連載小説
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第一話
 ライムを半分に切り、丁寧に果汁を搾る。皮の汁が入ると苦みが出るので、強く搾りすぎないように。シェーカーに氷、ベースとなる酒を入れ、ライムの果汁やその他の三種類の酒を注いでキャップを締める。ここからが最も緊張する時間だ。
 八の字を描くようにシェイクを始めると、銀色のシェーカーが冷えて白く曇りはじめた。シェイキングとは単に酒を混ぜ、冷やすだけではない。氷が溶け出すことでカクテルの味に丸みを持たせ、細かい気泡を混ぜることで口当たりを良くする目的もあるのだ。もちろん氷が溶け過ぎては水っぽくて不味いカクテルになってしまう。丁度良い加減はカクテルによって変わるし、氷をシェーカーにぶつけるハードシェイク、ぶつけないソフトシェイクでも加水量は変わる。手に伝わる温度や氷の動き、音に気を配らなくてはならない。
 正直これはバーテンダーによってやり方が異なるため、個性によって変わる面も大きい。だが一番大事なのはお客様がそのカクテルを飲むとき、どのような味になっているか……それを想像しながら作ることだ。

 頃合いを見てシェイクを止め、カクテルグラスに注いだ。僅かに白く濁った透明なこのカクテルは銀色にも見え、教団の勢力圏では魔除けの効果があるとされている。それは嘘っぱちだが、すっきりした飲み口の美味しいカクテルだ。強めのアルコールをライム果汁でさっぱりとさせるのが僕流のレシピである。

「シルバーフェザーでございます」

 お客様の前へ静かにグラスを置く。この店の常連であるエーリッヒさんは無言でそれを手に取り、一口飲んだ。包帯に覆われたその顔からは表情はうかがえないが、彼は笑ったときには右肩が上下に少し動く。親しい者になら分かる癖……僕の場合はむしろ仕事柄気づいたと言えるだろう。

「美味い……コルバの店で飯を食ったら、ここで飲むに限る」
「ありがとうございます」

 彼の隣ではその相棒であるリウレナさんが甘めのカクテルを飲んでいた。セイレーンでありながら声を出せないという彼女だが、ギター弾きであるエーリッヒさんとペアを組みダンサーとして暮らしている。その華麗な踊りにはファンが多く、僕もその一人だ。

「この店の看板になるような、オリジナルカクテルなんてのがあればもっと良いだろうな」
「実は考えてあるのですが、まだ未完成です。三日ほど待っていただければお出しできますよ」
「それは楽しみだ」

 カクテルのレシピはすでにできている。だがオリジナルのカクテルとして大切なものが一つ、まだ欠けているのだ。必要なのは材料や味、見た目の美しさだけではない。もう一つ無くてはならないものがある。

「お二人のお仕事も、相変わらずお忙しいようですね」
「ああ、コウノトリから教わった曲が大好評でな。私設軍じゃ毎日歌われているらしい」
「護りにつく若き兵士の歌……でしたね」
「そう。まあ俺が儲かっているのは、大体がリウレナのダンスのお陰だが」

 エーリッヒさんがリウレナさんの肩を叩くと、喋れない彼女ははにかみ笑いを浮かべて首を横に振った。こうした人間と魔物の絆こそが、このルージュ・シティを短期間で発展させた原動力。種族の壁を超えて手を取り合い、未来を切り開いていく……親魔物領で生まれた僕はそれが当たり前だと思っていた。
 だが世界は僕の思っていたよりずっと広く、そして複雑だった。そして人間の心も……。

