでの間、編理に守ってもらえば力を蓄える時間が生まれる。
だから、妾は
『そうか……ならば、暫しの間、妾をよろしく頼む』
編理に頭を下げた。

×××

『んうぅ……』
『よしよし……奈琴は、頭を撫でられるのが好きだよなぁ』
編理との邂逅から、早くも三ヶ月。
編理は、妾の予想を上回る男だった。
朝は誰よりも早く起きて剣術の型を磨き、昼は妾と共に妖術の研鑚を積み、夜は誰よりも遅く床に就く。
床に就くまで、編理は己の研鑚を欠かさない。
何故ならば、編理は『祓(ハライ)』を生業にする家系に生まれたからだ。

『編綴字家は、祓の一族。妖怪が関わる事なら交渉から荒事まで何でもござれ、だ』
妖怪と一言に言っても、妾のように人間と深く関わり助け合うモノもおれば、何時ぞやのウシオニのように狼藉を働くモノもおる。
編綴字の一族は妖怪に関わる事を一手に担う何でも屋、と編理は言っていた。
妾と邂逅した時も、近隣の村から彼のウシオニの討伐を依頼され、ウシオニを探していた所だったそうだ。

『はぁ、ふぅ……編理よ、もっと妾の頭を撫でてくれ』
『この甘えん坊めっ♪』
編理の逞しくい手が妾の頭を撫で、撫でられる感触に妾は目を細める。
龍である妾がこのように甘えるのは、編理を思ってこそ。
生命の危機に晒される事もある編理に、少しでも安らいでほしい。
故に、妾は龍である誇りを、この時ばかりは捨て去り、仔犬のように甘えるのだ。

×××

『むぅ……顕現せよ、雷雲!』
妾は宝珠を持った前脚を突き出し、妾の内に眠る力を宝珠に籠めて叫ぶ。
が、淡く輝く宝珠から出てきたのは、子供の握り拳程の黒い靄。
『んん……妖力循環がまだまだだな』
今にも消えそうな黒い靄を前に、編理は難しい顔をする。
編理は己の研鑚の合間に、こうして妾の研鑽を手伝ってくれる。
守られてばかりでは駄目だと一人で精進していたのを編理に見つかり
『一人で何でもしようって思うなよ……頼りたい時は、素直に頼れって』
と、軽く頭を小突かれ、編理は妾の研鑽を見てくれるようになった。

『妖力循環が大雑把だな……流れるままじゃなく、水路のように流れを制御するんだ』
『そうは言っても、妾は妖術の行使に関しては日が浅いのだ』
『まぁ、そうだよなぁ……俺だって、妖力循環の制御に三年は掛かった』
俺は役立たずだったしな、と自嘲と寂しさの混じった顔で編理は呟く。
時折、編理は今のような表情を見せる。
邂逅してから三ヶ月程しか経っていない妾では踏み込めない、編理の心の深奥。
何時か、心の深奥に秘めたモノを、妾に打ち明けてくれれば良いのだが。

×××

『何故だ、何故ソレを黙っていた!』
『話すような、ゴホッ! ゴフッ! 事でも、ねぇだろ』
邂逅から一年……妾は編理に怒りをぶつけ、編理は口を押さえながら苦しそうに話す。
口を押さえている手の隙間から、黒ずんだ血が漏れている。
祓と己の研鑽を繰り返していた妾達だが、突然編理が吐血して倒れ、妾は急いで近隣の村の医療所へと駆け込んだ。
その際、ぐったりとしている編理を抱いていた妾を見て、村人を驚かせてしまったが。

『何故、躯が弱い事を黙っておったのだ!』
『……奈琴に、ゴフッ! ゲフッ! 心配掛けさせたく、なかったんだ』
『うつけ、うつけ、編理は大うつけだ! 黙っていれば、余計に心配を掛けさせるのだぞ!』
医師に因れば、編理の躯は満身創痍も生温い程に傷付いており、生きているのが不思議だ、と言っていた。
編理は妾に心配を掛けさせたくなかったと言うが、ソレは逆効果だ。
何故、妾にソレを話してくれなかった!
何故、妾にソレを打ち明けてくれなかった!
妾は、妾は……お前が大切なのだ!

