読切小説
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地を這う者たちと堕戦士
 辺りは闇に覆われていた。所々にたき火はあるが、濃い闇の中では心もとない。たき火のそばにいる人々は、恐怖と疲労で顔が歪んでいる。
 男が一人、たき火のそばで酒を飲んでいた。髪はもつれ、服は土と血で汚れている。そばに置いてある槍は、ぬぐい切れなかった血がこびりついている。沈鬱なまなざしで火を見つめながら、革袋から直接葡萄酒を飲んでいた。
「他の連中が女を抱いているのに、お前は酒を飲むだけかよ」
 通りかかった男が嗤う。岩や草の物陰からは、男の荒い息と女の喘ぎ声が聞こえてくる。
「うるせえ!」
 酒を飲んでいる男は、横目でにらみながら怒鳴る。
「死ぬ前に女を抱かずに酒かよ」
「うるせえ!消えろ!」
 男は酒を置き、槍をつかむ。目は憎悪で血走っている。
 嗤った男は、馬鹿にしたように背を向けて足早に去って行った。
 男は、その背に刺すような視線を突き付け続ける。ゆっくりと槍を置くと、再び革袋を持ち上げて飲み始めた。男の耳には、交わる男女の声が聞こえてくる。
 くだらねえ、そう男はつぶやく。陰鬱なまなざしで炎を見つめながら、男は一人で酒を飲み続けた。

 一人酒を飲み続けるヴァルディの所に、近寄ってくる女がいた。大股で歩く女は、たき火の前で止まる。
「座ってもいいか?」
 低いがよく響く声だ。
「ああ」
 ヴァルディはぶっきらぼうに言う。
 女は座り込み、軽装用の鎧が硬質な音を立てる。女は、長剣を傍らに置いてたき火を見る。男でも振り回すのは難儀な長剣を、女は巧みに振るう。持っていた革袋の栓を抜き、女は酒を飲む。喉の鳴る音が響く。
「ずいぶん活躍しているじゃないか。あんたの名は残るな」
 ヴァルディは、ぶっきらぼうな口調ながら彼女をたたえる。
 ロスヴァイセは、ヴァルディと同じ部隊に所属している。彼女の活躍は、目を見張るものがある。反乱軍の中で最強かもしれない。現に指導部からは、彼女に軍の指揮を執って欲しいという打診があった。だが、彼女はそれを断り、一兵卒として戦っている。
「残しても仕方がないさ」
 ロスヴァイセは、どうでも良さそうに答える。
「お前も活躍している。死兵のようにな」
 ロスヴァイセに皮肉交じりに褒められて、ヴァルディは苦笑する。
 ヴァルディは死を覚悟している。農民たちの反乱の末路は分かり切っている。皇帝、諸侯の連合軍は戦う専門家たちだ。しかも大砲や銃を持っている。槍や鎌、斧で戦う農民たちとは格が違う。
 ヴァルディたちは、昔の砦の跡に立てこもっている。明日には皇帝、諸侯軍は攻撃を仕掛けてくるだろう。帝国中に広がった農民反乱は、皇帝、諸侯軍の行う大虐殺により鎮圧されつつある。ある地方では、虐殺した数千人の屍を川に投げ込んだ。ヴァルディたちを皆殺しにすれば、反乱はほぼ平定される。そして大虐殺は良い見せしめとなり、農奴に対する収奪はこれから長く続くだろう。ヴァルディたち反乱軍は、皆殺しにされるだろう。
 だが彼は、反乱に参加したことを後悔していない。農奴として虐げられて生きてきた。苦痛に満ちた生活を送り、生まれてきたことを呪いながら生きてきた。反乱に参加することで、自分を虐げてきた地主とその犬を屠殺し、役人どもを血祭りにあげた。この者たちと共に収奪を行っていた主神教団の者たちも屠った。ヴァルディは、殺戮を行うことで尊厳を回復したのだ。
 ヴァルディは、戦いの時は先頭に立った。地主である貴族に土地争いの時に兵士として動員され、初歩的な軍事訓練を受けた。歯を四本折られる暴行を受けながら、兵士としての基礎技術を文字通り叩き込まれた。その訓練の成果を、この反乱で十分生かしたのだ。自分が死ぬことを前提にして戦ってきた。今まで生き残れた理由は、運が良かっただけだ。