「そういえば明後日、この店は貸し切りになるらしいな」
「ええ、昔の友人たちが集まることになりまして……」

 話している途中で店のドアが開いた。新たなお客様を迎えるべく、私は反射的に出入り口の方を向く。入ってきたのはエーリッヒさんと同じ、人間と魔物の夫婦。

「……飲ませてもらう」
「わぁ〜、大陸の居酒屋ってこないになっとるんやねぇ」
「いらっしゃいませ、リベルテ様」

 僕はお客様に挨拶をするとき、できるだけ名前を呼ぶように心がけている。バーテンダーたるものお客様の顔と名前を忘れてはならないし、覚えていればお客様も気分がいい。
 そして酒をグラスへ注ぐとき、カクテルを作るときの動きは美しく。お酒を待っているお客様はバーテンダーの手の動きを見て退屈を紛らわせるからだ。あまり気難しい顔をせず、かといってヘラヘラと笑ったりもせず、自然な表情で。

 お客様の悩みを聞くこともよくあるが、バーテンダーは深入りしてはならない。お客様は神様などではない、僕と同じ目線の存在だ。人間も魔物も悩み、傷つき、苦しみ、弱さも強さも持っている。
 明後日来る僕の友人たちも、きっとそうやって大人になったのだろう。一緒に故郷の町を駆け回って遊んだ仲間たち……全員が揃うのは何年ぶりになるか。いつも先頭に立っていたガキ大将も、泣き虫なのに負けず嫌いだった貴族の子も、みんな来る。

 そして年下の僕の面倒を見てくれた、サキュバスの女の子も。

「……マスター、代金だ」
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」

 帰って行くお客様を見送りながら、僕は先日届いた手紙に想いを馳せていた。














………








……




















《テオ君へ。
 何年も会っていないけど、元気にしていますか。バーテンダーになったと聞きました。私はポローヴェでお料理の勉強をして、ついに養成学校を卒業できました。
 きっと貴方はあの頃よりずっと大きくなって、立派な大人になっているでしょうね。私はあまり背は伸びていないけど、お互いあの頃とはいろいろ変わったと思います。でも今度会ったら、また昔と同じように「お姉ちゃん」って呼んでほしいです。……》


 手紙を途中まで読み、丁寧に折り畳んでポケットへしまう。彼女らしい奇麗な字で書かれた手紙だ。僕より四つ年上で、僕を弟のように可愛がってくれた魔物の女の子……今ではきっと、立派なサキュバスになっているのだろう。魔物の子供は必ず魔物、つまり女の子になるから、彼女は弟という存在に憧れていたのかもしれない。みんなで一緒に遊ぶときも僕のことを気にかけてくれたし、僕が泣いたときは泣き止むまで側にいてくれた。いつも手を握ってくれていた。本当に姉弟のように。
 離ればなれになった後も、彼女の笑顔を忘れたことはない。そして彼女も明後日、僕の店へ来ることになる。

「どんなお酒を出そうか……やっぱり甘めのカクテルか……」

 あれこれ考えながら昼の市場を歩く。辺りは潮風が吹き、波止場には商船が碇を下ろしている。沖には町の広報に乗っていた新型軍船や、同盟都市エスクーレの武装商船の姿も見えた。先日陸では教団との戦いがあったが、海の方は今のところ平和だ。

「さっき水揚げされたカニだ! 身がぎっしり詰まってるよ!」
「ほーら、ジパング黒垣藩の扇子が大安売りだよ! いいセンスしてるだろ?」
「おまいさん、そのギャグはそろそろお止めなさいよ」
「急げ、捕鯨船が入港したぞ!」
「キャー、鯨捕りさーん! 貴方の銛で私をブスッてしてぇ〜♥」
「おい誰かそこのメロウを連れて行け! あとその辺に打ち上げられてるシー・スライムも何とかしてやれ!」

 今日も市場は活気に溢れている。ルージュ・シティ西地区は海に面した港湾区であり、市場では新鮮な魚の他、商船が運んできたものが数多く売られている。もちろん僕が見るのは主に酒類だ。手に入る物は日によって違うし、こうして頻繁にチェックしなくてはならない。

「おはようございます」
「よう、テオ。今日もいいのが入ってるぜ」

 店の親父と挨拶を交わし、酒売り場のテントを物色し始めた。様々な形の瓶が目を楽しませる。銘柄・産地ともに様々なものが集まっており、中には反魔物領の酒もあった。魔物寄りの闇商人や海賊たちが流しているもので、この町で売ることは合法だ。