×××

『編理、帰ったぞ!』
『おぅ……ゴフッ、ゴホッ、お帰り』
邂逅から一年半……妾は体調の悪化した編理に代わり、祓の仕事を行っていた。
交渉ならば兎も角、狼藉を働く妖怪の討伐は実際に行ってみると厳しい。
何時、己の生命を狩られるのかという緊張の連続、躯の弱い編理はよく耐えていたと思う。
実戦に勝る鍛練は無いと言うが、事実として編理の代理として祓を行っていく内に、妾の力も随分と鍛えられてきた。

『随分、ゲホッ、ゴフッ、強くなってきたなぁ。これなら、ガフッ、ゲフッ、俺の出番も無くなるな』
『いや……編理は、妾にまだまだ必要だ』
『ゲフッ、ガフッ、何でだよ?』
見ているだけで辛そうな咳をしながら首を傾げる編理の手を、妾はそっと優しく握る。
あぁ……温かい、編理の手は心が安らぐ。
その安らぎに身を委ねながら、妾は己の気持ちを告げる。

『妾は……編理を……愛しておる。故に、妾に編理は必要なのだ』
『ブゲボバッ!?』
『ぬあぁぁっ!? だ、だだだ、大丈夫か!?』
妾の告白に驚いた編理は驚愕で吐血し、妾は慌ててしまう。
い、いかん……唐突過ぎたか。

『ガフッ、ゲェフッ、ゴホッ、龍神様の奈琴が、ゲフッ、ゲホッ、グェフッ、俺を?』
『……あぁ、そうだ。妾は、編綴字編理を心から愛しておる』
驚愕で激しく咳き込む編理だが、ソレも当然だ。
幾等人間と近しい心を持ち合わせても妾は妖怪であり、更に妾は最上位に位置する龍だ。
そのような存在が、人間を愛している。
ソレに驚かぬ人間は、何処を探してもいないだろうな。

『ゲホッ、ゲフッ……分かってんのかよ、奈琴は』
『……………』
言われずとも、妾とて重々理解しておる。
妾の、編理への愛は……実らない、と。
妾は龍であり、編理は人間だ。
寿命どころか、種族すら異なる妾と編理は結ばれる事は、無いのだ……

×××

『そう言えば、さ……ゲフッ、ゴフッ、話してなかったな、俺の事』
『……何だ、唐突に?』
邂逅から二年、妾が叶わぬ想いを告げてから丁度半年が経った夜。
布団の中の編理が、その布団を囲むように長い躯を横たわらせる妾に話し掛ける。
『出会ってから二年も経つのに、ゲフッ、ゴホッ、俺の事を全然話してなかったなって、ガフッ、ゴホッ、思ってさ』
苦しそうな咳混じりに編理は己の過去を語り始め、妾はソレを静かに聞いた。

『種馬にもならない役立たず、ガフッ、ゴフッ、それが俺だ』
編綴字編理は、編綴字家で唯一の跡取りだった。
然し、幼少の頃に原因不明、治療方法も不明という難病を患った。
周囲の人間は、跡取りである編理を役立たずと非難した。
二十歳まで生きれば奇跡だと、専属の医師も匙を投げた。

『そんな俺でも、ゴフッ、ゴホッ、編綴字家の人間なんだ』
それでも、編理は跡取りとして努力した。
幾百、幾千と己の吐いた血反吐の中に倒れても、編理は努力した。
そして、編綴字家の跡取りとして、祓の仕事を始めた。
何度も、死神に肩を叩かれながら。
何度も、生死の淵を彷徨いながら。
既にボロボロの躯に鞭打って、祓の仕事を行ってきた。

『正直、ゲフッ、ガフッ、奈琴の告白は、ゴホッ、ゲホッ、嬉しかった』
もう良い、喋るな。
『役立たずの俺を、ガフッ、ゴホッ、必要だって言ってくれて、ガフッ、ガホッ、本当に嬉しかった』
お願いだから、喋らないでくれ。
『ゴメンなぁ、ゲホッ、ガホッ、奈琴の事、ガホッ、ゴホッ、俺も好きなのに』
頼むから……
『奈琴を残して、ゴホッ、ゴフッ、先に死んじまう、ガホッ、ゲフッ、なんてさ』
コレ以上、妾の決心を鈍らせないでくれ……

×××

〜ジパングと大陸を隔てる海・水深五〇〇メートル地点〜
「…………あぁ」
懐かしい、夢を見ていた。
妾が唯一愛した人間と過ごした、心安らぐ日々の夢。
夢から覚めた妾は、周囲の風景を見渡す。
何も無い。
いや、正確には悍ましくも儚い姿の魚が泳いでいる。
ソレ以外は、何も無い。

