読切小説
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見落としたもの
 この中学校へ来てから約一年。
 ”ゲイザー”である黒石 白奈(くろいし しろな)の心はどこか苛々としていた。
 原因は分かっている。だが、それをどうすればいいのか分からない。
 そんな不可解な感情を、彼女はこの学校に通ってから初めて味わっていた。

「どうせあの子も……みんなと同じ……」

 背中の触手は隠せても、ゲイザーの象徴である単眼だけはそう簡単に隠せない。
 だが人間しかいない教室の中でも、それを不審に思う者はもう誰もいなかった。

「どしたの、シロちゃん?つぎ体育だよ、着替えないの?」
「……えっ? ああ……なんでもない」

 話しかけてきたクラスメイトに適当な相槌を打ちながら、彼女は考える。
 ただ一人の少年のことを。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 四月、新入生たちの入学式が終わってすぐの、退屈な朝のホームルーム。
 私は小さく欠伸をしながら、黒板の前に立った一人の男の子を見た。

「初めまして、〇〇県から転校してきた、桐生 恢翔(きりゅう かいと)です!
 前はテニス部に入ってて、こっちでも同じ部に入るつもりです。
 こっちではクラス替えとかないって聞いたので、えーっと、卒業するまでの二年間、よろしくお願いします!」

 彼がこの学校に転校してきた、その時の自己紹介がさっきの台詞だった。
 担任の先生とクラスメイトたちはそれを聞いて、様々な反応を見せる。
 好印象を抱く者、逆に悪印象を抱く者、どうでもいいと興味なさげにする者。
 紹介が終わり、先生に指示されて彼は後ろの方の席に座った。

「かいと、って読むんだ……ヘンな漢字」

 片田舎の学校で転校生が珍しいとはいえ、私もまた大した興味はなく。
 そのすぐ隣――外がよく見える窓際の席にいた私は、誰に話しかけるつもりでなく、ぽつりとつぶやいた。

「そう?たしか君は白奈さん、だよね」
「……え?」

 反応されるとも思わなかったし、その返答の内容も私にとっては驚きでしかなかった。

「あ!白奈さんだなんて、馴れ馴れしく名前で呼んじゃってごめん、黒石さん」

 その返答は私の耳から耳へ抜けて、それ以外の疑問がすぐに浮かぶ。

「……私、どこかであなたと会った?」

 ――今は本来の姿、つまり人外の外見であるはずの自分を、どこで知ったのか?
 この学校内でならともかく、もう随分と長い間私は学校以外では”普通の少女”だったはずなのに――?

「えーっと、遠くから君を見たことはあるよ」
「なんで……名前まで?」

 彼と直接話した憶えはないはずだから、名前はどこかで偶然に聞いただけだろう。
 その時はそう思った。

「あれ、そういえば……なんでかな?」

 けれどその表情と仕草は、嘘をついているようにも、とぼけてごまかそうと考えているようにも見えない。

「あ、そろそろ授業始まっちゃうから……またあとでね」

 それ以上聞くことも出来ず、私はただ考えを巡らせることしかできなかった。



「ありがとう、黒石さん。
 教科書揃えるのに、もうちょっと掛かるらしいから……それまでごめんね」
「別に……仕方ないことだから」

 彼は転校したばかりで、まだ教材が揃っていない。
 だから先生に言われて、授業中の間は机をくっつけ、彼に教科書を見せていた。
 私としても、”暗示”を掛けるのには丁度いい機会だと思っていたし。

「でも……黒石さんって、すごいんだね」
「え?」
「他の人に聞いたら、みんな黒石さんのこと『すごい人』って言ってたし、誰にでも”シロちゃん”って仲良く挨拶してもらってるし……人気者で、うらやましいよ」
「……」
「それに、こんなに勉強できるなんて。
 問題を解く時も、全然悩んでるように見えなかった。
 綺麗な字だし、ノートもしっかり書けてたみたいで……」
「!……そう、かな」

 訝しみや疑いを感じさせない瞳とともに笑って、彼が私を見る。

「あ、いや、ノートは覗こうと思って見たわけじゃなくて……ごめん」
「いい……別に」

 私は特別にやることがないから、色々考えたり本を読んだりしているだけだ。
 他のみんなは、やらなければいけない事も、やるべきこともたくさんあるから、それに時間を奪われてしまうだけなんだと思う。
 それはきっと、人間でも人間じゃなくても一緒なんだ。

