読切小説
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ショゴスちゃんは奉仕がしたい
 大学生の一人暮らしというのは、とかく家事を怠りやすい。
 洗濯然り、炊事然り、掃除然り。
 今まで両親がやってくれていた家事一般を不慣れな自分でやらねばならぬという状況もさることながら、同居人の目を憚らなくてよいという環境もまたそれらの仕事を後回しにしてしまう原因となる。
 しかし、たかが家事の後回しと侮るなかれ。
 一時の家事の後回しは恒常的な家事の後回しへと容易に変異し、恒常的な家事の後回しは生活の乱れに繋がる。生活の乱れはこれ即ち、不健康への入り口に立つのと同じことである。
 不健康への入り口に立ってしまえば後は下り坂だ。
 病床に臥せれば己の本分を果たせなくなり、己の本分を果たせなければ、やがて社会から孤立してしまう。

 思うに。
 大学生の一人暮らしなど、そもそもすべきではないのだ。

 無論、それが理想論であることは分かっている。
 いつ何時も両親が傍に居てやれる保証もなければ、望む大学が幸運にも近くにあるとは限らない。ならば、両親が共に壮健であり、望む大学が近くにあるという幸運に恵まれた者以外は大学への道を諦めるべきなのか。
この問いに関していうなれば断じて否である。
 大学に行って学業を修めようとする志の高い人間を応援するのが社会の務めであり、同時に社会がより一層豊かになっていくためには何よりも必要なことだからだ。
 故に私は決意した。
 奉仕種族として生まれた身として、一度は主の元から逃げ出した不肖のショゴス…… 私、サーシャのせめてもの罪滅ぼし。即ち、社会の為にこの命を捧げて奉仕しようと。
 それこそが、己の運命に巡り合う定めであろうと信じて。

 大学の講義で忘れ物をし、仕方なしに隣の席に居た彼に教科書を見せてもらった。以来、彼のことを考える度に胸が高鳴り、夜には寝付けずに居る。
これはきっと不治の病をうつされたに違いない。病原菌の発生元は勿論彼だ。たった一度接触しただけで動悸が収まらないのだから、彼はさぞかし重い症状が出ているのだろう。
 そう考えると、他人事ながら居ても立っても居られなくなり、すぐにでも看病せねばという気になってきてしまう。
しかしながら、赤の他人がいきなり「看病させてくれ」と言っても迷惑なだけだろう。物事には手順がある。
 まずは彼の履修状況を調べて時間割を作成し、それから各授業で座る位置を確認した。そうしてキャンパス内での動線を割り出したら、そこから、一週間ほどかけて交友関係を洗い出す。友人関係は広く、人も魔物も分け隔てなく接している様子ではあるが、どうやら大学生にありがちな不純な異性交遊に関してはまだないようだ。

 よろしくない。これは実によろしくない。
 
 交友関係が広いのは大変結構ではあるものの、彼はどうやらこの大病を患っていることには無自覚らしい。このままでは、周囲がいつ罹患するか分かったものではない。早急に生活環境の改善が必要であると見た。
 時は一刻を争う。
 幸い、帰宅時間の予想はついているし、自宅の位置もぬかりない。少々乱暴な手段を使ってでも、周囲の魔物娘達の症状が悪化する前に一刻も早く、彼の生活環境を改善して、治療してやる必要がある。

「ディンプルキーを採用しているのは防犯的に高得点ですねー」
 指先を不定形に変質させて鍵穴に差し込む。すると、カチャリという小さな音を立てて鍵が開いた。
 今の時刻は11時半。休日の彼はこの時間には大抵家にいる。一人暮らしの男子学生というのは大部分が昼まで寝ている生き物だし、ついでに言うとカップ麺かコンビニ弁当を主食としている生き物だ。
 御主人様のハートは胃袋から掴め、という格言があるし、ここで一つ食事の面倒を見てやればコロリと落ちるに違いない。
「こんにちは! ショゴスのデリバリーですよー!」
「わっ……」
 明るく爽やかに部屋の中に突入すると、小綺麗な1DKの部屋が出迎えてくれて、ついでにフライパンを片手に固まっている東雲君と目が合った。

