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あなたの浮気防止術は、何ですか?

  《 あなたの浮気防止術は、何ですか? 〜 ラミアのエルゼさんの場合 》

 世間じゃラミアは嫉妬深い種族だって言われてるみたいだけど、実際の所はそうでもないと思うわよ?
 だから、『あなたの浮気防止術はなんですか?』って訊かれても、ちょっと困っちゃうわ。だって、特別変わった事なんてしてないんだから。

 せいぜい、旦那が知り合いのワーラビットと仲良くしてるなぁ、何考えてんのかなぁって思った時に、うさぎ肉のパイ包み焼きを夕飯に出す程度のものね。

 ちなみにその時のポイントは、生肉をド〜ンと、これ見よがしな感じで台所に置いておくこと。
 さらに付け加えるなら、いつもより丁寧に、黙々と料理した後、静かに

「うさぎのお肉って、たまに食べると美味しいわよね?」

 ……とか訊いてあげる事かな。
 私の友達は、旦那の部屋着や歯ブラシに浮気相手と同じ種族の毛を絡ませてみたりするらしいんだけど……さすがにそれはやり過ぎよね。

 私だったら、

「今日、たまたま良いお肉が手に入ったの。よく身の締まった、白い毛のウサギちゃんだったわ」

 ……と告げる程度だわ。
 ね? いたってソフトな対応でしょ?


 そもそも、どうして人間には【浮気】なんて発想があるのかしら。
 正直、私にとってはその段階から理解出来ないわ。

 だって、男も女も、老いも若きも、同じように不誠実な事を考えて、実行して、大きな痛みや悲しみを生み出すんでしょ?

 自分のそばに、心から愛し、思いを告げた存在があるのに。
 自分のそばに、長所も短所も全て認めたうえで、共に歩もうと言ってくれる存在があるのに。
 ちょっと言葉は悪いけど、「バッカじゃないの?」って思っちゃう。

 本当、ヤキモチや嫉妬の念をぶつけてくれるうちが花なのよ?
 好きって気持ちに疑念や恐怖というヒビが入り、失望や落胆という水が流れ出し、嫌悪や憎悪という崩壊の後に、別れや無関心、報復というドス黒い沼が出来上がる。
 ……そんなのって、どこまでも悲しい事だと思わない?

 愛があれば大丈夫、どんな苦難も怖くない……なんて青臭い事は、さすがに言わないわ。
 でも、愛が無ければ始まらない、動かない事というのも、確かにあるはずよ。

 私は、旦那を愛してる。
 それは、胸を張っていえるわ。

『もしも私が浮気という不実を働いたならば、この皮を剥がれたとて泣きはせぬ』

 なぁ〜んて、宣誓の書に署名して良いくらいよ。
 それくらい、私は真剣なの。いつもいつも、ね。


 私の旦那は、医者をしているの。
 村の小さな診療所のお医者さん。

 私も、時々手伝いに行ってるわ。
 村の人達はみんな温和で、素敵な方ばかりよ。
 けど、この平穏で充実した日々を手に入れるまでには、それなりに紆余曲折があったのよね……。

 もともと、うちの旦那は首都の総合病院に勤務してたの。
 医療の技術も、理論も、人員の質も、超一流のすごい病院よ。
 まぁ、そんな所に所属していたくらいだから、うちの旦那はなかなかのエリートだったと、そう言えるのかしらね。

 ただ……旦那にとって、その病院は決して居心地の良い場所ではなかったみたい。
 医者同士の無意味な派閥、学閥争い。無茶を言う患者に、銭勘定ばかりの上層部。
 その場所の事を、今、旦那はこんな言葉で表現しているわ。

「今思えば、あそこは、病院という名の錬金術研究所だったのかな」

 ……そして、日々の生活に疲れていた彼がホッと心安らげる場所として、毎日のように通っていたお店があったの。
 それが、私……ラミアのエルゼさんが営んでいたカフェ:エルゼネストだったのよ。