「母さんが勉強しなさーいって言うから、ちゃんと宿題はしてるのになあ。
 どうして成績が上がらないんだろ……」
「……さあ」

 私の素っ気ない返事を聞いても、彼は調子を崩さない。
 それどころか、また驚くべきことを言い出した。

「あの、黒石さん。良かったら勉強の仕方、教えてくれないかな」
「……え?」
「できるなら先生より、頭のいい子に教えてもらうのが一番だって、母さんが言ってたんだ。
 その、黒石さんなら、しっかり教えてくれそうだし、優しそうだし……ダメかな?」
「……どうして、そう思うの?」

 彼のどこを見て言うでもなく、率直な疑問を私が口にしたら。

「なんで……かな?よくわからないけど……そんな気がしたから」

 深く考えていないような、能天気な笑顔で返される。
 そんな彼の事が、私にもよく分からなかった。ただ呆気に取られていた。
 気が付くと、暗示を掛けようとするその前に学校が終わっていて――そして彼は皆と同じように下校していった。

「……問題ない、か。どうせ明日も会うことになるんだから」

 放課後の教室で、一人きりのまま机に座っていた私は、誰に言うでもなくつぶやく。
 そうしたら、教室の扉が勢いよく開く。
 現れたのは私たちの学年を担任している教師だった。

「そこの女子、もう学校が閉まるぞ。早く帰りなさい」
「……ああ、そうでしたね」

 もう三週間は経ったから、そろそろまた『上書き』をしないといけない。
 溜息を付きながら、私はこの一つ目でその教師を睨みつけた。 






「シロちゃん、おはよー」
「おはよう」

 翌日。
 ホームルーム前の朝、教室の扉を開けると、眼鏡を掛けた女子が挨拶をしてくる。

「よっす、シロちゃん」
「おはよう」

 背の低い男子が軽い感じで声を掛けてくる。私は適当に返事をして自分の席に座った。
 彼ももう自分の席に座っていて、脱力した様子で机に身体を任せている。
 けれど、私が椅子に着いたのが分かるとむくっと起き上がった。

「おはよう、黒石さん!」
「……おはよう」
「ごめんね、今日も教科書見せてもらうけど……ふあぁ」
「ずいぶん……眠そうだけど」
「いやあ、教えてもらったことを復習してたら、朝起きるのが遅れちゃって……」

 真面目そうな子だとは思ってたけど、本当に馬鹿が付くほど正直なのかもしれない。
 ……やりにくい。

「ん、何か言った?黒石さん」
「え……いや、なんでもない」

 知らずのうちに口に出ていた言葉を訂正した後、私はなんて無駄な事をしてるんだろう、と思った。
 どんな悪印象だって”暗示”があれば関係ない、だから彼に気を遣う必要もない。

「あ、一時間目って理科室だったね。一緒に行ってもいい?」
「……ん」

 なのに、聞かれなくてよかったと、心のどこかでそう思う自分に気づいてしまっていた。



 それからもその少年は、彼は――恢翔は、私に話しかけてきたり、勉強を教えてほしいと言ってきたり、一緒に遊びたいと言ってきたり。
 曖昧な返事をするとそれだけで引き下がるけれど、日が改まるとまた誘ってくる。
 いつしか私はそんな彼の誘いを断り切れなくなった。
 いつの間にか忘れるように、そんな気持ちがどこかに行ってしまっていた。

「黒石さん、今日からテスト期間だから部活もないけど……一緒に帰っていい?」

 でも、首を縦に振ることができない誘いもあった。

「……ごめん。それは、出来ない」
「そっか……雨が降るかもって言ってたから、気を付けて。じゃあね!」

 手を振りながら走って行く恢翔の姿はすぐに見えなくなった。
 私はそれを見届けてから、また学校に戻って保健室に入る。人払いの魔法は掛けてあるし、万が一誰か来たとしても”暗示”で誤魔化すのは簡単だ。
 どこか疲れを感じていた私はカーテンを閉めて、ベッドの上に横たわり、膝を抱えて丸くなる。
 
