読切小説
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ギルド「豚」
 「何でも屋」ノイ・ザンダリオンがその依頼を受けたのは、四月のある晴れた日のことだった。馴染みの酒場に置かれた依頼掲示板の中で、彼は偶然それを見つけたのだ。
 
「オーク退治?」

 それは街道に出没するオークを退治してほしいというものだった。依頼主はこの町の教会に勤めるシスターで、依頼文には件のオークがこの町に来る巡礼者や商人を度々襲撃し、人々を困らせていると書かれていた。
 
「そんな被害出てたっけ?」
「さあ、俺は聞いたことないね。でもそれ貼り出されたの昨日だし、つい最近の出来事なんじゃないか?」

 興味と疑念を持ったノイが依頼書を取り出し、酒場の店主に話しかける。そしてノイと顔馴染みである酒場の店主は、そんな彼からの問いに、首を傾げてそう答えた。
 
「少なくとも、うちの商品がオークに盗られたことは無いよ。他の店は知らないけど」
「ふうん……」

 じゃあここ以外の店は被害に遭っているということだろうか。店主の言葉を聞いたノイはそう思った。だがそんな話は聞いたことがない。オークが出没することも、彼女らが人を襲っていることも初耳だ。ならばそれらの情報が出回る前に、このシスターが一足早く依頼を掲示したということだろうか?
 眉間に皺を寄せてノイが考え込む。するとその様子を見た店主が、麦酒の入ったジョッキを出しながら、ノイに提案してきた。
 
「そんなに気になるんなら、あんたが直接調べりゃいいじゃないか」
「俺が?」
「ああ。今は他に仕事受けて無いんだろ?」
「まあな」

 店主からジョッキを受け取りつつ、ノイが頷く。彼の言う通り、今は仕事を一つも引き受けていない。便利屋として町で重宝がられている――犬の散歩から商隊の護衛まで、報酬と引き換えにあれこれこき使われている――ノイだったが、この時は珍しく完全オフだったのである。
 
「金払いも良さそうだし、引き受けても損はないんじゃねえか」

 フリーなノイの背中を店主が押す。麦酒を半分飲み終えてから、ノイが改めて思案する。
 店主の言う通り、確かに報酬は悪くない。文章中に明記された金額を見てノイは思った。金に困っているわけでは無かったが、ありすぎて困るものでもない。貰えるものは貰っておくべきだ。
 それに何より、「気になる」。胸の裡に芽生えた疑念を、彼は無視することが出来なかった。
 
「……うん。受けてみるよ」

 数十秒の沈黙の後、ノイが口を開いた。最終的に彼を動かしたのは金銭欲でなく好奇心だった。
 店主もまた、そのノイの選択を尊重した。
 
「そうか、そうか。じゃあ気をつけてな。あんたならオークくらい倒せるだろうが、油断はするなよ」
「ああ、わかったよ」

 こうしてノイは、オーク退治の依頼を受けたのだった。
 
 
 
 
 その後ノイは、依頼主に会って自分がそれを受領したことを報告した。依頼主であるシスターは閉ざされた教会の前――彼女曰く掃除中であり、中に入ることは出来なかった――で応対し、ノイの報告を嬉々として受け取った。
 
「これは心強いですわ。あなたが来てくださったのなら、もう解決したも同然です」

 胸の前で手を組んだシスターが、恭しく頭を下げる。彼女もこの町の住人らしく、ノイの功名を十分知っていた。彼が来たなら百人力だ。顔を上げたシスターは笑みを浮かべ、続けてそう言った。
 
「いえ、自分などまだまだ。出来ることをしているだけですよ」
 
 一方のノイは、そんなシスターに謙遜で返した。彼は褒められることに慣れていなかった。正直恥ずかしくなった。
 そして恥ずかしがったノイは「それじゃあ仕事に行かないと」と言葉を返し、そそくさとそこから立ち去ろうとした。
 
「はい。それではどうかご武運を。そしてあなたに神のご加護があらんことを」

 シスターはそれを引き留めはしなかった。足早に立ち去る彼を素直に見送り、その背に祈りの言葉を投げかけた。ノイは振り向いて肩越しにシスターを見つめ、「どうもありがとう!」と感謝を返した。
 ノイを見返すシスターの顔は、満面の笑みで飾られていた。
 
 
 
 
 目的の街道は、町から出て数分のところにあった。森林地帯をまっすぐ突っ切るように整備された、木立で挟まれた細い道だ。道の左右には樹木が鬱蒼と生い茂り、隠れる場所は掃いて捨てるほどある。
 オークはこのどこかに潜んでいるのだろう。
 