 ヴァルディは、酒を飲みながら彼女を見る。鎧は、土と血で汚れている。彼同様に汚れた姿だ。だが、汚れていても美女だということは分かる。彫りが深い顔は整っており、体は引き締まっていながら肉感的だ。金色の髪は汚れているが、洗えば素晴らしい輝きを見せるかもしれない。その美女からは、強い存在感が放たれている。ヴァルディたち農民とは別の存在だ。
 なぜ、こいつは俺たちと戦っているのだ?ヴァルディは、内心疑問に思う。ヴァルディたちは農民反乱軍だ。みすぼらしい上に戦向きではない。追い詰められたみじめな反乱軍だ。 ロスヴァイセのような騎士でも貴族でも通用しそうな者とは違う。彼女は場違いなのだ。
 あいつらと一緒にいたほうが似合うのではないか。ヴァルディは、皇帝、諸侯軍のいるほうを見ながらそう思う。皇帝軍の将軍の一人は「勇者」だ。その勇者と共に戦ったほうが似合いそうな気がする。
 「勇者」は、有力諸侯の息子として生まれた。幼いころから文武に優れ、長じてからは指導者としても騎士としても有能さを発揮した。彼は、二十歳の時に神に認められて勇者となった。そして現在、彼は皇女の婚約者となっている。
 ヴァルディは、地主の領地を通る彼を見上げたことがあった。泥の上に這いつくばりながら見上げる彼を、勇者は見向きもせずに過ぎていった。たくましい長身に白銀の鎧を身に着け、輝く毛並みの白馬にまたがっていた。兜を外していたためにその顔が見えた。精悍な顔は整っており、青氷色の瞳からは強い力が放たれていた。ヴァルディは、その姿を見て彼が「選ばれた者」だとはっきりと分かった。自分とは全く違う存在だと思い知らされたのだ。
 俺は地を這う虫けらだ。奴のような選ばれた者とは違う。ヴァルディは酒を飲みながら思う。勇者は、反乱を叩き潰す先頭に立っている。どれだけ多くの農民を虐殺してきたか分からない。俺も奴に殺されるのかもしれない。うまく酔えないまま、ヴァルディは暗鬱な思念に沈んでいく。
 いや、奴は「虐殺」などと思わないだろうな。虫けらを踏み潰した、その程度にしか思わないだろう。勇者は、魔物と戦うための存在だ。魔物に比べれば、農奴など物の数ではないだろう。
 無言で酒を飲む二人の耳に、男女の交わりの音が聞こえてくる。農民反乱軍には多くの女たちがいる。皇帝、諸侯軍は、女子供でも片端から殺す。明日殺されるのならば、最後の夜は快楽に溺れようというのだ。
 もっとも、快楽を味わえない者もいる。ヴァルディに体を許す女はいない。だから彼は酒を飲む。
 まあ、この反乱に参加していい思いもできた。ヴァルディは低く笑う。地主の犬を殺して奪い取った金で女を買うことができた。一人は年増の娼婦、もう一人は子供の娼婦だ。どちらもお世辞にも美人ではない。だが、彼女たちの体を貪ることが出来た。女に相手にされず、娼婦を買う金もなかったヴァルディには、幸福な体験だった。
 それに、こうして奪った酒を飲むことができる。ヴァルディは酒をあおる。地主や役所の蔵から奪った酒は、反乱軍にいきわたっている。ろくに酒を飲むことのできない生活を送っていたヴァルディにとっては、幸福なことだ。
 あとは、明日の戦いで一人でもクソどもをぶち殺す。そしてくたばってやる。天国や地獄があるのか分からないが、さっさとそこに行こう。ヴァルディは、唇を歪めながら考える。あるいは、堕落した者たちが落ちる地獄だとか言う万魔殿へ行こう。主神は俺を歓迎しないだろうが、堕落神なら俺を歓迎するかもしれない。
「神は喜ぶだろうさ。自分をたたえる者たちが死に物狂いで戦うのだから」