「……帰る家もないなんて、言えるわけない」

 そして私以外に聞く者のいない言葉を、またぽつりと呟いた。





 特別に大きな事件もなく、時はただ流れて、夏の季節。
 中学校で”夏休み”が始まる時期だった。

「ついに夏休みだよ!白奈さん!」
「う、うん……もう待ちきれないって感じだね、恢翔くんは」
「そりゃあもう!」

 私達はお互いに名前で呼び合える仲ぐらいにはなっていた。
 結局”暗示”を一度も使っていないのに、恢翔は私の姿を不審に思うことも、それについてとやかく口に出すこともなかった。
 それどころか、私の赤い一つ目を「綺麗な目だ」とか、癖っ毛な黒髪を「可愛らしい」だなんて褒めてくるから――くすぐったくて仕方がない。
 それはお世辞じゃないかもしれない。調子のいいおべっかではないかもしれない。
 けれど、それを口に出す彼の表情を確かめるのがまだ私は怖いままで、一度もそれをしたことはなかった。

「白奈さんはどこか遊びに行ったりする?」
「まだ決めてはない……けど」

 そしたら恢翔は人懐っこい犬のように、楽しそうに話し出す。

「じゃあ、行きたいところがあるんだ!一緒に遊びに行かない?」
「えっ?」
「電車で一時間くらい掛かるんだけど、面白そうな遊園地ができたんだって。
 ジェットコースターなんか大人気で、すっごい迫力あるんだよ!」
「う、うん。行って、みたいかも」

 ちゃんとしたお金は持っていないし、人間がたくさんいる場所に行くのはやはり面倒で、怖い。
 だけどそれらはどうにでも出来る事だと、そう思った私は彼とそこに出掛けてみたくなり、すぐに頷いた。

「やった!それじゃあ、他のみんなにも聞いてみるから、待ってて!」
「……え、あっ……」

 止める暇もなく、あったとしても言えるわけがなく、彼は他の子達がいるほうへ行ってしまう。
 ――当たり前だ、私達二人だけで行くわけがないじゃないか。
 クラス分けのない程度に小さい中学校だから、学期や学年が進んでも関係は引き継がれていく。
 それを知ってて私はこの学校を選んだはずだ。

「……そう、だよね」

 そうだ、彼にはちゃんと”友達”がいる。私とは違う。
 そんなのは当たり前で、ずっと前から知っていたのに、どうして私はこんなにうろたえているんだ。
 
「えっとね、一緒に行ってくれるのは、圭太くんと、水樹ちゃんと、それから……」

 恢翔が嬉しそうに話すその言葉も、私はどこか上の空で聞いていた。
 そのあと、私達を含めた一緒に行くクラスメイトが集まって、恢翔がその音頭を取る。

「――うん。じゃあ二週間後で、大丈夫かな。みんな、よろしくね!」








「わ、もう七時かあ……もっと遊びたかったけど、そろそろ帰る時間かな」
「……うん」

 みんなで行く遊園地は、確かに、楽しかった。
 他のクラスメイトは知らないが、恢翔は、学校の外で私と遊ぶのを楽しんでくれていたと思う。だからこそ、もっと欲しいと望んでしまう。
 だけど今日は、今日こそは、ただ一緒に居るだけでは終わらせない。
 失敗したっていい、悪い印象を与えてしまってもいい。
 今日だけなら嫌われてもいい。
 ”暗示”なら、どうせ後から有耶無耶にしてしまえるんだから。

「じゃあ、次のアトラクションを最後にしよう!」

 私は改めて、恢翔以外の全員に暗示を掛け、思考と行動を誘導していく。

「最後って言ったら、やっぱり観覧車だよな」
「あ……それ、いいね」

 今日は恢翔がいるから、私はずっと本来の姿のままでいた。そしてそれを誤魔化すために、数えきれないぐらい他人に暗示を掛けてきたせいか……どうにも身体が重い。
 それでも彼のためだ。こんなのなんてことはない。

