読切小説
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虫と炬燵と冬
「あけおめー。ことよろー。おやすみー」
「おい待て」

 言うだけ言ってこたつに顔を引っ込めようとするグリーンワームを、人間の男が引き留める。そして男がすかさずグリーンワームの手を掴み、ほどよく肉の付いた虫の身体をこたつから引っ張り出す。
 
「何すんのさー、鬼畜ー」

 上半身を剥き出しにさせられたグリーンワームが口を尖らせ、寝転がった姿勢のまま男にぶーぶー文句を垂れる。男はそれを無視してもう片方の手に持っていた皿を炬燵の上に置き、グリーンワームの隣に座って炬燵の中に脚を突っ込む。
 
「一人で占拠するなんて駄目だぞ。ちゃんと分け合わないと」
「だって寒いんだもん。仕方ないじゃん」

 腰から下を完全に炬燵の中に収めた男が、炬燵の上にあるリモコンに手を伸ばす。同じタイミングでグリーンワームも体を動かし、男と同じ姿勢――仰向けの状態から背を丸め、両手を炬燵の上に載せる――を取って彼に並ぶ。
 一月一日。真冬の正午。人間の男と魔物娘のカップルが、仲良く隣合って同じ炬燵で暖まっていた。魔物娘の存在が明らかになった昨今では、さして珍しくも無い光景である。
 
「それとさっきの挨拶なんだよ。新年くらいちゃんとしろって」
「めんどくさいんだもーん。ボク新年とか興味ないし」
「お前なあ……」

 横並びになった状態で、男とグリーンワームが言葉を交わす。そしてグリーンワームの直球な返しに半ば呆れつつ、男がリモコンを操作してテレビの電源を点ける。
 テレビからカチリと音がする。一拍間を置いて高い音が鳴り、黒一色だった液晶画面が徐々に華やかになる。そこから男がリモコンをいじり、次々チャンネルを変えていく。
 
「お笑い見たーい」

 横からグリーンワームがリクエストする。男が注文通り、彼女の目当ての番組をやっているチャンネルに合わせる。
 画面の向こうで名前も知らないお笑い芸人が、大して面白くもないネタを披露している。あれはすぐに消えるだろうな。気の抜けた顔のまま、男が冷徹に予想する。
 
「真面目に見る気ないだろ?」
「賑やかしにはちょうどいいもん」

 あまつさえ、しれっとそんなことを言ってのける。グリーンワームも男の言葉に反論せず、あっさりと言い返す。実際グリーンワームも彼と同じように、目の前で行われる「それ」に対して何の感慨も抱いていなかった。
 静寂の埋め合わせが出来るなら何でも良かったのだ。彼女の顔はまだ眠そうだった。
 
「じゃあお前、何なら興味あるんだ?」

 早々にテレビに興味を無くした男が、グリーンワームに話題を振る。件のグリーンワームもさっさとテレビを見限り、男からの質問に対して答えを出す。
 
「僕が興味あるのは、ユキトかなー」
「俺?」
「うん。君。新年とユキトだったら、ユキトの方がいい」

 自分の名前を出された男が、反射的にグリーンワームを見る。グリーンワームもまた、愛しのユキト――本庄幸人の方へ顔を向ける。
 二人の視線が合う。そこで初めて幸人の表情筋が緩む。
 
