読切小説
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郭勤めの手記
○月2日
 最愛の人を見つけるためにこの仕事を始めて、どれくらい経ったのだろう。記憶は霞むほどではないけれど、よく思い出せない。それでもこうして仕事をしているのは、なぜかと言われれば、それはもう夫探しとしかいえない。
 私を美しいと思いながら、愛しながら共に同じときを過ごしてくれる人を探すため。私は今日も郭勤め。
 とある国に一つだけある遊郭――私の勤め所――は、安く身体を売っていると思われがちだけれど、そうじゃない。三度も足を運ばなければならない上に、その気になればこちらから男性を拒むこともできる。そう言った意味では、純潔を守りながら理想の殿方を探すにはうってつけのものだった。
 経営上でも、この遊郭に勤めるのは魔物娘だけなので、乱暴な物言いだけれど、養って貰わなくても極論平気だ。
 昼は格子の中から声をかけ、夜はさらに近い場所でその人を目にして。
 私は今日も人を探す。


○月5日
 夜、名指しされたとのことで部屋で待っていると、中に入ってきたのは無精髭を生やした、いかにも遊び人、といった風貌の殿方だった。もてなしの音楽や料理を堪能しながらも、その殿方の視線はどこか別の場所を彷徨っているようなものだった。
 やがて、深く息を吐いて殿方は開口一番、こう口にする。
「いやぁ、いいもんだ。そう思うだろう?」
 私はそれに答えることができないので、黙ったままその殿方の言葉に耳を傾けるしかなかった。
「おっとすまねぇ。一回目の時はおめえさんは喋っちゃいけねえんだったな。なに、独り言だと思って聞き流してくれ」
 原則として、一度目は私たちは喋ってはいけないことになっている。二度目で漸く会話が許され、三度目でやっと床を共にすることを許される。なので、この日の私はただこの殿方の独り言を聞くだけだった。
「今まで散々な人生だったんだがな、こうして別嬪さんと食事ができて、酒も飲めて、これが極楽と言わずして、どう言うもんなんだ。そう思っちまったんだよ」
 そう、聞くだけ。
「俺ぁ生まれも育ちも貧民でな?だがなんの幸運か間違いか、一度だけ小さい頃に遊郭を見ることがあったんだ。いや、当然中には入ってねえが。だが、その時憧れたところが、こういうもんだと知ったら、そりゃあ大枚はたいて通う奴がいるってのも納得がいくもんだ。」
 言うだけいうと、その殿方は立ち上がり、
「邪魔したな。上手い料理をありがとよ。ありったけの金を払った甲斐があったもんだ。もう来れねえだろうが、楽しかったぜ」
 そう言って、遊郭を後にした。


○月10日
 今日の殿方は、詩人だそうで、どんなお方なのかと浮き足立って部屋で待っていると、女性かと思うような長い黒髪をたゆたわせた、美しい方だった。いや、男性に美しいなんて、失礼かもしれないと躊躇ったけれど。
 けれど、私にはどう見ても、美しいとしか言えない、それ以外に明文化できないような容姿の殿方だった。
 物静かなお方で、お互いに一言も発することなく、ただただ時間が過ぎていった。その過ぎ行く時間の中で、何度か視線が合ったけれど、すぐに視線は杯の方へと向いて、ゆったりとした動作でお酒を飲んでいるだけだった。
 ただ、詩人の殿方は去り際に何か熱い視線を私に送っていた。その美しい視線と、神秘的な雰囲気に、私はその視線を受け止めることができなかった。


○月19日
 以前来た詩人の殿方がまた私を選んだとのことで、今回はお互いに喋ることが許されていた。
 まったく喋ることがなかった前回とは違い、今度は話ができるので、お互い話に花を咲かせることができるのだろうかと、少し期待していたのだけれど。
 なんと、今回もまったく詩人の殿方は喋ろうとしなかった。いや、これは私の単なる勘違いだったのだけれど。この後すぐに私は少しばかり不満を抱いていた自分の心を恥じた。詩人の殿方は、自分の懐から和紙と筆を取り出すと何かを書き始めていた。私は心を揺さぶるような詩を拝めれるのかと思ったのだけれど、それは勘違いだった。
『以前はあなた方に合わせて書くのを我慢していたのですが、今回はよろしいでしょうか?』
 詩人の殿方は、和紙にそう書いていた。
 そう、喋らなかったのではなく。
 喋れなかったのだ。
 私はなんとか平静を努めて、
「ええ、ようやくこれで噺ができますね」
 そう言った。話ではなく、噺。
 心臓が、やけに五月蝿い。煩わしい。煩い。同情とは違う、何かが、どろりと心の奥底からあふれだすのを、確かに感じた。そこから先、何を話したのか、よく覚えていない。ただ、内容は覚えていなくとも、夢中になって会話をしたことは、よく覚えている。