「…………はぁ」
妾は深い溜息を吐き、溜息は泡沫となりて昇る。
彼此、一〇〇年は眠っていたか?
一〇〇年程度の眠りでは、周囲の変化も乏しいな。
また、眠るとしよう。
今度は三〇〇年程、眠ってみようか。

×××

『さらばだ……妾が唯一愛した人間、編綴字編理よ』
邂逅から二年と一ヶ月。
鈍らされた決心を再び胸に抱き、妾は眠る編理の元を去る。
死に晒されているとは思えない、安らかな寝顔をした編理。
何時までも、その寝顔を見つめる訳にもいかない。
見つめていては、決心が再び鈍ってしまう。

『……………』
妾は、枷だ。
二年という妾にとって短過ぎる月日でも、編理の性格は理解している。
妾が居れば、編理は妾を思って行動するだろう。
妾は、枷だ。
悠久に等しき生を生きる妾に、余命幾許も無い編理を付き合わせてもいいのか?
答えは、否……例え、余命幾許も無い身であっても、編理の生は編理が決める事だ。
妾は、枷だ。
人間の世界で生きるべき編理を、妾の愛で縛り付けてしまう。
ソレは、絶対に赦されない事だ。

『…………うぅっ』
妾は、妾は……本当は、編理とは離れたくない。
編理の心を奪っておきながら、妾は去るのだ。
コレが自己満足なのは、理解している。
だけど、だけど!
妾は編理の為に、編理の元を離れなければならないのだ!

『うぁぁ、あぁぁ…………』
妾は、罪を背負った。
人間である編綴字編理を、妾は愛してしまった。
妖怪である妾を、編理は愛してしまった。
誰も知らないが故に、誰にも責められない罪。
誰も知らないが故に、誰からも赦されない罪。

『うああぁぁあぁぁああぁぁぁぁあぁぁああぁぁああぁぁあぁぁあぁぁあぁあああぁぁぁぁああぁぁあああぁぁぁあああぁぁっ!』
妾は泣いた、夜明け近い空を駆けながら。
妾は哭いた、穏やかな朝日を浴びながら。
妾は大粒の泪を流しながら、眼下に広がる蒼い大海へと身を投じる。
深く、深く、より深く……人間の届かぬ深淵を目指し、妾は潜る。
妾の流した泪は、深淵へと続く水の牢獄に溶けていった。

×××

〜ジパングと大陸を隔てる海・水深五〇〇メートル地点〜
「…………あぁ」
今度は、悲しい夢を見た。
妾が唯一愛した人間の元から去った、辛過ぎる決意の夢。
三〇〇年程眠ったが、やはりと言うべきか。
何も変化は無い。

「…………はぁ」
眠りから覚めた妾の周囲を泳ぐ、悍ましくも儚い魚達の姿は変わらない。
深淵でしか生きられない、寂しい魚達。
今度は、誰かが起こしてくれるまで眠っていよう。
誰からも赦されない罪を背負った妾に許されたのは、眠る事のみ。
ひたすら眠り続ける事が、赦されない罪を背負った妾に許された事。

「…………編理」
叶わないと理解していても、妾は編理の名を呟く。
願わくば、妾が唯一愛した人間である編綴字編理に、起こしてもらいたい。
されど、ソレは叶わない。
四〇〇年も前の事だ、既に編理は死んでいるだろう。
死者である編理が、生者である妾を起こせる筈は無い。
さぁ、眠ろうか……

×××

妾は眠る、地上で戦争が起きた時も。
妾は眠る、地上が平和を謳歌している時も。

妾は眠る、何処かで国が興された時も。
妾は眠る、何処かで国が滅んだ時も。

妾は眠る、誰かが生まれた時も。
妾は眠る、誰かが死んだ時も。

眠って、眠って、ずぅっと眠っていた……

×××

さてさて、諸君は楽しんでくれたかな?
まぁ、楽しんでくれてないよねぇ……
難病に苛まれる青年と、叶わぬ恋という罪を犯した龍の物語。
本当なら、この後の事を教えてあげたいけどさ。
ぬぁ〜んにも、教えられる事が無いんだ。

え? 最初で我輩が言ってた事は、どうなるんだって?
確かに、我輩に時間・空間・世界は関係無いって言ったけどさぁ。
無視しようにも流石に限界があるんだよ、限界が。
んなモンだから、尻切れ蜻蛉で悪いけど、「東方魔恋譚」はコレにて閉幕。