「エスクーレ産のリモンチェッロか、これは買いだな……おっ」

 目に留まったのは丸い瓶に入った赤い酒。よく見るとその深い赤の中に、虜の果実が丸ごと入っていた。木に実った小さな果実に瓶を被せ、瓶の中で果実を育てたのだろう。酒に漬かった虜の果実はどこか妖しく、艶やかな雰囲気を放っていた。

「そいつに目を付けたか。虜の果実のリキュールでな、レスカティエ産だ。濃厚だがフレッシュな味わいで、最近人気なんだと」
「瓶の中に生の実が閉じ込められて、まさしく『虜』の果実酒ってわけですか。一本ください」

 値札を確認し、親父さんに代金を払う。オリジナル・カクテルには虜の果実酒を使うので丁度いい。他にリモンチェッロや珍しいジパング酒も買った。

「しかしまあ、何だな。店にいるときと違って、昼間のお前は何か間抜けな感じがするな」
「うわっ、そりゃ酷いですよ親父さん。まあよく言われるけど」

 いつものように雑談を交わしながら、僕はその内容に関して少し考えた。カウンターではカッコいいのに外ではダサいとか、夜だけ活躍できる男のヴァンパイアだとか、そんな風に茶化されることは多い。自分でもある程度は自覚しているが、こうなってくると本当の自分はどっちなのかという気がしてしまう。

「まあ男ってのは多少欠点があるくらいでいいんだ。うちの女房もそう言ってたし」
「はは、オヤジ好きのマーメイドの意見なら間違いないですね」

 笑いながら酒を受け取り、持参した買い物かごに詰め込んだ。自分が何者なのかという哲学じみたことを考えるのはひとまず後にしよう。

「そういやさっき、女の子がバー・ベッカーの場所を聞いていったぜ」

 支払った銀貨を袋へ入れながら、親父さんは言った。ベッカーというのは僕の姓であり店の名前だ。

「へぇ……どんな子です?」
「ちょっと酒の飲める歳には見えなかったな。せいぜい十二、三歳ってところだろう。まあ場所は教えておいたけどよ」
「そうですか。誰だろう……」

 子供では酒を飲むのが目的というわけではないだろうし、僕に何か用があるのだろう。バーテンダーでも子供と関わる機会はあるが、心当たりは少ない。ましてや僕の店は東地区にあるわけだし、西地区で場所を尋ねたということは船で来た旅行者かもしれない。

「ああ、その子は魚売り場の方へ行ったから、まだいるかも知れないぜ」
「じゃあ行ってみます。どうもありがとう」
「おう。またな」

 酒売り場のテントから出て、波止場に近い魚売り場へと向かう。特に重要なことではないかもしれないが、何となく気になったのだ。

 魚売り場には水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が並び、中には巨大な魔界魚の姿も見える。鯨の肉の切り身も売られており、ジパング人の料理人があれこれ吟味していた。この大陸において鯨は鯨油やアンバーグリスのみが利用されてきたが、ジパングから鯨肉を食べる文化が伝わってからは食肉の需要も徐々に増えている。
 店の前ではゴブリンたちが子エビを焼いて売っていた。串に刺したそれを一本買い、食べながら市場を見物する。弾力がありながらも歯切れがよく、噛むと旨味が溢れてくる。こういうのも市場の醍醐味だ。

 売り場の中では売り子のかけ声や値切り交渉、競りの声が飛び交っていた。せっかくだから適当な魚を買って今日の昼食にしようか。

「金貨三枚の高級魔界魚……これは手が出ない。お、ワイバーンシュリンプだ。おつまみにはいいか……」

 見ているうちにエビを食べ終わり、串を捨てようとゴミ箱を探す。なかなか美味しかった。他にも屋台が出ているし、いっそのことここで昼食を済ませるのもありかもしれない。
 そんなことを考えながら、ふと視線を上げ……