「シャーッ!」
 
 案の定、ノイが一人で歩いていると、一匹のオークが木々の中から飛び出してきた。勢いよく出現したその個体は、無骨な石斧を両手で持ってノイに襲い掛かってきた。
 作戦通りだ。
 
「ヤクザキック!」
「ピギーッ!?」

 油断したオークの石斧をノイが蹴りつける。渾身の蹴りを得物に食らったオークが後ろに吹き飛び、背中から地面に激突する。
 なお体でなく武器を蹴ったのは、ノイの個人的な感情に拠るものである。魔物とはいえ女の子。生身を傷つけるのは気が引ける。
 
「動くな!」

 傷つけはしないが脅しはする。ノイが地面に倒れたオークに駆け寄り、腰のナイフを抜いて首筋につきつける。首に刃先を向けられたオークは涙目になり、斧を手放し懇願する。
 
「や、やめてください。殺さないでえ……」
「殺しはしない。その代わり質問に答えてもらうぞ」
「は、はいっ。なんなりとどうぞ……!」

 ノイからの言葉に小さく頷く。話しやすいよう少しナイフを遠ざけ、ノイがオークに問う。
 
「最近この辺りで、オークが人を襲っているという話を聞いている。それはお前の仕業か?」
「あっ、そういうことになってるんだ」
「どういう意味だ?」
「いえっこっちの話です! それはそうと私がやりました! いや私ではないけど私もやりました!」

 半ばパニックになりながらオークが白状する。その釈然としない内容に、ノイが眉間に皺を寄せる。
 
「つまり? どういうことなんだ?」
「その、あの、実は私達、チームで動いてるんですっ。みんなで固まって、一か所で生活してるんです」
「人を襲っているのは、そのチームということか」
「は、はいっ」
「襲う理由は? 生活に必要な食べ物や金を得るためにか?」
「そういうことに……ですっ。そういうことですっ! ぶひっ!」

 オークが思い出したように鳴き声を放つ。それを聞きながら、ノイはほんの少し頭痛を覚えた。
 面倒なことになった。ノイは今回の事件は、全て単独犯によるものだと考えていた。しかし実際はこれだ。もしこのオークの言う事が本当なら、依頼完遂のためにはそのチームを全滅させる必要がある。
 
「そういえば依頼文にもオーク一人だけの犯行とは書いてなかったな……」

 依頼内容を思い出す。シスターは「オークに襲われた」としか言っていない。確かに嘘は言っていない。
 
「……本当にグループ行動してるのか? 実際にやってるのはお前だけってことは無いのか?」
「違います! 私達は本当にチームで動いてるんです! 嘘じゃないです! 信じられないんでしたら、私が直接ねぐらまで案内して、そこで他の子達を紹介してもいいんですよ?」
「うっ」

 オークが真剣な眼差しを向けながら言い放つ。しかも無駄に必死だ。ああ、本当に面倒なことになった。
 しかしここまで来たら、放置するわけにもいかない。嘘だろうと本当だろうと、ノイはそれを確認しなければならない。依頼達成には必要なことだ。
 面倒だがやるしかない。ノイは腹を括った。
 
「……わかった。じゃあその、お前の言うねぐらまで案内してくれ」
「全員捕まえるんですか?」
「普通はそうしなきゃならないな」
「わかりました! じゃあ案内します!」
「えっ」

 一瞬で目の色を変えたオークを見て、ノイが虚を突かれたように動揺する。そしてオークはナイフを突きつけられながらも楽しげに耳を揺らし、続けざまにノイに言う。
 
「さあ急ぎましょう! 早くしないと他の子達がまた人を襲うかもしれませんよ! さあ早くしましょう!」
「え」
「善は急げです! 行きましょう行きましょう!」

 息継ぎをせず、早口でまくしたてる。ノイが口を挟む余裕もない。
 場のペースは、今や完全にオークが握っていた。
 
「ああ、うん。じゃあ頼むよ」
「はいっ! お任せください!」

 大人しくナイフを引っ込めるノイに、オークがニコニコ笑って答える。その後オークは自分から立ち上がり、ノイもそれを咎めることなく後を追うように立つ。
 魔物のなすがままである。ノイはどうにか手綱を握ろうとしたが、彼が口を開きかけた時、既にオークは木立の中に入りかけていた。
 