我輩は新しい物語のネタを探してくるから、ソレで勘弁してくれよ。
んじゃ、また何時か、お会いしましょう……


















×××

起きろよ、奈琴

「んぅ……?」
何年程、妾は眠っていたのだろうか?
誰かが起こしてくれるまで眠ると決意してから、何年経ったのだ?
寝惚け眼を擦り、妾は起きる。
そして、妾を起こしたモノは誰なのかを

「よっ、七〇〇年振りか?」
確認しようとしたら、一気に眠気が吹き飛んだ。
吹き飛ぶに決まっている。
何故なら……
「へ、編理……なのか?」
「おうさ。正真正銘、編綴字編理だ」
会えないと、二度と会えないと思っていた編理が、妾の前にいた。

「いや〜、大変だったぜ、此処まで潜ってくんのも!」
何故だ? 何故なのだ?
何故、此処に編理がいるのだ?
此処は深淵、到底人間が潜れる領域では無いぞ!?
そもそも、何故編理が生きているのだ!?

「あちゃ〜……いきなり過ぎて混乱してんな、お前」
バツが悪そうに頭を掻く編理。
先刻、編理は七〇〇年振りと言っておった。
少なくとも、妾が編理の元を去ってから七〇〇年は経っている事になる。
だが、その姿は妾の知る編理と全く変わっていない。
コレは一体、どういう事だ? 妾は狐狸の類にでも化かされているのか?

「はぁ……色々あったんだぜ、地上も」
混乱している妾に編理は溜息を吐きながら、眠っていた約七〇〇年間に地上で起きた事を語りだす。
「今は新魔王歴二三〇年、俺達が出会ってから七〇〇年は経ってる」
「新魔王歴、だと? 何だ、ソレは?」
妾の疑問に、編理は丁寧に答えていく。

「新魔王歴ってのは、二三〇年前に魔王が代替わりした時に制定された年号だ」
編理曰く……今から二三〇年前に魔王と呼ばれる妖怪の王が交代し、世界は一新された。
妖怪は己の特徴を残しつつも人間の女性の姿へと変化し、人間の男性と交わる事で子孫を残すようになった。

「勿論、此処で眠ってた奈琴も例外じゃないさ」
「なっ……コレが、妾だと!?」
そう言ってから編理は妖術で鏡を創造し、その鏡に映る姿に妾は驚愕する。
映っていたのは、半人半龍の少女。
頭には雄々しい二本角、首の付け根辺りには勾玉。
肘から先と下半身は以前の姿のままで、その部分以外は人間と然程変わらないが……
「うにゃぁぁぁぁぁっ!?」
「フゲボガッ!?」
妾は一糸纏わぬ、生まれたままの姿。
遅れてやってきた羞恥心で胸を隠し、余る片手で思わず編理を殴り飛ばしてしまった。

「あの妖術師がいなかったら、俺は悲しみに暮れながら死んでたぜ……」
妾が編理の元を去った翌日、編理は妾がいない事に泪を流した。
悲しみに暮れる編理の元に、とある妖術師が訪れた。
妖術師は編理の躯が限界である事を知っており、妖術師はある方法を持ち掛けた。
編理を仮死状態にした後、氷系の妖術で仮死状態の編理を凍らせ、編理の躯を蝕む難病が治療出来るようになるまで、氷の棺の中で眠らせる。
そう言えば、聞いた事がある……遥か北方の地で氷漬けにされた獣が発見され、その獣は死んでいる事以外は殆ど変わっていなかった、と。
その方法を聞いた編理は藁にも縋る思いで、その方法を受け入れ、眠りに就いた。

「んで、俺が解凍されたのは、今から二〇〇年前だ」
氷の棺の中で眠っていた編理は、療養していた医療所の跡地を探索していた人間によって発見された。
発見された編理は、魔王の元へ運ばれてから解凍され、永き眠りから覚めた編理は己の事を全て話した。
編理の話を聞いた魔王は、編理がインキュバスという半人半魔の存在になれば、その身を蝕む難病を克服出来ると言った。
編理は魔王の提案を快諾、インキュバスと化す妙薬を飲み、インキュバスとなった。

「其処から先が、かなり大変だったんだぜ……」
インキュバスと化した編理は、文化の変化と違いに困惑しながら、妾を探した。
不老長寿の秘薬とされる人魚の血を飲み、二〇〇年間、大陸を、ジパングを巡り、古代の文献を漁り続けた。
そして、妾と思しき龍を記した文献を頼りに、この深淵まで来たのだ。