○月23日
 今日は悪名ではなく言うなれば善名名高い義賊が私の元を訪ねてきた。実はこの殿方、訪ねてくるのは三度目どころか六度目なのでもう事実上は私と床を共にできる。というかとっくに床を何度も共にしていてもおかしくない。
 どうやら向こうもその気が十分のようだったのだが。
 忘れてはならない。遊郭では、上の立場に、上位にあるのはあくまでも私たち郭勤めの遊女の方なのだ。あくまで抱かれるも抱かれないも最終的には私たちが選ぶ立場にある。
 というわけで、今回もやんわりと断った。
「いやおいおい・・・いくらなんでもひでえぞ。一時の夢を見せてくれるのが遊女の仕事じゃねえのかよ!?」
「あら、夢を魅せ、柔肌を見せる相手を選ぶ権利は誰にだってあります」
「俺じゃ不足だと!?」
「勿論」
「そこはもうちょい躊躇おうぜ」
「あら、余地なんてないですよ」
「手厳しいなあおい!」
 そう言いながらも、この義賊はまんざらでもない様子だった。そう、二回目の時からなんとなくはわかっていた。
 この殿方は、私を抱くつもりなど、ない。ただ話し相手が欲しいだけなのだ。異性の。
「まぁわかっちゃあいたことだけどなあ。ここまで否定されるとちっとばかし傷つくぜ」
「あら・・・」
「傷物になっちまうぜ」
「お帰りくださいな」
「すまん俺が悪かった」
 なみだ目になりながら詫びる殿方も珍しい。これでも名高い義賊・・・のはずなのだけれど。どうやら、それを実感するのはまだ当分先のようだった。


×月3日
 あの詩人の方が、また私を訪ねてきた。これで三度目になる。私を抱くのだろうか。あの華奢な腕で、会話ができずとも熱い交わりをするのだろうか。それとも、以外と淡白なお方なのだろうか。そんなことを考えていた私を待っていた現実は、思っていたものとはどれも違うものだった。
『あなたとお話しがしたくて、実はここに通っているんです』
 そう書いた和紙を見せてくれる詩人の人。
「あら、私を抱くのでは?」
『いえ、私は姿さえ見ることができれば、それでいいのですよ。美しい姿を、見ているだけで』
「ふふふ、口説かれるつもりですか?」
『どうでしょうね。ただ、もっとあなたを知りたいとは思いました』
 文面なので、気持ちはわからない。でも、私を知りたい。その文字だけが、少しだけ色濃く見えた。なぜかそのことが嬉しくて、少女のように揺れる私の気持ちに、そっと蓋をするように私は自分の両手を胸に当て、
「でしたらまたいらしてくださいな。いつまでもお待ちしています」
 そう言った。
 そう、いつまでも。


×月7日
「いやっほおおおおおおおおおおおおおおおう!!!!!!!!」
「静かにしてください。凍らせますよ」
 おおはしゃぎで酒を呷る義賊の人に、私は強かにそう言った。言ったところでこの機嫌の良さはしばらく収まりそうにはないのだけれど、注意をしないよりはましだろう。
 なんでも盗みがとんでもない大収穫だったようで、この盛り上がりようだ。お金が入れば豪遊とは、なんとも単純というか、なんというか。わかりやすい人。
「他にも殿方はいらっしゃるんですから、あまり騒がないでくださいな」
「騒がなかったらどうせ喘ぎ声が聞こえるんだぞ?こんな気分がいい時にしんみりとするのはごめんだ!いや、まてよ?しんみりしなくていい方法があった!抱かせ――」
「私はごめんです」
「はええよ!」
「・・・前々から聞こうと思っていたんですけど、本当に義賊なのですか?私には、とてもとても」
 言ったあとで、流石に失言だったかと思ったけど、義賊の人は胸を張って堂々と言った。
「あたぼうよ!強きを助け女子を挫く!」
「最低じゃないですか」
「間違えた!」
 それもどうかと思ったけれど、もう深く言及しようとは思わなかった。良くも悪くも、この人はこうなのだ。