「俺の方がいいの?」
「うん。ボクはユキトがいい。君はどう?」
「俺は……」

 幸人が一旦言葉を切る。全身を巡る血液が勢いを増し、体が熱を取り戻していく。
 そうして火照りを自覚しつつ、幸人がグリーンワームに答える。
 
「俺もペピタの方がいい」
「ボクがいいの?」
「ああ」
「新年より?」
「ああ」

 幸人は初志貫徹した。彼の言葉を聞いたグリーンワームのペピタは、視線をテレビに戻して「そっか」と短く呟いた。
 
「そっかあ……」

 そのままペピタが笑みをこぼす。胸の奥からじわじわと喜びがこみ上げていき、体が幸せでぽかぽかになる。テレビのお笑い番組など眼中にない。
 
「えへへ。ボクの方がいいんだ」
 
 幸人に求められたことの方が、今のペピタには重大な関心事だった。
 
「ボクと同じだね」
「当たり前だろ」
「そっか、そっか。嬉しいなあ……!」

 そして喜びのあまり、ペピタが幸人の腕に抱きつく。
 
「えいっ!」
「うわっ」
 
 横から軽い衝撃を味わった幸人は一瞬よろめくが、すぐに態勢を立て直しそれを受け止める。
 
「こいつめ、本当甘えん坊なんだから」
「ふふーん。ボクが甘えるのはユキトだけだもーん」
「まったく……」
 
 続けて幸人は抱きついて来たペピタの頭に手を添え、幼子をあやすように優しく頭を撫でる。幸人の手の感触を味わい、ペピタが気持ちよさそうに目を細める。
 
「ユキトの手、あったかいね」
「お前の体も大分あったかいぞ」
「さっきまで炬燵の中に引っ込んでたからね」

 幸人の言葉に応えつつ、ペピタが彼の腕にさらにぎゅっと抱きつく。柔らかくぷにぷにな肉の感触が腕全体に広がり、心地よい圧迫感が幸人の冷えた心を解きほぐしていく。
 
「ぬくぬくだな」
「君のために炬燵の中であったまってたんだよ。ボクの気遣いに感謝してよね」
「はいはい」
 
 自分が寒いから閉じこもっていただけだろうに。得意げなペピタを見て、幸人が呆れたように笑う。まったく物は言いようである。
 しかしぬくいのは事実。これは何かお返しをしなければ。恋人の温もりを味わう中で、幸人がふとそんなことを考える。
 そして何か無いかと辺りを見回し、すぐにそれ――自分が持ってきた皿の上にあったもの――を見つける。
 
「ペピタ、蜜柑食べる?」
「うん?」

 早速それを一つ取り、ユキトがペピタに問いかける。ペピタは腕に抱きついたまま、幸人が手にした蜜柑に注目する。
 刹那、ペピタの口が本能的に動く。
 
「食べる!」
「おっ、そうか」
「食べさせて!」
「そ、そうか」

 そこまでがペピタの本能だった。彼女の理性は全く働かなかった。一方で即答された幸人は驚き苦笑しつつも、それを鬱陶しく感じることはなかった。
 可愛いものは可愛い。それにほだされてしまうのは、至極当然の成り行きである。
 
「ちょっと待ってろ。今皮剥くから」
「はーい」

 幸人にそう言われたペピタが、自分から腕を解放する。両手を自由に使える状態になった幸人が、宣言通り蜜柑の皮剥きを始める。慣れた手つきで皮を剥き、すぐに白い筋に覆われた果実の部分が姿を現す。
 
「スジはどうする? 全部取る?」
「テキトーでいいよ」
「わかった」

 ペピタの注文通り、幸人が適当に筋を取り始める。太いものを二、三本だけ取り除き、そこから分割を始める。
 
「ほら、できたぞ」
「ありがとー。食べさせてー」
「お前なあ」

 どこまで怠惰な芋虫なんだ。幸人はそう思いながら、それでも律儀にちぎった蜜柑をペピタの口元へ運んでいく。
 
「口開けろー」
「あー」

 気の抜けた幸人の呼びかけに、ペピタが気の抜けた声で返しながら口を開ける。ぽっかり開いたグリーンワームの口の中に、幸人がつまんだ蜜柑を投入する。
 口内にオレンジ色の果実が進入する。ペピタが口を閉じ、幸人の指ごとそれを頬張る。
 
「んー」
「あっ、こら」

 幸人がたまらず指を引き抜く。構わずペピタが口を動かし、閉じた唇の奥で蜜柑を咀嚼する。一噛みごとに甘く瑞々しい果汁が弾けて広がり、舌の上を流れて喉を潤す。最後に爽やかな後味が残り、気持ちの良い風味が内側から鼻腔をくすぐる。
 ああ、あまい。うまい。
 