 えぇ、そうよ。
 私、カフェのオーナーだったの。

 私達ラミアは、人の中にまぎれるのが得意だからね。
 それに、カウンター七席のみの小さなお店だったから、普通にしてても案外気付かれなかったのよ、これが。


 とある冬の夜、薄暗い路地の奥にひっそりとあった私のお店に、やつれた彼がフラフラっと入って来たの。
 聞けば、夜勤続きで朦朧としているうちに、自宅に帰る道を間違えたんだって言うじゃない。
 
 だから、私は純粋に思ったのよ。
 あぁ、この人は何とかしてあげなきゃ駄目だ。何か美味しいものでも作ってあげよう、ってね。

 で、エルゼさん特性卵トースト&サラダ、ホルスタウロスちゃんのお乳で作ったまろやかヨーグルト、さらにお気に入りのハーブティーを淹れてあげたら……彼、ポロポロ泣き出しちゃってね。

「えっ、ちょ、不味かったかな? それとも、嫌いな物でも入ってた!?」
「グスっ……うぅ……ち、違います。すごく、グスっ、美味しいです」
「あぁ、良かった。ビックリしちゃった。突然泣き出すから、なにかいけなかったのかなって……」
「う、ぐっ……すいません。ただ、こんなに暖かくて、美味しい食事をしたのはいつ以来かなと思ったら、何だか、泣けてきちゃって……本当、ごめんなさい……」

 私は、彼が落ち着くのを静かに待ったわ。
 そして、こう言ったの。

「心に辛い何かが溜まっているのなら、ここで吐き出しちゃいなさいよ。私でよければ、いくらでも聞き役になるわよ」

 最初、彼は涙声で遠慮してたんだけど……ポツリポツリと、語り出してね。

 自分が、この首都から遠く離れた田舎町の生まれであること。
 病弱だった幼い自分と粘り強く向き合い、ついに病魔を撃退してくれたお医者さんに憧れを抱いたこと。
 猛勉強の末、医学アカデミーに合格したこと。
 先祖代々から受け継いで来た土地を売って、両親が学費を捻出してくれたこと。
 難関の医師資格試験に合格し、ついに一人前の医師として総合病院に配属されたこと。
 そしてその病院が、自分の全く知らない、理解できない理屈で動いている場所であったこと……。

 あの時の彼は、本当に疲れていたのね。
 そこまで語った所で、カウンターに突っ伏してグーグー眠り始めちゃったの。
 私は、その寝顔にクスっと笑って、そっと毛布をかけてあげて……左の頬にキスをしたわ。

 その時に、気付いたの。
 あぁ、私はこの人間に、少なからぬ『興味』を抱いたんだなって。
 今思えば、あれは一目惚れみたいなものだったのかも知れないわね。

 それから彼は、ほぼ毎日私の店に来るようになったわ。

「毎日来てくれるのは、店主としてすごく嬉しいんだけど……ずっと仕事なの? お休みは?」
「本当なら、昨日は休みの予定だったんですけどね。急患が入ったって呼び出されちゃって。最後に丸一日休んだのは……二ヶ月以上前、かな?」

 ……とか、そんな調子でね。
 ヒョロっと背が高くて、ボサボサの髪の毛で、人の良さそうな顔つきで。
 本当、ものの言い方やその振る舞いを見ただけで、『変に尖った所の無い、素朴でいい奴なんだろうな』って確信が持てるような、そんな人間なのよ。彼は。

 だから、なのかしらね。
 そんな彼だからこそ、あれは許せなかったのかもしれないわ。


 唐突だけど、一つ問題を出すわよ?

 あなたは、医者です。
 今日の担当は、救命救急セクションです。

 二人の急患が、相次いで担ぎ込まれて来ました。

 一人目は、働き盛りの男性です。
 地方から出稼ぎにやって来て、建設現場での作業中、突然の事故に巻き込まれてしまいました。
 里には、帰りを待つ妻と幼い息子がいます。
 怪我の状態は酷く、一刻の猶予もありません。

 二人目は、高慢な貴族のドラ息子です。
 街でも評判になっている札付きの不良で、今日も人から馬を奪い、峠で落馬した挙句に崖から転げ落ちてしまいました。
 処置室の前では、彼の父親が「何としてでも私の息子を治せ! 治すのだ!」と叫んでいます。
 そしてこちらもまた、怪我の状態は酷く、一刻の猶予もありません。

 しかし、今、全力を傾けて治療が出来るのは一人のみ。
 人員や機材の都合で、そういう状態になってしまったのです。

 ……さて、あなたならば、どうしますか?