「せっかくだし、二人ずつで乗ろうぜー!」
「へっへー、早い者勝ちー!」

 私と恢翔以外には即座にペアを組ませ、私達二人だけが余るように仕向けた。

「じゃ、じゃあわたしも……!」
「よ……よし、俺も!」

 他のクラスメイト達は、まるで競うように観覧車がある方へ走って行く。
 これに関しては運が良かった。
 それなりに(つまり、二人きりでは遊びに行く勇気がない程度で)仲の良い男女がちょうどペアで集まってくれていたからだ。
 まあ、だからこの集まりに加わってきたのかもしれないけど。

「あれ、結城(ゆうき)くんと伊織(いおり)さん、ちょっと前に最後はメリーゴーランドがいいって言ってた気がしたけど……」
「き、急に気が変わったんだよ、きっと。
 それより……恢翔くんは、私と一緒に観覧車、乗ってくれる?」
「もちろん。僕らも行こう!」

 私達はゆっくりと並んで歩いて、観覧車の乗り場にたどり着く。
 けれどもうかなりの行列が出来ていて、ただ待っていたら三十分は掛かってしまいそうなほどだ。

「うーん、やっぱり人が多いね。しょうがない、僕たちはここで――」

 それ以上は言わせないとばかりに、私は彼の手を強引に掴んで、乗り場の入り口へ歩き出す。

「……来て、恢翔くん」

 行列に並ぶ人間すべてと係員に”暗示”を掛けるのは骨が折れるけど、構うもんか。

「え、でも他の人たちが……あれ?なんで……?」
「後でちゃんと話すから。今は、付いて来てほしいの」

 私がそう言うと、恢翔なりに察してくれたらしい。
 観覧車に乗り込むまでそれ以上は追及してこなかった。



「わあ……すごい高さ。ちょっと怖いけど、他の建物も光ってて、すごくキレイだ」
「……そうだね」

 二人きりの観覧車。
 機械が動く低い音と、私達だけがいる場所。
 今なら、他の誰にも邪魔されない。

「それで……白奈さん、何か話があるって言ってたよね。大事なこと?」
「うん……すごく、大事なこと」

 あどけなく、でも真剣になった恢翔の目が、私を見つめるのが分かる。

「まず初めに……私はきっと、人間じゃない。
 自分がどこで生まれて、どこから来て、なぜここにいるのか――ぜんぶ、知らない。覚えてもいない」
「白奈さん……が?」
「でも、自分が何者かは分からなくても、何が出来るかは分かる。
 この一つしかない目を見れば分かると思うけど……人と違うのは、外見だけじゃない」
「……うん」

 さすがにさっきの光景を見れば、彼でも異常さは感じたのだろう。
 恢翔は相槌を打ちながら小さく頷いた。

「行列に割り込んだ私達を誰も怒らなかった。係の人も不自然に思わずに乗せてくれた。
 それは、私が”暗示”を掛けたから。
 皆はそれを掛けられたことさえ分からずに、私の望む通りに思って、動くの。
 私はヒトの姿になって姿を偽ることもできるけど……それすら必要ない。暗示があるなら、この姿を誤魔化す必要さえない。
 もっと言えば――皆が私を”友達”だと思ってくれる……そういう、ことなの」

 恢翔の目は変わらず、私を見続ける。
 
「でもあなたには……恢翔には、まだ”暗示”を掛けたことなんて、一度もない。
 なのに、初めから私の事を怖がらなかった。声まで掛けてくれた。
 それが嬉しかったから……ずっと、暗示を掛けないままにしてた」
「そう、だったんだ」

 恢翔が相槌を打ったのを聞いて、心の中だけで私はつぶやく。
 だから、そんな恢翔に”暗示”を掛けたらどうなるんだろう――って。

「……白奈、さん」

 息が詰まるような緊張で、互いの瞬きさえ意識してしまう。身体も重いままだ。
 それでも、観覧車が降りる前に彼に暗示を掛けるぐらいはできる。
 そして意を決して、彼を見ようとしたその瞬間に。

「やっぱり――よくないと思う」

 恢翔のその一言で、電気が切れるみたいに私の思考が止まった。

「白奈さんが――で、どういう――なのか、僕にはまだ――けど」

 彼の言葉が耳から耳へ通り抜けて、頭に入らない。頭が理解しようとしてくれない。
 それは否定の言葉。私に対する拒絶。
 たとえ彼がそう思っていたとしたって、そんなの、聞きたくなんか、ない。