「おいしいー!」

 ペピタがすぐさま感情を吐露する。満面の笑みを浮かべ、食べた蜜柑の旨さに歓喜する。
 そしてもっと欲しくなる。ペピタは己の欲望に忠実になった。
 
「ねえユキト、もっと! もっと食べたい!」
「また? 食べさせないといけないのか?」
「うん! ボク、ユキトに食べさせてほしいんだー」

 瞳を輝かせ、じっと幸人を見つめる。おねだりをする子供のように、ただひたすら目線で懇願する。
 
「ねえユキト、おねがい?」
「うっ」

 幸人はその眼差しに弱かった。ペピタの見せるそれは、言い換えればそれだけ幸人のことを信頼し、好いているという証明であったからだ。実際ペピタがそのような態度を取るのは、幸人に対してだけである。
 自分が愛されているということが痛いほどわかる。だからこそ、彼はそれを邪険に扱えなかった。
 
「……しょうがないな」

 結局以前と同じように、ペピタのために蜜柑の用意を始める。幸人はそんな甘々な自分を俯瞰目線から眺め自嘲したが、そんな懊悩も横から聞こえてくるペピタの「早く早く!」という言葉によって容易く掻き消されてしまう。
 どこまでもペピタに甘い男だった。幸人もそれを自覚していた。
 
「ほらペピタ、口開けろ」
「あーん……あむっ」

 幸人が二個目を差し出し、ペピタがそれを頬張る。指ごと口の中に入れたのも以前と同じで、幸人が素早く指を引っ込めたのも同じ。
 構わずペピタが咀嚼を始めたのも同じ。ルーチンワークである。
 
「うーん、おいしいっ」

 感想まで同じだった。代わり映えしない情景に、しかし幸人は安堵と喜びを感じていた。
 ペピタが変わらず傍にいてくれる。昨日と同じようにペピタと一緒に炬燵に入って、蜜柑を食べ、テレビを見る。そうして明日も明後日も、ずっとペピタと一緒にいられる。
 それが実感できることが、何より嬉しかった。
 
「へへっ、幸せだなー」

 そんな折、食べ終えたペピタが唐突に言う。思わず幸人が「どうして?」と尋ね、それに対しペピタが笑顔で答える。
 
「こうしてユキトと毎日一緒にいられて、嬉しいなって思ったから。隣を見たらユキトがいるってわかるの、凄い安心するんだ」

 そして照れ隠しするように、幸人の眼前でくしゃっと笑ってみせる。邪念のない、心からそれを喜ぶ純真な笑み。
 幸人の心がノックアウトされたのは言うまでもない。
 
「まったくお前は」

 それだけ言って、幸人がペピタの反対側の肩に手を回す。そこから手に力を込め、グリーンワームを自分の方へ引き寄せる。
 二人の体が横並びに密着する。突然のことに驚き硬直するペピタに向かって、幸人がしみじみと呟く。
 
「俺もお前と一緒にいられて、凄い安心できるよ」
「えっ」
「だからその、俺の傍から離れないでくれよな」

 気障すぎる。全身に火が点き、激しく燃え上がるのが手に取るようにわかる。幸人はなんでそんなことを言ってしまったのだろうと、口にした後で軽い自己嫌悪に陥った。
 後の祭りである。
 
「あ、えっ、えへへ――」

 しかし当のペピタは、さしてそれを気に留めなかった。むしろ自分の方からさらに幸人に密着し、再び彼の腕に抱きついていった。
 
「ボクだって、ユキトの傍から離れる気なんてちっともないんだからね。絶対離れないんだから!」

 あまつさえ、そんなことを恥ずかしげもなく言ってのける。その胆力に幸人は圧倒されたが、それはすぐに新たな喜びへと変わっていった。
 
「嬉しいこと言ってくれるな」
「えへへ」

 笑顔を見せながら幸人がペピタに抱きつく。ペピタも笑みを浮かべ、負けじと幸人により強く密着する。
 
「ずっと一緒だからね、ユキト!」
「ああ」

 二人仲良く抱き合いながら、互いの気持ちを確認しあう。
 元旦の朝、二人の男女はこうして絆を深めていったのだった。
 
 
 