 ヴァルディは、唇を歪めて笑う。
 ロスヴァイセは、彼から目をそらす。どこか宙を見つめるようなまなざしとなる。
「神は何とも思わないかも知れない」
 彼女のつぶやきは、夜に吸い込まれた。

 皇帝、諸侯連合軍は、翌日の昼近くに進撃を始めた。のんびりした進軍に見えるが、ヴァルディたちを包囲している。そして宣言や通告は一切なく、攻めかかってきた。皆殺しにする意思が明確だ。
 大砲の轟音が繰り返し響き、石や土が砕ける音と悲鳴が交差する。皇帝、諸侯軍は数十門の大砲を持ち出し、惜しみなく使っている。古い砦の跡は、農民の体と共に砕けていく。農民軍も大砲を撃ち返すが、たった三門しかない。農民たちは旧式の投石機を持ち出しているが、勝負にならない。
 砦の防備が砕けるまで大砲の轟音は続いた。過去の遺物に過ぎない砦跡など、大砲の良い的だ。砕け散った石と土くれが、肉片やちぎれた臓物と共に飛び散る。崩れた壁の跡にはちぎれた手足が転がり、赤黒い模様を作っている。
 砲撃を思う存分楽しんだ後、皇帝、諸侯軍は砦の中へと進撃してきた。大量の銃を撃ち、弓や弩弓で矢を射ながら楽しそうな足取りで攻めかかってくる。農民たちも銃を撃ち、矢を射るが、量が少なすぎる。銃や弓矢が少ないうえに、それらを扱える者が少ないのだ。槍、鎌、斧が農民たちの武器だ。
 皇帝、諸侯軍は、たやすく砦の中へと侵入してきた。彼らの足元には、銃で頭を撃ち抜かれた者や目に矢が刺さっている者が転がっている。死にきれずにもだえ苦しんでいる者もおり、進撃者たちは彼らを切り刻んでいる。
 ヴァルディとロスヴァイセは、大砲で穴の開いた壁の陰に隠れていた。敵を待ち構えて槍と剣を構えている。ヴァルディの頭には、赤く染まった布が巻き付けてある。大砲が壁を撃ち抜いた時に、破片で負傷したのだ。彼の側には、頭の砕けた男が転がっている。壁と一緒に撃ち砕かれたのだ。撃たれた男の脳漿が、ヴァルディの背に付着している。
 ヴァルディから少し離れた所で、神父が神に祈りをささげていた。神父の体にも脳漿が付着している。農民反乱には、神父やシスターも参加している。反乱指導者の一人は神父だ。圧制者やそれに加担する主神教団を憎み、農民たちと共に戦う聖職者もいるのだ。
 ヴァルディの右斜め前方に、砦の居住地区跡がある。そこへ敵兵たちが嬉々として入っていく。女たちがそこに隠れているのだ。敵兵たちは、女を輪姦してから殺すつもりだろう。女たちがそこに隠れていることは、口伝えされているらしい。続々と敵兵がなだれ込んでいく。
 轟音が響き渡った。居住地区の建物が、黒煙と炎と共に吹き飛ぶ。ヴァルディは地に体を伏せる。彼の背に石の破片が降り注ぐ。地に顔を付けながら、ヴァルディは笑う。敵は罠にかかったのだ。女たちのいる居住区には、爆薬が仕掛けてあった。女たちは、自分たちを犯そうとする敵兵を呼び寄せ、自分ごと敵を爆殺したのだ。
 砦の各所で爆発が起こる。農民たちは、次々と敵もろとも自爆しているのだ。農民たちをなめてかかり、虐殺を堪能しようとしていた兵士たちは、肉片を飛び散らせている。
 ヴァルディは、笑いを抑えることができない。自爆した農民たちは、喜びと共に砕け散っただろう。圧制者の下で苦痛に満ちた人生を送ってきたのだ。自分を虐げる圧制者の犬を殺戮することが出来たのだ。農民たちにとって、自爆した時は人生で最も喜びに満ちた時だっただろう。ヴァルディは、そのことを体で分かっている。
 讃美歌が聞こえてきた。初めは一人が微かに歌っていた。次第に歌う者が二人、三人と増えていく。やがて砦の各所に讃美歌が響き渡る。農民たちは、恍惚とした表情で歌っている。その歌は、通常の讃美歌とは違う。現世を呪い、人生を呪う内容に改変されている。そして死を望む歌となっていた。虐げられ続け、自分を、全てを憎みながら生きて来た者たちの歌だ。