 僕は思わず串を落とした。

「おねえさん、このバイコーンカレイちょうだい」
「おっ、嬢ちゃん魚を見る目あるね。こいつは上物だよ」

 売り子のスキュラと会話をする小さな女の子。背には赤みがかった蝙蝠の翼、そして細長い尻尾が生えている。この町では珍しくもない魔物の子供だ。

「これ、バジルといっしょに炒めるとおいしいんだよね!」
「そうそう、よく知ってるね」

 だがその背中は、かつて何度も見てきたものだった。あの頃は大きく見えた、小さな背中。白のワンピースを着て、角出し穴の空いた麦わら帽子をかぶったその姿。
 脳裏に焼き付いた『彼女』の後ろ姿そのものだった。

「ミュリエル……姉ちゃん……!?」

 僕の声に、彼女はゆっくりと振り向いた。そして……

「……テオ君!?」

 僕の名を呼んだ。あの頃と同じように、あの頃と同じ姿で。

「わぁ! やっぱりテオ君だ!」
「ね、姉ちゃん!?」

 即座に僕に駆け寄ってくる彼女。昔のように僕が抱きしめられるのではなく、彼女の方が僕の腰に抱きついてきた。花のような笑顔を浮かべ、華奢な腕で力一杯しがみついてくる。

「えへへっ。テオ君、大きくなったね!」
「姉ちゃん、い、一体……!?」

 彼女……ミュリエルのぬくもりを感じながら、僕は大いに混乱していた。周りからすれば妹が兄と再会したように見えるのだろうが、間違いなく彼女の方が年上なのだ。それなのに無邪気に笑うその姿は、一緒に田舎町を駆け回っていた頃と全く同じものだった。あれから十年は経ったはずなのに。
 落ち着け、自分。ワーシープを数えて落ち着け。間違えた、それは寝るときだ。素数を数えろ。そうださっき買ったリモンチェッロを一気飲みして落ち着こう。いやできるわけあるか、アルコール度数三十度だぞこれ。

「て、ちょっと!?」

 こちらの混乱などお構いなしに、彼女は僕の股に体を潜り込ませてきた。

「むかしみたいに、おんぶしてあげる!」
「ちょ、姉ちゃん! もう無理だって!」
「よいしょっ……んぬぅ〜〜〜!」

 ……その後、周りの人々からの「何やってんだコイツら」という視線を受けながら、



 僕は小さな背中から転がり落ちた。
















………









……
















「ごめんね、テオ君」
「いいって。お酒は無事だったし」

 市場で昼食を澄ませた後、何かいろいろと疲れたので馬車で帰ることにした。ミュリエルは僕の隣に座り、好奇心旺盛な目で景色を眺めている。

「ここって大きな町だけど、わたしたちの町ににてるね」
「そうだね」

 そう話している間もミュリエルは僕の手を握っている。昔と同じように。

 それにしてもまさか彼女が、僕の面倒を見てくれた『お姉ちゃん』がアリスだったとは。ある一定の歳になると成長が止まり、魔物でありながら無垢で純潔のまま生き続ける特殊なサキュバス。僕が大人になっていく中で、彼女はずっとこの姿のままだったのだ。
 『お姉ちゃん』の手がこんなに小さかったなんて、柔らかかったなんて、子供の頃は気づかなかった。その小さな手が突然、僕の頭を撫でる。

「テオ君、ほんとうに大きくなったね。いいなー」
「姉ちゃんだって、あの頃よりは伸びたんじゃない?」
「ほんとうにちょっとだけ。それからのびなくなっちゃった。でも字はうまくなったでしょ?」
「ああ、確かに」

 手紙に書かれた奇麗な字を思い出し、彼女にだって変わった所はあるのだと実感する。そしてきっと、僕や他の仲間たちが大人になってしまったことも分かっているのだろう。それでも気にせず僕を弟扱いしてくるわけだが。

「お姉ちゃん、ポローヴェの料理学校は卒業したんだよね」
「うん! だからテオ君のお店ではたらきたいんだけど、いいかな?」
「もちろん。まあバーだからお酒が主役だし、あんまり凄い料理は出せないよ」
「ふふん。カンタンなおりょうりほど、おくがふかいんだよ!」