「他の人達を――して、――はよくないよ」

 暗示があれば後でどうにかしてしまえる。何を言われたって平気?
 そんなのもうずっと前の話じゃないか。
 彼を知って、仲良くなって。
 好きになって。

「ねえ――どうしてみんなを――したの?」

 そんな今になってから、そう思えるわけがなかった。

「……あ、……あ、」

 がたん、と大きな音が鳴って、ようやく私の目が覚めた気分だった。
 分からない。
 怖い。
 今の彼の言葉にも、彼の目にも――触れていたくない。

「白奈……さん?」

 それでも、私の名前を呼ぶ声だけははっきり聞こえて、それが怖くて。
 彷徨った私の目線が、すでに大きく開いていた観覧車の扉を見つける。

「――やだ、いやだ――っ」

 私はそこから転がるように走り出し、彼の目から逃げ出していた。






「……はあっ、はあっ……」

 どこをどう走ってきたのか、あれからどれくらい経ったのか、今どこにいるのか。
 全部わからない。
 ただ闇雲に誰もいない方へ、暗い方へと走ってきただけだ。

「はあ……はあ……」

 元々運動が得意でもなく、体力もない私は、いつしか倒れこむように地面に転がった。
 何に寝転がっているのかは分からないけど、少しひんやりとしていて、あまり堅くもなくて気持ちいい。
 慣れない走りで火照った身体にはちょうど良いから、もう少しこのままでいようと思った。

「……あ」

 辛うじて寝返りを打って仰向けになると、空が見えた。
 星たちがちかちかと瞬き始めた夜空は、いつものように変わらず、そこに輝いている。
 
「きれい……だな」

 息切れで掠れた声が自然とこぼれる。

「わたしも……星になれれば、よかったのに」

 そうしたら、誰もが見てくれて、綺麗だって言ってくれるのかな、なんて、馬鹿みたいなことを考える。
 独りで過ごしてきた夜にはよく星を眺めていた。
 最初は暇潰しのつもりでしかなかったのに、いつしか一晩中見ている日もあった。 
 それは、いつからだったかな。

「ああ……そうだ。あれから……か」

 私の瞳をじっと見ながら言ってくれた、あの言葉。
 ――空に浮かぶ星みたいに輝いてて、綺麗だ――って、他の誰でもない、彼がそう言ってくれて。
 それから夜になると、つい空を眺めるようになったんだ、私は。

「……それだけで、いいよね。
 星を見てたら、またあの時を……思い出せるんだから」

 ぼんやりそう思いながら、私は身体を起こし、立ち上がろうとして――また、膝をついた。

「あ……れ?」

 全身が重い――というより、力が入らない。
 やろうと思えば宙にさえ浮けるはずの身体が、全く言うことを聞いてくれない。
 ただぶら下がるだけの両腕さえ重く感じて、立ち上がることもできない。

「こまった……な」

 知識ではなく、直感で感じる。今の自分にはもう”力”が残っていないのだと。
 他の生き物には到底できないこと――つまりヒトに化けたり、”暗示”を掛けたりするたびに、それが薄くなる感覚はしていた。
 普段ならこうはならないけど、今日はあまりにもその回数が多すぎて許容量を超えてしまったのだろう。

「……だいじょうぶ、か」

 そんな思考も、無気力に流されるままどうでもよくなっていく。

「わたし、にんげんじゃ……ないんだから」

 夏の夜ならきっと凍死することもない。さっきから人の気配もしない。
 万が一誰かに見つかっても、回復してから”暗示”でごまかせばいいんだ。

「あそこにも……もどれなくて、いいか」

 クラスメイトにも先生たちにも暗示を掛け、作り上げた私への好意。人気。
 そんなのすべて偽物だったんだから、未練もない。
 効果が薄くなるたびに、無意識のうちに暗示を掛け直して。結局それに気を遣って――
 そんなのよりまた一人でいるほうが、ずっと楽のはずだ。