 俺たちの本当の意思が出たか。ヴァルディは、苦痛と歓喜の合わさった顔で想う。主神教団は、ヴァルディたち農民反乱軍を異端と非難している。神に背き、破門された神父に扇動された異端者だと。確かに、彼らは神に背く異端者かもしれない。全ての救いを断念し、死を望む者たちだから。
 ヴァルディは、槍を構えて前方を見る。自爆で少し崩れた敵側に、農民たちが次々と突き進んでいる。敵側はすぐに体制を整え、銃を撃ち、矢を射る。農民たちは、飛び跳ねるようにして倒れていく。だが、生き残った者たちは突き進んでいく。彼らは特攻しているのだ。次々と撃ち倒され、その屍を後続の者が踏み越えていく。槍で突きかかり、斧を叩きこむ。
 ヴァルディの胃がせり上がりそうになる。死を覚悟していても、戦いの恐怖は慣れることができない。胃の中身をぶちまけなくなったことが進歩と言える。彼は、血が流れるほど唇を噛みしめて吐き気を抑える。
 神に祈りをささげながら、ヴァルディは前へと飛び出した。槍を構え、敵に向かって走り出していく。主神への祈りか、堕落神への祈りか彼にも分からない。ロスヴァイセも走り出す。
 彼らは、あらかじめ約束された破滅へ向かって突き進んだ。

 辺りには屍が転がっていた。銃で撃たれた者、矢が刺さった者、槍で突かれた者、剣で切り裂かれた者。それらの屍からは、血だけではなく臓物を垂れ流している者もいる。死にきれずに喚き散らし、うめき声をあげている。その大半は農民だ。その者たちを越えながらヴァルディたちは進む。
 銃声が響き、ヴァルディの前を走る農民が倒れる。ヴァルディは彼を避け、そのまま進む。ヴァルディは微笑み、銃を撃つ準備にかかっている者へと槍を突き出す。敵兵は逃げようとするが、槍はその者の腹に刺さる。ヴァルディは、槍をひねりながら突き進める。絶叫とともに血が噴き出し、地面を赤黒く汚す。倒れた敵兵の腹を繰り返し突き刺し、地に臓物をぶちまける。
 辺りは乱戦になっている。特攻がかろうじて功を奏し、進撃してきた敵をかく乱することが出来たのだ。地の利を得ていることも、農民反乱軍の利点だ。ヴァルディの左手側に砕けた壁の山が出来ている。人間の手足がはみ出ており、赤黒い液体が流れ出ている。砦の建物の一角を崩して、敵をつぶしたのだ。
 弾けるような音が響き渡った。ヴァルディの右前方から響いてきた。白馬に載った騎士が、農民兵の頭を剣で砕いたのだ。頭を失った農民が踊るようにして倒れる。白馬はその者の体を踏み越え、進んでくる。騎士は剣を無造作に振り、その度ごとに手や首が飛び、頭が砕け、胸が裂ける。血と肉片、脳漿が騎士の周りで飛び散る。
 白馬の騎士は勇者だ。乱戦に苛立ち、進撃してきたのだ。勇者とそれに続く騎士たちは、農民たちを手早く殺していく。剣で切り裂かれた屍が、馬蹄に踏みにじられていく。
 ロスヴァイセが前に出た。剣を構えて駆け出していく。迎え撃とうとする騎士の馬頭を剣の平で殴る。馬は跳ね上がり、騎士は投げ落とされる。その間隙を縫って、ロスヴァイセは進む。剣を振り、馬頭や馬足を殴っていく。鉄の鎧を着た状態で馬上から地に叩きつけられた騎士たちは、馬に蹴られないように這いながら逃げ回る。
 ロスヴァイセの頭に、白銀の光が襲い掛かる。金属音と共に火花が飛び散った。頭を弾けさせようとする斬撃を、ロスヴァイセは剣で受けたのだ。ロスヴァイセは体制をすぐに立て直し、剣を構える。勇者は再び斬撃を放つ。金属音が繰り返し響き渡り、火花が散る。反撃に出たロスヴァイセの突きを、力に満ちた剣が弾く。