 
「そんなこともあったなあ」
「懐かしいですね」

 一年後。一月中旬。
 ユキトとペピタはかつてと同じように隣合って炬燵に入り、当時のことを思い出していた。しかしこの時、二人の関係は「あの日」と比べて僅かに変化していた。
 具体的に言うと、ペピタが変態していた。この一年の間にペピタは蛹になり、グリーンワームから美しい「パピヨン」へと姿を変えていたのである。
 あと結婚もしていた。こちらは既定路線だったので特筆することではない。
 
「お茶淹れてきますね、旦那様」
「ああ、頼むよ」

 落ち着きと気品を備え、すっかり良妻と化したペピタが、自ら率先して炬燵を離れていく。幸人もそれを追わず、彼女に任せて炬燵の中に引きこもる。互いを信じているからこそ出来る、愛ゆえの距離感であった。
 
「お待たせしました。熱いですから気を付けてくださいね」

 数分後、お盆の上に急須と湯呑を載せたペピタが戻ってくる。ペピタはまずそう言って幸人の前に湯呑を置き、次にお盆を炬燵の上に置き、最後に「定位置」に戻ってから自分の湯呑を確保する。まず何よりも幸人を優先する、正妻の鑑である。
 
「悪いなペピタ」
「いえ。これくらいはやって当然です」

 感謝する幸人に、ペピタが謙遜して答える。グリーンワームの頃からは考えられない成長ぶりである。
 無論、幸人は「どちら」が良かったかなどと比較するつもりは無かった。どのように姿を変えようと、ペピタはペピタだ。嫌いになる所がどこにあると言うのだろうか。
 
「ほら、もっとくっついて」

 幸人がペピタの肩に手を回し、優しく自分の元へ引き寄せる。二人の肩が触れあい、そのまま流れるようにペピタが幸人の肩に頬を乗せる。ペピタは幸人の心音を頬越しに感じ取り、幸人はペピタの体温を間近で感じ取った。
 
「旦那様、ドキドキしていますね」
「お前こそいつもより熱いぞ。興奮してるのか?」
「旦那様と一緒にいられるんですもの。興奮して当然です。旦那様もそうなのでしょう?」
「もちろん。お前とこうしてると、凄いドキドキする」
「それは何よりです」

 共にリラックスした調子で、人間と魔物娘が言葉を交わす。大好きな人が隣にいて、自分と想いを共有している。そのことを喜ばしく思うことに、人も魔も関係なかった。
 愛に境界はない。二人を縛るものは何も無い。
 二人だけの世界で、幸人とペピタはただ幸福のみを堪能した。
 
「そうだペピタ、蜜柑食べる?」
「はい。いただきます」

 そんな幸せな世界の中で、幸人がペピタに提案する。ペピタも笑顔でそれに応え、それを聞いた幸人が炬燵の上の蜜柑を手に取る。
 思わず「あっ」とペピタが声を上げる。幸人が構わず蜜柑の皮を剥き、中身を取り出して筋を取る。
 
「これくらいでいいか?」

 ある程度取ったところで、幸人がペピタに確認を取る。問われたペピタは思わず頷き、続けて声を出す。
 
「はっ、はい。それでいいです」
「そうか、良かった」
「旦那様。そういうことは私がやりますから――」
「いいっていいって。これくらい俺にやらせてよ」
「うう……」

 ペピタの気遣いを幸人がやんわり断る。ペピタも主人の好意を拒絶しきれず、申し訳なさそうにそれを受け入れる。
 そうして縮こまるペピタに、幸人がさらに声をかける。
 
「ほらペピタ、口開けて」
「ふえっ!?」

 いきなりのことにペピタが素っ頓狂な声を出す。そして驚き、幸人の方を見ると、幸人が既にこちらに向けて蜜柑を差し出していた。
 ペピタの顔が一気に赤くなる。思考が追いつかず口をぱくぱくさせるペピタに、幸人が続けて言い放つ。
 
「あーん、だよ。あーんして」
「あっ、はっ、はっ?」

 まさかこんなことになるなんて。パピヨンの顔は完全に茹蛸となった。完全に予想外である。
 
「はいっ。あーんですねっ。あーんしますっ!」
 
 しかしそこは良妻。予想外だからと言って、そのままフリーズすることは無かった。ペピタは即座に思考を切り替え、幸人の好意に甘えることにした。
 そもそも嬉しいことは事実だ。拒否する道理は無い。
 