「ふあ……」

 思わずあくびが出て、瞼がゆっくり閉じていく。

「ああ……いつもとおなじ、だ……」

 強い眠気に包まれて、意識が溶けていくのに抗えない。
 それに、身体が震えるほどの気温でもないのに。

「……やっぱり、さむい……や」

 眠りにつく最後まで、その感覚だけは消えてくれなかった。








「――、――さん、」



 身体が揺れる感覚と共に、声が、宇宙を隔てたような遠さから聞こえる。

「――きて――さん、」

 その声は遠すぎて、誰の声か分からない。
 身体を揺らされても”力”を失った私が動き出すのはたぶん無理だろう。
 さっきまで夢は見ていなかったはずだ。つまり誰かが現実に私を揺らしている。
 じゃあ、私を揺らしているのは、誰だろう。

「しろ――さんっ」

 だんだんと声は近づいて、鮮明になり始める。
 同時に、ふんわりとした心地良いものが生まれるような、奇妙な感覚があった。
 それは温もりを持った毛布にそっと包まれるかのようだ。
 しかし手触りが良いだけではなく、ただ暖かいだけでもない。
 まさに、全身が満たされていく感覚。

「――しろな、さん!」

 その声と言葉で、また目が覚めるように理解した。
 分かっている。分かっているけど、目を開けられない。
 けれど彼にぎゅっと強く手を握られて、私はその手を思わず握り返していて。

「――っ、ああ、よかった……安心したよ」

 その瞬間、何ひとつ否定さえできないほどに、はっきりと分かった。

「白奈、さん、」

 私ひとりで考えた、自分の外見をなぞっただけのちゃちな名前。
 なのに、強制しなくても、暗示を掛け続けなくても、ずっとその名を憶えてくれていた人。
 
「やっと……起きて、くれた。
 声を掛けても、ゆすっても、抱きしめても……ぜんぜん、動かなくて……怖かった」

 今もその名を呼び続けて、私の所へ来てくれた人。
 そうだ。黒石 白奈(くろいし しろな)を、本当に、私の名前にしてくれた人。 

「――かいと、なんだ」
「うん、白奈さん……僕だよ」

 それは他の誰でもない、恢翔だったんだ。

「かいと……どうして……ここに、いるの……?」
「それは探してた、だけで――ふあぁ。
 なのに、白奈さんを見つけたら……安心、しちゃったのかな。
 僕もついさっきまでは……疲れて、寝ちゃってたと思う」

 私のまぶたが徐々に開いていくと、恢翔が自分の目を手で拭っているのが見える。
 彼の向こうに見える空の色は、青と白が混ざり始める夜明けに変わっていた。

「わたしの、こと……見捨てたんじゃ、なかったの」
「えっ?」
「あのとき……恢翔は、私のやってきたことを……良くない、って……」

 どこか責めるような私の言い方にも、恢翔は物怖じせずに返事する。

「それは……だって、みんな楽しみに待って、観覧車に並んでたんだよ。
 その人達を無視して、僕たちだけ抜け駆けするのはやっぱり……良くないことだと思う」
「ぬけ……がけ?」
「あの時並んでた人達までは、さすがに思い出せないけど……。
 遊園地の人や、一緒に来たみんなにだけでも謝りに行こうよ。僕も行くから」
「……それだけ、なの?」
「それだけって……他にもなにかよくない事、してたの?」

 その言葉は驚くほどすんなり頭の中に入って――驚くほどあっけない内容だった。

「が……学校の、ことは?
 私が人気者だったなんて、全部ウソなんだよ?
 何の努力も苦労もせずに、みんなから好かれたかっただけのくせに、って蔑まないの?
 私のやってきた事なんて……ひたすらに無駄で、ずるくて卑怯な事だって。
 私を、人の心を弄んできた、醜い化け物だって……ほんの少しでも、思わなかったの?」

 自分に言い聞かせるような私の呟きに、

「思ったこと、ないけど」

 いつもの調子で、彼はあっけらかんと言いのける。

「そん、なの……おかしい、よ……どうして……なんで……っ」

 目の裏が熱くなって、私の視界がぼやける。
 頬を伝う大粒の滴など気にもならなくて、ただ私は彼に問い続ける。

「それは……ごめんね、僕にもよくわからない。
 だって、暗示……っていうのがあっても無くても、同じだよ。
 白奈さんはやっぱり白奈さんで――なんにも変わったりしない。
 だから、すぐにでも探して、一緒に帰ろうって思っただけ、かな」
「恢翔は……理由もないのに、一人で……朝が来るまで、私を……探してたの?」
「白奈さんのおかげで成績は上がったけど……やっぱり難しいことってニガテだし。
 考えるより先に、白奈さんとはちゃんと話しておきたかったんだ」