 なかなか、難しい問題よね。

 感情としては、前者を救いたい。
 けれど、医者として命の価値や尊厳に順位をつけるわけにはいかない。
 さらに、組織に所属している以上は、自分達にとって重要と思われる人物の依頼を無視する事も難しい。
 処置室の外では、相変わらずドラ息子の親父が、高慢な貴族が、叫んでいる。
 彼は、議会にも顔が利く。ここで息子を救わなければ、病院全体が窮地に立たされてしまうかもしれない。
 でも、そんな理由で、一家の大黒柱であるこちらの男性を後回しにしても良いのだろうか……。

 何かを選ぶという事は、他の何かを切り捨てたり、諦めたりする事に等しいのだ。
 ……な〜んて、冷たい気持ちで選択肢に臨んだり、自分の心に蓋をしたり出来る人間は、きっと楽なんでしょうね。
 もしかすると、この場合はそういう人間になってしまう事が、心を変化させてしまう事こそが、正解への近道なのかもしれないわ。

 けど、ね。
 彼には、私の旦那には、それが出来なかったのよ。
 彼は、とうとう処置室の中にまで入って来た貴族に、こう宣言したらしいわ。

「我々は、全力を尽くして事に当たります。ですが、優先権は先に運び込まれて来たこちらの男性にあります。軍やアカデミーの治癒魔術師のみなさんにも協力を要請しました。どうぞ患者さんのご家族の方は、外の待合室へ」

 そう言われた貴族は、茹で上げられた蛸みたいに、顔を真っ赤にして怒ったそうよ。
 ううん、それだけじゃ済まなかった。
 剣を鞘から抜き払って、彼の首筋に刃を当てながら叫んだのよ。

「貴様、もう一度言ってみろ! こんな有象無象の命と我が息子の命……どちらに値打ちがあるのか、そんな事もわからんのかっ!? えぇいっ、貴様のような愚か者は生かしておけぬっ! 我が剣の錆にしてくれるわっ!!」

 その剣幕に、忙しなく動き続けていた他の医師や看護師達も、ヒッと息を飲んで立ち止まったそうなんだけど……それでも彼は、怯まなかったの。

「私を殺したいのであれば、お気に召すまで斬り刻んでください。ですが、今はいけません。ここは、病院です。人を生かす場所です。私は、逃げも隠れもいたしません。このお二方への処置を終えた後、私はあなたのもとへと参ります」

 胸を張り、視線を逸らすこと無くそう言い切った彼に、貴族はウっと後ずさりをしたそうよ。
 そして剣を鞘にしまい、忌々しげに足音を踏み鳴らしながら処置室を出ようとして……とてつもない事をぬかしやがったの。

「フンっ! 貴様など、殺す値打ちも無い! まぁ、良い……この落とし前は、その男の家族につけさせよう。ガキは他国へ売り飛ばし、嫁を娼館にでも引き渡せば、多少は気も晴れるというものだ」

 本当……私がその場にいなくて良かったと思うわ。
 私だったら、躊躇わない。
 一秒だって待たずに、その貴族を締め上げて殺してるわ。
 確実に締め上げて、自分の骨が砕き折れる音をゆっくりと聞かせてやりながら、散々命乞いをさせて、殺してるわ。

 だから私は、彼がその貴族を殴り飛ばした事を責めない。絶対に。
 そりゃ、暴力はいけない事なんでしょうね。
 まして、医者がそれを振るうなんて、言語道断なんでしょうね。
 彼の行為は、決して肯定されるものではないと、人はそう言うんでしょうね。
 ……でも私は、彼を責めない。責められないし、責めたくない。