「あーん……」

 まだ少し恥じらいを覚えつつ、ペピタが口を開ける。羞恥と期待で、羽と触角がせわしなく動き始める。
 ペピタが目を閉じる。幸人がゆっくり手を伸ばす。蜜柑を持った指が、ペピタの口の中に入る。
 口内に気配を感じ取ったペピタが、静かに口を閉じていく。
 
「んっ……」

 ペピタの唇が幸人の指を咥えこむ。幸人がゆっくり指を引き抜き、異物が首を引っ込めた後で、ようやくペピタが咀嚼を始める。
 
「おいしい?」

 ゆっくり噛んで味わうペピタに、幸人がそっと問いかける。そして問いかけから数秒後、蜜柑を飲み込んだペピタが幸人の方を向いてそれに答えた。
 
「はい! とっても美味しいです!」

 満面の笑みだった。パピヨンは心からそう思っていた。
 幸人もそれを見てすっかり気を良くし、すぐに次の蜜柑を準備した。
 
「もう一個食べる?」
「いただきます!」

 ペピタも躊躇しなかった。喉元過ぎれば熱さ忘れる。恥じらいはすっかり彼方へ飛び去っていた。
 もっとやりたいとさえ思っていた。慣れとは恐ろしいものである。
 
「はい、あーん」
「あーん♪」
 
 ノリノリで口を開けるペピタに、幸人が蜜柑を差し出す。オレンジ色の果実が口内に入り込み、再度口を閉じてそれを噛み潰す。
 先ほどと同じように、甘い果汁が口いっぱいに広がっていく。冷たい汁が舌を濡らし、喉を滑って食道を落ちる。爽やかな甘さと喉越しを堪能したパピヨンが、太陽のように明るい表情で幸人に報告する。
 
「とっても美味しいです! 旦那様、この蜜柑とっても美味しいですよ!」
「そうかそうか。もっと欲しいか?」
「欲しいです! お願いしてよろしいですか旦那様?」
「もちろん」

 ペピタからのお願いを、幸人は快く引き受けた。ペピタの喜ぶ顔が見られる。幸人にとって、それに勝る幸せは無かった。
 
「はーい、あーん」
「あーん……あむっ♪」

 幸人が恵み、ペピタが口を開けて受け入れる。隣合って炬燵に入り、蜜柑を一つずつ食べていく。それ以上のことは何もない、どこにでもありそうな凡庸な光景。
 だがそれが良かった。それで良かった。好きな人と共にいられる。隣を見れば、愛する人がいつも隣にいる。これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。
 
「もう蜜柑無くなっちゃったな」
「えっ? もう一個食べちゃったんですか?」
「うん。どうする? 二個目いく?」

 享受して当たり前の幸せに浸りながら、幸人とペピタが言葉を交わす。次に行くかという幸人の呼びかけに、ペピタが首を横に振って応える。
 
「いえ、やめておきます。これ以上旦那様のお手を煩わせるのは偲びないですし」
「そうか? 俺はいくらでもやれるんだけどな。……もしかして恥ずかしくなった?」
「違いますー! 恥ずかしくなんてないですー!」

 茶々を入れる幸人に、ペピタが頬を膨らませて反論する。幸人はそれを額面通りに受け取らず、「本当かー?」と再度茶化すように言い放つ。
 
「本当です! 旦那様からされて、恥ずかしいことなんて一個もありません!」
「でもファーストキスの時は凄い顔真っ赤にしてたよな?」
「あっ、あれは……ううぅ……っ!」

 ずっと昔、まだ初々しかった頃の話題を持ち出され、ペピタが言葉に窮する。恥じらっていたのは事実だったからだ。そして返答に困ったペピタは、とうとう最後の手段に出た。
 
「もう、旦那様のいじわる!」
 
 ふくれっ面で幸人の腕に抱きつく。気の利く返しが思いつかなかった故の降参のポーズである。自分の可愛げで、話を水に流す意図も含まれていた。
 効果は抜群だった。幸人はそれ以上追求はせず、追い詰めてしまったことを謝罪しつつ、ペピタを優しく迎え入れた。
 
