連載小説
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灰鼠色の英雄(前編)
目の前にある人の身長ほどの岩は、そこらに転がっているものと何ら見分けがつかない。
特別な魔力や違和感も感じられず、野外に置いて来たら探し出すのは不可能だろう。
ウェルステラ城の薄暗い地下室に放置されたそれは、どう見てもかさばる以外の何物でもないだろう。
・・・・そして、枢機卿である私以外、この岩を気に留める者はいないだろう。

「シアン?こんなところで何をしているの?」
「ラキか。これを探してた。」

地下室に降りて来たエンジェルのラキ(本名はラキエル)に、探し出した書物を渡す。
不要になったので地下室に置いたものだが、最近必要になったものだ。

「これは・・・うーん、よく読んでみないとわからない。」
「だな。悪いがラキ、頼めるか?」
「うん、わかった。ところでシアン、この岩・・・何?」

ラキのかしげられた首から、繊細な金髪がふわりと垂れる。
見たところ普通の岩が、地下室とは言え貯蔵スペースにどっかりと置かれている様を見て、ラキも不思議に思ったようだ。
やはりラキもこの岩から特別なものは感じられないらしい。

「・・・真偽のほどは不明なんだがね。いわく付きなんだ、これは。」

・・・・そう、それは今から数百年前。
まだ魔物が今のような女性形ではなく、恐ろしい姿を持ち、凶暴で残忍な存在だった時代。



******



僕が8歳の頃に、僕の暮らしていた村は魔物に襲われた。
緑色の肌を持ち、醜い顔をしたゴブリンが村を焼き払い、村の人達を次々と棍棒で撲殺し、女性を攫い、村に火を放った。
辛くも逃げた僕がぼろぼろの姿で辿り着いた街で、僕が最初に会ったのは奴隷商人だった。

――剣奴(グラディエーター)
それが、僕に与えられた身分だ。

ウェルステラの街に作られた闘技場で、僕らは見世物として互いを傷つけあい、殺しあった。
幸か不幸か、僕には戦いの才能と生への強い執着が眠っていたらしく、あっという間にベテランの剣奴を打ち倒すまでになった。
奴隷として栄誉を得たはずの僕はしかし、薄暗い牢獄のような寝室で毎晩の憂鬱に苛まれていた。

僕は何のために戦っているのだろう。
目の前の敵を打ち倒し続けても、僕は何も生み出せないし、賭博の種になるだけで何の役に立つわけでもない。

トカゲがそのまま2足歩行したような魔物と、ベヒーモスと呼ばれる岩よりも硬い肌を持つ大きな闘牛のような魔物を同時に打ち倒した時。
いつもの拍手喝采のあと、主催者が1人のエンジェルを演説台に立たせた。
それが・・・・僕の人生が、大きく変わった瞬間だった。

「魔王が率いる魔物の軍団の所業によって、方々の街や村が破壊され、人々は苦しんでいます。しかし、この剣奴のように、我々にも魔を打ち払う力が眠っているのです!」
「神の名を唱え、戦いに備えなさい。武具を出せる者は武具を出し、黄金を出せる者は黄金を出し、食料を出せる者は食料を出すのです!」

そのエンジェルの名はファラエル。僕はそのエンジェルを一目見て、その高潔な演説を聴いて・・・・恋に落ちた。

魔物は恐ろしい存在だ。人を襲い、強姦し、殺し、喰らう。そんな行為を僕は幾度となく見てきた。
その体躯は様々で、醜い人型の亜人種もいれば動物が凶暴な姿になったようなもの、翼を持った悪魔などがいるが、どれも一様に残忍だ。

どこかの戦線で捕らえられた魔物相手に戦うのではなく、人々を苦しめる野外の魔物を討ち払いたい。
あの天使の教えを実行し、せめて彼女を振り向かせたい。
そんな想いがふつふつと僕の心に湧き上がった。


「もう一度言う、貴様は闘技場で剣を振るっていればいいのだ。」
「しかし、僕なら魔物との戦いできっと手柄を・・・!」
「くどい!奴隷が主人に口ごたえする気かッ!!」

頬を打つ乾いた音が、石造りの部屋に響き渡る。
魔物と戦う教団の軍勢に入隊したいと願い出た僕は、一兵士となるにはあまりに名声が大きすぎた。
兵士として魔物に剣を振るうより、闘技場で見世物として剣を振るった方が、はるかに利用価値があったのだ。

主人が出て行った部屋の中で、僕は挫折感に打ちひしがれる。
僕の頭の中はあの天使・・・ファラエル様の姿と、その演説で一杯だ。
それからというもの、そのはけ口を求めるように、剣を振るい続けた。