 吹き飛んでベチャっと床に伸びた貴族を無視して、彼は医者としての仕事に臨んだそうよ。
 これが、医者として自分が行う最後の仕事になるんだろうと思いながらね。


「それで……これから、どうするの?」

 私は、彼にそう訊いたわ。

「良くて医師資格剥奪。悪ければ、懲役刑でしょうか。何せ人を、それも色々な分野に太いパイプを持つ貴族を殴り飛ばした訳ですから」

 彼は、初めて店にやって来た時と同じメニューを食べながら、寂しそうに笑ったわ。
 何かを言わなければいけない。でも、何を言えば良いのかわからない。
 そんな風に黙り込んでしまった私に、彼は普段通りの、あの人の良さそうな表情でこう告げたの。

「エルゼさんが作ってくれる物を食べるのも、これで最後かも知れません。どんな処分が下されるにしても、僕はこの街を去る事になります。明日から、部屋の荷物を片付けますよ。ちょっと、大変だな」

 どうしてあなたが、処分されなくちゃいけないの!?
 悪いのは、その貴族の方でしょ!?
 病院の人達は、あなたを救ってくれないの!?
 そして何より、こんな時も、どうしてあなたは私に微笑みかける事が出来るの!?

 ……そんな言葉が頭の中をグルグルまわって、喉が焼けるように熱くなって、こめかみがズキズキと痛くなって。

 結局、答えは一つなのよ。
 彼は、全ての人の命に対して、きちんとした愛情を持っているの。
 だからこそ、病院の変な仕組みに馴染む事が出来なかったし、ひどい恫喝を受けても屈さなかった。
 たぶん、私が頭に浮かべた事を訊いたとしたら……彼はきっと、こう言ったはずよ。

「僕は、人間ですから。そして、医者ですから」

 そう思うとますます胸が熱くなって、いよいよ私は何も考えられなくなって……。
 ハっと我に返った時、私はカウンターを乗り越えて、彼を抱きしめていたの。
 自分がラミアである事も忘れて、上半身も下半身も全て使って、強く強く、思い切り。

 正直……あぁ、もうこれで全部終わっちゃったなぁって。そう思ったわ。
 それまで私は、自分の正体を彼に告げていなかったから。
 この国の人達は比較的魔物に対して友好的ではあるけど、首都には反魔物派も数多くいるからね。
 今まで人間だと思っていた女が、突然正体を現して飛びかかって来たと……普通なら、そう思うような状況よ。

 けれどやっぱり、彼は違ったの。

「エルゼさん、泣かないでください。エルゼさんが淹れてくれたお茶の味は、絶対に忘れませんから」

 そう言って、彼はそっと私に身を任せてくれたの。
 その時になって、私は自分がボロボロと泣いている事に気付いたわ。
 まったく、どこまでも格好悪い話よね。
 だからもう、私はヤケになって、叫ぶように言ったのよ。

「イヤよ! 絶対にイヤ! そんな、私を思い出にするようなこと言わないで! 私は、あなたと離れるのなんて、イヤなの! あなたはもう、私のものなんだからっ!!」

 ……いやぁ〜、まったく、いやいや、本当にもぅ。
 今思い返しても、赤面するわ汗をかくわの大騒ぎね。
 全く、こんなデタラメな求婚が許されるのかしら。
 ラミアの名折れね、私って。

 え? それからどうしたのかって?
 う〜ん、答えづらい事を訊くのねぇ。
 けどまぁ、ここまで話したんだから、もう別に良いかな。うん。腹を括るわ。

 私と彼は、その場で一つになりました。
 ……あぁ、今私、顔真っ赤になってない? なってる? やっぱりね。
 あ、でもちゃんと店の入り口の鍵はかけたから。その辺は大丈夫よ。
 好きになった人と結ばれている姿を他人に公開するほど、私は弾けた性分じゃないからね。

 で、そうして事が済んだ後、私に抱きしめられたまま、彼がポツリと言ったのよ。

「……良かった。エルゼさんと僕は、両想いだったんだ。嬉しいなぁ」

 あの一言の重みと温もりは、これからも絶対に忘れないわ。
 そのまま二回戦に突入しても良いくらいの嬉しさと愛しさだったんだけど……私は、これだけは訊かなくちゃいけないと思って口を開いたの。

「今さら遅いかもしれないけど、私は、ラミアよ? こんな女でも、お嫁に貰ってくれるの?」

 そしたら、彼は何て言ったと思う?

