連載小説
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最終話「ときはながれる」
 午前七時。起床。
 同じ布団で眠る博人とマギウスが、揃って上体を起こす。
 タイミングが乱れたことはない。二人が同じ床で眠りについてから、同時起床は当たり前のものとなっていた。
 
「おはようございます。ヒロト様」

 最初に意識を覚醒させたマギウスが、未だ寝ぼけ眼な博人に声をかける。起床のタイミングは不変だったが、起床後の第一声を誰が掛けるのかは日によって異なった。今日はその役目が、たまたまマギウスになっただけである。
 
「さあヒロト様、起きましょうね」
「うん……」

 マギウスが博人の頭を優しく撫でる。マギウスの優しさを感じながら、博人が目を二の腕でこする。やがて博人が意識を取り戻し、ゆっくりマギウスの方を向く。
 
「……おはよう」
「はい、おはようございます」

 博人からの挨拶に、マギウスが笑顔で答える。マギウスの笑顔を見て、博人も自然と笑みを浮かべる。
 
「――ふふっ」
「あははっ」

 腰から下を薄い毛布で隠したまま、二人が静かに笑いあう。暖かな空気が周囲に溢れ、青年とキキーモラの心を甘く解していく。
 そしてどちらからともなく、相手に向かって顔を近づける。
 
「マギウス……」
「ヒロト様――」

 互いの名を呼ぶ。目を閉じ、唇を重ね合わせる。
 おはようのキス。愛し合うためではなく、互いの存在を認識しあうための、フレンチなキス。
 唇の形がふにゃりと崩れる。そのまま数秒、愛する人の感触と体温を共有する。
 
「ん……」

 数秒後、二人が顔を離す。十分離れたところで、再び互いに頬を緩める。
 
「今日もよろしくお願いしますね、ヒロト様」
「うん。よろしく、マギウス」

 恋人の名を呼び、恋人に名を呼ばれる。キスからの一連の流れで完全に目が醒める。
 二人が同じ床で眠りについてから、この流れも「定番」となっていた。
 好きな人と好きなことをして、何が悪いと言うのだろう。
 
「お祖母様も起きていらっしゃることですし、私達も起きましょうか」
「そうだね。朝ご飯の手伝いしないとね」

 そう言葉を交わしながら、毛布を除けて同時に立ち上がる。そのまま同じ部屋で着替え、手を繋いで部屋を出る。もう二人とも、己の裸を晒すことに何の抵抗も無かった。
 ちなみに二人の関係は、祖母も「完璧」に――どこまで知っているのか、突っ込むのは野暮である――把握していた。むしろそれは祖母公認の仲であり、同じ部屋で寝るよう博人とマギウスに提案したのも祖母である。
 老婆心というやつだ。余計なお世話とも言うが、二人は祖母に感謝していた。
 
「今日も一日、頑張りましょうね」
「うん」

 マギウスが声をかけ、博人が頷いて答える。
 二人の爽やかな朝は、いつもこうして始まるのだった。
 
 
 
 
 その日は午前中からシバの店で仕事をすることになっていた。朝食を済ませ、家事手伝いを終わらせた後、博人は早速店に向かった。正直もっとマギウスと一緒にいたかったが、彼はその誘惑をなんとか跳ね除け、玄関から飛び出すことに成功した。
 
「やあ坊ちゃん。おはよう。今日も時間通りだね」

 午前十時。博人はシバの店に到着した。午前十時から午後四時までが、今日の彼の労働時間だった。博人はフルタイムで働きたいとも思っていたが、シバは彼にそこまでさせる気は無かった。
 
「坊ちゃんはまだ子供だ。本当は学校に行って、勉強したり青春したりする年頃なんだ。一日中仕事して過ごすにはまだ早いよ」

 それがかつて博人の希望を聞いた時の、シバの見解だった。博人は自分を助けてくれたマギウスや祖母に恩返しがしたい――金銭的な面で――と思っていたのだが、シバのその返答を聞いた彼は出鼻をくじかれた格好になった。
 しかしそうして渋る博人に、シバは笑って言った。
 
「いいんだよ、それで。遠慮しないでもっと二人に甘えなさいな。あんたはまだ本調子じゃないんだ。無理しちゃいけないよ」

 良くないだろう。真面目な博人はそう思ったが、それ以上シバに反論することはしなかった。彼女と知り合って以降、彼が舌戦でシバに勝てたことは一度も無い。
 故に彼は、今までシバの言う通りにしてきた。労働はあくまでパートタイム、出来るだけ短時間で働くことにしたのだ。
 閑話休題。今日も博人はシバの言う通り、短時間労働に従事した。
 
