連載小説
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後編・その2
翌朝。結局、審問官は浅く眠ったに留まった。その貴重な睡眠もアンジェカが身じろぎしたことですぐに打ち切られた。
「おはようございます、アンジェリカ様。」
彼はすぐさまベッドから抜け出し、まだ寝ぼけているエンジェルに挨拶をした。
「おはようございます、ヒメネス。」
ひとまず挨拶を返すと、アンジェリカは欠伸と伸びを同時にやってのけた。審問官は寝起きを理由にして、彼女の不作法を咎めないことにした。
 彼らの目覚めを察してか、シスターが朝食を運んできた。トースト、サラダ、目玉焼きとベーコン、ハート形の果物、ミルク。ありきたりと言えばありきたりだが、味・量・栄養はかなり良く虜囚の立場からすればかなり贅沢なメニューと言える。アンジェリカが食べるのを渋る一幕もあったが、審問官が諭したかいもあり朝食はきれいに無くなった。
 一息つくと、数人の魔物を連れたシスターが現れた。
「ふふ、特別教育を再開するわ。」
「天使様には触れさせん。」
審問官はアンジェリカを庇いつつ、魔物たちを睨みつけた。
「あら、勇敢ね。じゃあ、あなたから来てもらおうかしら。」
審問官の刺すような視線を受け流し、シスターは配下の魔物に連行を命じた。アンジェリカが咄嗟に審問官の手を掴もうとするが、指が触れるに留まり彼は連れ去られてしまった。
「ヒメネスをどうするつもりなのです?」
「あら、ずいぶん仲良くなったのね。」
「茶化さないでください。」
「そうねぇ、彼には我が主の教えを受けてもらっているわ。」
「なんとおぞましいことを。あなたの神が許しても我が主は決してこのような行いを許しません。」
「ふぅん。その割にあなたの主はあなたに力を貸しているように見えないけれど?」
シスターの指摘にエンジェルは一瞬おびえたような表情を見せた。
「あなたの主はどれだけ祈れば耳を傾けてくれるのかしら?」
挑発的な物言いを残しシスターも部屋からいなくなった。
 シスターの指摘はアンジェリカが恐れていることを的確に付いていた。彼女が同行した軍団が魔物の軍団に敗北し、彼女も囚われの身になってからというもの、彼女は主神の声が聞こえなくなっていた。このような事態に一度もあったことのない彼女は深い喪失感に囚われていたが、彼女を熱心に敬う審問官と出会いなんとか心の安定を取り戻しつつあった。しかし、心の支えたる審問官はいまや魔物に連行され恐ろしい責めを受けている。そのことが彼女の心に大きなゆさぶりをかけた。今の彼女は祈ることしかできなかった。
 足音がした。一心不乱に祈っていたアンジェリカはふと審問官の気配を感じ我に返った。魔物に連れられ戻ってきた審問官はかなりやつれているように見えた。実のところただの寝不足なのだが、余裕のないアンジェリカからすればとてつもない責めをうけたと解釈できた。そのまま牢に戻された審問官は連れ出される前と同じく彼女をかばいつつ、魔物たちを威嚇し続けた。魔物たちが出ていくと審問官はそのままベッドに座りこんでしまった。身を案じるエンジェルを落ち着かせると、審問官はしばし眠る許しを乞うた。自身を庇ってくれた審問官の頼みを断るつもりもなく、アンジェリカは肯こうとした。そこにいくつかの単語が声とも文字ともつかぬ形で彼女に入り込んできた。曰く、
「彼に膝を貸しなさい。」
一瞬戸惑ったアンジェリカだったが、その言葉に従うことにした。突然の申し出に審問官はひどく驚いたが、極度の眠気と疲労から彼女と口論する気にもなれず、なし崩し的に彼女の膝を借りることにした。最初のうちは恐縮したふうだったが、審問官はすぐに眠りについた。しかし、彼が依然として緊張を解いていないことは寝顔を見れば一目瞭然だった。アンジェリカはしばし逡巡した後、リラックスさせてみようと彼の頭を撫でてみることにした。何と無く彼の寝顔が穏やかになった気がした。
 翌朝。審問官は長い間忘れていた穏やかな目覚めを迎えた。しばらく頭が働かなかったが、寝る前のやりとりをうっすらと思いだし一気に覚醒した。
「きゃっ。」
突然跳ね起きたせいか、アンジェリカが小さな悲鳴を上げた。
「アンジェリカ様。私はどれくらい眠っていたのでしょうか?」
「ざっと8時間くらいでしょうか。」
「申し訳ありません。」
「いえ、構いませんよ。それより、よく眠れましたか?」
「はい、とても。」
「そうですか。」
自分を庇ってくれた審問官に少し報いられた気がして、アンジェリカは嬉しく思った。
 その日も審問官は魔物の特別教育を受け、また地下牢に戻された。そしてアンジェリカは彼に膝を貸すことで安らぎを与えた。次の日も、その次の日も同様であった。そのまま数日が経過した。
「……ジェ……。……え……か。」
アンジェリカの頭の中で声がした。しばらく聞こえなかった声に彼女はハッとした。
「アンジェリカ。聞こえますか。」
声はさらに鮮明になった。
「はい、主よ。」
「ごめんなさい。長くあなたに声を届けられず、不安にさせてしまったことでしょう。魔物の魔力があまりに強く、声が届かなかったのです。」
「私は信仰を保っています。」
「そのようですね。魔物に屈せず信仰を保つあなたを誇りに思います。」
「ありがとうございます。」
「それにもう一人、信仰を保っているヒメネス卿、彼にも安らぎを与えているようでなによりです。」
「あの時の言葉はやはり主がお送りに?」
「はい、いちかばちかでしたが。」
「主のお言葉で我らはまだ抗うことができます。」
「……残念ですが、それは叶いません。」
「な、なぜです?」
「既にヒメネス卿が限界を迎えつつあります。私が干渉したことは魔物も察しています。早急に彼を堕落させるべく、さらに苛烈な責めを与えています。」
「そんな。」
「気を落とさないでください。彼はあなたの安らぎのおかげでここまで耐えてきたのです。しかし、彼も人間界の理に縛られている以上いずれ限界を迎え、肉欲を暴走させるでしょう。ここまでくると信仰を保つことはできません。後は魔物と同じ存在に堕ちるでしょう。」
「……。」
「手をこまねいていればいずれこうなります。」
「わ、私はどうすれば……。」
「簡単なことです。ヒメネス卿が魔物から責めを受けた以上にあなたが報いるのです。彼の肉欲をあなたが受け止めて彼の心と信仰をつなぎ止めるのです。分かっていると思いますが、義務感だけの善報では無意味ですよ。」
「私はヒメネスに救われました。ですので、私はヒメネスを救います。」
「その意気です。あなたに幸あらんことを。」
こうして声はまた聞こえなくなった。しかし、アンジェリカに確固たる決意を持たせるには十分だった。
15/07/04 17:24更新 / 重航空巡洋艦
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■作者メッセージ
重航空巡洋艦です。

宗教裁判・再審も後少し。
次回作はのんびり帆船物にしたいなと考えています。

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