 ……そうやってしばらく雑談をしているうちに、僕の店の前で馬車が停まった。馬車から降りて御者の少年に代金を払い、荷物も降ろした。僕の買った酒とミュリエルの鞄、そして彼女が夕食用に買った魚だ。
 店のドアを開けた瞬間、ミュリエルは歓声を上げた。

「わぁ〜! かっこいいお店!」

 トコトコと店内に入っていき、目を輝かせながらカウンターや棚を見つめるミュリエル。そんな彼女を眺めつつ買ってきた酒を棚に並べ、魚は魔法で作られた保冷箱に入れる。親魔物領ではこのような魔道具も手に入りやすい。人間と魔物の力の差とかではなく、教団の勢力圏では戦闘魔法の研究が優先されているというだけだ。
 ミュリエルは背の高い椅子にぴょんと飛び乗り、カウンターに手を置く。小さな彼女がカウンター越しに顔を出す様子はなんとも可愛らしかった。

「気に入った?」
「うん! なんかここにすわってると、わたしもオトナになったみたい!」

 はしゃぐ彼女を見て、僕はもう一度保冷箱の中を確認した。この町で作られたオレンジや魔界の果物もあり、材料は十分だ

「じゃあミュリエル姉ちゃんのために、カクテルを一杯作るよ」
「えっ? でもわたし……」
「大丈夫、アルコールを使わないカクテルもあるんだ」
「ほんと!? じゃあのみたい!」

 ミュリエルは嬉しそうに微笑んだ。早速グラスやバー・スプーンを用意し、保冷箱から材料を取り出す。
 メインに使うのは南国のバナナに似た魔界の果物・ねぶりの果実。昔よくミュリエルと一緒に食べた物だ。束になった房から一本をもぎ取り、グラスの上にかざす。本来は厚皮をむいた後、中の薄皮をゆっくり舐めて中身を食べるのだが、カクテルを作るときにそんなことをしてはいられない。厚皮の上から果物ナイフで一気に切れ込みを入れると、そこから中身が勢いよく飛び出した。
 どろりとした液状の果肉は甘い香りを放ちながら、グラスの中へ溜まっていく。丁度良い量が入ったのを見届け、果実を小皿へ引き揚げた。

 次はオレンジを半分に切り、果汁を搾ってグラスへ入れる。丁度ねぶりの果実と一対一の比率だ。
 そして氷。アイスピックで角を取り、丸い形に削っていく。氷にも削りやすい目というものがあり、そこを狙うことで楽に形を作ることができるのだ。氷がどんどん丸くなっていく様子をミュリエルはきらきらした目で見つめていた。
 卵形になった氷をグラスに入れ、スプーンで混ぜる。どろりとしたねぶりの果実とオレンジジュースを軽くかき混ぜ、仕上げにホルスタウロスミルクを少量だけ注ぐ。これで出来上がり。

「どうぞお客様、ドリームエッグでございます」

 かしこまってグラスを差し出すと、ミュリエルは静かに感動の声を上げた。お行儀よく背筋を伸ばし、大人のレディのようにグラスを手に取る。

「いただきます」

 小さな唇がカクテルを飲み、卵形の氷が揺れた。彼女は小さな頬の内側でゆっくりと味わい、喉を鳴らして飲み込み……ぱぁっと笑顔を浮かべた。

「おいしいっ」
「そう、よかった」

 無邪気に笑うその姿は昔と同じように可愛らしかった。楽しいときに尻尾をピンと立て、翼をぱたぱたとはためかせる癖も変わっていない。身も心も大人になってしまった僕には子供のままのミュリエルが無性に眩しい。故郷を駆け回っていたあの懐かしい時間を、彼女が過去から連れてきたかのようだ。