 真実を知ってしまえば、誰もが私を蔑んで、卑怯だと言って当然だと、ずっと私はそう信じていた――はずなのに。
 彼はそんな私の意志さえも捻じ曲げてしまう。

「ねえ……どうして……どうしてっ。
 学校ではじめて会ったときから、わたしの名前を知ってて。
 ずっとそれを……覚えててくれたの……?」

 ずっと私の心の片隅で引っ掛かっていた疑問が、無意識に口から洩れていた。

「どうしてって聞かれても……やっぱり、わかんないや。
 白奈さんとは、ホントはたくさん思い出があったのか、ちょっと知り合いだっただけなのか……いや、どこかで名前を聞いただけかもしれないよ。
 でもこんなんじゃ、白奈さんだって納得できないよね。
 はっきり答えられなくて、ごめん」

 それを私さえ思い出せないのも、知ることができないのも、あまりにもどかしい。
 だけど――その理由があるのとないのと、どちらがより、嬉しいことなのか。
 きっとその答えは、私にも分からないんだ。

「……それでも。白奈さんのことを探してた理由だけなら、僕にも見つかったよ」

 無意識に握りしめていた彼の手が、私をまた強く握り返す。
 星にならなくても、私を見て、想ってくれる人がいることをその手が伝えてくれる。

「白奈さんとは、もっともっと仲良くなりたいって――ずっと思ってたから」

 いつものような彼の笑顔が、まだ薄暗い景色の中でも私にははっきりと見えていた。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 夏休みが終わり、新学期が始まる始業式の日になった。
 あの一件の後、私は自分の事を包み隠さず、全てを恢翔に打ち明けた。
 どこまで正確に伝わったかは分からないけど、彼が即座に返した一言はこうだった。

「それならちょうどよかった、一緒に住もうよ!」

 その言葉で意識がまた止まりかけた、いや止まっていたと思う。
 冷静になって聞き直すとその一言は、『恢翔の姉弟である長女のお姉さんが海外でずっとバックパッカーを続けていて、使われていないままの部屋がある。いつ帰ってくるかも分からないので、そのまま放置するのも勿体ないから』という内容の、荒い要約だった。
 それはそれで期待外れ――とまでは流石に思ってないけども、私にとってはじれったさと嬉しさの入り混じりで、身を捩る日々だ。

「いいの……かな。ここまで、してもらって」

 二人並んで登校する道すがら、私達はそのことを話す。

「遠慮したくなるのもわかるけど、いいんだよ。
 白奈さんと一緒にいられる時間が増えるなら、嬉しくってしかたないぐらい」
「またそういうこと……平気で言えちゃうの、ほんとうに……ずるい、恢翔」

 『羨ましい』とは、まだ正直に言えず。
 恢翔は久しぶりに友人と会える嬉しさから小走りになり、私もそれに倣う。
 それから、教室の前に立った恢翔が勢いよく扉を開けた。

「おはよー!」

 元気のいい恢翔の声が響くと、それに気づいた何人かが挨拶を返して、さらに数人がこっちに歩いてきた。

「おーっす、恢翔ぉ!」
「桐生くん、久しぶり」
「あれ、伊織さん髪切ったの?すごく短くなってる」
「う、うん。こっちのほうがいいって言われたから……仕方なく、かな」
「いやオレ、似合うかもなーって言っただけだか――イタイイタイ殴るのヤメテ!」

 クラスメイトたちが気さくに恢翔に話しかけ、恢翔も和やかに応える。今の私のことは”恢翔と一緒に入ってきた女子の誰か”程度にしか認識していないだろう。
 あれから私はクラスメイトの誰にも”暗示”を掛けずに過ごしてきたからだ。
 私の暗示は、お互いに好意を抱いていなければ一か月も経たないうちに効力がほぼ消えてしまう。それは経験で知っていた。
 数分後、何人かは軽い挨拶を終えると自分の席に戻っていく。