「はい。僕のお嫁さんになってください。僕は人間のエルゼさんではなく、ラミアのエルゼさんでもなく、あなたを、『エルゼ』という命と存在を大切に想っています。だから、お嫁さんになってください」

 ね? ね? すごいでしょ、うちの旦那って? ね?
 いやもう、今でもあの時の事を思い出すと体の芯がカッと熱くなるわね!
 ……あらやだ、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃったわ。


 これは、彼に教えてもらった言葉なんだけど……。

 遠い遠い東方の国には、『禍福はあざなえる縄の如し』って表現があるんだって。
 【良い事と悪い事は、縄をより合わせたように移り変わっていくものだ】って意味らしいんだけど、なかなか素敵な言い回しよね。
 で、私も彼も、この言葉の意味を実感するような運命と出会ったのよ。

 バカ貴族を殴り飛ばした四日後、彼は病院の上層部会議の席に呼び出されたわ。
 そしてそこで、解雇を通告されたの。
 ……いいえ、こう言い換えるべきかしらね。『解雇のみを通告された』のよ。

 医師資格の剥奪も、刑事罰も無かった。
 上層部の一人は、彼に対してこう言ったそうよ。

「君の行為は、決して許されるものではない。しかし、一連の出来事を目撃した人々から得た証言などをもとに、情状酌量の余地は十分にあると我々は判断した」

 さらに別の人物が、分厚い紙の束を叩きながら説明したんだって。

「これは、君の直属の上司、同僚医師、看護師達が君のために制作した減刑嘆願書と、今回の出来事に関する意見レポートだ。君のひたむきな働きは、皆が高く評価している。したがって、医師資格を剥奪する事は得策ではないという結論に至った」

 と、ここで終われば、美談だったんだけどねぇ。

「とはいえ、君が厄介な揉め事を起こした事に変わりは無い。この事が外部に漏れれば、我が病院の評価に関わる。国からの助成金にも影響が出る。だから、君を解雇する。退職金も出さない。静かに消えて行ってくれ」

 ……二人の急患を救うために、彼は軍やアカデミーの治癒魔術師へ協力要請を出したでしょ?
 この時、運良くというか、悪くというか、それぞれの組織の重鎮クラスの人が駆けつけてくれたのよね。
 う〜んと、わかりやすく言うと……バカ貴族以上の人脈や存在感を持つ人物って感じかな?

 で、その人達も、あのバカ親子の振る舞いには前々から腹を立ててたんだって。
 この国でも最上級の治癒魔術を展開しつつ、意識を取り戻したバカ親父を正座させて「どう考えてもお前が悪い!」と説教する二人の重鎮。
 ……想像すると、なかなか愉快な構図よね。

 とにかくそんな事があったから、旦那は告訴される事も、斬り殺される事もなかったの。
 急患の二人も無事に命を取り留めて、誰も死なずに済んだのよ。
 だけど、あの病院の上層部は本当にしたたかよね。

・二人の重鎮が事の経緯を知り、睨みを利かせた結果、貴族の口は封じられた。

・つまり、この問題が外部に漏れる心配は無くなり、病院の評価が下がる事は無くなった。

・しかし、揉め事を起こした人間を放置しておくのも、上層部としては示しがつかない。

・有能ではあるものの、病院のシステムに染まらなかった彼は少々厄介な存在だ。

・刑事罰ナシ、医師資格剥奪ナシという恩情を与える形で彼を黙らせ、クビにしよう。

・そして周囲の人達には、彼が全責任を取って自主退職したと伝えれば、万事丸く収まる!