「ところで坊ちゃん、学校に行ってみないかい?」

 そしてその日の昼休み、シバが唐突に博人に問うた。博人は驚き、マギウス謹製の弁当を食べる手を止めシバを見た。
 
「いきなりどうしたんですか?」
「いや、この前坊ちゃんとこの婆さまと話してね。学校の話になったんだよ。そこでどこかいい場所は無いかって、婆さまに言われてね」

 いい場所を知っている。シバは博人の祖母にそう言ったという。復学先に最適な場所があると聞いた博人は、しかし素直に喜ばなかった。
 
「学校……」

 そう呟いてしかめ面を見せる。当然の反応だ。そもそも彼がこうなった原因は学校にあるからだ。少なくとも博人はそう思っていた。
 だがシバは、その反応も織り込み済みだった。渋る博人に対し、不敵に笑って言葉を告げる。
 
「大丈夫だよ。私がおすすめしたのは魔界の学校だからね」
「魔界?」
「ああそうさ。こっちの世界、人間の世界じゃない。私やマギウスみたいなモンが暮らしてる世界の学校だ。人間の学校とは大違いさ」

 シバが言う。具体的にどう違うのだろう。博人は疑問に思った。
 無論シバはそれにも気づいた。彼の心の微かな揺れを、この刑部狸は敏感に察知した――魔物娘は、こういったことには敏感なのだ。
 
「気になるかい?」

 魔物娘が切り込む。博人が目を見開き、シバを見る。
 シバがまっすぐ博人を見返す。そして小さく笑い、博人に言う。
 
「安心して。魔物娘はみんないい子だよ」

 その言葉は、博人の心中にずっしりと響いた。同時に博人は、シバのその言葉を信じてみようとも思った。既にマギウスやシバと言った魔物娘の面々と知り合い、その優しさに触れていたからだ。
 彼はここで初めて、彼女達以外の魔物娘に関心を持った。外の世界に目を向け直す、第一歩を踏み出したのである。
 
 
 
 
 午後四時。
 その日の仕事を終え祖母の家へ帰る道中、博人はずっと件の「学校」について思いを巡らせていた。彼の両目は眼前に伸びる道を見据えていたが、意識は道を見ず心の中へ向けられていた。思考に拠らない、体に染みついた帰巣本能が、今の彼を動かしていた。
 危なっかしいことこの上ないが、ここではすれ違う人も物もいない。田舎だから出来る芸当である――現実で真似してはいけない。
 
「……」

 「学校」に対する彼の心境は、不安と期待が半分ずつといったところであった。シバの言葉を疑うわけではないが、それでも怖いものは怖い。未知の事物を堂々と待ち構えていられるほど、彼の精神は図太くはなかった。
 
「ううん……」

 だがその一方で、彼は「今のままではいけない」とも思っていた。シバの言う通り、今は素直に学校に行くべきではないのか。真面目な博人はお節介焼きな店主の忠言を額面通り受け取っていた。それが期待と好奇心にも繋がっていた。
 シバは人間のそれとは違うと言っていた。いったいどんな風に違うのだろう。まだ見ぬ風景に、博人は想いを寄せた。一方で過度な期待は禁物であると、浮かれる自分に釘を刺す自分もいた。そうして正負が正面からぶつかり合い、彼の心は左右交互に揺れ動いていた。
 生殺しだ。気になってしょうがない。心がざわつく。自然と動悸が激しくなり、息が荒くなる。
 
「あ」

 そこで体が止まる。いつの間にか家に到着していたようだ。思索に没頭するあまり、周りが全く見えていなかった。
 ついでに言うと、玄関前でマギウスが待っていたのに気づいたのもその時だった。博人が顔を上げ、マギウスの方へ視線を向けると、マギウスはにこやかに笑って彼に声をかけた。
 
「ヒロト様、おかえりなさいませ」
「……待っててくれてたの?」
「はい。朝方、ヒロト様がこのくらいの時間に帰ると申されておりましたので。前もってお待ちしていました」

 驚きながら問う博人に、マギウスが迷いなく答える。確かに自分は家を出る時に今日のシフトを教えていたが、そこからこう来るとは。初めて見せるマギウスの行動を前に、博人は面食らった。
 
「いきなりどうしたの? 今まではこんなことしなかったのに」

 そして博人はすぐさま問いかけた。疑問を疑問のままにはしておけなかった。対してマギウスは頬を赤らめ、視線を逸らして恥ずかしげに答えた。
 
「その、なんと言いますか……ヒロト様のことが待ちきれなくなりまして、つい……」
「それで家の前で待ってたってこと?」
「は、はい……我慢の効かない従僕で申し訳ございません……」