「そういや、一緒に入って来たそこの子……あの、えっと、えーっと……あれ?」
「……結城、紳士とか言って気取ってたくせに、ついに女の子の名前まで忘れたの?」

 背の低い男子と、眼鏡を掛けた女の子は残り、私を見て話しかけてきた。

「いや、覚えてないことはない、はずなんだけど……なんか違うんだよな。
 あれだよ、イメチェンしてきたからだよ!ほら見違えてるもん!」
「またテキトーなこと言ってる……。
 んー……でもごめん、わたしも……思い出せなくて」

 今の私は人間に擬態した”仮の姿”だ。
 背中にある触手や毛は引っ込めているし、人外であることを際立たせる特徴は隠したまま、どこにでもいる普通の少女の姿になっている。
 ――親友だって、相手の知らない事はたくさんある。ホントのことを教えるのは、仲良くなって、友達になってからでもいいと思う。その時は僕も協力するから――と。
 暗示を使わない交流を不安がる私に、恢翔はそう言ってくれた。
 
「……いいよ。私の事が分からないのは、無理もないから」
「黒石さん……いや、白奈さんのこと、みんなはほんとに覚えてないの?」

 恢翔が確かめるように聞くと、背の低い男子が答える。

「やー、なんでだろうな……?
 でもよく恢翔のそばにいたことは覚えてて……なのに、なんか忘れてんだよ」

 すると、たまたま近くを通ったスポーツ刈りの男子が彼に横やりを入れる。

「……それ、お前が伊織と付き合いだして、他の子に興味なくしただけじゃねーの?」
「なっ……!?」
「えっ!?ちょっ、はっ?!なんでオマエがそれ知ってんだよ?!」
「カマかけただけなのに、大当たりとは……。
 ていうか遊園地、観覧車、二人きり……これで何も起きないワケねーだろ!」
「ばばバカ言うな、そーいうアレはしてねえぞ!フジュンイセーコーユーもしてねえし!
 ていうかオマエも同じ日に同じコトしてたよなぁ?!同じアナの雪と女王じゃねーか!」

 賑やかに騒ぐみんなは他愛もない話で盛り上がる。
 それから会話の流れが一旦落ち着いたところで、恢翔が話を切り出した。

「えーっとね、それでまた早速の話なんだけど……。
 またみんなで遊びに行く予定を考えてたんだ」
「お、おおー、いいねぇー!待ってました!」

 早く話題を変えたいのか、背の低い男子――結城くんがそれに相槌を打つ。

「それで、今回は黒石さん……つまり白奈さんが、いっぱい計画の案を出してくれたよ」
「へえ……気になるね」
「じゃあ、詳しい話は白奈さんにお願いしてもいいかな」
「……うん。ありがとう、恢翔」
 
 背の低い男子と、眼鏡を掛けた女の子を私は交互に見る。
 緊張で身体も声も震えてしまいそうになるけれど、いつもの恢翔の笑顔が視界の端で見えたら、そんな不安がすっと掻き消えていく気がした。

「二人とも、遊園地の時は……いろいろ騒がせて、迷惑も掛けて、ごめんね」
「いやーいいよいいよ、ていうかそのへんは後から恢翔に聞いただけだし、オレも伊織も」
「……もうちょっと言い方あるでしょ?」
「す、すんません……」
「うん……でも予定はちゃんと考えてきたから、聞いてくれると嬉しいな」

 恢翔と一緒に居られるなら、それだけでもいい。
 けど、そんな彼の友達と私が友達になれるのは、もっと良いことだ。
 恢翔を好きなみんなと一緒にいれば、今でさえ誰より好きな恢翔のことを、もっともっと好きになっていける。
 きっとそれは、とても楽しくて、嬉しいことで。

「結城くんに、伊織さん……恢翔。
 みんなで一緒に行ってみたい所、たくさんあるんだ」

 だから私は、色んな人と友達になりたい。
19/01/07 21:17更新 / しおやき

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回のSSは、桐生デンジ氏に許可を頂きアイディア(ストーリーのアウトライン)をお借りして作成したものです。
創作意欲を掻き立てられるネタをありがとうございました。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33