「ご主人様ー! こっちですよー! おいてっちゃいますよー!」

 耳と尻尾を嬉しそうに揺らしながら、オークが手を振ってノイに言う。逃げないどころか、ご主人様ときた。しかも件のオークは、言うだけ言ってどんどん先に進んでいく。制御不能だ。
 ことここに至って、ノイは状況のコントロール権が自身の手から完全に離れたことを理解した。そうして主導権をオークに簒奪されたノイは、改めて腹を括った。
 諦めたとも言う。
 
「おーい待て! おいてかないでくれー!」

 諦めたノイが、慌ててオークを追いかける。オークはなおもニコニコ笑いながら、手を振ってノイを先導する。
 こうして男はただ一人、無謀にも森の中へと踏み込んでいったのだった。
 
 
 
 
 奥へと踏み入ってから数分後、二人は例の「ねぐら」の前に到着した。それは地下に向かって斜めに掘り進められた洞窟であり、森の中にこんなものがあったのかとノイは驚愕した。
 
「ここに仲間がいるのか」
「はい。みんな揃ってますよ」

 ノイからの問いかけにオークが答える。それから二人は横並びになり、洞窟の中へ歩を進めた――それだけ入口は大きかったのであった。
 通路も入口と同じ広さだった。定期的に火の灯った蝋燭も置かれ、照明もばっちりだった。おかげでノイは息苦しさを感じることなく、下へ降りていくことが出来た。
 
「ここがメインホールでございます。ここでご飯を食べたり、歌ったり踊ったりするんですよ」
 
 そうしてしばらく通路を下った後、大きな空間に出た。すかさずオークが自分から説明し、ノイがそれを聞いて納得する。
 なるほど確かに、そこは「メインホール」の名に相応しく、天井が高く広々としていた。壁の方へ眼をやれば、別の通路に繋がる穴が不規則に並んでいた。また至る所に篝火が焚かれ、暗さに悩まされることも無かった。中々に快適そうな空間である。
 ふと、そこでノイが気配に気づく。直後、気配の主が姿を現す。
 
「しゃーっ!」
「ぴぎーっ!」

 新手のオークだ。それも四匹。それぞれがそれぞれ違う「壁の穴」から出現し、一斉にノイの方へ走っていく。
 誰も彼もが実にいい笑顔をしていた。

「待って!? 早いよ!」

 ノイの隣にいたオークが驚いて叫ぶ。だが伏兵に気づいていたノイは、既に迎撃態勢を整えていた。足を肩幅に広げ、構えを取り、腹に力を込める。
 四匹のオークが全く同じタイミングで跳びかかる。それに合わせてノイが叫ぶ。
 
「スカイラブハリケーン!」
「ギャーッ!」

 「何か」が起きる。襲い掛かったオーク達が「何か」に囚われ、まとめて吹っ飛ばされる。その時「何が」起きたのか、詳しいことは全く書けない。技の中身が凄すぎて、作者にはとても描写しきれない。
 何も考えてないからではない。
 話を戻す。
 
「ここにいるのはこれだけか?」
「は、はい。これで全員です」

 襲ってきたオークを全員はっ倒した後で、ノイが最初に会ったオークに確認を取る。問われたオークは素直に頷き、しかしノイはそれに疑問符を抱いた。
 
「これだけ? こんな大きな洞窟にこれだけなのか?」
「えっ? ええ、そうですよ。私のグループはこれで全員です」

 オークが答える。それに合わせて他のオーク達がゆっくりと起き上がる。
 
「うわーん、負けちゃったー」
「もう駄目だー。おしまいだー。私達じゃ勝てないよー」
「降参ですー。白旗振りますー」

 起き上がると同時に、一斉に声を上げる。酷い棒読みである。無傷でピンピンしてるくせにあっさり敗北宣言するのがまた怪しい。
 その様を見て、ノイはだんだんと今回の「カラクリ」に気づき始めた。自分が罠に嵌められたことにも。
 まったく、なんて悪辣な奴らなんだ。
 
「……もうしないな? 反省してるな?」

 一応確認を取る。案の定、想定通りの答えが返ってくる。
 
「反省してまーす!」
「もう人は襲いませーん!」
「あなた様に一生ついていきまーす!」
「嘘つけ、最初から人なんて襲ってないだろ」
「そうでーす! 襲ってませーん! ……あっ」

 とうとうボロが出た。うっかり口を滑らせたオークが、慌てて口を両手で塞ぐ。もう手遅れだ。
 広間の中に気まずい空気が流れ始める。呆れたようにため息をつきながら、ノイがオーク達に言う。
 