 ……とまぁ、こんな筋書きが出来上がってたらしいのね。
 人間はよく「蛇は狡猾で残忍な生き物だ」なんて言うけど、私に言わせればあんた達の方がよっぽど恐ろしいわって感じよ。


 とにかく、そんなこんなの末に彼は病院を去る事になったわ。

 あの時、彼の心は良くも悪くも真っ白な状態だったと思う。
 苦労して、苦労して、苦労してたどり着いた結果が、病院からの解雇だもんね。
 いつも通りの優しい笑顔を見せてはくれたけど、やっぱりどこか空虚な感じがしたもの。

 え? その時私がどんな思いだったかって?
 「大丈夫よ、ドンと私に任せなさい!」って感じだったわね。
 「いざとなったら、私があなたを食べさせてあげるわよ! 何なら、二人でカフェをやりましょう!」ってね。
 だって、夫が苦しい時にきちんと支えてあげるのが、妻の役目ってものでしょう?
 私までうつむいてしまったら、一体誰が彼を幸せに出来るのよ。ね?

 それにね、そんな風に頑張る気持ちがあるからこそ、次の風とも出会えるのよ。

 あのバカ貴族を叱り飛ばした重鎮の一人が、彼にこんな話を持って来てくれたの。

「この国の北部の農村は、慢性的な医師不足に悩んでいてね。一人、二人の医師が、複数の村の面倒を見ているような状態なんだ。そこで、どうだろう。君に、その地域に根を下ろし、人々と長く付き合うという仕事に取り組んでもらいたいのだが……やってみる気はないかね?」

 その提案に、彼は迷う事無く即答したわ。

「はい。やります。やらせてください。その役目を、僕に任せてください!」

 そうして……現在に至る、って事ね。
 え? 私のお店? その話が決まってすぐに、パパっと処分しちゃったわよ?
 だって、私は彼の妻ですもの。夫の行く道は、私の行く道でもあるんだから。
 彼の心と力を発揮できる場所。それも、誰かに喜び、頼りにしてもらえる場所への出発が決まったんだから。

 たとえそこが地の果てだって、私は鼻歌を歌いながら付いて行くわ。


 ……ちなみに、この村に来てから、私は自分がラミアである事を隠さなくなったわ。

 最愛の旦那様が、私という命と存在を心から想ってるって言ってくれたんだからね。
 彼は二本の足で立ち、私はこの蛇の体で立つの。

 最初、村の人達は驚いてたみたいだけど、すぐに笑顔で受け入れてくれたわ。
 子供達は私の事を「蛇のお姉ちゃん」って呼んで慕ってくれるし、おばあちゃま方は郷土料理や裁縫を教えてくださるし、奥様の面々は脱皮した私の皮を「蛇の皮は金運上昇のしるしよ!」なんて言いながら欲しがってくれるし……ふふふ。

 あと、若い女の子や男の子から、恋の相談を受けるのも楽しいわね。
 その手の話は私も嫌いじゃないし、都会でのカフェ経験が効果を発揮してるわ。

 え? その時、旦那はどうしてるかって?
 向こうは向こうで、旦那様方の愚痴を聞いてあげてるみたいよ。
 「僕も、カウンセリングの勉強をしなきゃなぁ」って、頭をかきながら笑ってるわ。


 あらあら、もうこんな時間なのね。
 長々話しちゃって、ごめんなさい。

 とにかく、浮気防止術の結論としては、そうね……やっぱり、相手を思い、支え、助け合う事の意味やぬくもりを忘れない事じゃないかな。
 もしくは、相手がそれを忘れかけているようだったら、チクリと刺激を与えて目覚めさせてあげる、とかね。

 繰り返しになっちゃうけど、私は旦那の事を愛してるの。
 本当、それだけは死ぬまで胸を張って言えるわ。

 さて、と……。

 それじゃ私は、夕飯の準備に取り掛かるわね。
 今日のメニューは、ちょっとワイルドな鶏肉の山賊焼きよ。

 最近、旦那がハーピーの運送屋と仲良くしてるみたいだから…………って、冗談よ?
 あははは、そんな顔しないで。本当に冗談だから。

 それじゃ、ありがとね。

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直接的なバイオレンスに訴えるヤンデレよりも、

後々になって「あれ? あの言葉の意味は?」と気付かせるような、
そんな精神的ヤンデレの方が恐ろしくて魅力的だと思うのです。

例えるなら、アメリカンホラーと日本ホラーの違いと言いますか。

……いや、このお話に登場するエルゼさんは、ヤンデレではありませんけどね。

10/03/09 08:51 蓮華

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