 ヴァルディは見とれそうになるが、すぐに槍を構える。敵の歩兵が槍で突きかかってくる。ヴァルディも槍を突き出す。勇者とロスヴァイセの戦う周りで、双方の兵が剣と槍、斧を振り回し、銀光を反射させながら血をほとばしらせる。地を血泥に変えていく。
 ロスヴァイセが崩れた。剣は離していないが、地に膝をつく。彼女の髪はふり乱れ、体はけいれんしている。女戦士は口元を引き締めて、勇者を見上げて視線を突き立てた。勇者は馬上から見下ろし、剣を振り下ろそうとする。
 ヴァルディは、ロスヴァイセの方へと向かおうとする。役に立たないだろうが、勇者に槍の一突きでもしたい。かつて、這いつくばる自分を傲然と無視した勇者に、殺意を叩きつけたい。だが、彼の周りには歩兵が立ちふさがり、槍を突き刺してくる。ヴァルディは邪魔者に突きを食らわせるが、次々と邪魔者が現れる。
 ロスヴァイセは、膝をつきながら剣を受けた。金属音と火花が弾ける。ついにロスヴァイセの手から剣が落ちた。勇者は、彼女に剣を突き立てようとする。
 辺りが闇に包まれた。闇の中で紫色の光が明滅する。突然の闇と光の交差に、兵たちは驚きの声をあげる。辺りに怒号と悲鳴が響き渡る。
 ヴァルディは、闇と紫光の渦に巻きこまれた。彼は、引きつった怒号をあげる。逃げようとするが、渦は彼を離さない。
 ヴァルディの意識は、渦に飲み込まれた。

 紫色の薄明りに照らされた広間で、ヴァルディは目覚めた。頭を振りながら意識をはっきりさせようとする。
 彼の目の前には、止まった砂時計のオブジェがある。彼が横たわっていた床は、淡く光りなめらかな感触がする。辺りを見回すと、彼と同様に戸惑った様子の農民たちがいる。ロスヴァイセも、少し離れた所で剣を構えている。彼女が、一番気が確かなようだ。
 ヴァルディは、自分の身を確かめた。服装は元のままであり、手には槍がある。戦いの時の負傷はあるが、それ以外に外傷はない。
 彼は、槍を杖代わりにして立ち上がり、状況を把握しようとする。突然、闇と柴光の渦に巻き込まれて、気が付いたら薄明りに照らされた広間にいた。理解できない状況だ。
 俺は死んだのか?天国には見えない。俺は地獄に落ちたのか?ヴァルディは声に出さずにつぶやく。
「まさか、ここは…」
 ロスヴァイセのつぶやきが聞こえた。ヴァルディは彼女を凝視する。ここがどこなのか知っているのかと、問い詰めそうになる。
 巨大な存在感が、彼らの意識を引き付けた。ヴァルディは、弾けるように振り返る。砂時計のオブジェのある空間に、圧倒的な存在がある。ヴァルディは、意識がはっきりしなくなる。その存在はなんだろうか?人なのだろうか?魔物なのだろうか?男なのか?女なのか?拡散する意識の中では、その存在の顔すら判別できない。
 声が聞こえてきた。正確に言うと声ではなく、ヴァルディの意識に直接語りかけていた。彼は驚愕し、体を震わせる。周りの者の反応を見ると、彼らの意識にも語りかけているらしい。
 ようこそ、新たなる我が子たちよ。あなたたちの来訪を歓迎します。
 その存在の声は、感情を抑えたものだった。だが、冷たさはない。語りかけられた者に、深く沈んでいくような声だ。ヴァルディは、その声に安堵を覚えてしまう。だが、なぜかその声に哀しみを感じた。
 あなたたちは、この私、堕落神の庇護の下にいます。もう、何も心憂いることはありません。永劫の安らぎと快楽を約束します。
 その存在は微笑んだような気がした。柴光がゆらめき、消える。同時に、その存在も消えた。後には、薄明りに照らされた空間が残された。
 ヴァルディは、目が覚めたようにあたりを見渡す。いつの間にか、見慣れぬ者たちがヴァルディたちの側にいた。ヴァルディは、自分を見つめている者を注視する。黒衣をまとった女が微笑みながら立っている。黒衣はシスターの服に似ているが、体の曲線を露わにし、深いスリットの目立つ服だ。シスターと似ているが、淫猥さを漂わせる女だ。