「とりあえず皆一緒に来てくれ。『依頼主』と話がしたい」
「ついていっていいんですか?」
「ああ。というより、来てくれた方が話を進めやすい」

 最初に捕まえたオークからの問いに、ノイが答える。それを聞いた別のオークが、恐る恐るノイに尋ねる。
 
「あのー……怒ってます?」

 他のオークが一斉にノイを見つめる。全員何かを懇願するように、じっとノイを注視する。
 ノイは即答せずに間を置いた。少し複雑そうに顔をしかめた後、ノイが答えた。
 
「詳しいことわからないから、まだ何とも」

 それが正直な感想である。「してやられた」という感覚はあるが、それに対する怒りは少なく、まだ困惑の方が勝っていた。
 情報が少なすぎる。これだけでは判断のしようがない。
 
「とにかく来てくれ。俺は本当のことが知りたいんだ」

 ノイが再度要請する。オーク達は一も二も無く、その呼びかけに首肯した。
 それ以外道は無かった。
 
 
 
 
 オーク達を引き連れて町に戻ったノイは、そのまままっすぐ件の教会へ向かった。道中、すれ違う町の住人全員から驚きと好奇の視線を向けられたが、ノイは努めて無視した。
 
「まあノイ様。お帰りになられたのですね。ご無事でなによりですわ」

 教会に着くと、入口にいたシスターが素早く反応した。ノイはそれに返事すると同時に、入口の扉が開け放たれていることに気づく。
 教会の内部が視界に入る。直後、ノイが全て理解する。
 
「ああ」

 教会の最奥、壁の高い場所に掛けられた十字架は上下逆になっていた。色も黒く染まり、先端も禍々しく尖っている。
 ここは主神を崇める場ではない。それに気づいたノイに、シスターが声をかける。
 
「それから、どうやら気づかれたようですね」
「まあね」

 全てが罠だった。だがノイは、それが自分の妄想ではないという最後の確証が欲しかった。
 だからノイはシスターに尋ねた。彼女の口から聞きたかった。
 
「今回の依頼、内容は全部嘘なんだろ?」
「その通りでございます」

 シスターが即答する。特に驚かない。
 ノイが続ける。
 
「オークが人を襲ってるのも、オークの一団が洞窟に棲んでるのも、全部嘘だ」
「その通りです」
「でもあなたはそれを全部本当のことのように扱って、依頼書を作った。そうだな?」
「そうです」
「目的は? なんでこんなことを?」
「彼女達のつがいを見つけるためでございます」

 オーク達の方を見やりながら、シスターが暴露する。全て想像通りの展開だ。
 
「なるほどね」
 
 独身の魔物娘のために男を斡旋する。それが今回の依頼の真相だった。それにしては回りくどいやり方だが、そこにも何かしら理由があるのだろう。
 何もかもが想定通りだ。しかしノイは怒らなかった。怒る気にはなれなかった。むしろ怒りよりも、不安や心配といった感情が先に出た。
 
「ちょっとバクチが過ぎるぞ。俺だったから良かったけど、他の奴だったらどうするつもりだったんだ。下手したら俺より強くて残酷な奴が、本当にオークを殺し始めたかもしれないんだぞ?」

 思ったままのことを口に出す。対するシスターは「お優しいのですね」と呟き、足元から黒い魔力を放ちながら言葉を続ける。
 
「そこはご安心ください。あなたが依頼を受けてからは、私がずっと監視しておりましたから」

 ドス黒い魔の奔流がシスターを包む。やがて黒の渦が風の波となって四方に飛散し、中から黒く煽情的な衣装に身を包んだシスターが姿を現す。
 ダークプリースト。堕落の神に信仰を捧げる、爛れた女神官。それがシスターの正体だった。
 
「やっぱりあなたも魔物娘だったか」
 
 そうして本性を露わにしたシスターを前にしても、ノイは動じなかった。何故ならここは魔物娘に寛容な町であり、狼藉を働かない限りは彼女達も住人の一部として永住を認められていたからだ。
 そんな町に長く身を置いていたノイの価値観がどう錬成されていったか、わざわざ書くまでもないだろう。
 
「オーク以外の気配はしなかったんだが」
「魔術のちょっとした応用です。自分の気配を消し、風景と同化する。それくらいは朝飯前ですわ」

 ダークプリーストが笑顔で答える。同時にダークプリーストが、内に溜め込んでいた魔力を一瞬開放する。
 魔力の塊がノイを圧倒する。純粋な力を正面から受けたノイは、「俺より強い奴」が目の前にいたことを理解する。謎の安心感が胸を満たし、懸念の一つが氷解する。
 その後ノイが次の懸念に切り込む。微笑むダークプリーストをまっすぐ見つめ、ノイが再び尋ねる。
 