「テオ君はりっぱなマスターだね」
「ありがとう、お姉ちゃん」

 今でも彼女を『お姉ちゃん』と呼べてしまうのも、それだけ僕の中で彼女の存在が大きかったからなのだろう。そして一緒に遊んだ、仲間たちみんなとの時間も。ミュリエルがアリスだったことには戸惑ったけど、こうしてまた出会えたこと、カクテルを飲んでもらえたことは純粋に喜ぶことができた。

 やがてミュリエルはドリームエッグを全て飲み干し、満足げに息を吐いた。

「このカクテルは元々、エキドナの夫婦のために作られたんだ」
「エキドナ? じゃあこの氷って、エキドナさんのタマゴなの?」

 彼女はグラスの底に残った氷を見つめる。なかなか察しがいい。

「そう。子供たちと一緒にカクテルを飲みたいと思ったエキドナのために、あるバーテンダーが考えたんだ」

 氷をエキドナの卵に例えて、それを飲む子供たちの未来、これから生まれてくる子供たちへの夢を込めて名付けられた。夢の生まれる卵、というわけだ。

「カクテルってすてきなんだね」
「うん、いろいろなドラマがあるんだよ」

 ……こうして彼女とカウンターを挟んで話をする。これを何度夢に見たことだろう。想像していた光景とは違ったが。

「あっ、そうだ」

 ふいに、ミュリエルは椅子から降りた。軽い足取りでソファーの方へ向かうと、靴を脱いでその上に座る。

「テオ君、ひざまくらしてあげる!」
「えっ」
「おんぶはだめでも、ひざまくらならできるよ!」

 お姉さん座りになって微笑むミュリエル。確かに子供の頃はよく木陰で膝枕をしてもらった。しかしそれを今ここで、同じ姿の彼女と……?

「ほら、はやく」
「う、うん」

 促され、僕も彼女へ歩み寄った。純白のワンピースに柔らかそうなふとももの肌……こんなに華奢だっただろうか。いつも僕はこれを枕にして昼寝をしていたのか。そう思うと不思議な気分になってくる。
 靴を脱いでソファに体を横たえ、膝の先にそっと頭を乗せてみる。懐かしい甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。一方ミュリエルは僕の遠慮がちな態度が不満そうだった。

「もっとちゃんと乗せて」

 そう言われ、彼女のふとももの方へ頭を乗せる。ぷにっとした柔らかい感触が後頭部を押し返した。幼い脚でしっかりと僕を支え、ミュリエルは満足げな笑みで僕を見下ろす。

「えへへ。いいこいいこ」

 小さな手で頬を撫でられた瞬間、懐かしい気持ちが一気に湧き起こってきた。膝枕されながら見上げるミュリエルの顔は、昔から見ていたしっかり者の彼女の、『お姉ちゃん』の顔だった。僕が彼女を置き去りに大人になってしまっても、それは変わっていないのだ。

「……ミュリエル姉ちゃん」
「なーに?」

 くりくりした青い目で見つめてくる、無垢な彼女。今は昔のように甘えていたい。

「もうしばらくこのままで、いいかな?」
「うん、いいよ!」

 ミュリエルは嬉しそうに応じ、僕の胸に尻尾を持ってきた。鏃型の先端をそっと握ってみると、あの頃と同じツルツルとした柔らかな感触だ。子供の頃はこの尻尾に触って遊ぶのが好きだったのを思い出す。

 懐かしい気分を味わいながら、僕は身を委ねた。憧れの『お姉ちゃん』の、小さな膝に……
13/01/09 23:46更新 / 空き缶号
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■作者メッセージ
お読み頂きありがとうございます。
「歌えないセイレーン」から始まり、「肉食系でしかもマフィアなアルプ」「超奔放なリリム」「後輩属性のダークエルフ」などひねった魔物娘をいろいろ書いてきた私ですが、今回は「姉アリス」です。
これより前に考えたネタはありますが、こういうネタは早めに書きたくて。

前編はエロが無い分、アリスの可愛らしさを出そうと奮闘しましたが、上手くできたかどうか不安w
ろりろりしいエロシーンは中編以降にご期待ください。
それでは良いお年を。

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