「初めまして、新たなる兄弟姉妹たちよ。私たちは、堕落神に仕える聖職者です。あなたたちを歓迎します」
 聖職者と名乗った女は、ヴァルディたちに静かに礼をした。
 ヴァルディは混乱する。堕落神の下へ行くことを考えたことはあったが、実際に来てみると動揺する。混乱した頭のまま、ここは万魔殿かと質問を口走った。
「そのとおりです。あなたたちは、私たちと共に、この時の止まった世界で快楽に満ちた生活をするのです」
 聖職者の言っていることは分かるが、頭の中にうまく収まらない。思わず、快楽という言葉を繰り返してしまう。
 堕落神に仕える女たちは微笑む。そして、身近な所にいる男たちにすり寄り、その体をなでる。
「言葉で説明するよりも、実際に体で教えて差し上げたほうが良いでしょうね。私たちの体をささげましょう。女性の皆さんにも快楽の手引きをして差し上げますよ」
 農民の男たちは、人ならざる女たちに愛撫されるままになっている。農民の女たちは、人ならざる女たちに導かれ、羊のように従順に別室へと誘われていく。
 ヴァルディは、この広間に勇者たちの軍がいないことに気づく。自分たちを皆殺しにしようとした者たちがどこへ行ったのだろうかと、辺りを見回す。
「あなたたちを害する者たちは、捕らえております」
 聖職者は、彼の考えていることを読んだように静かに答える。
「堕落神は優しい方です。ですが、虐殺者に寛大な方ではありません。彼らは石像になっています。時の止まった世界で、堕落神が許されるまで立ち続けます」
 闇の聖職者は、口の端を釣り上げて微笑む。
「もっとも、堕落神は怠惰な方です。許すことを忘れてしまうかもしれません」
 仄暗い笑みを浮かべる女に、ヴァルディは微笑み返す。自分を虐げていた者たちの末路を聞いて、彼は救われた気がした。ただ、どこかうそ寒さも感じていた。
 女は、ヴァルディに柔らかく微笑む。
「あなたには、快楽を味わう相手がすでにいるようですね。残念ですが、私はあきらめましょう」
 女は手で示す。
「さあ、彼女が待っていますよ」
 女が指し示す先には、ロスヴァイセがたたずんでいた。

 ヴァルディは、目の前の女戦士を見つめた。もつれた金髪は汚れており、鎧は土と血で彩られている。鎧同様に汚れた剣は、鈍く光っている。その目と表情は強い意志を見せるが、疲労は隠せない。足はかろうじて踏ん張っている。戦で汚れ、疲弊した女戦士の姿だ。
 だが、ロスヴァイセは美しい。農民ではありえない高貴さ、騎士や貴族ですら及ばない光輝がある。力と美を体現した顔、体は、汚れてもなお美しい。その力を失わない目と引き締められた口は、彼女が強者であることを示す。汚れても輝きを失わない女だ。
 ヴァルディは、女戦士を見つめ続ける。目を離すことが出来ない。反乱のさなかに彼女と出会った時から目が離せなかった。自分とは格が違う存在だと分かっていながら、自分の中から締め出すことは出来なかった。
 ヴァルディは、ロスヴァイセに向かって足を踏み出そうとする。その時、彼女の体は紫光を放ち、闇の渦が覆う。光と闇の放射は、ヴァルディをはねつける。明滅する光と渦巻く闇の交差の中で、ロスヴァイセは変貌していく。ヴァルディの口から意味をなさない声が漏れる。
 ロスヴァイセの背から闇がほとばしった。闇は広がり、翼の形を作る。光の中で髪は広がり、曲線を描く肢体は、弾けるように震える。人ならざる者へと変貌する女の口から絶叫がほとばしる。