「ごめんごめん。あたふたするペピタが可愛くって、つい」
「つーん。そんなこと言われても許してあげませーん」
「そんなあ」

 夫に自分の肩を抱き返されながらも、ペピタは口を尖らせた。もっと幸人に甘えたいがための、可愛いわがままである。
 これも効果覿面だった。幸人は困ったように笑いながら――見るからに楽しそうだったのは公然の秘密だ――どうすれば機嫌が直るのかペピタに尋ねた。
 
「じゃあどうしたら俺のこと許してくれるの?」
「それはですね……」

 ペピタがそこまで言って、口を閉じて少し間を置く。その後頬をほんのり赤くして、恐る恐る幸人に告げる。
 
「ぎゅ、ぎゅーって、してくれたら……」
「えっ?」
「私のことをぎゅーって抱き締めてくれたら、許してあげますっ……!」

 自分で言って恥ずかしくなったのか、ペピタの顔が一気に真っ赤になる。でも幸人から視線は逸らさない。真面目なパピヨンは、本心だからこそ真摯に伝えるべきと思っていた。
 一方の幸人も、妻から不意を突かれてきょとんとした。が、すぐ我に返り、それと同時に微笑みを湛えてペピタに返した。
 
「仰せのままに、お嬢様」

 わざと恭しく、仰々しく言いながら、上体を捩ってペピタと向かい合う。下半身は炬燵に沈めつつ、腰から上は完全にペピタの方を向いていた。
 ペピタもそれに呼応するように、体を捻って幸人の方を向く。下半身が炬燵の中なのも幸人と同様だ。
 そうして二人が正対する。視線が目の前の伴侶に固定され、意識がそちらへ収束する。
 世界が狭まる。幸人とペピタと炬燵が存在を許され、残り全てが漂白される。
 
「ペピタ」

 真っ白な世界の中、幸人が静かにペピタに覆い被さる。男の両手がパピヨンの鎖骨の上を通り、うなじの部分で絡みあって彼女の身体を引き寄せる。
 
「旦那様……♪」
 
 ペピタも両手を伸ばして幸人の背中に回し、彼を背後から抱き寄せる。二人の身体がくっつき、吐息と体温と心音が交錯する。
 
「ペピタ、やっぱりドキドキしてる」
「旦那様こそ、今とっても熱いですよ?」
 
 たわわに実ったペピタの乳房が、幸人の胸板に押し潰される。二つの柔らかな果実が形を変え、生まれた谷間から甘い香りが漂い幸人の鼻をくすぐる。それがたまらなく心地良い。
 もっと嗅ぎたい。吸血鬼が噛みつくように、幸人がペピタの首の付け根に顔を埋める。
 
「もう、旦那様ってば」

 やんちゃな夫に、ペピタが苦笑する。だが拒絶はしない。むしろ片手を背中から離し、それを彼の頭に添えて優しく撫で始める。
 頭を撫でられた幸人が、気持ちよさそうに声を漏らす。無防備な夫の姿を見て無意識に微笑みながら、ペピタが問う。
 
「気持ちいいですか、旦那様?」
「最高」

 ずっとこうしていたい。欲張りな幸人が胸の裡を正直に明かす。ペピタも頷き、同じく正直に答える。
 
「私もこうして、ずっと旦那様と一緒にいたいです」
「もちろん。嫌って言っても離れないからな」

 幸人が首に回した腕に力を込める。ペピタが頭を撫でる手を後頭部へ移し、自分の方へ引き寄せる。
 夫婦の身体がさらに重なる。互いの体温が互いを癒す。一つに溶けてくっついてしまいそうなほど密着しながら、幸人とペピタが言葉を交わす。
 
「ずっと一緒だ、ペピタ」
「ずっと一緒にいましょうね、旦那様」

 一月の最中。二人の夫婦はこうして絆を深め合った。
 
 
 
 
 姿が変わっても、関係が変わっても。
 二人はこれからも共に、手を取り合って生きていくのであった。
19/01/12 18:54更新 / 黒尻尾

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