「なんでこんな回りくどいことをしたんだ? 普通にお見合いなり何なりすればよかったんじゃ?」
「それも簡単です。依頼を受けた方が彼女達に相応しい殿方か否か、見極めるためです」

 これも即答であった。ノイの予想通りの回答でもあった。彼は苦笑いしつつ、ダークプリーストに尋ねた。
 
「結果は? 俺はどうなるんだ?」
「合格。花丸でございます」

 自分のことのようにダークプリーストが笑顔で答える。彼の後ろにいたオーク達も、口々にノイを囃し立てる。
 
「ご主人様は強いだけでなく、情け深いお方でした!」
「欲望に支配されず、ちゃんと私達を気遣ってくださいました!」
「命の恩人です! 一生かけてついていきたいです! ぶひっ!」

 どれもこれも芝居がかった口調である。予め用意しておいたかのような、整いすぎた文言だ。どこまでも計画の内かと、ノイはもう笑うしかなかった。
 同時に彼は、もはや今の自分に逃げ道は残されていないことも悟った。
 
「そして満点を出したあなたには、ぜひ彼女達を娶ってもらいたいのです」

 直後、ダークプリーストから案の定な言葉が飛んでくる。そして段階を経て追い詰められていったノイの心は、一周回って肚を据えるまでに至っていた。ヤケクソになっていたとも言う。
 
「断るって選択肢は無いんだよな」
「残念ですが、あなたが選べる道は二つに一つです。結婚か、結婚です」
「意地でも断るって言ったら襲われるんだろうな」
「そうでございますね。その時は、貴方様に彼女達の愛と真心を、一足先に骨の髄まで堪能していただくことになります」

 ダークプリーストが断言する。背後のオーク達の気配がガラリと変わる。忠実なしもべが、一瞬で飢えたモンスターへと変貌する。前後を魔物に挟まれ、本格的にノイの逃げ場が無くなる。
 それが最後の覚悟を決めさせる。もうなるようになれ、だ。ノイはほぼ投げ遣りな調子で、一歩前に踏み出した。
 
「わかったよ。降参だ。俺がこいつらの面倒を見る」

 直後、後ろで割れるような歓声が上がる。方々で喜びが爆発し、ダークプリーストも我が事のように笑みを浮かべる。
 そんな歓喜の渦中に置かれながら、ノイはただ苦笑した。喜んでいいのか悲しんでいいのか、正直複雑だった。喜んでくれるのは別に良いが、同時に魔物娘の術中に完全にはまってしまっているのが、なんだか悔しくもあった。
 
「そんなに気を張り詰める必要はありませんわ。貴方様のお好きなように、やりたいようになされば良いのです」

 困ったように渋い笑いをこぼすノイに、ダークプリーストが助け舟を出す。反射的にノイが愚痴をこぼす。
 
「人を嵌めておいてよく言うよ」
「嵌った貴方の責任にございます」
「この野郎」

 ノイが毒づく。その顔は笑っていた。事実、彼は今の状況を既に受け入れ始めていた。
 ダークプリーストの言う通り、容易に近づいたこちらの責任だ。罠に嵌る方が悪いのだ。
 
「私も責任を取って、しっかりサポートいたします。大丈夫、魔物娘との生活も、決して悪いものではございませんわ」

 ダークプリーストが畳みかける。ノイは小さくため息をつき、後ろではしゃぐオーク達を肩越しに見やりながら小さく言った。
 
「まあ、善処してみるよ」




「ご主人様! 看板はこんな感じでよろしいですか?」
「ご主人様! 椅子とテーブルの設置終わりました!」
「ご主人様ー! 羽ペンとインクは二個ずつあった方がよろしいですよねー?」

 数日後。ノイは新たに出来たしもべと共に、町はずれに一軒家を建てていた。そこは彼らの新居であると同時に、「ノイ一派」が依頼人から話を聞き仕事を請け負うための事務所でもあった。それまでノイが住んでいた家を使う案も勿論あったが、生憎そこはオーク達と暮らすには狭すぎた。
 なお建築費用は全て、元凶であるシスターと彼女の「仲間」が負担してくれた。費用だけでなく、実際の建築作業にも協力してくれた。アフターケア、乃至せめてもの罪滅ぼしだ。
 オーク達の使っていた洞窟では味気ない、いっそのこと共同生活をするのはどうかと提案したのも、件のシスターである。
 