 光と闇が収まった時、ヴァルディの前に女が立っていた。銀色の髪を流し、青色の肌を持つ女だ。背には、闇そのもののような翼を広げている。魔性と化した女は、紫水晶を思わせる瞳で彼を見つめている。女は、嫣然と微笑んでいる。
 堕ちた女戦士は、ヴァルディの体に触れた。ゆっくりと胸板を愛撫する。ヴァルディはうめき声をあげる。女の手はひんやりとするが、愛撫された所は熱を持っている。熱は体の奥へと染み込んでいく。女から漂ってくる甘い匂いに頭がふらつく。
 ヴァルディは、堕ちた女を見つめる。その紫水晶の瞳に吸い込まれそうになる。気が付くと、女の口がヴァルディの口をふさいでいた。堕落者の舌が男の唇をなめる。男はゆっくりと口を開き、女と舌を絡ませる。暖かい唾液が二人の間で合わさる。
 黒い翼をもつ女は、かつて共に戦った男の服を脱がしていく。男の肌を露わにしていき、手のひらで愛撫していく。魔性の女はひざまずき、ヴァルディの腰や太ももをなでさする。その手はズボンに手がかかり、ゆっくりと引き下げていく。男は、興奮に震えながら黙って見ているだけだ。
 下履きを脱がし、ヴァルディのペニスがあらわとなる。男を表す物は、戦慄きながら怒張している。魔性の女は、嫣然と微笑みながら見上げる。欲望に震える物を愛しげにさすり、口付けた。男の口から喘ぎ声が漏れると、魔性の女は嬉しげに口付けを繰り返す。そして目を閉じて頬ずりをする。
 女は自分の鎧を脱ぎ、服を脱いでいく。すでに欲望のとりことなっている男は、少しずつ露わになる女の肌を底光りする目で見つめている。男の夢を体現したかのような豊かさと形をした胸が露わとなる。女は見せつけるように胸を持ち上げると、男のペニスを挟み込んだ。
 ヴァルディの口から獣じみた声が漏れた。与えられる快楽に、男の腰が小刻みに震える。女は、胸を上下に動かしたかと思うと、左右を交互に上げ下げをする。そして胸の谷間から現れるペニスの先端に舌をはわせ、唾液を塗り込む。唾液でぬめるペニスを口と胸で愛撫する。
 堕落した女は、ヴァルディの腰を引いて座らせる。男の胸に手を当てて、ゆっくりと押し倒す。されるままになる男の上に立ち、彼女の下半身を露わにしていく。女の股は鈍く光っていた。銀色の陰毛は濡れそぼち、広間を照らす薄明りで輝いている。期待に震える男の鼻に甘酸っぱい匂いが漂ってくる。
 女は、ヴァルディの下腹部の上に腰を下ろした。女の肉の泉は、男の怒張する物を飲み込んでいく。ぬめる肉の渦が彼のペニスを包み込み、ゆっくりと奥へと引き込んでいく。そして渦は、緩急を付けながらペニスを引き絞る。快楽に震える男は、途切れ途切れの声を漏らす。
 堕落した女は、嫣然とした微笑みを浮かべながら見下ろしている。その表情が歓喜に歪んだ。男の腰が激しい快楽に襲われる。女は、腰をゆすり動かしながら男のペニスを責めているのだ。その動きは、初めはゆっくりと、次第に踊るように激しくなる。
 快楽のとりことなった男は、腰を突き上げた。獣じみた声が女の口からほとばしる。同時に、黒い翼が弾けるように広がる。二人の腰と腰の間からは、淫猥な水音が絶え間なく響く。
 男は、女の腰と太ももをつかみ、力を込めて突き上げる。快楽に溺れる女は、甲高い嬌声をあげる。女の泉の中はけいれんし、蜜の奔流をほとばしらせる。その熱いほとばしりは、男を限界へ叩き込む。
 男のペニスは弾けた。性の欲望の激流が女の中へぶちまけられる。男は快感に震える。農民に過ぎない男の子種汁が、魔に染まった美女の中へと射出されているのだ。男は、獣じみた歓喜の声をあげる。腰の奥に力を入れて精液を放ち、堕落した女戦士の子宮を打ち抜く。雌けだものとなった女戦士は咆哮をあげる。
 ロスヴァイセは、ヴァルディの上に倒れた。二人は、抱き合いながら震えている。互いの振動が相手を震わせる。その痙攣は、時間をかけてゆっくりと収まっていく。