×月9日
 またあの人が私を訪ねてきた。今日もあの人は私を抱かない。抱こうとしない。ただ、お互いになんでもない会話をしては、時折笑いあうだけだ。
 ほんの少しいじらしくなって、私はそっと手のひらを重ねてみた。あの人の体温は高めなのか、冷えた冷たい私の身体にはとても温かさが染み渡った。手のひら一つぶんだけの、お互いの肌の触れ合いが、こうも優しい気持ちになれることを、今さらながらに知った。これで夢を魅せる遊女なのだから、笑い種だ。
 そんなことを呟いたら、彼はにこりと微笑んでこう言った。いや、彼は喋れない。だから、こう書いた。
『笑い種なら、いいでしょう。いつかきっとその種は私にとっては花になるのですから』
 相変わらず、上手なことだった。ただ、どちらかと言えば、詩的と言うよりは言葉遊びだった。なんだか、詩人というよりも、物書きのようで、そんな彼がおかしかった。
 またいつもと変わらない時間が過ぎていく。そう、変化のない時間が過ぎていく。それに、ほんの少しの変化を求めてしまうのは果たして。
 罪深いことだろうか。所詮籠の中の鳥が言うことであっても。


×月12日
「私には魅力がありませんか?」
 出すぎた事とわかっていたけれど、聞かずにはいられなかった。彼は驚いた顔をすると慌てて筆を取り出して、
『そんなことはありませんよ』
 そう書いた。
「ならどうしてお抱きになってくれないのですか?・・・ゆきおんなと言う人外の者は、嫌悪されますか?」
『そうではありませんよ。ただ』
「・・・ただ?」
『ただ、・・・いえ、これもあなたからすれば女一人抱く度胸のない男の言い訳に過ぎないでしょうが、あなたを抱いてしまうと、戻れない気がするのです。ほたるの例の歌ではありませんが、甘依存、とでも言うのでしょうか』
 会話はそれっきりだった。
 酌をしながら、私はぼんやりと考える。
 戻れなくなる。それほどまでのものなら、いっそ、溺れてしまおうと思うのは、いけないことなのだろうか?肌を重ね合わせて、お互いの体温を感じて、指を絡ませて、熱い精を受けて。お互いを感じて想い合って、戻れないところまで進みたいと思う私の顔。今、私はどんな顔をしているのだろうか。


×月14日
「俺としたことがしくっちまった・・・・・・」
「・・・」
「って、お〜い、聞いてるのか?」
「え?あ、あぁ、ええ勿論。聞いてますよ」
「なんだ?惚けた顔して。さてはこの俺にとうとう惚れ――」
「ありえません」
「即答ありがとよ。お陰で男としての自信が薄れたぜ」
「むしろ今まで保っていたことに驚きです」
「だがお前さん、惚けてたのは本当だぜ。どうしたんだ?まあ大方の察しはつくけどよ」
「あら勘のいいこと」
「勘がなけりゃ義賊はやっていけねえさ。まぁなんだ。そこまで想う相手なら、お前さんが一歩踏み出ることも必要なんじゃねえか?踏み込んだ気になっている今のままじゃなくて、実際に踏み出す一歩だ」
「わかったようなことを言うのですね」
「わかってんのさ」
 これが、騒がしかった義賊の方との最後の会話となった。と言っても、なにも帰らぬ人になったわけではない。どうやらここを離れて言った道中で、かどわかされたようだった。人攫いとは穏やかな話ではないと私も一瞬思ったけれど、その義賊の方をかどわかした人物がドラゴンと聞いて、心配したことを損したように思えた。
 きっと、すぐに巷ではドラゴンと行動を共にする義賊の名前が噂になることだろう。