………

 目の前にあるのはこんもりと美味しそうに盛られた炒飯と湯気を立てている良い香りのするお味噌汁。ほどなくして、炒飯を盛り付けたカレー皿とお味噌汁の入った大きめのマグカップを持った東雲君がやってきて、卓袱台の向かいに座った。
「ごめんねー 一人で食べるつもりだったから、ありあわせの炒飯で許して」
「いえいえ、お気遣いなく」
 皿も不格好でもうしわけないのだけど、と東雲君は苦笑いを浮かべた。
 そもそも、勝手に上がり込んだ上にお昼ご飯を御馳走になっている立場なのでどうか気にしないで欲しい。
「魔物娘って本当に部屋に入ってくるんだね。噂では聞いていたけど、実際にやられてみるとびっくりするね」
「あははは……」
 他愛ない雑談を交わしながら東雲君はカレー皿に盛られた炒飯に箸をつけた。
 料理は見た目が重要だというけれど、自分で食べるとなるとどうしても手を抜きがちだ。カレー皿に盛られた炒飯というのは、少しばかり不格好には見えたかもしれないけれど、それはそれで美味しそうである。
 東雲君は一口食べると満足気な表情で頷いた。
「あれ? 食べないの?」
「あ…… いえ、頂きます」 
「あ、もしかして…… 割りばしの方が良かった?」
「いやいやいやいや、そうじゃなくて」
 他人が使ったスプーンとか気になるよね、と再び立ち上がろうとする彼を制する。
 そうじゃない。そういうことではないのだ。
 この際、美味しそうな炒飯というのは大した問題ではない。箸だ、スプーンだというのも、自分で用意できる手前、些末な問題である。それに東雲君が使ったスプーンなら、むしろこのままが良い。
 問題なのはどうして自分が持て成される立場になっているということだ。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないですよぅ!」
 腰を浮かべかけた彼は、再び腰を下ろして首を傾げる。
 訊きたいのはこちらの方だ。
「どうして洗濯物がばっちり綺麗に洗われて、掃除は部屋の隅まで行き届いていて、おまけに突然の来訪にも対応できるくらいに自炊なんてしちゃっているんですか!?」
「いや、余った炒飯は冷凍して明日にでも食べようと……」
「そういう話はしてねぇですよぅ!」
「男子学生というのは万年床敷いて、休日は昼まで眠っているような生活力皆無なものなんじゃないですかぁ…… 部屋だって埃が残っていて、洗濯物だって溜まりっぱなしだし、おまけに食事はカップ麺とコンビニ弁当を常食しているんじゃないですかぁ……」
「いや、それはどこのダメ人間ですか……」
「これじゃあ、私の介入する余地がないですよぅ……」
 しどろもどろに答える東雲君を見て、思わず私は卓袱台に突っ伏して泣き出してしまった。
「もう良いです! 私がここで住まわせて頂いて何がなんでも貴方に奉仕させて頂きます!」
「どうしてそうなるの!?」

………
……


 我が家の家訓は「自分のことは自分でやる」
 当たり前のことを当たり前のように自分でやるというのはとても大事なことだ。
 だから、炊事も洗濯も掃除も大学に入って独り暮らししても自分でやってきた。
 元々、家事一般は嫌いじゃなかったから苦ではなかったのだけれど、最近一つ気が付いたことがある。

 誰かと一緒に家事をするというのはとても楽しいものだ。

 最近は、休日にサーシャと一緒に家事をするのがとても楽しい。
17/10/21 06:37更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
息抜き小説第二弾
最初は難産だったけど、方針が決まったらあっさり書けました。
長くなりそうだったので、若干乱暴に話を畳んじゃっている気がするのはきっときのせい。

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