転機は、そんな悶々とした日々が1年続いた時に起きた。


「ついに・・・・このウェルステラも・・・・」
「あんな怪物に目をつけられたんじゃ・・・・」

牢屋番たちが焦燥しながら囁きあっている。
ウェルステラの街の近くにある教団の砦が陥落し、とある魔物が陣取った。
高位の悪魔、バフォメット。その体躯はゆうに3メートルを越え、山羊の骨のような頭と筋肉でかためられた獣の身体を持つ。
恐るべきはその魔法で、数々の上級魔法、古代魔法をまるで呼吸するように繰り出すという。

街の人達の恐れを少しでも取り除こうと、ファラエル様も連日のように鈴のような声で演説をしている。
バフォメットの出現はウェルステラの街に、強い恐怖と不安をもたらしている。

・・・・・好機だ。
バフォメットを僕が倒せば、僕は街を大悪魔から救った英雄となり、ファラエル様もきっと振り向いてくれる。
そのためには、まずはここを出なければ・・・・


その晩。
番人を何人か絞めて装備を奪い、幾分かの食料と金貨を奪って、僕は闘技場から脱出した。
奴隷が憧れてやまない『自由』を僕は手にしたが、僕はそれすらもファラエル様のために捧げる覚悟だ。
例えバフォメットと刺し違えても、今までのような意味のない輪廻から脱して誰かのために剣を振るったことで、僕の生は意味あるものとなるだろう。

ウェルステラの街から北西の砦に陣取ったバフォメット。
その砦に近づくにつれアンデッドや魔法生物系の魔物が増える。


「儂に刃を向ける愚か者は、貴様か。」

目当ての砦の中央広場で、僕はそいつと対峙した。
人の背ほどもある山羊の骨の黒目から赤い光が2つ、こちらを睨む。
熊やライオンのような獣の身体はしかし、それらよりもはるかに筋肉質で、その体毛は魔力をたっぷりと蓄えている。
ぞっとするような大鎌を手にした目の前の魔物こそ、恐怖の大悪魔、バフォメットだ。

「羽虫に等しい人の身で欲するは栄誉か、黄金か。刹那に生きる物にとって、己の命はよほど安いと見えるな。」
「刹那に生きる・・・か。僕は、僕が生きていた意味がほしい。」

相手はこれでも、博識であることを自負している魔物だ。
その目は到底理解できないと言っていて、奴はその理解できないこと自体が気に食わないといった感じだ。

「羽虫の社会など、我々魔の者の前には風前の灯火。貴様が後世に影響を与えたいなら、勝利者となる我々に与し手柄を立てるが善かろう。」
「・・・その通りだ。だけど、僕はとある天使様に導かれた子羊なんでね。その天使様の教えに従いたいんだ。」
「なるほど、貴様が理想主義者で、身の程知らずということがわかった。ここまで来れた敬意とともに、挽肉にしてやるとしよう。」

そうバフォメットが言い終わるや否や、竜の頭ほどの魔力の塊があり得ない速度でこちらに飛んでくる。
僕は人間離れしていると称された反射神経と全身のバネでそれをかわし、こちらのリーチまで接近を試みる。
魔力の壁に剣を突き立て、次弾をかわし、そして・・・・


・・・ウェルステラの街に戻った僕は、案の定脱走の罪ですぐに捕らえられた。
しかし、バフォメットの死体からくり抜いた目玉を兵士に見せると、途端に城内に招かれた。
そう、僕は死闘の末、バフォメットに勝ったのだ。

「貴君がバフォメットを撃ち破ったという勇者か。楽にしてよいぞ。」

きらびやかな白い壁と、深い赤の絨毯。貴族や司祭達が整列する、謁見の間。
ウェルステラの地を治める枢機卿が、跪く僕に手を差し伸べた。

「貴方のような勇者の出現を心待ちにしておりました。教団を護る頼もしき戦士がまた1人増えたことに、神もさぞお喜びでしょう。」

白いローブを着た天使ファラエル様も、枢機卿の隣で僕の戦果に賞賛を送ってくれる。
魔を討ち払い、遂に僕はあこがれの方にお声をかけてもらった。
それだけでも感動で泣きそうだ。

「貴君の脱走の罪も無論不問にし、奴隷階級ではなく衛兵階級としよう。ウェルステラを滅ぼさんとした脅威を掃った貴君に、褒美を取らせよう。」
「新たな勇者にこのぺトラの指輪を贈ります。さあ、つけてみてください。」

白くて清らかなファラエル様の手から、僕は鈍く光る銀色の指輪を受け取る。
顔を上げると、聖女の微笑みが僕を・・・僕だけを見つめていた。
言い知れない幸福感とともに、僕はその指輪をそっと、左手の人差し指に・・・・
11/11/10 23:33更新 / 見習い教団魔導士
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■作者メッセージ
後編は明日にでもUPします。・・・忘れてたりしなければ。
『僕』の回想シーンの時系列は魔物が魔物娘になる以前、少なくとも先代魔王の時代です。当然、その時代の魔物は人間にとって、凶暴かつ残忍な存在でした。
回想に出てくるバフォ様も今のような幼女ではなく、山羊の骨を被った大悪魔そのものです。

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