 ヴァルディは顔を上げ、自分と共に性に狂った女を見つめた。ロスヴァイセはゆっくりと顔を上げ、男を見つめる。二人は、無言のまま見つめ続ける。
 二人の口が重なった。相手を引き寄せ、抱きしめ合う。
 薄明りに照らされた世界で、二人の堕落者は抱きしめ合っていた。

 繰り返し性の快楽の溺れ、疲れると眠りにつく。目を覚ますと、また快楽に溺れる。ヴァルディとロスヴァイセは、どれだけ交わり合ったか分からない。二人は、時間を忘れて快楽の中に浸った。
 時間など意味はないだろう。万魔殿は、時の止まった世界なのだから。永劫の安寧と快楽が約束された場所なのだから。ある者にとっては楽園で、ある者にとっては牢獄だ。だが、そのいずれにしろ甘美なものかもしれない。
 ロスヴァイセは、数えきれない快楽の交わりのあと、ヴァルディの腕の中で自分のことについて語った。
 彼女は、天界の戦乙女ヴァルキリーだった。主神の命に従い、魔物を討つために人間を助けることが彼女の使命だ。彼女は天界から地上に降臨し、力の限りを尽くしてその命に従い続けた。
 だがロスヴァイセは、次第にその命に疑問を持つようになった。皇帝や王、諸侯などの支配者たちは圧制を行い、その配下にある貴族、騎士、官僚たちは収奪を行っている。新興勢力である商人たちは、権力者と結んで暴利を貪る。権力者をいさめ、民衆を守るはずの主神教団は、権力者として収奪に加担している。民衆を虐げているのは、魔物ではなくて人間の権力者ではないのか?
 彼女の疑念は、神に選ばれたはずの「勇者」の行う暴虐で決定的となる。「勇者」は、支配者の一人として民衆を虐待し、虐殺していた。人間の権力者とその犬こそ神の子たる民衆の敵だと、ロスヴァイセは確信する。そして、暴虐者を「勇者」として選ぶ神に絶望した。
 圧制の荒れ狂っていた帝国で、ついに農民たちが大規模な反乱を起こした。主神教団に絶望した神父やシスターも参加する。ロスヴァイセは、反逆した聖職者を見習い自分も反乱に参加する。人間になりすまし、一戦士として戦場を駆け巡った。
 ロスヴァイセは、自分の試みが成功するとは考えていない。農民反乱の末路は目に見えている。自分も敗れるだろう。ヴァルディ同様に、破滅を前提として戦いに飛び込んだのだ。神に背き、人間に未来を見いだせない彼女は、反逆の果てに滅びることを望んだ。
 ロスヴァイセにとって誤算だったことは、堕落神に捕らわれたことだ。ヴァルキリーが堕落神側に寝返る事態は知っていた。だが、しょせんは退廃に沈む神に過ぎない。民衆の絶望的な戦いなど見向きもしない、民衆に加担するロスヴァイセに関心を示さないと考えていたのだ。
 ロスヴァイセは語り終えると、ヴァルディを抱きしめて口付けた。そして再び快楽の交わりに溺れようとする。ヴァルディは、彼女に応えてその体を貪る。
 快楽の宴はいつ果てるともなく続く。二人は、互いの体の感触、暖かさ、匂い、味を知り尽くそうとする。二人の体は性の汚れでぬめり、辺りには濃厚な性臭が充満する。どれだけ快楽を味わっても物足りない。時の止まった世界で、終わりのない快楽の宴を続ける。
 そうだ、快楽だ。それが全てだ。俺たちはどこまでも堕ちていけばいいのだ。ヴァルディは、ロスヴァイセの体に耽溺しながら想う。
 快楽さえあれば、痛みを、苦しみを忘れることができる。俺はこの女と堕ちていこう。どこまでも堕ちていこう。永劫の安らぎを得られる時まで。
 二人の堕落者は、悦楽と安寧の淵に沈んでいった。

 
16/10/15 13:56更新 / 鬼畜軍曹

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