×月17日
 偶然か、はたまた運命のいたずらか。どちらにせよ、珍しいことに、この遊郭に商人が売り込みにやってきた。なんでも、旅をしながら各地を転々とし、その人の望むものを売っているそうだった。がめついというよりは、その商魂に最早感心するほどだった。
 どうやらその商才は確かなようで、他の遊女たちに品を売捌くその口上は聞いていて見事なものだった。聞いていて引き込まれるような絶妙な語り口に、口調。商人の武器はきっと何よりもその口なのだろう。そう思わざるを得ない。
 その商人とふと目が合い、軽く会釈をすると、やがてゆっくりとその商人は私の元へと近づいてきた。
「あなたも如何です?恋の妙薬から恋の妙薬まで、何でもございますよ」
「恋の妙薬だけ?」
「おや、相手の望むものを売るのが商売の鉄則です。あなたはどうやら恋煩いをしていると思うのですが、私の目も耄碌しましたかな」
「・・・・・・・・その妙薬と言うのは?」
 そう言うと、その商人は篭から一つの果実を取り出した。真っ赤な果実と、青い果実で一つのもののようだ。二人で、一つ。
「夫婦の果実に御座います。これを食べればお互いを想いあえること、間違いはないでしょう」
「・・・、買います」
 毎度ありと言う商人の声は既に私の耳に届いたかどうかは曖昧なところで、私はじっと夫婦の果実を見つめていた。果物特有の色艶もさることながら、つるりとした手触り。放たれる独特の妖しさは愛の妙薬と言われてもなるほど、頷ける。
「・・・ところで、これはほんの老婆心みたいなものなのですが」
「?」
「想っている殿方はどんなお方で?」
「・・・奥手な方です。私は誘っているつもりなのですけれど、抱いてくださらない」
「おや、あなたの美貌を目の前にして抱かないとは、それは本当に愛してくれている証拠では?それを無下にするのは、些か無粋かと」
「では、あなたは待ち焦がれる女の心模様を粋と?」
「・・・そうですね。失礼、出すぎたまねでした」
 そう言って、商人は遊郭を後にした。


×月23日
 結局、あの人が来てくれたと言うのに、私はあの果実を使う覚悟ができずに、こうしてまたくだらない会話に花を咲かせていた。いや、くだらなくはない。許されることなら、こうしていつまでも会話していたい。そう思う。
 そう思うと同時に、この関係を壊してしまいたい。とも思う。
 壊して、求め合う新しい関係を。
『今日はどうされたんですか?顔色が優れませんが』
「あら、ゆきおんなの顔色が優れないのはいつものことです。いつだって、真っ白なんですから」
『それもそうですね』
「・・・あの」
 言い出そうとすると、喉が潰されたように息ができなくなる。肺が圧迫されているようで、息苦しい。その不快感をどうにか堪え、私は言葉を紡いだ。
「私は遊女です。殿方に夢を魅せる、そんな者です。ですから」
 自分の仕事を言い訳にした、ずるい口上だった。でも、そうでもしないと、私は彼との距離を縮められそうになかったから。だから、自分の仕事を言い訳にして、彼を抱きしめる。
「・・・一時で構いません、可愛がってくださいまし」


×月24日
 朝、小鳥の囀りで目を覚ますと、すぐ隣に彼がいた。生まれたままの姿で。それは私も同じことだったけれど。
 初めて見る彼の寝顔をそっと撫でつつ、昨夜のことを思い出す。
 彼は、意を決した顔をして、
『いいのですね?』
 そう書いてくれた。断る理由なんて、どこにもなかった。その後は語らずともわかることだ。柔らかな唇を重ねて、まるで夫婦のような接吻をし、優しい、いたわる手つきで全身をくまなく愛撫され。私の手で、口で、胸で、大きく反り返って脈打つ殿方の象徴を慰め。そして、最後にそれを迎え入れた。
その熱に、温かさに思い出すと恥ずかしいくらいに乱れてしまったのを覚えている。まだ敷かれた布団にはそのぬくもりの残滓が残っているようで、それすらも愛しく感じてしまう。
 彼もどうやら目を覚ましたらしく、もぞもぞとしばらく虫のように身体を動かすと、私の顔を見て微笑んだ。
 その微笑の意味なんてわからなかったけれど、私は
「わかっていますよ」
 そう言う。
 彼は筆をとって、
『溺れてしまいましたね』
「悪いことではないでしょう、一時の夢も」
『ええ、ですが、どうせなら』
「?」
『一時ではなく、ずっと、添い遂げたくなりました』
 そう書いた。
 私が思わず戸惑うのと、彼が私に口付けるのはほぼ同時だった。
 これが、私の今の夫との、馴れ初めで。
 変わることの無い、愛しい人との一幕だった。
13/09/05 06:12更新 /

■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
今回、なるべく固有名詞を使わずに想像を膨らませられるようにしてみました。
如何でしたでしょうか。せっかく二重鍵括弧を使っているので、某嘘憑きの人の台詞も少しだけ引用してみました。

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