 俯き、申し訳なさそうにマギウスが言う。
 可愛い。博人はそんな彼女を見て素直にそう思った。マギウスは己を抑制できない自分自身を恥じているようだったが、博人はその奥ゆかしさすらも愛おしく感じた。
 そしてこの瞬間、博人も己を制御出来なくなった。
 
「マギウス」
 
 声をかけながら、博人が歩き出す。名を呼ばれたマギウスが反射的に顔を上げる。自分に向かって歩いてくる博人の姿が視界に映る。
 博人の歩みは速く、迷いが無かった。マギウスにそれを避ける暇は無かった。ただ正面から、博人の体を受けとめる以外になかった。
 
「あの、ヒロト様?」

 突然のことにマギウスが驚く。そのマギウスの胸元に顔を埋め、腰に手を回し、密着するように強く抱きしめながら、博人が小さな声で呟く。
 
「マギウス、可愛い」
「な――」

 突然の発言に、マギウスの思考がフリーズする。
 畳みかけるように博人が言う。
 
「好きです、マギウス」
「あ」

 キキーモラの魔力に――いつものように――中てられた博人が、想いの丈をぶちまける。マギウスもまた、それをきっかけにして自我を取り戻す。
 そして我に返ると同時に、自分もまた博人の背中に手を回し、彼の体を抱き締め返す。
 
「……私も好きです、ヒロト様」

 告白に告白で返す。二人の周りを甘い空気が包み、互いの心を柔らかく溶かしていく。博人の心の中にあった不安や焦りが氷解し、それによって空いたスペースがマギウスへの愛情で満たされていく。心が愛でいっぱいになる。
 マギウスがいれば何も怖くない。マギウスと一緒ならどんなことでも乗り越えられる。博人はマギウスと共にいられることを、心の底から嬉しく思っていた。
 
「マギウス。僕今日、学校のこと聞いたんだ」
「学校?」
「うん。魔界にある学校のこと。そこに行ってみないかって、シバさんに言われたんだ」
「まあ。そうなのですか? ですがヒロト様、お体の方は大丈夫なのですか?」

 博人の言葉を聞いたマギウスが、真っ先に彼の体調を気にかける。その優しさが何より嬉しく、頼もしく愛おしい。博人の顔に自然と笑みが浮かぶ。
 
「僕なら大丈夫。それに今すぐ行くって決まった訳じゃないし。僕もすぐに行きたいってわけでもないし」

 マギウスの胸元に顔を沈め、彼女の心音を聞きながら、博人がしみじみ語る。マギウスはそれを聞いて安堵し――我ながら浅ましいとは思ったが、心は偽れない――そのまま博人に問い返した。
 
「それではヒロト様は、今は何をなさりたいですか?」

 ヒロト様の望むままに致しましょう。マギウスが優しく告げる。主を支えんとするキキーモラの本能が、彼女を突き動かす。
 それが博人の活力になる。彼の心を支え、癒し、前へと歩かせる原動力となる。今の博人は、もうマギウス無しには生きられなくなっていた。
 だから博人は、どこまでも自分に正直になった。
 
「今は、マギウスと一緒にいたい」
「……!」

 直後、マギウスの体がぶるぶる震える。悦びが魂の閾値を越え、心が声にならない叫びをあげ、精神が高みへ飛翔する。
 言葉だけで軽くイってしまった。ああ、はしたない。でもとっても素敵。マギウスは愛欲に蕩けた顔を浮かべながら、博人の言葉に応えた。
 
「私も、ヒロト様と一緒にいとうございますわ……」
「本当に?」

 博人が反応する。抱きしめたまま、マギウスが言う。
 
「もちろん本当でございます。今日も明日も、この先もずうっと。私はヒロト様と共におります」

 愛のままに。心のままに。
 
「私はもう、ヒロト様のものでございますから♡」

 キキーモラが優しく告げる。博人は言葉で返答する代わりに、彼女の体をより強く抱きしめる。マギウスもそれに応じるように、博人の背に回した腕に力を込める。
 二人を取り巻く魔力が一層濃さを増す。爛れた空気が理性を溶かし、肉への渇望をより強くさせていく。
 暗い欲望の誘い。博人もマギウスもそれを拒まなかった。共に体を離し、互いに顔を見合わせて怪しく微笑む。
 
「まだお夕食までは時間がございます。その間に、一緒に入浴いたしましょう……♡」
「うん♪」
 
 
 
 
 壊れた心を愛で癒し、記憶の傷を幸せで埋める。それはこの二人にしか出来ない、二人だけの精神療法。
 芽生えた愛が光となり、芽吹いた感情が未来を照らす。
 真夏に出会った二人の道は、これからも永久に続くのであった。
18/10/22 19:59更新 / 黒尻尾
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