「よくもまぁ、この深淵まで潜れたなぁ」
「あ、あぁ……その事、なんだがな」
この深淵に潜ってきた事に感心する妾だが、何故か編理はバツが悪そうに視線を泳がせ、暫く視線を泳がせていた編理は突然土下座した。
「すまんっ! 浮気した!」
「…………………………何じゃとぉっ!?」
一瞬、思考が停止してしまった妾は、編理の言葉を理解して激昂する。
へ、編理めぇっ! 妾が好きだと言ったのは嘘だったのか!?
「怒るのは分かる! 分かるが、兎に角怒る前に話を聞いてくれ!」
「ほほぅ……なら、じっくりと聞かせてもらおうかの?」
額に青筋を浮かべながら、妾は編理の話を聞く。

「流石に生身じゃ、此処まで来れないからな……」
曰く、幾等不老長寿のインキュバスと化しても、所詮は陸の生物。
この深淵まで潜るのは、どう考えても不可能だ。
故に、編理は海に住まうシー・ビショップという妖怪に助力を乞うた。
このシー・ビショップという妖怪、海に住まう妖怪達の旦那の躯を水中生活へ適応させる儀式を執り行う事が出来る。

「愛妾でも良いからって……この時代の妖怪って、何考えてんだか」
シー・ビショップの執り行う儀式には、その、何だ……夫婦の交わりが必要らしく、独身の男の場合、己の躯を使って儀式を執り行うそうだ。
ソレを聞いて慌てた編理は、助力を乞うたシー・ビショップに妾の事を伝えると
『貴方を一人占め出来ないのは悲しいですけど、それでも構いませんよ』
と、言われてしまい、編理は愛妾としてシー・ビショップと契りを結んだ。
そして、妾の眠る深淵まで来たそうだ。

「……という事が、あってだな。此処に来る為とはいえ、浮気した事は本当に済まん!」
「……はぁ」
土下座のまま、この深淵に来るまでの経緯を話した編理に、妾は溜息を吐く。
愛する編理を妾だけの旦那に出来なかったのは残念だが、怒りはあまり湧き上がらない。
編理はお人好しだ……自分で頼んでおきながら、それでも構わないと妥協する他者の意思を無碍にする事は出来ぬからな。
まぁ、事情があったとはいえ、浮気を許す妾もお人好しだが。

「編理よ、一つだけ汝(ナレ)に問うぞ?」
「お、おぅ……」
静かな声で問い掛ける妾に、編理は頭を上げて妾の問いを待つ。
「編理よ……汝は女二人を養い、愛する度量を持っておるか?」
事情があったとはいえ、妾以外の女と交わった事は認めよう。
編理は、妾と愛妾にしたシー・ビショップを愛する事が出来るのか、と妾は問う。
「あぁ、愛するさ……奈琴も、ルルイエも、一生、大事にする」
ルルイエ、というのは愛妾にしたシー・ビショップの名か。
決意を籠めた目をしながら、妾の問いに編理は答えた。
まぁ、答えは聞かずとも分かっておったがな。

「んじゃ、海面に上がるとすっか」
「……あぁ」
立ち上がった編理は手を差し伸べ、妾は差し伸べられた編理の手を握る。
あぁ……この温かさは七〇〇年振りだが、全く変わっていない。
この温もりを、妾は再び味わう事が出来るのだな。
編理と妾は海面へ向かって、上昇する。
上昇の最中、宣誓のように妾は呟く……

未来永劫、妾は編理と共に生きていこう
12/09/21 15:18更新 / 斬魔大聖
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■作者メッセージ
東方魔恋譚第玖章にして最終章は、龍でお送りしました。
東方魔恋譚、これにて完結です。

濡れ場無しで執筆した為、第捌章までと比較すれば短い(それでも約8500文字)ですが、最終章に相応しい内容だと自画自賛しています。
本当に相応しいかどうかは、皆様にお任せします。

第玖章投稿段階では閲覧者数が約5800という、筆者の処女作にしては上々過ぎる数字で、このような拙い処女作を読んでくださった皆様には大感謝です。
東方魔恋譚は完結しましたが、これからも精進を重ねながら此処に投稿したいと思っておりますので、次回作もよろしくお願いします。

ついで。
第玖章の登場人物(名前だけ含む)の名前はハチャメチャ過ぎる神様が盛り沢山の創作神話が元ネタです。
名前だけ出てきたシー・ビショップが良い例、というかストレートです。

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