「心を通わせた男女、ひとつ屋根の下、甘い結婚生活。何も起きないはずもなく……」

 なおシスターは作業中、一人でぶつぶつ何事か呟いていた。したたかな女性である。
 話を戻す。
 
「ノイ様。屋根の塗装が終わりましたわ。窓の設置も完了しております」
「柵と花壇も置き終わりました。魔術防護もつつがなく」

 仕事をしていたシスターの友人たちが、オークに続いてノイに報告する。この時彼女達は堂々と魔物娘としての正体を晒しており、ノイもそれを当たり前のように受け入れていた。姿を見た当初こそ驚嘆したが、慣れとは恐ろしいものである。
 そうしてそれらの報告を平然と聞きながら、ノイも作業の手を止めて「家」の方へ視線をやる。これからここが新しい住処になるのか。それも複数の女性との共同生活である。
 ハーレムだ。自分がハーレムの主となるのだ。全く実感が沸かない。正直言って、強い恐れを感じる。ノイはひとりでに苦笑をこぼした。
 
「怖がる必要はありません。全て上手く行きますわ」

 そんな彼の胸中を察したシスターが、彼の隣に立ってそっと告げる。ノイも前を向いたまま、シスターに胸の裡を正直に明かす。
 
「そう言われてもな。不安なものは不安だよ」
「そして緊張もしている?」
「うん」
「大丈夫。気負うことは何もありません。肩の力を抜いて、いつも通りに接する。それさえ出来れば、何も問題ありません」

 シスターが静かに、そして確固たる信念の下に言い放つ。ノイの懸念はそれだけでは払拭しきれなかったが、同時に幾分か心が軽くもなった。彼女の言葉が救いとなったのは事実だ。
 
「それにこういうことは、習うより慣れるのが一番でございますし」

 そこに続けてシスターの言葉が刺さる。ノイはどういう意味だと問おうとしたが、それを口に出す直前、彼は場の空気がガラリと変化したことを察知した。
 自分を取り囲むように、黒い感情が渦巻いている。敵意や憎悪ではない。優しく甘く、どろどろに爛れた肉の情念。
 性欲。獣性剥き出しの欲求が、容赦なく自分へと浴びせられていく。ノイはすぐさま、それをぶつけてくる者の方へ身を翻した。
 
「ご主人様あ……」
 
 視線の先にオーク達がいた。自分をご主人様と呼び慕う豚の魔物娘達が、じっとこちらを見つめている。誰も彼もが口をだらしなく半開きにし、恥ずかしそうに身を捩り、瞳を潤ませ自分を凝視する。
 この先の展開は容易に想像できる。
 
「あの、作業もひと段落ついたことですし……本格的に契約を結びたいなと……」

 オークの一人が懇願する。後を追うように、他のオーク達がそれに同調する。
 
「お願いします、ご主人様っ」
「どうか、どうかあなたを主とさせてください……」
「この豚めに、お情けをくださいませ……っ!」

 案の定だ。ノイは再び苦笑した。こういうことは夜にするもんじゃないのか。まだ昼前であることを都合よく思い出し、ノイの額から冷や汗が流れ落ちる。
 
「男は度胸。見せ場でございますよ」

 躊躇いがちなノイの背中を、ダークプリーストのシスターが言葉で押す。その顔は明らかに笑っていた。彼女の友人である他の魔物娘達も、一様に楽しげだった。皆新たなカップルの誕生を、心から祝福していた。
 もはや逃げ場はない。そもそもこんな状況で逃げるなど、男としてあり得ない。ノイは――通算何度目かわからないが――腹を括った。
 
「よ、よろしくお願いします……」

 だが怖いものは怖い。ノイの発言が尻すぼみになる。だが言質は取った。主から許可をもらったオーク達が、ゆっくりとノイの方へにじり寄る。
 ダークプリーストが背後で囁く。
 
「どうぞお幸せに」
「そりゃどうも……」

 ノイが投げ遣りな調子で返す。シスターが無言で微笑み、彼女の仲間が胸をときめかせる。
 オーク達が眼前に迫る。
 魔物娘に惚れられるとはこういうことなのか。ここに来て、ノイはひとつ賢くなった。
 
 
 
 
 人間とオークが共同で営む便利屋ギルドが誕生する、一週間前のことである。
19/02/16 20:21更新 / 黒尻尾

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